マレーシア語入門前のガイダンス及び関連事項
旅先で使う会話程度の簡単なマレーシア語なら、ガイドブック類の巻末に載ってますね。またマレーシア語会話練習帳のような書名で小冊子も出版されてますから、旅行前や赴任前にマレーシア語を少しばかり自習するのは、それほど難しいことではありません。
本格的に勉強しようと言うかたには、96年に刊行された大学書林刊 「基礎マレーシア語」 小野沢純著 がありますし、また 「マレーシア語会話手帳」 語研刊 のようにテープ付き自習教材も発売されてるので、このホームページを読んでから本屋さんへどうぞ。
一般に他の言語(外国語という言い方は、”国”という字が含まれてるので誤解をうみます。なぜなら言語は国を越えて存在しますから) を述べるときに、すべて英語を例に出すのは、言語の規範がすべて英語かのような印象を与えるので、残念ながらそう思っている人も多いのですが、よくありません。 英語も世界にあまたある言語の一つだという認識が必要です。しかしそうはいうものの、日本人が一番普通に習いかつある程度の素養があるのは、やはり英語ですからその知識を利用しないのもおろかです。
ですからここでも英語を引き合いに出しますが、それは上で述べた理由からです。
マレーシア語の簡単な歴史や名前の由来については、「今週のマレーシア」の 目次から第40回トピックスである ”マレーシア語かマレー語か ” をお読みください。
入門前の10のガイダンス
最初にマレーシア語の特徴を簡単に述べます。
1. つづりはローマンアルファベットを使います。つまり英語のアルファベットとまったく同じです。ですから特別に字を習う必要はありません。
2. 動詞に時制がない、英語の過去形、現在形、現在進行形のような変化がない(went、go、going)。つまり文の内容または他の時制を示唆する言葉で時制を示す。
動詞に時制がないから時制の観念がないということではありませんよ。日本語でも動詞そのものには時制による変化はありませんからね。ですから動詞を覚えるのが楽です。
3. 英語などヨーロッパ語で一般的である、名詞に単数形と複数形がない (man, men とか place, places)。基本的に単複同じ形だが、その名詞を重ねる畳語スタイルがある。(kanak-kanak 子供)
これも誤解する人がよくいるのですが、名詞そのものに複数形がないといっても、単数と複数を区別しないということではない。日本語と同じく単複を区別しなければならないときは、それをわかるように言うだけです。
4. ヨーロッパ語を習うときに悩まされる冠詞がない、つまり不定冠詞 (a,an)と定冠詞 (the)によってその名詞を区別しない。日本人の語感からいえば定冠詞不定冠詞は余計なものですから、なくてもいっこうにこまらない。
5. 東南アジアの言語は大ざっぱにわけると、声調言語と非声調言語に分かれますが、マレーシア語は、学習者に幸運なことに,非声調語です。つまり中国語諸語、タイ語、ベトナム語などのように、慣れるのに非常に時間のかかる声調を習わなくていいのです。
- 注:声調とは一つの母音のなかで上げ下げ、音をつめるなどを示す発音調子のことです、日本語の橋と端、雲と蜘蛛の違いは異なる母音間で上げ下げ(抑揚)をつけることで、声調ではありません。
6.スペイン語やドイツ語などのように強い弱いのアクセントを単語のどこにおくという固定した規則はありません。日本語と同じようです。
7.形容詞または指示詞、時には名詞が直前の名詞を修飾する。つまり大きい本ではなくて”本おおきい”とか,あの車でなく”車あの” という言い方です。
こういう修飾方法は世界の言語にはたくさんありまして、隣のタイ語やヨーロッパ語のフランス語スペイン語などの大言語にもあります。これは考えるほど難しいことではありません。
8. 発音が比較的易しい。つまり母音の数はほぼ日本語と同じ、あいまい母音の「ア」が余計にあるぐらい。
子音の数も日本より少し多い程度です。のどをつめたり舌を変わった位置におかなければならないアラビア語や、フランス語ように多数の母音を使い分ける必要はありません。米語などのまき舌もありません。中国語やタイ語にある有気音と無気音の区別がないので日本人には楽です。
9.単語が語幹にいろいろな語を付加して意味や品詞を変える。つまり元になる語幹の前または後ろまたは前後ろ両方に、決められた規則にのっとり接頭辞と接尾辞がつくことにより、単語の意味を豊かにしていく。( 例:tulis, menulis, menuliskan, penulis, tulisan)
その際語幹の一部が変化したり、消えたりするので基の語幹をしらないと辞書が引けない。おそらくこれがマレーシア語を習うときの一番の障害でしょう。
10. 単語の起源にアラビア語から、特にイスラム教関係、借用した語がわりとある。英語から借用した語も多い。こういった借用語は、2音節語が多いと思われる本来のマレー語起源とはいささか語調がちがうが、マレーシア語の中で文化語としての役割もある。ちょうど日本語の中にしめる漢語のようなものと言えば、当たらずとも遠からずというところでしょう。
次に上記の例を示します。
2の例
Saya jumpa kawan (私は)友達に会う, それが昨日なら Saya jumpa kawan kelmarin のように 、昨日という語を加えることによっても動詞 jumpa 会う は変化しません。 esok saya jumpa なら明日会うですが 動詞は同じ形ですね。
3の例
kucing は猫という意味です、kuching は”a cat” も”cats” も表します。 satu ekor kucingは一匹のねこ、 ramai kucing はたくさんのねこ。尚 mata目 が mata-mata のように重ね語になると、普通は意味がかわります。
4の例
kereta は車、自動車 です、ばくぜんというなら kereta でいいのですが、特に指示して言う時は kereta itu その車というように区別すればいいのです。
7の例
buku ini この本という意味、buku は本で ini は指示詞、orang kaya お金持ちという意味、orang は人で kayaは裕福な です。 negeri Jepun はもうおわかりでしょう、negeriは国 Jepun は英語から類推できますね。
9の例
pakai(着る、使う)という語幹に 接尾辞-an がつくと pakaian(衣服)、接頭辞 pe-がつくと語幹の一部が変化してpemakai(使用者)、同じく接頭辞 me-がついて memakai(着る、使う)、接頭辞と接尾辞の両方が付く形 pemakaian(使用、着用)といのもある。pemakaianでは普通辞書の見出しに載ってなくて、pakai でひいてから調べます。
日本語でも「行った」を調べようとしても載ってなくて、終止形の「行く」を知らないと辞書はひけませんよね。
10の例
アラビア語起源には isnin 月曜日、khalwat イスラム教で許されない、男女が親密な関係になること、などたくさんあります。英語から借用は Koridor Raya Multimediaなら Multimedia Super Corridor からのように、探すのは簡単。
以上マレーシア語の特徴を他言語との類似と違いを例にして説明しましたから、マレーシア語がどんな言葉か、なんとなくおわかりになったことと思います。
マレーシア語は習うのにとっつきやすい言語ですから、最初で挫折なんてことは少ないでしょう、50時間ほどまじめに習えばマレーシアで”役にたちます”。これはタイ語や中国語諸語に比べて大きな利点です。しかし仮にも一つの言語ですから、数週間習ったぐらいで”使える”ようにはなりません。どんな言葉でもある程度気長に習うしか方法はありませんね。
尚筆者Intraasiaはマレーシア語の上級者でも専門家でもありませんので、マレーシア語のレッスンは専門の学習書におまかせします。
97年初掲載、2002年一部更新
マレーシア語の文献を探す
マレーシア語の文献を探すに、外国人でも訪問でき且つマレーシア語書籍に関して最も権威ある場所として
国立図書館
仮称 国立国語出版庁
の2箇所が最適でしょう
国立図書館 マレーシア語名 Perpustakaan Negara Malaysia
住所 232, Jalan Tun Razak, 50572 Kuala Lumpur , パスポートが必要です。
http://www.pnm.my/ で参考知識は多少えられますが、訪れて下さい
仮称 国立国語出版庁 正式名Dewan Bahasa dan Pustaka
住所 Jalan Dewan Bahasa, 54000 Kuala Lumpur,
Dewan Bahasa dan Pustakaはマレーシアのマレーシア語使用、文法、語彙、研究出版などの総元締めです。このビルは1年ほど前に新築ビルになりました。その中にマレーシア語の専門書籍店があります。
参考:http://www.dbp.gov.my/
他にも国立大学の図書館という手もあるが、学生か紹介がないと入館できない。
2004年7月
マレーシア国内で入手できるマレーシア語の辞書
マレーシア国内では10数種ぐらいのマレーシア出版のマレーシア語辞書が出版されています。特徴はごく一般的な5種であるマレーシア語−英語辞典及びその逆、マレーシア−マレーシア語辞典、マレーシア語−華語辞典及びその逆に加えて、マレーシア語−英語−華語 という3言語辞典が目立つことです。尚少なからずの辞典が、ページ数の半分をマレーシア語−英語、もう半分を英語−マレーシア語 のように両言語辞典の体裁にしています。まず関係ないでしょうが、置いてある書店が極めて限られているのが、マレーシア語−タミール語辞典です。
マレーシア語−日本語及びその逆 も複数種あります。これはマレーシアで編纂された辞書で、例文が少なく文法的説明の面が限られた辞書です。これには単語集みたいな辞書も含まれます。
辞典の主流である、マレーシア語−英語辞典及びその逆、マレーシア−マレーシア語辞典、マレーシア語−華語辞典の場合は、マレーシア出版の辞典は求めやすい価格設定であり、選択もそれぞれ数種ありますのでお勧めですね。中規模以上の書店であれば必ず数種のマレーシア語辞典が並べてありますので、御自分の目的、水準にあった辞書を選んでください。
尚辞典によっては 文字 "e " に2種ある発音を区別して表記した辞典がありますので、入門者にはこの方が向いているかもしれません。
例:3言語辞典 Kamus Tribahasa Oxford Fajar −Penerbit Fajar Bakti Sdn Bhd 出版 (たいていの書店に置いてあるごく一般的な辞典)
その他辞書出版社として、Federal Publications という会社が何種ものマレーシア語辞書を出版しています。
本格的マレーシア語−マレーシア語辞典は、Dewan Bahasa dan Pustaka が編纂出版している厚手の辞典です。これは中級者以上になってから使用した方がいいと思います。
2005年7月初め
他言語学習に関する硬いお話
私はマレーシア語の専門家ではありませんが、マレーシア語をある程度学習し日常使っている一人として、マレーシア語の国語としての現実の姿を知る者、残念に思う者として、マレーシア語を習いたい、習っている方を当サイトは声援します。
ただしIntraasia はマレーシア語だけを応援するわけではありませんし、マレーシア語のような中規模の言語を言語ナショナリズムを基盤した推進論には組みしません(よってマレー民族主義者のマレー語至上主義は支持しません)。Intraasia はあくまでも言語相対主義に立ちます。
さてマレーシア語の学習書では、白水社の各言語入門者のためのエクスプレスシリーズの1冊、めこん社の分厚く練習問題の多いマレーシア語自習書、大学書林出版で小野沢教授執筆のマレーシア語学習書が出版されています(私が習った当時これらの書籍は出版されていなかった)。日本へ行った時、書店で見るかぎり他にも数種出版されていますね。つまり日本語での教材の方が、英語によるマレーシア語教材より種類多く、さらに日本語を母語とする人向きであり且つ学習目的によって選べるという点で優れていると言えます。
日本語で実に様々な言語の学習書が出版されていることは誇りにすべきことであり、これは日本の広義の言語学での学問水準の高さを示すことだと言えます。これは英語依存主義に固まったマレーシアでは考えられないことです。国語たるマレーシア語で書かれた華語入門書さえ出版されていません(小中学校で使う教材は除く)。
こういう日本語でのマレーシア語学習書に種種ある現状を考えれば、自分の目的にあった学習書を選ぶことが必要です。これは英語を含めて何語を習う時でも同じです。マレーシア語に限ったことではありません。
買い物会話程度で十分、書記体を読むつもりも書く必要もないのでそれ以上習う意向のない方に、文法事項を細説し多くの練習問題を納めた、分厚い学習書は全く不向きです。会話表現集、対訳単語集を適当に暗記すればいいでしょう。
簡単な書かれた言語に挑戦し、口語的な表現でも構わないので短いメールぐらい書きたい、という方なら、エクスプレスシリーズのような薄手で取っつき易い入門書を1冊学習するのが一番いいと思います。といってこのシリーズを独習するのは真面目に一生懸命やれば、4ヶ月から半年ぐらいはかかるはずです。
マレー人について学習するほうが効果があがるのは当然ですが、誰でもそういう機会があることにはなりませんので、とにかく半年目標に少しづつ真面目に勉強することでしょう。
新聞を読み、短いちゃんとした文章を書ける段階に行きたいという方は、めこん社のマレーシア語のような本格的学習書に取り組む必要があります。エクスプレスシリーズを終えてさらに勉強したい方にもいえます。相当なる量と質の学習書なので、これを成功裏に学習し終えれば、満足の行く水準に達することだと推測できます。
小野沢教授の本は文法事項を専門家らしく非常に丁寧にまとめてありますね。上級者にはこういう知識は必須です。
基礎がしっかりできあがれば、その言葉に慣れる必要があります。言語の学習には、習うことと慣れることの両方が必須ですから。理想は習い慣れが同時に進行することですが、私を含めて多くの人はそういう恵まれた環境にはなかなかありません。どちらが欠けても、中級以上には進歩しません。これは言語学習の公理です。
慣れるだけでは、その言語の文法的に複雑な表現は理解できませんし、自ら表現することも当然できません。同じような簡単な表現を早く言うことだけはできる典型的なブロークン何々語になります。その段階で十分だ、軽いコミュニケーションさえできれば十分だ、という人ならそれはそれで結構です。その人の目的にあえばブロークン何語でもいいのです。
ある言語は習うだけでは不充分なことはいうまでもありませんね。言語は生き物ですから、習ったように人は話しませんし、発音しません。あるべき文章構造とあるべき発音の乖離とバリエーションに慣れる中で、人は経験的に取得していきます。私のような普通人にとっては、この過程は実に長い時間を要します。この段階で投げ出してしまうと、中途半端に終ってしまいますね。私もいくつかの言語はこの状態です。もっとも中途半端で十分、それ以上上級に進む必要も意向もない方も少なくないので、その人の目的にあえば中途半端もいいのです。
何語であれ、学習の理論は同じです。基礎をないがしろにすれば、その後中級さらには上級には進めません。もちろんその人その人によって、求める段階、水準が違うので、どういう学習書が向いている、直説教授法がいいのか間接教授法が良いのか、などと一概には言えません。
一つのまたはごく少数の国が軍事的に世界を支配したり、経済的に牛耳ることに反対するのと同じように、ある民族(複数)の母語である一つの言語が世界を独占するような不平等なありかたに、断固反対するIntraasia は何語であれ他言語の学習者が増え、多様な世界に見合った多様な言語世界の繁栄を願うのです。
2005年7月初め掲載