サバ最南端の国境の町 Tawau


翌朝 Bas Mini と呼ばれる乗合いバンでTawau に向かいました。このバンは、当たり前ですが、道路端で待っている客を拾いまた降ろしていく。林とプランテーション農園の山道が多い。1時間後小さな町 Kunakで少々停車、さらに1時間後、左はSemporna 右はTawau のY字路 、それをすぎれば一路 Tawauだ。

Tawauに近づくにつれて道の両側に小さな工場や住居、店舗が増えてくる。なんとゴルフ場までありました。これから訪れる Tawauが大きな町であることを予感させてくれる。
正午少し前Tawau 長距離車乗り場についた。3時間弱、RM10の雨中走行でありました。

Tawau は大きなにぎやかな町である

Tawau サバ州最南端、カリマンタン(インドネシア)はもうすぐ近くである。コタキナバルからバスで10時間はかかるそうだから、きっと小さな国境の港町だろうと思っていたが、大間違い。けっこう大きなにぎやかな町である。バス乗り場近くは、クアラルンプール郊外にあるような3階建てショップハウスが幾棟も並び、忙しく車の走る大通に面してUMNO(マレー人の政権党)ビルがでんと構えている。

とりあえず昼食と、ショップハウスの中国系大衆食堂で腹ごしらえ。この地も中国系が多いとみえて、そういう店は簡単に見つかる。そしてしばし宿探し。街の近距離バス、バン乗り場の近くにいけばいくつも安宿やエコノミーホテルが見つかります。

ホテル筆者はきれいな概観につられて少し裏手の新築ホテルにチェックイン。RM70でそのきれいさに大満足。もちろん冷房、温水シャワー、そしてテレビ付きですよ。(そのホテルの写真、隣は客家公会のビル)

街を歩けば客家公会だの福建公会だの潮洲公会などの中国人出身地別の団体建物が目に付く。古い木造の店舗家屋並ぶ通りが数本中心部に残っている。掲げられたほとんど中国語主体の看板からみると、その昔はチャイナタウンかな。

商業がさかんだということはそれだけ住民が多いからでしょうが、一帯なんの産業だろう、このあたり知識のない筆者にはわからない。


インドネシアを感じる市場裏手にある波止場

さて筆者は例によって市場付近へ足を運ぶ。別に買い物するわけではないがこういう所の息ぶきが好きなんです。Pasar Ikan魚市場の横裏手は波止場だ。泥道の向こうに人がうごめいているので好奇心にかられて近づけば、船着き場もどきがあり、汚い海にボートが浮かんでいる。浅黒い顔の小柄な男たちが忙しそうにもの運びしている、買い物した荷物をいっぱい持った男と女が渡し船を待っている。客引きがなにやら叫んでいるが、なれないアクセントのためほとんど聞き取れない。

うーん、人の振る舞い、顔立ち、インドネシア世界を思わせる。聞こえてくる会話はもうインドネシア語的響きだ。近くの客引きに聞くと、ここで待っている人たちは、対岸に見える Sebatik島への渡し船を待っているのだという。どれがマレーシア人でどれがインドネシア人かわからない。「おまえも行きたいか?」 ちょっと考えて止めました。それほど遠い距離ではないけどね。
後でパンフレットの簡単な地図を見れば、Sebatik島の南半分はカリマンタンなのです。

カリマンタン行きのフェリー便

生臭い魚の臭いが漂うこの波止場の入り口に商店街がある。その一角にたまたまボートの切符を売る店を見つけ、眺めていると店の男が尋ねてくる。「このフェリー、インドネシアまで行くのかね?」 「そうさ、毎日インドネシア行きがある。今から行くか?」 「帰ってくるフェリーはあるかい?」 「今日はないけど明朝ならある」

それではまずいので、窓に張ってあるスケジュール表を見ながら、更に明日朝の便を確かめる。Tawau発8時半か、カリマンタンのNunukann発の帰り便は午後か、これだと数時間はカリマンタンに滞在できるわけだ。変わった国境超えの好きな筆者は是非行きたくなりました。

「Saya bukan Orang Malaysia、bolekah pergi マレーシア人でないけど行けるのかな?」 「Boleh、ada pasport kah パスポートはあるんだろう?」
この国境は生活国境にみえたのでそう聞いたのですが、多分本当でしょう。筆者はこの時点では翌朝カリマンタンに渡るつもりでした。

街の様子

木造ショップLahad Datuもそうだったがここも街のたばこの立ちんぼ売りがあちこちにいる。いやいっぱいいると言った方がいい。老若の女性が年配の男が、かごや箱にたばこを入れて日がな道路で売っている。
半島マレーシアでは絶対におめにかかれないことだから、多分違法売りだろう。あとで食堂の親父に聞いたらやっぱり違法だった。インドネシア人が多いとのこと。

町には映画館、ディスコやカラオケもあり、ホテルのマレー人従業員によれば、娯楽には欠かないようだが、いかんせん夜の閉まりが早い。経度の関係から6時にはすでにうす暗くなるが、それにつれて人通りがぐっと少なくなる。ホテルから大衆食堂へ夕食をとりに暗い夜道を歩くのは、あまり気持ちのいいものではない。(木造ショップの通りの写真)

迷う翌日の行き先

夜ホテルの部屋で翌日の計画を考える。初めの予定では、もう1日滞在して飛行機でコタキナバルへ戻るつもりであった。そのためKL で切符も購入してあった。しかし割合大きな町とはいえ、半日ふらつけばもう十分だ、一日早くコタキナバルへ行くか、やっぱりカリマンタン(インドネシア)へフェリーで日帰りしてこようか。それとも、パンフレットの地図をよくみると Tawauから西北へ道が描かれている、Keningauまでサバ州の山越えだ。でも車はうまくあるかな、何時間かかるのだろう。

Tawauからコタキナバルまでは、豪華バスを含めて、バス便と乗合いバン便がいくつもあり、すべて舗装道路を走る時計逆周りのルートである。時計周りのルートつまりKeningau経由はないという。(その理由は後で納得しました)Tawauからそのままコタキナバルへ飛行機で飛ぶのは、どうもあたりまえすぎて面白くない。どうしようか。

飛行機キャンセル、山越えルートに決める

翌朝早く、さっそく長距離車乗り場へ駆けつけて情報収集。尋ねると、Keningau行きの車は1台だけ9時に出発するという。旅行者ルートでないから少ないのだろう。「Keningauまで8時間、1人RM80だよ」 少し高いが乗ってみる価値有りそうだ。「Keningauにホテルはあるかい?」 「ある、10階建ての新築ホテルもあるよ」 そこで運転手に「9時前にまた来るよ」と告げ、ホテルに戻る。

よし Keningauへ行こう。カリマンタン行きも心ひかれるが、今回はサバ州一周の旅、カリマンタンへ行ってると陸路サバを回れなくなる、またいつかにしよう。コタキナバル行きの切符、RM96もしたのだが、を捨てることになるが、この面白そうなルートを知った限りには仕方がない、そう決めてホテルをチェックアウト。ホテルの中国人女性マネージャー「また来てね」だって。

Keningau行き四輪駆動車の旅は今回の旅中、最高に価値ある行程でした。その報告は次のトピックスです。

97年11月28日記