歴史的地区オールドマラッカ案内、ババ風景編


マラッカ市内で主要観光地となるのは、オールドマラッカ地区であるマラッカ川の河口につながる手前の橋の両岸に広がる一帯です。海に向かって右側の一帯がババニョニャ伝統様式を色濃く残すチャイナタウンの街並、そして海に向かって左側の丘(St Paulの丘と呼ばれる)からロータリーにいたる場所(Dutch Squareと呼ばれる)は、ポルトガルとオランダ占領時代の建築物を中心にした西欧色を濃く残す一帯ですね。

注:ババニョニャとは、マレーシアに渡来した(ここではマラッカ)中国人がマレー女性と結婚し、その言語(主として福建語)に多くのマレー語を取り入れながらも中国伝統文化を保持していた人々をいいます。その結果食、服装、言語にユニークな混交文化を生み出しました。ババが男性でニョニャが女性です。
マラッカに住む華人がすべてババニョニャということではありません。19世紀以降やって来た中国人移民者は、他州の中国人移民者と同じような中国人社会を作り上げています。現代のマレーシア華人の先祖ということです。新しくやって来た中国人移民者はマレー人との通婚やマレー語の取り入れに消極的でした、この移民者たちとその後世代をババニョニャとは呼びません。


チャイナタウンの様子

チャイナタウン地域の中心通りはJlana Tun Tan Chen Lock, Jalan Hang Jebat, Jalan Tukang Emas などの通り(Jalan とマレーシア語ではいう)とそれに交差する横丁(Lorong) です。

   

上の左写真はJlana Tun Tan Chen Lockの入り口にあるレストラン兼ゲストハウスです。通り両側にたつ家々はチャイナタウンの中でも最も歴史的なババニョニャ様式の家々が多そうに見えます。またこの通りは一方通行路の自動車交通の非常に激しい通りです。実際に住民が今も住んでいる民家は少なく、空き家、事務所とかアンティーク販売店がおおいのが特徴です。上中の写真はババニョニャ伝統博物館の入り口です、入場料RM8と高いので、筆者は入りませんでした。右端の写真だけはJalan Hang Jebatのアンティークショップ兼レストランです。

注:アンティーク家具店で経営している人たちにはKutty と呼ばれるインド人家族が多いそうです


    

上の左と中の写真はJlana Tun Tan Chen Lockにある典型的Babaハウスです、いずれも入り口構えがいかにも味がありますね。上右の写真でおわかりのように、この通りにはこのように半無人で朽ちかけた屋根の家もあるのです。下左は、この地区の同氏(姓が同じ)の人たちで構成する団体の建物、同氏会館ですです

この通りはすれには観光客に人気と言われる中級ホテルのPuri(下中の写真)とか安ホテルのBaba Houseがありますね。下右から2番目の写真はニョニャ料理のレストランです。下右端は手工芸品やアンティークを販売しているMelaka Houseです。豊富な品揃えであり、且つ建物内部をよく見学できますから、中を見て回る事をお勧めします。

   

Jalan Tokongにはマレーシア最古の中国寺院といわれる 青雲寺があり(下左写真は、修復工事が終った2001年に撮ったもの)、その続き通りのJalan Tukang Emasにはユニークな歴史的建造物がいくつかあります。その一つがマラッカ最古のイスラム教モスクであるKampong Kling Mosqueです。このモスクの形は通常のドーム型でなく重なった屋根形式でスマトラ起源であり、現在の様式の建物完成したのは1872年だそうです。下中と右の写真で、それがおわかりでしょう。

    

さらに隣にはマレーシア最古のヒンヅー寺院の一つKuil Sri Poyyatha Vinayagarが建っています(下左の写真)。この通りに互いにほとんど離れることない距離で3宗教の施設が並んでいるのは、興味深い出来事ですね。同じようなことはペナン州のジョージタウンでも見られますが、現代ではこういう各宗教の施設を互いに至近距離に建設することはもうありえないはずです。下中の写真はこの通りにある道教寺院です。

  

上右の写真はJalan Hang Jebatにつながる路地Jalan Lekiuにある建物です。この一帯は観光客用の店が多いのですが、中でもJalan Hang Jebatにはアンティークショップ、手工芸品を売る新しく改装した店などが特に多く、散らばっている。レストランや大衆食堂もありますし、観光客向けのカフェもできています(下右の写真、歴史的街路にふさわしくない色と造りであることがわかりますね)。小さな大衆飲食店には、ニョニャCendolのメニューが掲げてありますから、休憩かたがた味わってみるのもいいでしょう。

この通りを州政府の肝入りでJonker Walk と呼んで観光化をより進めており(下左の写真)、週末の夜は歩行者天国となり夜市、Pasar Malamと呼ぶ、が立つとのこと。この通りははいつも観光客がうろついている所ですが、日中は上中の写真に見られるように、移動式屋台がやって来て、地元人相手に麺類を売っていました。観光化の進んだこの通りにもこういった風景が残っているのはほっとしてうれしいことですね。

    

Jalan Tokong, Jalan Hang Jebatあたりにはマラッカ華人(ババニョニャ)の伝統を示す家業の店があり、その代表的なのが棺桶屋(長生店)とその隣付近にある葬式用品の製造屋(紙*店)です、竹と紙でいろんな装飾品をこしらえている様子が覗けます(下中の写真は葬式用の紙竹製品を造る店)。 下左写真は、華人の祭礼、祭事に不可欠な宗教用品を専門に売る店です。
下右の写真は、Jalan Tokongから入った横丁にある商家で、煎餅、餅など自家製しています。この通りの先はいろんな昔ながらの商家、職人屋の並ぶ通りになる。

  

2001年12月24日更新、2000年7月8日掲載

追記
Jalan Hang Lekir で2005年後半からフリーマーケットが開かれるようになったとのことです。毎週日曜午前です。

Jalan Hang Jebat通りの写真

Jalan Hang Jebat にある舞台(下左の写真)、下中の写真は夕方の通りの様子です。この通りがJalan Kubu と三叉路交差する場所にはMelaka International School があります。下右の写真はいわゆるチャイナドレスの店です、旗袍(チーパオ という漢字の白い案内が出ています。

    

この部分のみ2003年10月21日追加


付録

Jonker Walk を典型としてオールドチャイナタウンから歴史的家屋と伝統職人が消えていくことを批判した新聞記事から、抜き出して掲載しておきます。

消えいく芸術 (2001年5月頃のthe Star紙の記事)

マラッカの遺産である小集団の魅惑が保護の欠如から消え去ろうとしています。豊かな歴史、混在した文化、魅惑的な建物、手工芸品、そういったものは長い間人々を引きつけてきた。しかし新しいビジネスと現代の看板と装飾がそれまでの形とぶつかり合っている。放置された建物、ひどい交通渋滞が問題に加わっている。

保護主義者は言う、地方当局の計画と管理の欠如が遺産地区の悪化を招いたと。地方当局は守り手としてでなく、最近3棟の戦前からの建物の取り壊しを認めて、モダンなホテル建設をJonker通りに認めた。一般からの反発に計画は停められた、しかし伝統的商売人らは移動させられた。反対論はさらに続く、Jonker通りプロジェクトはパサールマラム(夜市)になってしまったと。本々のプランは遺産と文化を強調することであった。プロジェクトは見なおされています。商売人と地元人は言う、当局は彼等の意見を聞かない、意見が取りいれれていないと。

マラッカ州は大量旅行者プロジェクトに着手しているので、安っぽい輸入品を売っている店店が許されているのです。ポケモンやキャラクターの品が頻繁に見られるとともに、タイやフィリピン製が、インドネシアバティックが店頭に積まれている。年取った手工芸者は引退し、移動させられ死に絶える。多くの後継者はそれほどの情熱、技術、興味を示さない。かつてはこのHang Jebat通り一帯に10店の金細工店やさらに靴職人店、時計修理や、家具職人店などがあったが、大部分はもう消えてしまった。


オールドマラッカ地区の変貌(2001年12月20日付け The Star紙の記事から抜粋)

歴史あるオールドマラッカ地区は2000年6月にJonker Walk プロジェクトが始まって以来、非常な変遷を見てきている。さらに現在 Jonker Walk U、Jonker Walk V までが計画されている。

この狙いは上等であった、すなわち旅行者が他の所へ行く前に飲み物のためにちょっと寄る場所というマラッカの”Coke stop"のイメージを変えるというのであった。結局のところここはマレーシアの最も歴史的市である、その歴史は15世紀にさかのぼる。クアラルンプールから(ハイウエーで)わずか1時間半の距離であり、シンガポールからなら3時間の距離にある。そこでマラッカ州政府はJonker Walk プロジェクトを始めた。そのアイデアは、馬車が走り路上活動のある前世紀末の通りに作りなおす事であった。

このプロジェクトは、オールドマラッカを旅行者が例え夜でも訪れる地区に転換させることであった。オールドマラッカとは、Jalan Tun Tan Cheng Lock (Heeren Street), Jalan Hang Jebat (Jonker Street), Lorong Tokong, Lorong Tukang Emas, Lorong Tukang Besi, Jalan Kamung Pantai, Lorong Hang Jebatあたりの一帯です。

しかしこの上等な狙いは現実にうまく結びつかなかった。我々がこの場所で現在発見するのは、前世紀末に返った状態ではなくいわば現代的な夜市PasarMalamなのです。食品、土産物、その他の現代的ショップが店を構え、深夜まで営業を許されている。夜11時までのカルチャーショーもある。マラッカホテル業者協会の実施した数年前の調査での、その通りに昔から住む商売人と住民は夜間の活動は望まない、という結果にも関わらず、この夜間の活動は行われている。

今年2001年州首相はJalan Hang Jebatで金曜と土曜日夜は6時から12時までと日曜日は朝11時から夜12時まで、交通止めにしろと命令した。こうすれば通りには移動式店舗が設置できるわけである。地元の商売人からそれではビジネスできなくなると苦情を受け、州首相は日曜日の交通止めを夜6時からに変更した。このJonker Walk プロジェクトによって、地区の住民の生活と2世紀以上に及ぶ通りの外見をすっかり変えてしまった。住民や商売人の中にはこの通りに2、3世代住んでいる人たちもいる。

静けさと平穏さがまず犠牲になった。次いで、通りに立つ建築物の美学です。この美しい建物の中にはその構造を変えたり、柱を取り除いたり、オランダ時代の窓枠、石膏をはずしたり、豪華な間口を壊したりした建物がある。こういった破壊の結果は、けばけばしい色で商業的サーカスを生んでいます。

Jonker Walkプロジェクト委員会は週末の店の方により関心を注いでいるようだ、週末店の彼らは月わずか2リンギットだけ支払うだけであるのに。住民と古くからの商売人は賃貸料として平均して月1000リンギットは払っている。住民の様子は考慮に加わってないようだ。
問題の根源は、MCA党のマラッカ州議長が長を務める州が発案したJonker Walkプロジェクト委員会と住民との間のコミュニケ‐ションの不足にあるように見える。

オールドマラッカ地区では他にも不幸な変化があった。昨年マラッカ遺産の一部である3棟の建物が壊された、さらに4棟が取り壊された。
最近のプロジェクトはあらゆるあるべきでない機会と企業家を招いている。彼らはシンガポール人と州外のマレーシア人に受けるようにデザインされた主として飲食物販売する新しい店舗を求めてやって来る。こういった客は学校休暇時期や週末にはJonkerWalkをうろついている。しかし彼らは何回もやって来る訪問者ではない、と地元の商売人が語っている。


2002年のStar新聞から抜粋

マラッカでは地元に建つ伝統ビルは、旧マラッカ地区にある植民地建築 Porta de Santiago, Stadthuysのようなものに比べて2級市民の扱いを受けているように思える。

建築家lim Huck Chinの調べに寄れば、この3年でオールドマラッカ地区では45の建物が取り壊された。その中でTemenggong通りが6軒、Kubu通りが8軒です。Heerenとおりにある築200年以上の海峡中国人の家は後ろ半分が、ツバメの巣作りのために取り壊されて、3階建てがたった。「当局の取締りが全く無い、その意欲もない。」とマラッカ歴史資源協会の名誉書記がかたる。「ある時古いショップハウスが取り壊された時、マラッカ自治体に訴えた、しかし2つの報告書に記入しなさい、2週間かかると言われた。」 「マラッカの多くの役人は他のUNESCOの世界遺産箇所を見学しに行っている、一体彼らは何を取得したのだろうと思う。」

建築家Limは言う、「2001年にUNESCOが世界遺産に加わるための綜合報告書を提出した。しかし何もそれに従がっていない。」オールドマラッカ地区に厳しい取締りが生まれるとしても、その中身はとうだろう?賃貸料が急上昇したおかげで、すでに42の伝統的商売人が主たる保存地域を脱出した。マラッカの本当の遺産財産は旅行者に向けた土産物店とカフェに変わってしまった。「旅行者はオールドタウンを見にやって来る。しかしそこにあるのは西洋風のカフェと土産物屋だ。マラッカのユニークさとはなんだ?」

大量ツーリズムは狭い路地を持った歴史的場所にとって最適の開発スタイルではないかもしれない。「遺産発展は維持させなければならない。単に訪問者数の数を誇るのではあってはならない。」 Heeren通りでBabaNyonya博物館を経営するオーナーは語る、「白人と日本人旅行者は我々の遺産に関心を寄せる。彼らは多くの質問をして行く。しかし他のアジア諸国の旅行者は見て通りすぎていくだけだ。」


(Intraasia注;オールマラッカの変化を伝える記事はこれまでにここでも載せました。素人目に見ても明らかに本来の姿を失いつつあるのがオールドマラッカの華人・ババ地区ですね。現地を知らぬ日本の旅行代理店のきれいなパンフレットに思い込まされ、ツアーでマラッカを訪れる日本人観光客は、こういう現実をどれくらい知らされているのでしょうか?)

2003年中頃追加