元刑務所 Pudu Jailが一般公開


刑務所というのは不思議なもので有名になると名所として扱われたり、映画の題材やロケ地にもなりますね。日本の網走刑務所、アメリカのサンフランシスコ沖のアルカトラス島などです、以前東京にあった都会の刑務所、巣鴨プリズンもこのうちです。
そのクアラルンプール版ともいうべき(元刑務所)Pudu Jail が今月(5月)4日から一般公開開始になりました。元といってもつい半年前の96年11月まで現役(?)ばりばりの刑務所でしたから、マレーシア人にとってはまだまだ刑務所のなまなましさが離れません。

なにをかくそうこの筆者にとっても非常に身近な存在でした。もちろん刑務所内部とは関係ありませんが、筆者の住む Pudu地区のアパートから歩いて10分もかからない近距離ですから、ほとんど毎日外から刑務所の壁や見張り塔を見てました。というのも刑務所のある Pudu路と HangTua路はバスなどの通るクアラルンプールの主要道ですから、外出するときには大抵はこの道を使うことになります。
Pudu Jail 現役中には、当然一度も中には入る機会はありませんでしたが(そうなったら今ごろこのホームページも書いてはいません!)、外からは筆者にとってたいへんなじみのある建物でした。

刑務所の外壁に描かれた絵と収容棟

Pudu といえばマレーシア人ならすぐにPenjara Pudu(マレーシア語ではこう呼ぶ)をうかべるほど、そこは有名な100年の歴史を持った由緒ある刑務所でした。
クアラルンプールの真ん中に位置し、付近は伊勢丹デパートやホテルなどのあるブキビンタン街つまり繁華街と、公営アパート、国立スタジアムなどがあり、こんな街中に刑務所がつい昨年まで存続してきたのが不思議なくらいです。

市政府などの肝いりでこの Pudu刑務所一帯が再開発されることが決まり、それをうけて1895年以来の歴史をもつ Pudu Jailは刑務所としては閉鎖となり、受刑者は全員昨年11月に、郊外に新しく建設された Sungai Buloh刑務所に移ったのです。

主を失ったこのPudu Jail はいずれ壊される予定ですが、その前に博物館として一般公開しようということになり、多少の化粧直しのあと、最低半年の期限付きで刑務所博物館開始となったのです(5月4日)。
ですから筆者はさっそく見学にでかけたのです。平日の午後にもかかわらず、前評判とおり見学者がけっこういました。刑務所の門をくぐると入場券売り場があり、最新式の映画館よりも高い12リンギット、子どもは7リンギットです、を払っていざ建物の中に入ります。


Y字を上下に重ねた形の収容棟は3階建てになっており、写真に示した受刑者の房内へも自由にはいれます。収容等の周りの屋外には囲いの全くないトイレと水浴び場、小さな運動場、刑務所病院、理髪コーナーなどとともに、受刑者に鞭打ち罰をあたえる別棟の一角もあります。なおここでは、マレーシアで一般的に行われているロタンの鞭を使った鞭打ち刑の一部始終がわかるビデオが上映されています。


見学者は入り口を入ったあと、冷房のきいた展示室で刑務所の歴史をしることができ、又別の棟にはビデオコーナー室がもうけてあり、刑務所を簡単に紹介するマレーシア語と英語のビデオが常時上映されてます。あまりよくできたビデオではありませんが、暑い所内を見学してつかれたら、涼しい冷房室で椅子にすわって一休みできますから、ここは立ち寄る価値がありますね。


人気があるところというと、なんといっても絞首刑台と死刑囚を収容した独房のあるブロックD でしょう。1960年以降からでも200人近い絞首刑が実施されたとのことで、透明ガラスで仕切られた絞首刑台が、薄暗い照明の中で不気味な感じをあたえます。実際につかわれたロープや解説パネルが展示されています。マレーシアでこのような本当の絞首刑台が一般公開されるのは初めてのことです。尚ここは写真撮影が禁止されています。

それから、ご愛敬にPudu Jail のティーシャツを売っているお土産コーナーもあります。クアラルンプールを訪れたら行ってみる価値ありの 元刑務所 Penjara Pudu です。

97年掲載

99年9月追記: この元プドゥ刑務所の公開は98年末に終了して、もう中に入ることはできません


元刑務所 Pudu Jail 跡地の再開発


元刑務所 Pudu Jail は閉鎖された後、一時期警察の拘置施設になりました。その後それも閉鎖されて数年間は使われてなかったようです。
ついに2012年になって刑務所施設自体が取り壊され、更地になった状態が2枚の写真に撮った状況です(2013年2月)。 青いクアラルンプール市警察本部ビルの対面が広い更地になっていますね。左の写真ではモノレールが見えます。

 

クアラルンプールの中心地に残された数少ない広い面積の土地として、近い将来再開発されることになっていますので、空き地状態は長くは続かないでしょう。 
2013年2月掲載