「今週のマレーシア」 2000年10月と12月のトピックス

・ マレーシアムスリム社会の少数派の主張を紹介する ・ ムスリムでないマレーシア人が/と離婚するための条件
・ マレーシア英語の実例を提示して説明する   ・ マラッカ海峡のすぐ向こうにあるスマトラは近くて遠い
・ マレー政党における権力者と民の関係に思う  ・ 数字でみたマレーシア  その7
・ 小学校卒業前の学力評価試験UPSRの英語科目  ・ 多言語社会でのパソコンの普及に必要なことは何か
・ 中等教育で受ける統一試験と国立大学への路



マレーシアムスリム社会の少数派の主張を紹介する


マレーシア憲法には、イスラム教は国教だと決められており、そのためイスラム教に基づいたイスラム銀行、メッカ巡礼用の財団TabunHaji、イスラム的保険システムTakaful、家族法と民法の分野でのシャリア法廷が設置され、着々と整備されてきました。一方非ムスリムには信教の自由が認められています。これを論理的に捉えれば、ムスリムには信教の自由がないことになりますね、しかしこれに触れるのはタブーのようですし、非ムスリム・無神論者の筆者が語ることでもないのでやめておきます。

政府・与党のマレーシアのイスラム化推進・努力の過程で未だ施行されていないのが、イスラム刑法Hududです。政府・与党のUMNOの主流はHudud導入は準備に時間もかかり、マレーシアが多民族国家であることを考慮して慎重に検討すべきだとの論です。しかしイスラムの世界も当然一つではありませんから、いくつかの流れや主張があります。マレーシアで非UMNOの最大の潮流を長年保ち大きな政治勢力である、PAS党はHududの早期導入・施行を訴えています。さらにUMNO内部にもそういう主張に賛成する部分もあるようです。支持者レベルでいけば、Huddu賛成者も少なからずいるそうです。さらに特定政党支持でないマレー層にもHudud支持者は根強いそうです。ですからことは簡単ではありません。

政府がイスラム信仰保護法案を準備した

でそのHududに多いに関係しHududの露払い的性格を占めているIslamic Aqidah Protection 法案を政府が起草または準備中なのです。これは、PAS党を中心としたイスラム保守原理主義層に奪われた支持者を奪い返すためでもあり、またUMNO自身のイスラム性をより強めるためでもあると見られています。この法案の内容は下段で触れますが、単なる数ある法案の一つではありません。マレー社会に大きな意味と影響を持つ重要な法案です。
そこで対象はムスリムに限られるのですから主としてマレー人間で議論を呼んでいるのが、そのIslamic Aqidah Protection(イスラム教信仰保護) 法案です。一見ムスリムにしか関係ないようですが、結婚をするためにイスラム改宗する非ムスリムにも関係するし、マレーシアの国教であるイスラム教ですからマレーシア国民一般に全く関係無いとは言えません。

政府は暫定的にこの法案を国会に提出せずにさらに研究調査するということで、現在はひとまずこの論議は外見上は休止していますが、ことが解決したとか一見落着したなどということでは全くありません。

あるムスリム女性団体の声明

以下に紹介する一文は、発言し行動するムスリム女性団体としてよく知られたSisters In Islamがこの問題に関して発表した声明です、それをほぼ全訳しました。Sisters In Islamについては以前にもこのコラムで数回軽く紹介したことがありますね。たいへん革新的で現代的な意見を持つムスリムグループだと筆者は認識しています。イスラム保守主義者の公式発言や原理主義者の論調とはまさに90度の開きを感じる発言内容と論旨です。

こういう声明は日本ではとても考えれられないでしょうが、非常に勇気ある発言だと思います。且つ絶対無宗教主義者の筆者から見ても、ものすごく示唆に富む内容であり、マレーシアのイスラム教を考える非常な題材を提供しています。そこであえて相当の時間をかけて全訳しました、それだけの価値ある声明です。基の文章にはイスラム用語がちらばめられており、且つ非常にまわりくどい表現のため翻訳に苦労しました。イスラム教に知識のない方がほとんどでしょうが、ある種の偏見を棄ててこの内容を読んでいただきたいと願っております。

Sisters In Islamの主張

マレーシアはイスラム教から離れたムスリムを罰する法律を有するべきでしょうか?
クランタン州のHudud(シャリア法の一部)条項は、イスラム教からの背教又は棄教に対しては死刑を宣しています。PAS党は何年もの間、背教又は棄教に対しては(全国に適用する)連邦法として死刑を課する法案を国会で個人立法の形で提案してしてきました。政府は背教又は棄教に対して特別な法を立法するような圧力下にあリ続けてきたのです、それは野党PAS党だけからでなく、自身の与党UMNO党内からもです。

ムスリム有権者の心をつかむために”お前よりより聖である”というこの論議において、政府はIslamic Aqidah Protection (イスラム教信仰保護)法案2000年と呼ぶモデルを起草することで、今やその声に答えています。この法案はペルリス州議会がこの4月にとり入れました、そして国営通信社Bernamaが先週の報で首相府の国会次官の言葉を伝えています、「法案はすでに最終段階であり、法務長官の法審議室に送られます、その後国会で採択して連邦直轄領(クアラルンプールとラブアン島)に適用されます。」
さらに他州もこれに従うことが期待できるともいえます。

Intraasia注:お前よりより聖であるという行動は、見せかけであれ本当であれ、マレー政界では大変重要なことです
注:Aqibahとは faith信仰の意

Sisters in Islamは、信仰に関して立法しようとすることにはどんな形であれ反対します。コーランは、宗教の信教の自由を認めることで明晰に首尾一貫しています。Surah al-Baqarah の2;256条項で、アラーの神は明晰に述べている、「宗教において強制をしないようにしよう。」 と。ある人がその親戚にイスラム教を信じるように無理じいさせてもいいかとの許可をマホメットに求めた際に、このMedinaの節ではこのように書かれているのです。誰もイスラム教に改宗するように無理強いさせられないという意味で、広く解釈されているのです。宗教は信仰と意志に基づくのです、そしてもしこれが力によってなされれば意味のないことになります。
イスラム教そのものの意味が神の意思への服従です、信仰へ自身を望んでささげる、そして信仰は確信と理由をもって達成されねばならないのです、強制や脅迫によってなされてはいけないのです。

背教行為を罰することを支持する人たちによれば、2:256節は非ムスリムだけに適用されると、つまり非ムスリムをイスラム教に力で改宗させてはいけないと。しかし彼らは言う、ひとたび人がムスリムになればイスラム教から離れる自由を失うと。

信教の自由は信じる宗教を変える自由にも認めなければならないのです。イスラム教に改宗したいという望む人々への信教の自由の概念を求めると同時にイスラム教を離れたいという人々の人々への自由を否定する議論を、ムスリムはどうしてできようか?こういった議論はこの節の広い人間的意味合いを制限するものであり、信仰と自由に二重基準をもたらし、宗教の自由と人類間の違いと多様さを認めるイスラム教正義のすばらしい原則を傷つけるのです。さらに信仰と非信仰に関するコーランの20いくつかの節は、背教への此の世の罰を定めてはいないのです。

多くの際だったムスリム法学者は信仰の放棄・否認を罪とみますが、これを人間と人間を創造したものの間における一つだとみなしています、そしてそれを罰することは審判の日まで先送りしているのです。 Surah yunus 10;09には、アラーの神はマホメットにこう言った、「神がもし臨んだなら地球上の民は皆信じることになったであろう。おまえは人々を信じる者になるように強制しますか?」。 一部省略

どうしてこういったコーランのメッセージが信じない者への罪を与えることにつながるのであろうか?
イスラム教における宗教の自由の本質的原理はコーランのたくさんの節から明らかです、そしてこの自由の完全な姿への抑圧と違反を規定するシャリア法の結果としての規範が明らかになるのです。
人はそうしないと信仰リハビリセンターに1年間拘束されるだろうという恐怖からイスラム教への改宗することを誰も強制されてはいけません。憲法上からも、この法案は信教の自由を保障する憲法の11条に違反しています。マレーシア法システムには信教の自由を認める長い伝統があります。
内務省とジャマリディオットマン(人名)のケースの場合、最高裁は信教の自由を支持しました。ジャマルディンのキリスト教への改宗は国内治安法の下で国家安全に害を与える、という内務大臣の論点は退けられたのです。それより前のクアラルンプール高等裁判所の判決では次ぎの観点を出しています、「内務大臣は、個人が憲法11条で保証された信仰を告白することと自分の宗教を実行する権利を奪う力はない、そしてそれゆえに、自分の信仰を告白し実行する人の自由をもし内務大臣が制限するならば、その行動は憲法11条の目的に合致しない。それゆえにその者を拘束する命令は有効ではない。」

結果として裁判官は国内治安法のもとで拘束されたジャマルディンの釈放を命じました。そこでなぜ政府は我々の信仰を制限する法律を導入しようとするのでしょうか?これはPAS党の兆戦に対応する政治的決定なのでしょうか?それともムスリムが宗教から離れていくという動きによって公共秩序に脅威があるのでしょうか?

イスラム庁JAKIMの統計によれば、94年から97年5月までに519人のムスリムが改宗を申請した、そのうちたった55人だけがマレーシア国民で、その大部分はイスラムに(以前)改宗したものです。同時期、マレーシアでは約11000人がイスラム教に改宗しました。イスラム教信仰保護法案は政治的目的を達成するための問題解決だけの法なのでしょうか? 
違った民族間の婚姻が行なわれている複数民族社会でこういった法の意味するところは何でしょうか?
ムスリム男性と結婚するためにイスラム教に改宗した華人女性は、結婚が失敗して壊れた彼女の信仰を再修復するために、リハビリテーションセtンターに送られて1年間の義務拘束を受けるのでしょうか?

その彼女は自動的に子供の保護権を失うのでしょうか?イスラム教信仰保護法によって起訴されるという恐れのためにその女性が家族のもとに戻る権利と支持する仕組みは否定されるべきなのだろうか? ペルリス州の議会を通過したこの法案は精密なる調査に立っていません。この法案が提供するのはムスリムの信仰を保護すること、リハビリテーションすること、決定することのためなのです。しかしこれは信仰の保護にはなっていません。それは信仰リハビリテーションセンターで1年間の義務拘束をするという罰則提供的アプローチをとっているのです。

リハビリテーションセンターはすでに2個所、Bangi とJelebu、に建設されたと報道されています。法の本旨はリハビリテーションについてです、しかしその枠組みと内容はまだ明らかでない。こうして何がリハビリテーションを構成するかを決定するのは宗教職員・役人の自由裁量に再び任されるのです。
1年間の義務拘束の後で、もしその者がまだ悔い改めなければ、そこで裁判官はその者はもうムスリムではないと宣言して、彼の釈放を命ずるのです。これは宗教の自由にはまったくのなぐさめになりません。個人の権利と基本的自由が侵されたのです。もしその者が結婚しておれば、その結婚は無効となり、裁判官はイスラム家族法に沿ってその者の義務と責任を決めます。

この法案は背教又は棄教を定義していません。シャリア執行官は、ムスリムが言葉、行動又は手段を問わず信仰を変更しようとする試みである犯罪があるのではと疑がう理由をもし持てば、捜査できるのです。信仰を変える試みを含むかもしれないどんな言葉も行動も手段も定義されていません。男性と女性の権利平等を声高く訴える、重婚はイスラム教での無条件の権利でないと考える、さらに男性は妻を殴る権利を持たないと考える、そういった女性運動家は信仰を変える試みをしたとして起訴されるのでしょうか?なぜなら判決を下す席に座る保守主義者が、女性運動家のそういう考えはイスラム教の教えにそむくと判断するという理由からです。

北部州の(村の小屋の意である)ポンドック宗教学校で人気よく使われるKitabは、夫が第二夫人を娶る権利に反対する女性は背教又は棄教, Kafirsだと決めつけています。これはそういうことを信じているシャリア執行官と(シャリア法定の)裁判官がいるとであろうというのは決して恐れなきことではないのです。

注:Kitabとは宗教に関する聖典、 Kafirsとは非ムスリム又は不信仰者の意

この法案は、もしシャリア執行官がその捜査の終わりに、「裁判を始めるに十分な証拠又は適当な理由があるという意見を持てば」、その捜査対象者はシャリア法定に出廷するようにという呼び出しを受けます。何が十分な証拠又は適当な理由かは定義されていません。

この法案を草稿した人たちはおそらくこう言うでしょう、これは、男性と女性の平等を信じるムスリム又は教会で行なわれるキリスト教徒の友人の葬式に参加するムスリム、そういうムスリムを罰するものではないと。しかしシャリア犯罪法の条項にあるように、このきちんと草稿されていない条項は法の乱用に導くという恐れがあります。法は執行官に解釈のために大きな個人的裁量を与えているのです。

複数民族社会に与える影響は墓穴を掘ります。女性グループの受けた苦情とケースに反映されているように、ムスリムの親はその娘が非ムスリムのボーイフレンドとの関係を棄てるようにさせれなかった時、自分の娘がイスラム教から離れようとしているとの報告書を宗教庁に出すことが知られています。ある典型的ケースでは、州の宗教庁が若い女性の親の報告に答えて、彼女のアパートに踏み込んで、彼女を逮捕し私立のイスラム麻薬リハビリセンターに送ったのです。そのセンターでは、このセンターを運営するUstazのホームのしたで、女性は同じような立場の3人の女性とかぎをかけられた小さな部屋をあてがわれるのです。彼女たちの意に反して且つどんな法の経過も経ずに、彼女たちはイスラム教から全く離れた方法で”リハビリ”を受けるのです。

注:Ustazとは宗教指導者 teacherの意

又は前夫が改宗した前妻をMurtadと非難します、なぜならその妻たちは非ムスリムの男とデートしているからかそれとも父親として子供の保護権を欲しいからです、ただそれは子供への愛からでなく新しい生活を始めた母親への復讐心からのです。

注:Murtadとは背教又は棄教者

女性団体は、個人的恨みからこの法が乱用されるとの想像を描くことができるのです。とにかく信仰の罪として解釈されるであろう新しい生活を始めるのであれば、改宗であれ生まれた時からのムスリムであれこの法の怖れのしたで生活しなければなりません。

この法律は前配偶者やビジネスのライバルや会社内の敵が、宗教庁に訴え報告する免許を与えることになるのでしょうか?つまりある人がよくアルコール類がメニューにあるレスストランに出入りしているのを見たとか、(改宗ムスリムである)前妻が豚肉を食べる非ムスリムの両親のもとで生活しているとかいう訴え報告で、宗教庁係官によるその人個人生活への捜査を起こさせ、その者がMurtadであるかないかを宣言すると言う意味です。

Intraasia注:訳していてやりきれない気持ちになる記述です。現実にこういうことが起こっているのでしょう、だからこの筆者はそれを愁ている

信心と不信心の違い又は不信心になるような試みのはきりとした違いが何かを誰が判断するのでしょうか?イスラム初期の経験ある司法者でさえこれには同意できなかったことでしょう。

イスラムの歴史を通じて、お互いに相手のグループ、セクトをKafirs と呼び下して、批判し反批判することが続いてきました。このKafirsは流血と抑圧に繋がったのです。これはすでにマレーシアに起こっているのです。背教又は棄教を法律化することで、政府はこの危険な道に正当性を与えていくのでしょうか?

注: Kafirsとはnon-muslim / infidel非ムスリム又は不信仰者の意

もしUMNOがこの罰則的行動を取ることで支持者をPAS党から打ち勝つことができるだろうと期待しているならば、PASがペルリスの州議会員を通してこの法案を公然と非難していることを知っておくべきです。なぜならこの法案はPAS党の論理では真のイスラム教の教えに合致してない、すなわち背教又は棄教には死刑を与えるべき、と主張しています。

コーランに明確に描かれており、憲法の11条と国際人権宣言18条に反映されているように、信教の自由を尊重するという勇気ある原則的立場に政府が立つことがより賢いのではないでしょうか? もし宗教当局がムスリムが他宗教に改宗してしまうと本当に心配しているならば、その取る路は罰を与え必然的に拘束するという道ではなくて、教育を通じて行なう路です。

コーランはこれに関して我々に明晰な導きを与えてくれます、「賢さと美しき説教を使いなさい。そして最善で慈悲深いマナーで彼等と議論しなさい。」 リハビリテーションセンターに人々を1年間拘束し抑圧者とその宗教を彼等に愛させると期待することではないのです。信者の義務は擁護・弁護することなのです、忠告したり抑圧したりすることではない。Surah al-Haji 22;68にはこうある、アラーの神は「もし彼等が貴方と口論するならば、こう言いなさい。貴方がしていることを神は一番良く知っている、貴方たちの間の違いに関して審判の日に貴方がたに判決を下すであろう。」
翻訳終わり

筆者の意図

以上このコラムはマレーシアのイスラム教はこうあるべきだなどとあり方を解いたものではありません。イスラム教のあり方は所詮非ムスリムが何を言おうと思おうと変わるものではありませんし、そうすべきものではないのです。ですから筆者の意図は、マレーシアのイスラム教・ムスリムの中にある一面を紹介したかったのです。この一面はあくまでもムスリム少数派に過ぎませんから、大きな流れになることはまずないでしょうが。



ムスリムでないマレーシア人が/と離婚するための条件


マレーシア人と結婚するにはどうすればいいのですかとか、マレーシア人と結婚したらマレーシアに住めますかなどの質問をごくたまにメールで受けます。マレーシア人と結婚した又はしたいと考えている日本人は少なからずいらっしゃいますからね。尚「今週のマレーシア」の第118回で書きましたように、結婚即永住権獲得にはなりません。当時と多少事情は変化して労働ビザは取りやすくなりましたが、永住権の授与に関しては、そういう動きはあるものの、現在も実質的な変化はまだありません。さらに配偶者の性別での違いも解決されていません。

念を押しておきますが、非ムスリムであるつまりイスラム教徒でない日本人とムスリムのマレーシア人がそのままの状態では結婚はできません。なぜなら、日本人であれ華人であれ誰であれ、結婚に先だってイスラム教に入信又は改宗しなければなりませんから。これに関して例外は認められていませんよ。じゃあ逆に、ムスリムがイスラム教を棄てて日本人と結婚できるかという質問には、できないとお答えしておきます。マレーシアの地でムスリムがイスラム教から離脱することは理論上はともかく事実上できません。ムスリムがマレーシア国籍を棄てればそれは別でしょうが、そうなればマレーシア人との結婚ではなくなりますね。

離婚質問は一度も受けたことがない

しかし結婚した後、マレーシア人と離婚するにはどうすればいいのか、という質問はこれまで受けたことがありません。それはマレーシア人との離婚がないからではなく、離婚のことはあまり他人に聞きたくないとか語りたくないということのためでしょう。

そこで潜在需要(!?)も想定しながら離婚に関する一般知識として、マレーシア人の又はと離婚するための法的条件を書いておきましょう。なお結婚も離婚もムスリムに関わる場合は、イスラム法の管轄下であり裁判はシャリア法廷が扱いますから、ここでは触れません。つまりこのページで述べる結婚と離婚は全て、日本人を含めた非ムスリム間におけるマレーシアの法律の下での結婚と離婚です。

注:ムスリムの離婚に関しては、ずっと前にコラム第54回 「ムスリム女性の離婚」で書きましたので、参考にご覧ください。

また念を押しておきますが、日本人がマレーシア人と結婚しても、マレーシアの結婚登録庁に届けて受理されなければ、それはマレーシア法律では結婚したことにはなりません。ちょうど日本大使館に届けなければ日本の法律上婚姻にならないと同じことですね。

注:結婚届けするには、双方の必要書類を揃えて日本大使館へ行き、届出用紙に記入して提出すればいいのです。それが日本の市町村区役所に送られて、戸籍に記入されるという仕組みです。
注:尚、届ける届けないは個人の自由ですから、事実婚で構わないという方はそれでいいのです。ただしマレーシアの法律と社会は日本ほど事実婚を許容しませんよ


離婚するための条件

以下の法律説明部分は10月22日付け華語新聞”南洋商報”の法律相談記事を参照しました。

離婚申請する為の要件はまず

の3条件を兼ね備えていなければなりません。

双方が離婚を希望している場合

もし夫婦双方がその意思から離婚を希望しているならば、双方はこの方式で離婚申請できます。ただし双方は必ず守らなければならない次ぎの2条件があります。


一方のみが離婚を希望する場合

妻か夫の一方が離婚を望まない場合は、片方離婚方式によって行ないます。つまり夫か妻の一方のみが離婚を申請するのです。夫は婚姻がもはや元に戻す手段がない、(婚姻が)破壊した状態であることを証明しなければなりません。さもなければ法廷は離婚を認めることはしません。
いわゆる元に引き戻すすべがないとか破壊した状態では、次ぎに述べるどれか一つの要件を証明すればよいのです。(注:相手とは夫又は妻の意)

以上です。
こんなタイトルをつけたので、マレーシア人と結婚している又はされたい方にはちょっと皮肉なタイトルになって申し訳ありませんが、知識として知っておいて頂ければということです。日本の法律との違いも考えてください。

結婚と愛は永遠であることを筆者を含めて誰もが願っておりますよね。しかし現実は、誰が悪いとかのいい訳・理由はあるにして、それに裏切られることもしばしば起こりますね。”いつまでもあると思うな金と妻(夫)の愛”、筆者もその経験者の一人として残念ながらそう思わざるをえませんなあ。



マレーシア英語の実例を提示して説明する


筆者はマレーシア国内のニュースグループの一つを購読しており、先日その送られてきた中に非常に興味深いメールが数通ありましたので、ここでその1通から抜粋して紹介しておきます。

尚ここに書かれた内容はどうでもいいです、無視してください。この筆記形態に注目してください。これは華人の話す典型的なマレーシア英語(Manglishとも呼ぶ)を発音そのままに綴った文なのです、これだけ見事にマレーシア英語を綴ったものに筆者は初めて出会いましたので、紹介したくなったのです。皆さん、どのくらい理解できますか? この文を耳で聞いて3分の2理解できればまあマレーシアで”英語コミュニケーション”がそれなりにできるでしょう。目で見ても半分も分らないって、初めて聞いたり見たりした方なら分らなくても当然でしょう。

マレーシア英語を標準英語に翻訳してみる

さて前置きはこれくらいにして下記のマレーシア英語をIntraasiaが標準英語に書き換えてみました。できるだけこのオリジナルの語と意味を残しましたが、文法の間違いと非英語的発想による言い回しは訂正・修正してあります。

メールの原文
I oso donno wat u tokking abou politik. I jars know your spelling so terriber wan, so hard to read only. Orr I know is if Marayshen peeper wan to orr understan eesh arder, den mars haf same spelling wan. How can you speow "encoulage illesponsible," wen akcherry peeper say "eng-kar-age illesponserber"? Laidat of kors gor misunderstanding wat!

書き換えた文
I don't know either in what way you are talking about the politic. As I know your spelling is very terrible, it is so hard to read them. What I know is that if Malaysians want to understand each other, then they must have the same spellings in common. How can you spell the words "encourage irresponsible" when the people actually pronounce these words "eng-kar-age illesponserber"?. Or Rather, of course, they become misunderstand each other.
中略
メールの原文
I oso donno wat I tokking. Anyway, I jars wan to say hi and teow you I ting you are good man, evendoe your spelling is a litter farni an need improof. 

書き換えた文
I don't know either what I am talking. I just want to say "hi" and tell you " I think you are a good man, even though your spelling is a little funny and you need to improve in spelling".

以上です。どうですか?
terriber wanのwanは華語の語法をそのまま英訳したスタイルなのでこういう使い方をしています。”th”の発音を上下の歯に舌を挟む標準英語の発音をするマレーシア人は大変少ないです。動詞の目的語を省いたり主語を省いたりしていますが、いずれも口語華語の影響を受けた用法ですね。

使い分けは普通のこと

ここに載せました典型的な華人の話すマレーシア英語の例に関して、簡単に説明しておきます。
華人が皆このように常に話すわけではないことはお分かりですね。あくまでもこういった話し方をする人が多いということで、これよりももっと標準英語的用法と発音をする人もいるし、反対にもっとわかりにくい、つまりさらに非標準英語的用法と発音する人もいます。さらに場と相手によってマレーシア英語的傾向を強めたり、逆に標準英語に近づける人がいます、こういう人はそれなりに海外で英語教育受けた人が多いといわれています。

別にこれは特に変わった行動でも優れたことでもありません、日本人が仲間内の気楽な会話では、例えば青森方言とかくずれた発音の日本語を使い、公の場で又会社のビジネス上では比較的はっきりとした発音の標準語を使うようなものです。私は若い時に米国で多少磨いた英語なのでずっと昔はアメリカ英語風に話していたのですが、現在ではマレーシア人相手に話す時はよくマレーシア英語的に話すことがあります。その方が自然にマレーシア社会で受け入れられるからです。(ただし、英語唯一主義に断固反対する私は相手が誰であろうと英語をなるべく使わない主義ですので、英語を話す時はという注釈付きですよ)

尚マレーシア英語に関してもっと詳しく知るためには、今週のマレーシア第94回と95回の「マレーシアの英語」 をご覧ください。英米人はそうは言わない、こう言うべきだという、英米英語おしつけ視点で書いたものでなく、日本人の立場からマレーシア英語を解説した本格的なものですよ。



マラッカ海峡のすぐ向こうにあるスマトラは近くて遠い


まだ6時過ぎだというのに外は薄暗くなり、人通りがめっきりと減った。他に開いている店がなくてしかたなく唯一開いていたため入った大衆食堂で夕飯を食べながら、店内でかかっていたテレビをぼんやりと眺めていたらどこかで見たような放送が流れているではありませんか。あれ?としばらく見ていると、番組が終わってNTV7のマークが現れました。NTV7はマレーシアの2つある民放テレビ局の1つです。

ブンカリス島の家庭でマレーシアテレビが映る

場所はスマトラの属島の一つであるBengkalis島の港町Bengkalis。Bengkalis島は、スマトラの玄関港Dumai から小さなフェリーで約2時間の距離であり、マラッカ海峡に面した小さな島です。従ってマレーシア半島部により近いわけです。ですからBengkalis町では普通のアンテナでマレーシアのテレビ放送が映るのでしょう。ホテルに帰って部屋のテレビをつけてあれこれチャンネルを変えてみたらマレーシア公営放送のRTM局も映るではありませんか。NTV7もRTM局も鮮明度はインドネシアのテレビ局よりも落ちますが、ちゃんと鑑賞できるほどです。なおDumaiでマレーシアテレビが映るかどうかは知りません。

隣り合った国々では、国境近くの場所なら隣国のテレビが普通のアンテナで映るのは当然の現象ではありますが、Bengkalisはマレー半島に近いとはいえマラッカ海峡を挟んでいますから、筆者にはちょっと意外な現象でした、しかしよく考えてみれば、このブンカリス島の位置する当りはマラッカ海峡が相当狭くなった部分であり、直線距離なら半島部まで50Km以上100Km未満であるのは間違いないでしょう、さらに障害物のない海の上をマレーシアの電波が超えやすいのは当然ですよね。言語の近似性と民族的近似性からマラッカ海峡を超えてこのBengkalisの一般家庭ではテレビでマレーシア番組を見ているのでしょうね。

注:インドネシア語はスマトラ島のRiau地方の主要構成民族であるマレー人の言語であるマレー語を基にして発展させた言語なので、マレー半島のマレーシア語とは似ていて当然で、相互理解は十分できる。ただし、両言語は全く同じではない、語彙、発音などに明らかな違いがある。
注:半島部から一番近いスマトラ属島の港は、ジョーホール州の西海岸港町からKarimun島へのルートです。


船で渡ればより実感できるマラッカ海峡の狭さ

10月中旬筆者は1年半ぶりにスマトラを訪れて、Riau地方をいくらかふらついてみました。これまで何度か空路スマトラを訪れていましたが、今回はマラッカから海路往復したのです。クアラルンプールからメダンまで飛行機で訪れても半島部とスマトラの近さを十分感じますが、所用時間とは逆に(飛行機なら1時間弱、フェリーで2時間)船の方がよりスマトラとマレー半島の近さを感じるのは当然です、ああ今マラッカ海峡を渡っているなと実感できますからね。

注:Riau州はスマトラ最大の州で人口400万人以上。Riauはマレー人が主要構成民族なので、スマトラ各州中恐らく最も半島部と近い関係であろう。歴史的に見ても、かつてはスマトラとマレー半島部にまたがったJohor−Riau王国というのが存在していた。

さらに船の乗客の顔ぶれを眺めれば、いかにインドネシア人とマレー人のその体つきと顔形が似ているかを実感します、ただ服装と身なりから相当程度、さらに話す言葉を聞けばたちまち見分けはつきますよ。フェリーに乗り込む前に、マラッカの桟橋建物に張り出された到着してDumaiへ降り返すフェリー便の乗船名簿を見れば、過半数をインドネシア人が占めマレーシア人と合わせて95%以上を占めていました。往復のフェリー便の乗客の顔ぶれも同じようなものでした。マラッカのフェリー桟橋と施設のお粗末さは、このルートは所詮インドネシア人とマレーシア人しか利用しないだろうからこんなものでいいだろうと考えているかを、十分推測させる程度ですね。

近くて遠いスマトラ

マレー半島からのその近さにも関わらず、例えばクアラルンプールからならシンガポールへ行くよりスマトラのメダンへ入った方が近い、ペナンからならフェリ−でメダン郊外の港に着くほうがシンガポールへ陸路行くよりもはるかに近くて早い、しかし多くのマレーシア人にとって心理的にシンガポールの方がずっと近い。さらにマレーシア在住日本人にはスマトラはタイよりもはるかに遠い存在でしょう。在住者でどれぐらいの方が実際にスマトラの地を訪れたことがあるのだろう、きっと数百人にも満たないであろう。その数少ない訪れた方でも、訪問地は観光地であるトバ湖とメダンぐらいでしょう。半島部の2倍近い広大なスマトラ(面積28万8千平方キロ、南北の長さ1760Km)の点のような場所だけですね。

なぜか?、いうまでもなくスマトラのイメージが日本人を全く曳きつけないからです、日本からの直行便は今も昔もゼロ、近い将来もないでしょう。数ある日本の旅行雑誌が旅行対象としてスマトラを特集したりスマトラの属島を紹介することは恐らくなかったでしょうし、これからも当分はありえないでしょう。スマトラの自然はすばらしい、東北部であるアチェ地方の海岸は全く開発されておらず、その手のつかない美しさにははっと息を呑む、たどり着くだけでも一苦労の深い山々とジャングル、何十とある大小の属島の中には、世界的なダイビングアイランドもある、しかしスマトラはなぜこうも日本人を引きつけないか、いや白人バックパッカ−さえもタイはもちろんマレーシアに比べればはるかに少ない。観光地を訪れる外国人の多くはマレーシア人のようです。

外国人ツーリストが極めて少ない

筆者のスマトラ報告は以前 「今週のマレーシア」の第128回コラムに書きましたように、主要都市とトバ湖やブキットティンギ高地のような数カ所の観光地を除けば、外国人ツーリストの姿はまことに少ない、特に数回訪れたアチェ地方は白人バックパーカさえ全く目にしなかった。外国人ツーリストは皆無に近いと言っても間違いない(アチェはかつての東チモールに並んで独立組織の活動が盛んです。そのためインドネシア軍・警察との衝突はしばしば伝えられ死者が出るのも珍しくない。筆者の経験から言って、外国人が狙われるとは思わないが、偶然巻きこまれる可能性がないとはいえない。)マレー半島からこれほど近くにあり、自然に恵まれたスマトラはなぜこうも外国人ツーリストをひきつけないのだろうか。

インドネシアといえばバリ島だけがもてはやされ、結果としてバリはインドネシアの特殊な場所になっていますね。超広大なインドネシアでバリはまこと超特別な地位です、バリだけを見てインドネシアを語ったら大間違いです。バリとスマトラの田舎を比べてどれくらい共通点があるだろう、同じテレビ放送が放映されていること、同じ通貨ルピアであること、同じインドネシア製品が出回っている、書かれたインドネシア語の同一性ぐらいでしょう。後は相当違う、民族も文化も風土も口語も違う。

自由旅はまこと苦労が伴う

スマトラはインドネシア社会を叙述に示している社会ですね。膨大な半・潜在失業者の群れ、工場・企業の少なさ、素人目にも手入れ不足の農地、都市の治安の悪さ、田舎のインフラの劣悪さ、町でも衛生状態の悪さ、ゴミにまみれた川、舗装された道路の少なさ、などなどその欠点を数え上げていけば次々と出てきます。都市の治安の悪さと観光施設の整備不足は観光客誘致に決定的なマイナス要因ですね。筆者のような貧乏自由旅する旅行者にとっては、バス網の旅行者向け情報不足と整備不足、安宿のひどさ、交通事故の多さ、治安の悪さが行動を妨げます。この悪い条件下をあえて自由旅するには、相当なる"旅する意欲"が必要です。

スマトラは衛生度、安全度、快適性のどれをとってもマレー半島にははるかにかないません。今回筆者の訪れたリアウRiau地方はアチェ地方より全体的にずっともいいほうでしたが、それでもマレー半島を旅する気楽さと快適さと安全感はとてもありません。安全面から言えばRiauの中心都市Pekanbaruプカンバルでは、数人から夜10時過ぎには街を歩くなと言われました、実際筆者の長年の東南アジア旅の感覚からいっても、”危ないだろう” と思う。マレーシアとタイでは夜の町でもほとんど意に介さずに歩き回る筆者でも、メダンやプカンバルの夜の街は宿でおとなしくしています。

大衆食の品質の悪さと値段の高さ、インドネシアはマレーシアに比べて平均個人所得が数分の1以下の国なのに、大衆食の値段はリンギットに換算すればほとんどマレーシアと変わらない、これじゃ一般に言われるように、低所得階層は食べるのが精一杯というのが真実味をもって感じられます。

田舎では職のない者が所在なげに家の回りでぼんやりとたたずみ、町では物売り、客引き、としてしつこく人に付きまとう。1台のバスで発車を待つ間にやって来る物売りの多さは、30秒に1人です、つまり発車する前にたった15分ほど待つ間数十人は必ずやって来て押し売りしようとします。無視すれば体をつついて気づかせようとします、筆者が外国人だからでなく彼ら物売りは誰に対しても態度は同じですよ。

なにより怖い交通事故

交通事故の多さ、港町ドマイから内陸の都市プカンバルをバスで往復したのですが(帰り道は途中道草くいながらです)、片道5時間の道のり中、各2回の交通事故の現場に遭遇、つまり合計4回の交通事故現場に遭遇したのです、内2回はつい数時間前かその日に起こったであろう衝突車が現場道路真中にそのまま残されていました。曲がりくねった狭い片道1車線道路を無理に追い越す無謀運転と、整備不足車両の多さがその原因であるのは間違いありません。道路でパンク・故障している自動車の数はとても数え切れません。

筆者は自分の乗ったバスが交通事故に遭わないようにそれを願っておりました、ですからできるだけ大型のバスを選んで行き帰り乗ったわけです。それでも行きの路で、運転手の機転で間一髪のところで無謀対向トラックを交わしたできごとがあったのです。乗り合いバンは目的地に早く着くのですが、むちゃくちゃ飛ばすので筆者はできるだけ乗りたくない。第3世界を旅するとき一番怖いのは、病気でも強盗でもなく交通事故ですよ。田舎では事故が起きたからといって救急車が飛んでくることは全くありませんし、第一まともな病院さえありません。

安宿の程度のひどさ、これは筆者のような貧乏旅行者には非常に堪えます。タイならUS$5ドル程度でもそれなりに寝れる安宿を見つけられますが、スマトラではそうは行きません、US$10ぐらいださないとタイ並の安宿に泊まれません。安宿の程度がものすごく劣悪なのです。つまり所得水準に比して宿の相場が高い。例えばドマイのいいホテルといわれるところの部屋代をフロントで聞いたら、なんとマレーシア通貨に換算してRM100もするのです。とてもマレーシアのRM100クラスのホテルではありませんね。

注:インドネシア通貨ルピアは為替変動が大きいので、米ドル換算で考えた方がわかりやすい。
注:安宿に関するお話しと説明は、旅行者用ページの「自由旅行者のための情報コーナー」内の該当項目をごらんください。


警察署で受けた尋問

さらにスマトラの田舎は旅行者がまったくいないせいもあるのだろう、珍しくみられる。それだけならいいが、警察の旅行者に対する対応は決してよくない。今回筆者はプカンバルからある田舎へ行こうとしてバスで往復した、途中ふらっと降りた村でふらふら歩いていたら、警察署があったので、ちょっとちゅうちょしたが立ち寄って話しかけてみた。それが間違いのもとであた。最初は愛想よかった警官が、お前のパスポートを見せろと言い出し、次いで上官の部屋まで連れて行かれて、あれこれ尋ねられ且つメモまでとられたのです。薄ぐらい部屋で威圧的な警察官の質問を受けるのは全く気分を害する出来事だが、そこで怒った態度を見せれば自分が損するだけなので、おとなしくまじめに答えたのです。筆者は違法なことなど全くしていないし、何よりも正当な旅行者であるからです。しかしインドネシア警察官の賄賂主義はよく知られたこと、あれこれ難癖をつけられないかとそれが心配でした。とにかく10分ぐらいでよし去ってもよいとなったので、ほっとしたのです。とにかく私から握手してその場を去りました。

タイ、マレーシアの田舎や町を旅しているとき筆者はよく自分から警官に話しかけたり、時に警察署に寄って道を聞いたりします(もちろんタイ語なりマレーシア語で)、こういう場合どちらも、特にタイの警官は概してあいそよく親切です。自分から警察官に寄っていく場合彼らは私を最初から疑ってはかかってはきません。しかしスマトラの警察官にはあまりいい印象がない、特に今回はだ。旅行者をまず疑いの目で見るのですね。確かに旅行地でもないところをうろついている一目でわかる外国人であるから、多少疑われても仕方はないが、警官には日本国パスポートを見せインドネシア入国ビザも提示しマレーシア語でいきさつは簡単に説明した、それでも尋問を受けたのです。警察に旅行者を歓迎する思想がまったく育っていないのでしょう。それだけスマトラは旅行者には縁遠い社会であり、そこまでの余裕がない社会の証明でもありますね。

注:筆者がいくら単なる華人系インドネシア人の旅行者を装ってもスマトラではすぐわかってしまう。華人系の顔した者が、都市へのビジネス出張などは別にしてふらふらと1人で旅はしない。さらに筆者は腕時計をして眼鏡をかけている。これだけでも目立つのです。スマトラの下層階級では、一部の老人を別にして、眼鏡姿をまず見かけないし、腕時計をしている者もたいへん少ない。彼等に眼鏡などあつらえている余裕はないのです。


スマトラだけが特別の地域ではない

こうしてあげていくとスマトラが読者にはずいぶんひどいように取られてしまうことが懸念されます。確かにひどい面もある、しかしそれは日本人から見た場合であって、東南アジアの基準からいけば別にそれほどかけ離れたものではないのです。ミャンマー、ラオス、ベトナムそういった国々の田舎、地方又は都市の下町か裏町を泊まり歩けば上記で述べたような状況と現象は多かれ少なかれ経験するのです。もちろん国と地域によって程度の差はありますよ。

マレーシアは東南アジアの国です。東南アジアといえば気候的な面から概して1年中暑いということがありますし(暑くない地方も季節もある)、一般日本人の捉える印象は、汚いとか危ないとか食事・水に気をつけようとかいったものですね。当っている面もあるし単なる偏見である部分も相当ある。東南アジアは互いに類似性を持ちながら、極めて文化的に多様な面もある、経済の発展度が相当違う、そして貧富の差が極端である。インドネシアはその典型ですね。

こうしてあれこれ説明しているのは、マレーシアが東南アジアでどんな位置を占めるかを多少でもわかっていただきたいからです。一度も行った事のない、また行った事があってもその国・地域の人たちの生活に全く触れずに高級ホテルに泊まり観光バスで回っただけの方に、マレーシアをそれなりに理解していただくのは不可能なことは知っています。所詮畳の上の水練ですから。でも情報として知識として多少でも持っていただき偏見を棄てていただきたいこれが私の願いです。

両国の経済発展度の違いが目立つ

スマトラを例にあげたのは、シンガポールを別にしてマレー半島に歴史的民族的に縁の深い島がスマトラ、その一番近い属島ならスピードボートで1時間もかからないのです。スマトラはマラッカ海峡に面して幾十もの小さな島を付属しており、スマトラ又はその島々がボートなりフェリーで結ばれています。そんな距離的に近いスマトラであり、民族的に同じマレー人も住むスマトラ、言葉も近似しているスマトラ、しかし近代の歴史がこのマレー半島とスマトラに違いを生み出したのです。経済の発展度は一目瞭然に違う、インフラの整備具合の違いなど外見がスマトラとマレー半島の違いをより大きくしています。もちろん広大なスマトラのあらゆる場所で発展度が相当劣るということではありません。高級ホテルが立ち並び、ベンツが走る光景はもちろんあるし、きれいなショッピングセンターもある、要するにスマトラ内の発展アンバランスが極端なのです。

ですから多くのインドネシア人は、スマトラに住むインドネシア人を含めて、マレーシアに職を、青い園を求めて次ぎから次ぎへとやってきます。違法合法を含めて常時100万人ほどのインドネシア人がマレーシアに滞在・住んでいるとみられています、マレーシアへ働きにいったインドネシア人は単純に見積もっても少なくとも数百万人はいることになります。その地理的地近さとマレーシア語とインドネシア語の近似性、どちらも一応イスラム国家であること、長年のインドネシア人人脈網の存在、それに起因する両国に存在する労働力密輸出入シンジケートの暗躍など、そのため捕まっても捕まっても追放されても差別されてもインドネシア人はマレーシアにやってくるのです。

スマトラからマラッカ海峡を渡って密かに運ばれてくるのは労働力だけでなくタバコなどの嗜好品もあります。マレーシア水上警察と税関の取り締まりにひっかかった密輸シンジケートのニュースはマレーシアの新聞に頻繁に載ります。さらにマラッカ海峡を逆に渡るシンジケートもあるんですね、次ぎの新聞記事をご覧ください

10月26日
盗んだバイクをスマトラへ密輸するシンジケート

マレーシアで盗んだ数百台のバイクをスマトラに密輸出していたシンジケートのボスが、警察の取り締まりの際射殺されました。深夜のマラッカ州海岸で40人の警官隊がシンジケートを追っていた際のことで、捕まった仲間4人中2人は警察に撃たれ負傷しました。「シンジケートは海岸で何台かのバイクをボートに積んでいた。」 「警察が彼等に応戦したら、彼等全員は水の中に飛び込んだのです」 と警察の幹部談話。

マラッカ海峡の向こうはロマンチックか

日本人の間では、旅行マスコミなどで作り上げられたイメージとして、マラッカ海峡はロマンチックですね。確かにマレー半島のきれいな海岸か海の見える高台からマラッカ海峡を眺め、そこを航行するタンカーなどを遠望していると、ロマンチックな気分になってきます(隣に女性がいればもっといい!)。それはそれでいいでしょう、旅行産業が発展するためにはそういうイメージ作りは大事なことですから。

しかしそれで終わらないのがIntraasiaです。そのロマンチックなマラッカ海峡の向こうのスマトラでは、膨大な貧困層インドネシア人が日々ロマンチックとは程遠い生活しているのです。1個又は1冊わずか数百ルピア程度のコミッションを得るために物売りする大人、女、若者、さらに幼い子供たち、(いかにインドネシアといえ数百ルピアでは飴玉1個程度しか買えません)。1日50個、又は50冊売れたとしても1日の稼ぎは1万ルピア、リンギットに直せば5リンギット弱、米ドル換算なら約$1.2です。しかし素人目に見ても、物売り間の競争の激しさから1日50個・冊を売るのは難しそうです。片や冷房付きの立派なオフィスの建ち並ぶ一画、日本車やヨーロッパの新車が走る、そんな中上流階級のインドネシア人も少なからず存在します。ものすごい社会矛盾を秘めたインドネシア社会を目の当たりするといつも私の心には、マラッカ海峡の狭いところでは50Kmぐらい離れているだけのマレー半島のマレーシア社会の安寧さと繁栄が頭に浮かぶのです。

一人の手にとても負えない広大で多様なインドネシア

筆者にとってインドネシアの関わりは結構古い、18、9年になる。東南アジア諸国中、初めて本格的に旅したのはインドネシアのジャワ島であったし、それ以前に東南アジア言語として初めて習ったのはインドネシア語であったからです。筆者にとってインドネシアとの付き合いはタイ、マレーシアとのそれよりはるかに薄いものだし、深入りするつもりはないが、それでもこのところ”近くて遠い”スマトラを何回か訪れています。

インドネシアはまことに広大で多様な社会です。ジャワは、スマトラは、カリマンタンは、スラウエシはこうだなどと、あらゆる地域を網羅して語ることなど誰もできないだろう。一つの地域を語るだけでも最低1年はかかるであろうし、何十とある主要な島々を訪れるだけでも数年はかかりそうだ。ですから筆者の語るインドネシアはあくまでもスマトラに限られます。



マレー政党における権力者と民の関係に思う


筆者は毎日様様なマレーシアのニュースと出来事に目を通します。これはマレーシア社会を考える、分析するたいへん大きな素材と題材を提供してくれますからおろそかにはできません。日々の生活模様と社会の出来事を知るのは最も重要なことで、これこそマレーシア社会を写しているわけですからね。

さてそのニュースと出来事には政治面も当然あります。政治はどの国でもテレビ・新聞の第一面で語られる重要なニュースですが、筆者はとりたてて政治に大きな興味があるわけではありません。あくまでも社会面や経済面や文化芸能記事のニュースとそれほど変わらない比重で捉えています。ですからマレーシア政治を重点的に批評することはこれまでほとんどなかったしこれからも同じです。

マレー社会の中心政党UMNO

で今回はめずらしく政治の一端に直接触れた題材を含んだコラムです。そのマレーシア政治の中心勢力はBarisan Nasional与党連合で、よりわかりやすく言えば、マレー政党UMNOがなんといってもマレーシアの政治の核であり、圧倒的に力を持っています。だからマハティール首相はUMNO党総裁であり、歴代首相も、といっても1957年の独立以来たった3人だけですが、すべて歴代のUMNO総裁です。

UMNO:United Malays National Organizationの略称。 UMNOはマレー人だけでなくブミプトラも党員になれるが、実質はマレー政党と言っていいでしょう。

そのUMNOの臨時党大会が11月中旬の土曜日1日だけ開かれました。党憲章に修正を加えるためには、党則で党大会を開くようになっているそうです。いくつかの議案はほぼ執行部が提案した通り可決されたそうです。ここまではとりててて変わったことはありません。
しかしこの臨時大会が初めて、報道陣を締め出して行なわれたというニュースはマスコミにとっても筆者にとってもちょっと意外なことで、筆者の興味を引きました。なぜこの段階で秘密で議論と投票の必要があったのだろうか。

UMNO臨時党大会でのマハティール総裁演説

翌々日の新聞、2000年11月20日付け The Star紙、に政治担当(だろうと思われ)記者の署名記事が載りました。

以下抜粋引用
(大会の基調演説で)マハティール総裁はUMNO党内とマレー人社会と国内における汚職について語り始めました。彼の声は時につかえ、平静さを取り戻すためにしばらく間をおきました、しかしその感情を抑えるのは難しいようだ。過去には大きな拍手が総裁に話しを続けるようにせかしたものです。しかし今回のUMNO臨時党大会では、静かな反応でした。

(数千人からなる)UMNO代議員は金権政治と汚職問題に興味を失ったのだろうか?この何年もの間UMNOメンバーと国民はマハティール首相がUMNO大会の開会演説でいかに感情できわまるかの様子を見てきました。この臨時大会でも首相は(過去と)同様に述べたのです、「(党が金権政治を取り除くように)私はお願いしてきた、訴えてきた、さらに祈り文句を朗読さえしてきた。」

首相は(長い)いつもと違って短い演説の中で、政治家の主催する団体旅行と(メッカ巡礼の)ハジ旅行を含んだあらゆる贈賄の誘いを断るように語った。何年もの間この問題を話題にしてきた後で、首相はまだ金権政治と汚職について党員に語らねばならないのです。マハティール総裁・首相はなぜ何度も何度もこの問題を提起しなければならないのだろうか?

あるUMNO最高執行委員会メンバーは、大会は総裁がこの問題を取り上げる機会でもあるが、党は金権政治に関わる者を召喚しないようにならない限り、この問題は消えないであろう、と。「高位の職にあるものは金を持っている。しかしこれをどう扱うのか。いうまでもなく証拠が必要だ、しかしそれは難しい。」 「党員はこれ以上(この問題に)わずらわされたくないのだ、と私は思う。党員は苦情を提出はするがそれ以上に何もおこらない。」

以上引用終わり

権威をあてにするマレーシア社会

一介のマレーシア居住者として、筆者はマレーシア政財界に知り合いがいるわけでも内部に通じているわけでも当然ありません。しかしマレーシア政財界がマレーシア社会の一面であり且つマレーシア社会の縮図であるのは、日本の政財界が日本社会の縮図であるのと同じで、事情に精通していなくても相当程度の推測はできます。その推測が100%正しいなどとはもちろん言いませんが、マレーシア社会の観察者として、はずれよりも当りのほうが多いとは思います。

マレーシア社会特にマレー社会は権威を重んじ、お上とのつながりを大事にする社会です。例をあげましょう、テレビのニュース番組は政府の各大臣と州スルタンがどう発言した、どこでどんな活動したかを毎日飽きずにあれこれ伝えています、各新聞にごく頻繁に載る企業や団体からの何々大臣への感謝の広告記事、教育機間を含めて私企業が諸般のイベントに政府と州政府幹部を招きそれを公のマスコミに発表したがる風潮、さらにマスコミ自体がそれを好んで載せる風潮、その現れた広告記事と顔写真を国民が素直に受け取る風潮、各州スルタンの授与する称号をありがたがる風潮などです。このように例は至る所に転がっています。小さなことにまで政治家の権力地位を期待する、あてにする者の多さと、その期待を自分の有利さに結びつける政治関係者の多さ、そういった思考法と風潮はものすごく顕著です。

庶民レベルで言えば、公機関や州機関への認可、許可などの時、担当の誰々、上部の誰々を知っているからスムーズにいくとかお茶代を払ったから又は払わされたからうまく行くだろうなどと語るのを聞くことは、決して珍しいことではありませんし、それ自体は皆に周知で承知の事実です。それを贈賄というか社会的慣習というかは別にして、個人的な見返りを期待して又はそれが役得であると多くの地位・権力ある者が当然のごとく考えており、さらに現実に社会がそれで機能しているのです。

UMNOだけに特別の行動様式があるわけではない

つまりUMNOだけが特別な慣習と思考と行動を持っているわけではないのです。しかし独立以来政権の中枢にあるUMNOですから、その上層部の見える権力と見えない権力はすごいものでしょう。マレー社会に今尚残る村社会の論理がUMNO党員に残るいやそれそのままであっても決して不思議ではありません。

UMNOだけでなくこれは他のマレー人主体の政党にもみられるのです、反対党KeadilanはUMNO内のアンワル前副首相支持派が核と支持層になった党ですが、その成立とあり方は決して権威を否定することでの反UMNO党ではないのです、権威に対して別の権威で対抗するありかたですね。UMNO最大の敵であるイスラム原理主義政党PASは、まさにその存在そのものが、イスラム教の真のありかたはこうだという宗教権威に基づいています。なぜこういう分析をするかと言えば、実質マレー政党であるKeadilanやPASにも草の根支持層がたくさんいるからそれは下からの活動に基づいている政党だ、ということを否定しているのではなく、政党の根本的あり方とその構成思想が権威主義だという意味なのです。

マレー人政党のいずれも市民運動型の党ではありません、ここにマレーシア特にマレー社会で権威を批判する、反抗する市民運動が大きく育たない大きな原因があります。もちろん、市民運動がないと言ってるわけではないことはおわかりですね、当サイトでもよく紹介するようにちゃんとあります。

この頃感じる筆者のマハティール首相への感想

この1文の最上段に書きましたように、筆者はとりたててマレーシア政治それにマハティール首相の専門観察者ではありません。しかしこの記者の記事と今回のUMNO大会前後の一連のニュースは、これまでの筆者の見方を一部修正するものであり且つ一部裏付けるものでもありました。なぜならものすごく間接的ながら、与党内部からのマハティール首相への見逃せない批判的見方を紹介し且つ記事の組み立て方にもそれが現れています。

マレーシアは国内マスコミに対してまだ厳しい検閲もどきを施行している国です(国外マスコミに対してではない)。直接検閲を表に出さなくても、印刷プレス法がありますから、管轄官庁である情報省がその社に対して、直ちに又は翌年免許の更新を拒否すれば、新聞であろうと雑誌であろうと発行できなくなるわけです。これは見えない検閲と同じ効果でしょう。ですから記事に自主規制がかかりりやすいとも言われています。もちろん各言語紙とそれが扱う対象によってその程度は違いますが。ですから現れた記事の背景を読み取ることも必要になってきます。

ざっくばらんに言ってこの頃筆者が感じているのは、マハティール首相はマレー人からだけでなくUMNO党内の支持を多少失いつつあるのではという推測であり、ひょっとしたらそんなに遠くない将来にUMNO内で政治変化があるのではというものです。昨年の総選挙でUMNOがクランタン州とトレンガヌ州ウでPAS党に完全に敗北して、トレンガヌ州では政権を渡しクランタン州では引き続きPAS党が政権を握っています。マハティール首相の地元ケダー州もPAS党がよく健闘しました。一般に言われるのは、マレー人社会の分裂ですね、つまりUMNOへの支持の低下現象です。

UMNOを代表するのはもちろんマハティール首相です。日本の政界と違ってマレーシアの首相兼UMNO総裁が持つ権力基盤の強さと広さは日本の首相のそれとは比較にならないほど強大で広範囲です。各州の州首相を決定する、各州のUMNO長を任命する、UMNO最高会議員を指名する権利などを保持し、政府権力だけでなく地方政治と党内組織へもにらみをきかせています。マレーシアは総選挙が5年毎であり国会の解散もないので、権力基盤は日本より安定しています。

この政治仕組みの上で且つそれを利用して、マハティール首相はすでに20年近く首相の座にあるのです。すでに70才代中盤、権力機構にかかわる現役政治家の中で圧倒的に年長であり且つ経験豊富ですね。しかしどんな権力者も権力掌握は永久にできないのは世の常、どんなに堅固に見えてもどこかからか崩れていきますよね。崩れる前に退く路をマハティール首相は選択しなかった、いやマレーシア社会がそれを許さなかったという見方もできます。まあそれはここではどうでもいいのです。

今尚マレージレンマを訴える首相

かつてその有名な著書”マレージレンマ”でUMNOを追放されたマハティール首相は、談話の中で最近とみにマレー社会批判を強めています。それを皮肉るかのような内容が上記の新聞記事に続きます、抜粋引用しておきます。

ある政治観測家はいう、「私はマハティール総裁のUMNO大会演説を長年注目してきた、そして発見するのだが、総裁はUMNO党の負の面を指摘する傾向がある。」と。彼はこれを説明して、「地元新聞の演説を報ずる見出しはどれも”汚職”の言葉があった。読者がこれを見て浮かべる印象を想像してご覧ください。UMNOと汚職です。」 「これは党にとって否定的なことにつながらないでしょうか? どんな政党でもそれ自身の問題がある。」 「総裁はUMNOのマレー人社会と国への貢献を語るベきです。」 「党の指導者は草の根層に下って大衆と会い、プログラムを実施するのです。これがUMNOが強調しなければならないイメージです。しかしマハティール首相が彼の部下を賞賛することをどれくらいしばしば聞くことがあるのでしょうか?」

ある政治評論家は言う、「多くの民衆はまるでガンが広がるかのように金権政治を好んだ。」 「しかしUMNOは最後には死んでしまうような人間の身体ではない、」 「UMNOに問題はある、そして問題なことは認めている。それが金権政治ではなくて、それは別の問題かもしれない。」

以上記事からの抜粋引用終わり

筆者はこのある政治評論家に全面的に同意するのではありません、マレー社会にそういう下地があるということは上で説明しましたね、村社会の意識とつながりと社会的仕組みの中で、マレー社会は”政治家の主催する団体旅行とハジ旅行を含んだあらゆる贈賄を” 本当に贈収賄と意識しているのであるだろうか、それは慣習であり民の当然の権利と捉えているのかもしれません。もちろんこれは筆者の推測であり検証したことではありません。ただマレー社会の嗜好を考えると筆者にはそんな推測が浮かんできます。東南アジア社会を眺める時、すべてを西欧思考では解説できませんし、またそうするべきではないのです。

ここでマハティール首相に触れたのはあくまで筆者の漠然とした予感であり、政治状況の確固とした予想ではありません。当ったからどうの、はずれたからどうのというつもりではないことを最後に記しておきます。



数字でみたマレーシア  その7


マレーシアの来年度の予算案2001年を10月末国会で経済大臣が発表しました。例年この予算案は国会でそれほど修正されることなく実施されることになるようです。そこで予算案から目に付いた点を抜きだしてここで紹介しておきましょう。

予算の規模は歳入がRM875億で、その内訳は、所得税が36%、その他税とそれ以外の収入21%弱、借り入れ金など20.5%、その他非間接収入17%弱です。歳出はRM875億で、その内訳は、給与・報酬が20%、社会サービス12.5%、借金に対しての支払い11.6%、供給とサービス11.5%、経済サービス11.5%、年金など支払い4.5%、その他残りです。区分定義と内容がよくわからないので、あまりこの分類は参考にならないですね。なおこの予算は赤字予算で、その規模は2000年の国内総生産の6%弱にあたるRM180億にもなるようです。

一人当りの国民所得はRM12,800

今年2000年のマレーシア経済の成長率は、現在の時点で7.5%ほどだと推測されています。これを国民一人当りの国内総生産高GDPから見ると、今年は97年の経済危機前を上回るRM12,883になるだろうと予測されています。なお、この数字に単に30円をかけて円換算しても本当のところの購買力は見えてきませんよ。そこでこの一人当りの国民所得を購買力指数で示すと、1999年はUS$7,277だったのが、2001年はUS$500ほど上昇するそうです。この米ドル表示だと、円換算で80万円ぐらいですか、大分実態にちかいような気がしますね。

注:11月末に中央銀行が発表した第三四半期のGDP成長率は7.7%でした。

物価面を見ると、今年9ヶ月間で消費者物価指数は1.4%の上昇でした、昨年同期は3%の上昇です。今年1年で2%ほどの上昇との予測です。

雇用面での数字

マレーシアの勤労者数は総人口2300万人弱のうち、勤労者数は920万人の予想で、その内被雇用者は893万人、尚組織労働者の数は極めて少なく72万人だけだそうです。失業率は来年も依然として3%を下まわる予測です。マレーシアの雇用状況は以前からずっとですが、低失業率を保っています。

分野別の被雇用者の割合、2000年の推定
雇用される産業の分野全体に占める割合99年に比しての伸び率
農業、森林、漁業16%-0.5
鉱業0.5%-2.4
製造業27.1%3.2
建設業9.2%3.0
電器、ガス、水道0.8%2.8
卸し小売業、ホテル、レストラン16.6%2.5
金融、保険、不動産など4.8%3.3
運輸、倉庫、コミュニケーション5.1%3.6
公務員10%-1.6
その他サービス業9.9%4.7

100% (893万人)

全体をまとめると、第一次産業が16.5%, 第2次産業が36.3%、第3次産業が47.2%を占め、第一次産業のみマイナス伸びです。マレーシアは明らかに農業国でないことがおわかりですね、最大の雇用分野は製造業なのです。国民総生産中、製造業の占める割合が、数パーセント上昇して今年は32%ぐらいになるそうです。製造品目の輸出に占める割合は高く85%です、第一次産業品目の輸出高に占める割合は2001年はさらに落ちて、11%強だとの予想です。
上記数字中、公務員が全体の1割を占めるのは、やはりちょっと多すぎるように感じます。

ストライキのほぼない国

マレーシアでは労働争議は極めて少なく且つ穏健なことで知られています。隣のタイは激しい争議やその頻繁さでしられているのと対照的です。ストライキの数は、2000年は7月までに99年1年間の7件に比してわずかに増えて、8件でその関係した労働者数は2580人です。失われた労働日人の数は5000日人ほどです。全国でこの件数ですから、ほとんどないといってもいいストライキの数ですね。

外国人労働者の数は、正規に登録した数で、73万人ほどです。しかしサバ州だけで、60万人の違法及び合法の外国人労働者がいると、州首相が公式に認めているぐらいですから、全国で73万人しか外国人労働者がいないというのは、正しい姿を示していません。現状を知らずに単に報告から現れた数字だけを基に理解するのは、しろうと解説になるいい例です。どんなに低く見積もっても労働人口の1割以上は外国人でしょうし、違法労働者数をいれればその比率はぐっとあがりますね。

注:サバ州の外国人滞在者の数
(州人口約200万人の)サバ州で、外国人の数は60万人だと、サバ州出身の大臣が国会で述べました。60万人中、40万人以上が正式に入国したインドネシア人とフィリピン人で、残りは違法入国だ、と。正式にビザを持って働いている外国人は、製造業、漁業、製造業についている、、また5万7千人は南フィリピンからの難民で、これらの難民はサバとラブアン島にずっと滞在できる、ただ状況が好転すれば早急に戻ることが期待されている、と答えています。


貿易面での米国との強いつながり

貿易面ではマレーシアは世界でも上位20カ国に入る有数の貿易国です。今年の8ヶ月間は25%の伸びでした。輸出入額を比率で見ると、輸出が54に対して輸入が46になります。米国がマレーシアにとっての最大の貿易相手国であることは依然として変わらず、貿易総額の20%近くも占めます。こういう米国への輸出には、在マレーシアの日系企業の貢献が大きいことと推測されますよ。次いで2番目の大相手国が日本になるのですが、こちらは常にマレーシア側の入超です。

消費者の購買力が回復したため、輸入品における衣料、靴製品、プラスチック製品、時計宝石類が増えています。従って消費製品の全体での輸入額は、昨年より20%も伸びているのです。携帯電話の契約者数も99年の昨年6月末の時点で270万人だったのが、今年の同時点では360万人に増えました。

製造業品の輸出国家であるマレーシア

マレーシアは独立以来、一次産業から製造業への脱皮を積極的に図ってきました、それは製造業の国内総生産高GDと輸出高に占める比率に典型的に現れてiいます。1970年から97年の間にその比率は2倍以上に増えています;GDPに占める割合は70年が13.9%で97年が35.7%です。製造業輸出高が総輸出高に占める割合は70年が11.9%で99年にはなんと85%にまでも増えました。
この結果は当然雇用面にも現れており、被雇用者数は70年の8.7%から97年は27%です。

こういったことには外国からの投資が大きな要因ですからそれを見ましょう、東南アジア諸国それぞれへの外国からの直接投資高を示した表です。尚単位はUS$です。
国名1994年1996年1998年
インドネシア$21億$61億マイナス
マレーシア$43億$50億$37億
フィリピン$15億$15億$17億
シンガポール$85億$78億$72億
タイ$13億$23億$69億
ベトナム$15億$25億$19億
東南アジア全体$190億$259億$214億

尚、外国からの直接投資高の数字には引用する文献によって違いがあることは記しておきます

関連してちょっと問題になる外国からの債務の数字です。中央銀行の発表では、2000年後半の時点ではRM1570億で、国内総生産高の約半分にあたります。うち11%が短期外債高です。マレーシアの外貨準備高は11月の時点でUS$300億ですから、中央銀行は、「ファンドの流出入には十分この外貨準備高で対応できる。」と言っています。

最後に、リンギットの米ドルに対する両替率は、98年の東南アジア経済危機以来 US$1=RM3.8に固定されていますが、エコノミストや市場関係者の中には、リンギットが多少過少に評価されているので、変更すべきだという声が上がっているようです。東南アジア諸国の中で唯一対米ドル交換率固定という思いきった政策をとりつづけているマレーシアですが、この固定レート策をいつまで続けるのでしょうか。



小学校卒業前の学力評価試験UPSRの英語科目

副題:マレーシアという多言語社会における問題点を示す −前編−

小学校最終学年である6年次の2学期に全生徒が受ける全国統一試験、小学生学力テスト(UPSRと呼ぶ)2000年の結果が11月初旬に発表されました。今年の受験者数は約475000人で、その半数にあたる約235000人が、一応の学力合格ラインを記録しました。この合格ラインというのは、受検全科目において最低合格のCレベル以上を記録した場合をいいます。最高のレベルであるAレベルを全科目で記録した生徒は22500人でした。なお不合格だからといって、一般にその上級学校である中高校へ進学できないということはありません、UPSRは学力評価試験なのです。

2000年UPSRの結果
右は科目名
下は学校の種類
マレーシア語
理解
マレーシア語
筆記
英語数学科学 華語理解
タミール語理解
華語筆記
タミール語筆記
SK88.6% 81%56.7%75.2%77.5%----------------
SJK(C)64.5%56.2%63.2%91.2%83.8%87.5%81.5%
SJK(T)43.9%39.2%45.6%73.9%73.9%84.5%65.9%

小学校の記号の説明:いずれもマレーシア語の頭文字をとっており一般にこのように表記されます。SKは国民小学校、SJK(C)は華語で教育する国民型小学校、SJK(T)はタミール語で教育する国民型小学校です。なぜタミール語かいうと、インド系マレーシア人の多数派はその先祖がインドのタミール州出身のタミール人だからです。

科目の説明:華語科目試験はSJK(C)の生徒のみが受け、タミール語科目の試験はSJK(T)の生徒のみが受けます、従ってSKの生徒より2科目分負担は重いことになりますね。

試験結果の傾向

前年と比べて大きな変化はSJK(C)がマレーシア語筆記で12%上昇し、SJK(T)が同じくマレーシア語筆記で14%、科学で7%上昇したことです
その他科目はでは、数科目を除いて、多くが数パーセント以内の向上変化でした。

この成績傾向はつまり民族別学校がそれぞれの科目に対して示す傾向は、例年ほとんどかわりません。数学と英語と科学ではSJK(C)が常にトップであり、国語であるマレーシア語科目では、当然ながらマレー人中心のSKがトップです。

英語科目では例年も全体にあまり良い成績でないので、教育省は英語力を向上させる方策を模索中とのことです。でも筆者の考えから言えば、まだ小学校の段階ですし、SJK(C)に通う華人とSJK(T)に通うインド人は、自言語と国語のマレーシア語と英語の3言語も勉強しなけばならないという言語学習負担の重さから、多少英語の成績が悪くても仕方ないと思いますけどね。

この英語科目のテスト例を下段に参照として掲載してあります。ご自分でどのくらいの難度か試されることをお勧めします。

英語をマスターするのは必須だという主張

ここでこの試験の英語成績の低迷を嘆き非難する英語紙の社説、11月8日付け、から抜粋してその論を紹介しておきましょう。

(小学校終了前の全国統一試験UPSRで、英語科目の成績が今年もよくなかったことに関して)発表された平均合格率は57%ほどでした。何年もの間これを心配する教育関係者は、小学生での英語能力の低下に光を与えるように訴えてきました。しかし一方、もうマレーシアでは英語を使って教育する小学校がないのだから、それは予想されていたことだという意見もあります。

悲しいことに下手な英語話者の世代はここしばらく、わが国の大学にも達し、職場に就職したようでです。今日一つの言語だけに流暢では十分ではありません。新世界の状況を行きぬくためには英語をマスターすることが必須です。

地元の情報技術界の統計を見れば、マレーシア語のサイトは1%しかない。英語は情報と技術の言語であるのはいうまでもありません。我々は小学校の段階から英語の基礎を築かねばなりません、そして学生が大きくなるに連れて英語能力を増していくとか各種の試験に面させることで学生にその能力をあげて行かせるという希望を持ってはいけないのです。英語は学校でもっとちからを入れるべきです。

また別の面の問題は、小学校と中高学校における能力を持った英語の教師が足らないということです。これは教育省がもっと光を与えて欲しい点です、というのは不充分な教師は害を与えるからです。英語が生活上ほとんど使われない田舎にも特別の注意を払うべきです。

英語は21世紀のリンガフランカなのです。我々はその車に乗り遅れてはならないのです。
以上抜粋終わり

教育団体から英語媒介学校復活の声

英語を使った学校を復活させる声は、このところ産業界だけでなく小中学校教育界の一部にも広がりつつあるようです。政府が生徒の英語力低下を嘆いていることに呼応していますから、今後はもっと強くなるでしょう。その1例を11月25日の新聞記事から掲げておきましょう。。

英語を媒介語にして教える学校を復活させ、生徒にしっかりとした英語力をつけさせるという最近の声に、全国教職組合とペナン校長会議は支持を表明しました。組合の書記長は、「教育省は、半島部マレーシアのマレー学生連合が先日提案したことを考慮するべきだ。」と。一方校長会議は、「英語をマスターすることは知識を基調にした社会を作り上げることに役立つ。」とその議長が述べています。 「医学、工学、法律などの参考図書は英語で書かれている、だから英語をマスターすることは大事だ。」 「英語を媒介語にした学校は民族間の融和を促進もする。」
以上

悲しきさがに捕らわれたマレーシア人

この新聞は筆者の愛読紙ですが、だからといってその社説に筆者が迎合することはありません。 英語通翻訳もする筆者はこういう論調にもちろん反対します。英語紙だから英語崇拝は当たり前でしょうが、この社説の裏に潜むマレーシア人の英語依存症候群が見えています。

英語ができなければ世界に立ち向かえないなら、マレーシアよりはるかに非英語国である台湾、韓国そして日本はどうして技術上で、貿易上で、出版文化上などでマレーシアのはるか上をいくのだろうか。いくら英語に力をいれても所詮英語は全ての民に届かない、だから田舎ではほとんど使われないのです。それを無理して使わせるのは、日本の街で貴方は今後日常的に英語を使いなさいというようなものです。英語に過大な力を注げば注ぐほど自言語の力は落ちる、建前としての国語マレーシア語と各民族語の出版文化の貧弱さは叙述にこれを物語っている。この思考法にマレーシアの最大の問題がある。そしてマレーシアはこのさがからどうしても抜けられないのです。

英語は確かに必要だ、それを筆者は否定しません、しかしそれはあくまで外国言語としての必要度に収めるべきです。日本の出版文化、学問、技術力の世界に誇る高さは、日本語で全ての国民が相応の教育を受けられること、そしてそれを糧にして各分野の発展に寄与しているのです。小学校から英語を使って教育するようなことをすれば、日本語文化の発展は間違いなく低下し、一部の英語エリートを生み出し、英語崇拝者を増やすだけです。筆者は自他共に認める英語を含めた多言語主義者です、しかしその基礎にあるのは母語たる日本語なのです。日本語で育ち日本語で十分な教育を受け日本語で様様な書籍を読める、それが土台にあるからこそこうして文を書き母語の大切さを訴えられるのです。日本語はだからまことにかけがえのないものであり、それがなかったらいくら英語ができたって軽薄なことにしかなりません。

残念ながらマレーシアでは、建前は別にして、英語を使うことが発展した国に到達する唯一の切符だと考える人間が多すぎる、英語は単なる手段にしかすぎないのに。

注:母語とは生まれ育つ過程において一番中心に取得した言葉のこと、一般に母親の言葉が多いのでこう呼ぶ。母語と母国語は似て非なる物です。直接的な関係はありません。
注:マレーシアの出版文化の貧弱さはコラム74&75回で詳しく書きました。さらに次ぎのような数字を最近入しました:マレーシア華人の華語小説が国内外で出版された数は、90年から99年までに中長編が13編、短編が90篇です。10年間の出版合計がこの数字ですよ!


参考資料
UPSR のEnglish 理解科目 試験時間:1時間

(市販のUPSR模試用書籍から引き写しました)

SECTION A
Each question or incomlete statement below is followed by four possible answers. Choose the correct or best answer from the answers marked A,B,C and D. Then, on your question paper, circle the letter of the answer that you have chosen.

Questions 1 - 5
Read the following article carefully and then answer the questions that follow.

An Enjoyable Trip (by Mimi Ho )

Father had just bought a new car. He could not wait to take us for a holiday in his new car.
Early one Sunday morning, we left for Penang after breakfast. We took a slow drive and reahed Butterworth at noon. Jefri, my younger brother, was very excited when he saw Penang Bridge.
Father drove slowly along the bridge so that we could see the scenery from the bridge. There were many ships sailing beneath the bridge.
" It's such a long and beatiful bridge!" Jefri exclaimed.
That night, we went to see the Trade Fair at Sungai Dua, which is part of the Pest celebrations. The Pesta is held evewry December and attracts a lot of tourists. All kindas things are sold at the stalls there. The place ws really crowded. We had a busy time visiting the different stalls.
After three days in Penang, we left for home.
" We should take the ferry to cross over to the mainland," suggested father.
" That's a wonderful idea. I'm sure we would enjoy the ferry ride across the sea," said mother.
We reached home later that night. Though we were tired, we were happy because we really enjoyed our trip to Penang.
" We should visit Penang again next year," I said.

1 Why did Mimi's father drive slowly along Penang Bridge?
A. To let his new car run smoothly
B. To let Jefri get over his excitement
C. To let the ship beneath the bridge pass safely
D. To let his family members see the beatiful scenery

2 The wrod crowded in the passage means there were a lot of
A. noises B. people C. stalls D. things

3 How often is the Pesta held?
A. It is held every night
B. It is held annually in December
C. It is held once every three days.
D. I tis held once every threee days

4 How did Mimi and her family members cross over to the mainland?
A. They took a taxi
B. They went by ship
C. They took the ferry
D. They drove acrosss the Penang Bridge

5 From the articel, we can tell that Mimi
A. enjoyed her trip to Penang
B. visited Penag again the following year
C. bought a lot of things at the Trade Fair
d. was very excited when she saw Penang Bridge

Questions 6 - 10
Read the passage below carefully and answer the questions that follow.

Encil Amir is the headman of Kampong Tebing, which is a small fishing village beside the sea. Most of the villagers there are fishermen, while some are farmers and shopkeepers.
As Encik Amir was returning home from his durian orchard one day, he heared someone shouting for help. He quickly ran towards the river near by and saw a boy struggling in the river. Without wasting any time, Encik Amir quickly dived into the river to save the boy. The water level was quite high because it had been raining a lot for the past few days. Luckily Encik Amir is a good swimmer. He managed to save the boy, who turned out to be Reduan, his neighbour's son. He then walked Reduan back to his home.
Reduan's parents were very grateful to Encik Amir. They thanked him for saving Reduan. As Encik Amir was about to leave their house, Reduan thanked him agein.
"Thank you. Pakcik Amir, Iwon't go swimming again when the water level in the river is high," said Reduan.
"Oh, that's a good idea, Reduan. Tell your friends too. It may happen to them the next time. You were luckily I happened to be passing by," replied Encik Amir.

6 Most of the villagers of Kampong Tebing earn their living as
A. farmers B. fishermen C. shopkeepers D. fruit growers

7 Why did Encik Amir dive into the river?
a. To save Reduan
B. To see who is drowning
C. To find out the water level
D. To show off his swimming ability

8 The word Luckily in the passage can best be replaced with
A. Truly B. Really C. Certainly D. Fortunately

9 Which one of the following is not true?
A. Reduan's parents thanked Encik Amir
B. Encik Amir walked Reduan home
C. Encik Amir scolded Reduan's friends for swimming in the river
D. Reduan promised not to go swimming again when the water level in the rever is high

10 Encik Amir can best be described as
A. a busy man B. a brave man C. a lucky man D. a grateful man

SECTION B

Questions 11 - 13
Choose the most suitable sentence to fit the situation in the picture. Write down the number of the picture in the brackets next to the answer. Choose only ONE answer for each question.
イラスト絵が3種類掲げてある

Hello, sis. I did very well in my tests.
How long does it takes,Razif?
Excuse me, may I know what time the next bus is leaving for Bandar Tinggi?
Oh, I hope the roads's not flooded.
Hello, I hope you are fine.
Could you please make us a drink, Mum?
Oh, I'n sorry, teacher.

Questions 14-15
イラストが2つ掲げてあり、それにふさわしい職業名を選ぶ質問のため省略

Question 16-20
Look at the picture and then read the passage carefully. Based on the picture and the passage. fill in the blank with your own words. You must write only One word for One blank.
絵が掲げてありますが、ほとんど絵がなくても答えられる質問です

Suzanah is a pupil at SJK Maju. She believes that a clean and tidy room helps one ______________ study better.
She takes ________________ trouble to arrange her books properly in the bookshelf. Her bed ____________ always very tidy.
Suzanah does not believe ______________________ wasting time. She plans her timetable carefully so that there is time to study _______________ time to play. No wonder she does very well in school.

SECTION C

Question 21
Study the television guide below and answer the question.

SUNDAY'S TV GIDE: TV2

8.00a.m. : Golden KIds ; News Time. Special news programme −read by young schoolboys and schoolgirls.
9.10 a.m. : What's Up Doc: Funny cartoon programme
10.45 a.m : The making of "Mars Attack", A show about the making of the film "Mars Attack"
11.50 a,m: Saved by the Bell - Episode 19, A programme about a group of young boys and girls and how they go through college life.
2.30 p.m : Sunday Movie
5.55 p.m: Today in History
7.30 p.m: RIM Chart Sow: A music programme showing the most popular songs of the week
8.00 p.m: News in English
9.30 p.m: Talk show: Global. Locally produced talk show

You have a pen-friend overseas and you would like to tell him about some of the television programmes in your country.
With the help of the guide above, complete the letter below.


70, Jalan Manis
Taman Rindu,
05000 Bandar Bayu
18 March 1999

Dear Raymond,
Thanks for your last letter and the beatiful photographs you sent. I see you have a big TV in your sitting-room.
Do you have interesting televsion programmes in your country? In Malaysia, we have a few stations offering good tlevision programmes. My favourite sation is TV2. I usually watch on Sundays.
The first programme of the day is at 8 .a.m., which _____________________________________________________________________________________.
My favourite programme is at 9.10 a.m., which is What's Up Doc? It is a funny _________________________________________________________
The Making of Mars Attack comes on at 10.45 a.m. At 2.30 p.m., there is usually a good ________________________________________________
In the evening, at 7.30 p.m., a lot of video clips of popular musical groups are shown in the programme _____________________________
My parent would usually watch the news at 8.00 p.m. The Sunday programme ends with atalk show which is called
______________________________________.
Besides watching television, I also enjoy reading. What are some of your hobbies, Raymond?
Hope to hear from you soo. Bye bye
Yours sincerely,


Question 22
イラストを見ながら文を完成させる問題なので省略。

ここまででテスト終わり

6年生にしては難しいと思う

これは模試ですから、この程度がUPRSの英語理解テストの難易度なんでしょう。他の同種の書籍を見てもこんなものです。筆者は日本の学習要綱は全く知りませんから、これは何年程度なんでしょうか? いずれにしろ小学校6年生にとっては結構難しい程度だとは思いますけど。

読者の方もこのテストを印刷して試しに解いてみたら、難易がよくおわかりになりますよ。テストの問題・質問文がすらすら読めない方はいうまでもなく、正解率9割上でない方は、英語力が非常に不足しているということですね。尚別に不足していてどうのということではありませんよ、英語が生活に関係ない方はそれはそれでいいというのが私の主張ですから。

マレーシア語と華語の試験は難しい

その他のUPSRのテスト科目に触れますと、マレーシア語科目のテストは文構造そのものは複雑ではないが出てくる語彙が相当多い、マレーシア語は単語の書記された形と口語で使う形に違いが多いので、しっかりと書記形体を学習しないと日常会話は十分できても試験に受からない場合がでてきます。マレーシア語を学校でしか使わないような地域に住んでいる華人やインド人の生徒は、国語マレーシア語の試験はやはり難関であるでしょう。
尚日本人のマレーシア語学習者にとって、このテストは語彙の多さが難関になりますね。日頃使わない語彙がいっぱい出てくる、筆者も辞書必携ですな。

華語(日本でいう中国語のこと)科目のテスト、これはとてもやさしいといえるレベルではありませんよ。日本人が漢字がわかるからなんて軽い気持ちでこのテストを受けたら、ほとんどお手上げの水準です。日本での中国語学習者の中級者程度でもすんなりと合格できるかあやしいぐらいですね。

小学生の異なる3言語学習は負担だ

このように小学生で3言語科目をそれなりの水準に持っていかなければならないというのは、個々の生徒にとって大きな負担といえます。いくらマレーシアが多民族多言語国家といえ、やはり3言語平等に接する機会を持つ小学生はごく一部でしょう。つまり生活に密接でない言語を習うというのは当然ながら苦労を伴うものです。小学生が言語取得の基礎として、これに多くの時間数を使わざるを得ないのは、逆に言えば、別の教科科目への費やす時間が減るということですね。

注:尚ヨーロッパでも、ある国が隣国の言語を小学生段階から習う多言語学習をしている国もありますが、状況は違う。なぜならヨーロッパ言語のほとんどが互いにそれぞれが兄弟姉妹言語であり、言語の発想と文法そのものが異なるわけではないからです。マレーシアでの学習言語たる、マレーシア語、英語、華語、タミール語この4種は、言語学的にいずれも互いに全く関係ない言語です。


ごく一般的に言って、マレーシア人、特に華人とインド人の複数言語運用能力の高さは確かに賞賛に値するものだとは思いますが、そうなるためには、犠牲にせざるをえない事柄も当然出てきます。それがマレーシアという国の文化的、学術的国力にどういう影響を与えているのだろうか、筆者には興味のあるところです。



多言語社会でのパソコンの普及に必要なことは何か

副題:マレーシアという多言語社会における問題点を示す −後編−

それでは次ぎの出来事と現象を考えてみましょう。一見UPSR試験と関係ないかのように見えますが、これまたマレーシア言語文化をよく現していることから、根は互いにつながっているのです。

EPF基金を引き出してパソコンを買いなさい

マレーシア政府は昨年末2000年度の予算で、被雇用者のための老後への福祉基金(通常はEPFと呼ぶ)の加入者、全国で800万人から900万人ほど、の中で学校へ通っている子供のある家庭でのパソコンを購入を奨励するために、EPFからのパソコン購入資金引き出しを認めるとして、EPH関連法を一部改正しました。さらにこれの対象者を全てのEPF加入者に広げたのが今年後半です。これによって昨年末から2000年10月頃までに57000人ほどの加入者が、EPFからパソコン購入資金を引き出しました。しかしEPFらの調査でわかったことは、実際にパソコンを購入したのはその約2%の1200人にしかすぎなかったということです。つまり98%の引き出し者は、何か別の物を買ったか旅行にでも使ったと見られています。

この一連の中で、EPFの引き出し手続き要件にパソコンシ販売店発行の領収書が必要だということがあったため、パソコンショップ・販売会社が領収書だけを売る、なんとRM300で売った例もある、ような自体になりました。このEPF加入者のパソコン購入プログラム悪用は、1家庭に1パソコン運動を進める政府をたいへん憂慮させる出来事です。

そこで政府の意向を受けたEPFは、パソコンを買うためにEPFから引き出せるのは子供のある家庭だけでなく全ての加入者に対象を広げるとした20001年度予算案発表すぐ後の11月に指令を出して、EPF加入者のパソコン購入はPOS Malaysiaつまり全国津々浦々にある郵便局が一括して(コンピューターメーカーを代理して)販売し、配達すると決定したのです。EPF加入者は郵便局でパソコン注文しない限り、EPFから金を引き出せない仕組みになったのです。

現実にパソコンを購入する加入者の少なさ

しかしこの新しい注文法が始まったら、現在のところ(12月現在)全国のPOSで受ける注文は1日わずか40台だそうです。まあむべなるかな、というところでしょう。所詮パソコンなどに興味の湧かない家庭が、EPFから引き出せるからといってどんどん買うとは思えませんし、本当にパソコンが欲しければ、EPFの引き出しなどあてにせずに自分の余裕資金から捻出するはずです。レストランで食事する回数を減らすとか行楽費を節約すれば、都会の中流ならまこと簡単なことですね。さらに分割払いを認める店もたくさんあります。だからこそ98%の引き出し者が引き出した金をパソコン購入に使わなかったのです。

この出来事はまことマレーシアらしい現象を現していますね。自分の老後に必要な年金的老後資金をパソコン購入資金だからという理由で引き出しを推奨する政府、これだけでも筆者にはあまり同意できませんが、引き出し金を許された目的たるパソコン購入以外に使う、尚更同意しがたい行動ですな。パソコンとは興味あるから、使ってみたいから買う物であって、政府が買えというから買うものではないでしょう。それによってマレーシア社会が本当にコンピューターになじむ社会になるのでしょうか?

家庭がパソコンを買うように無理して奨励すること自体おかしいのです。パソコンを使いたいような気分を国民に抱かせる、そういう環境を作り上げて行くのが政府の役目であり、政府が音頭を取ってパソコン販売作戦を進めても、大多数の”パソコン音痴”の国民は期待ほどには関心を示さないでしょう。ただ全く効果ないとは言いませんよ。

日本の言語事情の素晴らしさ

なぜかをこれから検証します。テレビは政府が音頭を取らなくても普及する。なぜ? もちろんテレビは娯楽に適しているからであり、誰でもいつでも気軽に使えるからです。テレビを使うのに大して知識はいらない、そして田舎の人でも都会の貧乏人でも、英語に強くなくてもマレーシア語だけ又は華語だけの話者でもテレビは使いこなせるし、楽しめる。しかしマレーシアで売られているパソコンは違う、ほとんどが英語の説明書であり、WindowsもMacも英語版なのです。

一般パソコンショップで売られるパソコンが日本語パソコン100%近い日本でも、昔に比べて使いやすくなったとはいえパソコンはまだまだ多くの年配者やキーボードアレルギーの方には触り難い存在なのは、日本人ならご存知ですよね。以前に比べれば、ややこやしい設定は減り、ユーザーフレンドリーなパソコンになりましたが、一度トラぶればとてもしろうとの手には負えません。新しいソフトやハードのインストールは今尚手がかかるし、新しいソフトの操作法に慣れるのも非常に時間のかかるものです。そこで日本の書店には、あれほどパソコン解説の雑誌と単行本が並ぶのです、その種類の多さからとても数など数えられませんよね。

パソコンは日本語OSであり、画面上の説明文と説明書もすべて日本語で書かれているのが日本の世界に誇る素晴らしいところですが、それでもその日常語彙から離れた説明文と使われている言葉及び言葉使いには、よく閉口しますね。筆者は決してパソコン上級者でもパソコンマニアでもありませんが、MS-DOS初期からの18年近いパソコン歴です、それでもパソコンの説明文には未だになじみません。英・日語の通翻訳する筆者ですが、同じ説明文を読むなら母語である日本語の方が比較的頭に入りやすい、当然ですね。

英語に流通でない一般大衆が英語パソコンを使いこなせるか

自称英語通用力の高いマレーシアのパソコンはほとんどすべて英文です。マレーシア語WindowsやMacなどもちろん開発されていません、台湾製と中国製の中国語Windowsは売られているが、一般パソコンショップで中国語Windowsをプレインストールしたパソコンを売る店は皆無に近い。大体中国語Windows自体の普及率がものすごく低く、売っているパソコンショップを探すほうが難しい、地方へ行けば更に難しいでしょう。ただ華語Windowsや中国語ソフトは違法海賊版CDの形で安価に且つ手軽に入手できますが。Linuxの中国語版?とんでもありませんね。

注:技術の進歩によって華語を手書き入力、又は音声認識するソフト・ハードウエア−が次第に向上してきたので、英語Windows上でも華語をキーボード変換なく入力できるようになったが、まだまだ値段が高く且つとても普及しているという段階ではない。将来ものすごく普及すれば華語使用が向上するであろう。プログラムが使用言語を自動認識するソフトウエアーも登場してきたから、中国語Windowsでなくても英語Windowsでも差し支えないというユーザーもいるが、しかしパソコンの表示やヘルプがすべて華語のChinese Windows/Macの方が英語のできない人には使いやすいことにかわりはない。これは華語の部分を日本語に置き換えてもらえば簡単に分ることですね。


パソコン解説書も英語書と輸入雑誌が幅を利かす

さらに悲劇的なことは、パソコン解説書が圧倒的に輸入された英文書籍です。英語の地元パソコン解説書は数年前から出版されてはいるが、依然として輸入書にはとても適わない種類と量で、書店の棚は断然輸入書が占領している。マレーシア地元発行の英文パソコン雑誌も数種ある、ただし読み応えが劣り、ごく薄っぺらです。新聞の毎週定期的にはさみこまれるコンピューター特集版の方が内容豊富です。

華語(中国語のこと)のパソコン解説書・雑誌はまだまだ台湾か香港・中国からの輸入書が優勢でしょう。地元出版の華語パソコン解説書は数年前からようやく出版され始め、今年はぐっと増えているが、まだ全種類あわせても40種以下でしょう。全体に1冊の分量が薄く安価である、この値段の面からそのうちに輸入書を抜くでしょう。パソコン雑誌は、薄っぺらなマレーシア発行華語パソコン月刊雑誌が数ヶ月前初めて発刊されたが、どれくらい続くことやらまだはっきりしません。パソコン雑誌は、これからも台湾と香港出版で輸入される厚くて話題豊富な雑誌にはとてもかないませんね。華語書籍は、娯楽・家庭雑誌を除いて、特定の書店にしか置いてないので、都会部に住まない華人には入手しづらいことが、これからもずっと問題であり続けます。

マレーシア語の解説書、地元発行の英語と華語に遅れて98年頃からようやく出版されるようになった。昨年だったか始めてマイクロソフトのOfficeの解説書が刊行されてニュースになったぐらいです。ソフトウエアの時流から相当遅れて初出版という形、例えば今年になってWindows98の解説書、Office97の解説書を出版している。マレーシア語パソコン解説書全体として、今年になって種類が増えているようだが、選択するまでの種類はまだまだない、つまりMS Wordなら1,2種しかないのです。全種類合わせて20種あるかどうかです。問題はこういったマレーシア語パソコン書籍がどこの書店にも置いてあるわけでないことです。マレーシア語のパソコン雑誌は月刊が1誌ある、月刊だというのにものすごくペラペラで内容がお粗末で、これじゃパソコンに本当の興味ある人の買う気を起こさせないです。

また書店の棚を見れば容易に想像のつくことで、恐らくほとんどのマレー人高学歴ユーザーは英語の解説書や雑誌を読んでいるのでしょう。全体的にマレーシア独自のパソコンインターネット解説書はまだ萌芽記であり、これがある程度大きく育つかどうかは、読者がマレーシア版を積極的に使うか、買うかにどうかにかかっているでしょう。

マレーシアは日本に比べれば、出版産業が極めて小規模で幅がない、だから書き手が限られてしまうのです。日本のパソコン書籍はよく売れるから、それを支える数多くのプロとフリーのパソコンライターが存在しているし、その逆も真です。複数の日常使用言語に分かれながら、これはといった分野では圧倒的に輸入書が幅を利かす(マレーシア語は別)出版文化のマレーシアでこの現象は起きえません。マレーシア語の出版バラエティーはまことに貧弱、数少ない分野に偏っている。こういったことから、パソコン書籍の先が見えてしまうのです。所詮マレーシアの出版文化を変えない限り、パソコン出版面も変わりえないことはわかります。

また強調する、英語は全ての民に届かない

筆者は何回もコラムでマレーシアの言語事情を説明していますよね。マレーシアは比較的英語のよく通じる国ですが、都市であれ、田舎であれ英語に日常生活に縁のない人たち、若くても高学歴でない層、英語教育を受けなかった40代以上の層、そういったマレーシア大衆が、パソコンの英語をすらすら理解できるわけありませんし、それを期待することこそ傲慢です。そういう人たち、つまり現在まだパソコンに馴染んでいない人たちの多くがそういう人たちなのです、にパソコンを馴染ませる、買わせる、そのための必要条件は、金銭面を別にして、何が一番大切か考えていただきたいものです。

パソコンの世界は英語だから英語に流暢になるべきだという論理は高学歴で英語環境に恵まれた層に受けても、田舎の子供たち、農村の漁村のおじさんやおばさん、都市の下層階層や低学歴者層には全く通じません。日頃華語新聞や華語番組しかみない華人は実に多いのです、さらにマレーシア語新聞とマレー番組しか見ないマレー人はもっと多い、そういう人たちにパソコンを普及させるために、パソコンの周辺がマレーシア語であり、中国語でなければ浸透していかないのです。パソコンが家にあっても十分使うことさえできないではないですか。

思い浮かべてください、日本の市場で売られるパソコンが英語パソコンだけであったら、現在の日本のパソコン普及率になり得たであろうか?絶対、絶対なっていないと断言できますよね。比較的英語のよく通じるマレーシアでも状況はたいして変わりません。サバ州の山地で、クランタン州の漁村で、ケダー州の農村で、クアラルンプールの華人地区で、英語で日常生活している人がどのくらいいるでしょうか、もちろんカレッジや大学に通うっているとか外国との貿易しているとか教育業界に関わっているような人は別にしてです。

在マレーシアの日本人の住居範囲は非常に都市部の高級地区に偏っており、且つ英語を話すマレーシア人との交際が主になるので、実情をつかめない方が多いのですが、(期待しても無理なことは知っていますが)外国人のほとんど住まない下町や田舎で暮らすか、マレーシアを津々浦々歩けば、そういう所では英語がいかに日常生活から離れているかがよくわかります。つまり、買い物や簡単な雑談英語程度はできても、パソコンの英語解説をすらすら読める人は極めて少ないということです。

絶望的な思いにさせるマレーシア人の英語プライド

従ってここでもマレーシアの文化状況がこのパソコン普及を阻害しています。また言語問題になりましたが、それほどマレーシアの言語問題は根が深いということです、人間のあらゆる生活に言語は関わり必要です、そしてその言語とはある特定の言語なのです。それが英語であるべきだとエリート層と高学歴者層と一部の英語崇拝者の論理がマレーシア社会の一般大衆の発展を妨げています。

ですから私は主張しているのです、POSマレーシアのパソコン販売作戦は僻地や低所得者層の人たちのためになることはよく分る、全面的に反対しません、しかしその前にマレーシア語Windowsの開発が大切だとね。これがあれば田舎の英語をよく解しない父母でも少なくともパソコンの操作法や説明書をマレーシア語で読めるのです。お隣のタイではタイ語Windowsが普及している、タイよりIT情報産業の盛んな開発力の高いマレーシアでWindowsマレーシア語版ができないはずがない、開発会社に多少の開発費とユーザーにそれを使う意欲さえあれば簡単だと思います。しかし未だに開発されていないし、そんな気配も全くない。パソコンを使うには英語をまずよく勉強しろ、マレーシア人はタイ人より英語がはるかによくできるんだ、という悲しきプライドが邪魔しているのです。そして結果としてパソコン普及の広がりを阻んでいるのです。(もちろん低所得層のかさ上げが必要なことはいうまでもない)

マレーシアでは、英語をよく勉強しろと大衆に押しきせる前にマレーシア語のソフトを開発しろ、と言う声がどうしても出てこない大きな要因は、この悲しきプライドなんですね。このプライドのために、そして声高き英語エリートの牛耳る情報技術産業界の傲慢さのために、英語のよくできない大衆は買ったパソコンの前で悩むことになるでしょう、「Paste とは一体なんだろう、」とね。小学生の娘、息子から「お父さん、お母さん、Download, Removeってどういう意味?」て聞かれたマレー人親が悩む光景を、筆者は浮かべることができます、地方の町の書店へ行っても十分なマレーシア語のパソコン解説書さえ見つからないのですから。

追記:有名パソコン雑誌にみられる傲慢なIT産業の姿

追記:このコラムを書き終わった直後、書店でその長年の歴史と名前でよく知られたコンピュータ雑誌"CHIP" のマレーシア版の第1号を目にしたので買ってみた。つい最近、多分2000年12月、発刊されたばかりのようです。本家の”CHIP”よりずっと薄く100数十ページで、マレーシア国内向けに編集して地元記事が載せてある。それはいいことだ。

しかしここでも興味深いことを発見した。表紙の裏に世界の12カ国で"CHIP”がそれぞれの国版で発行されていると、各国のCHIP誌の写真が自慢げに載せてある。その表紙の使用言語から判断すると、チェコはチェコ語、ハンガリーはハンガリー語、イタリアはイタリア語、ポーランドはポーランド語、トルコはトルコ語、ウクライナはウクライナ語か?ロシア語だ、アジアでは中国はもちろん中国語、インドネシアはインドネシア語、しかしインドとシンガポールはそれぞれ英語だ、そしてマレーシアも別版で英語だ。島国シンガポールは別にして、英語ですべてが片付かない社会であるにもかかわらず、マレーシアとインドは国語を使わずに英語で発行している。

このCHIP雑誌のあり方は、私がこのコラムで検証した根とあり方を見事に示している、他の国ではそれぞれ国民に一番身近な国語を使って出版していながら、つまりCHIP誌は他国でも英語でしか出版を認めない、なんてことではないのに、マレーシアではわざわざ英語版にしている。滞在外国人にはもちろんその方が都合はいいだろう、しかし世界には英米のコンピュータ雑誌などあふれている、CHIP誌が英語である必要は全くない、第一これはマレーシア人対象の雑誌だ。英語がよく読めない国民は相手にしないという傲慢なマレーシア情報産業のあり方と国語の位置としての悲しきマレーシア語の現状です。



中等教育で受ける統一試験と国立大学への路


今回は、わかりにくいマレーシアの教育制度を解説し評したものです。目次から関連コラム、特にコラム第173回の「続及び改訂:マレーシアの高等教育」をあらかじめ読んでいただくことをお勧めします。

PMR試験の結果

SMKと通称又は略称される中高校の3年次後半に受ける、全国統一学力試験PMR(Penilaian Menengah Rendahの略)の2000年の受験者数は392,692人でした。12月も押しつまった頃その成績結果が教育省から発表されました。

注:マレーシアの学制は中学と高校が分れていませんから、筆者はSMKを中高校と表記しています。

それによると、PMR合格と見なされる最低Dランク以上を記録した生徒は総受験者数の59.8%で、昨年の合格率64%より落ちています。PMRは重要な試験です、なぜならこの結果によって次ぎの学年の理科系と文科系のコース分けの基礎資料になるからです。

2000年PMR試験の科目別合格率
教科目2000年1999年
マレーシア語92.593.6
英語59.863.9
歴史89.788.4
地理92.892.4
イスラム教学習93.489.5
数学91.592.3
科学95.193.4
生活技術 T92.491.9
生活技術 U94.293.6
生活技術 V88.887.2
アラビア語85.780.4
華語75.974.7
タミール語65.364.7
パンジャビ語75.885.7
イバン語87.385.7

この科目中、英語科目の合格率の低さを問題視されており、英語の教育方法を多少変えると、教育省長官は述べています。この英語科目を都市部の生徒と非都市部の生徒の合格率で比べてみると、都市部の方がすっと高く72.8%、非都市部が49.6%です。非都市部では半数が不合格という結果だそうです。

日本では、よく知りませんが推測でいけば、恐らく非都市部と都市部の生徒の成績に違いはもっと少ないと思いますが、この傾向はマレーシアではいつものことだそうです。

確かに都市部と非都市部の違いがあらゆる面で大きいのが、マレーシアの特徴でもありますから、英語科目の成績にこれだけの差が出ても不思議ではないでしょう。この長官の言葉を引用しておけば、「非都市部の生徒の英語の成績は不充分です。しかしこれは別に驚くべきことではない。英語は彼らにって第二言語でもないし単に外国語なのです。都市部の生徒と違って、多くの生徒はクラスで話す以外英語を話しません。」

当然ですね。だから筆者は英語勉強の過度なる強調や英語で授業をする提案に反対するのです。これに関してはコラム第224回で長々と述べましたから、ここではこれをもう論じません。

尚右の表で、華語とタミール語以外にアラビア語、イバン語、パンジャビ語という馴染みのない科目がありますが、これは主として生徒の出身民族による言語科目ですから、この中から1つだけ受検すればいいのです。マレーシア語と英語はどの生徒も必須受検です。

マレーシアの学制と上級学校への進路は中高校の後半から複雑になっていきます。これまでにもコラムで説明しましたが、以下はそれを補完するものです。

SPM試験

さて次ぎの試験です。この2年後、つまり5年生になったSMK中高校生が最後の在籍月である12月にSPM試験を受検します。これが中高校生の進路の季節なのです。この月5年生のほぼ全員がSPMと呼ばれる高校程度学力判定試験を受けで学年が終わります。全国統一試験は、SPMが小学校での試験UPSRから数えて3つ目ですが、一般にこのSPM試験は一番重要な試験と見られています、なぜならこの試験の結果は就職にも進学にもずっとついて回るからです。上級学校への進学者はこの試験の結果が入学時に入学基準に使われますし、中高校卒のマレーシア人が一般に会社へ入社する時の評価にこれが使われますので、就職者には一生ついて回るぐらいです。

注:SPMは中高校卒業又は修了資格統一試験と意味を取って訳しておきます


School Leaverが生まれる時期

こうしてSPM試験終了後、卒業者が学校を離れます。彼らをSchool Leaverと呼び、SPM試験の成績が発表される3月頃までに時間がありますので、彼らの中には進路を決めるまでの間バイトに励む者も多いのです。ですから12月は都会のショッピングセンターなどで学生バイトの数が一次的に急増します。もちろんバイトなどにつかず卒業後そのまま就職する者も当然多いわけです。

彼らSchool Leaverは大体17才から18才です。マレーシアの小学校入学は満6才児で、小学校6年と中高校5年ですから、卒業した時点では17才児が一番多いのですが、18才児も多いです。なぜかといいますと、小学校最後のUPSR試験のマレーシア語の成績が規定以上でない華文小学校とタミール語小学校の卒業生は、中高校でマレーシア語学習を大きな比重とした準備クラスに1年間在籍するからです。その後中高校の1年次に進級します。従ってマレーシア語の成績のよかった生徒と国民小学校の生徒より1年遅れることになりますね。

注:国民小学校SRKはマレーシア語で教育する小学校のこと、当然マレー人の生徒が多数派となる


上級学校へ進学・進級する3つの路

SPM試験後の進路は就職する路以外に、引き続き上級学習をする者には3つの路があります。大学へ進学するためにForm6と呼ばれる中高校の最終学年に進級する路、カレッジなど大学以外の高等教育機関へ進学する路、そしてブミプトラのみに開かれているMatriculationの路です。一番人気あるのはカレッジへ進む路ですが、それはコラム第173回で詳しく書きましたので、このコラムでは省きます。

マトリキュレーションはブミプトラ専用

Matriculation(マトリキュレーションと発音する)は高等教育機関特に大学入学への優待された路なのです、STPM試験を受けるコースより、やさしい方法だと一般に見られているのは、3セミスターつまり1年半の学習を成功裏に終えれば、どの国立大学へも入学できうる資格が得られるからです。Matriculationが作られた目的は、ブミプトラ学生が国内大学の理科系のコースに少ないため、その数を増やす方策として考え出されたのです。つまり 「もし正規のコースForm6への進級だけに頼れば、理科系コースに進学するブミプトラ学生が十分な数に達しないことになる。教育省は理科系のブミプトラ学生には特別の注意を払う必要を感じた。」と教育省の高等教育庁長官が説明しています。

注:これがいわゆるブミプトラ政策の一つですね

そのため現在のMatriculationのコースは、理科系コースと会計コースのみが提供されています。それ以外のコースは提供されていませんから、例えば文系であればカレッジに進むなり、Form6に進級すればいいのです。

Matriculationが最初にできたのは77年のマラヤ大学ですが、その後Matriculationを開催する大学やカレッジが増加し且つ変遷して、現在では98年から教育省が統一したMatriculationプログラムを設定し、学生がどこの大学の又はカレッジの又はその他の教育機間のMatriculationコースを取っても、カリキュラムと試験は同一になりました。そのためMatriculationコースを選択するブミプトラ学生はだんだんと増加し、現在ではマレー学生の選択の中でこれが最大になっているのです。

増加するマトリキュレーションへの応募

教育省発表では、2000年のマトリキュレーションコースへの申し込み数は45000人に達したようです、しかし実際にこのコースに入学できたのは12000人で、その後SPMの結果がよかった10500人に削られたのです。つまりMatriculationはブミプトラ学生だけに提供されるという特典があっても、全てのブミ学生がその特典を受けられるわけではありません。これだけ応募者が増加していれば、将来廃止することが難しいようにも、筆者には感じられますね。

高等教育への進路 2000年の場合
SPM試験後の進路応募学生数提供される人数応募者に対する比率
STPMの路40,96834,84485%
Matriculationへの路45,00012,00027%


長所と短所をもったSTPM履修の路

STPMコースは費用的に一番安価に履修できるという利点があるものの、難易が一番難しいコースだとの定評があります。そのためもあって年々STPMコース履修者は減っています。96年は58000人ほどいたそうです。そしてForm6の後期の終わりにSTPM試験を受検することになります。これが一番正攻法の大学への路です。

STPMコースを履修する学生数STPM合格者に全国の大学が割り当てた人数

コース履修を終えた学生数
提供される数
1997年46,7981998年31,076
1998年42,6601999年33,870
1999年43,3312000年34,844
2000年41,7292001年予定38,000

かくして2000年に終了した者が国立の大学に入れる確率は90%ほどにも高まったのです。これはかってない高い比率だそうです。STPM試験を受ける進級コースの一番の利点は、費用の面です、カレッジに進学すれば1年少なくともRM1万ぐらいは必要な所、1年当りRM1000からRM2000で済むからだそうです。SPM試験後、カレッジ進学を選ぶ学生が増えたからSPTM進級コースを取る生徒はより有利になった、と教育省幹部は説明しています。

SPM保持者でも国立大学に直接進学できないことはないのですが、割り当てられるであろう人数が少ないのです。Degree(学士)コースはもちろん取れませんから、Diplomaコースになりますが、それでも全国で28000人ほどにしか提供されません。これは40万人近いSPM試験修了者に比してずっと少ない数ですから、比率的には難しいですね。SPM修了者に開かれたコースのある大学のうち、ブミプトラだけに限った大学はUiTM, Islamic大学だけです。STPM履修はマトリキュレーションの路とは条件が相当違うことがお分かりでしょう。

年度1997年1998年1999年2000年
SPM試験受験者数252,435280,870348,715395,612


STPM試験合格者の有利な点

Doplomaコースを終えてさらに学士コース(Degreeコース)に編入したい場合もできないことはないですが、優先権はSTPM修了者に与えらるとのことです。だからこの教育省長官は、「Diploma取得はDegreeコースへの路だと捉えるべきではない。」と注意を与えています。

注:Diploma, Degreeの詳しい説明はコラム第173回を参照してください

教育省又は全国の大学が提供する数を分野別に示した表
分野 Form6後期の生徒に
提供される数
Matriculation,とDiplomaとその他向けに
提供される数
1998年42,58441,290
1999年61,73641,052
2000年42,00041,291
2001年未定未定

注:Form6とは中高校の6年生ということで、前期と後期に分かれる。


ここでも説明したように、中高校5年を卒業した後の進路は複雑です。マレーシアでは、毎年総定員数が増えているとはいえ国立大学の数が10校ほどと限られているのが、高等教育機関への進路を複雑にしている大きな要因です。大学が少ないので国内で十分な数の学生をまかなえないから留学を選ぶ、さらに学生の中には英米系大学と提携したカレッジを好む傾向がある、というようなマレーシアらしい特徴もあります。

追記:2003年3月4日の新聞の記事から

国立大学の枠

今年の国立大学入学時期からSPM試験だけの合格者はDegree課程に登録を認められないことになりますが、一方STPM試験の合格者には前年より枠を1割増やす予定です。今年入学者のためのDegree課程は36500人分だと、教育省が発表。これ以外ぼDegree課程に、ブミプトラ専用の6000人分がUiTM大学で、国際イスラム教大学が3000人分、その他3つの大学でのイスラム教研究コースで1000人強の枠があります。

「これは大学入学の国際基準に合わせるもので、大学入学するすべての学生が最低12年の初等中等教育を受けているようにするためです。」昨年までSPMだけの学生も受け入れていたUTM大学は今年から受け入れをやめたとのことです。

以下は2003年9月1日増補
国立大学及び国立大学カレッジ設立年主キャンパスの場所
Universiti Malaya1962Kuala Lumpur
Universiti Sains Malaysia1969Penang
Universiti Kebangsaan Malaysia1970Selangor
Universiti Putra malaysia1971Selangor
Universiti Teknologi Malaysia1972Johor
Internatioanal Islamic Universiti Malaysia1983Selangor
Universiti Uatra Malaysia1984Kedah
Universiti Malaysia Sarawak1992Sarawak
Universiti Malaysia Sabah1994Sabah
Universiti Pendidikan Sultan Idris1997Perak
Universiti Teknologi Mara1999Selangor
Kolej Universiti Islam Malaysia1998Kuala Lumpur
Kolej Universiti Sains dan Teknologi Malaysia1999Terengganu
Kolej Universiti Teknologi Tun Hussein Onn2000Johor
Kolej Universiti Teknikal Kebangsaan Malaysia2000Malacca
Kolej Universiti Kejuteraan Utara Malaysia2002Perlis
Kolej Universiti Kejuteraan &Teknnologi Malaysia2002Pahang








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