「今週のマレーシア」 2000年5月と6月のトピックス

おおまかにマレーシアの音楽事情を眺めてみる −マレー音楽界編-  ・ - インド人音楽界編 - ・ −華語・華人音楽界編−
マレーシア人の交通に関わるこんな態度にがっかりする ・ クアラルンプールの住人から見たバンコク −前編−
クアラルンプールの住人から見たバンコク −後編− ・ 現在大人気のマレー映画を紹介します
老人ホームの少ない社会とそれを支える家族間観 ・ 番外コラム:外国の地名、人名をいかに表記するか
ククップの福建人水上漁村で感じたこと、発見したこと



おおまかにマレーシアの音楽事情を眺めてみる −マレー音楽界編-



一般に誰でも何歳になっても好きなとか憧れの歌手や俳優が一人二人はいるものですよね。ですから芸能・音楽界って多かれ少なかれ人は興味ありますから、どこの国でもマスコミはそういうニュースを競って載せ、人はまたそれを読みます。そこで前々から筆者はマレーシアの芸能・音楽事情を書きたいなと思っていました、ただなかなかそのふんぎりがつかなくてというところでした。

そこへ先日のことです、筆者がコラム中の括弧書きで、”「(自分では気がつかないけど、筆者の容貌がやさしく感じられ相手を安心させるのかな?ずっと昔俳優の田村某が私に似ていると言ってた人たちがいたからなあ。)」 と書いたら、ある常連読者の方から「あのぉーーーーー何度でも書きますが(Intraasiaは)全然似ていませんっ!!!!!!!!!!」という抗議のメールをもらいました。ちなみにその某俳優は彼女の憧れだそうです。この常連さんはずっと昔の筆者を知らないから、いささか乱暴な決め付けですなあ。
またこれも多少前のことですが、筆者がよくメールやり取りする読者の方へのメールの中で、彼(レオナルド・ディカオプリオ)はいかにも女性にもてそうなタイプだけど、演技派だとはとても思えませんねなどと書きましたら、「ちょっと心外です。レオだって演技力はある!!」 とこれまたメールの中で不満を書いてこられました。

お二人ともすでにアイドル・スターにぞっこんの10代の女性ではありませんが、それでも自分の個人的知り合いでもないスターのことになると、冗談含みとはいえ、承服できないとの反応を示されています。この例のように歳にあまり関係なく誰でも自分好みのスターはいるものであり(筆者の好み?それは秘密)、そのスターのことが気になるのでしょう。それはほほえましいことであり、日々の生活で潤いを与えてくれることでもありますね。

マレーシアの地でも同じです。歌手・俳優はやはりスターなりスター候補者という存在ですね。マレーシアは地元映画産業がごく限られているし、マレー映画だけが製作されている、俳優の分野では圧倒的に外国人が強いので、地元スターと言えばまず歌手ですね。そこでこんなことをきっかけに、今回から3回にわたってマレーシアの歌手と音楽界についてあらましを書いてみます。

多民族国家らしく好みの違いがはっきりしている

マレーシアは複数民族国家ですから、流行歌、映画、スターなど娯楽面の好みもその民族毎に相当違います。筆者は熱心なマレーシア芸能・音楽ファンではありませんし、そういった情報に精通しているわけでもありません。しかし、あまり好きでないからとか興味ないから全く聞かない、ということではありませんよ。マレーシアの様様な面を伝える者として、それなりの興味はあり、時には華語雑誌を買って眺めたり、書店でマレー娯楽雑誌を立ち見したり、新聞のマレー音楽解説記事をかかさず読んでいます。さらに筆者の毎日聞いているラジオ局からは地元華語音楽は頻繁に流れてきます。

単なる趣味で聞くのでなくマレーシアを伝える者としての観点が主なので、好みの華語音楽だけでなくマレー音楽にも眼を向けるようにしています。これは結構大変なことで、めったに聞かないとか顔を写真でしか見たことのない歌手の名前を覚えるのは楽ではありません(VCD機を持っていないので姿、顔がわからない場合がある)。さらにCDを買って聞き比べるようなことも経済的に不可能です。このためある方面だけのエスニック音楽ファンやある個人歌手のファンからいえば物足りない評論・解説ですが、このような舞台裏だということをあらかじめお知らせしておきます。

尚西欧ポップス及びロックは世界多くの国で人気を持っていますから、マレーシアもその例外ではありません。海賊版を含めてカセット、VCD類はほとんどのミュージックショップで簡単に入手できますし、選択も非常に多いようです。ただこのコラムでは、それらはマレーシアの音楽ではありませんし、西欧ポップスに関して筆者はとても語るほどの十分な知識はありませんので一切触れません。

{マレー音楽界}
マレー歌手・グループを列挙

多数民族のマレー人は当然マレー芸能人・歌手を第一に好みます。人気あるマレー歌手・グループを人気順不同で上げれば、Siti Nurhaliza、Erra Fazira、Ella, Sayfinaz, Ning Baizura, Nora, Zaiana Zain, Amy Mastra, Aisha, Nora, Shima, Sheila Majid, Camelia, Noraniza Idris,Juliana Banos 以上女性歌手 ;Awie、Amy, Ajai, M.Nasir, Shawn, Iwan(ダンドゥット) 以上男性歌手;KRU, Indigo, XPDC, X-Factor, Innuendo, Kamaikaze, Raihan, Aboi, Kool, The Brothers, A to X, Elite, Feminin 以上グループ、のようになります。(漏れている歌手・グループもあるでしょうが、あしからず)

筆者は以前から気がついていたのですが、男性人気ボーカル歌手は案外少なく、その替わりかどうかは知りませんが、KRUに代表されるように男性はグループが多いのです、リスト中EliteとFemininだけが女性グループです。どうしてこういう傾向なのかは興味あるのですが、残念ながら筆者にはわかりません。上記にあげた歌手以外にもAnita Sarawakのようなベテラン歌手もいますが、ホットな歌手・グループという観点で列記してあります。

芸能マスコミもそれなりに発達しており、といっても日本のようにワイドショーであることないことのゴシップが伝えられるようなことはありえませんが、こういう人気者の写真とゴシップと近況を伝えるカラフルなマレーシア語の娯楽・芸能雑誌が何種も発行されています。若者向けや女性向雑誌にも当然スターの話題や写真が載ります。このあたりはマレーシアであれ日本であれどの国でも同じでしょうね。新聞はマレーシア語高級紙であるUtusanとBurita Harianは別ページ刷りで芸能ニュースを伝えていますが、量的にそれほど多いとはいえません、なんと言ってもそういう話題が多いのはタブロイド版の大衆紙ですね。

マレー人はボリウッドスターも好む

マレー人間にはマレー歌手・俳優に加えて、インドのボリウッド映画スターファンも結構いるようで、その証拠にヒンズー映画・音楽VCDがマレーミュージック主体ショップにいろいろと置いてあり、映画VCDにはマレーシア語字幕付きが多いのです。マレー芸能・娯楽誌にはマレー芸能人に混ざってShah Ruhk Kahnのようなボリウッドスターの写真がよく載っているし、映画館で上映されるヒンズー映画にはマレー人観客が割合多いのです。ボリウッドスターの人気の高さはインド人街にあるボリウッドスターのカセット、VCDが目白押しのミュージックへいくとよくわかります、そこで買い物している客にマレー人を見るのはごく普通です。一方華人の姿を見るのは珍しいですよ。

広い意味では同類になるインドネシア人歌手はマレーシアでもそのカセットなどが大抵のマレーミュージックショップで売られていますから、ファンがいるのは間違いありませんが、ただこれの購買層はインドネシア人主体ではないかなと思っていたら、そうでもないようですね。先日タワーレコードへ行った時、インドネシア歌手のCDがマレー語部門のベスト20にいくつか入っているのに気がつきました。それにAIM賞にはBest Indonesian Albumの賞があるくらいですからね、ただそれをAIMに含めることに批判的な声もあるそうです。

インドネシア調の音楽種として伝統的なDangdutがマレー人に人気ありますね。マレー歌手に混じって、インドネシア人歌手も少ないながらマレー歌謡界で活躍しているそうです。いずれにしろ筆者はその種の情報に疎いので、マレー音楽界に占めるインドネシア歌と歌手の人気、売上実情をよく知りません。

注:AIMとはマレーシア一の権威あるAnugerah Induastri Muzik マレーシア音楽産業賞の略称です。「AIMの基本はマレー音楽、つまり地元マレー音楽に栄誉を与えることです。これを忘れてはいけない」とマレーシアレコード産業RIM会長の言葉です。

上のようなマレー雑誌に華人芸能人の話題もないことはないようですが、筆者の垣間見る限り香港スターのヤングアイドルの写真と話題がたまに載るぐらいで、ボリウッドスターに比べればはるかに少なく小さい扱いですね。

今年の音楽産業賞の結果

さて4月15日クアラルンプールで、AIM2000の受賞発表イベントがテレビ生中継も交えてありました。これは99年に活躍したマレー音楽界と地元英語音楽界からAIMにふさわしい受賞者を発表するイベントです。いわばマレーシア版のグラミー賞かな。今年の特徴は英語音楽界から新しい人材が目立っていることだそうです。

賞の名前歌手又はグループ名受賞対象曲又はアルバム
最優秀新人Shawn Baharin
最優秀男性歌手M.NasirSrikandi Cintaku
最優秀女性歌手Siti NurhalizaPancawarna
最優秀ボーカルグループRaihanSenyum
最優秀エスニックポpップアルバムSiti Nurhaliza & Noraniza IdrisSeri Balas
最優秀ダンドゥットアルバムMas IdayuRuslan Mamat
最優秀ロックアルバムAmyAku
最優秀ポップアルバムSheila MajidKu Mohon
最優秀英語アルバムJuliet the OrangeJuliet the Orange 同名
最優秀英語新人歌手Juliet the Orange
最優秀インドネシアアルバムGlennGlenn同名
最優秀ソングSheila MajidKu Mohon
最優秀アルバムSiti Nurhaliza & Noraniza IdrisHati Kama
Sri Wirama賞(長年の活動への功績)Sahrifah Aini


このAIM賞の選考に批判的な声ももちろんあるうようで、ある業界のベテランは、「Butterfingersがよく売り上げていると皆が知っている、誰がこの賞の推薦をしているのでしょうか?その人はある種の好みでやっているのかそれとも市場を知っている人なのでしょうか?」と疑問を投げかけています、Butterfingersはもっとも安定したロックグループだそうで、アルバム"Transcendence" は4万枚を売り上げたそうです。また別のレコードプロドゥーサーは、「アルバム売上を基準にしたら、今回の受賞者の幾人かは受賞対象から外れます。Sheila MajidのKu Mohonはわずか12000枚しか売れていない。Shawn BaharinのMelodi Hatiも同じような数だ。」 「今は新世紀だ、若い者が出てきたのです、Jason Lo, Manterra, Syafinazらにチャンスを。彼等がファンの好みです。今晩のAIM2000の会場の雰囲気からわかるでしょ。」と言っています。

なるほど、賞なんてものは当然その選び方に満足いく側とそうでない側に分れますから、こういう批判も当然でしょう。筆者にこの当否をコメントする知識はありません。ところでマレーシアのアルバムの売上枚数って誠に少ないですね。わずか12000枚で賞とはね。たしか5万枚売上で、AIMとは関係ありませんがゴールド賞とか呼ばれますからね。マレーシアは総人口の少なさの面からと常用言語が分れることからいって、日本のように売上数何十万枚、時には100万枚を超えるようなことはありえません。

マレー音楽界は比較的恵まれている

マレー歌手はラジオ・テレビに登場する紹介される機会は他の地元民族歌手に比して抜群に多く、筆者はマレー歌手・グループは恵まれているとは感じます。ただマレーシア一般に芸能文化活動に、特にムスリムであるマレー歌手には何かと当局の見えない規制と指導があるでしょうから、破天荒な芸能人はでっこないし、歌の内容もそうだと想像します(一つ一つの歌詞を調べたことないのであくまでも想像ですが)。これで思い出すのは、ずっと何何年も前のことですが、当時の文化大臣がマレーロックグループの長髪でのテレビ出演を批判し、しばらくそういうグループはテレビ出演できなかったことがありました。

蛇足ですが、ほとんどのマレー歌謡が恋愛歌であるようですから、100ぐらいの歌の歌詞を調べてみるとマレー人の恋愛感、交際感覚がわかって興味深いと思いますよ。日本の歌謡曲の歌詞を時代を追ってみていくと面白いようにね。マレーシアか日本でマレーシア語専攻されている学生諸君でそういうことやってみる人いないかなあ。

ロック、レゲー系の歌手だけでなく一般的マレー歌謡の歌手・グループでもそうですが、マレーシア全土でその音楽活動ができるかというと、そうではないのです。PAS党が圧倒的に強いクランタン州、トレンガヌ州ではマレー音楽界の人気者のコンサートは、Nasyidグループを別にすれば、まずできない(はず)のです。この両州だけでなく、先日ケダー州では人気ロックグループのXPDCのコンサートに反対がPAS党からでたし、ずっと以前はロックグループのコンサートがキャンセルとなったこともあります。

マレー語圏以外でマレー歌手の活躍はあるか

マレー歌手が海外で活躍することはこれまでにありませんでしたしこれからもあまり期待できないでしょう。もちろんシーラマジッドが以前日本で紹介されたり、KRUが米国進出をしようと試みたことはありますが、成功したとは誰も言いません。極わずかのアルバムが外国市場で売れてもそれを海外市場進出とはいいませんからね。ましてそのグループが外国でテレビに常時出演する、ある程度の規模のコンサートを開くなんてことは、あくまでも筆者の推測ですけど、広義マレー語人口の存在するシンガポールとインドネシアを除外すれば今後もないと思います。

現在のマレー音楽界では、Siti Nurhalizaがそ歌唱力と可愛さでたいへんもてはやされています。ほとんどのマレー娯楽雑誌に毎号彼女の写真や記事が載っていますよ。うまく売り出せばひょっとして日本でもいけるかもね、でもそのためには彼女は日本にベースを移さなければならないでしょう、そんなことはマレー音楽界が許さないでしょうから、結局は無理だと筆者は思いますね。つまりマレー音楽はやはりマレーシアの中でというのが、これからもそのありかただとと思います。

マレー音楽ってどんな音楽?って方も、マレーシア旅行ではそのマレー音楽と歌手を多少は聞き味わってくださいね。テレビでよく放送しているし、ミュージックVCDならショッピングセンター、夜店などいろんな所で入手できますからね(RM10からRM40くらいまで)。一方マレー音楽の熱心なファンの方なら、筆者よりはるかに音楽そのものに詳しいことでしょうし、個々の歌手・グループに関して意見をお持ちでしょう、そんな方からの意見発表もお待ちしていますよ。



おおまかにマレーシア音楽事情を眺めてみる - インド人音楽界編-


存在感のないインド人音楽界

インド音楽は大部分がインドからの輸入で、マレーシア独自のインド音楽界は存在はしてもそれが独自の分野を作るにはまだ至っていない状況のようで、一般に芸能雑誌もマレーシアのインド音楽にはほとんど触れません。発行部数の極少ないタミール語雑誌もありますが、その内容にはいくら筆者でも手が出ないので、筆者の購読又は調査対象から全くはずれます。現実に地元インド人音楽家でスターと呼ばれる地位を持っている人はいませんし、インド人以外に、例えばマレー人間、華人間にそのファンが広がることは考えられない。試みに皆さん知り合いのマレー人、華人に聞いてご覧ください、「(インド映画の都である)ボリウッドでなくインド系マレーシア人歌手の名前を挙げらますか?」ってね。名前を挙げられる人はまずいませんよ、インド系テレビ俳優は別にしてです。

こんなことを書いていたら偶然4月21日の英字紙The Satr に、インド音楽に相当詳しいと思われるインド系マレーシア人記者のマレーシアのインド音楽事情解説記事が載りました。そこで下記にそれから大幅引用しておきます。

インド系記者のインド音楽界分析

(マレーシアのインド人には)自分たちよりずっと傑出したインドの芸能界から持ってくるという自己の習慣があるのです。一方マレーシアのインド人文化アイデンティイティを作り上げることにあまり努力がなされてこなかったのです。クラッシックな分野で音楽家とダンサーを養成していくとの目的がようやく生まれ始めているのです。ただそれを産業として見るにはあと5年は必要です。しかし大衆音楽文化の面ではこれはまったく違います。
ミュージック面では、多くの規制にもかかわらず興奮と期待を伴った息ぶきが出ています。マレーシアインド音楽はこの5年育っているのです、今やそれを認める段階になっているのです。しかしマレーシアのインド音楽家は大きな存在ではありません。

彼らの文化アイデンティティを自分のものといえるようになるにはあと数世代必要でしょう。彼らの苦境を考えると、インド人コミュニティーにとって唯一の情報と娯楽の24時間ラジオ放送であるRTM第6局が必ず加わらなければなりません。悲しい事実は、このラジオ第6局は地元インド音楽家をなにか分離したものと見ていることです。これは地元インド音楽家が長年出会ってきた困難さと同じです。例えば彼らは純正なタミール語で歌を歌うことという要求を受けるのです。

マレーシアのインド人歌手、作詞家、作曲家、音楽関係者40人ほどが昨年6月一堂に会して、協会を組織することを決めました。それが準備段階であるIndian Recording Industry of Malaysia( 略称 Irim) です。この協会はインド人音楽に関わる全てを一つの協会にまとめようとしています、すでにその存在を国家登録庁に申請しています。ある準備委員会委員は、「首都圏からだけでなくそれ以外からの者も Irimに参加するでしょう。」 「昨年の初めてのマレーシアインド音楽産業賞は大きな進歩の一つでした。これは現存するインディアン市場の存在を知らしめるものです。」昨年このIrimの呼びかけで国内のトップ級のインディアンミュージシャン8組が99年8月クアラルンプールでコンサートを開きました。「我々は独自の賞イベントを計画したいのです。でもそれにはまだ不充分です。」

97年と比べて現在のインド音楽の販売網の増加は産業が伸びた証拠です。3年前は二つしかなかったのが、現在5つの販売組織が市場にあります。さらに世界のインド音楽界に大きな販売力を持つインドのRPG会社が、マレーシアインド音楽の初の契約バンドとして5人組のLock-upを昨年末選びました。Lock-upの最初のアルバムOle, Ole,Ole は2月発売でマドラスで15000枚を売りました、マレーシアではこのアルバムはすでに昨年からで70,000枚売れています。Lock-upは結婚式や誕生日パーティーをこまめに周り、こうして売上たのです、マスメディアの紹介はほとんど無かったのです。

タミール語新聞と雑誌の支持はまだ不充分です。「アーティストに何かニュースがあってもタミール語メディアはすぐ報道しません。」と前出のIrimの幹部。また民営テレビ局ntv7の番組Rhythm 'N' Talam はその番組製作と同じロダクションのアーティストのミュージックビデオしか放映しません。

Intraasia注:タミール語の新聞は2種あるが、どれも発行数は数万部程度でしょう、いくつかある雑誌も部数は相当少ないはずです。タミール語出版物を売っている置いている書店、キオスク自体が極限られている。

国内のプロダクションはテレビ局に番組制作に俳優、プロドゥーサーなどの面で協力していますが、音楽は地元インド音楽を使えません。関係者は地元インド音楽を使ってくれるように訴えています。98年に衛星放送AstroのインドチャンネルがLock-upをDeepavaliの機会にライブ出演させました、それが今日これまでテレビに出た地元インド音楽の唯一の生演奏です。

マレーシアインド音楽はキーボード1個の製作で若者だけを対象にしているという思いこみがあります。音楽家はサウンドトラックアルバム発売においてもっと幅広い層を対象に広げるべきだと要求されます。しかしこれには相反する意見もあるのです。

マレーシアインド人タレントが可能性を秘めているにもかかわらず、ショープロモーターはインドから芸能人を呼んで金をもうけているのです。ある有名プロモーターはインド有名スターのマレーシアコンサートで地元インド人が演奏する機会を全く与えませんでした。「その理由が、地元ミュージシャンはパートタイマーだからというものでした。これは大変ふざけた理由です、10年前ならいざ知らず現在では多くのインド系ミュージシャンが職業ミュージシャンなのです。」

ミュージシャンはインド人向けのRTMラジオ第6局にいろいろと注文をつけています。その中の一つを紹介しましょう。96年から98年に全国的タレント発掘番組がありました。こういう場合マレー音楽界では優勝者はレコード会社と契約します、しかしRTM6局の場合インド人は現金を受けて終わりなのです、と不満が述べられています。

「聴取者に地元インド音楽への支持不足の責めを言うつもりはありません。我々音楽家が彼らに無理に我々の音楽を聞かせる権利はない。我々が聴取者にお願いするのは、その態度を変えて欲しいことです。試しに我々地元インド人音楽を聞いてください。」

上記で触れられているLock-up以外にマレーシアのインド音楽界で知られている歌手・グループには、レゲー調のBy God Knows, インディアン系若者にはいまさら紹介する必要もない The Keys があります。このバンドはマレーシアインド音楽のアルバム売上、商業的価値の標準をつくったのです。ほかにフォークロック調の5人組のThe Weilersがあります、このグループは次ぎのアルバムではマレー市場も狙うそうです。The Keysの活躍が若いミュージシャンに影響を与えました。


以上その記事から要約又は抜き出して翻訳しました。Intraasiaは地元インド人音楽界を批評する資格はありません、あくまでもこういう記事の受け売りを主とし、さらに自分でミュージックショップなどを観察したことに基づくものです。なぜなら、スターのそこがいいとかきれいなメロディーだなとかのファンの印象記程度なら別ですが、中国語が全くわからなくて華語音楽を、マレーシア語を知らずにマレー音楽を批評する、論ずるのが全くナンセンスであるのと同じく、タミール語を全く話せない筆者が地元インド音楽を批評できませんからね。

批評はできないから観察を述べましょう

ただこうして見るとマレーシアインド音楽はだ発展途上にあるというより、発展前の場を求めている状況ですね、この項の最初に筆者が概観したマレーシアインド音楽の知名度と力不足はやはり誰でも認めるところだと思います。ミュージジックショップを周った筆者の観察から言えることです。例えばクアラルンプールの有名なインド人街にあるミュージックショップで地元インド音楽のカセット、VCDを探してみました。何軒もあたてようやく見つけたのは、地区でも最大級のショップです、インド音楽とボリウッド映画のVCDとカセットがずらっと並べてある中で、地元インド音楽の数は恐らくその数パーセントにもなりません。インド人が最も集まる地区の一つであるにもかかわらず、地元インド音楽は所詮そんな扱いなんですね。

インド人がマレーシア総人口のわずか8%ほどしか占めていないし、且つその全てがタミール語話者でないということがあり、こういうことから地元インド人ミュージシャンが全国的スターになるチャンスはありえませんね。
地元華語音楽が華人に広がる状況に比して地元インド音楽がインド人社会に広がる道はかなり険しそうですね。ラジオ・テレビ局に関する限り地元華語音楽は華語番組の中で相当なる紹介をされています、さらに聴取者が香港・台湾音楽”だけ”を好むと言う傾向は少ないのですよ。

いずれにしろ、インド本国のコピーでないマレーシアインド人独自のミュージックに育って欲しいと筆者も思います。

地元英語音楽界に新台頭

今年のAIM2000マレーシア音楽産業賞で相当なる割合で各賞候補になり、地元英語部門だけでなく、共通部門であるBest Music Videoでも賞を獲得したマレーシア製の英語音楽は昨年からぐっと力をつけてきたそうです(筆者は全然知りませんでしたが)。AIMでシーラマジットと並ぶ5部門に候補者となった女性二人組Juliet The Orange, 最優秀地元英語歌手兼アルバム候補になったJason Lo, Best Music Video賞を獲得したPoetic Ammoなどが、台頭する地元英語音楽界の新スターだそうです(筆者はかれらの曲を全く聞いたことも実際に見たこともありませんので、解説記事からそのまま引用しておきます)

ボルネオ島部の先住民族音楽界のニュースは伝わらない

最後にマレーシアの半島部居住でない少数民族の音楽です(いわゆる伝統民族音楽のことではない)、これに関して筆者は論ずることは全くできません。半島部でこれらの音楽を聞く機会はまずないし、ミュージックショップでもどの棚においてあるか探すのが難しいのです、それ以前に売っている店を探すほうが難しいと思いますけど。タワーレコードでさえ見つからなかった。

第一イバン語なりカダザンドゥスン語がある程度わからないとこれらを聞いて評すこともできません。その評論を読むこと自体が難しいのですが、マスコミにそういうエスニック大衆音楽の評論が載ることさえ極めて極めてまれです。

従って筆者の持っている知識はごくわずかなものです、サバ州の少数民族カダザンドゥスン族とサラワクのイバン族の歌手はもちろんいます。例えばAIM2000のベストボーカルグループ候補にもなったMoinはイバン族で、イバン語のアルバムも出していますが、これが他の民族に売れ広がることは考えられない。カダザンドゥスン語の音楽カセットがカダザンドゥスン族以外に売れるとは考えられません。普通サバ州サラワク州の少数民族出身歌手は全国的活動を目指せばマレー語音楽界か英語音楽界に属することになるでしょう、例えば美人歌手のCameliaがその例ですね。



おおまかにマレーシア音楽事情を眺めてみる −華語・華人音楽界編 -


華語・広東語テレビ番組の現況

さて目を華人に移しましょう。マレーシアでは地元プロダクション製作の華語テレビ番組用の華語連続ドラマは毎週数1、2種類放映されており、それなりに視聴率はあるようで、夜の人気時間帯にも放映されることがあります。しかしやはりテレビの華語番組で放送される連続ドラマは香港製がずっと多いのです、台湾製はぐっと少ない。それに華語の映画が地元で1本も製作されていないことから、ハリウッド映画ファンを除けば、俳優のなじみ度・人気度では完全に香港俳優が地元華人俳優を圧倒します。尚これに対してなぜ(マレーシアの学校で教えない)広東語の香港番組をそんなにいつも放送するのだ、という不満が華人の中からよく表明されています。

Intraasia注:ここでいう華人とはマレーシア国民で民族としては漢民族である中国系マレーシア人を総称する呼び方。地元華語新聞は”華裔”という単語を一番頻繁に使うが、これだと日本人読者には意味が通じないので、日本語文章の中では華人の方がいいでしょう。筆者もできるだけ華人という単語を使います。
彼らはもう自分たちを中国人とは呼びません(もちろん今だに古い意識を捨てられずそう言う人もいるが)。地元華語新聞で中国人という単語を使う場合は中国の国民を指す。マレーシア華人に対して”華僑”などといった時代錯誤の呼び方は絶対すべきでない。

華語とは日本でいう中国語のこと。英語ではMadarinと呼ぶ。華語も広東語も福建語も漢語に属する同属言語であるが、相互の違いははなはだ大きく、取得しないと相互理解はできない。

華人向けの華語・広東語テレビ番組製作の中心であるHVD(プロダクション)にも何人もの香港俳優が働きに来ているそうです。香港の連続TVBドラマやバラエテェ番組が毎日夕方のゴールデンアワーに放送されていることを見ただけでも、香港製娯楽番組は華人間に人気が依然として高いのです。

注:HVDはテレビ番組など作製する華人社会間の最大総合芸能プロダクションです。所属タレントには下記示すそれなりに知られた俳優がいます。
Alice Yap Lai Yee, Louise Gan Lu Geok, Loo Aye Keng, Lee Ting, Cindy Po 以上女性俳優, James Wong Chee Keong, Alvin Cheong, Ivan Cheng, Ken Choh 以上男性俳優
HVD製作の華語のテレビドラマは華語社会を抱える国にも輸出されているようです。


健闘する地元歌手、でも

歌謡曲の分野では(順不同)、巫啓賢、阿牛、山脚下男*、年少、光良品冠(最近解散)、関徳輝, 夏日風菜、戴Penny、周翠玲、ケ智彰、郭美君、張澤、林徳栄 などの地元華人歌手が相当健闘はしていますが、それでも香港と台湾の歌手が毎週のランキングの相当部分を常に占めています、つまりランキングに入る地元歌手はいてもその数が香港・台湾歌手を上回ることはまずありません。アイドルという範囲でも地元歌手はこれら香港・台湾芸能人にはかないません。東南アジア諸国の中で華人の総人口に占める割合がシンガポールについで多い国なので、マレーシアでは頻繁に香港、台湾の人気歌手のコンサートが行なわれます。今年になってだけでも秀文、富城、黎明,陳小春、伍百、陶*などのコンサートがありました。そしてそのほとんどが満員だったそうです。

日本人スターの記事は地元スター記事を上まわる

マレーシア華人にとってスター又はアイドルである歌手・芸能人はまず香港スター、ついで台湾スターぐっと落ちてマレーシア華人スターという順番でしょう。わずかながらシンガポール人歌手もいます。華語の娯楽・芸能雑誌は何種も出版されていますが、それにマレー歌手・芸能人が載るのは極めて珍しく、ボリウッドスターはさらに載りません。内外の華人に次いで記事と写真になる量が多い俳優・歌手は日本人なのです!最近ではハリウッド俳優の扱いを上回っています。華語の各種芸能雑誌の表紙写真に日本人歌手・俳優が載る事はもう全く珍しくなくなりましたし、表紙の見出し記事にも、日本人スターの話題がしょっちゅう大書されるのです。その種の雑誌を見ていてて驚くことは、日本人テレビ・俳優の話題と紹介のほうが、地元マレーシア華人俳優の紹介と話題よりはるかに多いということです。

筆者は時々華語の芸能娯楽雑誌を買います、投稿者の年齢を見ると購読層は10代半ばから20代半ばまでというところでしょう。筆者はそんなに若くはないこともあって(心と外見は意外と若いのです−独り言)、特定の芸能人自体のファンということはありませんが、でもできるだけ広い分野に通じておこうと、こんなヤング向け雑誌にまで眼を通しているわけです。片方で政治経済事象を環境問題を女性問題を解きながら、方やアイドル雑誌でヤングスターの話題を追うのです。(マレーシアを伝えるのまこと容易ではないのだ−これも独り言)

華語アイドル雑誌のアイドル人気番付

手元にある地元華語雑誌があります、書名を”録音 偶像(アイドルの意)”といい、値段はRM3で毎週発行、もう何年も前から発行されている多分老舗の芸能情報誌です。その中にアイドル人気投票というのが載っています。中国語圏芸能界から男女スター・アイドル各50人を候補に上げて、その人気順序を知る試みです。読者が専用有料電話番号に電話して男女各3人を選ぶ仕組みです。マレーシアヤングの華人スターの好みを知るには都合がいいと思いましたので、下記に書き出してみましょう。

注:中国語漢字が表示できない部分は*とするか、またはよく似た日本漢字で代替してあります。

王菲、鄭秀文、張恵妹、趙薇、林心如、梁詠*、陳彗琳、林暁培、李*、陶晶蛍、張柏之、莫文尉、李心潔、徐懐*、楊千樺、許茹芸、スーチー(漢字が表示できない)、宣葦、郭可盈、張可願、朱菌、容祖児、慮巧音、蔡少芬、楊恭如、徐若宣、邵美*、陳彗珊、范暁葦、李嘉欣、林憶蓮、梁静如、趙学而、楊紫*、張曼玉、蘇彗倫、范文芳、袁詠儀、劉嘉玲、梅艶芳、許美静、陳潔儀、彭佳彗、関詠荷、李彗敏、深田恭子、藤原紀香、酒井法子、広末涼子、松隆子

なんと50人中マレーシア人は俳優の楊紫*だけです、しかも彼女は香港映画で名を成しハリウッドで映画にも出演したのですが、マレーシアではまったく活躍したことがありません。ほとんど香港と台湾の歌手又は俳優で、数人のシンガポール人がいます、そして日本人が5人も入れられてますね。これじゃまるでマレーシア華人歌手と俳優は存在しないみたいですが、そうではなくて、アイドルとは見られていない又はアイドルにはちょっと不充分と考えられてはいるということでしょう。興味深い現象です。

訂正:梁静如と李心潔はマレーシア華人だそうです。活躍場所が台湾なので見落としました


この理由を考えてみました

マレーシア華人女性歌手は知られているだけでも10人近くはいるでしょう、比比、夏日風菜(二人組)、謝碗*、郭智彰、Penny戴など。彼女等の音楽はこれからもある程度売れるでしょうし、さらにこれからはもっと女性歌手の数が増えていくと思います。しかし彼女たちが香港、台湾の歌手俳優のようにアイドルとしての座に加わる可能性は低いでしょうね。なぜならそれがマレーシア華人の風土にあるからです。

芸能人はどこの国でもそうでしょうが、華やかである種の憧れをヤング層に抱かせます。それを作り上げるのがマスコミですが、マレーシアの華語マスコミは穏やかですから、大きなゴシップや女性性つまりセクシーさを作り上げないのです、且つそういう芸能マスコミを許さない雰囲気がマレーシアにはあります。さらにその対象となりうる彼女ら自身にもそういった虚像にあえて兆戦する人はなさそうです、彼女たちは皆良い娘なのです、セクシーさを強調したり遊びまくったりという華やかさをマスコミは演出できないし、一方彼女たちはそうしませんし、できないのです。

つまり作られた虚像を演出できないし且つ演じられないという両面がマレーシア華人社会にはある、これではとても台湾・香港のスターには華やかさという面ではかないません、音楽的にはある程度かなってもです。スターもアイドルも若者に夢と憧れを与える存在です、うそでも虚像でもいいのです。その面が欠けるマレーシアでヤング女性アイドルが育たないのはこのような理由からだと、筆者は分析しています。

男性アイドル候補には地元華人も並ぶ

同雑誌に載せてある男性アイドル候補50人のリストでは、女性アイドルの場合と同じく香港・台湾のスターが多数をしめますが、こちらにはマレーシア歌手の名前が載っており、王光良、黄品冠、山脚下男*、阿牛、関輝徳の5人・組です。尚山脚下男*はグループです。多少は面目をなしているというところかな。(訂正:動力火車をマレーシアとしたのは間違いでした)

女性アイドル候補にマレーシア華人の名前がなくて、男性アイドル候補にマレーシア華人の名前が並ぶというのは、上記で説明した理由に加え、マレーシア男女華人歌手間の人気と実力の差を物語る面もあります。これまでに相当名を成している華人歌手は、台湾で成功した巫啓賢と光良品冠(最近解散)、と台湾にも進出した阿牛で、いずれも男性です。女性ではいませんね、ごく最近になってPenny戴が台湾で名を売り出していますが、今後はまだわかりません。

地元歌手創作曲コンテストを見に行きました

4月末の土曜日、筆者は地元華人歌手の創作曲入賞候補発表会”2000娯協奨”を見に行きました(下の写真、2階から撮ったので焦点が甘い)。3月末に演奏ステージ付きのレストランで行なわれた予選段階の発表会も見に行きましたが、今回は入賞曲候補発表会なので、クアラルンプールの大きな有名ディスコを会場としていました。観客は予想通りほとんど20歳前後の男女です。もちろん華人ばかりで、マレー人やインド人の顔は筆者の見た限り一人もいませんでした。数にすれば数百人というところでしょうか。

注:2000娯協奨とは地元華人音楽関係者と報道陣の団体娯協が主催する地元華人音楽界の賞で、地元華人歌手・グループのオリジナル曲を10曲選んで賞を決定する場です。1988年に開始されて現在は二年に一度開催されているそうです。今年の2000娯協奨には98年と99年に発表された117曲の応募があり、今回の発表会で20曲を入賞候補に選んで発表されました。この2000娯協奨は歌手を基準にするのでなく曲を基準にしています、だから光良品冠と年少はそれぞれ3曲が入賞していました。最終的にベスト10曲の決定は7月に行なわれます。

この入賞20曲の発表会を共催しているのが華語・広東語ラジオ局麗的FMで、そこの有名DJ文康が司会を務めました。さらに各中国語新聞や華語雑誌が取材に来ていました。参加していたのは地元華人音楽界の有名からあまり知られてない歌手まで結構集まったようです。その曲が入賞してステージに上がった歌手では、有名な阿牛、光良、年少(男子二人組)、山脚下男*(男子3人組)から、ちょっと知名度が落ちるがそれなりに知られている張智成、謝碗*、張澤、ケ智彰、周翠玲などがいました。筆者は華語雑誌で名前を知っていた歌手と、3月の発表会で見た顔もあったので、所用で欠席した歌手を除いて初見という歌手グループはありませんでした。ただその歌を生で聞いたのは初めてという歌手・グループもありました。


左:女性歌手謝碗* その隣は司会、中:年少、右:入賞曲の歌手一同の写真(ショートパンツ姿が阿牛)

筆者の地元歌手への批評

誰が人気あるかは観客からの反応で案外わかるものですね。阿牛と解散した光良品冠の一人光良はやはりその中でもトップクラスのように感じました。阿牛は台湾にも売りこんでいるそうですし、光良品冠はもっぱら台湾で活躍していたのです。しかし全体に熱狂的な応援なり声援は全くなかったのです、コンサートと違うからなのかそれとも上記二人以外はこれが普通のファンの状態なのかもしれません。

3月の発表会に加えて、今回筆者は最初から最後まで二時間半観察した、別に楽しんだわけではないのでこう言ったほうが適切ですな、その結果次ぎのようなことを発見しました。マレーシア華人間の催しの常で全ては華語で行われているので、華語は読めても聞き取れない筆者には話内容がよくわからず残念でした。

地元華人歌手の発表歌は言うまでもなく全て華語曲ですが(広東語曲はほとんどない)、ほとんどの歌がメロディーが非常にきれいな調子であり、いわゆる広東ポップ調はない。男性歌手の多くが光良品冠タイプのきれいなメロディー曲を歌っていました。

女性歌手の曲が選ばれたのは4曲で、各自1曲でしたのでつまり4人の女性歌手が入賞の中にいました。この発表会の様子を見てもやはり、地元華人歌手界は男性優位に感じました。女性歌手を聞き見ても、彼女たちがアイドルの存在にはほど遠いなというのが筆者の感じでしたし、事実若い観客からの熱狂的な声援はありませんでした。

どの歌手及びグループも若い、そして観客層も尚若い、恐らくこれがマレーシア華人のヤング華人歌手の特徴であり良い点であり且つ弱点でもありますね。これから発展する可能性はあるが、30才以上の比較的年齢層の高いファン層を獲得するにはまだまだ魅力がたらない、正直言って難しい。いい曲だなと思ったのはあってもそれが筆者のような年代には浸透しずらいでしょうね。つまり本当のヤングだけに受けるかもしれないが、それではラジオを聞く幅広い年代層の視聴者には不充分です。

彼らのステージ態度と歌を聴いていて感じたのは、これでは有名な香港・台湾の同年代の歌手、例えば陳小春、梁詠*、陳彗琳、張恵妹、らにはとても適いませんね、ということです。マレーシアでちょっと知られた程度の歌手を有名な香港歌手に比べるのは適当ではありませんが、彼・彼女らの存在に近づくにはやはりマレーシアという地だけでは無理ではないでしょうか。だから巫啓賢も光良品冠も台湾を活躍場としている、していたし、阿牛は台湾進出も図っている。

華人歌手界は香港・台湾のそれとは別の世界

なぜなら、アイドル・スターという存在は虚像であらねばならない、そしてそれを作り上げるマスコミが存在しなければならない、ということです。ファンはマスコミに踊らされる且つそうされることを好むものです。スターはマスコミを利用しますます虚像を売りこんでいきますね。しかしマレーシアの華語マスコミはそういうことをしない、地元華人の虚像をあえて作ろうとしない。むしろそれ以前に彼ら地元華人歌手に虚像にふさわしくなる歌以外の面での魅力が欠ける、例えば男女関係のゴシップを撒き散らすほど話題性がない。万一たとえアイドルを目指したとしても、地元華人歌手らはそういうことをしないでしょう。だから地元華語マスコミは依然として香港・台湾のスターの話題を満載した娯楽ページを作っているのです。読み物としてはやはりその方が面白い、地元華人歌手の話題主体では、誌面がつまらなくなるし、読者を十分引きつけられないのでしょう。

もちろん地元華人音楽界が香港型にならなければならないということは全くありませんから、このまま清純で健康的なイメージの歌謡界であるのもそれも一つの選択ですし、それはマレーシア華人が決めることでしょう。阿牛が半ズボン姿で歌い、女性歌手がジーパンに半そでジャケット姿で歌うのもいいかもしれません。それもマレーシア的ということですね。



マレーシア人の交通に関わるこんな態度にがっかりする


クアラルンプールだけでなくマレーシアの都市部ならたいてどこでも目にかけるでしょう、国産自動車に混じってたくさんの高級輸入車が走っています。高級車の総数そのものは日本の路上のほうが当然多いですが、一般自動車に占める比率からいうとマレーシアの方が高いかのように見えます。高級車の代表はベンツですよね、日本から始めていらっしゃる方は、ずいぶんベンツが目立つと言う人が多いのです。新車総販売台数に占めるベンツの割合は1%にも満たないにもかかわらずそれほど目だって見えるというのは、それだけベンツ車はクアラルンプール周辺に集中しているということでしょうね。

20万リンギットの車に乗りながら2リンギットをけちる

さてこのベンツ、安いタイプでも日本円に直せば500万円近くはするたいへん高価な自動車です、国産車プロトンなら1600ccで150万円から200万円です、その超高価なベンツに乗りながら、駐車料金を踏み倒したり駐車料金がかからない駐車場の脇や裏通りの曲がり口、住宅の目の前に留めているオーナーがよくいます。駐車料金は低所得者には結構負担の1時間 R2からRM4ですが、販売価格RM15万からRM20万もするベンツに乗りながら、数リンギットを払いたくない、払わないこの種のベンツオーナーを見ると、その心の貧しさに悲しくなりますね。あの大きな車体で通りや出入り口付近に停めるので、路はふさがるし歩行者には邪魔です。こういう心の貧しい彼らの信条ってナンなんでしょうね。

数年前クアラルンプールから駐車料金徴収メーターが消えた

この駐車場ですが、クアラルンプールだとビル内に多い私営駐車場、公有地の公共駐車場又は駐車帯に分れます。公共駐車場・帯でも通常は私企業にその管理を委託していることが多いのです。問題は道路端に黄色い線を引いて区別した設けた駐車帯です。以前この駐車帯はコイン式の駐車メーターが設置されていました。日曜休日を除く朝7時半頃から夕方6時頃までかな、そこに車を停める場合は駐車料金を払いなさいという仕組みですね。といっても払わない人も多く、市の交通部係官が駐車代未払いで違反切符をワイパーに挟んでいるのをよく見かけました。(交通警官は駐車違反などを取りしまるが、駐車メーターの未払いチェックはしません、その職務にないようです)

この駐車メーターがクアラルンプール全域から数年前ほぼ撤去されました。道路際駐車をなくし道路混雑を減らす、なくすためかどうか理由ははっきり知りませんでした。その結果道路際駐車がなくなったかというと、もちろんまったく変わりません。駐車メーターが設置されていようといまいと、車の持ち主はスペースさえあればどこにでも駐車するのです。いやスペースがなくても彼らは構わないのです、狭い道路で両側二重駐車など珍しくも何でもありませんから。

喜んだのは自動車オーナーでなく街のごろつき

でこの駐車メーターがなくなったことで一番喜んだのは、自動車の運転手・オーナーではないのです。Jaga Keretaと呼ばれる”駐車代勝手に徴収者”グループです、もちろん車を停めた者から勝手に”駐車代”を徴収するのは違法です。道路際、空き地など無料になった公有地に駐車するのは無料なのなぜ金を払わなければならないのか、という理屈は通用しません。このJaga Kereta連中は自分たちの縄張りとする場所に朝から陣取り、その場所に停めた車の持ち主に金を公然と要求します。法律的にも道義的にも全く払う必要がありませんが、ほとんどの人は彼らに支払います。尚Jaga Keretaの本来の語義は車を見張るの意です。

なぜなら相手は浮浪者、麻薬患者などの街のごろつきです、見ただけでもすぐわかる汚いスタイルとなげやりな態度です、”駐車代”を払わないと停めた車に何をされるかわかりませんから、払わざるを得ないのです。この悪習はものすごい広がり方で、クアラルンプール市内の至る所でそれぞれのグループが勝手に駐車料を要求していました。彼らJaga Kretaは暴力団グループではありません、グループを仕切るような組織はないようです。Jaga Kereta連中がギャング団でないからなのか、それともJaga Kerataの数が多すぎて取りしまりに手をわずらわしたくないのか面倒くさいのか、その理由は定かではありませんが、とにかく市当局と警察は見て見ぬ振り、Jaga Kereta”駐車代勝手に徴収者”の活動は全く沈静化することなく、ついこの間まで日々盛況していたのです。

再度駐車料金徴収メーターを設置

市民から”駐車代勝手に徴収者”グループ活動への抗議が相次いだのか、当局がもう見逃すわけにはいかないとでも考えたのでしょうか、これもよくわかりませんが、この数ヶ月市当局はまたまた道路際、公有地を黄色い線で仕切り、駐車メーターを取りつけ初めました。その結果すでに相当な地域でコイン式駐車メーターが復活設置されたのです。数年間の駐車料金徴収放棄政策を改めて、駐車料金を取ることになったのです。これによってJaga Kereta連中の数が一見ぐっと減りました。ただ彼らは駐車料金メーターに金を入れなくてもよい時間帯である夜間とか休日には相変わらず出現しています、車を駐車する人はどちみち払わねばならないのです。

この一連の廃止決定と再設置決定、Jaga Kerataの出現は日本にお住まいの方には理解できないことでしょうが、このように単なる小手先で街から駐車をなくそうという公の方針は機能しないということを示した一例です。マレーシアではマレーシアにあった方式・方針を考え出さないといけないのです。

文句を言うと知りもしないのに反論される

ところで、マレーシアの会社の客サービス精神の欠如はいつものことですが、先日もある場所で遭遇しました。マラヤ鉄道KTMの切符を買いに行ったのですが、筆者には徒歩で行けるスンガイワンプラザにあるKTMの窓口がこのごろいつも閉まっているので、わざわざクアラルンプール中央駅に赴いて、駅の窓口でなぜかと問いただしたら、スンガイワンプラザにあるKTMはいつも開いてるとまず反論されました、「そんことはない、私はいつもそこへ行ってるからおまえより知っている」 と反論すると(当然マレーシア語でやりますよ)、今度は私の知ったことではないという態度になりました。インフォメーションカウンターへ行き、再度訴えるとこちらも同じ態度、全くあきれます。

すべてのKTM職員がこういうサービス精神の欠如者とはいいませんが、準公営企業のKTMは運輸サービス産業としてはまだまだ合格点はつけられませんね。彼らの対応は大体予想できましたが、こういうふざけた対応する職員に黙っていることはよくありません。どんどん文句をぶつけるべきですね。事実各新聞の投書欄には、マレーシア人からの各種公共企業体職員の ”Tak Apa Apa症候郡(私には関係ないさという意識と態度)”への怒りの投書が絶えないのです。

その後筆者はマラヤ鉄道KTM本社の担当部署の電話番号を聞き出し、電話をかけてみました。何回もかけたのですが担当者留守中とかで、数日後よやくつながり、これまた数度あちこちたらい回しされた後、ようやく、スンガイワンのKTM販売に関しての責任者という男につながり、一連の出来事を話して文句を伝えました。彼は丁寧にその理由を説明してくれ且つもうしわけないうような態度を電話の向こうで示しておりました。まあこれで筆者の意図も伝わったことなので、それで引き下がりました。

筆者はいつもこんなくだらないことに時間を使うわけではありませんよ、ごくたまにです。非常識な対応や不愉快な目にあってもあまりにもいつも黙ってるのは好みませんし、マレーシアにとってもよくありませんからね。

KLIA空港バスの抱える問題

KLIA空港とクアラルンプールを結ぶ空港リムジンバスの運行は比較的安価で、筆者は常にこれを利用しています。KLIA空港がオープンして以来ずっとDuta通りにある空港バス専用ターミナルを利用していました。これに加えて、今年初めから空港とLRT高架電車のChan Sow Lin駅とを結ぶ路線が開始されました。それぞれのバス発着場から1時間に1本の発車です。筆者の自宅から電車で一駅で、且つバス料金がDutaターミナル利用に比べて半額ですむので、筆者は最近はこの路線ばかりを利用しています。

でこれが問題に出くわすことになった発端です。このChan Sow Lin駅から発車する空港バスは、取りたててバス舎があるわけではなく、単に高架電車の駅舎の下の一角をバス発着に割り当てたような感じでであり、切符も高架電車の駅で代理販売しています。つまり運行を監督しているような人が常時いるわけでもありません。となるとその運行の正確さは運転手次第、よってなんとなく悪い予感がしましたが、それがあたりました。発着の不正確さが目立ちます、筆者はすでにそこから数回乗ったのですが、きっちりと発車したことは1回だけ、一番ひどいのは45分遅れで発車です。

その日、この場所にバスがやって来たのが定刻の40紛遅れでした、待っていた人たちもさすがにいらついてきました。もちろんこの遅れに対して、運転手が「すみません」などと言う言葉を吐くことはありませんでしたし、そういうことはいくら期待してもマレーシアでは起こり得ませんから、何事もないかのように人々は急いでバスに乗りこんだのです。

すばらしい空港を持ちながら、サービス精神での欠如が目立つ

その時筆者は余裕を見て空港へ行くべく早めのバスを待っていたので、飛行機にに遅れずにすみましたが、空港へ行くバスがこれではね。すばらしい空港ときれいでゆったりした空港バスをそろえながら、こういうサービス態度が直らないのはまったく困ったものです。

この空港バスの職員の態度は決して誉められたものではありません。マレーシアに戻り今度はKLIA空港からChan Sow Lin駅行きのバスの切符を買い、発着場でバスを待ちました。発車時間近くにやってきたバスのフロントガラスには、Huntian Dutaドゥタバスターミナル行きの紙が貼ってあります。筆者は「Chan Sow Lin駅行きはまた遅れてるな。」と思ったものの、一応そのバス近くにいた職員にChan Sow Lin行きはいつ来るのかと聞いたら、このバスだと答えるではありませんか。じゃあ、なぜフロントガラスにHuntian Duta行きなどという張り紙をしてあるのかと詰問したら、都合によりとりあえずそこ行きのバスを使っていると平気な顔でこたえるではありませんか、もちろん「Musti Tukar lah 貼り紙を替えろよな」と、軽く不満を伝えましたが、そんなことはもちろん職員である彼女の知ったことではないのでしょう。無視されました。

自分は知っているから構わない、バスの利用客がそれを知っていようと知っていまいと知ったことではないという、いつもの態度です。まあこういう現場の”あほな職員”に文句を言ってもらちがあかないことは経験上知っていますが、文句の一つも言わざるを得ません。未経験な旅行者ならとてもこういうことに気がつきませんよね、自分の待つバスはまだ来ないと待っているだけでしょうから。
悲しき空港バス職員の労働意識ですね。

白タクが横行するKLIA空港

KLIA空港というと、いまだにというか相変わらずというか白タクが横行していますね。入国検査を終え荷物検査を終えで到着ホールに出て来ると、すぐ男たちが乗客に声かけながら寄っていきます、「タクシー、タクシー」とか 「Ke Manaどこまで?」と声をかけるのです。筆者はマレーシアに戻った際、空港内を情報収集のためしばしぶらつくことが多いので、この白タク連中からよく声をかけられます。

声をかけられなくても彼らを見ていればすぐわかります、その態度から出迎え人とはすぐ違うことが見ぬけますし、いつも到着ホール内でうろうろ客を探しているからです。空港当局や道路交通庁がこれを知らないことはありえないし、空港内で働く人なら誰だって知っていることでしょう。到着ホールには警察やガードマンの姿はごく少ない、特に警官の姿はほとんど見ない、から取り締まりはほとんどなされていないようです。ごくたまに新聞に白タクにぼられたなどという旅行者の苦情が載ると、その時だけは当局は取り締まるような振りをするようですが、真剣に取り締まった又は取り締まっている形跡は筆者の感じる限り全くありません。

筆者がKLIAに戻る度ごとに白タクに出会うのは、毎日彼らがKLIA空港で活動していることを示していますね。白タクの空港内での客呼び込み活動への取締りには人手がかかることでしょうが、空港当局に本当に白タクを撲滅させる意欲さえあればできないことはないはずです。ここにも見られる(私は白タクなど使う必要がないから)私の知ったことではない、という事なかれ主義ですね。あんな立派な空港ビルと設備を持ちながら、それを利用客本位に維持できない、運営できないとは、まこと困ったことですな。
日本人旅行者の皆さん、KLIA空港では白タクにひっかからないようにね。



クアラルンプールの住人から見たバンコク −前編−


東南アジアの大都市の中で一般にどこが一番外国人旅行者にもてるかと言えば、間違いなくバンコクでしょう。日本人旅行者の間でもこれは同じですね。筆者は今ではマレーシアを専門に伝える者ですが、その立場であってもやはり旅行者として1箇所だけ選べと言われれば、クアラルンプールよりバンコクを選ぶと思います。ワット(寺)などの観光施設、商業街、娯楽施設、食の楽しみと遊びの多さ、どれをとってもバンコクはクアラルンプールを引き離しますからね。常連読者の方ならご存知のように、良い面も悪い面も包み隠さず伝えるのが筆者のスタイルですから、マレーシアをクアラルンプールを売りこみ紹介し時に擁護し時に批判してきましたよね、だからこそ正直に言うのですが、やはりクアラルンプールはバンコクの魅力には適いませんと。

行きなれたバンコクの町

この間筆者はタイへ飛んで数日間だけバンコクに滞在しました。80年代中期以来これまでにタイを訪れた回数が軽く50回を超える筆者ですし、そのうち3分の2以上はバンコクに長短期に関わらず寄っているので、バンコクへ行くこと自体取りたてて珍しいことでも感慨があるわけでもありません。ドンムアン空港に着き、いつものように空港外の大通りを走る乗り合いバスで市内に向かい、常宿にしているエコノミーホテルにチェックインしました。こういった行動は筆者にはあまりに慣れたことで、マレーシアの行き慣れたどこかの町に着く時の感覚とほとんど変わりません。というよりマレーシアの町や田舎でも、わが町クアラルンプールを別にして、バンコクほどたくさん通った、立ち寄った場所はありませんね。しかし変わったことがありました、それは筆者の意識でなくバンコクの街でした。

ちょっとした転機があったバンコク

今回訪れたのは約1年ぶりぐらいでしょうか、その短い間にタイをバスで周る者なら必ずお世話になるモーンチットと呼ばれる北方面バスターミナルが昔からあった場所から引っ越してしまい、且つ遅れに遅れていた高架鉄道スカイトレインが開通していました。バンコクに3つある長距離バスターミナル中もっとも利用者の多く且つ田舎・地方への玄関口としてある種の郷愁さえも感じたバスターミナルであった通称モーンチットが引っ越してしまったのは、まさに一時代の転機を示しています。もしクアラルンプールのプドゥラヤバスターミナルが引っ越したら恐らく同様な感慨を覚えることでしょう。尚バンコクのモーンチットはプドゥラヤよりも何倍も大きな一大バスターミナル(実際は二箇所からなっていた)でした。

さらにバンコク市内に中心部に開通した高架鉄道2路線はこれもバンコクの交通事情に大きな転機があったことを叙述に感じさせました。ただこの高架鉄道の完成はクアラルンプールのほうがずっと3年も早く、その意味ではバンコクは遅れていましたね。

クアラルンプールを基準にバンコクを考える

さて筆者はここでバンコク案内や事情の解説をするつもりではありません。世にタイ物、特にバンコク案内は書物、インターネットを問わず硬軟入り乱れて氾濫してますから、今はもうバンコクにそれほど知識も興味もなくなったIntraasiaが同じことをするつもりはありませんからね。そこで視点を変えて、クアラルンプールと比較しながら大きく変貌したバンコクをIntraasia流に描写してみたいのです。基準はあくまでクアラルンプールなのです。

そして筆者の語るバンコクの起点は筆者が一番且つ唯一真剣にタイに打ち込んだ80年代中期の一時期のバンコクです。若い読者には80年代中期といっても全くおわかりにならないでしょうが、当時のバンコクはまだまだ一般自由旅行者のふらっと訪れる街ではありませんでした、日本人OLや女子大生の旅行者がのこのこと歩いているのを見かける街ではありませんでした。

両都市の基本的違いは今も残る

当時のバンコク、現在のドンムアン空港ターミナルがまだ建設中で、少し離れた所にあった旧空港ターミナルが使われていた頃です、は東南アジアの悪い面と良い面が見事に交じり合って、あちこちで建設が進む一方、クロントイのような大きなスラムでなく中心部にさえ小さなスラムもどきが残っていた時代です。当時からバンコクは貧乏旅行の若者を世界から引きつけていましたし、もちろん悪名高い”女性目的ツアー”の団体も含めて団体旅行者もいっぱいやってきていました。

当時筆者は年に何回もタイを訪れていましたが、そのうち一度バンコクから列車とバスでマレーシア半島を南下してシンガポールへ行きました。その途中寄ったのが、クアラルンプールです。当時筆者の抱いたクアラルンプールの印象は、渾然とした超大都市のバンコクに比べて小型で猥雑さの比較的少ない町だなということぐらいでした(それが筆者にとっては、81年に次いで2回目のクアラルンプール訪問でした)。確か数日ぐらいしか滞在しなっかったと記憶してます。

同じような観点で言えば、今もクアラルンプールはバンコクほど明暗が顕著ではない、猥雑さの比較的少ない町です、この意味では10数年を経て今は熟知したクアラルンプールとそれなりの知識を持つバンコクの差は時を越えてもそれほど変わっていないともいえるでしょう。この差は何に起因するかと言えば、国情と国風の違いですね。Laissez Faireつまりいわば自由放任主義を持ち分とするタイと、シンガポールまではいかなくても全てに強固な公権力のコントロールの目立つマレーシアの国としての違いは10数年を経ても基本的には変わっていません。両大都市は街の建設度、美化、交通網、機能面の全ての面で発展し大きく変わりましたが、それでも10数年前の面影は両都市とも残しています。

交通渋滞は多少は緩和されたが

クアラルンプールとその衛星都市であるペタリンジャヤの主要道路における交通渋滞は相当なもので、それに拍車をかけるのがドライバーのマナーの悪さです。自家用者運転手、バス運転手、タクシー運転手、バイク乗りとドライバーの種は問わず交通マナーの悪さが毎日の混雑をよりひどく混乱に貶めています。経済が発展して高架道路や立体交差がどんどん建設されてきたし、主要道路自体はたいへん整っているのに、ひとたび朝夕の交通混雑時になると人はより自重心とマナーを失うようで、混乱しなくていいような所で混乱しているのです。「マレーシア人よ、いいかげんに常識を取得しろよ。」 と筆者は毒づかざるを得ません。

バンコクの交通渋滞、いうまでもなく世に悪名高く知られた出来事で、バンコクと言えば交通渋滞を枕詞になるほどですね。無理もありませんクアラルンプールの4倍以上の人口の巨大都市に、つい最近できたとはいえ電車網が全くありませんでしたし、車の洪水の中をバイクとトゥクトゥク(3輪タクシー)がすりぬけていき、停車したバスに乗客が所構わず、つまりバス停であろうとなかろうと、乗降していました。筆者ももちろんそうしていましたよ。バス朝夕の交通ラッシュ時には、歩いた方がよっぽ早いという状態と場所がたくさんありました。

車の進み度と道路の混雑度から言えば、バンコクは80年代後期の方がずっと渋滞はひどかったように感じられます。なんと言っても当時80年代は高架道路も立体交差もほとんどありませんでしたから、全ての車類が平面道路に集まったわけです。大気の汚染状態は現在と比べてどうかは、筆者は化学的数字を持っていませんのでなんとも言えません。

さてこの最悪の交通渋滞状況も90年代中頃からずいぶんと緩和されたように筆者は感じます。それに大きく寄与したのが、バンコク市内多くの場所に建設された高架道路と立体交差ですね。さらにバス網のさらなる整備でしょう。新しく開通したスカイトレイン高架電車はどれくらい一般人に貢献しているかは短い今回の滞在では見極められませんでした。ただ料金が高いので、日本人旅行者の感覚でとらえてはいけませんよ、どれほど低所得層が利用しているのかな、これはクアラルンプールの高架電車にも言えますね。

バンコクの公共交通網はクアラルンプールより優れている

筆者はクアラルンプールであれバンコクであれホーチミンシティーであれ、乗り合いバスがほとんどですが公共交通機関をほぼ毎日利用している又はそこへ行くたび毎に頻繁に利用してきました。バスに限ってもクアラルンプールならこれまでに少なくとも4千回以上は乗っているし、バンコクでも通算して1千回近くは乗っているでしょう。だからはっきりいえるのですが、バンコクのバス網はクアラルンプールのそれより優れているということです。

クアラルンプールのバス網はIntrakotaとCity Linerの大手二社が4分の3以上の路線をカバーし、それにMetoro Busなど小運営会社が10社ほどあって、一部大手と同じ路線を持ちながら独自の運行地域で運行しています。97年のミニバス一斉廃止以来バスの冷房車両化と運行態度に飛躍的向上がありましたので、現在は合格点はつけられますね。ただそれでも粗い運転と運行間隔のいいかげんさに、筆者を含めて利用者は不満を持っており、一般からの苦情は耐えないようです。夜間の終車時刻の早さも問題ですね。

筆者の感じる一番の不備は運営路線のきめの粗さですね。幸運にも筆者は中心部に近いバス路線が集中する地域に住んでいますので、そこではバス待ち時間はほとんどありませんが、しょっちゅう別地域へ出かけてますので、その際かなりのバス待ちと乗り換えに時間を食います。もちろんクアラルンプールに、バンコクでもですが、バス運行時刻表など一切存在しませんよ。

バンコクのバスは昔より種類が昔と比べて増え、均一料金制の安価な冷房ナシバスの2種:赤色バスと青い線入りバス、距離で料金の変わるの青い色の冷房バス、さらに25バーツの均一料金制の高級冷房バスの4種です。これらのバスはすべてバンコク公営で、これが広大なバンコクのだいたいの地域をカバーしています、また私営の昔からあるミニバスが1社あり、一部地域を公営バスと平行して走行しています。これらバス網を補完するものとして、私営の乗り合いバンと乗り合いピックアップトラックが短距離区間や主要道路から住宅地域までを運行しています。さらに住宅地地域内間だけを運行するバイクタクシーが主なバス降車場所近くで客待ちしています。道路交通とは別の水上交通網、つまりチャオプラヤ川といくつかの運河を運行するボートの存在を忘れてはいけません、これもバンコクの大衆交通機関の一つになっています。

こういう3段から4段構えになった一般公共交通網に去年から加わったのがスカイトレインと呼ばれる高架電車の2路線です。人口巨大であるからなのか、それともこういうサービスを発達させるのがタイ社会は得意なのかはわかりませんが、この木目細かな交通網のため、バンコクのバス乗客層はクアラルンプールのそれよりずっと幅広いのです。つまり自家用車だけに頼らなくても通勤や外出できる交通手段の豊富さがこれに大きく貢献しているでしょう。

クアラルンプールではバスは貧乏人の乗り物という認識

一方クアラルンプールでは、冷房車両になったとはいえ、IntrakotaバスやCity Linerバスにネクタイ姿の都会のサラリーマン、しゃれた高級衣服姿のサラリーウーマンの姿、つまり中流階層の勤労者と休みの日に中流の家族連れが乗っているのを見るのはまれです、ミニバス時代は全くといえるほどそれらの姿はありませんでしたね。いまだにクアラルンプールのバスは自家用車を持てない低所得階層と学生・生徒層の乗り物であるのが現実です、そしてそういう認識の人が多いのです。公機関がマスコミがいくら公共交通機関を利用しようと訴えようと人々の意識は変わりません、クアラルンプールでは大小にかかかわらず会社の重役がバスで通勤するようなことは起こり得ませんし、都会のユッピーも自家用車族です、人々は競って自家用車で通勤するのです。子供の学校への送り迎え、ちょっとした買い物とバスを使えばいいのに自家用車を使います。

バス網のきめの粗さからそうせざるを得ない場所に住んでいる人にとって、自家用車は必需品に近いのもうなずけます。だから政府が公共交通機関を整備してきたにもかかわらず、利用率は下がっているのです、数字的にもこれが表れているとこを先日の「新聞記事から」にも載せましたね。これではいくら道路を作っても車の増加で混雑緩和につながりません。

中流階層も利用するバンコクの冷房バス網

方やバンコクです、冷房車両バスにネクタイ姿のサラリーマンを見るのはざらですし、高そうな服の女性をもうよく見かけます。さすがに均一料金の冷房ナシバスではその姿をほとんど見かけませんが。もちろん中流層に自家用車熱が高いのはいうまでもなくそれで交通渋滞が倍化しているでしょうが、公共バスを足にする中流勤労者階層も少なからずいるのは間違いありません。これが国民性に起因するのか、クアラルンプールよりずっと木目細かい路線網によるのか判然としません。理由はともかく、大衆交通機関網が木目細かく本数が多いというのは利用者の立場からはたいへんいいことですね、加えて低所得者層に気を使った1回3.5バーツ又は5バーツの低バス料金を維持していることですね。注:1バーツは約3円。

興味深い事実を指摘しておきます。クアラルンプールの人気あるショッピングセンター、The Mall、Midvalleyをご覧ください。両方とも特にMidvalleyの公共交通網の不便さは特筆ものです。筆者はMidvalleyに時々足を運ぶのですが、バス便の少なさと停留所のみすぼらしさは、その高級で巨大なショッピングセンターがいかに低所得者層を無視しているかと都市計画の統一性のなさを叙述に示しています。バンコクの人気ショッピングセンター、例えばマーブンクロー、The Mallなどその周囲の大通りは何十もの路線バスが走行しており、バス停がごく近接していますから、バス交通便が極めて便利です。夜遅くなってもバスで帰れるのです。クアラルンプールの The Mall前のバス停は数路線バスしかなく、夜遅くなったらバスなどいつ来るかわからないのだ。

現在のバンコクが交通渋滞のひどさを80年代よりずっと緩和させたとはいえ、やはり耐えがたい混雑は依然として残っています。ですから交通警官の多いことは特筆もので、その数はクアラルンプールよりずっと目立ちますね。依然として存在する耐えがたい交通渋滞にもかかわらず上記で述べましたように、バス車中で見る幅広い乗客層の存在はバンコクの交通地獄を多いに救っているといえます。

中心部の自家用車規制はありえるか

クアラルンプールは道路整備に力を金を注ぐのもいいですが、その前にバス網のさらなる整備と一般自家用車の市中心部への乗り入れ規制に進むべきですね。バス停を降りてから住宅までの足がなくなる木目の粗さと夜間のバス便の超少なさを真剣に解決して欲しいものです。高架電車路線が二社3路線あり且つ電車路線も2路線あることからバンコクより現代的公共交通総合力では上回るのに、その利用者が偏っている、十分に伸びていないという弱点克服に本腰を上げるべきです。バスは貧乏人の乗り物だという悲しき認識を改めさせる国民教育を、飴と鞭の両方を使って早急に勧めるべきです。飴とは交通機関利用の恩典授与であり、鞭とは自家用車乗り入れ規制ですね。



クアラルンプールの住人から見たバンコク −後編−


表現の自由度から2国を見てみる

タイに滞在していると国内新聞、テレビでよくデモとかの集団反対行動のニュースが載ります。地方の貧しい農民が大挙してバンコクに押しかける何てことも起こるし、時には主用道路を遮断したりの実力行使に出ます、NGOの反対行動は結構盛んであり外電にも載るほどです。一方マレーシアはというとその強力な治安規制で集団実力行使などまず起こり得ません。せいぜいプラカードをもった静かな抗議行進くらいです。(この1,2年珍しく警官隊と衝突ということも起きたが、その程度は可愛いものです)

どちらがいいか一概に言えませんが、間違いなく言えるのはタイの自由度はマレーシアのそれより大きいということですね。タイは複数民族国家ですが、少数民族はほぼ北部山間地方に固まって居住しており、政治的には力をもちませんから、圧倒的多数派のタイ族が政治的にも経済的にも力を占有しているわけです(尚タイ南部のムスリムの存在ははここでしばらく置いておきます)。
一方マレーシアは3大民族間の権益の綱引きと各民族の宗教がからみ、タイほど自由な言論と行動を許せない状況であることは、ある程度は理解はできますし理解を示さなければなりません。

タイ社会が仏教社会である面も貢献しているのかもしれませんが、文化許容度の面から言えばムスリム多数のマレーシア社会に比べてタイ社会はるかに許容度は広くなります。イスラム教はその教義には触れないとして現象面から言えば、規制を正面に掲げる宗教ですよね、識者や宗教指導者はそれは規制ではない、神の創造した人間のあるべき姿と行動だと反発するかもしれません、筆者はそれを否定する意図はここではありません、ただ一般の非ムスリムが感じる、又はあらわれる現象面からいえば筆者の見方はあたっているはずです。イスラム教は衣食住の生活全ての面に規制が及びますが、タイ仏教は教義はどうあれ(筆者はよく知りません)、現れる現象面では懐の広さを示します。そこにタイ社会の外からの文化侵略に対しての許容度の大きさが現れてきます。

社会の自由度容認の大きさはどこから来ているのか

それでは、なぜタイ社会はこういうことができるのかを考えてみましょう。
これは少数民族にほとんど気を使わなくて過ごせるし統治できる日本社会に似ていますね。日本社会が本来懐の広い本性を持っているいないはここで問わないとして、なぜ日本はこうもあれこれの外国からの文化、風俗を入れまくることができるかと言えば、それは国内に日本人社会に十分対立する少数民族社会の心配がないからです。その結果アメリカ文化と風俗をじゃかじゃか入れまくり、一方香港・台湾のスターがテレビで人気を出すは、ヨーロッパのスターがCMで稼いでいくはと、一見ものすごい”国際化”を示していますよね。この裏には、国内に日本人社会に対向するような力を持つ少数民族も主要宗教もないから、あれほど無頓着に西欧中心の文化と風俗と流行を取り入れることができるのです。
(少数民族と少数宗教勢力がいないということではありませんよ)

日本社会とタイ社会の共通点は何か

タイ社会はある意味で日本の場合に似ています。最大民族のタイ族と国教であるタイ仏教を脅かすような宗教的存在は国内にほぼない(南タイのイスラム教はムスリムコミュニティーとして平和共存している)、だからテレビでこんなにもというほど外国人スターのCMを出そうと、大衆ファッションで西欧風の見せるファッションが流行ろうと、日本の流行品が流行ろうと、タイ文化とタイ仏教を決定的に脅かす存在にはならないのです。

もちろんタイ文化固守・至上主義者からの西欧文化と流行取り入れの行き過ぎを批判する声は常にあるそうですが、これが大きな流れにはなっていません。バンコクの中心部やアップタウンを歩いてみれば、まこと日本的な意味でのあれもあるこれもある、悪く言えばせっそうのなさ、よくいえば懐の広さを感じますよ。これはクアラルンプールではとても感じられません。服装一つにしてもムスリムは、どんな都会風のスタイルをしていようとそれを正当化することはできません、イスラムの教義には誰も逆らえません。

だからとてもムスリム的服装でも行動ともいえないマレー芸能人は、よりイスラム化を目指す保守層と宗教界には一切口を閉ざして反論しません、彼らマレー芸能人は特権を享受した自分たちの世界に閉じこもっているのです。(筆者がマレー芸能界を批判するのは、イスラム的でないからとかではなく、彼らの行動が欺瞞的だからです。誤解のないように願います)

タイはポルノが書店で売られ、おかまがもてはやされ、観光案内でさえどうどうとそれを表に出しています、この面でも日本的ですね。ですから大衆娯楽文化があれほどはやり、それを目当てに世界から人を引きつける面も大きいのです。観光に歓楽がつき物なのは世界の共通現象、歓楽だけを求める外国人がクアラルンプールを訪れることはまずないでしょう、もちろんバンコクを目指しますね。

マレーシア社会とタイ社会の大きな違い

クアラルンプールではそれは建前上も現実上も許されません、常にイスラム保守勢力の影響が政治に、あるべきイスラムの姿がマレー大衆の意識に影響を及ぼしていますから、誰が又はどの政党が為政者であれ、それらを無視することはできません。娯楽を求める観光客は歓迎だが歓楽はお断りを宣言して、娯楽施設の規制は案外厳しいのです。クアラルンプールはたしかに健康的な観光には向いていると言えます、それがこれまでのクアラルンプールであり、今後も変わることはありえません。マレーシアはイスラムが多数でありながら常に少数派つまり華人とインド人の存在を考慮に入れなければ成り立たない国なのです。タイ民族とタイ仏教絶対安泰のタイ社会と同一の許容度を期待することは無理な社会です。

変わってしまったバンコクへの旅人の勝手なノスタルジア

バンコク大衆の消費活動の活発さは伝統的市場の多さと屋台の多さからも感じられます。小さな昔ながらの市場はまだまだあちこちに残っている一方、新しいショッピング街が増えました。大きなショッピングセンターは人で湧きかえっており、ここにもバンコクの巨大人口の姿が感じられます。バンコクのヤング女性の姿はこの10数年、まこと変わりましたね。クアラルンプールのムスリム女性はバジュクルン・クバヤとトゥドゥン姿(頭髪をすっかり覆うスカーフ)ですから、色や柄が変わろうとも表面に現れる姿が変わることはありません。しかしバンコクのヤングはかってのだぶだぶシャツとジーパン姿からぴっちりしたシャツとパンツルックまたはミニスカート姿が俄然増えました。

クアラルンプールの大衆食の物価がこの7,8年で倍になったように、バンコクのそれも同じですね。かつては15バーツで食べられたカーウパット(炒めご飯)ももはや25か30バーツの世界、経済発展すれば物価も上がるのは両都市とも同じですね。地方から上京してきた田舎の超貧乏なタイ人の暫定溜まり場であたバンコク鉄道中央駅(ホアランポーン)の構内は数年前に改造されて、かつての面影が無くなってしまいました。筆者はこの駅の雰囲気が好きであったしタイ各地方へいく時によくお世話になったので、筆者にはまことなじみ深い場所ですが、こういうところが現代風且つ極めて商業的に改造された姿を見ると、バンコクの発展を痛感するともに、いかにも貧しい身なりをした朴訥な彼らがたむろするような場所がなくなってしまったことにある種の寂しさも感じます。所詮旅人の一人勝手な過去へのノスタルジアでしょうが、そんな時代はもうバンコクにも二度と戻ってこないということですね。

クアラルンプールが今は筆者の住むそして唯一の”うち”のある町なので、その変化は毎日肌で感じるこができます、住んでいるから気がつかないではなく、住んでいるから毎日観察できるのです。バンコクはたまに訪れる町、もう住むこともないけど、10数年前、毎日バスであちこちを歩き回りタイ語学習に打ち込んだ筆者には忘れがたい町の一つです。先日ほんの数日だけですが、所用でバンコクへ行き、イエローページで目的を探して地図を片手にバスと徒歩であちこち捜し歩きました。ここ何年もは訪れても通過するか歩き回ることをあまりしなかったバンコクですが、結果的に本当に久しぶりにバンコクのあちこちへ行ったわけです。昔々バスでここも通ったな、というなつかしさと街と交通機関の変貌に眼を見張りました、そしてそれをこのコラムの題材にしたわけです。



現在大人気のマレー映画を紹介します


マレー映画"Senario Lagi" を今月初め頃見ました。あまりにも楽しい映画だったので、読者の皆さんに紹介したくなりました。機会があったら、いや是非機会を見つけてご覧になって欲しいですね。マレーシア語が全く一言もわからないではいくら何でも無理ですが(字幕なし)、ほんの少しだけしかわからない方でも、それなりに楽しめることは間違いないでしょう。なぜならこの映画は、シリアスな筋立てでもせりふの多いストーリー主体でもなく、コミカルなちょっとしたどたばた喜劇であるからです。

「どたばた喜劇?」 「くだらない!」 と考えないでください。映画中で役者が演じている様だけ見ると、おおげさに誇張していることととコミカルに演じているので、マレーシア社会というよりマレー社会を全然知らない方にはそれらがうそっぽく思われるかもしれませんが、いやいやそうではありません。現実の社会現象、マレー人の行動をものの見事に示し、時にはパロディー化しているのです。

下の写真はある映画館の建物に飾ったこの映画の広告です。土曜日の午後多くのマレー人、若者も親子連れもいる、がこの映画館内へと入っていきました。

映画のあらましを抜粋してみる

ごくおおまかにその内容を抜き出してみましょう。
夫婦と子供1人からなる主人公一家の妻は体重100Kgを楽に超えるであろうという超肥満女性、しかしマレー中年女性の肥満度のすごさは日常的に目に付きますから、それを幾分誇張した程度です。この一家がクアンタン州のチェラティン海岸へ休暇を過ごしに行こうと、これまで乗っていた車を中古車屋に売りそこで買いかえるのですが、それも一般的な行いですね。クアンタンに向かう途中運転していた夫が、少し前偶然出会った若い女性の車に気を取られて、対向車のバイクにぶつけそうになった。バイクは溝に落ちたが、運転手は別に怪我も何もしなかった、しかし彼は怪我したと言い張って、金をこの一家からせびろうとするのです、これも本当によくありそうなできごとです。

途中で偶然出会ったこの女性、マレークラブ歌手です、に人目ぼれしたその夫は、そのことを妻にさとられまいと隠そうとする。ムスリム社会であろうとこういうことは起こり得るということで、マレー人だって模範的ムスリムばかりではないのです。

さて自分の乗っていた車が不渡りしてしまい、それが中古車を通じてこの主人公一家に手渡ってしまったので、その車を取り戻そうと追いかける別の男が別の主人公でもあります、ちょっと不良っぽい見かけの俳優がこの都会のちょっとラフなマレー若者を上手に演じています。

主人公一家がバイクとの接触事故未遂で警察署に届けているうちに、道路際に停めておいたこの車が盗まれてしまいます。車どろぼうが盗んだ車のナンバープレートを付けかえる手早さに、なるほどこうしてやるのかという盗み方を教えてくれるのです!マレーシアで車の盗難は別に珍しいことでも何でもありませんからね。

ヒッチハイクして東海岸へ行こうとしている在マレーシアのインドネシア人が主要な登場人物の一人ですが、こういった外国人労働者としてのインドネシア人は今やマレーシア社会の欠かせない構成要素です。インドネシア人なくしてマレーシアはビルも道路も全く建設できないし、インドネシア人メイドなくして職業女性の存在はありえませんからね。

車を盗んで田舎道を走っていたその車泥棒が、偶然インド人結婚儀式に向かうインド人グループを偶然載せる羽目になったのですが、そこで描写されているヒンヅー結婚式の模様は誇張もないそのまんまの結婚式に見えます。多民族国家マレーシアらしい場面です。運転している男が車泥脳としらずにヒッチハイクした先ほどのインドネシア人は、ヒンヅー結婚式に参加していたインド人女性に出会い、2人は互いに人目ぼれしました。これを現す場面で、監督がボリウッド映画で使われる手法、つまり恋人の男女がそれまでの場面とは関係なく突然歌い踊り出すボリウッド映画おなじみのシーンをパロって挿入しました。思わず観客皆が笑い出す愉快なシーンです。マレー人にはボリウッド映画ファンが多いので、この映画の観客主対象であるマレー人をよく意識した演出で感心しました。ボリウッド映画を見たことのない人には、このシーンの面白さが全く通じないでしょう。

さてあれこれあった後、場面はチェラティン海岸に移りました。主人公一家、車を追いかける男、インドネシア人、そこで働くことになっていたクラブ歌手、そしてこれとは別に車泥棒もがそこにあるホテルにチェックインしました。その夜、なにか面白いことがありそうだと人づてに聞いて、例の男たちが深夜どこかの海岸へ出かけました。そこで怪しげな場所で金を払って入り、囲いの隙間から覗き見たのは半裸姿の女性の踊りのいかさまショーでした。そこへ警官、彼らは一網打尽で警察署に連れて行かれる、そこで踊り子が実はおかまのショーであったことがわかるという落ちがついています。この監督は所々にこういう凝った演出をしています。マレー社会であれこういう羽目をはずした行動はまことあるのだということをパロっているのです。

その主人公一家らの泊まるリゾートホテルで先ほどのマレークラブ歌手が偶然歌の仕事をしています。そのマレークラブ歌手が主人公の夫に彼女の部屋の番号をそっと教える、歌の仕事を終えた彼女の部屋をその男はそっと訪ねるが、偶然妻がかぎつけその部屋に押し寄せる、現実社会のどろどろとした出来事をコミカルに演出して、いやみなく暴露しています。

監督の計算された演出に感心する

さて最後は車泥棒もつかまり車も戻るというハッピーエンドですが、それ自体はどうでもいいことです。偶然に偶然が重なる筋書きなのに、観客にいかにもありそうなことだなと感じさせる監督の演出のうまさととコミカルに演じ続ける芸達者な俳優たち、背景がどこにでも見られる道路であったり警察署であったり、大衆食堂であったりと、観客の目の高さと同じような場所が多いことが、この映画をより身近な存在にしています。出演の主要登場人物中、美男美女はクラブ歌手役の一人だけですが、それも飛びぬけての美人ではないのです、そこらのクラブで歌っている女性と同じみたいだし、男たちはどこにでもいそうな風体であり、2枚目の男が出てくるわけではありません。盗まれる車は大衆車のプロトン車、泊まるリゾートはクアンタン周辺でマレーシア人によく知られた有名リゾートしかし超高級ではない。こういった小道具も観客の目の高さとあまりかわりません、まこと計算された心憎い舞台演出です。

楽しい映画はやはりそれだけの理由がある

この映画はかけねなしに楽しく明るい笑いを停供してくれます。この映画を評する新聞記事も、「単純な楽しさで観客を喜ばし、幸せな気分にてくれる」 と書いています。5月終わり頃に公開されて最初の5日間だけですでにマレー映画としては相当成績のよいRM230万の興業収入をあげているそうです、これまでマレー映画の興業収入記録RM630万を破るであろうとの予想もあるそうで、業界関係者はそれを楽しみに期待していると記事は伝えてています。

この映画Senario Lagi を撮った監督のAziz Osman は前作"Senairo, The Movie" と同じく自分で脚本を書き監督しています。ですから映画のタイトルに"Lagi"つまりもう一つとかさらにの意を加えているのでしょう。私は見てませんが、前作とこの新作とはストーリーに続の意味合いはまったくないそうで、別の映画だということです。

この映画Senario Lagi の主要登場人物を演じている俳優5人は民営テレビ局TV3の人気番組Senarioのレギュラー出演者だそうです(筆者は見たことがないのでなんとも書けません)。いずれににしろ映画の主演グループは芸達者な俳優ばかりですよ。

海賊坂VCD出現を防ぐのが仕事

この映画のプロデューサーの一番の仕事は、いかにしてこの映画の海賊坂VCDの出現を防ぐかということです。昨年公開された前作Senairo, The Movieは配給収入RM500万あったのですが、海賊坂VCDが街に出現して、配給収入に影響を与えたそうです。そこでプロドゥーサーは懸命になり、(コピー権利を取り締まる)国内取引と産業省に取り締まりを要請したのです。省はそれに答えて、海賊版業者が映画をビデオで盗み撮影しないように各映画館内で見張りを続けているそうです。(映画館内で上映映画を盗み撮影して海賊版VCDに仕上げる手法はご存知でしたか?)

それだけでは不充分ですので、さらに製作会社GBSDは映画の基フィルムコピーをいくつか作製する際、各コピー毎にいくつかの場面をカットしておいたのです。ですからこの基フィルムコピーからもし海賊版VCDが作られたらどのフィルムからそれが作成されたかを追跡できるようにしているという工夫までしています。映画製作配給会社もたいへんですね。尚GBSDは、この映画の正式VCDを作る権利を、Golden Satelliteに売ったそうです。

誠海賊版VCDは基盤の小さい弱いマレー映画産業を結果的に退廃に追い詰めるものですから、この製作者側の努力が海賊版出現に打ち勝って欲しいものです、値段1枚RM10もしない海賊坂VCDが出現すれば、人々は当然映画館に足を運びません、1枚の金で何十人にも回し見でき、その代金は全く製作者側に還流しませんからね。

この映画Senario Lagi を前宣伝するために、プロダクションだけでなく登場の主要俳優たちも国内をあちこち宣伝し回ったそうです。俳優らはテレビ番組でマレー人にはそれなりに知られている、監督は前作で興行的に成功している、プロダクションは海賊坂出現に力を注いでいると、この映画は人気の出る下地作りをしており、さらに映画の内容がそれに十分答える楽しいものですから、人気を呼んでも不思議ではないのでしょう。

やはり観衆は圧倒的にマレー人

筆者の見に行った映画館はクアラルンプールのチョーキット街の昔からある古い映画館、予想通り観客はマレー人ばかりで、インド系もちょっといましたが華人は見かけませんでした、まあこれはマレー映画の観客の常ですね。学校休み期間中なので生徒が多いだろうとは予想していたのですが、加えて幼児連れの親子がたくさん見に来ていました。そのためいやな予感が当り、途中から幼児が映画館内を走り回るという、以前の場末の映画館に似てしまったのは、映画好きの筆者には唯一非常に残念なことでした。どうしてマレーシア人はこう幼児や子供の行動に責任感を持たないのだろう、周りが迷惑することをまったく気にしない、いや気がつかないという行動はどうしても減りませんね。

最後にもう一度言っておきましょう。マレー映画はめったにしか見ない筆者ですが、このマレー映画"Senario Lagi"は誠お勧めです。単に楽しいだけでなくマレー社会を垣間見るような気分になれる利点もありますよ、機会を見つけて是非ご覧になってくださいね。正式版VCDが売り出されたらそれをお求めになってもいいですが、映画館で見ることを強く勧めます。なぜならマレーシア語のよくわからない人でもそこでマレー人観客の反応がよくわかるからです、どこで彼らが笑うかで、マレー社会をパロった場面がわかりますよ。



老人ホームの少ない社会とそれを支える家族間観


日本や西欧諸国に比べればその増加スピードはるかにゆっくりとしており総数は多くはないとはいえ、マレーシアも高齢者層の増加が進んでいます。尚ここでいう高齢者層とは60才以上のことを指します。

マレーシアも近い将来老年国家に仲間入り?

統計庁の数字を引用すれば、マレーシアでは男性の平均寿命が73歳、女性が76歳です、女性のほうが高いのは世界の多数の国と変わりませんね(やっぱり男はつらいなあ−独り言)。高齢者層の人口を総人口に占める割合で見ると、1970年で5.2%、1990年が5.9%でした。そこで現在ですが、総人口が約2300万人ですから、推定6%の高齢者割合で高齢者人口が130万人ということになります。ただ日本の高齢者人口数に比べればまこと可愛い数字ではありますね。

しかしながら国連の人口基金によれば、マレーシアは世界の老年人口国家に仲間入りすると予測されており、その時期が総人口の7.2%が高齢者になるという2005年だそうです。さらに2020年には総人口の1割近い層が高齢者層になると予測されていますが、そんな遠い先のことはとてもわからないので、ここでは論じません。日本などとっくにそういう超高齢者国家になってますが、若年人口の多いマレーシアが老年人口国家に5年後仲間入りというのは、国連の定義上とはいえ実感からちょっとずれますね。

貧困層の3割は高齢者層

ところでマレーシアでは97年の数字によれば、貧困層の3割強を占めるのが高齢者層で、これが社会問題の一つなのです。マレーシア政府は国の歴史上最も重大な長期計画政策であった新経済政策NEPを1971年から施行開始して以来、貧困層を減らしてきました。そして91年からはこのNEPの後継である国家発展政策NDPを施行しています。このNDPも貧困層を減らすことをその主要な目標の一つにしており、これまでの結果成功しています。貧困世帯層は70年の52%から97年は6.8%に減ったのです。貧困層の3割が高齢者ですから高齢貧困者は30万人ほどとなります。

尚貧困層の中での超貧困層をなくす政策の結果、90年に4%あった率を97年には1.4%まで落としたそうです。すると33万人ほどがその超貧困層ということになります。

少ない老人ホーム

マレーシア高齢者団体全国会議Nacscomによれば、マレーシアで最初にできた老人ホームはTaipingに1952年に建設されたとのこと。そして57年の独立以前に存在したのは4ホームだけだったそうです。

さてマレーシアで老人の世話面倒を見るのは伝統的に家族の役目でしたし、今でもそうですね。最終段階での親に対する愛と強い関与はマレーシアの諸民族に残っています。さらに年老いた親も子供たちと同居することを望んでいます。 現在120万ほどの高齢者のうち、政府の又は民間の老人施設に住んでいるのは、高齢者人口のわずか0.4%、5000人ほどにしか過ぎません。ただこの数字、残りの99.6%が家族と一緒に住んでいるということを示しているわけでもありません。つまり一人暮らしも多いということでしょう。マレーシアは拡大家族制度が強く残っているとはいうものの、社会と人口面での変化からそれは次第に変わっているのです。

老人ホーム又は高齢者の家は社会福祉庁の管轄下にはいり、93年のケア−センター法の施行によって、民間のそういった施設の最低水準が決められています。この法律によって、社会福祉庁は施設が検査をすることを法で規定しています。

政府運営の老人ホーム(Rumah Seri Kenangan)
社会福祉庁が運営する、9箇所の老人ホームと2個所の終末医療段階の病人向けの施設があり、総収容人口は2450人です。男性入居者が圧倒的に多いとのこと。

NGO運営のホーム
NGO団体が運営・提供する老人ホームの内、全国で8ヶ所あるホームは政府から資金の援助を受けて、合計600人余りの老人の面倒をみているとのこと。さらに政府の援助を受けない69のNGO団体が運営している老人ホームがあり、1200人余りの面倒をみています。その中でマレーシアで一番古いこの種の団体をThe Central Welfare Council Peninsula Malaysiaといい、様様な福祉サービスを提供しています。この団体の運営する老人ホームの入居者は華人が圧倒的に多いとのことです。

イスラムホーム
イスラム教的見地から政府は、コミュニティー段階でマレー老人を収容する老人ケア施設を作ることを決め、田舎の村でこの施設、Pondokと呼ぶ、の建設を奨励しているとのことです。しかし実態は全然わかりかりません。現在のそういう所に居住している老人の数はわずか250人ほどだそうです。

上記で書きましたようにマレーシアで老人ホームのような高齢者向けの福祉施設に入居しているのはわずか5000人ほどで、加えて教会のような宗教施設が面倒を見ている貧しい高齢者は1000人ほどと推測されます。従って、高齢貧困者層の数30万人を考慮すれば、住む所と食べる物を必要とする貧しい高齢者が、まだまだたくさんいると考えられるのです。

以上の部分を書くにあたって、2000年6月5日付けのThe Star紙”Shelter for homeless aged"から抜粋引用し大幅に参考にしました。数字など具体的なデータも全てこの記事を基にしています。

マレーシアの目指す福祉は日本のそれと違う

上記にも書きましたように、マレーシアは各民族とも家族の絆が強く残っている国、そして西欧型の国家による”福祉国家を目指していない国”です。老後の面倒は各自及びその家族が第一に責任を負うという考えが民の中に強く残っており、民自体が西欧型の福祉を政府や政党に強く要求することはまずありません。ですから政府や政党もこれを大きな目標に掲げる必要はないわけです。尚この点については、以前のコラム159回 「高齢者への社会福祉と保障をちらっと見てみる」で書きましたので、それを参考にしてください。

各自治体が、そこに住む老人向けに施設を作るとか、老人世帯に手当てを供与するなんてことは、例外的事象を除けば、ありません。マレーシアには明確な地方税という概念がないので、各自治体独自で収納できる財源は、固定資産税くらいでしょう、さらに地方自治体の長も評議会委員も任命制で、住民による選挙で選ばれる仕組みではありません。だからそういう地方自治体独自のサービスをする仕組みが育たない点もありますね。

老後のための福祉基金を目的以外で引き出せる論理

その他西欧型福祉と違う面は、公務員、軍人などを除いて老齢年金がない、失業給付金制度がない、健康保健制度がないなどの面にも見られます(尚健康保健制度の変わりに政府病院・医院では医療費補助のためごく安価に診療してもらえる方式をとっています)。被雇用者福祉基金EPFという、勤労者が加入を義務付けられ毎月の給料から掛け金を払い、それに見合った分を雇用者もEPFに収める、そして定年後一気に引き出す又は年金の形で引き出す仕組みがありますが、住宅購入だの、子供の海外留学のためなどを理由として基金から定年前に引き出すことが認められており、且つ多くの加入者がそうしています。

つい最近の今年から、各家庭でインターネット接続奨励のため、各家庭でパソコン購入用資金として一定額、確かRM3000まで?だったかな、引き出せる規則が追加されたのです。被雇用者の老後の福祉基金という本来の目的から大幅に離れるものなのに、大きな反対もなく決定してしまいました。

この結果、加入者が定年後に必要になるはずの大事な積みたて金を定年前に相当部分を引き出してしまうことになるのですが、この裏には人々が定年後の暮らしは子供たちに見てもらうという伝統的家族制度・思想に大きく依存し、それが機能しているからです。そうでなければ定年後の必要資金を住宅や子供の学資のためにいとも簡単に引き出すという行動にはなりませんからね。尚こういう伝統的家族観が各民族のもつ性格によるものか、それぞれの民族に一般的な宗教によるものか、その両方があいまっているのか、これを検証するのは容易でありませんので、ここでは触れることができません。

福祉観の違いを見る必要がある

何も西欧型だけが唯一のあり方ではありませんからそれはそれでいいのでしょうが、世の中すべて例外とか大勢にあてはまらない場合が出てきます。そういう時そのはじき出された部分が、国家の福祉政策の網では十分救えないのです。はじき出された人たちを家族に面倒を見てもらえない可愛そうな老人という見方に傾きがちであり、その可愛そうな老人を救うのが福祉というありかたですね。老後に健康で文化的な生活を享受するのは人間の権利であり、それを保証するのが国家の義務というありかたは、マレーシアでは成り立っていませんし、これからも成り立たないでしょう、なぜならそれは民の意識が西欧や日本と違うからです。



番外コラム:外国の地名、人名をいかに表記するか


はじめに
ホームページとは全く関係なくあるところに書いたものです。当サイトの読者の目に全くふれないのも残念ですから、この場に収録しておきます。しかし通常のコラム題材とは関係ないので通し番号はつけません、番外です。

カタカナ表記で全ては書き表せない

外国の地名、人名の表記は結構難しいのです。カタカナ書きで全ての地名を正確に現すことができないのは誰でもわかりますよね、どんな言語を使おうとその言語を使う国・地方の地名、人名を除いて、世界のそれを発音通り正確に表記することは不可能です。そこで生み出されたのがどんな発音でも正確に表記できるIPA(国際音標アルファベット)ですが、これは言語学の世界だけで使われるもので、一般の人には通じません。

あるべき表記法の規則

そこで私の考えるあるべき外国の地名、人名、出来事などの書記・表記法は次ぎのようなものです。

1.まず日本語の音韻組織を崩さないということ 例:英語の"the"の表記は「ザ」で十分であり、これを無理して「ザ#」などと区別するのはおかしい、またスペイン語のPerro は巻き舌の"r" 音ですが、これも通常の「ペロ」としておけばよいのであって、無理して「ペロ@」などとする必要はない。中国語、タイ語などの声調言語はカタカナ又はローマ字表記しただけでは、当然正しい発音になりませんし、意味がまず通じません。しかし日本語に声調はないので、平書きするしかないのです。

日本語は鼻音"ng" と"N"を区別して表記しません、中国語(普通話)ではxin(新)と xing(星)は違った発音ですがこれを日本語で書けばどちらもシンになります。これを無理して区別するとおかしなカタカナ表記になってしまいますね。

この他日本語は有気音と無気音の区別もしませんから、中国語諸語、タイ語、韓国語などこれを区別する言語の単語をカタカナ表記すると区別できない単語がいっぱい出てきますが、しかたありません。

アラビア語の「ア」には喉を締め付けて発音する「ア?」もあるのですが、これも日本語にないので「ア」と書くしかない。

このように各言語の発音はまことにそれぞれ特徴がありカタカナで正しく表記するのは不可能です。しかし日本文のなかではカタカナ50文字だけを使えばいいのです。なぜなら、旅天国サイトは外国語の学習場ではないからです。

2.次ぎに昔からすでに出来上がった書記・表記があればそれをまず用いる

例:北京は日本語でペキンと書いているので、現実にはBeijinと発音するが(声調は無視)そのまま使う、Kuala Lumpur はクアラルンプーの発音に近いが、慣習でクアラルンプールと表記する。オーストリアは国語のドイツ語でオースターライヒのように発音するがそのまま書いたら日本人には通じない。タイ語でタイ人は通常バンコクをクルンテープと呼ぶが、これも外国人の用いる通称バンコクでよい。
ベトナムのホーチミンは現在でも地元でもサイゴンと並存して呼ばれているので、地名にサイゴンと併記しもよいでしょう。

上記の二つの規則をまず適用し、
3.それから多少外れる場合は、英語発音を基準にしないでその地名が存在する国の最大の公用語、又は一番縁の深い言語の発音を基本にし、それを日本語の音韻に従って表記する

例:Munchenはドイツ語ではミュンヘンですから、これを英語式にミュニックとしない、同じくGeneveを英語式のジュニーヴァとせずに、フランス語の音ジュネーブと表記する、またこのGeneveをドイツ語圏ではGenfと書き呼びますが、ジュネーブはスイスの中でもフランス語圏なので、フランス語の発音に従うということです。

マレーシアではPenangを華人はよくパンシンなどと呼ぶが、マレーシアの国語、又はたいへんよく使われる英語式呼び名であるペナンを用いるべきです。

4.ある程度受け入れられるようになったとはいえ本来の日本語音にはない「ヴ」とか「フィ」を多用しない。

以上簡単にまとめてみました。



ククップの福建人水上漁村で感じたこと、発見したこと


ホーホール州の西側南端にあるククップを訪れて、そこの水上家屋郡で知られた漁村で1泊しました、詳しくは旅行者在住者のためのページにある「ジョーホール州の案内」をご覧ください。

福建人漁村

さてこの漁村はほぼ全部というくらいの住民の大多数が華人です。華人でない住民はごくわずかで、筆者が見つけたは水上家屋郡の中の小さな1画のみでした、そこにはJeti Mulayu(マレー人波止場)と書かれており、マレー人が休んでいたので気がついたわけです。尚水上家屋郡以外の場所ではマレー人をよく見かけたので、華人社会というのは水上家屋郡に限ってのことです。

華人社会といってもここはほぼ完全な福建人社会のようです、福建州出身者が昔この地にやって来て水上部落を建設し漁業に従事したきたことでしょう。手元にククップの歴史を語る文献が全くありませんのではっきりした来ククップの年もその初期入植者の数も全く知りませんが、マレーシアの華人社会、当時は中国人社会、の勃興の常で同郷出身がグループでやって来て固まって住み同じような職業についたのです。こうして同業組合なりいわゆる方言パンを構成したのです。

注:福建人とは中国大陸の福建州出身者を先祖にもつ人々で、今ではもう第2、第3、第4世代です。その人たちの母語として話す言葉を一般に福建語という。福建語は広東語や上海語、客家語、華語などと同様に漢語に属する言語である、言語学的にはビンナン語というがここではこれ以上触れません。いずれにしろ漢語の各言語間の違いははなはだ大きく互いに意思の疎通は困難。
注:福建州からやって来たといっても、広大な州内の地域いたるところからではなく、一般にある地域の出身者が移住地には固まって住む形をとった


ククップは大きな町ではありませんから、この方言パンと同業組合が全く一致するわけです、つまりその部落の構成員のほとんど全てが福建人漁民ということですね。漁民社会は一般にどこでも親子代代漁業を受け次いでいく職業ですよね、ですからククップの住民も2世代なり3世代なりこうして漁業に携わってきたまとまりの強い社会と推測されます。反面それだけ外からよそ者がはいりにくい社会でもありますね。

だから入植した当時からのしきたりや風習が比較的残っていることも推測できます、共通言語はその集団の大きな要素であり且つアイデンティティーでもあります、だからここの福建人社会では福建語になるのです。この福建語を話す漁民社会は現代までも続いており、水上家屋郡を歩いていて聞こえてくる言葉は福建語と華語だけです。

注;華語がよく使われるのはそれが華人社会の共通語だからです。マレーシアの国民型中華小学校では華語を学習するだけでなく、華語を用いて他科目の授業を行う。そのため華人の若い世代では特に華語を日常的に話す層が増えている。筆者のこれまでの経験では、半島部南部の方が華語の日常的使用者の比が多い。

もう一つ華語がククップの華人社会でよく用いられる理由は、ククップがシンガポールに近いからですね。これは後で論じます。

立派な大きく新しい民宿の多さに驚く

2つに別れた水上家屋郡をどちらも一回りして見ました。旅行者ページで書きましたように、至る所に新しく且つ大きな民宿が目立つのです、「わ、りっぱな建物だな」 という言葉がふさわしいのです。クアラルンプール郊外の高級住宅地ならこういう立派な家を目にしても驚きませんが、悪い意味ではなく都会から遠く離れた片田舎の漁村でこれほどたくさんのりっぱな家々を目にすると驚かざるを得ません。

水上家屋郡といえばスランゴール州のクタム島がよく知られていますが、あそこの島でも新しく大きな家はあります、しかし全体に占める率からいえば、このククップの水上家屋郡の方がずっと高いし数が多い。クタムは島でククップは陸地に連なる海岸際という違いはありますが、どちらも独立した華人漁民社会を長年構成し、観光客が頻繁に訪れる地という特徴があります。ただクタム島に民宿は極めて少ない。

ククップはシンガポールにごく近い

ではなぜククップのほうがこうも”はぶり”がいいのでしょうか、その大きな理由はククップの地理的位置にあるのです。マレーシア半島の最南端の地にあるということはシンガポール島に近接しているということで、ククップとシンガポール間にはボート便はありませんが、直線距離で言えば70、80Kmしか離れていません。もちうろん道路での実走距離はこんなに少なくはありませんが、シンガポールから、ジョーホールバル、ポンティアン経由か又は第2連絡橋を通ってポンティアン経由で簡単に到達できます。従ってこの海上民宿の泊り客の相当数はシンガポール人だそうです。

シンガポール人が週末、休日、学校休み時期に大挙してマレーシアにやってくるのは周知の事実ですよね、その訪問者の多数はジョーホールバルへの買い物・食事の日帰りですが、泊まり行楽でジョーホール州の各地へ出かける人も多いのです。ジョーホール州ではないティオマン島訪問者にもシンガポール人が多いそうですが、渡島するフェリー発着の地Mersingはジョーホール州です。

シンガポール人の行楽地リストに入っているのがククップの水上民宿だ、といえると思います。だから絶えずやってくる豊かなシンガポール人休暇客を相手に、水上民宿は改築し増築してその民宿産業規模を拡大させてきたのでしょう。それを叙述に物語るのが、左側水上家屋郡だけで40軒近い民宿数ですね。マレーシア人休暇客だけではとてもこれだけの民宿を維持できないのは初めて訪れた者が見ても明らかです。

宿泊料が食事込みでグループの場合1人当りRM75程度というのは、マレーシアの水準から言えばそれほど安いとは言えません、なぜなら1部屋に7、8人も詰め込みトイレバス共同の形式であるからです。この料金でもやっていけるのは、やはり豊かなシンガポール人を主対象にしていると考えてもよさそうです。自然の少ない都市国家に住むシンガポール人がこういう漁村に憩いを求めるのはよくわかります。1泊2日で手軽に行き来できますし、新鮮な魚類も、シンガポール水準から言えば安価に賞味できますからね。ククップには大小の海鮮レストランが10軒近くもあります。

家々から聞こえてくるテレビ番組にシンガポール放送が多い

筆者が水上家屋郡をぶらぶら歩いて気がついたのは、家々でかかっているテレビにシンガポール放送番組が多いなということでした。どこの家でも外からつまり通路(道路)に面した居間を開けっぱなしにしているので、通路を歩いていれば覗こうとしなくても各家の居間内が目に入ります。そこで点けられているテレビから聞こえてくる番組の言語が華語です。マレーシアテレビ局RTMでは日中に華語番組を常時放送しませんし、調子がなんとなく違うのでシンガポールテレビ局の華語番組だとわかります。それにクアラルンプールの華人集中地区ならならよく聞こえてくるマレーシア華語・広東語ラジオ局の放送音も全く聞きませんでした。このマレーシアラジオを聞かない理由は、広東語を全く解しない福建人社会だから聞く気にならないだろうことはわかります。おかげで筆者はコミュニケーションに苦労しましたけど。

筆者の泊まった民宿では、居間のテレビも台所のテレビもずっとシンガポールの華語放送局にチャンネルを合わせていました。その日の泊り客にシンガポール人がいたわけではありません、筆者だけでしたからね。つまり極めて自然にこの家の人たちはシンガポール華語局ばかり見ていると推測できました。この民宿の家人は英語もマレーシア語もほとんどできないようなので、1日中華語で放送しているシンガポール局の方が華語放送時間の限られたマレーシアのテレビ局より好みなんでしょう。

マレーシア語ができない理由は、ある意味では水上家屋郡の同質的世界に起因しますね、この水上部落内で生活しておれば、華語と福建語で全ての用が足り、マレーシア語を使う機会は極めて少ないですね。いくばくかのマレー人がブラチャンを干す仕事をしているのを翌朝見かけましたが、彼らは水上家屋郡外からの通い労働者ですね。

こうしてニュースもシンガポール発信で知り、娯楽番組もシンガポール放送で楽しむ、泊まり客の多くはシンガポール華人、というジョーホール州以外ではちょっと考えづらい環境下にある華人社会です。ジョーホール州の南部なら恐らくどこでも極めて鮮明にシンガポール放送は映るはずです。マラッカでさえ画像はぼやけながらも映るシンガポールテレビ番組ですから、ジョーホール州の南部ならいうまでもないところです。ですから華人で華語話者の多くが、どの時間帯でも華語で放送しているシンガポール華語局にチャンネルを合わせることを筆者は知っていましたが、このククップ水上家屋の住民みたいほど徹底されると、ちょっと驚かざるを得ませんね。

路上の賭けトランプ遊び

また家屋郡を歩いていて見かけた光景に、路上トランプ賭博がありました。茶店の前の空き地で10人ほどの男たちが賭けトランプでわいわい遊んでいました。華人がマージャンや(これもベランダで遊んでいる所を数回見かけました)トランプなどで賭け遊びするのは別に不思議でもなんでもありませんが、家屋内でなく路上で、これだけどうどうと賭け遊びしているのは、クアラルンプールではまず見かけることはできません、一応この種の行為は違法ですからね。水上部落のような閉ざされた華人コミュニティーにはめったに警官、そのほとんどがマレー人です、が警らにやってくることはないはずです。それだから路上でどうどうと遊べるのでしょうね。

村の集会広場で村人のために演芸会開かれる

同質的である意味では閉ざされたククップ華人社会ですから、当然部落の1画には道教寺院・廟があり、その前の小さな広場には小屋付きの集会広場があります、こういう施設は華人村社会につき物ですから。筆者の泊まった夜は偶然その広場の小屋で村民のための演芸会が催された夜でした。日中筆者が昼飯をその付近で食べた時に、小屋がチャイニーズオペラ用に装飾されているのに気がつき、小屋の人に尋ねたら、「今晩8時から」と聞いたので、これはラッキーとその夜出かけました。泊まった民宿から徒歩5分の距離です。

写真を「ジョーホール州の案内」の該当項目に掲げておきましたので、そちらを後でご覧ください。
クアラルンプールのような都会では、ある地域でそこにある青空集会所で地域の住民対象に娯楽が催されることは極めて少ないのですが、ククップのような田舎で且つ華人の同質社会だからこういう催し物が時に開かれることでしょう。クアラルンプールの華人社会でも地域の集会所とかはありますが、やはりそこは都会、まとまりも悪いし同質度も田舎の華人コミュニティーとは相当落ちますね。

筆者が夜8時に着くと、集会所である広場にはすでに子供たちがイスに陣取っていました、そして三々五々と村人が集まってきました、ほとんど子供連れの親子です。都会のようにあちこちに遊具施設のないこの村の子供にとってはまこと楽しい催し物かもしれません。

ドサ回りの華人歌手たち

チャイニーズズオペラが始まるのかと思ったらそうではなく1時間半近くは歌謡ショーでした、いわゆるドサ回りの華人歌手が男一人を含んで6人ほど出演して歌いまくりました。シンガポール華人なのかマレーシア華人なのかそれはわかりませんでしたが、1人5,6曲づつ狭い舞台で歌ったのです。あとで気がついたのですが、この歌謡ショーはチャイニーズオペラの前座ではなく、その夜の演芸会は二部構成からなった独立した歌謡ショーだったのです。

後ろの方のイスに座って聞いていた筆者も、こういう歌謡ショーは好きなので楽しめましたよ。ドサ回りなので、言葉は悪いが可愛くもないへたな歌手ばかりだろうし、歌われる歌も古い曲ばかりだろうと想像していました、事実そういうのも半分でした(失礼)。が、あにはかららずやそうばかりでもなく、現在マレーシアで流行っている2人組みタイ娘”中国娃娃”の持ち歌を歌ったり、えーこんな可愛い娘が出演するのという一見アイドル風の双子歌手が出てきたのには驚きました。彼女たちはリズム良く歌もうまかったので、所詮ドサ回りだから大したことない、とばかにしていた筆者は認識を改めたぐらいです。

6人の出演歌手中、昔風の歌手2人は地元ククップの観客に合わせたのでしょう福建語の歌ばかりでしたが、あとは華語の比較的新しい流行歌を歌っていました。クアラルンプールとは違うなという感とともに、舞台の上も観客も回りの景色も、華人とその縁故物ばかり、一瞬多民族社会マレーシアにいることを忘れさせる錯覚を起こさせるひとときでした。まことこういう小さな閉ざされた華人社会はクアラルンプールのような都会とは違いますね。

チャイニーズオペラは人気ナシ

歌謡ショーが終わると百人はいただろうと思われる観客が5分の1以下になってしまいました。チャイニーズオペラの番です。こども連れはほとんど去り、残ったのは年配観客と一握りの若者だけでした。筆者にとって、チャイニーズオペラは何年かぶりに見るものであり且つこういう場末の小屋で見るのは初めてなので期待はしていたのですが、やっぱり退屈でした。チャイニーズオペラ団は、幕に書かれた住所からジョーホール州のバトゥパハットからやって来たアマチュア劇団らしく、素人目にも感動のない劇でしたので、筆者も10時にはそこを立ち去ったのです。

歌謡ショーが終わった時点で、5分の4以上の観客が立ち去った理由がわかりました、すべて福建語の筆者にはちんぷんかんぷんのチャイニーズオペラというからでなく、やはりそのスローなテンポと面白みのない筋では現代人にアピールしないのはしかたありませんな。

注:チャイニーズオペラは一般に京劇と訳されるが、この劇団は華語上演ではないので京劇ではおかしい。


水上家屋コミュニティーもこの10年は変わったことでしょう

翌朝民宿の海に突き出したベランダに出て、湾に浮かぶたくさんの養魚場を眺めていました。村人が岸からそれぞれボートで養魚場に着き、世話をしているのです。この養魚場で1年ほど育った成魚はその後シンガポールやジョーホールバルのレストランの皿に載るそうです。水上家屋郡の大きさに比して波止場に横付けになった漁船の数が少ないのを考えると、今では結構な村人が養魚場にかかわっているかのように推測しました。民宿業に専念している元猟師もいるかもしれません。筆者の短い滞在でそういったことは全て推測ですが、ククップの水上家屋郡部が昔ながらの漁村ではもうなくなったことは確かでしょう。

閉ざされたこのククップの福建人漁民社会も90年代は80年代に比べて結構変わったのかもしれませんね。筆者はクアラルンプールの華人多数地区に何年も住んでいますが、違いを感じることの方が多いククップ福建人漁民社会滞在でした。そこもまたマレーシアの一つの面でもあるのです。



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