「今週のマレーシア」 2011年11月12月分のトピックス


・マレーシアコミック界の雄ともいえる GEMPAK STARZのイベントを通して マレーシアのポップカルチャーの一端を紹介
Intraasia の雑文集 −2011年下半期分



マレーシアコミック界の雄ともいえる GEMPAK STARZのイベントを通してマレーシアのポップカルチャーの一面を紹介


マレーシアのマンガ・コミック界の最大会社グループの1つである Art Square Group は以前からコミックイベント・展示会を行ってきました。2009年のイベントから "100% GEMPAK STARZ " という名称に変更しました。このもようは当ホームページの 「旅行者のためになるページ」 にある 『 ファッションとヤング文化と趣味』 目次内の記事でその様子をたくさんの写真中心に掲載しています。さらに 今週のマレーシア第561回 【人気コミック雑誌 Gempakグループが主催した展示会イベントの模様】 では文章で詳しく紹介しました。

Art Square Group  が2年に1回主催するイベントである "100% GEMPAK STARZ 2011" が、2011年11月下旬に3日間の日程で、クアラルンプールのブキットビンタン街の有名なショッピングセンター Sungei Wang Plaza で行われました。 この時期は学校休暇時期であり且つ今年はイスラム歴新年を挟んだ 3連休となる好日程です。

  

2年前の第1回に続いて、イントラアジアに11月中旬頃にイベント招待状が届きました。 そこで今回もイントラアジアは会場に数回出かけてイベントの様子を眺め、たくさんの写真を撮りました。 ホームページのこの記事で今回の "100% GEMPAK STARZ 2011" のもようをお伝えすることで、読者の皆さんにマレーシアにおけるコミック・アニメ・コスプレを下地としたポップカルチャーの一面を紹介します。

柱となるコミック雑誌

Art Square Group の中心発行物となるコミック雑誌は現在2種ある、いずれも月2回刊: 

    

その他の出版物と販売物:


イベントの様子

会場では展示コーナーと同社の出版物・商品販売ブースが3日間通しで設けられ、及びスケジュールに基づいたイベントがいくつも行われました。会場の Sungei Wang Plaza コンコース広場はこの種のショッピングセンターの会場としてはかなり狭いのですが、そこはマレーシアの老舗で且つ依然として集客量でトップクラスのショッピングセンターという地の利もあり、イントラアジアが会場にいた間、さらに推定に間違いはないでしょう、多くの訪問見物者やコミックファンが絶えず会場に集まってきていました。

  

イベントの開会式でArt Squar グループを代表する1人であり、同時に依然としてマンガ家でありさらに10年間もGempak 編集者を務めた Ayour こと Fakhrul Anour が読み上げた開会宣言の中に次のような一節があります:
「マレーシアコミック業界の中には日本マンガからの影響を払拭した人たちもいますが、私たちは我々マレーシア人自身が創り出した影響による我々自身のマンガブランドに適応していくと信じています。」
「GEMPAK STARZは現在では、マレーシアコミック産業界でこれまでに最もたくさんのコミック作品を生み出すブランドの1つになりました。」

  

Gempak グループのコミック出版物をざっと眺めると、確かに日本マンガの影響が素人目にもあることがわかります。もちろんその影響度はマンガ家によって大いに違いがあるので、どのマンガ家もということではありません。イントラアジアが 2003年に Gempak グループの本社を訪れてインタービューした最初の人物が Ayour でした(上左写真でマイクの前にいる人物)、そして前回イベント時も彼と話をしましたので、以来顔見知りです。彼の自信に満ちた発言内容と盛況なイベントを見るにつけ、Gempak グループが伸び続けていることを実感しました。
Gempak グループは発祥会社のArt Square Creation 社、 Anjung Taipin 社、など4社に増えました。さらにシンガポールに支社 Art Square Creation (S) Pte.Ltd. を創立したと案内書に書いてあります。そのためマンガ家集団ではない多くの同グループスタッフが会場で働いていました。

イベント開会式ではArt Squareグループに属しているマンガ家16人(上左写真で並んで立っている人たち)、加えてまだマンガ家として確立していない新人やアシスタントマンガ家が10数人舞台上に登場しました (上右写真で腰を落としている人たちがアシスタント)。大勢の漫画集団になったなと思いました。

各マンガ家のデザインによる X'Pose 展示

今回のイベントのハイライトの一つは、Art Square グループの GEMPAK STARZ マンガ家が各自の創造性を活かして平面的または立体的な展示品を創り、それを与えられた区画に展示していることで、これを X'Pose と名づけていました。 すでに人気を確立しているマンガ家は1人で1区画を割り振られています、新人またはアシスタントマンガ家はそれぞれ4人組みとなって1個の区画に展示していました。マンガ家はあらかじめ決められた時間表に従ってそれぞれの区画に座ってサイン会をしていました(1段下の右写真)。下の5枚写真はどれもその X'Pose展示を撮ったものです。

  

    

人気マンガ家

GEMPAK STARZ マンガ家中で最も人気あるマンガ家の2人といえそうな Keith と Kaoru の前にはいつも列ができていましたね。なお Kaoru は2009年の"100% GEMPAK STARZ 2009"の際にイントラアジアがインタビューしてホームページでも紹介した女性マンガ家です。 彼女の描くタッチはフェミニン性と可愛さがあり、こんな点からも熱心なファンが多い理由なんでしょう。
下2枚の写真はKaoru のX'Pose 展示区画です、下右では彼女がファンにサイン・イラスト書きしている様子です。

  

Keith はGempak 誌で4コマのギャグ的またはナンセンス調のマンガを数編づつ掲載している、グループのベテラン人気マンガ家といえるでしょう。 Art Square グループ出版の、マンガ家を特集したPopcorn という本の中で彼は語る、「日本マンガが支配している。私が小さかった時、学校に上がる前に既に日本マンガを読んでました。短い言葉で表現するのは無理だが、言えることは日本マンガの成功は日本人のこだわりとがんばりと強烈さを反映したものと思う。マレーシア人はこうしたことにそれほど強い感覚を持たない。マレーシアにはマンガ文化がない。だから我々は恐らくマレーシアコミック分野で特定分野を開拓しなければならないだろう。」

下左写真はKeithの X'Pose 展示区画です、彼の最近の人気作と言われている "Wasabi" コミックの登場人物を基にデザインしたものと説明にある。下右写真に keith の代表作であろう Lawak Gempak と 彼の名前が大書されていますね、 Lawak Gempak コミックは厚い単行本化もしたそうです。彼がGEMPAK STARZ の人気マンガ家ということがわかります。

  

Kaoru は名前自体からわかるように、さらに描くマンガの中に日本的なものが登場するように、日本マンガの影響が彼女の中にあることを、彼女自身上記のPopcorn本の中で語っている、「 私は、日本の漫画家に影響を受けてマレーシアのコミック界に入ることになった、たくさんの中の1人だと思っている。  マレーシアコミック界の発展の道が限られているように見えるので、多くの人が海外の計画にその狙いを移してしまい、そこでマレーシアコミック界が停滞するようになる。」

マンガ家アシスタントも10数人いる

Gempak 誌にも漫画王にもまだコミックを書いてなく、子供向けコミック教育本の X-Venture 部門に配属されているという、新人・アシスタントマンガ家の男性3人( Samu, Kino, Xeno ) に少し話しを聞きました。いずれもマレーシアのアート系のカレッジまたは専門学校を卒業した20代半ばから30代初めの青年です。近年Art Square グループに入ったとのこと。 話の中に全然野望を語らないごくまともな青年たちとの印象を受けました。

  

この3人が共同デザインした展示物が X'Pose コーナーの区画の1つに展示してあります。上左がその外側の写真で、右端の男性が3人の内の1人です。上右がその内部の写真です。日本の銭湯に題材をとったギャグ的想像によるデザインだそうです。

コミックファンの応募作品の展示と優勝者発表式

"100% GEMPAK STARZ 2011" では前回も催した読者層を対象にした応募作品大会を行いました。 Art Square グループが "100% Creative Fever: Multimedia competition" と名づけている催しです。提供商品とは別に賞金総額 RM 2万になると書かれています。

Art Square グループが招待者に配布した資料によると、4つの部門: ショート映画・アニメ部門、 応用部門、 商品化部門、壁紙部門 があり、2011年4月から8月半ばまで一般公募して、432の応募作品が集まりました。 応募者層を年齢層で見ると 13歳から19歳の層及び20歳から25歳の層が合わせて 4分の3以上を占めており、住所別ではスランゴール州、クアラルンプールで3分の2を占め、次いでペナン州、ジョーホール州の順になります。その他の州からはごくわずかの応募者です。 性別では全体の7割が男性で3割が女性という大体の割合です。

この応募傾向を見ると、Gempak, 漫画王を核とした GEMPAK STARZコミックの読者層とファン層の傾向がある程度推測できそうです。かなり都会型だといえそうです。

  

   

上写真の3枚が壁紙部門作品で最後の右側の1枚が商品化部門作品です。

  

上の2枚は商品化部門作品です。

    

応募作から各部門 8人を選んで入賞作として会場に展示してあります。 そして審査が終わったイベント2日目に各作者を会場に呼んで、舞台上で1等、2等などと優勝者を発表しました。上の2枚はその授賞模様を写した写真です。賞状や商品の紙袋を手にしているのが入賞者で、上位の人は賞金ももらえます。

小中校生向けの教育コミック本 Learn More シリーズ

  

主として小中校生向けと思われるコミックで描く教育図書を Art Squareグループは Learn More シリーズと名づけて、多くの書籍を発行してきました。その教育図書の一環として、最近刊行したのが X' Venture と名づけたシリーズです(上左写真)。上中写真はこのLearn More シリーズの教育図書です。なお上右写真はコミック本です。

  

上左写真はマレーシア語に翻訳したイラスト小説の新刊本を紹介するポスターです。上右はマレーシア語コミック本です。

  

上写真2枚に写っているマレーシア語翻訳本の内 3つのタイトルではそこに添え書きされている作者名が日本名なので、日本人漫画家の作品の翻訳本でしょう。

  

上の2枚は会場内の様子です。コスプレ姿で訪問者に紙切れを配っています。会場ではArt Squareグループのコミック本、ブランド化した商品が販売カウンターで販売されており、カウンター前はいつも混んでいました。

Art Square Groupが主催したコスプレ大会

イベントのプログラムの1つとして、Art Square Group外のコスプレグループ Comic Fiesta と共催で、一般応募コスプレ大会を行いました。コスプレは観客からの声援も多く、たいへん人気あることがわかります。決勝ラウンドに残った参加者が舞台上に揃った写真が下左です。下右はそのコスプレグループComic Fiestaの 宣伝ブースに座っている同グループメンバーの写真です。

  


3日間のイベント会期中、イントラアジアは2日間顔を出して観察しました。マレー人ファンも華人ファンもたくさんが会場を訪れて、展示を見たり写真を撮ったり、書籍を買求め、さらに好みのマンガ家からサインをもらったりとイベントを楽しんでいることが、イントラアジアに伝わってきました。漫画、コミック、アニメ、コスプレはマレーシア若者層のポップカルチャーになっていることをあらためて感じます。


J-POPS界と日本の漫画・アニメ界にみる共通性

Art Square Group が出版しているコミック本・雑誌と所属マンガ家に、素人目にも日本漫画の影響が大なり小なりあることがわかります。といってもそれは真似ではなくマレーシアの風土に合わせて取り入れたと形といえるでしょう。 下左写真はGempak 誌掲載のマンガの例です、多分皆さんも似た面があるなと感じられることでしょう。Art Square Group はさらに上で書きましたように日本漫画の翻訳版も発行しています。またGempak 誌には日本アニメの情報も載っています(下右の写真)。

  

コミックファンの間に依然として日本漫画の人気が高いことは、ショッピングセンターなどにある本屋、雑誌屋で翻訳マンガが実に数多くのタイトルで出版されていることから、疑いのない事実です。

こういう底流を考えると、100% GEMPAK STARZ のようなイベントに名の知れた日本人漫画家が顔を出したらまたはゲストで登壇したら歓迎されるだろうなと前々から思っていました。しかしこれは恐らくまず実現しないかのようにも思えます。それは J−POPSの例に明らかだからです。1990年代後期マレーシアで J-POP は大いに人気を博し、種種のマスコミでもしばしば取り上げられていました。とりわけ華語メディアは定期的にJ-POPの話題、歌手の話題を伝えていましたし、華語ラジオ局の1つでは毎週の J-POP 紹介番組さえありました。その頃イントラアジアはいくつものルポ記事を書いてホームページに載せこのことを紹介しました。

当時イントラアジアはホームページやゲストブックで、なぜ日本の J-POPS界は東南アジアに目を向けないのだという主張を書いたものです。日本のJ-POPS界はマレーシアなどでの状況をほどんど知らなかったし、知ろうという意識自体がなかった。明けても暮れてもロサンゼルスやハワイがどうの、米国歌手の誰々がどうのという米国志向であり、東南アジアを日本のJ-POPS界のマーケットとして捉えていなかったことは確かです。だから今に至るまで名の知れた日本の J-POPS界歌手・グループは一度たりとしてマレーシアに音楽活動では来ていない。恐らくホリデーとしてなら来た人たちもいることでしょうけど。なお例外はキタローですが、彼は日本のJ-POPS界の人ではない。

その後2000年代中頃から K-POPS がマレーシアで人気を増し始めた、今年2011年にはK-POPS のコンサートが何回も開催され、その度に数千人規模以上のファンを集めていることがマスコミのニュースに載っている。K-POPS 紹介の雑誌さえ売られている。 マレーシア音楽業界人の言葉を紹介すれば、K-POPS は積極的にマレーシアに売り込み・宣伝に来ている、 J-POPS界はそういうことに興味がなかったようだ、と。日本のJ-POPS界はまこと東南アジアに目を向けない、たまに話題にするのはせいぜいシンガポールとバンコクぐらいなのでは・・・・。 マレーシアにおけるJ-POPS人気はもうK-POPS にはとても敵わない。

日本の漫画とアニメはJ-POPSよりはるかに古くから、はるかに広範囲に、東南アジアに広がり、違法コピー・翻訳版を含めて市場としてきた。 そういう確固とした底流があっても日本の漫画家はマレーシアなど東南アジアを”隣の読者”と捉えていないように思われる。 マレーシアは漫画市場としては確かに大きくない、中国とは比べものにならないほど小さい、しかしここでも言えることは、K-POPS界の志向性を見習って欲しいなということです。 

イントラアジアはJ-POPSファンでももちろんK-POPSファンでもない、取り立てて日本漫画とアニメが好きでも詳しいわけでもない。そういうファンとしての観点からではなく、マレーシア及び東南アジアを語る、関わる者として、日本人一般がマレーシアを捉えるあり方に変化を生み出すかもしれない小さな小さなきっかけになることを願って、この一文を終えます。

2011年11月記


Intraasia の雑文集 −2011年下半期分

はじめに

「ゲストブック」 には随時様々な題材で書き込んでいます。しかしその書き込みはいずれ消えてしまいます。そこで2011年下半期に Intraasia が書き込んだ中から主なものを抜粋して、コラムの1回分として収録しておきます。ごく一部の語句を修正した以外は、書き込み時のままです。

【マレーシアの人口統計の最新データ抜粋】

2010年5月に全国で実施された全国人口と住居調査の速報を統計庁が発表しています。これはマレーシアの現状を知るうえで大変重要な数字であり、マレーシアに長年関わっているイントラアジアにとって大変興味ある数字です。
総人口: 2756万人  その内男性 1411万人、女性 1345万人、 参考:2000年の総人口は2327万人
2010年から2010年までの年平均人口成長率  2.17%、 参考:1991年から2000年までの年平均人口成長率  2.60%
世帯数: 640万、 住居数:738万、 1世帯あたりの平均人員数:4.31人、 世帯あたりの平均人員数が多いトップ3州: サバ州 5.88人、クランタン州 4.86人、トレンガヌ州 4.78人
州別人口: 最多はスランゴール州 541万人で全国の19.6%を占める。クアラルンプールは163万人で 5.9%

日本の世帯平均人員数は2010年で 2.46人だそうですので、マレーシアの 4.31人はやはり多いと言えます。それにしてもサバ州の世帯人員数はかなり多いですね。半島部では東海岸2州が上位2州だというのは、マレーシア知識を持っている者であれば納得いくところです。両国間にある家族意識の捉え方の違いが世帯人員数の差を生んでいる要因の一つです。スランゴール州とクアラルンプールの人口つまり首都圏の人口は約700万人、総人口の4分の1を占めるという人口集中の状況が確認できます。

 ところでマレーシアは男性の方が女性より人口が多いですね。なぜかを考えてみるのは面白そうです。そうそう、最も少なく見積もっても100万人はいるであろう違法・非法外国人労働者の数はこの統計には現れていないことも知っておきましょう


【ANAとの合弁格安航空エアアジア・ジャパンの設立発表ニュースに思う】

全日空ANAとエアアジアAirAsiaが日本基盤とした格安航空会社を合弁で設立し、資本金50億円の出資比率はANA 2 対 AirAssia 1の割合で、拠点空港を成田とする、というニュースを、日本のマスコミは単に業界ニュースとしてでなく目立つ形の経済ニュースとして取り上げたようですね。
エアアジアを2002年の発足以来追っているイントラアジア (Intraasia)としても、まずはうれしいそして驚いたニュースだといえます。そこでマレーシアと多少関係あることもあり、エアアジア関連トピックスとして少し論じておきましょう。

合弁格安航空会社エアアジア・ジャパンは日本基盤ですし、ANAの出資比率がAirAsiaのそれの倍もあるという点から、同じAirAsiaの合弁航空会社であるタイエアアジアとインドネシアエアアジアとは結構違った特性を持つ格安航空になるのではないだろうか、とイントラアジアはこのニュースを知ったとき、まずこう思いました。

タイエアアジアとインドネシアエアアジアは限りなく本体のエアアジアに近いありかたと特性を持っています。それは同じ東南アジア基盤ということから、3国間に国民性と地域特性の面でそれほど大きな違いはないからです(ないということではなく、日本とマレーシアの間にある違いに比べれば、ずっと小さいということです)。

イントラアジアは、エアアジアブログを開始した頃の記事『エアアジア(AirAsia)の簡素且つあっさりサービスは低コスト航空会社だからこそ意味がある』の中で次のように説明しておきました(2010年):
「エアアジア(AirAsia)のビジネススタイルと経営方針は、マレーシア人にとっても非常に斬新なものでした。それはマレーシア人の捉える一般的な航空会社常識から外れるものだったからです。それまでの航空会社の常識である機内サービスを全て有料化し、地上サービスを限界までに簡素化しました。

マレーシア社会は日本社会と違って、過剰ともいえる表面的礼儀正しさとくどいまでの言葉上の丁寧さを求めません。新航空会社の簡素なサービス、ごくありきたりの対応スタイル、それがそれまでのマレーシア人の捉える航空会社常識からはずれていても、受け入れるだけの下地がマレーシア社会にあるのです。

このことは非常に重要な点であり、エアアジア(AirAsia)がマレーシアでビジネスを開始したことが最大の貢献になったのです。なぜならマレーシアでビジネスに成功しなかったら、同社のその後の近隣国への進出はありえなかったし、ましてや長距離格安便である AirAsia X の創立もなしえなかったからです。仮に乗客の対象が日本人であれば、いくら運賃を安く設定してもあれほど簡素なサービス、ごくありきたりの対応スタイルは、恐らくまず受け入れなかったことでしょう。」
以上

タイ社会もインドネシア社会も基本的にエアアジアのビジネススタイルをそのまま受け入れたことは、その後の各合弁会社の成功とマレーシア−タイ間及びマレーシア−インドネシアア間を運行するフライトの多路線多便さが示しています。

さて過剰ともいえる表面的礼儀正しさと極めて細かなことにこだわる日本社会で(注)、エアアジア本来のビジネススタイルがそのまま受け入れられることはまず無理でしょう。その前に格安航空会社は低コスト航空会社であることが絶対前提だという意味が、日本ではまだまだ理解されていないと感じます。ですから、一般使用言葉では、依然として”格安航空”であり、今回のマスコミニュースに対する反応を見ても、単にある都市からある都市までの運賃がいくらになるというコメント主体が多そうですね。

注:東南アジアに初めて足を踏み入れてから30年、内20年はマレーシア基盤であるイントラアジアは、日本に来るといつもこのことを、良い悪いではなく違いとして感じます。

低価格にするためには低コストでならねばならない、そのためには利用する乗客も低コスト化を受け入れなければならないし、同時にいろんな点で妥協する必要がある、という当たり前の論理が”実感”として捉えられていないことに気がつきます。しかしながら、日本人乗客に、東南アジア乗客のあり方を受け入れるべきだというのも非現実的です。日本社会には日本社会の価値観と許容範囲があるからです。

エアアジア・ジャパンは日本国内運行と日本基点での東アジア方面運行のようですから、エアアジア (AirAsia)、エアアジア Xの路線範囲と直接はかち合わないようです(間接的にはあるでしょうが)。
さらにANAの出資分が2倍ということから、エアアジア・ジャパンは同じ合弁航空でもタイエアアジアとインドネシアエアアジアとはかなり違った特性を持つであろうことが予測されます。あくまでも”日本的なエアアジア”というあり方になることでしょうし、一時的な成功ではなく長く存続していくためにはそういう方向性しかとりえないであろうと思われます。

まあイントラアジア (Intraasia)としては、エアアジア・ジャパンはエアアジア・ジャパンなりに成功していくことを願っておきます。


【AKB48のインドネシア版JKT48 のニュースをネットで知ったので、これだけは言っておこう】

イントラアジアは子どものときからアイドルとかスターにはほとんど興味をもたない人間です。といって流行歌や映画が嫌いということではありません。流行歌をラジオで聞くのは好きだし、映画においては今に至るまで熱心なファンです。マレーシアでシネマに通って観た映画本数は20年間で恐らく1,000本近いでしょう(VCDやテレビでは一切見ません)。ホームページなどで映画を時々話題にしてきましたね。要するにイントラアジアは、スター、歌手、俳優に対しては彼ら彼女ら自身への興味はほとんど沸かない、感じないということです。

さて去年日本に来て滞在したとき、なにやらAKB48 とかいうグループが大人気であることをマスコミで知りました。単にそういう知識を得ただけであり、AKB48の実際の映像は今に至るまで見たことはありませんし、見たいとも思いません。

昨日たまたまネットで、インドネシアに日本のAKB48 を真似た JKT48 というアイドルグループを立ち上げるプロジェクトが始まったという記事が目に留まりました。
そこで早速 JKT48 で検索したら、www.jkt48.comというインドネシア語のサイトがすぐ見つかりました。
イントラアジアはJKT48自体に興味は沸きませんが、なぜインドネシアがその地に選ばれ、そしてインドネシアで日本流のアイドル生み出し法が成功するのかなという興味心がちょっと起きました。

www.jkt48.com の冒頭にある紹介文の1節
Kami ingin menciptakan tempat bagi para perempuan Indonesia untuk mewujudkan impian mereka. Bersama para penggemar, kami ingin membuat satu-satunya “Idola orisinal Indonesia”. Inilah inspirasi utama kami meluncurkan JKT48.

イントラアジア訳:
私たちはインドネシア女性の夢を実現させるために彼女たちに場を作ってあげたいと思います。ファンと共に、私たちは唯一の”インドネシア独自(自身の)のアイドルを生み出したい。これが私たちがJKT48を立ち上げる一番のすばらしい思いつきです

この一文はインドネシア語なので、マレーシア語を見慣れている者には多少違和感のある単語や表現が混じっています。マレーシア語とインドネシア語には単語の違いがかなりあります。数ある中の一例: 日本という単語はマレーシア語で Jepun インドネシア語で Jepang
マレーシア語とインドネシア語の違いがあっても、文章の意味は取れます。教養あるマレーシア人またはインドネシア人であれば、互いの書記文(文語ではなく文字で書かれた文章という意味)は相当程度まで理解しあえます。口語になると単語の違いだけでなくアクセントの違いや方言が多く混じることから、話される口語によって互いの理解度にかなりの違いが出てくる。

ところで www.jkt48.com/のページを少し読んだので、AKB48 の意味がわかりました。秋葉原の略なんだ。そして4つのチームがあり、その内3チームは16名の構成と書いてある。なるほど、だから48なのかな。ということから JKT はJakarta のことですね。48には AKB48と同じ意味が込められていることでしょう。

イントラアジアにとってJKT48の内幕とか内容はどうでもいいです。あくまでもインドネシアという土壌でこの種のショービジネスの可能性を求めたベンチャー意識に興味があります。

イントラアジアは主に「今週のマレーシア」において」、1990年代後半から2000年初期にかけてマレーシアでJPOPSがかなりの人気を博していたことを何回か話題に書きました。当時若者向け雑誌や新聞の娯楽ページではひんぱんにJPOPS歌手や日本人俳優の話題が載りました。イントラアジアは当時書いた文章の中で、日本人スターつまり人気歌手や俳優はマレーシアなど東南アジアにもっと目を向けるべきだというようなことも主張しました。

しかしマレーシアには誰一人としてやって来なかった。個人的な旅行で訪れた者はいたでしょうが、ショービジネスとしてマレーシアを訪れた名の知れたスターは皆無であった。しょせん彼らとその所属プロダクションやテレビ局にとってマレーシアのような東南アジアは意欲のわかない地なんでしょう。その証拠にたまに日本へ行って聞いたラジオなどでDJやスターや評論家の発言中に出てくる言葉は、「ハワイが、グアムが、ニューヨークが、ロスが」といったものばかりでしたね。2011年の現在でも状況はほとんど変わってないようですな。

その10年後どうなったか。マレーシアにおけるJPOPS はとっくに人気退潮しています。JPOPS紹介の定期ラジオ番組も消えてしまった。この数年マレーシアへ韓流の歌手やグループ、さらに俳優が頻繁にやって来ています。マスコミに載る韓流の記事はごく普通に見かける。彼ら彼女らが來マレーシアして開くショッピングセンターでの顔見世では、多くのファンが集まる。方や時々公開される日本映画でしか話題にならない日流のスターたち。タイやシンガポールでも韓流は日流を凌駕しているようだ。

マレーシアの新聞は、日本の芸能界は外に興味を示さないが、韓国の芸能界は東南アジアであろうと積極的に売り込んでいる、という違いを指摘しています。まさにその通りであり、10年後の違いが現在歴然と現れています。イントラアジアは日本芸能界のベンチャー意識の欠如と東南アジア軽視(無視に近い)意識を強く感じます、まあそれは日本社会の反映でもありますが。

というような背景から、JKT48 の記事に興味が起きたのです。今後そのプロジェクトがインドネシアで成功するだろう、失敗するだろう、ということはさておいて、インドネシアという地を選んだことだけは評価したいですね。他にこのショービジネスが可能性ある東南アジア国はタイかな。まあマレーシアでは ”48ショービジネス”の展開は無理でしょうな。仮にマレー人を抜きにしたら、マレーシアにおける芸能マーケットは現在のマレーシア華人歌手界と同じになってしまう。

インドネシアの有名歌手にInul という女性がいます。彼女はそのセクシーな歌謡スタイルでマレーシアでも知られていますが、彼女がそのスタイルを取る限りマレーシアでコンサートを開くことが許されません。マレー芸能界への見えない掟はインドネシアのそれよりも厳しいことは事実です。

とはいえ、普通のJPOPS歌手や日本映画・ドラマ俳優にとりたてて制限がかかるわけではなかったし、現在でもそれは同じです。時期を逸した日流はもう韓流を越えるのは無理であり、同時に日本芸能界にとって”東南アジアは視野に入れる価値のない地域”のようですから、それはなんら悔いのないできごとなんでしょう。


【日本の新聞記事、シンガポール特派員発『廃線マレー鉄道・・・』にがっかりした】

マレー鉄道のシンガポール区間は今年6月末で実質的に廃止され、始発兼終着駅はマレーシアとの国境至近距離にあるウッドランズ駅に移転した。当ホームページでもすでに話題にしましたし、『マレー鉄道の案内と旅』ページでももちろん載せています。

たまたま、日本の新聞社のシンガポール特派員が書いた「廃線マレー鉄道 広がる保存の輪」という新聞記事を目にした。記事の内容に異議があるのではなく、その背景説明に大事な視点を欠いた記事なので、イントラアジアとしては見逃せないのだ。

2010年に行われたマレーシアとシンガポール両首脳会談の合意に基いて、80年以上も存続していたシンガポール区間をほぼ廃線にし、始発兼終着駅をウッドランズに移した。結果として長年始発・終着駅であったタンジュンパガール駅も廃駅となった。シンガポール領土内においてマレーシア側が所有し、使用してきたマレー鉄道の線路と駅舎の件は、マレーシアとシンガポール間に長年ある懸案事項の1つでした。従って、2010年の両国首脳会談では他の懸案事項とセットにして、この懸案事項の1つに合意がなされた。

長年シンガポール側はマレー鉄道シンガポール区間とその線路に建つ複数の駅舎を廃止させて、シンガポールに取り戻したいと公然非公然に表明していた。シンガポールは都市交通のMRT電車の路線網を拡張していき、確か1990年代初期にマレー鉄道タンジュンパガール駅の比較的近い場所に路線を建設した。しかしマレー鉄道タンジュンパガール駅の近くにはあえてMRT駅を造らなかった。

MRT Tanjong Pagar駅の位置を知っているイントラアジアでも鉄道タンジュンパガール駅から徒歩でゆうに15分はかかった。ほとんどのマレー鉄道タンジュンパガール駅利用者はMRT Tanjong Pagar 駅から歩くようなことはしなかったし、慣れない旅行者のほとんどはその位置さえ知らなかった。

強調しておきます:シンガポール当局はマレー鉄道利用者の利便も考慮してMRT線路をマレー鉄道駅により近づけMRT駅を造るようなことは、あえてしなかったのです。

もう一つ好例を示しておきましょう。
シンガポールは独自にシンガポール島北部、つまりジョーホールバルに近い Woodlands地区にマレー鉄道用の駅を設け、1998年8月にその出入国検査所を移設しました。これがマレーシアとシンガポール両国間にあつれきを新たに生み、両国はそれぞれ独自の方法で出入国検査を始めました。

その後シンガポールはウッドランズ地区にもMRT路線を拡張させましたが、そのMRT Woodlands駅はマレー鉄道駅の近くにはありません。
www.streetdirectory.com/asia_travel/travel/travel_main.php?zonename=Woodlands
で地図を開き、その離れ具合をご覧ください。
つまりシンガポール側は、拡張させたMRT路線をマレー鉄道線路から離すというあり方を再度繰り返したわけです。

マレー鉄道のマレーシア − シンガポール区間の利用者は決して多くはなかった。マレー鉄道発表統計を見ると、2000年代前半にシンガポールへ向かう乗客、シンガポールから乗車した乗客の総計が年間60数万人程度でした。この数字にはジョーホールバル駅とシンガポール駅間だけを乗る通勤客も含まれているので、長距離旅客はもっと少ない。
固定客を除いてマレー鉄道に人気がなかったのは、両国間における道路交通面の整備による手軽さと便利さが向上し、両国間を運行する航空便の多さがまずあげられるでしょう。そして忘れていけないのは、上記で説明したこのマレー鉄道シンガポール駅へのアクセスの悪さです。

日本の旅行マスコミは無邪気に”ロマンあるマレー鉄道像”を喧伝しており、それによって多くの日本人旅行者が植え付けられたマレー鉄道像を期待している。その典型的な実例をイントラアジアは、「マレーシア旅の掲示板」の2011年7月8日書き込み『マレーシアとシンガポールの関係』で書きました。

たまたま目にした「廃線マレー鉄道 広がる保存の輪」という新聞記事には、『マレーシアとシンガポールの関係』で説明した事実と観点、このゲストブックで説明しているような背景知識と観点がすっぽり抜け落ちています。この記事を読む日本人読者には、一部のシンガポール人が感じているそうな”マレー鉄道シンガポール区間へのノスタルジア”程度としか伝わらないでしょう。

この記事を書いた日経新聞シンガポール特派員さんは、シンガポール視点ではなくもっと外国特派員らしい視点と知識を持って欲しいものですな。


【入出国カードの必須性はいかほどか】

マレーシア旅の掲示板に先月次のような書き込みをしました(2011年11月下旬):

隣国から空路 LCCターミナルに戻った時のことです。入国検査場の所定場所に常備してあるはずの入出国カードが1枚もなかった。
イントラアジアは手持ちの入出国カードがあったので、事前に記入してそれを審査ブースで提出した。パスポートに入国スタンプが捺された後、係官に " bagi saya satu borang baru 新しいカードを1枚くれ" と頼むと "habis ないよ" というあっけない返事が返って来た。 「入出国カードの在庫がないのでカードは提出しなくてもよい」と彼は言い放った。
イントラアジアは冗談かと思って、”Betul kah? ほんと?”と思わず聞き返しました。 彼は笑ってたが、どうやら本当かもしれない。
以上書き込みから

その後日またLCCターミナルを利用したときに、検査場のフロアで制服襟章の形から幾分職位が上だと思われる係官を見かけたので、入出国カードの件を尋ねました(会話はマレーシア語です)。入出国カードが常備してなかったこと、マレー鉄道でシンガポールから入国するとき入出国カードを記入しないこと、などを挙げて、入出国カードの必須性を確かめたのです。

彼は説明する、「この間はLCCターミナル検査場に入出国カードの在庫がなかったが、今はある。カードの在庫がない時は、カードをパスポートに添付しなくてもよい」
ということは、入出国カードはそれほど重要ではないということですか、とイントラアジアが尋ねると、「パスポートに入国スタンプが押してある限り、またImigresen のコンピューターシステムにその人の入国が入力されているから、入出国カードを出国審査時に提出しなくても問題はない。」との返事でした。

「国内のどこの国境検査場でも本当に問題ありませんか? 例えばペルリス州の小さな国境検査場のような所でも。」
「国境検査場には Imigresen のシステムが敷かれている。パスポートに入国スタンプが押してある限り問題はない。」 と係官。

入出国カードは大して重要ではないと、彼は決して言いませんでしたが、説明内容は実質的にそうなると、イントラアジアは判断しました。Imigresenの入出国検査部門の職員として、確かに入出国カードの必須さを否定する言葉は言えないでしょう、でもある状況下では入出国カードがなくてもかまわないということは、明らかに入出国カードの必須性を否定していますよね。

こうしたことから判断して、現在のマレーシアImigresen での入出国カードの運用は、検査を受ける立場から言えば、いかにも中途半端に映ります。イントラアジアはマレーシア政府が近い将来入出国カードを廃止するとは思いませんし、そんなことはまず起こらないでしょう。入出国検査を受ける外国人として、明記・明言されない事情があるのだろう、程度に了解しておくしかなさそうです。



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