「今週のマレーシア」 2006年3月と4月のトピックス

・確定申告の季節です−所得税控除の内容を細かくみてみる 
マレーロマンス小説は急速に愛読者を増やしている
旧正月、クアラルンプールの中心部には外国人労働者が大挙して集まる
日本人の英語を評した記事に対して、英語紙に投稿した全文とその顛末
専門職業教育、芸能教育などを提供する専門学校、高等教育機関
タイ深南部の現状はどうなっているか、2006年現地訪問の報告 −前編  ・-その後編
数字で見たマレーシア、 その29



確定申告の季節です −所得税控除の内容を細かくみてみる−


3月と4月は所得確定申告の季節です。つまり市民は歴年に基づいた前年度の総所得を申告し、それに基づいてその年(つまり今年)税金を納めることになるわけです。ただし会社などで働く被雇用者のほとんどは給料から毎月源泉徴収されているので、納税額の調整という目的もあります。基本的には日本の確定申告と思想は同じだと思います。 当コラムでは2004年の373回と375回で 「マレーシアで個人として税金を納める 」 と第したコラムを掲載しています。そこで今回はその時とは違った面に注目して書いてみます。

確定申告しなければならない人は広範囲

所得確定申告する義務がある者は、被雇用者、自営業者、個人事業主、家主、地主、年金生活者など定期収入者だけでなく、失業・半失業者、その他不特定収入者など前年に収入のあった者ほとんど全て、及び過去に収入があり所得確定申告した者が対象となります。失業者も、何らかの理由で前年に収入がなかった者も、納税者番号を既に持っていれば申告義務の対象者です。その場合は前年度に所得がなかったという申告をすることになります。

働いている外国人在住者も確定申告の義務

マレーシアの所得税法は、多分世界の多くの国と同じように、国民だけが対象ではありませんから、外国人も申告義務の対象者になります。この場合の外国人とはいわゆるエクスパトリエイトと呼ばれる人たちが主対象でしょうが、それ以外の外国人も条件にあてはまれば対象になります。エンジニアであれセールス職であれ企業に雇用されている人、及びその企業の経営陣は、種類は違えど労働許可証(Working Pass)を所有していますから、この種の外国人は全て確定申告の対象になります。よって被雇用者、経営者に関わらず働いている日本人在住者は全て対象というわけです。

エクスパトリエイトの場合は給料が低い、例えば月給RM 1,000 以下、から確定申告の対象とはならない、というようなことにはなり得ません。なぜならエクスパトリエイトとして雇用許可証(パス)をImigresenに申請する際、そんな低額給料を書類欄に書き込んでは認められないからです。RM 1,000 以下では”外国人労働者”という雇用分類になってしまいますね。

さらにこの範疇に入らない外国人もマレーシア滞在期間が一定期間を超えたり、マレーシアにおけるなんらかの収入があれば、申告義務対象者になります。例えば 「マレーシア第2の我家プログラム」 の適用を認可された人たちもこのグループに入るわけです(Imigresenの公式説明には、納税対象免除にならない旨がはっきり書かれていますよ。もちろん、適用者の全員が申告対象になるということではない)。ただしこの場合、税務署から自動的に申告用紙が送られてくるわけではありませんから、あくまでも自主的に申告することになりますから、どれくらいの外国人が自主的に申告しているか、興味あるところです。

今年から申告用紙が大きく変わった

さて納税者番号を持っている人には全て、その住居地、または雇用されている会社宛てまたはあらかじめ指示してある住所宛てに、1月終わり頃から2月末ぐらいの間に確定申告用紙が郵送されてきます。外国人も当然含まれますから、私にも確定申告用紙が毎年我アパートの住所宛てに送られてきます。封筒を開けると、今年からその申告用紙の形式とデザインががらっと大きく変わていました。A4サイズで、折りたたまないようにと大きく書かれています。

確定申告用紙には、”Tahun Taksiran 2005” と印刷されています、つまり 「算定税額 2005年」 とでもいう意味です。申告用紙(Borang)の種類には被雇用者用、自営業者用など数種類あり、受け取る人の職種に適した種類となっているのが普通です。 申告用紙の提出期限は、被雇用者が4月末、自営業などのビジネス収入がある者は6月末です。

申告用紙を十分に理解するのはマレーシア人でも容易ではない

申告用紙は役所が発行する公式用紙ですので、当然ながら使用言語は100%マレーシア語です。同封されている小冊子 「記入の手引き」 も全てマレーシア語です。毎年この種の書き言葉マレーシア語を読んでいても、私には1年1回のことですから多くの単語を忘れてしまっていますので、今年も辞書をひきひきなんとか読解しました。もちろん、全く間違いなく全てを明確に理解などできっこありませんが、大部分の面で間違い理解だけはないことを自分では願っています。

非文法的で短い構文からなる ”口語マレー語”の会話は流暢にできても、こういうマレーシア語文書類の読めないマレーシア人が少なくないことは、秘密でも何でもありません。とりわけ専門知識がなく、40代以上で学校時代マレーシア語教育をほとんど受けていない非マレー人には、この種の書き言葉マレーシア語で書かれ且つ理解の容易でない税関連説明文の申告用紙を、誰かの助力なしに正しく埋めるのは難関というかほぼ不能でしょう。

税控除に焦点をあてた理由

さて今回のコラムでは、税控除に焦点を当ててみます。いろんな控除がありますので、一つ一つ控除の項目を上げてその控除額も示します。もとより私は税法の専門家ではありませんから、それらの項目に関して詳しい説明や税思想を語ることはできませんが、読者にはマレーシアの税法ではどういう面に税控除の力点が置かれているかを感じとっていただければな、と思っています。課税される者の区分、課税の仕方、控除の認め方と額、税率などには極めて為政者の国家運営の思想が現われていますから、所得税の仕組みをいくらかでも知ることは、ひいてはマレーシアという国の社会構造理解の一助になるはずです。

尚下記の一覧表を含めて、確定申告用紙自体にムスリム用と非ムスリム用の区別はありません。用紙の項目中にムスリム専用の項目が複数含まれています。さらに項目の内容にも、ムスリム対象と思われる条件が書かれています。例えば、「2人以上の個人がその同じ子供に対して、それぞれ子供控除を要求する時は、認められる額が50%になる」 といった部分だと私は推測しています。

控除の種類とその額

控除額というのはどこの国の税体系だってあるでしょうから、その基本思想は誰でもおわかりですよね。マレーシアの所得確定申告では、申告者本人には RM 8,000が一律に認められます。つまり前年の所得が RM 8,000以下ならもうこれだけで所得税はまったく納める必要はないと言うことです。RM 8,000 という額は月に直せば、約 RM 660 です。役所に福祉援助を手当てをもらいたいと申請できる所得の足きりが、約 RM 600弱ですから、年間所得額 RM 8,000 は貧困ラインに限りなく近いということになります。とりわけクアラルンプールのような都会では間違いなく貧困層といえます。

 各種控除の一覧表 その1
控除のための名目とその条件控除額
本人の基本控除RM 8,000
両親のために負担した治療費最高 RM 5,000まで
本人、配偶者、子供、または両親が身体障害者
である時、そのための補助具を購入した費用
最高 RM 5,000まで
本人が身体障害者である時は追加してRM 6,000
本人が、政府の認定した高等教育機間で学習する
ために、その年に払った学費
最高 RM 5,000まで
本人、配偶者、子供、が難病と認定された病気治療のために
負担した治療費 (エイズ、白血病、パーキンソン病など)
この2つの合計
最高 RM 5,000まで

本人、配偶者、子供、が受けた総合健康診断のために
支払った費用 最高 RM 500まで

本人、配偶者、子供、のために購入した
書籍、雑誌、印刷出版物代金
最高 RM700まで
本人が住むための住居を購入する目的で支払った
ローンの利子の額。ただし住居には制限があり:
契約時期が 2003年6月1日から2004年5月31日の間、
初めて購入した住居、その価格が RM 10万から18万まで 
最高 RM 2,000まで





各種控除の一覧表 その2 配偶者及び子供に対しての控除額
控除のための名目とその条件控除額注記
対象年中に一緒に住んでいた妻の控除額。条件として:
その妻に所得がない、または夫婦が別々に申告しない時
RM 3,000 妻の控除に加えて前妻への
扶養費がある場合でも合計して
RM 3,000 が限度である
(離婚した)前妻に支払う扶養費 最高 RM 3,000
夫の控除額。条件は:夫に所得がない、または
夫婦が別々に申告せずに妻名義の申告になる時
RM 3,000
配偶者が身体障害者の時は追加でRM 3,500
子供に対しての控除申請時の注意:
個人1人だけがその子供の控除を要求するときは所定の
額の100% を申請できる、
ただし、2人以上の個人がその同じ子供に対して、それぞれ
子供控除を要求する時は、認められる額が50%になる


18歳未満且つ未婚の子供 1人に付き RM 1,000
ただし上記の注のように、100% と50%の場合を区別して記入

=子供の数 X RM 1,000

=子供の数 X RM 500
18才以上で未婚の子供、教育機間で全日教育を受けているRM 1,000 それぞれの項目について、
上記の子供に対しての控除
申請時の注意が適用される。
つまり100% と50%の場合がある
18才以上で未婚、国内にある高等教育機間で教育を受けている最高 RM 4,000
18才以上で未婚の子供、国外にある高等教育機間で
教育を受けている。それを受け始めた時期によって違う:
94年1月−97年10月 RM 2,000,  97年10月以降 RM 1,000

子供が身体障害者の場合
ただし上記の注のように、100% と50%の場合を区別して記入

=子供の数 X RM 5,000

=子供の数 X RM 2,500





各種控除の一覧表 その3
控除のための名目とその条件控除額注記
本人、配偶者のための生命保険に支払った保険料
及び被雇用者福祉基金EPFに納めた納付金
最高 RM 6,000まで 夫婦が合同で確定申告する場合は
合わせてこの最高額です。
夫婦別々で申告の場合はそれぞれ
最高 RM 6,000 となる。
本人、配偶者、子供のための教育保険と医療保険
に支払った保険料
最高 RM 3,000まで
被雇用者福祉基金EPFの翼下にある年金システム
のために支払った納付金
最高 RM 1,000まで
所得税法で認められた、その他の特別な控除





そして適性なつまり申請が認められた全ての控除額を足したものが、控除合計額となります。

非中流の大衆層に属する世帯の例を上げれば

妻に所得がなく夫婦で一緒に確定申告した場合、本人控除と配偶者控除で RM 11,000 、さらに18歳未満の子供3人で RM 3,000、保険料などなどと計算していくと、夫婦と子供複数の世帯なら、簡単に控除額合計が RM 15,000 からRM 20,000 ぐらいはいきますね。さらに戻し税が、本人に RM 350、配偶者に RM350 つきます。こうしたことから、このクラスの世帯であれば、年収 RM 20,000ぐらいまでなら、税率を適用する前に課税前所得がゼロになってしまいますから、よって所得税はなしです。
さらにこの年収より RM 5,000 程度上回っても下記表の 範疇 B ですから、実質的に所得税は限りなくゼロに近いと言えます。

これはいわば当然といえます。最も安価な自家用車として、国産車の軽自動車(660cc マニュアル車)が 1台約 RM 26,000です。世帯の年間所得が RM 2万を超える程度の家族5、6人の家庭で国産車の最安軽自動車を購入するのがかなりたいへんであることは、読者の皆さんにもお分りになれることと思います。

参考:国産車 1000cc オートマチック RM 40,000 ぐらい、国産車 1500cc マニュアル RM 50,000 ぐらいからです。トヨタのカローラAltis 1600cc がRM 11万弱。


課税前所得と税率

いろんな所得、つまり商売上の所得、給料、配当金、賃貸し料、年金、その他収入など を合計し、さらにいろんな必要処理と計算を行った最後に(このあたりは難解で複雑です)、計算したものが総所得額になります。これから上記の控除合計額を差し引くと、課税前所得額になりますね。その課税前所得額を下記の計算表にあてはめて、税額を計算します。

税率と税額計算表
範疇課税前所得額 RM計算説明税率税額
A
0 - 2,500

0%
0
B
2,501 - 5,000
2500超えた分
1%
25
C
5,001 - 10,000
5000までの分は
それを超える分

3%
25
150
D
10,001 - 22,000
10000までの分
それを超える分

3%
175
300
E
20,001 - 35,000
20000までの分
それを超える分

7%
475
1,050
F
35,001 - 50,000
35000までの分
それを超える分

13%
1,525
1,950
G
50,001 - 70,000
50000までの分
それを超える分

19%
3,475
3,800
H
70,001 - 100,000
70000までの分
それを超える分

24%
7,275
7,200
I
100,001 - 150,000
100000までの分
それを超える分

27%
14,475
13,500
J
150,001 - 250,000
150000までの分
それを超える分

27%
27,975
27,000
K
250,000を超える
250000までの分
それを超える分

28%
54,975
+ 計算分

範疇はKまでです、要するに最高税率は28% で固定ということです。

例として課税前所得額 RM 58,000 の場合の計算方法を説明します:
50,000 までの税金が RM 3,475 であり、加えて50,000を超える分 8,000 x 19% =1,520、よってこの2つを合計した RM 4,995 が納める税金です。

課税前所得が RM 5万あればれっきとしたマレーシアの中流層と言えます、これぐらいの税金を払っているという例示です。皆さんはこの税額をどう思われますか、いささか少な過ぎる? ちょっと多過ぎる?



マレーロマンス小説は急速に愛読者を増やしている


マレーシア語書籍中に占める割合が増したマレーロマンス小説

大きな書店を訪ね、マレーシア語書籍コーナーへ行くと、きれいでなんとなくロマンチックな感じのイラストが載った表紙をした、ペーペーバック式マレーシア語小説書が種類多く並んでいます。どの大型書店でもマレーシア語書籍コーナー自体がその書店面積全体に占める割合のごく小さい中で、このマレーシア語小説がマレーシア語書籍中に占める割合が意外に大きいのです。ただ意外という表現はもう正しくないでしょう、マレーシア語書籍の中でマレーシア語小説が今や主流の一つとなっていると言ってもいいかもしれないからです。

このマレーシア語小説を見付けるには、何も大型書店だけに行く必要はありません、マレー人客層を主体とした小さな書店でもいいです。ただし、この種のマレー人主対象の書店は有名ショッピングセンターや繁華街にはあまりありません。よってマレー人地区へまたはマレー人がたくさん集まる商業地区やショッピングセンターへ行く必要があります。クアラルンプールならTuank Abdul Rahman 通り界隈が見つけ易いでしょう。

全く読者ではないがマレーロマンス小説に興味を持った

2004年に、コラム第386回 「マレーロマンス小説の存在をご存知ですか」 でマレーロマンス小説のことを書きました。書籍展示会を訪れた時、そこに並んでいたたくさんのマレーロマンス小説を眺めて、あらためてマレーロマンスの人気を感じたからです。
マレーロマンス小説とは、上でマレーシア語小説と表記したもののことです。今後このコラムでもマレーロマンス小説と呼んでいきます。

最近、英語紙 The Star (2006年2月26日付け)の StarMagページの中に、マレーロマンス小説の記事が載っていました。マレーシア人でも、マレーロマンス小説の愛読者でない限り、この種の知識のない人は極めて多いはずです。以前 マレーロマンス小説のコラムを書いた私としては、なかなか興味を呼ぶ内容であり、読み流すには惜しい記事でしたので、ここで紹介しておきます。以下 「 」 で囲んだ部分はその記事から引用して翻訳したものです。

マレーロマンス小説出版社の雄 Alfa 21

この記事に寄れば、マレーロマンス小説界のトップ出版社である "Alfa 21" 1社だけで、この5、6年の間に 7冊のベストセラー小説を生み出し、その合計部数が 約50万部強に達しました。これは10年以上前には想像することさえできなかったことだそうです。そこでまずその売れ行きの良さを知っていただくために、見やすい表の形式で示しておきます。

尚、学校教育で義務的に使用する教科書・学習書籍を除いた、マレーシア語書籍の販売部数を日本での書籍の販売部数と比べてもほとんど意味がありません。これまで当コラムで何回か取り上げてきましたように、マレーシアにおけるマレーシア語の地位と現状を知っていただいた上で、マレーシア語書籍それぞれの販売部数を考えて下さい。そうすれば、あるマレーシア語書籍が何万部の単位(つまり5桁の数字)で売れることは”人気ある、かなりよく売れている” と言っても間違いではないでしょう。

Alfa 21 社のベストセラーリスト
書名 大体の意味を
日本語で表現すると
著者販売部数出版年
Tak Seindah Mimpi夢ほど素敵ではないSharifah Abu Salem
70,000
2000年
Kau Untukku あなたは私のためにあるAisya Sofea
80,000
2001年
Kau Yang Satuあなたは唯一の人ですNia Azalea
75,000
2002年
Bicara Hati心を話すDamya Hannan
100,000
2003年
Sehangat Asmara愛の熱情Aisya Sofea
70,000
2003年
Pesona Rindu 憧れにうっとりしている
(魔法にかかっている)
Sharifah Abu Salem
70,000
2004年
Sepi Tanpa Cinta愛なしでは寂しいDamya Hannan
70,000
2004年





Adam & Hawa アダムとハワ
という意味なんでしょう?
Aisya Sofea 既に
5万部
2005年末
発売







4社ほどが寡占するマレーロマンス小説出版界

出版社 Alfa 21はこのマレーロマンス小説分野での最大手でリーダー格の出版社です。この出版社については上記で触れたコラム 第386回の中で紹介しています。これに次ぐ最大手の出版社と言えるのは、CREATIVE Enterprise でしょう。書店のマレーロマンス小説棚を見ると 、さらに第2グループとして UTUSAN Publications & Distributors と TINTARONA Publications  が結構種類多く出版しているように見えます。マレーロマンス小説の分野ではごく小さな出版社が他にも複数あるようで、例えば Kaki Novel Enterprise という社の小説も並んでいます。探せば他にも出版点数のごく少ない小さな出版社に出会うことでしょう。

成功の秘密の一つは日常マレーシア語文体

大衆マレーシア語小説の分野で約10年ほど前に、このAlfa 21出版社が日常のマレーシア語を用いる路線を取り始めたそうです。「それまでの大衆マレーシア小説はフォーマルな文学用文体(bahasa sastera) を用いていたが、1997年に我々は新聞で用いる 形式ばらない文体 (bahasa suratkhabar) を用いることを決めました。その文体が今日までこれらマレーロマンス小説の標準になっています。我が社がこれを最初に始めたのです。我が社はありふれたことば、市井の人たちのことばを使っています。なぜなら小説を読むのがそういう人達だからです。」 とAlfa 21の経営幹部が説明しています。

この特集記事を書いた記者は次ぎの様に書く、「ロマンス小説の販売数から考えると、形式ばらない文体 (bahasa suratkhabar) は読者に受けているようです。ではそういう文体でどんな物語を伝えているのだろう?読者はどんなな物語が好きなんだろう?」 「第1に、恋愛は好みのジャンルに入るように思えます。(国内有数の大型書店である)MPH書店のベストセラーリストに載っているタイトルを見てみますと、 そこには他のジャンルもあります、つまり科学フィクション、スリラー、歴史物です。例えこれらのジャンルに入っていても、その内容にはロマンスの要素があります。」

マレーロマンス小説における恋愛の描き方の特徴

「マレーロマンス小説の描くロマンスは、多くの英語ロマンス小説のそれとはかなり違います。マレーロマンス小説では、私たちの文化を保ちながら、情熱を目を合わせる程度に抑えています。そして愛は身体的なもの以上に情緒的なものとして捉えられています。愛はふさわしくない態度では現されません。形式ばらない文体を使おうと使わまいと、登場人物がその愛を表明する時は、詩的に行うのです。」 

「宗教、良い価値観、愛が一体となっている、そしてこのことが小説の全体的味わいに強い影響を与えています。」

宗教、良い価値観、愛が一体となっている、のですか。マレーロマンス小説を表紙以外は読んだこともない私ですが、実はそんな感じを抱いていたので、なるほどと思いました。本屋で手にとっている購買予備軍の女性を観察したり、タイトル名と表紙の絵、さらにマレーシア語という媒介言語を考えた時、極めて対象読者層の明確な小説だと私は捉えていたので、やはりそうかという感想です。宗教的価値観を明瞭にすれば、その価値観を尊ぶ層には強く受け入れられても、そういう宗教価値観を持たない人間には縁遠いと逆に言えますね。

マレーロマンス小説には2種類ある

マレーロマンス小説を文学面から専門家が分析しています。マレーシア国民大学 (UKM) のマレー語・文学・文化研究学部で、マレー短編と創作に関しての講師を勤める、Mawar Shafei 氏が記事の中で解説しています。「人気を呼んでいる小説には2種類あります。まず1番目は、若者の間での恋愛または結婚を巡る不一致、または女性の生活における葛藤を扱ったものです。こういったタイプの小説は、著者の使う単純な技巧、日常生活言語、なじみある隠語の好きな読者に好まれます。2番目は、読者にもっと考えさせるようなテーマをもった”硬い”小説です。こういったタイプの小説の著者は、隠喩、シンボル、パロディを用いて実験したり、遊んでみることができます。こういう著者は自分たちの考え、題材、思考を伝える点でより間接的です。」

「恋愛は常に人気を呼んでいますが、最近は政治的テーマとイスラム教テーマも注目を浴びるようになってきました。これはとりわけ、Faisal Tehrani, Zaid Akhtar, Aminah Mohktar のような若い世代の作家の間で顕著です。 2つのタイプの小説を比較するのは不公平です、なぜならそれはまさに個人の趣味・好みに寄るからです。」 

知られた小説家を列挙する

上で掲げたベストセラーリストに載っている作家以外に、マレーロマンス小説界で良く知られた作家には、Fauziah Ashari, Aina Emir, Anis Ayuni, Ramlee Awang Murshid という名前があるそうです。リストの作家とこの4人の作家中で Ramlee Awang Murshidは男性ですが、女性が圧倒的多数を占めていますね。ということはマレーロマンス小説界では女性作家が主流のように思えます。しかし、これはもちろん私には断定できません、あくまでも単なる推測です。こういう知られた作家でも、数十冊の小説を出版しているということにはならないようで、著書 10冊前後が多いみたいです。尚 Ramlee Awang Murshid という人は、マレーシアでNo. 1 のスリーラー物作家だそうです。

ところで、書店でいろんなマレーロマンス小説を手にとって眺めていた時、ある大部な1冊の裏表紙ページに次ぎのようなことが大きく書かれていました:
マレーシア書籍記録達成。 最も数多くのマレー小説を出版した小説家 Ahadiat Akasha (注:男性です)
1986年10月から2000年11月までに、55作の小説を出版しました。

この人を私は知りませんが、良く知られたベテラン作家だそうです。86年からということは、現在人気中タイプのマレーロマンス小説が誕生して人気を呼ぶ以前からの作家なんですね。私には、現在人気を得ている作家グループとは多少違った背景の作家みたいな気がします。

マレーロマンス小説の書籍としての特徴

最後にマレーロマンス小説を私が外観から判断した特徴を述べておきます。
出版社に関わらず、マレーシアロマンス小説の形式はほとんどが、いや恐らく全部と言っていいかもしれません、ペーパーバック形式です。さらに装丁も出版社によって多少の違いはあっても、同じような様式です。表紙には人物または人物と簡単な背景のイラストが載っており、このイラストの描かれ方がどれも似通っています。描かれている対象には女性像が多く、中にはトゥドゥン姿も少なからずあります。男性像もありますし、人物のない表紙挿絵も比率は少ないですがありますね。

書店の棚でざっと調べると、マレーロマンス小説ペーパーバックのページ数は数百ページから700, 800ページぐらいまでですが、1000ページを超えるのも種類ごく少なくあります。主流は500ページ前後というところかな。ページを埋めている文字の活字が小さくはないので、この面でも読みやすいと推定できます。 1冊の値段は、大雑把に言ってページ数に比例しているかのように思われます。1冊 RM 15から RM 40 強という範囲です、ただ例外的にRM 50を超えるのも並んでいます。値段の主流はRM 20 から30以下と思われます。購買層から考えて価格が RM 30を超えてはちょっと高すぎるでしょうね。



旧正月、クアラルンプールの中心部には外国人労働者が大挙して集まる


2006年の旧正月即ち農歴新年は太陽暦の1月29日から始まりました。ほとんどの州で29日と30日の2日間が祝日となっています。よってこの祝日の前後を含めて4,5日間ぐらいは、クアラルンプール市内は都会の持つ日頃の慌しさと騒々しさがぐっと和らぎます、とりわけ祝日の2間ですね。さらに今年は31日がイスラム教の新年だったので、全然騒がしくない日がもう1日増えました。

旧正月に歩いて見て回った4地区・界隈

今年私は数年ぶりに旧正月をマレーシア国内で過ごすので、クアラルンプール中心部の街の様子を見てみるために、農歴新年の初日と2日に繁華街と有名地を回りました。地区から地区の移動は、歩くには遠過ぎる距離の場合は全て乗合バスを利用しました。特定の通りを除けば、市内の大通りはどこも確かに交通量は大きく減っていました、これは普段の日曜日に比べてもぐっと減っていました。旧正月で街全体が静かになり、且つ交通量も減ったとはいえ、普段の日曜祭日と同じくらいまたはそれ以上に混雑する特定の地区・界隈があります。そこで、これからこのコラムで描いていくのはその4地区・界隈です: Jalan Silang & Puduraya &Kotaraya界隈、 KLCC地区、 チョーキット地区、 マスジットインディア通り。 それぞれの地区・界隈ごとに分けて書きます。

尚こうやってハリラヤまたは旧正月時期に市内中心部の様子を見て歩くのは、2004年12月のハリラヤプアサ祝日以来です。その時の様子は、コラム第411回の 「ハリラヤプアサ中に外国人労働者が集中する界隈」 で書きました。 下の文章はその411回コラムの一節です。

外国人労働者にとっては、数日間から1週間弱の休みだがそれぞれの国に帰るには短すぎるし何よりも費用がかかる、都会から離れた工場の宿舎にずっといてもつまらない、同国人の仲間が集まるまたは仲間と連れ立ってクアラルンプール中心部に繰り出して楽しもう、それぞれの同国人仲間と親交を暖めようと、というのが主たる理由でしょう。

このためクアラルンプールの有名地または特定ショッピングセンターに実に多くの、間違いなく何万人という外国人労働者が集まるのです。当サイトは初期から、回数多く外国人労働者のことを伝えてきました。当コラム と 「新聞の記事から」 を定期的にお読みの方なら、すでにお気づきのことでしょう。その理由は、マレーシアという国は外国人労働者抜きには成り立たない経済構造になっていることを知っていただきたいこと、身の回りに数カ国から来た数多くの外国人労働者が働き且つ住んでいること、そして私自身外国人労働者問題に関心があること、からです。


果してその2004年12月時と比べて、今回の様子はいくらか変わっていたのか、または変わっていなかったのか?

Jalan Silang & Puduraya &Kotaraya界隈の混雑ぶりは特筆もの

4つの地区・界隈はいずれも混雑していましたが、その中で1番混雑していたのが、このJalan Silang & Puduraya &Kotaraya界隈です。そこでまず Jalan Silang & Pudu Raya からKotarayaにかけての界隈です。この地を細かく分けますと4つになります:

中でも混雑のきわみとも言える、これ以上に混雑した場所になりえないというのが、Jalan Silang 一帯です。場所を知っていただくために、この Jalan Silang 一帯を含んだ地図 をクリックしてご覧ください(これはKLバス乗り場地図と同じものです)。

なぜこの界隈の中でJalanSilang はそれほど際立って混雑していたのでしょうか? この一帯の渋滞と混雑は毎日のことでとりわけ珍しいことでも異常なことでもありません。特に平日の夕方は常に大渋滞混雑です。なぜならクアラルンプール発の乗合バスの大多数がこの一帯に5、6ヶ所あるバス乗車所を発着場所にしていますので、常時ひっきりなしにバスが Jalan Silang & Jalan Tun H.S Lee & Lebuh Pudu に集まってきます、ある時点を捉えれば数十台のバスがこの狭い場所にいます。日頃は加えて乗用車や商業車の往来で、一時足りとも混雑が緩和する時はありません。

Jalan Silang 一帯はマレーシア最大の外国人労働者向けの街

しかしクアラルンプールの多くの場所と道路が閑散としている旧正月初日と2日にこれほど大混雑状態になった最大且つ唯一の理由は、このJalan Silang 及びそれに交わるいくつかの短い通りが外国人労働者の最大の集合地だからです。Jalan Silang を中心にこの狭い一帯に 少なくとも20軒ぐらいの外国人労働者向けの、いや専用と言っても言い過ぎではない、店舗、食堂、外貨送金事務所、旅行代理店が集中しているからです。集中する外国人労働者向けの店舗などの多くは、ミャンマー人とネパール人用ですが、インド人、パキスタン人、バングラデシュ人など広義のインド系諸民族向けの需要にも十分応ぜられるようなのです、だからこういった民族も集まってきます。

これら店舗の数は、私がこのホームページで最初に紹介した時以来(1990年代終わり頃)、次第に増え且つ多角化してきました。最初はその外国人労働者の出身国の日常品と食料品と音楽カセットなどを主として扱う、階上の小さな店舗だけだったのですが、その店舗が拡大して地上階に下り、品物の数と種類が大きく増え、食堂を併設し、または食堂主体の店ができ、自国へ専門に送金する外貨送金会社がオフィスを開設し、さらには彼ら向けの理容店もオープン、というように多様化し増加してきました。そしてすでに数年前から、もうJalanSilang だけでは収まりきらず、その通りに交差する2,3の通りにも同様な店舗がオープンしているのです。結果として、Jalan Silang一帯はますます外国人労働者集中地区化しています。

ですから普段の日曜日、祭日でもこのJalan Silang 一帯には非常にたくさんの外国人労働者が集まってきます。店舗内などに入りきれないということだけではなく、金のかからない歩道で仲間とおしゃべりといったように、外国人労働者はこの一帯をほとんど占有しているともいえる状態です。日曜祭日はこの状態が半日ほど続くのです。この光景をはじめて見る方には多分異様な光景とも写るであろうほどの群衆です。

その群集光景を見慣れた私でも、この旧正月時期にこの一帯に集まってきた外国人労働者の数の多さには圧倒されます。Jalan Silang は文字通り人の海です、車道全てを占有せんばかりの膨大な人の群れです。その状態のところへ、次ぐから次ぎとバスがやって来る、そして車道はバスの数珠繋ぎでほとんど進まなくなる。その数珠繋ぎの間にさえ人が入り込み、歩道を歩くためには人を掻き分けかきわけ歩く必要があります。市内の他の道路が空いているので、比較的順調に走行してきたバスも、Jalan Tun H.S Lee に入った時から、この超大渋滞に巻き込まれます。短い通りがつながって一帯をぐるっと回るような形の道路になっています。そのぐるっと回る道路をバスは走ってそれぞれの発車場所に至りますが、人出さえなければ徒歩7,8分もかからないこの道路距離を、超のろのろとバスは30分ぐらいはかかっているでしょう。

初日私が訪れた昼下がりのひと時、その後他地区を回って戻ってきた午後の遅い時間でも様相は変わりませんでした。ある時点を捉えただけでも、この地区に集まってきた外国人労働者は万を超えるのではないでしょうか。それが朝から夕方までこの狭い地区は群集で埋まっているのです。つまりその1日だけで何万人もの、いやひょっとしたら10万人近い外国人労働者がやって来るのではと思えるほどです。それは次ぎのような観察からも裏付けられます。

Jalan Silang一帯に到着する乗合バスを眺めていると、その出発地・行き先表示が Rawang, Puchong , Kajang, Serdan などクアラルンプールの周辺町または郊外の場合、一見して外国人労働者とわかる風体の人たちがバスからどっと吐き出されます。つまり外国人労働者が乗客の圧倒的多くを占めていることに気が付きます。さらに夕方この地から発車していく乗合バスを眺めている、そういう方面へ行くバスの乗客の大部分が外国人労働者でした。

外国人労働者とはどういう人たちか

マレーシア国内で合法的に外国労働者として登録された数は、2005年5月時点で約 162万人です。その内 7割弱がインドネシア人です。いうまでもなく実数はこれをはるかに上回ります。つまり数十万人いや100万人近いかもしれないという推定もあり、それほど多くの非合法外国人労働者がマレーシアに滞留しているのは、いわば常識です(正確な数は当然誰もわからない)。

注:外国人労働者の数に関して、ナジブ副首相が2006年3月中旬に明かにした数字を以下に示します:
1年前に比べて違法滞在・入国外国人の数はぐっと減ったが、それでも30万人から50万人がまだマレーシア国内にいると推測される。
合法の外国人労働者数は、2005年7月の160万人から2006年1月時点で180万人に増えた。
合法外国人労働者が働いている主な業種
業種別製造業プランテーション農園メイド建設その他
100%32.4%22%17.5%15.5%13%

合法外国人労働者を出身国別で見ると、インドネシア 65.9%、ネパール 10.9%、インド 7.5%などです。


このコラムで指す外国人労働者とは:
ミャンマー人、ネパール人、ベトナム人、インド南部のインド人、パキスタン人、スリランカ人、バングラデシュ人、そしてインドネシア人、がほとんどを占めているはずです。メイド職が大多数を占める半島部のフィリピン人はこの場では見かけません(普通の日曜は見かける)。東南アジアというより南アジアに属する感じの強いミャンマーを含めて南アジア系が圧倒的に多数派です、よってまさに男ばかりの群衆です。非南アジア系はベトナム人とインドネシア人だけですね。私がその言葉を知っていることから、彼等の話し声から確実に何人かを特定化できるのは、インドネシア人とベトナム人です。尚マレーシアの受け入れる外国人労働者の3分の2を占めるインドネシア人ですが、この一帯へはその多さに比例するほどは集まってきません。これはいつものことで、インドネシア人はチョーキットのように伝統的に集まる場所があるし、さらに昔からいろんな所にインドネシア人居住集中地区があるからです。

その風体が南アジアグループと違っているのですぐ見分けがつき、帽子を被っている者が目立つベトナム人はかなり多い。近づいて話し声を聞かなくてもある程度わかります。ベトナム人グループの特徴の大きな点は女性も混じっていることです。これと対照的にインド人、バングラデシュ人などの南アジアグループに女性の姿を見つけることはまずありません、99.99% は男性ですね。ですからいささか異様に感じるのです。ミャンマー人、ネパール人のグループは男性が圧倒的多いが女性も混じっていることは知っていますが、群集の多さからどれがミャンマー人、ネパール人、だと区別は無理です。

マレーシア人を目にするのは極めて珍しい

Jalan Silang とそれに交差する短い通りだけでこの膨大な数の労働者を納めきれませんから、例年旧正月とハリラヤの時に見られるように、プドゥラヤロータリーの周囲の道路、及びロータリーに面したところにある戸外駐車場、コタラヤショッピングセンター周囲、有名ディスカウントスーパーMydin の入居したSinarkota ビルの周りにあふれることになります。とりわけその戸外駐車場をびっしり埋め尽した群集の様子を見るのは壮観です。さらに今年はMydin の周りが隙間がないほど埋め尽くされ、プドゥラヤロータリーを見下ろすMaybank本社ビルの敷地、そこは芝生と樹木が植わっている、にもたくさの外国人労働者が腰を下している姿を見ました。彼らは広場であれ、ビルの外側の石階段であれ、路上の片隅であれ、立ち尽くしているか、あたり構わず腰を下ろしたりしゃがんで、話し込んでいます。Jalan Silang 一帯からちょっと離れた場所でも、歩道という歩道では至るところに座り込んだグループが目につきました。

面白いのは、戸外駐車場とMydin前に色付きジュース売りのマレー屋台が数軒ほど商売しており、それがなかなか商売繁盛なのです。付け加えておけば、このあたりは路上屋台は禁止地区で、ちゃんとその旨の立て札が出ていますよ。彼らは初日Jalan Silang 一帯で見かけた”ごく珍しい”マレーシア人でした。日曜祭日だとJalan Silang が交差する通りの一角で、たくさんやって来る外国人労働者狙いのタクシーが何台も客待ちしてます。もちろんメーターなど使わないがらの悪い運転手ばかりです。この日はその種のタクシーは1台もいませんでした。その一角へ車でやって来ることさえ困難な状況です。
この時 Jalan Silang一帯 で見かける人間の99.9% は外国人労働者と言っても言い過ぎではないでしょう。

遠方の町、地方からも彼らはやって来る

正月2日目、Jalan Silang の一角に立って群集を眺めていたら、1組のカップルから片言の英語でペナン行きのバス乗り場を尋ねられました。私をこの場にいる珍しい地元の人間と思ったからなのでしょう。その風貌からベトナム人だろうと思って聞いたら、やはりベトナム人でした。Puduraya近くまで2人を連れて行き、指差して教えてあげました。まこと残念ながら私の錆び付いたベトナム語では会話は進みませんでしたが、働いているペナンからやって来たベトナム人でした。

このように単にクアラルンプール周辺からだけでなく遠方からも外国人労働者が集まって来ていることは、以前ハリラヤ時に調べたときにすでに気が付いていました。彼らにとってもまとまった休みなので、同国人仲間を訪れがてら首都クアラルンプールを見物にやって来るのでしょう。

初日と2日はコタラヤショッピングセンターもその隣のS&Mショッピングセンターも休みで閉まっている、よってその前の階段や歩道に外国人労働者は座り込み、立ち止まり至るところでグループ化しています。ですから歩道を歩くのさえままになりません。この群集はチャイナタウンまで及んでおり、チャイナタウンで見かける人々の姿の7、8割方は外国人労働者です。チャイナタウンのメイン通りであるPetaling通りの店と屋台は、初日は9割方開いてましたが、いつもの日曜祭日に比して、旅行者と地元買い物客の少なさを感じました。

セントラルマーケットを覗いてみました。正月初日なので開いてる店とブース式屋台が極めて少ないながら、ここも外国人労働者が圧倒的に多数派です。

KLCCのSuriaと公園は外国人労働者のお気に入り場所

次ぎにKLCCに移動しました。乗ったバスの10人ほどの乗客も全て外国人労働者がばかりです。KLCCのスリアショッピングセンターはオープンしてますが、内部のテナントの開店率は極めて低い、2割も開いてないのではないかな。しかしそれにも関わらずスリア内は十分人出があります。ここも外国人労働者が多数派なのは明かです。たださすがにKLCCらしいのは、観光バスがKLCC周囲の道路に2桁車両数停車していることからわかるように、外国人旅行者グループがそれなりに目立つことです。さらに祝日を利用したやって来たであろうマレーシア人のおのぼりさん? らしき姿もよく見かけます。

Suriaショッピングセンターはその前面で大きな噴水池とKLCC公園に面しています。そこでSuria外側部分にはカフェがずらっと並んで、景色を楽しめるようになっています。カフェはいずれも店を開けていました。そこのテーブルに座っているのは、白人旅行者たち、アラブ人旅行者らしき顔、人目でわかるマレーシア人グループばかりで、空きテーブルの数がどの店も多い。池の周りにもスリア内にも、実にたくさんの外国人労働者がいるにも関わらず、私の見た限り彼らは一つのテーブルにも座っていませんでした。無理もないでしょう、彼らが1杯が最低 RM 6, 7 もするコーヒーを飲むために金を使うとは思えません。同じような低所得階層である私にはよーくわかります、だってこれまでもう数え切れないほど数多くSuria を訪れてきた私は、それらのカフェで1度たりともそんな高いコーヒー類を飲んだことがない、飲む気になれないからです。

KLCC公園は外国人労働者の格好の散策場所ですね、たくさんの人が座り込んだり、散策したり、写真を撮りあっている姿が見えました。これまでもよく報道されて来たように、KLCCは休暇時期の外国人労働者のお気に入り場所なのです。

旧正月2日目もKLCCに寄りました。Suriaショッピングセンターの中には入りませんでしたが、KLCC一帯は初日より混んでいるように見うけられました。もちろん外国人労働者の姿が、KLCC訪問者中の最大グループであるのは初日と変わらない印象です。

チョーキットは旧正月もチョーキットらしさに変わりはない

チョーキット、ここは普段の日曜、祝日の様子とあまり変わりのないように、場所によっては幾分多いかのような気がしました。チョーキット市場に隣接する、狭く短いしかしいつもごみごみと人と屋台の多いJalan Raja Bot は変わらず混雑していました。それに交差する道の両側の屋台と飲食店も同様です。 客層は圧倒的にマレー人、そしてインドネシア人です。これは常に変わりませんね。

チョーキット地区を2つに分ける大通り Tuank Abdul Rahman通りには、いつものごとくインドネシア人向けのミュージックショップが大音響で音楽を流し、ドラッグストアでは伝統的民衆薬を並べ、一目でそれとわかるたくさんのインドネシア人があちこちで所在投げに道端に腰を下ろしたり、しゃがんだり、立ちんぼしています。連休なので通常の日曜よりは数が多いとは思いますが、基本的な変化は見られない。これはTuank Abdul Rahman通りを挟んだ反対側のJalan Haji Taib に午後から店を出す屋台街でも同じですね。午前よりも午後からの方がどこも人出が多いはずです。

少なくとも言えることは、旧正月だからということでインドネシア人以外の外国人労働者が大挙してチョーキット地区にやってきた兆候はありませんでした。これは2日目の午後訪れた時も同じでした。伝統的なマレー・インドネシア人地区であるチョーキットは、以前から外国人労働者も引き寄せてきましたが、その姿が多いに目立つほどにはなっていません。旧正月時期も同じだということなのでしょう。ですからチョーキット路地の飲食店屋台で飲食している客にも買い物にしている人たちにも、インドネシア人でない明かに外国人労働者とわかる姿がほとんど見られないのです。例えば2日目にJalan Raja Botのマレー屋台で麺類の食事した時、周りから聞こえてくる声は全てマレーシア語かインドネシア語でした。

注:Tuank Abdul Rahman通りを挟んだ反対側のJalan Haji Taib 界隈に近年アフリカ黒人が居ついて、違法活動、暴力行為などの問題を起こしてきたことは何回も報道されていますが、Jalan Raja Bot側ではほとんど目にしません。Jalan Raja Bot の裏手にはいわゆるパキスタンモスクがあるが、この日パキスタン人の群集は見かけなかった。


Tuank Abdul Rahman通りの歩道やバス停の長イスに座りこんだり、しゃがんでいる男立ちの多さと、その風体は昔と変わりませんね。Jalan Haji Taib通りに交差する路地には古い店舗住宅が並んでいます。旧正月ということから、チョーキットの外れであるこのあたりは、地上階にある店と会社は全て休みです。その店舗住宅の前の歩道や階段入り口では、相変わらず街娼が暇そうに客引きしていました。こういう光景は私が初めてチョーキットに足を踏み入れた90年代初期と大きく変わったとは言えません。表通りだけでなくあちこちの歩道がぐっと美化され、頭上にはモノレールが走るというように、90年代中頃までとは見違えるほど外観の変わったチョーキットですが、チョーキットは常にチョーキットなのです。

マスジットインディア通りのアーケードはにぎやか

初日はマスジットインディア通りも訪れました。マスジットインディア通りの名前の由来であるモスクと大多数の店舗は閉まっていましたが、通りの一部を占めるアーケード街は全く通常通りの営業であり、多くの訪問者がこのアーケード街及び周辺の通りを歩いていました。大衆食堂もぽつぽつと開いています。有名なディスカウントショップのMydin も営業しています。この界隈の客は伝統的にマレー人とインド人が多いことを受けて、旧正月初日のその日も訪れる客層に変わった様子はありませんでした。つまり一見して外国人労働者とすぐわかるような人たちはごく少なかった(見かけなかったということではない)。

旧正月の2日間、Jalan Silang & Puduraya &Kotaraya界隈、 KLCC地区、 チョーキット地区、 マスジットインディア通りの4地区・界隈を歩き回った結果、どこもそれなりにまたは非常に人出があったが、その内容に違いが見られたのです。Jalan Silang & Puduraya &Kotaraya界隈と KLCC地区 で目の当たりにしこのコラムで詳しく描写しました光景は、まこと現在のマレーシアの状況を示すものだと言えます。それほどマレーシアは多方面で外国人労働者に依存している国になっているのです。もちろん外国人労働者にとっては、マレーシアで労働機会を得て稼げるということを意味します。要するに、持ちつ持たれつ、ですね。


付録:旧正月中連日行われていたミャンマー人コミュニティーのサッカー試合

はじめに
下記は2月初旬に、「ゲストブック」に書いた短文です。本コラムと同じように、旧正月中の外国人労働者像を描いたものなので、ここでも掲載して残しておきます。

クアラルンプールのよく知られたImbi 通りの奥に、PASARAKYAT という場所があります、かつてプドゥラヤの替わりのバスターミナルにしようとして完全に失敗した場所です。そのごく近くに手入れのされてないサッカーグランドがあります。日曜日など休みの日、そこで愛好者がサッカーをやっていることは前から知っていました。

この正月の3日間、つまり29日から31日まで毎日午後、サッカーの試合が行われていました。夕方そのサッカー場から多くの観客が去っていくのを29日30日と目にして、多いに興味を持ちました。なぜそんなことに興味をもったか? それは去っていく観客が全てミャンマー人だったからです。ミャンマー人は我アパートにたくさん住んでおり、数十人規模です、その姿は見慣れていますから、去っていく姿を目にしてすぐ気が付いたわけです。

そこで31日にそこまで歩いて行って見ました。荒れ果てたサッカー場の周りで見物,応援している観客の数は軽く1000人を超します。数千人かも? 何人かの観衆にマレーシア語で尋ねた結果も全てミャンマー人ばかりと言う答えです。彼等のマレーシア語ではなかなか会話が進まない。

いくつかのチームが試合をするようなので、午後何時間もプレーしています、これは29日から変わりません。こんなにたくさんのミャンマー人がいるんだと感心する多さです、若い男子が主体ですが、女性も全体の1割強ぐらい、そして小学生から幼児もかなりの数います。通常外国人労働者は妻帯は許可されませんので、どうして女性子供がこれほどの人数、マレーシア滞在を許されているのか、私にはわかりません。(許すな、けしからんということではありませんよ)

Imbi地区には一大ミャンマーコミュニティーが住んでいる事は何となく気付いていました、そこからほど近い我地区にもミャンマーコミュニティーがあります。よってこういう近辺のミャンマー人が集まって、サッカーし、それを見物することで同朋意識を高めていると推測されます。ミャンマー人の彼らは,マレーシアは1時の労働・稼ぎ場所なのであろうか、それとも事実上の移民地なのであろうか? このサッカー場だけでなく、我アパートでも毎日見かける女性子供の多さを目にして、私はいつも彼等の意図を知りたいものだと思っています。もちろん、彼らにとって知らない人間に簡単に心を開いて話さないだろうことも知っていますよ。



日本人の英語を評した記事に対して、英語紙に投稿した全文とその顛末


3月31日付け 英語紙 The Star で、その日のテレビガイドなどが載っている別刷り StarTwo のT8ページ ”Mind Our English " が、Intraasia の意見投稿を掲載しました。

投稿に至った経緯

ことの発端は次ぎのようなことです:この”Mind Our English " が3月22日付けの紙面で、 宮崎大学で英語を教えている助教授 Mike Guest という人物の書いた、日本人の英語を揶揄する論 ”Why are Japanese poor at English? ” を、ページの3分の2以上を使うという大きな記事の形で載せました。単なる 「日本人は英語が下手だ」 論であれば、私は論評する気など全然起きませんが、この人物の思考の中心にある英語優越意識、英語母語者の尊大な態度に大きく反感を覚えました。 

そこで、英語ができない日本人はだめだ思考に満ち満ちたこの記事への反論及び日本人の諸外国語への態度をマレーシア人に紹介することを兼ねて、私は先週出かける前に長い文章を急いで書き上げ、 ”Mind Our English " 編集部宛てにメールで送りました。掲載される可能性はごく薄いだろうが、とにかくこの人物の一方的な論だけをマレーシア人に紹介されては、反・英語独占主義と反・英語優越論を常日頃展開している Intraasia としては黙っておれないという気持ちでした。(反・英語ではないですよ、誤解されないように願います)

思いがけず、3月31日のページで ”Mind Our English " 編集部が私の投稿を掲載してくれましたので、それには多いに感謝するものです。尚”Mind Our English "ページは毎日ではなく、毎週3日だけ掲載されます。ここでの"Our" とは ”我々マレーシア人の” という意味です。

発端の記事は日本の英字紙で発表されたもの

この人物の論 ”Why are Japanese poor at English?”は、最初 The Daily Yomiuri  に載ったものだそうです。”Mind Our English " 編集部はこの論を掲載した時、Daily Yomiuri に載った日付を表記してないので、いつかはわかりませんが最近の掲載のはずです。なぜならStar 紙もその一員であるアジアの新聞社間ネットワークを利用して転載されたものでしょう。
ただ著作権の関係からだと推測されます、The Star 紙のインターネットサイトの該当ページには(//thestar.com.my/english/):

Mar 23: Why are Japanese poor at English?
As an English teacher living in Japan, MIKE GUEST often finds himself being asked the question: Why are the Japanese so poor at English? He provides some answers

という紹介文だけで、記事自体が割愛されています。私としては、この人物の論を皆さんにまず読んでもらえないのが非常に残念です。なぜならその論に対する反論はIntraasia の投稿内容の主要柱の一つだからです。 The Daily Yomiuri のサイトで探せば見つかるのかな? 

投稿文はマレーシア人を対象にして書いた

私のオリジナルな投稿文は31日掲載記事よりもずっと長文です。つまり掲載記事では数割の文章 (単語数で約40%)が削られています。これは新聞社の投稿掲載の常で仕方ないのですが、大事な主張部分がいくつか省かれており、私の主張がマレーシア人に不充分に伝わってしまうことは否めません。そこで、私の投稿全文 と 31日付け”Mind Our English "ページに掲載された記事の全文 の両方をこの場に載せておきます。

尚一つだけ強調しておきますと、私の”Mind Our English”へ投稿文は、マレーシア人を対象にして構成し書いたものであり、日本人読者を全く想定していません。この理由は、Star紙の大多数の読者はマレーシア人であること、”Mind Our English”の対象はほぼ全てマレーシア人であろうこと、だからです。よって投稿では、助教授 Mike Guestの論に反論するために強調した部分、マレーシア人に日本の外国語学習出版状況を紹介する部分、言語相対主義の面からの反英語優越論且つ反英語独占論 という柱からなっています。

最後まで読んでいただける方には、申し訳ありませんが多分辞書が必要になるでしょうと、あらかじめ申しあげておきます。

投稿した全文

With reference to the article " Why are Japanese poor at English? " in the page of Mind Our English on the 22nd of March 06, I can not help commenting.

The main point of my argument is not a refutation against the article but condemnation of this writer for his view having English supremacy over other languages.

First of all, I want to emphasize that I do not and will not speak for the Japanese who are poor at English or proud of being a monolingual. I think and agree that the Japanese are poor at English and the monolingual-ism leads to insularity. Period.

What has made me much disgusted is ignorance of the writer named Mike Guest about the situation of foreign languages learning in Japan as well as the arrogant thought expressed often by English native speakers.

Those who never doubt that English is the only and best universal language, they have a tendency to look down on a people or a nation who are poor at English or slow learner of English. Native English speakers always take an attitude toward non-native English speakers " You learn English, We do not learn your language(s)". This kind of mentality has never been changed, because among non-native English speakers some people are willing to emulate the way of thought of native English speakers. In the 21st century it is shameful and regrettable for me to see or hear this kind of colonized mentality. Why should we accept the attitude of " You learn English, We do not learn your language(s)" in the era of equality among races and among nations.

I am not against English itself as a language. I learned English during school days and actually learned very hard after finishing schools. Therefore I now read, speak, listen and write English as one of my commanding foreign languages. Unlike most of Malaysians I had never spoken English in a real life nor had any chance to speak with English speakers before 20 years old. This is very common for those who grew up in the second half of the 20 century in Japan.

Is English so special language from the viewpoint of linguistics? No, it is just one of languages in the world. Only very few linguists agree with English supremacy over other languages.
Is English a must for those who would never or seldom use English in his / her life? No, I do not think it is good idea to emphasize the importance of one specific language. What is important? At schools let pupils or students have an interest in other world, let them introduce foreign culture(s) and people, and let them learn foreign language(s). There are really various races and tribes as well as a diversity of languages in the world. Although there is a common recognition that any race or nation is superior to other races or nations, why do many people often feel a sense of superiority regarding to language? As far as one specific language dominates over other languages, it means the language imperialism rules the world.

We should not allow one language become dominant over other languages in the name of globalization. We had better use English as a matter of convenience, if we have no other choice.

I do not stand for language nationalism in this day of the 21st century. Language nationalism used to be a useful and important movement until one or two decades after the World War Two. But not nowadays any more. I stick to the language relativism, because not only I believe in cosmopolitanism, but also I consider the true language equality great important. People should take an attitude of " You learn my language, I learn your language(s)".

Since I live in Malaysia, I have learned Bahasa Malaysia and speak as a one of my daily languages. I have committed myself to other countries, such as Thailand, Germany and several other countries since my younger days. I therefore learned German, Thai and a dozen of foreign languages. However, as the most people commit themselves to very few countries, they just learn one or a few foreign languages. For instance, if you work in Vietnam, learn Vietnamese, if you are interested in France, learn French. Those people do not necessarily become very much fluent in the language(s) like interpreter, they just need show respect for the country where they live or work. As long as foreigners live or work in Malaysia, they should learn Bahasa Malaysia, for it is a national language. " You learn my language, I learn your language(s)".

Look at his remark, quote " In Japan there is copious information available in Japanese language about every possible subject. It's all available without leaving the mother tongue! " unquote. Yes, the Japanese take it for granted that almost all the information, whether it is academic or non-academic, is available in Japanese. Is it a surprising fact? It must be a surprise to those who have a mentality of English supremacy and think only English is worth to be an omniscient language. Actually it is not. French, German, Spanish, Chinese and other several languages are quite comprehensive informative languages. When a language spoken only in a small country in East Asia is equal to those major languages, is it strange? I clearly feel this writer has a language bias against non-major language(s).

As I discuss it in a second argument, the Japanese has been making great efforts into translation. Because it is only a mother tongue that reaches everybody, whether he/she is educated or non-educated. In Japan there are large number of non-English language translators and it is not difficult to find people who are capable of non-English foreign languages. Also there are a lot of people who are willing to learn foreign language rather than English. The Japanese do not need to be English centered mentality.

In the world unfortunately the majority of languages are not omniscient languages. Those languages need great efforts by the nation, the government and publishers as well as supports from the mother tongue speakers. Think about least developed countries such as Laos or Cambodia, overemphasizing of English leads only to the language elitism. English does not reach everybody. I wish as many languages as possible would follow the Japanese language's footstep. If an isolated language spoken in a small country in East Asia can do, why not other languages can?

The second argument:
The writer is definitely ignorant of learning foreign language tendency in Japan. At bookstores in Japan, you easily find hundreds kinds of foreign language learning books apart from English language learning books. You do not have to go the biggest bookstores such as Kinokuniya in KLCC, but you go to any medium size bookstore in any town. Nowadays those foreign language learning books come with CDs. What the most foreigners are surprised at is a wide variety of languages: not only major European languages such as French, German, Spanish, Russian, Italian, but also considered minor languages such as Dutch, Czech, Polish, Greek, Servo-Croatian, Danish, Swedish, Finnish and etc.

Lets shift to the Asia languages. Chinese language is traditionally the most favorite learning Asian language among the Japanese and recently the fever of learning Chinese has increased. You find easily more than fifty kinds of learning Chinese books. You find also several dozens of Korean learning books and Thai as well. Malaysians can not imagine why so many Thai language learning books are published in Japan, which is far away from Thailand. Although Thailand is a neighboring country to Malaysia, there is no Thai learning books published by Malaysian company. On the other hand Japan publishes several dozens of Thai learning books and good Japanese- Thai / Thai -Japanese dictionaries.

Regarding to other Southeast Asian languages, Vietnamese and Bahasa Indonesia are third most variety of learning books. I can count more than a dozen of kinds of learning Vietnamese books. For information to Malaysians, there are at least 5 or 6 kinds of learning Bahasa Malaysia books. With Cambodian language, Burmese language and Filipino language, each has several kinds of learning books. You can even find a Lao language learning book.

In the category of the South Asia language, you can find learning books of Hindu, Sinhalese, Tamil, Nepalese, Tibetan language, Turkish and so on.
In addition to European languages and Asian languages, you may find more than five kinds of leaning Arabic books, and several Hebrew, Persian. Japanese publishers publish even African languages learning books, such as Afrikaans, Swahili.

All the language learning books are originally published and written in Japanese by Japanese language-specialists or Japanese specialists plus native speakers who are conversant with Japanese. As a kind of language specialist myself, it is safe to say there are more than 500 hundreds kinds of foreign languages learning books including dictionaries apart from English learning books.

The attitude and culture toward foreign languages are much different from those of Malaysians. Even a very minor language specialist works or makes a living at the university or institute, where those specialists give lectures or are allowed to study minor languages. The established foreign language universities teach more than 40 kinds of languages.
As I have benefited from this attitude and culture toward foreign languages in Japan, I could have chances of learning more than a dozen of languages.

You do not have to be English speaker if you live in Japan through his/her whole life. But I wish more Japanese, especially young generation would acquire one foreign language, no matter what language, to some extent. It will broaden their knowledge and a whole new world may open up to those who used to be monolingual.

Not everybody becomes fluent in a foreign language, just like not every body has a good ability in sports. Non-mother tongue does not reach everybody. It must be a top priority to give full information to the nation by using his/her mother tongue or national language. Then comes a foreign language.

このコラムを書く時点での注:記事に掲載された文章では投稿全文から数割部分が削除されています、そのため私の意思がマレーシア人読者によく伝わらないであろう面があります。その省かれた中で最も載せて欲しかった部分が、上のイタリック体にした2つの節です。


You need not necessarily be very proficient in English, unless you are engaged in English speaking countries. It is much better and ideal to have various kinds of foreign language speakers.

The more English becomes monopoly, the more people show tendency to believe in English supremacy. Why should we lend a hand to promote a language monopoly in this unequal and unfair world? English speaking countries and English mother tongue people and people who grow up under the easily-learning-English circumstances are benefited. Unfairness must be stopped, although it seems to be a hopeless struggle against English language monopoly. Or the trend of " You learn English, We do not learn your language(s)" will be surely furthered.
以上です。


掲載された記事の全文

The Star紙の”Mind Our English "ページのインタ−ネットサイトは http://thestar.com.my/english/ です。
そこの March 2006 のところに、Intraasiaの投稿記事が載っており、紹介文とタイトルが次ぎのようになっています(私がつけたものではありません):

Mar 31: Wrong about the Japanese
INTRAASIA comments on the article Why are Japanese poor at English?・by Mike Guest (March 22)

それではこの全文つまり紙面に載ったものと同じ文章を以下にコピーします。

Wrong about the Japanese

With reference to the article ' Why are Japanese poor at English?' by Mike Guest (March 22), I cannot help but comment.

First of all, I want to emphasise that I do not and will not speak for the Japanese who are poor at English or are proud of being monolingual. I agree that the Japanese are poor at English and that monolingualism leads to insularity.

What disgusts me is Guest's ignorance of the situation of foreign language learning in Japan and the arrogance expressed often by native English speakers.

Those who never doubt that English is the only and best universal language have a tendency to look down on people who are poor at English or slow at learning it. Native English speakers tend to take this attitude towards non-native English speakers: "You learn English, we do not learn your language(s)".

This kind of colonial mentality has never changed. And now in the 21st century, it is shameful to see it still holding sway. Why should we accept such an attitude in this era of supposed equality among races and among nations?

I am not against English itself as a language. I learned English at school and actually learned it very hard after finishing school. I now read, speak and write English and use it as one of my main foreign languages.

I, however, did not speak English in real-life situations or had any chance to speak with native speakers before I was 20. This was very common for those who grew up in the second half of the 20th century in Japan.

Is English a must for those who would never or seldom use English in their lives? No, I do not think it is a good idea to emphasise the importance of one specific language.

What is important? At school, let pupils develop an interest in other worlds, introduce them to foreign cultures and peoples, and let them learn foreign languages. If one particular language dominates other languages, it can lead to language imperialism.

We should not allow one language to be dominant in the name of globalisation. We should use English as a matter of convenience, if we have no other choice.

I do not stand for language nationalism. It was a useful and important movement until one or two decades after World War II. But not nowadays. I stick to language relativism, because not only do I believe in cosmopolitanism, I also consider true language equality to be important.

People should take the attitude: "You learn my language, I learn your language(s)".

Since living in Malaysia, I have learned Bahasa Malaysia and speak it as one of my daily languages. I have committed myself to other countries, such as Thailand, Germany, etc. I therefore learned German, Thai and other languages.

Look at Guest's remark: "In Japan, there is copious information available in the Japanese language about every possible subject ... It's all available without leaving the mother tongue!" Yes, the Japanese take it for granted that almost all the information, whether it is academic or non-academic, is available in Japanese. Is it a surprising fact?

But then again, the Japanese have also been making great efforts in translation. In Japan, there are large numbers of non-English-language translators, and it is not difficult to find people who are fluent in foreign languages other than English. Also, there are a lot of people who are willing to learn other languages. The Japanese do not need to be English-centred.

Guest is definitely ignorant of foreign language learning tendencies in Japan. In bookstores in Japan, you can easily find hundreds of books teaching languages other than English. You do not have to go to the biggest bookstores such as Kinokuniya; any medium-sized bookstore in any town would do.

Many foreigners are surprised at the wide variety of languages learned by the Japanese - not only major European languages such as French, German, Spanish, Russian, Italian, but also Dutch, Czech, Polish, Greek, Serb-Croatian, Danish, Swedish, Finnish, etc.

Chinese is traditionally the favourite Asian language among the Japanese, and recently the numbers learning Chinese have increased. Korean and Thai are popular as well.

Malaysians cannot imagine why so many Thai-teaching books are published in Japan. Although Thailand is a neighbouring country to Malaysia, there is no Thai-teaching book published by a Malaysian company. On the other hand, Japan publishes several dozens of Thai-teaching books and Japanese-Thai/Thai-Japanese dictionaries.

For the information of Malaysians, there are at least five or six kinds of books teaching Bahasa Malaysia. The Vietnamese, Cambodian, Myanmar and Filipino languages also have several kinds of teaching books. You can even find a book teaching the Lao language.

The list goes on -Hindi, Sinhalese, Tamil, Nepalese, Tibetan, Turkish, Arabic, Hebrew, Persian. Japanese publishers even publish books teaching Afrikaans and Swahili.

All these books are originally published and written in Japanese by Japanese specialists or Japanese specialists plus native speakers who are conversant in Japanese.

As a kind of language specialist myself, I can safely say there are more than 500 different kinds of foreign language teaching books including dictionaries apart from those for English.

The Japanese attitude towards foreign languages is quite different from that of Malaysians. There are even minor-language specialists who make their living working at universities or institutes where they give lectures or research minor languages. The established foreign language universities teach more than 40 different languages.

You do not have to be an English speaker if you live in Japan your whole life. You need not necessarily be very proficient in English either, unless you are engaged in interaction with English-speaking countries.

The more English becomes dominant, the more people will show a tendency to believe in English supremacy. Why should we lend a hand to promote a language monopoly in this unequal and unfair world? English-speaking countries will be the ones to benefit.

Unfairness must be stopped, although it seems to be a hopeless struggle against English language monopoly or the trend of "You learn English, we do not learn your language(s)".
- Intraasia
以上です。

文の省略に加えて、編集部が我原文の一部の表現を言い換えまたは単語を変更していますが、これは別に問題ありません。意味上の変化はないからです。

最後の1節に書きましたように、英語の独占化潮流に棹差す言動は確かに望みなきことです。しかしIntraasia は一貫して主張し続けている、言語相対主義に基づく反・英語独占優越思想と行動の面から、この問題に対しては発言していきます。それが今回の投稿に至った最大の動機です。



専門職業教育、芸能教育などを提供する専門学校、高等教育機関


中学校5年間を修了した後学習を続けるには、いろんな進路コースがあります。これまでのコラムで、大学・カレッジに関しては数回に渡って詳しく書きました。ポリテクニックについては第 150回の 「中等教育での職業・技術教育を概観してみる」 内で扱いました。第398回では「マレーシアにもコミュニティーカレッジがあります」 と題して、コミュニティーカレッジのことを書きました。

そこで今回は、中等教育を終えてから進学するまたはその中途から進学する、専門技術・専門職業分野での教育機間を紹介してみます。文章中の説明に関する文は新聞の特集記事、それぞれの教育機間が発行しているパンフレット、教育機間自身が掲載した広告から抜粋して訳したものです。

看護婦(士)を養成する機間と大卒看護士を増やす計画

「保健省は、看護婦(士)を目指す人全員を養成できるわけではないので、民間での養成者も必要です。」 と保健省の幹部は説明します。全国に19の看護学校と 看護課程を持つ7つの国立大学があり、看護学における ”Diploma" 課程と"Degree" 課程を提供しています。(いわゆる大学卒となる)"Degree" 課程は、国立大学では最初マラヤ大学が設置し、他の大学がそれに続きました。

全ての看護課程は、マレーシア看護委員会の認証を得る必要があります。マレーシア国民大学(UKM)の看護部門の長の説明によれば:


看護学生が”Diploma" 課程または"Degree" 課程を終了すると、マレーシア看護委員会の試験を受け合格しなければなりません。合格者は看護委員会に登録すると 登録看護婦(士)になるのです。これは毎年登録する必要があり、現在約8万人です。看護婦(士)になると、保健省翼下で5年間働く義務があります。これは医師の場合に似ています。

看護課程を卒業し試験に受かれば勤務します。通常は病院勤務であり、看護婦次長から出発し、看護婦長になり、その上のMatron に昇進します。ただ進路は病院勤務だけでなく、教育分野、家庭看護、ホスピス、保育所、リハビリセンターなどで働く道もあります。

保健省の明らかにしている数字では、(公立すなわち)政府系病院で働く看護婦の人数は約3万人です、その内大学卒としての看護婦資格を持つのは200人に過ぎません。そこで政府はこの数を増加するために、1500人から3000人の看護婦を訓練する意向です。これまで大卒看護婦資格の保持者には、給料などで別の体系が適用されなかったので、通常の看護婦資格者と同じ給料だそうです。そこで保健省は新しい体系を導入して、大卒看護婦資格者は準医療士と同じ給料体系にし、且つ臨床講師にもなれるようにします。

保健大臣の発言に寄れば、現在の看護婦と患者の比率は、1対450人、これを2020年には1対200人にしたい、と。そこで毎年8000人の新規看護婦を訓練しなければなりませんが、現在は年に3500人の新規看護婦しか訓練していない、とのことです。

教育省の公告から

2006年 技術中学校 (Sekolah MenengahTeknik ) への入学申請に関して
2005年のPMR 試験を終え、国内の技術中学校第4学年へ 2006年入学時期に編入学を希望する生徒が対象。
技術中学校には3コース有ります:

2005年PMR試験結果の本証明に基づいて申請します。その方法:

申請締め切りはPMR試験結果の発表されてから10日後。
2006年3月31日までに返答を受け取らなかった応募者は 不合格 になったと判断して下さい。
教育省技術教育部

芸能・演芸分野で専門家を養成

Akademi Seni Kebangsaan すなわち 国家芸術アカデミー という公的な機間があります。マレーシアの伝統芸術とりわけ演芸分野で十分なる専門技術と知識を備えた人材を養成するために、国が設けたいわば専門分野での高等教育機間です。Akademi Seni Kebangsaan は芸術・文化・遺産省の翼下に属し、クアラルンプールに建物施設があり、敷地内には劇場も建てられています。その詳しい住所と行き方は、「クアラルンプールの見所と出来事と催し」 ページにある 『クアラルンプール及近郊にある博物館と文化施設』 項目で説明してあります。

このAkademi Seni Kebangsaanは当時の省庁の下で、1994年に設立されました。90年代中頃私は1度だけ、その敷地内にある付属劇場で開催されたマレー伝統楽器のコンサートを聞きに行ったことがりあります。その後クアラルンプールのJalan Ampangの校舎に移転し、しばらくして別の場所である Jalan Tun Razak にあるビルに再移転しました。元の場所である現在の地に戻ったのが2004年後半のことだそうです。

2005年久しぶりにその地、独立広場から徒歩10分弱の場所、を訪ねた時、拡大された敷地にすっかり新築なった校舎の立派さに驚きました。付属劇場も新築されおり、そのうちにそこで演芸を見てみたいものだと思いました。その機会がまもなくやって来たわけで、新聞に小さく出ていた公開演芸のお知らせに気がつき、11月終わり頃3晩に渡って開かれた伝統ダンスの発表会を見にいきました。

Akademi Seni Kebangsaan 国家芸術アカデミー

5つのコースがあります:音楽、ダンス、映画・テレビ撮影、劇場、脚本
3年間に納めなければならない諸学費合計は約 RM 5000 に過ぎないので、これらの分野で若い人材を育てようという公の目的が感じられますね。
この Diploma課程 の他に、一般人も学べる短期間学習のパートタイムコースがあるとのことです。

工芸家、手工芸家を養成する機間

工芸家、手工芸家を目指す、そいう専門技術者を養成するための学校が、国立工芸専門学校 Institut Kraf Negara です。この学校はまだ設立されてそれほど何年も経っていない新しい教育機間です。学校の住所はスランゴール州の行政上ではRawang に属し、位置的にはTemplerパークの近くです。

目的
カリキュラムは実技学習 70%、理論的学習が30%の比率です。技術レベルを磨くために、学生は産業訓練と手工芸産業で受けます。この実践教育理念は工芸品産業における必要なる専門知識を満たすということです。

提供する課程


Certificate 課程への入学資格

注:Certificate 課程は国民職業訓練会議 MLVKの定めた単位授与に従がって 教育がなされるとのこと。

Diploma課程への入学資格

Diloma課程のコース− 修了時に芸術と手工芸 Diploma を取得−
専攻によって6コースある: バティック、織物、籐と竹、木工、焼き物、精巧金属細工

卒業後の進路


もちろん教育の”中味”はわかりませんが、こうやって見ていくと、看護婦、ダンス、楽器演奏、劇場などの専門家の卵養成、手工芸家の卵養成といった、通常の学問的高等教育とは別の進路もこのように整備されているのですね。マレーシアの芸能伝統を披露する場でいつも出演している人たちは、多分 Akademi Seni Kebangsaanの卒業生、在学生のようですし、病院でお世話になる看護婦には上記の教育を受けて看護婦になった人たちなんでしょう。私たちにもこうして多少の馴染みがあるわけです。



タイ深南部の現状はどうなっているか、2006年現地訪問の報告 −前編


当コラムを何十篇もお読みになられた方ならすでにご存知のように、Intraasia はスマトラ島アチェ、タイ深南部、カンボジア辺境地といった、一般旅行者が全く足を踏み入れない地をたまに旅しています。できればもっと日数多く且つ回数多く旅したいのですが、なにせ予算が極めて限られているのでいつも駆け足気味の短期旅になってしまいます。これが最も残念な点です。

何年も前から訪れ続けているタイ深南部

3月終わり頃5日間ほどクアラルンプールを留守にしたのは、そのタイ深南部を訪れたからです。80年代後半に初めて足を踏み入れたタイ深南部はマレーシアのすぐ北隣ですから、到達すること事自体は容易です。そんなこともあって、90年代中頃からはほぼ毎年訪れています、当コラムではこの5、6年の間にすでに 7,8 回タイ深南部について書きました。その理由はタイ深南部の深南部たる点、つまり多数派であるタイムスリムコミュニティーの存在が、マレーシアを観察し考える私に興味を抱かせてきたからです。タイ深南部についてあれこれ解説・説明した、去年のコラム第421回&422回 「タイ深南部はどういう状況になっているのか −現地訪問の報告− 前編と後編」 をあらかじめお読みくだされば、このコラムの理解にも役立つと思います。

そのタイ深南部はこの2年間ちょっとの間に東南アジアの中で、極めて不穏で且つ殺傷事件が頻発している地方の一つとなっています。そう、爆弾と襲撃が連日または断続的に発生し続けており、記憶に間違いがなければ、殺された者は、反抗組織の属すると見られるタイムスリム若者、タイムスリム、タイ系タイ人(仏教徒タイ人)、警察・軍隊を合わせてすでに1、000名を越えています。タイ側国境の町スンガイゴロックでは遊行目的で滞在していたマレーシア人が数回爆弾爆発に遭って、これまで合計数人が死傷しています。

普通の外国人旅行者は皆無に近い

そのタイ深南部を今年も訪れて、何箇所か巡ってきました。いわば私にとっては恒例の行動です。スンガイゴロックで爆弾に撒き込まれて死んだ、怪我したマレーシア人はいても、外国人が襲撃の直接対象にはなっていないことは確かです。だから私は今年も訪れたのです(タイ深南部を知る者として、もちろんリスクは十分承知の上です)。しかしタイのマスコミはいうまでもなく、西欧通信社の外電報道、マレーシアのマスコミを通じてこれだけ頻繁に、時に大きく報道されてきた、不穏な地方ですので、知人などを尋ねる目的のマレーシア人ムスリムを除いて、現在タイ深南部を旅行する通常の外国人旅行者は皆無に近いといってもほぼ間違いないでしょう(それほど少ないということです)。現に今回の深南部訪問で唯一数人の白人旅行者を見かけたのは、タイ鉄道南部路線の始発・終着駅であるスンガイゴロクからハジャイに向かう列車の中だけでした。彼らはタイ深南部では下車しませんね。

これまで何回も説明しましたように、タイ深南部とは、マレーシアと国境を接したナラティワット県、一部国境と接したヤラー県、国境には接してないパッタニー県の3県を指します。パッタニー県はタイムスリムの歴史的中心地です。町部にはタイ各地と同じように華人系タイ人がたくさん住んでいます、彼らに商売人が多いことはタイの他の地方と変わりはありません。タイ系タイ人は散在してますが、3県の合計人口の4分の3以上はムスリムだといわれています。郡部の村では村人口の90数パーセントぐらいはムスリムと思われるムスリム村がたくさんあるようです。そういった村の一つを今回も訪れました。

国境に横たわる川を渡ってタイ入国

さて今回の旅では、まずクランタン州最東北端のTumpat郡Tumpat に夜行列車で着きました。この辺りは聞えてくるマレー語クランタン方言に特徴づけられた圧倒的マレー人の世界ですから、クアラルンプールとはかなり違った印象を感じる地方です。Tumpat駅はマレー鉄道Wau号の終着駅ですが、その手前駅である Wakaf Baru でほとんどの人が降りてしまい、残った乗客はわずかです。私には3年ぶりくらいのTumpatです。駅前から乗合バスで国境の村 Pengkalan Kubur に向かいました。
国境越えに関しては、以前から詳しく乗せていますので、旅行者ページの 「隣国との国境の超え方と情報」 の該当ページをご覧ください。

 河口に位置するPengkalan Kuburの対岸の町 Tak Bai に渡り、タイ側のImigresen(つまり 出入国管理事務所 )で入国手続きをしました。マレーシア側の Imigresen施設はこの5年ほどの間に新築拡大したのですが、タイ側の Imigrresen建物は10年前と変わらずです。私のパスポートを見て係官はなかなか入国スタンプを押そうとしません。最近はめったに渡って来ないであろう、地元マレーシア人以外の外国人ということもあったからかもしれませんが、私が今年初めにカンボジアからタイ入国した際のタイ側入国箇所を知らなかったその係官は、そのタイ入国スタンプが偽造とでも思ったのか、しつこく質問されました。これが小さな国境検問所通過の欠点ですね。仕方ないので私はあれこれとタイ語で説明したのです。ようやく入国スタンプを押してもらった後、私はいささか皮肉を込めて、「また来るから、私の顔を覚えておいてくれ」 とタイ語で言っておきました(笑)。

タクバイは深南部不穏化を決定付けた町

Tak Bai はタイ深南部不安定化の過程において、深刻化を決定づけた2大事件の一つが起った町です。2004年11月ごろ、警察と軍隊がこの町でタイムスリムの集会?抗議行動を取り締まった際、90名ほどのタイムスリムを結果として虐殺しました。これがその後のタイムスリムとタイ治安勢力との決定的衝突を増加させる契機になったのです。

もちろん現在ではそんな衝突再発生の兆候は感じませんが、当然タイムスリムコミュニティーの心深く刻み込まれているはずです。ナラティワット県に属するTak Bai はいうまでもなく圧倒的タイムスリムの町です。昔からそして今でも、100メートル程度しか離れてない対岸のクランタン州からたくさんのマレーシア人が買い物や食事に訪れています。

この町の中心ともいえる市場があるところからちょっと離れた一角に、ソーンテーオの集合地兼スンガイゴロク行きのバス乗り場があると覚えていたので、私は早速そこへ行きました。どうやらバス便はなくなったのか、またはずっと本数が減ったようで見当たらない。そこでソーンテーオで行くことにした。行き先はタイ鉄道南部線の始発駅スンガイゴロクです。スンガイゴロックは同じナラティワーット県にあり、マレーシア国境に接した歓楽で有名な町です。

ソーンテーオの乗客に感じる深南部の感覚

このスンガイゴロクとソンクラー県に属するハットヤイ間を結ぶタイ鉄道の区間はタイ深南部を突っ切る形なので、要注意路線として知られています。これまでニュースなどを通じて記憶している限り、タイ深南部不安定化が始まってから線路に仕掛けた爆弾未遂が数回起きています。区間中にあるいくつかの駅では警備の警官や軍人への襲撃事件は数多く起きています。さらに列車内に仕掛けた爆弾が1、2回破裂して重傷者が出たこともあります。

このため今回も私は是非この区間を乗らねばと計画したわけです。Tak Bai からはナラティワット県の県都ナラティワットへ行く方が便も多く便利なのですが、ナラティワットは鉄道路線が通ってないのです。それほど待つまでもなく運良くスンガイゴロック行きソーンテーオが出発すると言って、エンジンをかけましたので、早速乗り込みました。この種の乗り物は100%地元の人ばかりです、つまりこの地ではほとんどがタイムスリムということになります。

注:タイ語の ソーンテーオとは、小型ピックアップトラックの荷台に長椅子を置いて幌をかけた、最もタイ的な乗り物です。タイ全土どの町村でも運行されており、近距離から遠くても50Km程度までの距離間の決められたルートを運行する。ルート内のどこでも乗れるし降りられます。一般的に最低 5バーツから始まり最遠距離でも 30バーツ程度までという安価で非常に便利な乗り物です。基本的なタイ語会話ができるか、行き先のタイ文字が読めない限り、ソンテーオは乗りこなせない。

よって私の乗ったソンテーオも混むことはなかったが初めから終りまで、仏教徒タイ人1人を除いてタイムスリムの生徒か地元の女性ばかりでした。タイ深南部のどこであろうとソンテーオやロットトゥー、冷房なしのオンボロ乗合バスに乗れば、ほとんどがこういう乗客構成です。もちろん仏教徒タイ人が何人も乗っている場合もよくありますが、常に乗客の多数派はタイムスリムです。

なぜタイムスリムとすぐわかるかって? それは深南部のタイムスリムの多くの女性は外出時は、ちょうどクランタン州のマレー人女性のような服装、つまりトゥドゥン姿とバジュクルンや大人しい上着にジーンズのようなスタイルが多数派です、学校の女生徒はほとんど全てトゥドゥン姿です。男性タイムスリムの場合はサロン姿、ターバン姿もよく見かけます。そういう姿でなくても、慣れた目からみれば何となくムスリムだと推測できる場合がよくあります。さらに顔や服装だけで判断できなくても仲間どおしでの会話言語はタイ南部マレー語が多いので、それを耳にすれば間違いなくタイムスリムだとわかります。こうして乗客のタイムスリムの行動を私はいつも注意しながら眺めています。

タイ鉄道深南部路線を乗る

Tak Bai からスンガイゴロクの中心部にある鉄道駅前まで約1時間強で着きました。手元に持っている昨年の時刻表上ではハジャイ方面の列車の発車時間を20分ほど以上過ぎていたので、間に合わないなと思ったのですが、運良くというかいつものごとくというか、発車が遅れていたため、プラットフォームに列車はまだ停車していました。これを逃すと2時間ほど待たねばならないので、私は切符を買ってすぐ乗り込みました。そのためスンガイゴロクの町を観察する時間がありませんでした。

スンガイゴロク駅はもちろん複数の兵士が目立つように警備しています。列車内にも警官が乗車しています。タイの鉄道はどの便であれ普通警官が乗車警備していますが、南部線はその一般警官とは多少違う制服の警官が複数乗車して時折車内を巡回しています。去年のこの同じ列車に乗ったときは特別警備の警官が結構丁寧に乗客の荷物を調べていたのですが、今回はその光景を見かけませんでした。今回私はたまたま冷房なしの2等席切符を買ったから3等より検査が少なかったのか、それとも多少検査が緩んだのか、判断がつきませんでした。

列車は40分ほど遅れて出発、目的地のヤラー駅には2時間後到着しました。車内の様子はこれまで何回か乗った記憶と比較しても何も変わったことはありません。荷物検査が煩かった去年の列車でも同じですが、要注意区間であろうとなかろうと、圧倒的多数を占めるであろう地元タイムスリム乗客にとって、この列車に乗るのは日常的行動の延長なのです。尚この列車はハジャイを経由して翌朝バンコクに着く最長距離列車です。

駅の警備風景は去年と同じ

2時間の乗車中私は窓の外を多く眺めていました。列車はしばらくナラティーワット県内をずっと走行します。やはり主だった駅、といっても田舎路線なのでその中での中規模程度という意味です、には昨年同様必ず複数の兵士が警備しています。兵士はいずれも防弾チョッキを身につけ自動車小銃の引き金に必ず指をかけた警備スタイルです。警備兵は椅子に座ったり立ったりしていますが、常に引き金に指をかけています。ある駅では警部兵の周りには土嚢が積まれていました。爆弾を投げつけられたりした時の防御用です。ヤラー県に入っても主だった駅の様子は同じです、その日が土曜日のせいもあって、いくつかの駅では乗ってくる降りる乗客は結構多いのです。警備兵がいようといまいとこの光景は変わらないのです、つまりごく普通の駅での光景と言っても構わないでしょう。

窓から眺めていて、あれっと思った光景を2回見ました。一つはタイ深南部でも とりわけ「赤信号地方」 といわれる地方のある駅構内で、列車が対向列車を待ち合わせしていた時のことです。タイ鉄道は単線ですからよくこのように対向列車の待ち合わせをします。その待ち合わせ箇所だけは当然複線になっていますから、両方向の列車がすれ違う時のことです、駅警備の複数の兵士が、列車を背にして本当に射撃姿勢になって警備したのが目に入りました。これまで数多く見た駅警備の様子で、ここまで緊張した姿を見たことはなかったので意外感を感じた次第です。

もう1回はこれも「赤信号地方」です。 線路脇に鉄条網がずっと敷かれており、線路内へ近付けないようになっている所がありました。過去に線路に爆弾が仕掛けられたことがある地点なのだろうか? しかし100キロをはるかに越える深南部線路のごくごく一部だけなので、素人目には大きな効果があるのかなとも思えます。

いずれにしろどこがいつ襲われるかわかるわけないので、守る方つまりその最前線にいる若い兵士たちは実に大変だなと、のんきなことを思いながら私は窓の外を眺めていました。乗客のタイムスリムがどういう目でこういった状況を眺めているのだろうか、知りたいものですが、この種の質問はよっぽど親しい間でない限り無理ですから、わかりませんね。

ヤラー駅構内にジャウイ文字で表示がある

さて約2時間後ヤラー県の県都であるヤラーの駅に着きましたので、予定通り下車しました。ヤラーは昔から私のタイ深南部滞在のベースともいえる町です。県都といってもタイの大きな都市から見ればありきたりの小都市に過ぎません。毎年訪れているので、多少づつ変化は感じますが、大きく変わるようなことはありません。そこがタイ深南部らしさです。

新しい駅舎自体は去年完成していたので、今回は内部はどうなっているのかなと予想していたのですが、去年と全然変わっていませんでした。切符売り場や駅員室を除けばテナントはまったく入っておらず、待合コーナーもほとんどない状態で建築されたままの感じです。でもたくさんの乗客らで駅舎内外はいつもざわついています。深南部では鉄道利用者はいつも結構多いからです。切符売り場の壁にいくつかのお知らせと注意書きが書かれています。そのタイ文字に加えて ジャウイ(アラビア語文字を使ったマレー語)が付記されていることにすぐ気が付きました。これは去年まではなかったはずです。マレーシアのマレー鉄道駅でさえ、ジャウイ表示は珍しいので意外に思った次第です。

軍隊による町の警備は続いている

ヤラーの町では常宿にしているエコノミーホテルに泊まりました。駅前から商店街一帯が町の商業面における1番にぎやかな一帯といえるでしょう。尚公共建築物は駅前からは相当離れた地区に固まっています。”にぎやか”という形容はタイ深南部の基準からいえばということで、その程度はタイの中部や南部や北部にある大きな都市の足元にも及びません。

そんなヤラーの町では、通常の町と同じように警察官の姿を目にします、加えて自動小銃を手にした兵士のグループが時折徒歩巡回しているのに数回出会いました。一群の兵士が軍用トラックなどでやって来て、駅前などで降りて一帯をしばらく歩き回るのです。兵士の巡回はこの徒歩巡回だけでなく、4輪駆動車またはピックアップトラックの荷台に4名ほどの防弾チョッキを着けた兵士が乗って、走行しながら巡回しています。これは去年も見かけた光景です。4名ほどの兵士は必ず前方向いて座った者と後方を向いて座っている者のペアとなっています。もちろん運転している兵士以外は全て銃を構えています、単に肩からかけているだけではありません。

ヤラーの町で去年見かけず今年見たのは、交番の守りが強化されていたことです。これまでも町の交番、線路踏み切り所の交番の周りには土嚢、時には古タイヤも加わって、が積んでありました。で今年はその土嚢の周りにさらに地下の下水道に使うような大きなコンクリート管が何本も立ててあり、さらに交番の前方は網ですっぽり覆われています。爆弾などを投げ付けられても直接交番内に飛び込まないようにしている、爆発のショックを和らげるためでしょう。町の交番だけでなく、町と郊外を結ぶ道路の検問所も土嚢や古タイヤ プラス大きなコンクリート管という防御方式です。こういう風景を目にすれば、タイ深南部の不穏さを実感します。

深南部にできた2軒目のショッピングセンター

ヤラーに滞在中の日曜日、午後町中をぶらぶら歩いてみました。まず去年訪れた時はまだ工事中であったショッピングセンターへ行ってみました。こんな田舎県都にも小型ながら初のショッピングセンターができたのです。タイ深南部では以前からパッタニー県都に小型のショッピングセンター1軒だけがあります。ですからタイ深南部では2軒目ということでしょう。

ショッピングセンターの入り口が1箇所だけに制限されており、入り口で男女の警備員がセンターに入る訪問者全員に対して簡単な検査をします。袋やカバンの中身をのぞき、空港であるようなラケット式の金属探知機で身体をなでます。去年のいつオープンしたのか知りませんが、それ以来ずっとやっているのでしょう。 このショッピングセンターの道路を挟んだ対面にはバイク駐車場があります。主にショッピングセンターを訪れる客対象のバイク駐車場なのでしょう。そこでは数人の警備員が、駐車するバイク毎にその荷台と座席を持ち上げて軽く検査していました。タイ深南部では停めたバイクに仕掛けた爆弾を携帯電話のシグナルで起爆させるという方法が数十回も起りました、いやまだ起っているのです。ヤラーでもそういった爆弾破裂が数回はあったことを記事で読みました。このことを知っている私にはなるほどと思える警戒ぶりです。

尚タイでは深南部の不安定化が始まって以来この携帯電話シグナルによる爆弾破裂が止まなかったので、プリペード式は全て利用者登録が必須化となりました。ある爆弾事件が起り、その捜査に警察などが駆けつけた時点を狙って隠した爆弾を携帯シグナルで爆発させるという2回爆発方式も何回か起きたと、ニュースで読みました。

ショッピングセンターは4階建てですが、2階は半分もオープンせず、1階もにぎわい程度は少ない、にぎわっていたのは、食堂街と児童遊園コーナーのある3階のみでした。まだまだヤラーでは都市型消費文化は低調といえます。4階は10日間ほど前にオープンしたばかりという、シネプレックスです。これにはいささか意外で、平日はたして客がどれくらい入るのだろうか、と思いました。まあ80バーツもしたので、私は多少あった見る気を失いました。

日曜日の午後、路上に人がほとんどいない

食堂屋台コーナーで食事後、ショッピングセンターを出て街を歩きました。日曜日なのでほんと路上に人がいない。もちろん自動車やバイクは平日よりもぐっと少ないとはいえ走っていますが、路上を歩く人は皆無に近い。以前はこうも少なくはなかったように記憶しています。つまり市民は車とバイク以外での外出を避けているかもしれないなと気がつきました。田舎町とはいえ一応県都ですから普段は小さな会社や店が三々五々とならぶ街なのですが、日曜日とはいえ閑散過ぎる感じです。人通りのごく少ない路上を一人歩く、それもひと目で非ムスリムとわかる人間が歩くのはどうもよくないなと私は感じながらも歩きました。随分と蒸し暑く、疲れました。

町歩きしていて、この町で最も背が高く大型の唯一の高級ホテル(バンコクの水準から言えば中級ホテル)が廃業したことを知りました。タイ国内からのタイ深南部訪問が激減したからなのでしょう。こういったところにも不安定化の影響は出ています。とりわけ夜間はまことに早くから路上から人が消えます。8時過ぎればもうバイクと車だけですね。7時過ぎるぐらいになると、私のようにとことこと暗い歩道を歩いている者はぐっと少なくなる。ということで、毎回大衆食堂で食べる夕食は遅くても8時前に済ませて、ホテルに即戻りました。

でその日曜午後ですから平日にはかないませんが駅前とその前の商店街付近は、もちろんそれなりに人が出ています。でもその辺りでも夜間はゴーストタウン並に人が消えます。

夜間の催しでは誰も来ない

夜間といえばこんな経験をしました。泊まっているホテルの上階には催し用・集会室があります。月曜日朝のことです、どこかのグループがエレベーターで楽器類を運んでいるのを目にしました。ふとこれは夜煩いだろうなと思って、近くにいたボーイに、夜パーティーでもあるのかとタイ語で尋ねました。そしたら彼は、いや日中だよ、夜そんな催しやっては誰も来ません、と答えました。なるほど、それは当然だなと私もあらためて思い知らさらせれたのです。

ヤラーには、国境の町スンガイゴロクを除く他の深南部の町と同じく、歓楽街などというものは存在しません。タイの深南部ではない地方、つまり南部であれ北部であれ中部であれ、中規模程度以上の町ならほとんどどこにでも規模の大小はあっても、娯楽業の店が並んだ一画があるものです。しかし深南部ではそうはなりません。県町ですからいくつかのホテルにカラオケや歌謡レストランなどがあり、さらにバンドなどが入って歌う屋外式レストランも数少なくあります(ありました)。しかし不安定化によって、上記の高級ホテルが閉鎖したように、夜の娯楽産業は極めて静かになったといっても間違いありません。私の常宿にしているエコノミークラスのホテルの近くには夜生バンドの入る屋外式レストランがあるのですが、以前は夜遅くまで聞えてきた音が聞えなくなっていました。このように街の夜は明らかに萎縮しています。



タイ深南部の現状はどうなっているか、2006年現地訪問の報告 −後編


深南部で食べるロティチャナイ

ヤラーの町はタイムスリム多数派ですから、ムスリム用大衆食堂があちこちにあります。そんな中で駅前通りのある大衆食堂は、朝はロティチャナイを焼いています。ヤラーで唯一のロティチャナイの店ということではないですが、駅前界隈では唯一です。去年は食べたけど今年は食べなかった、なぜかというとそのロティチャナイはあまり美味しくなかった記憶があるからです。ロティチャナイはヤラーだけでなく他の町でも見かけ、とりわけハジャイでは数軒集まっている一画があります。マレーシア旅行者がたくさん訪れるからでしょう。でもやっぱりロティチャナイはマレーシアの方が美味しいなといつも感じます。

深南部ではなくもう少北へ行った南部の町でも、ごくたまにロティチャナイを焼いている店とか屋台を見かけます。ただ南部のその種のロティチャナイは、本場マレーシアのそれからかなり乖離したタイ風になっており、小型でふっくりした感じが失われ、カレー味もあるけど砂糖やマーガリンをつけて食べます。おまけに パンケーキ などと呼んでいるので、余計にロティチャナイもどきです。

ヤラーのこの大衆食堂では、焼き手のムスリム女性が焼く前のロティを一応ひらひらと裏返したりしながら準備しますが、はっきり言ってかなり下手です。メニューが貼ってあり、それにはタイ語で 「ロティタンマダー(ロティチャナイのこと) 5バーツ、ロティサイカイ(ロティトゥルールのこと) 10バーツ」 と書いてあります。つまりマレーシア語名をタイ語に翻訳した呼び名です。この店ではナシダガンも売っています。そう、あのクランタン州とトレンガヌ州でお馴染みの色付きのマレーご飯ですね。ヤラーを訪問する時は少なくとも1回はこの店で食事します、味もマレー風の店です。ヤラー州は相手がタイムスリムであればほどんどの場所でマレー語がそれなりに通じますから、この食堂でも同じです。私はタイ語とマレーシア語のちゃんぽんで注文したりするのです。

選挙の雰囲気は全くなかった

タイでは4月2日に総選挙投票日が設定されていたので、私のタイ滞在中はその選挙期間中でした。ご存知のようにタクシン政権に反対する野党と市民グループは選挙ボイコットを決めて、選挙には一切参加していません。さらに伝統的にタイ南部及び深南部はタクシンの率いるタイラックタイ党に批判的で、与党陣営は去年の総選挙では南部全体でわずか1議席、深南部では完全にゼロ議席でした。こういうことから、ヤラーの町、私の立ち寄ったタクバイやパッタニーの町村やハジャイ、さらにバスや列車から眺める風景のどこを見ても、その選挙区に立候補したタイラックタイ党の候補者の写真が1枚パラパラと張られていただけであり、選挙運動はいうまでもなく、選挙雰囲気さえもほとんど感じませんでした。
警察だけでなく他地方からの軍隊を数万規模で深南部に次ぎ込んでいるタクシン政権に深南部は強い拒否反応を示しているとの分析は間違いないでしょう。

オンボロバスでパッターニー県の漁村を訪ねる

ヤラーの町にはバスターミナルといったものはないので、各種乗合バス、ロットゥーが発車する場所が市内のあちこちに分散しています。どの場所にどこ行きのバスまたはロットゥーがあるかは、町の人に聞けばある程度わかるが、誰でも自分の関係ある地方程度の情報しかもってないので、何人かに尋ねてようやく目的地行きの場所がわかることがあります。それとも自分で町を歩いてこまめに探していくしかないのです。何年にも渡ってヤラーを訪問している私は大体の発着場所をつかんでいますが、それでも乗合タクシーの場所まではあまり覚えていません。

注:ロットゥーとは行き先の決まったバンのことで、発車時点で定員性であり途中で客を下ろすことはあるが、拾うことはない。乗合タクシーはその車両ごとに行き先が決まっており、4人または5人揃ったら出発する方式で、現代ではもうすたれて、いつ見ても客がごく少ない。反対にロットトゥーはいつでも客が待っている。ヤラーの町から近郊の村町へ行くバスは何種類かあり、全てが冷房なしのオンボロ車両。


さて今回もパッタニー県の海岸の村を訪ねました。これで今回も深南部の3県はすべて回ることになり、県都あり、小規模な町も、国境の町も、そして漁村も回ったのです。

ヤラーの発車場から終着であるその漁村までずっと乗っていく乗客は、これまで数多くの回数乗った経験から、ごく一部です。このバスの行程の両側に広がる地帯、つまり道筋の村村はほとんど全部タイムスリム村と断定してもまず間違いないはずです。もちろんモスクも目に入ります。よって今回も、ヤラーの町からこの漁村まで行くバス内または返りのバス内の乗客は常にタイムスリムが100%近いことになります。ヤラーの町を午前中に発つので、行程の途中にある村からヤラーの町に買い物に来た女性や老人層が多い、漁村からヤラーに戻る時は常に午後なので、行程の途中では学校の終わった生徒が乗降します。その全てが服装と様子と話している言語から、タイムスリムであることがわかります。

オンボロバスの中でいつ出発するとも知れぬ発車を待つ間、走行中に乗客にまじって座席に座っている間、誰が見てもよそ者の非ムスリムの私がバス車内にいること自体場違いな感じを毎回抱くことになります。この感覚は私だけが抱くのではないはずです、バスの車掌はまさか私が終点の漁村までいくとは思ってなかったようで、途中で2回ほど私が降りると思っていたかのように振舞いました。

広くて白い砂浜に恵まれた漁村はほぼ完全なタイムスリムの世界

パッタニー県に属するその漁村は典型的なタイムスリム村です。間違いなく村人口の90%以上はタイムスリムであり、村の商売店もほとんどタイムスリム経営である。少なくとも1軒は華人系タイ人の店があることは、玄関に華語の標語が張ってあるのでわかった。タイ仏教寺院もあるのでもちろ仏教徒タイ人も住んでいるが、何年もこの村を訪れて歩いてきた私は、仏教徒タイ人が極少数であることは知っています。

海岸に面したその漁村はきれいな海に恵まれています。白い砂浜がさえぎられることなく数キロ続き、観光用として手入れされていないにしてはかなりきれいな海岸です。もちろん、近くに工場といったような産業施設はありません。モンスーンシーズンは当然海が荒れ水は濁りますが、この時期水はかなり澄んでいます。このように海と浜辺に恵まれているのですが、宿泊施設は1軒たりともありません。パッタニー県はかなり長い海岸線を持っています、その漁村はその地図の中で何々海岸と記された浜辺を持つ、自然環境には恵まれた漁村です。漁村と呼ぶ理由は、大多数の人が漁業関係で生計を立ているからです。つまり船で沖合いに漁に出なくても、取ってきた魚を干す仕事や漁民相手の店舗と大衆食堂という間接的な住民もかなりいることがわかります。

きれいで広い砂浜に恵まれているので海水浴や、というより水と戯れるだけですが、海岸でピクニックする村外の地元人がやって来ます。若者たちはバイクに乗ってやって来ますが、女性や子供たち、年老いた人たちはピックアップトラックの荷台に、多分一族とか近所のグループなんでしょう、10数人載せてというスタイルがほとんどです。こういうのはいかにもタイの田舎の人たちの行動風景です。その日は平日であったにも関わらず、浜辺には時に数グループがやってきていました。その顔ぶれと服装から100%タイムスリムのはずです。 バスの乗客、この種の行楽客のどれをとってもこの海岸を訪れるのはタイムスリムに限られています。間違ってもヤラー辺りから仏教徒タイ人が行楽に来ることがないことは、知り合いである村の大衆食堂の主の話しからも明らかです。

彼らは海岸にある小さな公園に車を止めて、ピクニックします。小学生からそれよりもちょっと幼い程度の子供たちは浜辺で水遊びします。女の子も普段着であるTシャツなどのまま、さらにはバジュクルン衣装の女の子も水に入って遊んでいますが、誰も水着にならないのはムスリムらしいところです。さらに小学生を過ぎたような女の子になるともう水に入りませんね。男の子は年齢に関係なく水辺で遊びます。

場違いな訪問者たる意識がわかざるをえない

こういったその地の状況を知れば知るほど、その村内の道や海岸の浜辺をぶらぶら歩いていると、自分でもまこと場違いさを感じざるを得ません。海岸の一角にある,漁してきた小魚を干し魚にする工場(こうば)の様子をちょっと眺めていたら、年配の女性が私を怪しんだのでしょう、突然おかしなタイ語で、「どこへ来たのだ?」 と尋ねました。そこで私はその工場の近くにある知り合いの大衆食堂を指差して、友達に会いに来たと答えたら、その女性は納得したようでした。

町の商店が並ぶ一角で帰りのバスを待っていた時、近くの氷屋の前で作業を眺めていたら、どこから来たのだとタイ語で尋ねられました。私がマレーシア語で「マレーシアから来た」 と答えたら、彼は驚いた顔をしました。仏教徒タイ人風のよそ者がタイ語でなくマレー語で答えたからでしょう。2言、3言マレーシア語でことばを交わしたら、彼は親しみを感じたのでしょう、イスに座ってバスを待つようにと言ってくれました。このように、町人のいくらかは、おかしなよそ者である私の存在をいぶかしげな視点で見ていたことでしょう。それほどこの漁村はよそ者の非ムスリムは訪れないからです。いつ行っても出会ったことがありません。ましてやこの不穏な時期、町の仏教徒タイ人がこの種のムスリム村に一人でのこのこ出かけていくことは絶対にないはずです。

といって仏教徒タイ人のタイムスリムの間に軋轢があると言うことではないですよ。そうではなく、その村なり部落の非ムスリムでない限り、仏教徒タイ人は私のような行動は全く取らないことを10数年に渡る深南部訪問で私は知っています。ヤラーの町などでも、大衆食堂でもきっちりとムスリム用と非ムスリム用に分かれています。ヤラーの町にはいくつものムスリム飲食店が集まった一角や通りがあります。そういう店では客層を見ると、どうみてもムスリムばかりなのです。もっともこういう店に挟まれて、菓子雑貨などを販売する華人系タイ人の店もぽつぽつとあり、(看板に華語が書かれていたりする)、タイムスリムも客として入っていたり店番で働いています。このあたりはいかにも商売上手な華人の姿を感じます。

もちろん仏教徒タイ人がムスリム店にで飲食したからといって非難されるわけでも、いけないことでもないはずですが、地元の人たちは行動様式としてそうしないということです。尚ムスリムに混じって非ムスリムも入っているような店も中には数少なくあります。特に田舎では選択が少なくなるので、こういうことになるのでしょう。しかし逆は起らない、つまり扱っている料理種から明らかに非ムスリム用の飲食店にムスリムが入らないのは当然です。

知人のタイムスリム食堂主との世間話

パッタニー海岸の漁村では、これまで何回も訪れてことから知人関係になったタイムスリムが主(あるじ)である大衆食堂に寄って、コピ飲みながらおしゃべりしました。タイ深南部では至るところでこのコピーが飲めるのが良いのです。タイの他の地方では北上すればするほどコピ文化はなくなり、ネスカフェかいわゆるタイ風コーヒーである ”オーリエン”の世界になります。さらにタイ深南部と南部に特徴的な、コピと共に小さなやかんにお茶を無料で供する慣習があります。これは、コピを飲んだそのグラスでお茶も飲めるので、私はなおさら好きですね。尚こういう大衆食堂と茶店ではコピは小さなガラスグラスで供され、一般にコーヒーカップは使いません。

知人の大衆食堂店主はもちろん地元のタイムスリムです。彼は母語と日常語はマレー語タイ深南部方言ですが、私と話す時は一般マレー語にスイッチします。彼は昔マレーシアで出稼ぎしていたとのことで、流暢なマレー語が話せるのです。このため私との会話がスムーズに進むわけです。マレー語タイ深南部方言の発音と単語は、半島部東海岸のマレー人でない限りまず理解できないほど乖離しています。地元人同士の会話では、私には単語が聞き取れる程度です。

彼はこの村は平穏だよと言います、去年もそう言ってました。私はそのことばを信じて且つ自分の観察を信じてこの漁村を今年も訪れたわけです。そうでなけれ圧倒的なタイムスリムコミュニティー内をあちこち歩き回り且つ数時間も滞在するのは私といえども避けます。

去年と比べてこの漁村にいささかの変化を感じました。それは村の小学校とタイ仏教寺院のそれぞれ門の前で、去年は土嚢を積んだ中で数人の兵士が警備していたのですが、今年は兵士警備がなくなっていたか全く目に入らなかった。村の入り口辺りの十字路でこれも土嚢に囲まれた検問所が去年はありましたが、今年はなくなっていたのです。つまりこの村は「赤信号の村」 ではないという証明といえるかもしれません、といってもタイ深南部の奥深い地にある限り完全な青信号とは誰も考えないでしょう。だからこそ非ムスリムのよそ者である仏教徒タイ人は全く訪れないのです。

ごく平和な村人の日常生活

浜辺で子供たちが水遊びし、大人は近くで見ている、浜を上がった海岸には小屋式の飲食所が数カ所あり、いくつかの男グループといくつかの女性グループが食事したり、おしゃべりしています。女性は学生も混じっており、男性は村の漁師みたいな者が混じっています、いずれも10代から20代でしょう。 知り合いの大衆食堂横の空き地では、たまたまコキジバトの鳴き声競争が行われていました。多くの村の人たちはコキジバト鳥 (マレーシア語ではMerbuk)を飼っており、それを籠にいれて持ちより、竿に吊るして一定時間に鳴き声を競うのです。マレー半島のクランタン州やジョーホール州へ行くと見かけますよ。インドネシアでは盛んですね。その担い手の顔ぶれからマレー・インドネシア系中心の娯楽競技だと私は捉えています(詳しくは知りません)。

こういった様子をみれば、まこと平和です。2年ちょっとほど前に深南部不安定化が始まる前、つまりそれ以前に訪れた時の様子と基本的には変わりません。それはひとえにこの村が 「赤信号地区」ではない故なのか、それとも不穏であろうとなかろうと地元人にとって日々の生活は別段変わらないということを示しているのかもしれません。

ヤラーの町は不安定化の日常化

これはヤラーの町にも言えます。県都ヤラーでも、市場で、ホテルで、大衆食堂で、店舗で、この2年間何回も爆弾が破裂し、人が死傷しています。最悪時期には一時期夜間外出禁止令も出されましたが、それももう過去のことです。夜間と加えて日曜などは昔より確かに人通りが絶え、娯楽活動場所はぐっと静かになりました。その意味では変化は確実に感じます。しかし午前中と日中の町の様子に取りたてて変化は感じられないのです。不安定化の日常化とでもいった意識の中で、町の人々は淡々と暮らしているのです。一方軍隊警察は、前編で描写したように、武装した兵士を乗せた自動車が巡回し、自動小銃を抱えた兵士が徒歩で警らしています。奇妙な共存現象です。

強化されたハジャイ駅の警備、でもハジャイの町は普段と変わらず

ヤラーに滞在した後、ハジャイに行き1泊しました。ヤラーから列車に乗り2時間で着いたハジャイ駅はこれまでにない警戒模様でした。去年も駅構内は警官らの警備姿がかなり目についたのですが、今年は駅構内へはほぼ乗客しか入れないように駅舎入り口で規制しています。入り口には飛行場にあるような金属探知機を設置して、駅舎内に入る全員を検査しています。駅プラットフォームでは警備の者が待っている乗客の荷物をたまに検査もしていました。おかげで煩いトゥクトゥクの客引きは駅構外だけでしか声をかけられないという、怪我の功名的な利点もあります。

ハジャイは深南部に属するのではなく、ソンクラー県です。しかし南部の顔とでもいう大都市なので、犯罪の目立つ町であり、深南部不安定化の余波も受けてきました。私の記憶する限り、ハジャイ駅はこの10数年ほどの間に2回爆弾破裂を経験しています。その際運悪くたまたま居合せた白人旅行者が複数人死にました。人間の運というのはほんと、どこでこの種の不幸な事件に遭遇するのかまことわからないものですね。

ハジャイの町は単に1泊するために寄ったため、いまさら特にあちこち歩き回るつもりはなかったので、多少歩いた程度ですからこうだと断定はできませんが、これまで数多く訪れてきた記憶と照らし合わせても、特に警備が厳しいなんてことは全く感じませんでした。

爆弾事件の起きたハジャイ空港の警備は強化されていた

さて翌朝ハジャイ空港へソーンテーオに乗って空港へ行きました。15バーツで30分ほど離れた空港まで行けるのですから、この安さはいつもながら魅力です。AirAsia機でクアラルンプールに戻るためです。空港敷地内に入る場所では、保安員が全ての自動車類を検査していました。棒の先につけた鏡を使って車体の底も見ていました。さらに空港ビルでは入り口が1箇所に制限され、利用者はビル内に入る時に荷物はX線検査を受け、人は金属検知枠の中を通るという、通常の空港で受けるような検査を受けます。

まあ無理もないなと思います。昨年私がこのハジャイ空港を利用した時は警備はごく緩やかで、入り口は数カ所あり、検査はあくまでも乗客が搭乗待合室に入る直前だけでした。しかしその1、2ヶ月後待合ロビーでかなり強力な爆弾が破裂し、少なからずの死傷者が出た事件が起りました。よってその後はこの種の比較的厳しい検査法を取り入れたのでしょう。

深南部の状況は去年と変わっていない

このコラム前編と後編で描写しましたように、タイ深南部の状況は今年も基本的に変わっていません。本来の警察力と昔から深南部に駐屯している軍隊基地の兵員だけでは不充分だと政府与党は判断して、多くの兵士(万前後?)が深南部に派遣されて常駐しています。よって軍隊の警備のあり方と、過剰存在そのものへの反発もあるそうです。襲撃事件はいつもどこかで起っているようです。具体的には、警察・軍隊の治安要員、政府当局寄りと見なされたタイムスリムの村幹部、自治体や学校の非ムスリム関係者などが襲撃されています。外国人は私の知る限り一度も直接の対象にはなっていません。爆弾破裂は断続的に起こっているようで、町部でも郡部でも起っていますね。

私のような町部と郡部と問わずにあちこちを訪れ、歩き回る外国人にとって1番心配なのは、爆弾破裂の巻き添えになることです。外国人は狙われていませんが、店舗や市場やホテルや鉄道施設が爆弾仕掛けの対象の一部になっている以上、運悪い場所で運悪い時に爆弾炸裂に遭遇するという可能性は全くないとまでは言えないからです。

しかしこういったことがあろうと起ろうと、圧倒的大多数の深南部住民は普通に生活しているのです。深南部地方以外の出身者で、深南部で働いていた、住んでいた非ムスリムタイ人の1万人ほどがタイ深南部を去ったという記事を以前読みました。しかし 99 %の深南部住民は今日も何事も変わらないかのように暮らしているのです。このことを多少でも知っていただきたい、発生する事件だけを強調しがちな西欧通信社・メディアの流すニュース、その配信を受けて報道しているマレーシアマスコミのニュースから受ける印象とはいささか違う状況である、と私はここで書いておきます。



数字で見たマレーシア、 その29


これまで断続的に掲載してきた 数字で見た シリーズです。マレーシアに関する様々な統計数字を掲載しています。ここでは、数字を視点にしてマレーシアの諸面を知ってください。

外国人訪問者数

観光省が、Imigresenの統計を基にして4月初めに公表した、2005年の外国人マレーシア観光訪問者数の統計です。

国名 (2005年の順)2004年の総人数2005年の総人数増減変化率
シンガポール
9,520,306
9,634,506
1.2%
タイ
1,518,452
1,900,839
25.2%
インドネシア
789,925
962,957
21.9%
ブルネイ
453,664
486,344
7.2%
中国
550,241
352,089
-36.08%
日本
301,429
340,027
12.8%
オーストラリア
204,053
265,346
30.0%
英国
204,409
240,030
17.4%
インド
172,966
225,789
30.5%
台湾
190,083
172,456
-9.3%
韓国
91,270
158,177
73.3%
各国からの総合計
15,703,406人
16,431,055人
4.6%

Intraasia注:観光訪問者とは、 1泊以上1年未満の訪問者で、レジャー、ビジネス打ち合わせ、会議参加などを目的とし、商売や労働を目的としない訪問者のことをいいます。

この統計を分析して特徴をあげてみましょう:


経済指標

2005年は経済好調が続きました。
実質国内総生産GDP の伸び率変化 2004年と2005年

農業鉱業建設業製造業サービス業実質GDP
2004年第1四半期
3.8
5.9
0.9
12.5
6.4
7.8%
第2四半期
3.2
1.2
-1.7
11.9
7.8
8.2%
第3四半期
6.1
4.2
-3.0
9.9
6.1
6.8
第4四半期
7.3
4.4
-2.6
5.5
6.5
5.8
2004年の年間
5.0
3.9
-1.5
9.8
6.8
7.1%
2005年第1四半期
6.0
3.4
-2.4
5.7
6.2
5.8%
第2四半期
3.2
-1.6
-2.0
3.2
5.4
4.9%
第3四半期
未確認
未確認
未確認
3.5
6.3
5.3%
第4四半期
-1.1
0.8
-0.6
7.3
6.0
5.2%
2005年の年間
2.1%
-2.0%
-1.6%
4.9%
6.5%
5.3%


2005年の貿易は好調だった

マレーシアの2005年貿易統計

総輸出高総輸入高貿易総額貿易収支
金額 RM5338億4340億9678億998億黒字
対前年伸び率11%8.5%9.9%


2005年輸出品目別統計
分類 電気電子
製品
原油パームオイル 材木
木材製品
液化
天然ガス
その他
金額 RM2647億294億284億215億208億1690億

どういうわけか、上記の統計とわずかに合計があいません。多分、出典の省庁が違うからなんでしょうな(笑)

昨年外国からの直接投資申請は好調であった

外国からの製造業分野での直接投資申請認可額は昨年は前年比37%の伸びで、総額 179億、件数 562プロジェクトでした。その内電子電気産業が最大を占め、RM113億です。
通産省発表の統計  -通貨は RM -

国内からの投資と外国からの直接投を合計した総投資認可額

製造業情報技術分野製造関連研究開発部門合計
2005年310億18億12億2.4億342億
2004年287億19億4億0.8億311億

外国からの直接投資申請認可額

米国日本シンガポールオランダ韓国
2005年52億37億29億17億6.7億
2004年11億10億15億0.9億3.2億


米国の対アジア直接投資額 金額 US$

2000年2001年2002年2003年2004年
中国111億121億106億115億154億
インド24億25億42億48億62億
日本571億557億665億681億802億
マレーシア79億75億71億73億87億
タイ58億62億78億71億77億
出典:米国商務省の機関である Bureau of Economic Analysis


2005年の株式市場 

証券委員会の報告によれば、Bursa Malaysia (クアラルンプール株式市場の1部と2部、Mesdaq)に上場の企業数 1021社、 その総市場価値 RM 6950億、 新規上場申請社数 124社 、その内認可した数 69社 (一部市場 8社、2部市場 11社、 Mesdaq市場 50社)

政府系会社の株式市場での成績
経済省が100%保持する、つまり政府の投資機間である Kazanah Nasional が主たる株主である企業は24社がクアラルンプール株式市場に上場しています(2005年時点)。その内株式投資家に全体的な利益をもたらしたのは6社だけとのことです。

企業名株式保有率市場価値総額 RM 
Pos Malaysia & Services
17.3%
20億7000万
UDA Holding
50.0%
7億
Bumiputra-Commerce Holdings
25.8%
156億
Malaysian Airport Holdings
72.7%
21億2千万
Plus Expressways
66.6%
153億
Edaran Otomobil Nasional
6.2%
7億5千万


自動車販売

 マレーシア自動車協会発表、昨年の国内自動車販売台数は 551,042台でした、これは対前年比13%の増加です。
乗用車4輪駆動車商業自動車4輪駆動商業車合計台数
415,761
10,057
97,605
27,619
551,042

乗用車部門ではProton 車が依然としてトップですが、そのシェアは16万6千台 40%弱 に落ちました。同部門では次いで Perodua 車が約134,000台です。

情報技術分野とテレコミュニケーション分野

調査専門会社IDC 発表による両分野における 2005年統計
情報
技術
PC・ワーク
ステーション
情報技術
サービス
パッケージ
ソフト
付属装置
など
データ
装置
コンピュータ
システム
保存合計
27%
26%
13%
19%
6%
6%
3%
RM 133億
テレ
コミュ
携帯通信
音声
携帯通信
データ
固定電話
音声
固定電話
データ

インターネット
接続

合計
47.5%
10.3%
29.9%
7.1%
5.1%

RM 190億


被雇用者の職業別分類

職業別比率 (単位は %)  経済計画部の出典
職業 管理
部門
専門
職業
準専門
職業
事務職 サービス
販売
農業
漁業
工芸
貿易
工場
機械
単純
2000年
7%
6
12
10
13
15
9
15
13
2005年
8%
6
13
9
14
13
12
14
11


登録された専門職業人の数 2005年
専門職ブミプトラ華人インド人その他合計
会計士
961
13541
798
102
15402
建築士
557
1066
26
4
1653
医師
5720
4657
4142
1055
15574
歯科医
1159
920
480
49
2608
資格エンジニア
3326
7283
726
188
11523
弁護士
4465
4354
2834
97
11750
その他






廃棄物

マレーシアの産出する有害な廃棄物は、2002年の36万3千トンから 2004年は47万トン弱に増えました。
以下データは環境庁出典です。
廃棄物 47万トンの行き先 −2004年の場合−
廃棄物の行き先kualiti Alamリサイクル業者発生地で処理発生地で貯蔵その他
全体での比率18.8%58%11.3%8.4%残り

廃棄物を産出する主要な業界
産業金属薬剤電子産業ガス化学その他種種の産業
全体での比率33%19%9.5%6.7%3.9%残り


生と死

出生率
統計庁の数字では、出生率の2005年は、1000人あたり19.6人の出生です。

平均寿命 
出典:統計庁
1957年1985年1990年1995年2000年2005年
男性55.8才67.7才68.9才69.5才70.0才71.0才
女性58.2才72.4才73.5才74.1才75.1才76.4才

死亡率
10万人当りの年代別死亡率 出典:統計庁

1980年
1996年
1980年と96年
間の変化率
1歳未満
2550人
547人
-78.5%
1才−14才
112
46
-58.9%
15才−29才
121
113
-6.6%
30才−44才
240
197
-17.9%
45才−59才
899
688
-23.5%
60才−64才
2347
1847
21.3%
65才以上
6276
6129
-2.3%

64212人
94840人


ガン

統計数字は国家ガン登録所、と保健省発表です。
半島部女性 のガン発生率 2003年

30‐39才40‐49才50‐59才60‐69才70才以上
人数12172795304723801690
10万人当りの発生率90.8249.1426.7573.9617.2


マレーシアにおける乳癌の状況
マレーシア人女性のガンによる死因の一番は、乳癌です。国家ガン記録所の最新報告では、2003年に新しく報告された乳癌は3738人です。これを年齢で修正した率に治すと、10万人当り46.2人になります。これが意味するのは、一生の内で乳癌にかかるリスクは20人に1人となります。
乳癌に関する死亡率のデータは不充分です、それはそれは全死亡者の40% だけがその原因を医学的に確認されているからです。家庭での死亡は警察のような医学的に素人によって確認されだけであり、例えば乳癌による死者の数字などはわかりません。

半島部の女性のガン 2003年
ガンの種類乳房子宮大腸子宮内膜直腸卵巣白血病
パーセント3112.964.34.14.14.0


犯罪統計

警察発表 2006年1月から3月   総件数 56、116件
暴力犯罪

財産犯罪

商業犯罪

麻薬犯罪
犯罪種件数
犯罪種件数
犯罪種件数
犯罪種件数
殺人
152

窃盗
8513

騙し
1174

売買
257
強姦
586

バン、貨物車
重機械盗み
1548

信用
詐欺
488

所持
4958
乱暴行為
478

自動車盗み
2570

コンピュータ
犯罪
69

合計
5,215
銃器使用
集団強盗
35

ひったくり
14937

合計
1,731



銃器なし
集団強盗
662

バイク盗み
2645






銃器使用
の強盗
85

日中空き巣
2021






銃器なし
の強盗
4554

夜間空き巣
4726






強奪
436

合計
36,960






脅し
1615









暴動
577









故意に
けがさせた
1691









故意に
けがさせた
武器なし
1339









合計
12,210











いろんな統計数字

2005年のSPM 試験の受験者数 438,132人、STPM試験の受験者数 81,142人 でした。

石油燃料は公定価格
ガソリン 1リットル値段の国別比較表 単位 RM
国名ブルネイ マレー
シア
インド
ネシア
タイ カンボ
ジア
ラオス シンガ
ポール
リンギット換算値
1.22
1.92
2.30
2.52
2.73
2.88
4.15


会社登録数
国内取引と消費者省が発表した 「商業と消費者報告 2005年」からです。会社を設立するには会社登録庁に届けて許可が必要です。そこで)昨年1年間で登録された 民間会社(有限会社、 会社名に Sdn Bhd と付く)の設立数は37461社で、その99%はマレーシアの会社です。

平均気温

気象庁発表の年間平均中間気温の変化です
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
2003
2004
2005
摂氏温度
26.9
26.8
27.1
27.7
26.9
27.0
27.1
27.4
27.1
27.2
27.3


外国人学生

国内で学ぶ外国人生徒・学生の数 −2005年1月の時点
合計私立の教育機間公立の教育機間私立の小中学校公立の小中学校
40、686人
25,939人
6,315人
3,376人
5,056人

教育機間とは、大学、カレッジ、専門学校を意味すると推定されます。つまり小中学校教育を終えてからの教育機間のことでしょう。

外国人労働者

外国人労働者の数に関して、ナジブ副首相が2006年3月中旬に明かにした数字です。
1年前に比べて違法滞在・入国外国人の数はぐっと減ったが、それでも30万人から50万人がまだマレーシア国内にいると推測される。
合法の外国人労働者数は、2005年7月の160万人から2006年1月時点で180万人に増えた。その内訳は
合法外国人労働者が働いている主な業種
業種別製造業プランテーション農園メイド建設その他
100%32.4%22%17.5%15.5%13%

合法外国人労働者を出身国別で見るとその割合は、インドネシア 65.9%、ネパール 10.9%、インド 7.5%などです。



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