「今週のマレーシア」 2004年3月から5月のトピックス

・マレーシアの総選挙、投票日前のミニ解説  ・数字で見たマレーシア、 その20
マレーシアの総選挙、投票結果及びその解説と分析 −前編−  ・ -中編- ・ -後編-
甘党の楽しみ、糖水は値段が庶民的で美味い!マレーシアと国境を接するタイ深南部に今起っていること
利用者第一を忘れたプドゥラヤバスターミナルの移転計画
日本の常識はマレーシアなど東南アジアの常識ではない −トイレ、ゴキブリ・鼠・蚊編−
日本の常識はマレーシアの常識ではない −お冷、一方通行路、理髪店編

注:週の数よりコラム数が少ないのは、合計して数週間家を留守にしたのでその週は掲載できませんでした



マレーシアの総選挙、投票日前のミニ解説


マレーシアは選挙の少ない国と聞きましたが、そうですか?

そうです。選挙で選ばれるのは、国会の下院DewanRakyat の議員、及び全国で13州ある州議会の議員、この2種類の議員だけです。任期は5年です。各州の知事に当る州首相、クアラルンプールを含めた各地方自治体の首長および評議会の評議員は、すべて上部からの任命となります。今回の選挙が第11回目となります。


選挙区はいくつぐらいありますか?

国会議員選挙区及び州議会選挙区の両方とも今回の選挙前に(2003年)、増議席兼選挙区の区割り変更が行われました。そこで今回は全国で219の(下院)国会議員選挙区及び505の州議会選挙区があります。尚マレーシアは伝統的に1選挙区に議員1人の小選挙区制です。比例代表制はありません。


立候補日と投票日はいつですか?

マレーシアでは立候補受けつけは極めて短時間で締め切られます。今回の選挙では3月13日の午前中に国会議員と各州議会議員の立候補受け付けが行われ、午後にはもう締め切りとなりました。
投票日は3月21日です。


今回の立候補状況はどのようですか?

立候補者数
政党連合
又は政党
Barisan
Nasional
PASKeadilanDAP サラワク州
の政党
サバ州の政党
、グループ
諸派無所属
国会20586584481131
州議会497262118106026089











対立候補がいなくて無投票当選がすでに決まったのが、国会で14選挙区、州議会で8選挙区で、1州議会選挙区を除いて全て与党Barisan Nasional の候補者です。無投票当選の大多数は、サバ州とサラワク州です。


立候補の面で特徴としては何がありますか?

1人の候補者が国会選挙区と州議会選挙区に同時に立候補でき、且つ両方で当選すれば両方の議員を勤められます。現実にはそれぞれ党の方針で、両方に立候補する人はぐっと少ない。

立候補した選挙区の候補者はその投票総数の8分の1以上を得ないと、供託金を没収されます。


選挙権が得られるのは何才からですか?

満21才です。投票する選挙区に在住しており、自分で氏名を有権者台帳にあらかじめ登録しておく必要があります。それを怠ると選挙権が得られない。


各州の有権者数と大体の民族構成比はどれくらいですか?



民族構成比
議席数
州別有権者数マレー人華人インド人その他国会州議会
ペルリス州112,48283%12.7%1.9%2.3%315
ケダー州821,90175.4%16.7%6.6%2.4%1536
クランタン州662,72293.8%4.4%

1445
トレンガヌ州455,92495.1%4.2%

832
ペナン州672,36233%56.1%10%
1340
ペラ州1,170,35145.7%41.4%11.6%1.3%2459
パハン州570,12667.8%24.1%5.3%2.4%1442
スランゴール州1,422,27449.7%33.7%14.4%
2256
クアラルンプール670,92033.2%55.6%10.4%
13----
ヌグリスンビラン州429,78650.3%34.4%14.4%
836
マラッカ州345,91755.3%37.1%6.6%
628
ジョーホール州1,249,00752.9%40.3%6.3%
2656
サバ州768,943 ムスリムブミプトラ 50%、非ムスリムブミプトラ 28%
華人及びその他 21%
2560
サラワク州904,791



28非実施
合計10,284,591







注:極少数の連邦直轄領である、PutrajayaとLabuanは省略。サラワク州議会選挙は今回実施されません
注:サバ州とサラワク州は民族分類法が多少違う

マレーシアは地域によって、民族比率にものすごいばらつきのある国なのです。ですからクアラルンプールとペナンの都市部しか訪れない一般旅行者やそこに住んで外に出ないような外国人在住者の目に写るマレーシア像と、例えばクランタン州だけを訪れる旅行者の印象とに、相当なる違いが出てきて当然ですね。


政党関係はどうなっているのですか?

まず国の政権を握る与党側は14政党から構成される連合体で、Barisan Nasional (国民陣線)という名称です。Barisan Nasional の主要構成政党は、マレー人政党 UMNO(統一マレー人国民組織)、華人政党 MCA(馬華公会)、インド人政党MIC(マレーシアインド人会議)、華人基盤の政党Gerakan(民政党)で、サラワク州とサバ州ではそれぞれ州独自の政党(複数ある)が主たる構成政党となります。Gerakanは華人主体ですが、他の民族も党員や幹部に混じっています。

野党側はマレー政党のPAS(マレーシアイスラム党)、現在クランタン州とトレンガヌ州の州政権を握る。DAP(民主行動党) 華人基盤の伝統的野党ですが華人以外の幹部、党員も多い。マレー人基盤 Keadilan(人民公正党) 前回の選挙直前に設立された政党、UMNOを脱党したアンワル元副首相支持者、イスラム青年運動出身などが主体ですが、華人も案外多く、特にDAP党を脱党した幹部などが参加している。最近小さな政党であった人民党と合併した。


前回1999年の選挙結果はどうだったでしょうか?


Barisan NasionalPASDAPKeadilan合計
国会議席数15226105193
州議会議席数39097125504

第1回以来、常にBarisan Nasionalまたはその前身の連合が政権を握ってきました、従がって首相は全てUMNOから出ています。サバ州のPBS党は選挙時は野党だったがその後与党入りした、それもBarisan Nasionalに含まれている。


投票方式は記名するのですか?

いいえ。用紙に複数の候補者とそのシンボルマークと空欄が印刷されており、有権者は空欄に 'X' を記入します。


郵便投票は認められていますか?

郵便投票規定に定めてある。この方式で投票できるのは警察官、軍人、外交官、外国の大学に留学している大学生に限られ、選挙委員会宛てに送る。20万人ほどのうちの99% は軍人と警察官。


候補者の選挙活動について

候補者の戸別訪問は許されています。これまでテレビで各党間の公開討論のような形の選挙戦は行われたことがありません。




数字で見たマレーシア、 その20


これまで断続的に掲載してきた数字で見たシリーズです。いろんな統計、数字を知ったうえで考えてみるのも時には必要だと思います。

2003年の貿易黒字は過去最高の好調さ

マレーシアの昨年12月の輸出はたいへん好調で、前年比36%の増でした。2003年全体では8%の伸びでRM 3823億を記録し、過去最高です。2003年の輸入額はRM 3073億でした。これによって貿易バランス収支も前年比46%の伸びで、黒字 RM 750億を記録し、これもこれまでにない大幅な黒字高です。
以下この項目の表は統計庁の発表数字を基にしたものです。

2003年輸出統計

電気及び
電子製品
パーム油 化学物
化学製品
原油 液化天然
ガス
機械
部品
木材
製品
輸出高 (RM)1948億233億206億159億151億123億113億
輸出に占める割合50.9%6.1%5.4%4.2%3.9%3.2%3.0%
前年との増減率-1.6%35.7%23.5%34.4%32.1%11.3%8.5%


2003年輸入元の国別上位番付
順位1位2位3位4位5位6位7位

ASEAN日本米国EU中国韓国台湾
輸入額RM741億534億467億362億258億162億150億

上表からおわかりのように、マレーシアにとっての輸入元で一番多いのが、日本からで全体の17.4%、次いで米国の15.2%です。ただASEANをブロックで捉えれば、全体の24%を占めます。
次ぎに輸出面を見てみますと、
2003年輸出先の国別上位番付
順位1位2位3位4位5位6位

ASEAN米国EU日本中国香港
輸出額RM985億688億480億418億約220億同左

日本への輸出額は、マレーシアにとって全体の約11%です。ここでもASEANとEU(ヨーロッパ連合)がブロックとして扱われていますから、国別の統計を他所で調べないとわかりませんが、日本は米国、シンガポールに次いで3番目になるはずです。

このように、日本はマレーシアにとってブロックとしてのヨーロッパ(EU)を上回るほど多額の貿易相手国ですね。

マルチメディアスーパー回廊

2003年末でマルチメディアスーパー回廊の認定を受けた会社数は970社です。内訳は928社が技術系の会社、33社が高等教育機間、9社がその他です。全体の58%が払い込み資本金RM50万以下の中小企業であり、RM50万からRM100万までが13%です。払込資本金RM500万以上の企業は13%のみ。全体の1割弱が多国籍企業です。
マルチメディアスーパー回廊プロジェクトで創出されその域内での雇用数は、2003年5月時点で17800人ほど。


2001年2002年2003年
売上高の基になる会社数292403528
その総売上高(国内と輸出の合計)RM30億RM39億RM58億

輸出の最大マーケットはアセアン諸国で、その内シンガポールが最大。

パソコン出荷台数

マレーシア国内の2003年のPC出荷台数は952,000台でした。前年比伸び率が6.3%です。PC出荷台数の対象となるものは、ディスクトップPC、モービル(携帯性のある)PC、及びIA 32サーバーの3品目です。調査発表は、下の表を含めてマーケット調査会社Gartner です。
市場占有率企業の上位5社
企業Hewlett-PackardDellAcerIBMNEC
2002年14.8%12%9%3.1%4.2%
2003年12.6%10.7%8.2%5.5%3.5%


英国でのマレーシア人留学生の数

英国で高等教育を受けている(留学)マレーシア人学生の数が1997年以来はじめて増加に転じました、BritishCouncilの発表によれば、2002−2003年期でマレーシア人学生は10205人でした、1996年期には18000人ほどでした。英国の2002−3年期に学ぶ外国人学生は17万人を超えます。その内中国人が最大グループで、次いでインド人、マレーシア人、香港人、そして日本人(6165人)です。英国では高等教育機関の学生数の8%を外国人が占めているとのことです。

クレジットカード保有者

国内のクレジットカード保有者は、2003年11月時点で414万人です。市場関係者は、今年景気が順調にいけばカード保有者は20%以上伸びるだろうと見ています。国内のカード発行会社別では、Maybank とCitibank で合わせて総発行数の約50%を占めています。2大国際カード会社でみると、2003年中頃でVISAカードが450万枚、Masterカードが350万枚です。

強姦被害者の半数は生徒層

警察庁の統計によると、2000年から2003年4月までに(届けに基づいて)発生した強姦被害者数は4498人です、そのうち生徒学生が1955人(43.5%)も占めます。次いで無職者の1540人です。3番目が工場労働者で311人です。学生生徒の被害者中の半数が16歳未満です。
強姦被害に遭った場所別では、家又は建物内が68%と圧倒的に多く、次いで林の中、人のいない場所でが22%です。
次ぎの表は上とは別の統計からです、ただいずれも警察発表です。

総件数
被害者の民族別

被害者の年齢別



マレー人華人インド人その他
16以下以上
2001年1386
92816986203
724人662人
2002年1431
97514090226
737人694人
2003年1479
98816094237
768人711人


自動車事故 2003年の統計から

2003年の総事故数(届け) 298,652件、死者数 6,282人、参考値 1989年の場合 75626件で死者数3773人
道路別事故の発生率:ハイウエー(高速道路)8.2%、連邦道路31.6%、州の道路20.3%、その他の自治体道 35.1%、その他4.8%
州別の発生率:最多がスランゴール州80,074件、クアラルンプール 41,492件、ジョーホール州 36,445件、ペナン州 27,817件
事故死者数 バイクが最大58.6%

マレーシア全体の広告額

マーケット調査会社NielsenMediaの発表による、2003年におけるメディア別の総広告額
メディア新聞テレビ雑誌ラジオその他合計
額 RM23億6500万9億9300万1億5900万1億5200万4600万37億1700万

新聞が6割以上と圧倒的に多いですね。
マレーシア華人界で華語新聞:読者総数 推定約210万人、華語新聞の販売総数 1日当り85万部、総額 1部当り70セントの新聞社取り分と計算して 1日RM60万の収入、1年ではRM2億2千万

2004年に受け入れた外国人旅行者の訪問者数

ツーリストとして受け入れた人数の統計です(日帰りはツーリストの範疇ではありません)。出入国管理庁の統計を MALAYSIA TOURISM PROMOTION BOARD が発表している、公式の数字です。
国別による年間旅行者受入数 
2003年の順位
2002年2003年減少率
シンガポール7,547,761 5,922,306-21.5
2タイ 1,166,937 1,152,296 -1.3
3インドネシア769,128 621,651-19.2
4中国 557,647350,597-37.1
5ブルネイ256,952 215,634 -16.1
6日本354,563213,527 -39.8
7インド183,360 145,153 -20.8
8オーストラリア 193,794 144,507-25.4
9台湾209,706137,419-34.5
10英国 239,294125,569-47.5
年間総人数
13,292,010 10,576,915 -20.4

2003年は主としてSARSの影響で全体的に大幅に訪問者受入数が減少しました。主要国中心にほとんどの国からのマレーシア訪問者が減ったことは表からもおわかりになりますね。しかし残念ながら日本からは、全体平均の2倍近い減少率を示しています。日本は3年ぐらい前に中国に抜かれたのですが、さらにブルネイからよりも少なくなってしまい、順位も6位に下がってしまいました。

順位を気にすることはある意味ではくだらないことではありますが、マレーシアを伝え、日本人のマレーシア訪問を応援している当サイトとしてはまことに残念な結果です。2004年は是非大幅な増加に転じて欲しいなと希望しています。

サバ州を訪れる人の人数が増加しています。2000年の訪問者:国内他の州から36万5千人人、外国から 40万9千人、2002年訪問者:国内他の州から 58万人、外国から53万人。 こういったこともあるのでしょう、これまでの東京直行に加えて、コタキナバルと大阪を直接結ぶマレーシア航空の便が3月末から開始されますね



マレーシアの総選挙、投票結果及びその解説と分析 −前編−


第11回総選挙は3月21日に投票が行われて即日開票がありました。このコラムはその結果を示し、それに基づいた解説及び分析です。
総選挙の風景写真を別画面で掲載しています。 選挙の風景 をクリックして開いて下さい。

立候補者数


野党共闘全国的野党その他野党と無所属
政党連合
又は政党
Barisan
Nasional
PASKeadilanDAP諸派 サラワク州
の諸政党
サバ州の
諸政党
無所属
国会21984594418328
州議会5042631231040nasi3681

対立候補がいなくて無投票当選がすでに決まったのが、国会で14選挙区、州議会で8選挙区で、1州議会選挙区を除いて全て与党Barisan Nasional の候補者です。無投票当選の大多数は、サバ州とサラワク州です。
立候補締め切り後、辞退期間中にいくらかの辞退者が出て、最終的に上のような立候補者で投票が開始されました。


投票率

選挙(管理)委員会 (The Election Commission) 発表の投票率です。

選挙委員会はこの投票率には満足していると明らかにしたとのことです。
下記表に示したように、今回選挙での有権者数は1028万人ですから、選挙登録していない人が数十万人いることになりますね。州議会選挙の登録者数が少ないのは、クアラルンプールには元々州議会が存在しない、サラワク州では今回州議会選挙が実施されないということが主因だと推測されます。

投票結果

最初に各州別に与党連合と野党側に分けた当選者数の結果です、その際州の民族別構成比は大きな要因でもありますので、見やすい一覧にしておきます。

各州の有権者数と民族構成比、国会と州議会の当選者数一覧


民族構成比
国会
州議会
州別有権者数マレー人華人インド人
定数BN野党定数BN野党
ペルリス州112,48283%12.7%1.9%33015141
ケダー州821,90175.4%16.7%6.6%1514136315
クランタン州662,72293.8%4.4%
1486452124
トレンガヌ州455,92495.1%4.2%
88032284
ペナン州672,36233%56%10%138540382
ペラ州1,170,35145.7%41.4%11.6%2421359527
パハン州570,12667.8%24.1%5.3%1414042411
スランゴール州1,422,27449.7%33.7%14.4%2222056542
クアラルンプール670,92033.2%55.6%10.4%1174非存在--
ヌグリスンビラン州429,78650.3%34.4%14.4%88036342
マラッカ州345,91755.3%37.1%6.6%66028262
ジョーホール州1,249,00752.9%40.3%6.3%2626056551
サバ州768,943 ムスリブミプトラ 50%、
非ムスリムブミプトラ28%
華人及びその他 21%
2524160591
サラワク州904,791



28271非実施

合計10,284,591



2191982150545252

注:BNとは与党連合Barisan Nasional の略。野党はPAS、DAP、Keadilanなどすべての非・与党及び無所属を含める
注:サバ州の国会と州議会にぞれぞれ1議席の無所属が含まれていますが、実質は与党系無所属です
注:極少数の連邦直轄領国会選挙区:Putrajaya とLabuan は各1議席ともBarisan Nasional が獲得 は省略し合計に参入。
注:サラワク州議会選挙は選挙時期が半島部とは違うので今回実施されていない
注:サバ州とサラワク州は民族分類法が多少違う


政党、政党連合の説明

国の政権を握る与党側は14政党から構成される連合体で、Barisan Nasional (国民陣線)という名称です。Barisan Nasional の主要構成政党は、マレー人政党 UMNO(統一マレー人国民組織)、華人政党 MCA(馬華公会)、インド人政党 MIC(マレーシアインド人会議)、華人基盤の政党 Gerakan(民政党)です。サラワク州とサバ州にはそれぞれ州独自の政党が複数あり、Barisan Nasional に参加しています。Gerakanは華人主体ですが、他の民族も党員や幹部に混じっています。UMNOは100%マレー人の政党とまではいえませんが、それに近い。

野党側はマレー人政党であるPAS(イスラム党)とDAP(民主行動党)とKeadilan(人民公正党)にほぼ尽きるが、極小政党もある。DAPは 華人基盤の伝統的野党ですが華人以外の幹部、党員も多い。マレー人基盤の Keadilanは前回の選挙直前に設立された政党で、UMNOを離党したアンワル元副首相支持者、イスラム青年運動出身などが主体ですが、華人も案外多く、特にDAP党を離党した幹部などが参加している。最近小さな政党であった人民党と合併した。

参考:前回1999年の選挙結果


Barisan NasionalPASDAPKeadilan合計
国会議席数152(内UMNO 73, MCA 28)26105193
州議会議席数39097125504

注:選挙後数年たってからBarisan Nasional入りしたサバ州のPBS党は、1999年選挙時は野党として選挙を戦っていますが、この表ではBarisan Nasional側に含まれています。詳しくは後編で解説します。

得票数から見た分析



Barisan Nasional 全体野党側全体(含無所属)
区分選挙実施年総得票数得票率総得票数得票率総投票数
国会1999年3,763万56.5%2,896万43.5%6,659万
2004年4,435万63.8%2,513万36.2%6,948万
州議会1999年2,939万56.4%2,274万43.6%5,213万
2004年3,945万63.8%2,240万36.2%6,185万

この表が如実に物語るのは、今回Barisan Nasional は選挙の当選者増加に見合って、得票率も上昇しているということです(7%ほど)、当然野党陣営は当選者数の減少に見合って得票率が減少しましたね(7%ほど)。総投票数が増えているのは主として人口の増加でしょう。

興味深い事実がわかりますね、Barisan Nasional と野党側の得票率を国会と州議会で見比べて下さい。1999年でも2004年でも国会の数字と州議会の数字はほぼ同じですね。例:2004年のBarisan Nasional は国会で63.8%、州議会でも63.8%ですね。つまり有権者が国会はBarisan Nasional にいれても州議会は野党側に入れるという行動が極めて少ないことを物語っています。だから今回Barisan Nasional は国会と州議会の両方でそれぞれ総議席数の9割を占めるというように、圧倒的に勝利しました。

注目の2つの州に関してみると、PASが州政権を失ったトレンガヌ州では、BarisanNasional(UMNO)の得票率が前回の41%から56%に増加、クランタン州ではBarisanNasional(UMNO)の前回39%が今回は50%に増加した、との学者の分析が現れています。得票数の変化は議席の変化ほど劇的に変わっていませんが、それでも明らかにPASの凋落を示していますね。

選挙結果の簡単なまとめ

今回の選挙結果を手短にまとめてみると:
1999年の選挙時には、アンワル元副首相の追放と逮捕問題によってマレー人界では支持がUNMO対 PASとKeadilan に分裂して投票がほぼ半分半分に割れた。しかし今回そのマレー人界において、野党側(PAS + Keadilan)に流れた対マハティール首相不満層及びどっちつかず層のほとんどが、UMNO支持に回った。一方PASは、5年間の州政権を握って施行した実績または施行しようとした政策が多くの有権者には否定的な評価を受けた、同時にアブドゥラ新首相への支持ムードに押された。こうしてPASはマレー人民衆からの支持が激減し、PAS積極的支持層または固定支持層のみしか投票に結びつけられなかったことでPASは大敗を喫した。アンワル問題へのマレーシア国民の関心の薄れが、アンワル問題を立党の根源にしたKeadilan にとっては最大の打撃であり、立候補したほとんど全部の選挙区で落選した。

与党連合BarisanNasionalの大勝利に一番貢献したのは、アブドゥラ首相の人柄自体が多くの国民に好意的に受けとめられていること、及びそれを積極的に前面に押し出した与党戦術、さらに与党を常に支持する与党寄りマスコミ論調のおかげもある、と言えるでしょう。さらに多くの国民の関心を引き付けるような与野党の激しい対決点が現在ないことも、与党側に大きく寄与したといえます。



マレーシアの総選挙、投票結果及びその解説と分析  -中編-

前編の総論に続いてこの中編では各論に移ります。前編を是非先にお読みください。

主要政党の議席獲得表

総選挙の結果 主要与党と野党の議席獲得一覧表


Barisan Nasional の主要4政党
野党側
州別 Barisan
Nasional
UMNO MCA
馬華公会
Gerakan
民政党
MIC
DAP
行動党
PAS Keadi
lan
ペルリス州33立なし立なし立なし
立なし0立なし
ケダー州14122立なし立なし
立なし10
クランタン州88立なし立なし立なし
立なし60
トレンガヌ州88立なし立なし立なし
立なし00
ペナン州8413立なし
401
ペラ州2111432
300
パハン州14103立なし1
000
スランゴール州2210714
000
クアラルンプール7322立なし
400
ヌグリスンビラン州852立なし1
000
マラッカ州642立なし立なし
000
ジョーホール州2616811
000
サバ州2413立なし立なし立なし
立なし00
サラワク州27−−立なし立なし立なし
100
合計19810931109
1271
州議会議員の合計452301763019
15360

注:立なしとは、立候補自体をしていないの意。”0”は全員落選。UMNOは唯一サラワク州に党組織が存在しない。

Barisan Nasional の2大政党である、マレー人政党UMNOは過半数を獲得しており、政府与党の中心たることを如実に物語っています。華人政党MCAが31議席、華人基盤(華人主体)の政党Gerakanが10議席、さらにインド人政党MICが9議席、これでBarisan Nasional の半島部議席総数のほぼ全部を占めます。

マレー人界の分析

まずマレー人界の動向をみます。
なぜ前回PASとKeadilan に流れた票が今回UMNOに向かったのでしょうjか?マスコミの解説は、もちろん唯一ではないが多分にアブドゥラ首相の人柄とそのありかたにあると見ています。これは各言語紙の政治記者、編集幹部の書く評論記事だけでなく、社外の専門家、学者、評論家、企業人の見方発表にも共通して見られるものです。

アブドゥラ首相の宗教的背景がよく強調されています。つまりよく知られた且つ尊敬を集めているイスラム教聖職者の家系の出身であり、自身は大学でイスラム教を専攻してイスラム教に知識豊富であり、非常に敬虔深いムスリムであるという面です。非常に敬虔深いムスリムであるそのムスリムとしてのあり方は、確かに非ムスリムの目から見ても”穏やかなムスリム”であると分かるものです。この面がマレー人を中心としたムスリムだけでなく、華人やインド人にも受け入れやすいという風潮を作り出しているのです。

Star紙 編集局のトップであるWong Chun Wai 氏は3月24日の解説記事で次ぎのように書いています、「アブドゥラ首相の穏健で進歩的イスラム教への姿勢がこの民主的選挙で勝利に導いたのであろう。彼の演説を細かく知っているマレーシア人ならわかることだが、アブドゥラ首相は演説の中にアラビア語のコーラン文句を散りばめるなどして自身のイスラム教資格をみせびらかすようなことは決してしない。彼はあごひげをたくわえているわけでも、頭にターバンを巻いているわけでもないし、聴衆に自分はイスラム教学者であるであると誇らしげに語る事もない。こういったことはまず必要ないのである。その替わりアブドゥラ首相は深マレー地方の保守的なマレー人を含めてマレー人の心をつかんだ。
アブドゥラ首相の非対決的、非字義解釈者的、非イデオロギー的な物事への対処法は人の心をつかむのです。」 

マハティール首相がイスラム教の専門家ではなく、聖職者並にイスラム教の知識が深くないことは、マレーシアムスリム界では周知のことでした、それにも関わらず彼は積極的に彼流のイスラム教のあり方を訴えてきました。いわば彼の性格を反映した別の意味での対決型のそれだったのです。これが一部のマレー人ムスリムに反発感を生み出していたのは否定できないところです。代表的には、PAS党流のイスラム教の捉え方とマハティール前首相は徹底的に相対しました。そこでPASはこれを利用してマハティール首相と対決を重ねてきました。前回選挙でPAS党が躍進したのはそれが一部寄与した例です。

しかしアブドゥラ首相は誰もが認める敬虔なムスリム指導者であり、PASはこの面から首相を攻撃することはできなくなりました。政敵としての攻撃主対象の人物像ががらっと変わってしまったわけで、これまでのレトリックを使えないというジレンマがPASにはありました。宗教政党としてPASの切り札的である ”PASはUMNOに比べてより真のイスラム的である” という論拠が、UMNOの党首交代のおかげで攻撃の矛先が鈍ったわけです。もちろん、より真のイスラム的であるという論法はマレー人界以外にはほとんど寄与しません。

PAS党政権下にあったクアランタン州とトレンガヌ州でPASが打ち出した(ている)、施行している(しようとした)政策と方針が、マレー人界でさえ、とりわけ西海岸のマレー人界では違和感を持って捉えられた。これを証明するのが、トレンガヌ州でのPAS党の大敗とクランタン州でのUMNOの大躍進、及び 西海岸州であるケダー州、ペルリス州、スランゴール州でのPAS党の議席喪失または獲得失敗した事実です。

前回の1999年選挙時にはアンワル元副首相のUMNOから追放と逮捕、服役という事件が世の話題をさらい、人々の意識に鮮明な時期でした。そのためUMNOを離党したアンワル元副首相支持派が中心となって創設した党 Keadilan(公正党) は、大大前面にアンワル問題を掲げて選挙を戦いました。マレー人界だけでなく華人界やインド人界の中にも心情的にアンワルを支持する人、アンワル問題の不鮮明さに納得いかない人が少なからずいました。そこで華人界からもインド人界からもKeadilanに参加する人が多く出て、且つ支持もありました。それが前回Keadilanの好成績に結び付いたわけです。PAS党はこのアンワル事件では直接関係者ではないものの、この風潮をいわば利用してアンワル応援を掲げていました。もちろんそれがマレー人界のアンワル支持者がPASへ流れる要因にもなったのです。

しかし年月というものはあらゆることにまこと大きな影響を与えます。4年半後の今回の選挙では、アンワルは全くといっていいほど争点にもならなかった、つまり一般大衆は、アンワルの件を忘れたわけではないがその関心からほぼ消えてしまった。アンワル問題を前面に掲げても全く票には結びつかないことはKeadilanでさえわかっていたことでしょう。裁判所の判決は出て法律面での確定はあったにしても、現実にはアンワル処置の面での不透明さはあまり解明されてていませんし、彼は服役中です。しかし時間の経過は重大事件もその重大さを薄めてしまうように、アンワルへの個人的応援も次第に幅がなくなってしまいました。

尚付け加えておきますと、アンワルを悲劇のヒーローのように捉える浅薄な見方には私は立ちません、彼はマハティール首相との政治闘争に負けたのです。問題は法治国家としてその処置の仕方であり、それが合法的なのか、大多数の国民に受け入れられるかどうかなのです。

こうしてKeadilanは今回の選挙では議席面ではほぼ全敗に近い結果となったのです。アンワルの地元選挙区を引継ぎ今回も出馬した彼の妻でもあるKeadilan党首が、わずか数百票の僅差でようやく当選したという結果が上記を如実に物語っています。Keadilan候補者は60人近く立候補した国会議席でその1議席獲得のみで、120人ほども立候補した州議会では全員落選しました。これらの事実は、Keadilanはアンワル問題が民衆の話題にならなくなった結果その党存在意義を失いかけている、さらに所詮Keadilanの核になる支持層はUMNO支持層とほとんど変わらない、という私の見方を裏付けています。

PAS党の敗北とその理由

PASのなんといっても最大の敗北はトレンガヌ州であり、州内の国会議席数が前回の全議席制覇から今回はゼロになり、州議会議員数も32議席中のわずか4議席と大減少しました。それだけでなく州内で立候補したHadi Awang 党首兼トレンガヌ州州首相が国会議員選挙区で落選、同時立候補した州議会選挙区でなんとか当選を果たした、さらにPAS幹部も軒並み落選という結果になりました。次いで大きな敗北は、PAS党が1990年以来握っているPAS党の牙城と言われるクランタン州で、前回は国会議席では1選挙区以外全部、州議会でもほとんどを獲得して圧勝したPAS党があわやUMNOに敗北するという接戦状態でした。つまりPAS 24議席、UMNO 21議席と均衡した結果となったわけですが、州内選挙区で当選したPAS候補と落選したUMNO候補の票数の差が、100票未満という接戦選挙区が実に6選挙区もあるのです。国会選挙区ではPAS 6議席、UMNO 8議席とPASは逆転されました。このようにクアランタン州の結果はいわば引き分けの状態です。

PAS党が多数派になることを目標にしていたペルリス州、ケダー州では立候補者全員が落選し、いくらかの議席を狙った首都圏でも全く振るいませんでした。PASは元来半島部南部では全く振るわない政党なので、ジョーホール州などでの大差落選はいわば当然の結果です。さらにサバ州とサラワク州ではPASは元来全く影響力を持たない党なので、単に何人かを立候補だけはさせたというところです。

PAS大敗北の理由は、UMNO大勝利の理由の表と裏の関係ですね。つまりマレー人界におけるアブドゥラ首相人気の高さと彼の持つ宗教性への信頼度の高さからPASは有効な首相批判を見つけ出せなかった、クランタン州を10数年間支配しているPAS州政権への飽き、トレンガヌ州政府の打ち出した数々の急進的なPAS流イスラム政策への消極的反抗、この両州は依然として半島部の最貧州であり一向に経済状態は向上していない、などといったところでしょう。さらに非マレー人界、主として華人界、はPAS党の打ち出した政策とその目標とするイスラム教国家像に不安感を抱いており、PASとその共闘関係にあるKeadilan に投票するような華人がこれまでも数少なくあったがより減ったということでしょう。

補足:マハティール前UMNO総裁がアブドゥラを後継者に選んだ理由の一つ
マハティール前首相まだ在任中の2003年、総選挙がいつ行われるか、政治観測筋と政治家たちはその推測にずっとかまびすしい状態でした。しかしマハティール前首相はとうとう引退前に総選挙を実施せず、その首相職を数年前から公言、公約していた通りアブドゥラ副首相に譲り渡しました。恐らくマハティール前首相は、彼の指揮下に総選挙を行えばBarisan Nasional は勝利するが大勝は難しいと読んでいたのではないだろうか。

なぜなら、彼の性格である、持ち味といってもいいでしょう、対決型スタイルで選挙を戦えば、野党とりわけPASにとってはUMNOを責めやすいことは明らかだったからです。責められれば責められるほど反撃するまたは先手で攻撃する政治スタイルのマハティール前首相ですから、支持者と崇拝者の多い反面、敵も多いのです。これは単にマレーシア国内に限らず、彼は対西欧諸国と西欧マスコミへの批判も常に欠かしませんでした。そういうこともあってマハティール前首相は国際知名度があれほど高いのです。

アブドゥラはマハティール前UMNO総裁が自身で選び指名したUMNO新党首です(政治的にUMNO総裁即首相となる)、しかしマハティール子飼いの政治家ではありません。マハティール前UMNO総裁は当然国内の政治状況と民衆意識を読んでいただろうし、自分を継ぐUMNO総裁すなわち国の首相職にはアブドゥラのようなタイプの政治家が向いていると信じて、アブドゥラを彼の後継者に指名したことでしょう。


華人界の分析

前回選挙でマレー界は上記のように2分したのですが、華人界はBarisan Nasional に支持を集めました。その結果華人与党政党のMCAが好成績を収め伝統的な華人野党政党のDAPが大きく振るわないとう結果をもたらしました。一般にBarisan Nasionalの勝利を支えた大きな立役者は華人だと言われた由縁です。今回も華人界は与党支持が主体ですが、Barisan Nasional大勝利の立役者であっても大きな立役者とまでは言えません、それはマレー人界がUMNOを圧倒的に支持したからですね。

半島部で有権者数が60万人を超え且つ華人の割合が40%を超す州は4つ、いわば代表的華人集中州は4つあります: 北部のペナン州、中部のペラ州、クアラルンプール、南部のジョーホール州です。この4州を分析します。
80年代まではDAP党の牙城であったペナン州で今回DAPが国会8議席の半分を占める好成績を収めました。州の国会議席数ではKeadilanの1議席を含めて野党陣がBarisan Nasional を上回ります。ただ州議会ではDAPは40議席中わずかに2議席ですから、Barisan Nasional に全く適いません。州議会選挙区と国会議員選挙区の区割りの影響が多いのですが、国会議席では華人のDAPへの投票がより効果的にでたわけです。 

クアラルンプールは伝統的に野党の強い地域であり、今回もDAPが11議席中4議席獲得でこのことを証明しました。この獲得した4議席はいずれもクアラルンプール内でも圧倒的に華人人口が多い選挙区です。

ペラ州は今回DAPが予想外に好成績を残した州で、イポー中心の華人多数選挙区でDAPが始めて3議席をまとめて獲得しました。DAPの新たな拠点かと言われる事態です。この3州の場合だけをみれば華人界は相当野党つまりDAP支持が多いように一見見えますが、実はそうではありません。それを説明します。ジョーホール州、ここは圧倒的に且つ伝統的にMCA支持が多い州です。ですからDAPはまったく適いません。今回DAPが35年間守り続けたマラッカ市内の選挙区でMCA党に議席を奪われました。DAPはペラ州の好成績をマラッカ州で帳消しにしたような形です。その他の州では華人界は依然としてMCA とGerakanを中心としたBarisanNasional支持に圧倒的多数を集めています。

DAPが全体的にいって前回よりもいい成績を残したのは、前回選挙時にPASと共闘を組んだため華人票がごっそり逃げた教訓を生かして、今回はPASとは全く協力関係を結ばなかったことが一つの大きな要因である、と評されています。
こういったDAPの復調の一方PASの凋落(国会議席が前回比4分の1に減った)の結果、国会第1野党の地位が以前のようにDAP党に戻りました。それにしても野党全体で国会総議席数のたった1割にしかならないという、与党圧倒多数の国会ですね。

DAP党は華人だけではなく他民族も含めて構成される華人基盤の政党です。マレーシア政界で数十年に渡って野党第1人者と見なされている有名な党議長Kit Siang は今回国会への返り咲きを果たしました。一方党内指導部と軋轢を起こして離党していく幹部は90年以降も後を絶ちません。前回選挙時でも今回選挙時でも複数州の州党幹部クラスが離党しました。ある者はKeadilanに移り、ある者は政治を離れ、ある者はMCAに鞍替えしていきます。しかしDAP を離党した者は昔はともかく政治的にはほとんど成功しないのです。

半島部では華人界、マレー人界も政党数が固定気味

なぜでしょうか?華人界には野党としてDAP(民主行動党)しか存在できないような意識が長年あるからなのでしょう。ですからそれなりの党実力者であっても離党後は、政党を移ろうと無所属になろうと成功しません。独自に政党を設立したグループ(マレーシア民主党)も前回、今回と全く泡沫に終り、華人野党としての存在感を示せません。マレーシア華人界では、サバ州とサラワク州は政治風景が相当違いますから例外として、与党は2つ(MCA党とGerakan党)、野党は民主行動党しか存在できない、そんな ”慣習” が続いています。

注:華人基盤政党は70年代以前にはあったが、それはここでは扱わない。Gerakan党はその昔MCAを離党した人たちが創設した。


半島部の華人界では3党に絞られると説明したついでに、マレー人界の政党数を考察してみます。
マレー人界の政党はUMNO、UMNO的イスラム教解釈と国家のあり方に強く敵対するPAS、の2大潮流がずっと続いています。UMNOからアンワル追放と逮捕によって98年に設立されたKeadilan は、上記で私が説明したように、もはやその存在意義は薄れ存亡の危機に面しています。恐らく遅かれ早かれ、現Keadilan党員の多くはUMNOに加入または再加入することになるでしょう、実際UMNOへの再加入はこの数年ずっと続いていました。

Keadilanの件は、90年代半ばに解党してUMNOに再加入した Semangat 46党 の例に似ています。Semangat 46党は1987年のUMNO党総裁選挙でマハティール総裁(首相)派に惜敗したRazaleigh派が設立したマレー人政党です。少なからずの幹部を含めたUMNO党員がこの新党に参加しましたが、結局政界の大きな勢力になれずじりびん状態に陥り、10年後ぐらいに党首自らが解党して集団でUMNOに再加入しました。

この2つの事例と70年代80年代の歴史をみると、マレー人界にはUMNOとPASしか要らない、存在できないという”意識”が流れていることに気が付きます。マレー人界は大枠としてなぜ2つの政党しか政治的影響力を示せないのだろうか。マレー人即ムスリムであるという原理から、名前うんぬんに関係なくマレー政党は即イスラム教政党です。そしていかにイスラム教を解釈し、それをマレーシアにとりわけマレー人コミュニティーに適用し実施していくかという面で、違いがでてきます。マレー政党は実質であれ名目であれイスラム教から逸脱はありえませんし、国家と宗教当局の双方で、マレーシア観点から捉える異端的な解釈をするグループは全て芽のうちに抑えてしまいます。よってUMNO的イスラム政党とPAS的イスラム政党がずっと続いてきたわけです。Semagat 46党も Keadilan党も権力闘争の結果UMNO から一部が分かれて設立した党なので、所詮擬似UMNO党という根本的性格を持っています(した)。分家は所詮本家に適わないのです。ですから調子悪くなれば解党して復党という道になることでしょう。

尚上で 「マレー人界は大枠としてなぜ2つの政党しか政治的影響力を示せないのだろうか。」 と書きましたが、影響力を示せないマレー政党は存在しますし存在しました、例えばParti Rakyat Malaysiaのようにです。

インド人界の分析

インド人は華人に比べてずっと少数派になり、総人口比では約8%に過ぎません。そこでどの州をとってもインド人多数派の州はありえませんし、インド人有権者の比率が一番高い州、スランゴール州とヌグリスンビラン州でも有権者の14%強というところです。そこで全国の選挙区の中でインド人がその選挙区多数派となるような選挙区はまず存在しません。この現実をあてはめていけば、インド人からだけの得票でインド人候補者が当選できる可能性はでて来ないことになります。

Barisan Nasional は複数民族間で権力のある程度の分かち合いを基本理念としていますので、与党であるMIC には、それなりの議席数の割り当てがなされます。MICの要求を考慮して割り当てられた選挙区はたいていインド人の比率が比較的高い選挙区です。そういう選挙区ではBarisan Nasional の構成政党、UMNOであれMCAであれMIC 候補者を応援します。よってMIC は国会9議席立候補で全部当選しました。全国比例区のような選挙制度がないマレーシアでは、この民族間の権力分かち合い理念はたいへん重要です、これがBarisan Nasional が独立以来常に勝利し政権を担い、結果として国家の安定に役立っていることであり、たいへん評価に値するといえますね。

さて今回これまでBarisan Nasional の構成政党ながら国会州議会の両方で議席割り当てがもらえなかったインド人基盤の政党人民進歩党PPP に初の議席割り当てがあり、当選しました。尚PPPはペラ州基盤の古い政党で、その昔は野党陣営でした。実はもう一つインド人基盤政党はありまして、インド人進歩戦線 (IPF) という小党が存在します。この党はBarisan Nasional をずっと支援しており且つそれに参加を申請しているのですが、未だに加入を認められていません。選挙には候補者を立てていません。

少数派のインド人界では与党側の支持層でさえ3つもの党があるのです、その内MIC が最大です。さらにBarisan Nasional 構成の華人基盤政党Gerakan を支持するインド人がいます。一方野党側を支持するインド人は独自の政党は持ちませんが、DAP、Keadilan、などに分かれて加入または支持しています。過半数の多数派であるマレー人界とインド人の3倍の人口を持つ華人界のそれぞれの民族基盤政党の数に比べると、ぐっと少数派であるインド人界の多党傾向は目立ちますね。
いずれにしろマレーシア政界でインド人がキャスチングボードを握るような事態は生じていませんね。



マレーシアの総選挙、投票結果及びその解説と分析 -後編-


サバ州とサラワク州の場合

筆者はサバ州またはサラワク州の居住者ではないので、半島部に比べてその観察と分析力は落ちますが、これまでの訪問経験とマスコミからの知識を基にできるだけ分析してみましょう。

サバ州とサラワク州の総選挙の結果

サバ州
サラワク州
政党UMNO PBS
団結
UPKO
民統
SAPP
進歩
LDP
自民
PBRS
人民
MCAPBBPBDSSPDPSUPP
国会13442--1--241164627
32135431159今回選挙は行われていない

注:表の政党はUMNOとMCAを除いて、それぞれの州だけで存在する地方政党であり、半島部または他州に組織を持ちません。
注:サバの政党名に加えた漢字はその中文名の省略形です。

サバ州とサラワク州は半島部と比べて、政治風景と民衆の政治意識が明らかに違います。形の上では両州の州政府を構成する複数政党はすべてBarisan Nasioanl の構成政党ですし、サバ州政府の最大与党は州内のムスリムブミプトラを代表するUMNOです。しかし政治風景は異なります、これは半島部とは民族構成が大きく違う、歴史的にも半島部とは相違点が多いなどの理由からでしょう。

まず州独自の政党が両州で合計9党もあり、どの政党もその州だけの政党です、つまり隣であるサバ州またはサラワク州にさえその政党組織を持ちません。各政党はその州の複数の主要民族毎に政党を組織しており且つ同じ主要民族政党でも2つさらには3つもある場合がある。
例えばサバ州です、カダンザンドゥスン族基盤の政党はPBS, UPKO, PBRS と3つもあり、またLDP と SAPP は両方とも華人基盤政党でいわば党首の個人党のような極小政党です。そのほかに半島部では大華人政党のMCAが小さな組織としてあります。華人は与党であるカダザンドゥスン民族主体の政党PBSにも参加しているようで、PBSはこのように複数民族政党の性格を幾分持っているそうです。

サラワク州は半島部のBarisan Nasional主要政党が全く組織を持たない特異な州で、すべて地元政党です。一番大きいのが、州首相を擁している Parti Pesaka Bumiputra Bersatu(PBB) です。そしてその各政党内で内紛が絶えないのです、今回の選挙前にはイバン・ダヤック族を基盤にした2つの与党政党で内紛があり、結局1党SNAP はBarisan Nasional からはじき出され、その前党員グループが設立した新党SPDPが加入を認められました。

表からおわかりのように、両州はどちらもBarisan Nasioanl が国会、州議会ともにほぼ独占しています、つまり野党がその存在感を示せない州です。といっても野党が全くないということではなく、今回サラワク州でDAPが珍しく議席を1つ獲得しましたね。サバ州は2002年までは、サバ州の大政党であるPBSが野党でした。つまり1999年の前回選挙時には野党として戦ったPBSは、2002年に与党になったつまりBarisan Nasioanl 入りしたのです、この結果サバ州の全与党化現象となったわけです。

参考:当時サバ州最大の野党であったParti Bersatu Sabah(PBS) は前回の選挙では国会議席で3議席、州議会では17議席を獲得しました。

サラワク州は以前からずっと、サバ州も2002年以降はオール与党化の州ですので、Barisan Nasional にとって、ごく数少ない取りこぼしがあろうとも非常なる安全パイの州といえます。今回の選挙前の2003年に全国の国会選挙区と州議会選挙区の両方で、選挙地区割り変更と議席数の増加が実施されました。これによってサバ州とサラワク州でも議席が2、3割増えたのです。つまりBarisan Nasioanl にとっては安全パイの数がより増えたといえます。サバ州とサラワク州の合計人口は全国の2割ほどですが、両州の議席合計数は全議席数の25%近いのです。

全議員数の1割にも満たない女性議員

国会と州議会の合計女性議員数

Barisan Nasional
野党側
総合計
政党UMNOMCAMIC Gera
kan
サバ州
の党
サラワク
州の党
DAPPAS Kea
dilan

立候補者数351223219101597人
当選者数3110232142156人
その党の全議員数4101072840372727431724人

注:総合計には、それぞれ無所属候補と無所属議員の数を含む。

女性議員の比率は、たった 7.7%です、おせじにも高いとは言えない割合です。上記の56人中、前回は女性議員が20人であった国会は、23人に微増しました、与党側18名、野党側5名です。でも総議席数が前回より増加しているので、強調に値しませんね。

BarisanNasional 勝利の書かれない要因

前編と中編とこの後編で2004年総選挙の結果に基づいてあれこれ解説し分析しました。最後に、マレーシアでは書かれないBarisan Nasional 勝利のもう一つの要因を書いておきます。尚以下の事象は全て総選挙時点でのことです。

首相職に就任後まだ半年も経たないアブドゥラ首相に関していえば、その掲げる政策は実施され始めてはいてもまだ具体的な結果としてマレーシア社会に及んでいません。当然ながら経済機構も政治機構も前任者マハティール前首相のそれを継いだものがほとんどであり、自身の政策を発揮するには人事面での改造と月日が必要ですからね。(内閣大改造は総選挙後に実施された)

しかしほとんど全部のマスコミはBarisan Nasional支持であり且つアブドゥラ首相支援と応援色が鮮明ですから、日々その報道面でBarisan Nasional の功績と役割を圧倒的に多く伝え、首相をたてて首相の人柄の良さを強調してきました。例えば、アブドゥラ首相の打ち出した汚職風潮への厳しい姿勢を大きく評価報道してきました。現実には小物大臣1人を含めたわずか数人ほどの中級官僚と元大企業社長が逮捕または起訴された程度であり、これが今後どの程度継続されていくかは現時点ではまだ何ともいえないところです。

その他に首相は、警察と警察機構のあり方を見なおす特別委員会の設置を決定しました。これは一般大衆から長年に渡って警察に対して多くの批判があがっていることを受けたもので、その姿勢はもちろん評価されるべきものですが、結果はもちろん途中経過さえまだでていません。しかし野党や人権団体から強く要求されている国内治安法などの治安関係と人権問題の見直しには、首相は全く言及していません。出版、放送分野でその出版許可と放送許可面で政府に与奪権を握られているマスコミはこの面での論調は極めて極めて鈍いのです。

こういう状況下ですから、マスコミの日々伝える報道内容は圧倒的にBarisan Nasional を好意的に捉えたものに満ちています。テレビで果たして野党陣営のニュースが流されるのであろうか、寡聞にして私は知らない。選挙期間中、アブドゥラ首相は民放ラジオ局(放送言語別に3局)に生出演して聴取者の質問に答えました。さらに終盤になって民放テレビ局に出演して、新聞社の幹部編集者のインタビューに答えました。このように、日頃あらゆるマスコミで第1面に登場するアブドゥラ首相は、Barisan Nasional の長としてもマスコミを通じて国民に直接語る機会がありました。一方野党陣営にこのような機会は皆無です。野党陣営の声はマスコミでは引用されて新聞に載るだけで、ラジオ、テレビで直接語る、出演することは全くありません(国家の儀式のような場合に映されるのは除く)。
なお華語新聞は華人野党の主張と行動を比較的頻繁に紹介します。それでも与党MCA党の報道され方に比べれば量と回数ともはるかに及びません。

いうまでもなく私は特に野党側を応援しているのではありませんし、Barisan Nasional を支援しているのでもありません。例えどちらかを応援したとしても、とりたてて筆者に益が生まれるわけではないのは当然ですね。是々非々の立場で書きます。

日本や西欧のマスコミに接してきた経験と知識から言えば、マレーシアのマスコミは建前としての公平さすらにも欠けるということを強く感じます。所詮世の中に絶対中立、完全公平などということはありえませんから、絶対中立であれなどと主張したいのではありません。民間マスコミの ”あるべき建前” として、今や十分に発展した発展途上国の優等生マレーシアであるからこそ、”建前としての公平さ”ぐらいは発揮して欲しいと思うのです。非・与党政府を掲げたマスコミは存在しえない(出版・放送免許が下りない)マレーシアですから尚更ですね。世のマスコミは普段からも野党陣営の声と動静をもう少し公平に紹介すべきであり、選挙時ぐらいは野党側にもテレビ、ラジオで主張する機会を与えるべきではないでしょうか。マレーシアはもう開発の遅れた、市民意識の遅れた、混乱の国ではないのですから。

アブドゥラ新内閣の大改造人事

アブドゥラ首相は総選挙後の3月末に内閣改造を行い新内閣を発表しました。この新内閣で首相は、複数の省を新設、併合、分散、廃止、改名させ、大臣(という職)の数も4つ増やしました。アブドゥラ首相自身が兼任するのは、経済大臣と国内治安省大臣です。省が2つ新設、2つの省が併合、3つの省で分散、5つの省の改名が、なんら事前の論議なくあっというまに実施されたことを見ても、マレーシアではいかに首相の権限が強いか、首相に権限が集中しているかを示しています。

尚首相の権限がたいへん強いといってもそれはアブドゥラ個人の権力の強さとは別のものです。その理由を見ましょう: 34人にも増えた大臣の内訳ではUMNOからが22人を占めます。人口2500万人の国で34人もの大臣を指名する、つまり論功行賞として大臣職にしなければならないというのがマレーシア政界の実情です。これがマレーシア指導者層、従がってUMNO総裁である首相がよって立つ政治基盤であり、誰が首相になろうとも大同小異でしょう。ですからアブドゥラ首相だけが特に権力基盤が強いということにはなりません。

総選挙の与党連合BarisanNasional 大勝利を受けたこの内閣大改造で、これまでマハティール前首相の内閣をほぼそのまま受け継いでいたアブドゥラ首相は名実ともに首相としての地位と評判を高めたのです。



甘党の楽しみ、糖水は値段が庶民的で美味い!


糖水?何だろう? という方がほとんどでしょうから順を追って説明していきます。そしてこれを読み終わられましたら、屋台・大衆食堂センター(一般に美食中心と表記する)か、屋台街へ出かけて糖水を味わってみませんか。

甘党の楽しみ

私は元来の甘党です。酒類は体質的にごく弱いので全然飲みたいと思いませんし事実ほとんど飲みません、例え口にしても酒量は限りなくゼロに近い。とはいうものの女の子がそばに付いてくれるような飲み屋は決して嫌いではないです(笑)、でももう長年出入りしていませんなあ。

そこで甘党には甘党の楽しみがあります。といってもここではお値段の張るケーキやチョコレートが対象ではありません、1リンギット前後から 2リンギットまで程度で味わえる大衆甘味が対象です。マレーシアで特に華人界ではその大衆甘味の代表が糖水なのです。糖水と表記しますが 糖分を加えた水 のことではなく、料理過程を経た甘いスープ状の飲食物で、食べる際熱いままでまたは氷を加えて冷たくしても構いません。つまり糖分を加え材料・品を煮たりして作った甘い飲食品を総称したものです。

糖水の由来

甘い飲食品といえば一般に中華料理ではデザートと理解されていますよね。そのデザートにはちょっとした甘い飲食物と果物が含まれます。これらの甘い飲食品を香港及びそれに隣接した中国の広州で甜品と分類して、華語(日本では中国語と呼ぶ)では甜品と書記します

参考:中国料理の主料理品でない品々を粥品、粉面、粽子、甜品、gao点(蒸菓子みたいなもの) などと7つぐらいに分類するそうです。

そしてこの甜品を香港では糖水と総称するそうですが、香港人にとって糖水は単なる甜品でなく滋養の効能があると理解されているそうです。香港・広州はそれなりに四季の季節もありますから、暑い夏に摂取する糖水には涼を取る意味合いがあり、寒い冬に摂取する熱い糖水には気を補う意味が含まれているそうです。こうして糖水は香港人には切り離せない飲食物となっていると解説されています。

注:このコラムを書くに当って、華語紙”東方日報”の4月4日付け生活情報記事、地元出版の華語小冊子”津津熱帯飲食”を参考にしました。

マレーシア華人界には中国の飲食文化が根強く伝わっているのは多くの人が認めることです。つまりマレーシアの糖水は香港・広州の糖水がその由来になるようです。こうしてマレーシアにもたらされた糖水は、これまた広東人の飲食文化の一つであると捉えている糖水小販(屋台人、簡易店舗商売人のこと)もいるそうです。
こうした由来のせいでしょうか、大衆中華料理に欠かせない種類の料理の一つとして、半島部では一般に甜品ではなく”糖水”と表記しています。ただし中級クラス以上の中華料理レストランで使われているメニューの表記は別です。糖水をとりわけ首都圏の華人は広東語的に”tong soi " と発音するのがごく普通ですね。

20世紀前半ぐらいにマレーシアにやって来た(当時の)中国華僑がもたらした糖水は、今ではマレーシア風味と材料を加えたマレーシア風糖水になっていますね。私自身は、香港の糖水や台湾の甜品と食べ比べして、その味の違いを書くことはできませんが、華語情報によれば味に多少違いがあるようです。そこで具体的な味の違いは指摘できませんがマレーシア風糖水としておきます。

糖水は料理の際、一般に糖分として添加するものに白砂糖を使うそうで、氷砂糖もよく使いますとのこと。しっとりと潤った味の糖水には氷砂糖を多用するそうです。私は料理を知らないので、白砂糖と氷砂糖では料理後の味にどのような違いがでてくるのか、全くわかりません。

たくさんある糖水の仲間

順不同に糖水の種類をあげてみましょう。屋台や露天店だけでなく、レストラン、店舗のようなちょっとあらたまった店だけでみかける糖水も混じっています。

紅豆水(沙)、芝麻糊、緑豆水(沙)、花生糊、白果腐竹意米、白果腐竹糖水、蓮子羹、蓮子百合糖水、蓮子杏仁湯、杏仁糊、摩摩”口査口査”(口査で一語です)、黒糯米、龍眼海底椰、麦粥、馬蹄露、馬蹄粟米羹、雪蛤龍眼湯、豆腐花

以下でひとこと紹介をしていきましょう。


糖水によく用いられている材料


以上まだまだ種類はありますが、主な糖水はこれぐらいでしょう。またある屋台・店だけのオリジナル糖水もあります。例:黒糯米加麦粥、黒糯米に麦粥を加えたものでしょう。このようにそういう物でも名前からある程度は推定できます。

糖水は女性、子供だけの食べ物にあらず

ところで、糖水は女性・子供の飲食物だと思っていらっしゃる日本人の方がいらっしゃいますが、そうではないのです。老若男女を問わず食べたい人は食べ、好きな人は好きなのです。ですから男性連れだけで食べていても、大人だけで注文して食べても全く可笑しくありませんし、現にそういう光景は珍しくありません。だから私は堂々と注文するのです(値段が庶民的なので貧乏な私にも手が届くから)。

参考:この甜品または糖水と同等の品はタイではたいへん一般的です。マレーシアと同じように夜店の屋台街や大衆食堂の固まった地区に、甜品または糖水を売る屋台・店があります。タイの特徴はこれらの甜品または糖水においてもビニールの透明小袋詰めにした形で持ち帰る人が極めて多いことです。マレーシアでも袋詰めの待ちかえり、打包と言います、は珍しくはないですが、タイの方がもっと一般的ですね。さらにその屋台や店でテーブルに座って食べると、無料の水が一緒にでてきます。つまり甘さでなまった口直しができます、これはタイの糖水屋のマレーシアより優れたところです。
バンコクのような物価の高い都市から外れた地方の屋台で食べる、買う甜品または糖水は1杯 5から8バーツ程度、やはりマレーシアより数割安いです。味?微妙に違いがありますね、同じように アロイマーク!(意味:美味い)、タイでの食の楽しみの一つです。


糖水は軽い食事との相性もよい

軽い料理である炒米粉、炒麺、油条、豚腸粉、油条などといっしょに糖水を販売している屋台、店もよくあります。実際炒米粉と麦粥とか、豚腸粉と紅豆水などの組み合わせはよく合いまずよ。
これとは別に、糖水の店、屋台では時に冷たい甜品を扱っていることがあります、果物ジュースとかき氷です。それぞれの専門毎に区画された屋台がずらりと並んだ屋台センターでは、果物ジュースとかき氷専門の屋台、糖水の屋台と別々になることが普通です。
かき氷類または細かく砕いた氷類では、氷汁雪、紅豆氷、ABC、水果西米”労”、Cendol、など
通常の飲み物としてごく一般的なものに、意米、椰漿水、豆漿水、がありますね。

糖水売りを商売の外見形態から分類すれば、屋台街の屋台、大衆食堂・屋台センター内の屋台、バイクの横に荷車を取りつけそれに糖水料理一式積んで固定地域を回る糖水屋、軽自動車バンの荷台を改造してそこに糖水料理一式取りつけて一定の場所に来る糖水屋、さらにショッピングセンター内のテナントのようにちょっと改まった店舗式、の5種類があります。

ある夜の糖水屋台での食事光景

筆者がたまに行く、近所の裏通りに毎夜並ぶ小さな夜市(屋台街)での夕食光景です。地域柄会話はほとんど広東語になります。
糖水兼小食屋台の店先で、
筆者:米紛1皿、同埋 ni 個 糯米1kin  (意味:米紛を1皿 と この糯米を1個ください)、 と注文する。
屋台人: 打包?食?(意味:持ち帰るの?ここで食べるの?)、 とぶっきらぼうに問います。
筆者:食 (意味:食べます)、そして道端にならべた汚いテーブルに座る。
店の人が米紛1皿 と 糯米1個を載せた小皿をテーブルにボンと載せる。
筆者:有 mei 糖水?(意味:どんな糖水があるの?)、 と聞きます、日によって多少品が変わるからです。
屋台人: 麦粥、摩摩”口査口査”、紅豆
筆者:阿ー、給我 紅豆水 (意味:えーと、紅豆水をください)
店の人がお碗に入った紅豆水を無造作にテーブルに置きます。
食べ終わって、
筆者: 収 loi (意味:おいくら?)
屋台人: 三蚊 (意味:3リンギット)
こんな感じで糖水付きの夕食は終ります。

糖水の中で筆者のとりわけ好物は紅豆沙(水)です。これまた近くにある糖水の店で、午後のひととき紅豆沙(水)だけを注文して、新聞見ながらゆっくり食べることもあります。コーヒー飲みながらのひとときと同じですね。紅豆沙は 好食!(意味:美味い)。 グルメでない私はこういうシンプルな糖水で満足できてしまいます(笑)。

それでは一通りの知識がついたことでしょうから、皆さんも次回は、屋台・大衆食堂センターか屋台街で糖水を味わってみましょう。

参考:Intraasiaの大衆食に関する案内・解説は当コラムでこれまでにもいくつか書いてきました。例えば 第288回から始まる 「実践 よくわかる屋台・大衆中国料理の解説とその注文の仕方」シリーズ、第138回の 「一夜漬けで覚えるマレー料理の注文法」 などです。目次を開いてタイトルからお探しください。




マレーシアと国境を接するタイ深南部に今起っていること


マレーシアは半島部北側の国境線全部がタイと接しています。クランタン州北部にある国境の町Ranatu Panjang に川を挟んで隣接するのがタイ側の町Sungai Golokです。その町名自体がマレー語起源ですね(もちろんタイ語で綴ります)。マレー鉄道のPasir Mas駅で下車しバス、タクシーで国境に向かうという日本人旅行者も時々いらっしゃいます(逆方向、つまりタイから入ってPasir Mas に向かう人もここでは含めます)。マレーシア人を含めてごく少数の人しか知らないクランタン州のもう2つある国境通過地点については、当サイトの「隣国との国境の超え方と情報」のページで精細に説明しています。
ペラ州の最北部のPenkalan hulu からタイ入国するとそこはヤラー県に属するBetong の町です。これらの国境地点は以下問題にするタイ深南部へのまたは深南部からの通過地点となります。両国間を運行する長距離バスが主として使い且つ両国国境間の通行が一番にぎやかな、マレーシア側国境Bukit Kayu Hitamは、通常はタイの大都市ハジャイからまたはハジャイへの通過地点となります。

深南部の3県のユニークさ

現在タイ深南部の3つの県で、主として警察と軍隊及びそれに協力する人たちに対する襲撃、爆弾といった事件が頻発しています。この3つの県はナラティワット県、ヤラー県、パッタニー県で、ナラティワット県、ヤラー県はマレーシアとそれぞれ国境を接しています。いずれもムスリムが多数派を占める県です。

仏教国タイですが、民族的にはマレー民族と同門であるムスリムもその構成民族です。タイムスリムはマレーシアにおける立場と違ってごく少数派となります(確か5%に満たない)。この3県はその意味でタイでは例外的な県です、それは中世の時代にこの地にムスリムコミュニティーからなるパッタニー王国が存在したことによるものなんでしょう。尚ムスリムの比率の割合高い県は、他にもソンクラー県、サトゥン県があり、2県ともマレーシアとそれぞれ国境を接しています。一般的にタイ南部ではムスリムの姿が目につき、モスクもあちこちにあります。タイ南部だけでなく、バンコクでもタイムスリムの姿は見かけますが、その大多数は南部に遍在しています。

タイ深南部とタイ南部の区別

外電を主としたマスコミは、日本での報道も恐らくそうだと推定されますが、一連の報道ではタイ南部とひとくくりにしていますので、マレーシア人を含めてほとんどの外国人(もちろん日本人も)はタイ南部全体の危険状態を頭に浮かべられることでしょう。しかしタイ南部といっても範囲は広く、深南部からずっと離れたラノン、スラタニー、プーケット、トゥランなどの主要県兼都市もタイ南部です、もちろんこれらの都市及び県ではなんらの関連事件は発生していません(報道されている限り及び今年私が訪れた限り)。尚ソンクラーン県の県都であるハジャイは上記深南部3県に一番近接した大都市です。

はっきりいって、ナラティワット県、ヤラー県、パッタニー県の位置が地図を見ないでもすぐ頭に浮かぶ人を除いて(まずいらっしゃるとは思えませんが)、このタイ深南部と南部の問題を説明してもまず通じないと私は思います。しかしずっと前から、特にこの10年ほど何回も何回もタイ深南部と南部に足を運び滞在し歩いてきた数少ない日本人として、且つ当サイトにも関係あるマレーシアからタイへ / タイからマレーシアへの陸路旅行者への関連知識として、このコラムを書いておきます。

この半年ほど状況が悪化している深南部

この半年ぐらい急に悪化した深南部3県の様相は全然よくなっていませんね。4月11日にはハジャイから終着駅Sungai Golokに至るタイ鉄道南部線のナラティワット県にある駅でタイ鉄道職員が何者かに殺されました。鉄道の労働組合は安全を保障する強い要求を出して、政府はこの路線を走る列車全部に軍人と警官からなるグループを同乗させると決めたそうです。もちろん各駅での警備も強化させるとのこと。

これは一連の事件のほんの一例であり、4月は毎週何らかの襲撃、爆発などの事件が起こっていることが報道から知ることができます。日本ではきっとそこまで細かに報道はされてないでしょう。襲撃などによる死者は4月終わり頃の時点ですでに70人近くに達しているそうです。もちろん怪我人も出ており、その中にはSungai Golok に遊びに来ていて爆弾の巻き添えを食ったマレー人も複数でました。この爆弾は警察軍隊を狙ったものではないので、マレーシアの主として北部東部の一般社会からも注目が沸き起こったようです。

報道に寄れば、タイのタクシン首相自身が、タイ深南部の混乱状態は当分終らないだろうと語ったそうです。タイ警察と軍隊が中央からの派遣を含めて相当なる数を動員しているにも関わらず、もう数ヶ月間、襲撃と爆弾と放火などの発生は一向に減っていません。ですから間接情報に頼る者でも、あと2、3週間もすればすべて片付くだろうなどとは到底考えられません。つまり事件を起こしている者たちが10人程度のごくごく少数のグループではないことが容易に推定できますし、襲撃、爆弾などを実行している彼らを地下で支える人たち、心情的支持意識がある人たちが少なからずいるはずです。なぜならこれほどの警備網をかいくぐりながらも、毎週複数回の襲撃と爆発物設置、放火などを起こしているからです。

どういう者たちが事件の主役であるかについては、数十年前からその存在が確認されていたタイ深南部の分離主義を掲げたムスリム武闘グループが力をつけたからだ、いやギャンブル・麻薬などを操る地下組織が当局に公然と挑戦しているのだ、その両方が関わっている、海外の武装イスラム勢力が関与している、などという推測が以前から流れています。確実なことはまだわかってない可能性が高そうですが、タイ政府が情報を抑えている面もあるかもしれません、いずれにしろ現段階では犯行組織の確実なる素顔は公表されていませんが、マスコミは推測を発表しています。

まあそれはタイ側に任せておくとして、襲撃と爆弾事件が起り続けており、これからも起る可能性は確実にある状況といってもいいでしょう。ただ外国人が意識的に狙われた形跡はありません。ですからこの深南部に興味を抱いてきた私はまた訪ねてみたいと思っているのですが、残念ながら私の経済状況が全くそれを許しません。

いわゆる外国人旅行者には縁遠い深南部

つい昨年の中頃までこの3県、ナラティワット県、ヤラー県、パッタニー県にこれほどの事件は起こっていませんでした。90年代後半頃からごく散発的に(年に1, 2回程度?)、小さな爆弾または襲撃事件は、ハジャイを含めて起っていたことは私も知っていますが、少なくともこの地方へ行き慣れている人間であれば、少しも心配する状況ではありませんでした。各地の様子も当時まったく変わったところはありませんでした。

タイ深南部は以前も今も外国人旅行者がたくさん訪れる、集う地方ではありません。タイには全国あちこちに外国人特に白人がつるんでいる地があります。南部で言えば有名なコーサムイ島、プーケット島などだけでなく、それらの島への基地となる町、いくつかの離島でも白人旅行者の群れを見かけます。もちろん、マレーシア人の大好きなハジャイ、ソンクラーでは多種の外国人が徘徊していますね。

しかし深南部及びサトゥン県でこれはまれな光景です。マレーシアへの入国またはマレーシアからの出国ルートとして深南部を通る旅行者はいても、その地に留まる旅行者はほとんどいません。実際ナラティワット県、ヤラー県、パッタニー県を何年にも渡って何回も旅し泊まった私は、州都のヤラー、ナラティワットなどでも白人らの外国人旅行者を見かけるのは数少ないことでした。この2県及び隣接したパタニー県を訪れるのは、民族的縁戚関係にあるマレーシアのマレー人が比較的多いのです。歓楽の町スンガイゴロックとヤラー州のBetong を除いて、彼らは白人旅行者のように離島へ行って長逗留するような旅行ではなく、知人・友人、親戚、宗教施設を訪ねるなどの形ですね。

深南部に興味を持ったいきさつ

外国人には日本人旅行者とタイ在住日本人ももちろん含まれますから、この地を何年にも渡って何回も旅し泊まってきた私は、この意味では間違いなく珍しい旅行者でしょう。なぜこの地域に関心を持つのか? それはマレーシアとつき合う中、マレーシアを考えるえる中で、タイ深南部は関連的興味を抱かせる地方だからです。尚誤解なきように付け加えておけば、私はタイ深南部だけに関心を持つわけではありません、タイは私の好きな国であり、とりわけ東北部(イサーン)と南部はより好きな地方として、80年代からしばしば訪れています。

注:こういったことを背景にして、1999年にコラムの第156 & 157回で 「タイ深南部のムスリム社会とマレー人のつながり 」を書きました。そらに2000年の178回で 「タイ深南部のムスリム社会とマレー社会の相違を探る試み」、 その1年後に 第227回 「タイ深南部のあるタイムスリム漁村の風景を撮る」 を載せました。ご覧ください。


タイという圧倒的仏教社会の中でムスリムの少数派としてのありかたは、マレー人ムスリムが過半数を占めるマレーシア半島部とはいわば正反対の立場にあるともいえます(この表現は正確性は落ちますが、当らずとも遠からずです)。
民族的にはマレー民族であるタイ深南部ムスリムは、どの程度マレーシアのマレー社会に親近感を持っているのだろう、イスラム教の実践され方はどの程度なんだろう、マレー語は彼等にとってどんな意味を占めるのだろうか、少数派としてのムスリムのあり方はマレー社会とどのように違うのだろうかなどといった疑問がありました。

よそ者に簡単に心は開きません

といってタイ深南部に住んでいるわけではありませんから観測は限られたものにならざるをえません。いうまでもなく、住民が私を含めてよそ者に簡単に心を開いて話すわけはありません、さらに言語の壁も厚いです。タイ深南部ムスリムでも学校ではタイ語教育を受けるのでほとんど皆タイ語は話すのですが、タイ語南部方言の聞きづらさ以上に私のタイ語能力がそこまで上級ではないのでわからない場合が多い。

注:地元の人たちが会話しているのを聞いていると、タイ標準語の声調と明らかに違うことに気がつく。しかし語彙面の差までは私のタイ語能力ではわからない。
追記:タイの大学の学者によれば、タイ深南部の3県のタイムスリム中で家庭でマレー語を話す、いわばマレー語タイ南部方言が母語である人の数は170万人ほどであるとのことです。


マレー語といえば彼らの話すマレー語タイ南部方言は、発音と語彙面でマレーシア語との違いが結構あり、私にはたいへんわかりずらい、且つ彼らもマレーシア語には通じていないので、私のマレーシア語が理解されないことがよくある。(マレー人との会話ではこんなことはめったに起らない、つまり少なくとも私の話すマレーシア語は理解される)。

注:タイムスリムがマレーシア語を学習することはない、彼らにとってマレー語タイ南部方言はあくまで口語である。マレー人は誰でも学校でマレーシア語を学習し、マスコミを通じて日々耳や目にする、よってマレー語の各方言だけの話者でもマレーシア語をよく理解するのは当然です。

これまでの経験からいってナラティワット県、ヤラー県、パッタニー県の3県とサトゥーン県ではタイムスリムの間でマレー語方言を話す率が相当高い。日常的に使っているタイムスリムも相当な率を占めると推定されます。大雑把に言って年配の人ほど高いといえる。

しかしそれ以外の南部、スラタニー県、ナコンシタマラート県、ラノン県、クラビ県などマレーシア国境からかなり離れた南部の県になると、マレーシア語またはマレー語はまず通じない。もちろんマレー語話者がいないとはいいませんが、上記3県であれば、タイムスリムが集まっているような場所、例えば食堂、市場、店、屋台、村の中、なら必ず聞えてくるマレー語タイ南部方言が聞えてこない。私の 「クンプートパーサーマレー,ループラウカップ (マレー語を話しますか?)」というタイ語の問いかけに、否定の返事ばかりであった。南部タイの大きな都市であるナコンシタマラートのそれなりに立派なモスクの構内に足を踏み入れて、ちょうど居合わせたイスラム教寺子屋学校の教師らしき人に同じように尋ねたら、彼はこの当りではマレー語はほとんど話されないとタイ語で答えてくれたことが私の印象に残っています。モスクの寺子屋教師でさえ話さないのかと。

モスクの立派さの違いとマレーシアに似た女生徒のTudung姿

タイ南部にはモスクはあちこちで目に入るが、数少ない例外である立派な大モスクは別にして、その建物としての立派さはマレー半島のそれにははるかに適わない。マレーシアでは公の支出で立派なモスクが次々と改築、または建築されているが、仏教国タイでは国家や県からの補助はあまりまたはほとんどないから、モスクは、推定するに、ほとんどムスリム社会独自の資金で維持、建築するのであろう。全部かどうかはもちろん知りませんが、モスクでは近辺のムスリムの子供対象にPondok Sekola(寺子屋)式のイスラム学校が開かれています。

タイ深南部ムスリム社会を眺めていてマレーシアのマレー人コミュニティーとの外見的違いにすぐ気がつくのは、このモスクの立派さの違いです。しかしこれはイスラム教の本来の意味とは関係ないことに違いありません、つまりモスクの立派さはムスリム社会の尺度ではないはずです。

マレーシアでは国家機構がムスリムには小学校段階からイスラム教教育を必須の科目として授業カリキュラムに組み込んでいますが、仏教国タイではそうはいきませんから、この種のイスラム学校はムスリム子弟に対するイスラム教教育に欠かせないものなんでしょう。尚マレーシアでは公教育とは別にモスクでもイスラム教教育が行われています。こちらは公の学校によるイスラム教教育だけでは不充分だとの意識からなんでしょう。

深南部で見かける学校に通うムスリム女生徒の姿はマレーシアのマレー人女生徒の姿と大してかわりません、ほとんどTudung 姿ですね。ただし学校から離れれば、皆がTudung 姿というわけではありません。また一般ムスリム女性のTudung姿は普通ですが、マレーシアの東海岸州で見られるようなほとんど全員Tudung 姿というようなことはありません。

服装からだけみればごく穏やかなムスリムスタイルの生活に見えます、都市部のタイ人の豊かさと比べれば確かに諸面で落ちるでしょう。しかしそれは田舎・郡部という土地柄のせいもあることでしょう。タイでは都市と郡部・田舎の差は全国どこでも大きい、単に深南部だけに見られるものではありません。

深南部は昔から問題を抱えていた、しかしそれがなぜ急に暴力顕在化したのか

そこでこの深南部でどうしてこの半年ほど襲撃、爆弾事件が続いているのだろう? それに答える力は私にはありませんし、多くの外国マスコミも同様でしょう。この問題を充分解説できるほど深南部に張り付いている外国マスコミはまずないでしょう。且つ多分に方言であるこの2つの言語を相当自由に話す必要があるという言語制約もあり、自身で深く取材できる者はほぼこの地域の出身者に限られるでしょう。

ですから、この問題を伝える外電の記事には一定の留保感を持って私は捉えてきた。その間にも現実に事件は起こり続けていることは事実です。なぜタイ深南部 ナラティワット県、ヤラー県、パッタニー県がこんな状況になってしまったのか? これまでこの「今週のマレーシア」に数編のタイ深南部リポートを載せた者として、この地方で現在起っていることはやはり気になります。

数十年前に起った事件を最後に少なくとも21世紀に入るまでは、それなりに穏やかな地であった深南部で、現在のような状況を招いた大きな原因を推測する時、「もしこの暴力発生の責めを負うべき人物をあげるならば、それはタクシン首相である」と、マレーシア人(多分マレー人だと思います)評論家の、Karim Raslan が書いています(Star紙4月18日付けの署名コラムで)。

彼の論には東南アジアイスラム圏の豊富な知識が感じられ、加えてその論を導くために多くの地に自身で足を運んで民衆と語ったことが充分に示されています。その明晰な論は華語紙にも翻訳されて定期的に載っています。Karim Raslanは続けて言う、「タクシン首相の政策の誤算、傲慢で不手際なことがタイ深南部の状況をより悪化させている。さらにその権威主義的性格をみれば、彼はタイ深南部の混乱の責任を取るべきである。」とまで書いている。

全面的とはいいませんがある程度納得できる論点ですね。タイ深南部のムスリムが長年主流仏教社会・政界・経済界から軽視され、その結果抑圧感を感じるような待遇を受けてきたという主張は、タイムスリム界だけでなくタイの言論界や学者の間にもあるようです。次ぎはその例です:

南部出身のムスリムで外相職も務めたSurin氏はバンコクのチュラロンコン大学で開催された国際セミナーで語った、「発展、工事、プロジェクトにいくら金をかけても深南部の問題を解決できないだろう。深南部は貧困と病気と不充分な教育が大きな問題ではあるが、さらに文化的違いに対する敬意と文化的自由が欠けている。人間の安全に関する諸面がない、経済発展だけでは解決にならない。真の解決は国家による暴力と抑圧を止めることです。」  チュラロンコン大学の助教授は主張する、「南部のムスリムに対してタイ人一般大衆は実に大きな間違った捉え方をしている、これは昔からの問題です。」
タイの新聞 The Nation の3月5日付け記事から抜粋

繁栄するバンコクから地理的に遠く離れているからだけでなく、何がしかの壁がその繁栄が届くことを妨げているかのように見えていることが、深南部を旅すればわかります、特にそれが顕著なのは郡部ですね。

こういった背景をもとに深南部ムスリムコミュニティーはタイ中央に相当なる距離感を感じていることでしょう。しかし日常的にまたは政治的にどのような抑圧感を感じているかは、よそ者にはとてもわかりません。そこでこれらの負の面と鬱積した意識があると仮定しても、2000年初め頃までは襲撃や爆弾という暴力頻発にはほど遠い状況でした(皆無だったということではない)。これはタイ深南部を多少でも知る者なら誰しも認めるところでしょう。

この状況が徐々に変わってきたのはこの1、2年、とくに急変したのはこの半年ほどです。前政権であるチュアン政権は深南部の状況を好転はさせてなくても悪化はさせていない、しかしタクシン政権は深南部を悪化させたという論は納得できます。現在のテロ頻繁状況に国外からの外部要因がある、ないという論は誰もまだ証明できません、例えあったとしても深南部の大衆ムスリム内部に少なからずのシンパ層が存在しない限り、これだけの襲撃と爆弾行為連続発生は無理ですね。

襲撃や爆弾の実行犯を生み出すことに直接寄与したわけではないが、深南部ムスリムムコミュニティーの中にシンパ層を醸造させてしまった点がタクシンの失政であるともいえるのかな。

この一連の不安定さにマレーシア政府は懸念感を当然表明し、国境の警備を強化しています。しかしあくまでもタイ国内のことであり、その原因や対処策を直接コメントすることは内政不干渉の原則から避けています。

所詮誰も今後の確実な見通しはできないだろう

現状と大まかな背景は上記のようですが、深い原因追求とはっきりした見通しはこのコラムで語れません。タイ深南部に精通したジャーナリストのいない西欧や日本の外国マスコミも上で説明した理由から、その報道論調に一定の留保感をもって読むべきですね。

タイの隣国であるマレーシアのマスコミはどうだろうか? マレーシアの新聞やテレビでタイに記者を常駐させているところはないはずだ(Bernamaについては知らない)。隣国にさえ特派員を置かないので通常はほとんど外電報道に頼っている。タイ語を操れるジャーナリストがいるのだろうか、その可能性はきわめて低い。マレー人を中心としたマレーシア人記者は、今回のような大事件の際マレー語の通じる深南部での取材は直接できるという利点があるので、西欧向けの視点でない記事が期待できます。しかし普段からタイ社会に通じているジャーナリストはまずいないか、ものすごく少ないだろうから、その解説にはこれまた一定の留保感が必要でしょう。

コラム第178回と第227回 「タイ深南部のあるタイムスリム漁村の風景を撮る」で描写した、パッタニー県の奥深いムスリム地方ともいえる、あのムスリム漁村を訪ねてみたい。深南部のいろんな場所では日の出から日の入りまでの外出禁止令が出されているそうだが、私が訪ねるといつも話し込む大衆食堂の親父や黙々と魚網を巻いている物言わぬ漁民らはこんな状況下どうしているのだろうか。

タイ史に残る4月28日の大事件

このコラムをほぼ書き終わる頃の4月28日に、深南部でこれまでにない規模で事件が発生しました。深南部3県で合わせて10数箇所の警察または軍事施設を数百人のグループが一斉に襲ったとのことです。しかし襲撃を事前に察していた軍警察側に犯人グループは圧倒され、銃撃されて死んだ者の数は実に108人を数えました。半日にも満たない間に射殺された者が100人を超えるというその数に驚きます、そして死者のほとんどが20才前後のタイムスリムだと報道されています。

襲ったムスリム青年グループで銃を所持していたものはごく少なく、せいぜい大小の刀が主体であった、この日起った事件の中でパッタニー市に近いよく知られた古いモスク (私も大体の場所は知っています)にこもったグループは軍警察に全員射殺された、などという強烈な事実報告が報道されています。タイムスリム界の指導層クラスの声が外電とし載っています、「この事件は確実にムスリムの感情に影響を与えます。ムスリムはタイ当局に対してよい意識を持ちません、この混乱状況は続くでしょう。」

この事件は傍観者的だったタイムスリム内の多数派にとっても恐らく十年以上は消えない傷となることでしょう。南フィリピンのミンダナオ島及びその小島では数十年前から少数派のムスリム陣営が軍事組織を擁して、中央フィリピン政府に対峙してゲリラ戦を含めて衝突を繰り返しました。さらに組織が割れ混戦した状況が続きましたね。いくつかの小島からなり中央の力が弱い南フィリピンとはタイ深南部はまったく違うので、こんなフィリピンのような状況にはまずならないでしょう。誰が政府を握ろうとタイ深南部の問題が解決されるなんてことはありえませんが、それでも圧倒的軍事力と政治力で抑える現タイ政府と軍警察の統治スタイルは、事態の小康化にも月日がかかることでしょう。

この100人を超える射殺者が出た事件のすぐ後、タイ深南部に非合法に存在するといわれている分離主義を掲げた武闘ムスリムグループが、そのインターネットサイトにメッセージを掲げたとの報道もされています:いわく、タイを訪れる外国人に向けてタイ深南部だけでなくプーケット、パンガー、クラビなどその近辺の県に足を踏み入れると安全を保証しないと。
この種のメッセージがどの程度の信憑性があるのか知りませんが、タイ南部にも不安定要素を広げようという狙いなのでしょう。今後どう展開して行くか私には当然わかりませんし、確実な予測のできる人はタイ当局、タイマスコミも含めてまずいないのではないでしょうか。



利用者第一を忘れたプドゥラヤバスターミナルの移転計画


クアラルンプールのPudu Rayaバスターミナルはクアラルンプール最大のバスターミナルです、さらに1日に扱う乗客数及び中長距離バス台数でいけば今なおマレーシアで最も忙しいバスターミナルであり、他を寄せ付けません。Pudu Rayaのバス発着場は、支柱で支えたビルの地下部分(完全な地下ではなく道路からもその様子が見える)にごちゃごちゃと押し込められており、切符販売ブース兼待合所兼ショップ街が1階、その上階がトイレ、Outstation タクシー乗り場などという多層式ですから、全部のフロアを合わせれば国内最大かもしれません。

他都市の大バスターミナルを評価する

しかしバス発着場の広さの面からいえば、恐らくジョーホールバルのLarkinバスターミナルが国内最大でしょうし、ターミナルビル自体もゆったりしている、2番目以下は判断が難しいが、スレンバンのTerminal Oneバスターミナル、いやクアンタンの中央バスターミナルかな(名前は忘れました)、そして3番目がPudu Raya、いやアロースターのShahab Perdanバスターミナルかな。LarkinバスターミナルとShahab Perdanバスターミナの2つはオープン式つまり乗り場だけに簡易屋根がついた屋外式のバス発着場であり、それに隣接して切符販売ブースなどの入居したターミナルビルがある形式です。このオープン式のバスターミナルが可能になったのは、それぞれ旧バスターミナルがあった市の中心部を離れて郊外に移転し新規に建設したからでしょう。確かこの2つのバスターミナルは築まだ5年から10年といったところでしょう。(Larkinバスターミナルについてはいつ完成したかをよく知りません)

Larkinバスターミナルはシンガポール間とのバスも含めて全種類のバスが発着する総合バスターミナルなので、乗換えは便利であり、ターミナルビルもゆったりとしており、その2階はバザール場です。しかもバスターミナルに隣接した建物内には伝統的市場もあります。Larkinバスターミナルは、その位置が郊外ではあっても決して交通不便な場所ではありませんし、バス乗客だけに限らない人々が集まってくる場所だと言えます。ジョーホールバルは大きな市ですから市中心部の交通混雑を避ける意味合いもあって、この場所を選んでLarkin バスターミナルを建設したのでしょう。

スレンバンのTerminal Oneバスターミナルは、建物の吹き抜け式地上階がバス発着場となっています。その建物が市内中心部のビルということもあって、発着場のスペースが狭く、且つ中長距離バスだけでなく近郊つまり州内各地向けバスもすべてここから発着しているため、結構混雑するバスターミナルです。反面近郊バスに簡単に乗換えられる便利さとバスターミナル自体が市内の中心部にあるため極めて便利という利点があります。隣接したビルはスレンバン最大のショッピングセンターでもあります。スレンバンが州都でありながら中規模の市であり、且つ行楽客が押し寄せるような市ではないことなどから、市の中心部でこのようなバスターミナルを維持できるわけです。尚現在他の場所に新にバスターミナルを建設する計画が進んでいるそうです。

アロースターのShahab Perdanバスターミナルは商業面でも交通面でもあまりにぎやかでない郊外の開発地に建設されたため、ターミナルの回りにたくさんの空間があり且つバスの発着数もそれほど多くはないので、実にゆったりとした感覚のバスターミナルです。中長距離バスと州内近郊バスつまり全種類のバスの発着ターミナルとなっていますので乗換えなどは便利ですが、いかんせん市内中心部から車でゆうに20分以上離れた郊外にあり、近くにホテルもショッピングセンターも全くありません(安宿はあるかも)。他に良い面をしいてあげるならば、高速道路へのアクセスは早いとは言えますね。

ジョーホール州のような大きな市では中心部にバスターミナルがあれば交通混雑は倍化されます、郊外型のバスターミナルはこの意味で交通渋滞軽減という長所があります、しかしターミナルとの行き来に時間がかかるという短所もあります。尚Larkinは郊外にあってもターミナルだけがぽつんとあるようなバスターミナルではないので、総合的判断から言いますと、国内で最も優れたバスターミナルといえるでしょう。

アロースターのShahab Perdanはゆったりしていいターミナルですがちょっと郊外にありすぎますね。アロースター自体が巨大な市ではないので、乗客の便を考えてもう少し中心部に近づいた場所にあってもそれほど交通渋滞を悪化させることにはならないはずです。

スレンバンのTerminal Oneバスターミナルはたいへん使いやすく便利なバスターミナルで、バスターミナルとしては二重丸です。ただしこれと同じことをクアラルンプール、ジョージタウン、ジョーホールバルに期待しても、その交通渋滞のひどさと中心部にゆったりした場所がもうほとんどない(開発すればあるでしょうが予算が巨大になりすぎる)ことから不可能ですね。Terminal One はスレンバンだから可能なバスターミナルだと言えます。

追記:5月15日の新聞で、マラッカに新バスターミナル" Melaka Sentral " が完成し、これが国内最大になるとのニュースを読みました。そこで5月終わり頃" Melaka Sentral "を調べに行ってきたところ、このバスターミナルが最大で最新で且つ最も優れたバスターミナルであると確信しました。詳しくは、「マラッカ州の観光」の中の該当ページに載せました。


プドゥラヤ移転の掛け声は以前からかまびすしい

そこで話しはプドゥラヤに戻ります。このバスターミナルの移転問題はもう何年も前から公的にも言及されています。私の知るだけで当局から2桁回数の移転発言を伝える報道がありました。移転候補地としてStarline高架電車と Komuter電車が交差する Bandar Tasik Selatan駅付近、及び Putraline 高架電車のGombak駅付近 などという報道が以前あっったのですが、いつしかそれは立ち消えとなりました。依然としてその移転は成就していません。その理由をあげれば:

これだけあります。

愚かなジャランドゥタバスターミナルへの移転命令

2003年には移転候補地として、JalanDutaバスターミナルとの決定が下されいくつかの報道がありました。

2003年5月21日の記事再録
商業車免許認定庁は中長距離バス会社11社に対して、現行のPuduRayaバスターミナルからJalanDutaバスターミナルにそれぞれのバス発着場所を移転させるように先に指示していましたが、それがなされていないので、バス会社(複数)に対して、移転しない理由を2週間以内に述べなさいと命令を出しました。それぞれのバス会社は納得できる移転拒否理由を明示しない限り、バス運営免許を取り消すと、庁は警告しています。「5月17日が移転の期限であったが、ほとんどのバス会社はJalanDutaバスターミナルに移転しようとしていない。」 と商業車免許認定庁の議長は語る。
商業車免許認定庁は、バス会社11社に対してPuduRayaバスターミナルからJalanDutaバスターミナルに発着を移すように命令したのは、PuduRayaの混雑緩和とPuduRayaの改修工事を開始するためであるとしています。移転は暫定的なものであるから心配しないようにとも述べています。「商業車免許認定庁はクアラルンプール市内に中長距離バス発着する適当な場所を探しているところです。」


しかしこの決定は幸いにも実りませんでした。「幸いにも」と書いたのは、JalanDutaバスターミナルへ大多数のバス便を移すというのは、乗客の都合を無視した愚かな決定だからです。バス会社は、それ以前に一部路線を移していたTransnasional を除いて、結局1社足りともJalanDutaバスターミナルには移りませんでした。バス会社が拒否したのはまさに当然のことであり、あの不便なJalanDutaバスターミナルへ行きたい乗客などまずいませんからね。国内バス会社最大のTransnasional社は2002年4月頃にケダー州・ペナン州・ペルリス州間とクアラルンプールを結ぶ北部路線をすべてJalanDutaバスターミナルに移しました。しかしその後しばらくしてから、いつかははっきり知りませんが、ケダー州とペルリス州路線のみになり、1度移転したペナン路線などはまたPuduRayaバスターミナルに戻りました。いうまでもなくJalanDutaバスターミナルの不便さを嫌って乗客の反応がよくなかったからでしょう。とはいうものの全部を戻すわけにはいきませんからね。

PuduRayaバスターミナルとJalanDutaバスターミナルの間を結んでいた乗り合いバスの運行は当初からものすごいいいかげんな運行をしており、これがいつしかなくなってしまいました。こうしてあの不便なJalanDutaバスターミナルへの足はほぼタクシーしかないということになりました。Jalan Dutaバスターミナルへ行くタクシーはまずメーターを使わないので結局高い運賃となります。Jalan Dutaバスターミナルは低所得者中心のバス利用者に極めて使いにくい。
監督官庁はPudu Rayaの混雑改善という名目だけでなく、低所得者層主体のバス乗客のことを最大限に考えなければならないのに、バス発着を移した後の対策と監視がまことにいい加減な例です。

利用者重視の姿勢が欠けたプドゥラヤ移転の必要論

そもそもPuduRayaはなぜ移転しなければならないのか。それはPudu Rayaのある一帯がクアラルンプールでも有数の道路渋滞地域であり、しかも道路自体を拡張する余裕はまったくありません。高架にでもするなら別ですが、しかし市内中心部の交通を相当止めて高架の工事は極めて高価につき且つ大渋滞を巻き起こすので不可能に近いことです。

Pudu Rayaのビルが現状の乗客数とバス扱い台数を想定していない規模の古いビルであり、且つプラットフォームも、大型化した現代のバスには狭すぎる、地下構造のため排気が悪く照明が不十分で暗い、などと負の面がもう十年以上言われ続けています。それは事実です、狭く暗く排気ガスの充満で健康にもよくありません。
それでもPudu Rayaは生き延びて今なおクアラルンプール最大のバスターミナルとして使われています。それはひとえに乗客にとってあらゆる面で便利だからです。これに関しては2003年のコラム第346回 「ペナン州にはなぜちゃんとした中長距離バスターミナルがないのだろう」 で詳しく説明しましたので、ご覧ください。

利用者にとってバスターミナルはまず便利でなければなりません。これが一番大切です。これを軽視した当局の決定・指令はバス乗客に不便を強いることになります。その典型がJalanDutaバスターミナルへの移転決定です。JalanDutaバスターミナルは屋外式なので排気ガスの心配はまずない、回りの道路渋滞も比較的少なく高速道路にアクセスしやすい、という長所面があっても、それは乗客の好む第一の理由にも第2の理由にもなりません。

新規に建設されたパサラヤット

このことをよく理解していただいてから、一番新しいバスターミナル移転の件に入ります。
それがPasarakyatバスターミナルです。Pasarakyat というスーパーマケットが入居し屋台式食堂と小さな店もテナント入居した単層構造の建物を中心にした場所がPASARAKYAT と名づけられています。Pasarakyat の建物内は冷房することが最初から想定されていません。PASARAKYATは2002年ごろにオープンし、当初はいつ行っても人の少ないがらんとしたマーケットでした。徐々に客が増えたものの、それでもスーパーマーケットという面を見れば、市内の他スーパーには客数でも品揃えでもとても適いません。建物の対面にある広場に中華料理中心の吹き抜け屋台センターができ、2004年になって客が増えてきたようです。

いつのまにかパサラヤットがプドゥラヤの移転候補になった

さてこのPASARAKYATの敷地の一角つまり建物に隣接した空き地をバスターミナルにするという話しは、すでに2003年の中頃から報道されていました。「なんでそんな場所に」、というのがそのニュースを知った私の第1印象です。当初のバスターミナル開設目標は単なる予定であり、この空き地がバス発着場として使えるように舗装されプラットフォームのある付近だけに屋根が設けられて、一応の形が整ったのはそのずっと後のことであり、当時私は数ヶ月間マレーシアにを留守にしていたので正確な完成時期は知りませんが、12月末に訪れた時点では完成していました。そして今年1月にPasarakyat建物内部及び外側に掲げられていたお知らせでは、中国正月の終った2月初めからバスターミナルの稼動を開始するとなっていました。PuduRayaから南部方面行きの中長距離バスが全部移転してくる、掲示された張り紙とお知らせにはっきりとそう書かれていました。

これ以後私はPasarakyatバスターミナルの変化をこまめに追いました。そのころゲストブックに書いたのを一部再録しますと:

問題はこのPASARAKYATが中長距離バスターミナルに向いているかです。バスの主たる利用者は自家用車でやって来るような層ではなく、自前の自動車などを持たない、持てない低所得層、学生、ごく一部の自由旅行者です。

PASARAKYATバスターミナルの最大の課題はいかに乗り継ぎのための公共交通便を便利にするかです、次いで待合室を早急に作る必要があります。現状では雨の場合は確実に乗客や待合客が濡れます。ビル式Pudu Rayaにその恐れはありません。


移転のお知らせだけがむなしく響く

そこで2月9日にまたこの(予定)Pasarakyatバスターミナルを訪れて、ホームページに次ぎのように書きました:

(予定)と書き加えたのは、依然としてターミナルになる予定のままだからです。バス切符売り場はまだ工事中であり、屋外発着場には中長距離バスは1台たりともなく、全く発着していません。この調子ではいつオープンするのか、とんとわかりませんが、スーパーのある建物内には ”オープンする” と言明したお知らせが出ています。
このバスターミナルと市内を結ぶ連絡バスになるはずの、Intrakotaバスの6B はいつのまにかこの地で発着することを止めていました。バスターミナルがオープンしてないので無駄だと判断されたのでしょう。
その替わりといっていいのかどうか、44番バスが運行しているとのお知らせが出ています。Taman Maluri- Pasarakyat-StarHill- Sultan Ismail-Pertama Komleks というルートです。ただし気長に気長にバスを待つ必要がありますね。


以後2月、3月、4月と何回も私はPasarakyatバスターミナルを訪れて、開始の兆しを確かめました。尚単語”バスターミナル”と通称をここでも使いますが、ターミナル用の建物が建てられているわけではありません。上記で説明した空き地をバス発着場用に変換して、切符販売所をスーパーマーケットのある建物内に設けただけです。

3月終わり頃には”4月1日オープン” と大きくお知らせが掲げてありましたが、結局その日はGenting Highland行きのバスを除き、全くバスの影はありませんでした。がらんとした切符販売所にわずか数人だけいた係り員の1人が、「5日からオープンする」 と言い訳をしました。
その時発着場に停車していたバスはGenting Highland行きバス、Konsortiumバス会社のKamunting行きのみ。そしてTransnasionalバスの切符販売員によれば、ジョーホールバルとシンガポール行きの一部バスが発着するとのことです。
あとの数十のバス会社はPuduRayaからまだ移転していませんし、いつ移転してくるかもわかりません。大手のTransnasional とKonsortiumでさえ、わずか1路線バスを移転させたのみです。

スーパーのある建物内の2階(マレーシア式では1階になる)には、主だったバス会社の切符販売カウンターようのブースだけができあがっています。しかし4月12日現在切符販売係員がいるバス会社は3社のみでした。建物内の1階はスーパーマーケット、2階が各バス会社の切符販売所です。階段しかない2階にバス切符販売所を設けるのは全国でも極めて珍しい、身障者などにきわめて不親切な設計ですね。

要するに、大多数のバス会社とそのバス便はまだ態度を決定してない段階です。どれくらいのスピードでバス会社がPasarakyatバスターミナルに移転してくるかみものというところです。それともあくまでPudu Rayaに残るバス会社とバス便もあるかもしれません。現実問題として、Pudu Rayaの全南部便バスが一気にPasarakyatバスターミナルに移転してもさばききれないのは目に見えています。乗客の足となる市内バス便をどう解決するかも大きな問題です。さらにPasarakyatバスターミナルにはバス乗客用待合所がほとんどないのです。屋台店はあっても無料ではないし、バス発着場の回りに空き地と空き場所は多いが、雨と太陽を防げませんから。


バス利用者の都合よりPasarakyat運営会社の論理優先

以上のように進展を追って来た私の観測は正しかったのです。結局5月始めになっても発着場で見かけるバス会社はGenting Highland行きだけで他社は1社も増えていません。移転したくないバス会社のわがまま? まあないとはいえないこともこともないでしょうが、大事なことは、大多数のバス乗客にとってこのPasarakyatバスターミナルは便利なのかという点です。この場所にバスターミナルを作ることを市当局と商業自動車免許授与庁に働きかけたPasarakyatの運営会社は、単に会社としてのビジネス面だけを重視しており、乗客の身になって考えていない ことは明らかです。

Pasarakyatバスターミナルは市内バスの便がほとんどない、仮に今後新に運行されるとしても1、2便程度であり、バス乗客のほとんどはセントラルマーケットあたりのバス便集中地区で乗換えなくてはならないことになるはずです。なぜなら無理にバス便を1本か2本このPASARAKYATを経由させても、この地はクアラルンプールの数あるバスルートから完全に外れた地点だからです。さらに現在クアラルンプール市内を通って運行されている電車網がPASARAKYATの地をまったく通ってないことです。Putraline, Starline, Komuter  はPASARAKYATの地からはるかに離れています。KLMonorail だけがブキットビンタンとImbi通りを走行しているので、モノレール駅だけはまあ歩ける範囲にあるといえます。

よりによって、市内バスの便がほとんどなく且つ電車網からほとんどまたは全く外れた地点になぜバスターミナルをわざわざ作ったのでしょうか?むしろ作ったというより無理やりにPudu Rayaバスターミナルから南部方面行きバスの全移転を目論んでいるといえますね。バス乗客の都合を第一に考えない、バス会社の意向を無視した移転計画といっても間違いではないでしょう。それはほとんど全部のバス会社が便を移してきていないという事実が如述に物語っていますね。

注:PASARAKYATの”バスターミナルオープン”を知らせるパンフレットには、Transnasional、Plusliner などの大手を含めた40社ほどバス会社の名前が載せてあります。発着場の写真にはバスの写真を ”入れ込んで”オープンしたかのように見せかけています。私をそれを見てすぐ”捏造”がわかりました。

担当当局がどの程度真剣にバス移転を指令したのか現時点でははっきりしませんが、今後バス会社の南部方面便移転はどのように進んで行くのだろうか? または進んでいかないのだろうか? 2月初めの公式オープン宣言以来3ヶ月たってもその見通しは立たないという、おかしな且つ予想されたバスターミナル部分移転計画ですね。この種の移転話しは、自分ではバス利用しない、したことのない、利用者のことを第一に考えられない、そういう人間たちが打ち出しているとしか思えません。

5月5日にPASARAKYATを訪れた時も、状況は4月と全く変わっていません。発着場にはGenting Highland行きバスだけであり、2階の切符販売ブースに係り員のいるバス会社は4社のみ、しかも切符購買者は一人も見かけませんでした、つまり2階の切符販売所フロアーには私一人だけでした。2、3のバス会社はPuduRaya発の切符を販売しますので、切符販売ブースの係りはごくたまにやってくるわずかばかりの客に販売するのでしょう。

PASARAKYATの案内カウンターで責任者らしき男性に尋ねれば、「6月1日オープン」との返事が返ってきました。しかし建物内のお知らせは”4月1日オープン”となったままです。あーあ、全てがこの調子です。利用者に不便を強いるぐらいなら、むしろプドゥラヤバスターミナルの移転はすべきではないと思いますね。



日本の常識はマレーシアなど東南アジアの常識ではない −トイレ、ゴキブリ・鼠・蚊編−


日本の常識は東南アジアの常識ではない、という例は数ありますね。手近な例を一つあげれば、バスや電車の中で携帯電話を使わないでください、などというマナー要請は絶対にマレーシアでは通用しないでしょう。だからPutraline高架電車の車中には、”男女がいちゃつかないように” というイラストが掲示されていても、車中で携帯電話を自粛しようなどという提案はまったく起きません。

そこで今回、日常生活と自由旅の範疇で最も卑近で避けて通れない事を取り上げます。

トイレは有料が多い

マレーシアに限らずほとんどの東南アジアの国では、一般不特定多数向けのトイレは有料が一般的です。以下注記しない限りマレーシアを念頭に置いて書きます。

トイレが有料である場所:ショッピングセンター、バスターミナル、交通機間の駅、市場、広場や街路や公園など公共の場所、複合(混合)ビルの一般訪問者向け階にあるトイレ、長距離バスが立ち寄る民間の食事休憩所

例外(つまり無料):KLCCのSuria、Midvalley のようなハイクラスのショッピングセンターのトイレ、高架電車PutralineやKLモノレールやマレー鉄道の改札を済ませた構内にある駅トイレ、尚長距離バスが立ち寄る民間の食事休憩所の中には無料トイレの所もある。

料金:1回大体20セントから高くて40セントで、表示してあります。この使用料は入り口にいるトイレ番の人に支払うので、1リンギット程度の場合はおつりもくれる、しかし5リンギット以上の札はまず受けつけない。ティッシュペーパーを売っている場合が多い。トイレ番がいないような時間帯にはトイレルーム自体に鍵がかかっている場合が多い。

有料である理由:トイレ掃除するだけでなく、トイレ荒らしや汚しを防ぐ名目です。確かにトイレ番として誰もいないとただでさえ汚しやすい使い方をする人が多いので、もっと汚れたり、さらに荒れることでしょう。ですから有料も致し方ないと言えます。尚トイレ番は外国人労働者の確率が相当高い。

トイレが無料の場所:レストラン、大衆食堂、ホテルの一般ロビー、シネマ内、一般的オフィス専用ビル、政府官庁の建物、高速道路の休憩所、、さらに国の誇る2大施設のKLIA空港とKLSentral駅、その他の空港内。一般的オフィス専用ビルの場合、その階のテナント専用として、テナントにトイレルームの鍵を配っている所もあります。

有料無料に関わらずトイレの特徴

トイレットペーパー:トイレットペーパーが準備してあるようなトイレは、有料無料に関わらず例外中の例外です(例えばKLIA空港など)。尚東南アジアの伝統的なトイレ使用法は、排便後に水洗しても拭かない、つまりトイレットペーパーを使わないというものですが、現代ではトイレットペーパーやティッシュが普及したので、そういう人はマレーシアではごく少なくなっているはずです。

便器のタイプ:二分別すれば、個室の床に直接穴の開いたタイプと、いわゆる西洋式つまり腰掛けるタイプに分けられる。個室の床に直接穴の開いたタイプの場合、穴の形にひょうたん形、楕円形 がある。通常は閉めた扉方向に顔をむけてしゃがむ(しかし、そうしなければならないという規則はないので、お好きなようにとも言えますな)。

便器の便座:腰掛けるタイプの場合、KLIAやハイクラスショッピングセンターなど高級でよく手入れされている場所のトイレを除いて、有料であろうと無料であろうと、便座がない場合がよくある。または最初から便座そのものが取りつけてないトイレも珍しくない。例え便座があっても部分的に壊れかけていたり、ものすごく汚い場合が珍しくない。
そういう時はどうするかって? マレーシア人に見習って便座の上にしゃがむか、腰を浮かして用を足す事になるでしょう。便座が汚れる、壊れるのはこの原因が多いと推定されます。日本から使い捨て便座カバーを持参するというような手間暇かけなくても、人の真似をすればいいのです。

個室内にある蛇口またはホースまたはバケツに貯めた水:それらは手動式ウオッシュレットに用いると理解してください。ホースの先が時々便器の中に入った状態になっていることに出会います。前に使った人が乱暴だからですが、そうでなくてもこういうホース自体や蛇口自体はあまり衛生的でないと思っておくべきで、感染症に気をつけましょう(水道水そのものは問題ない)。バケツに入った水は、蛇口などが壊れているか、水道の水力が弱いためであり、汚物を流す目的兼手動式ウオッシュレットの目的もある。

注:ホースまたはバケツに貯めた水をどのように使えば手動式ウオッシュレットになるか? 説明にはばかりがありますのでここでは省略します。ただ慣れないと難しいですよ、とりわけ腰掛ける式のタイプでは慣れていても失敗しがちです、その証拠にマレーシア人の使うトイレでも便座や床がよく濡れている。東南アジア旅行に情熱をお持ちの方は是非練習を兼ねる目的で試して下さい。ヒント:水は後ろからかけたほうが安全です。

個室の扉:場末のトイレや汚い大衆食堂のトイレの扉はきちんと閉まらない場合がよくあります。閉めたらチャンと閉まっているか確認が要です。

個室の水洗装置: タンク式、フラッシュ式の水洗装置がついていても壊れている場合が時々ありますので、そういう場合水を貯めたバケツが置いてあります。

トイレの照明と換気:高級な場所の有料トイレを除いて、照明と換気に期待してはいけません。暗くて空気がこもり暑いというのが常識です。おまけにハエや蚊が寄ってくることもあります。

落書き:もちろん落書きは珍しくありませんが、ひどいというほどでもない。何が描かれているか暇な方は研究して下さい(笑)。

余談:インドネシアなどだと個室内にちり籠が置いてある所がある。この籠はお尻を拭いた紙を捨てるための籠です、こういう場合は便器内に捨てないことになっている。ただしマレーシアでこの方式を見掛けることは全くありません。

トイレの手洗い場:水の出ない蛇口があったり、水力がたいへん弱い蛇口にであうのは珍しくない。床がべたべたに濡れている、鏡が壊れているなど、場末になればなるほど荒れてくる。カバンの置き場がないほど床が濡れている場合もあるので、その時はトイレ番に預かってもらいましょう。いうまでもなくカバンにお金と貴重品は絶対に入れない、これはどこを旅しようとどこに泊まろうと鉄則です。

ハエ、蚊、ゴキブリ、鼠、ダニと付き合う

ゴキブリを別にして、現代日本で今でも飲食店や大衆レストランや食堂、安ホテル、さらに一般家庭でこれらの虫類と鼠に簡単にお目にかかることができるかについて、確信を持って言うにはちょっと知識不足ですが(長年日本を離れているため)、まずないだろうということを前提にします。

日本で、野山でなくても蚊はいるでしょうが、日常的に1年中蚊に刺されるようなことはないでしょうし、鼠は都会のレストランや食堂で深夜に徘徊はしていても日中客の目の前に堂々と現れるようなことはまれでしょう。筆者の子供時代、ハエなど至るところにいたので、ハエ取り紙があちこちにぶら下げてありました。しかし21世紀の日本でそういうものが存在するとはまず考えられません。ダニ、カーペットに居つく家ダニは日本でも珍しくないそうですが、ここで話題にするダニは安宿、安旅社のベッドなどで欲しくもないのに”もらう”ダニです。

ハエ:ハエは都会の店では飛び回っていてもごく少ないですが、ゴミ収集のいいかげんな郊外、高級感のない新興発展地区、古い下町の裏通り、田舎や漁村、そういった場所にある食堂や屋台で腰掛けていると、ハエがごく普通に寄ってきます。そういった場所では時々ハエを手で追い払いながら食事休憩するのもそれほど珍しいことであはりません。といってもハエが群がるというほどひどい飲食場所はマレーシアではまずありませんから、目障りだなあという程度でしょう。

蚊:これは野山に限らずもうどこにでいつでもいますね。都会の真中のアパートであろうと田舎であろうと、海岸のリゾートであろうと24時間出現します。都会の真中でも蚊が発生するのはゴミで詰った溝に滞る水、雨水の溜まった空き缶、植木の水、貯水タンク、エアコンの水貯め、バケツ、などなどちょっとした水の溜まった場所にボウフラが湧くからです。好都合の温度と湿気で蚊は非常に湧きやすいようで、そのため蚊を媒介にしたデング熱の発生も毎年数万件を数えます。田舎へ行けばいたるところに小川、池、水貯めなどがあるので蚊など当然の存在ですね。ですから殺虫スプレーと蚊取り線香はどこでも容易に購入できます。

ゴキブリ:これも場所を選ばずどこでも出てくるタイプの虫ですね。日中はほとんど出てきませんが、深夜はたいへん元気です(早寝族の私は太刀打ちできません、笑)。ゴキブリはハエ、蚊よりはるかにタフで防虫スプレーなどあまり効かないので、ほんと厄介者ですね。ゴキブリは安宿、安旅社にはつきものの虫です。生ゴミの発生しない我が家では全く”養殖”していないのに勝手に我が家に入り込んで来ますし、棲みかを選びませんので、大衆食堂の壁や屋台街の道路をよくちょろちょろと這い回っています。はっきりいって私はゴキブリが大嫌いです!、しかし私のようにしょちゅう安宿に泊まる者には、”降伏”とあきらめの境地が必要なのです。

余談:安宿に泊まり深夜トイレに起きてバスルームの電燈を点けると、ゴキブリが1、2匹床などにいることが実に多い。ふてぶてしい奴らで逃げようともせず、じっとこちらを見つめている。深夜ゴキブリを追いまわしても疲れるだけなので、無視して用を済ませそくさとベッドに戻ります。「泣く子とゴキブリには勝てません」


鼠:これは多いですよ。ほんとよく見かけます。もちろん高級なコンドミニアムのようなところはでまずいないでしょうが、低層の建物、飲食業の店、食品小売り店、下町の溝などに居ついています。ですから大衆食堂で食事しながらふと溝を見やると、鼠が顔を覗かせているとか、早朝下町や市場を歩いていると、車に轢かれた鼠の死骸や鼠取りに捕まった鼠を目にします。屋台や路上で商売し飲食する習慣のマレーシア人ですから、鼠にとって餌には全然こまりません。まあ安宿の部屋にまで入ってくることはまずないですが、絶対無いとまでも言えません。私は安宿の部屋の机上に置いておいた、口を開けた袋のお菓子をネズミに食われた経験があります。これがほんとの”鼠にチュー意”しましょうですね。

余談:今年のことです、マレーシアではないですがタイでエコノミーな汚いホテルに泊まって朝起きてみたら、鼠が部屋に入り込んで走り回るので、早々とチェックアウトしました。「腹が立つ 鼠に追われ チェックアウト」


ダニ:ダニを文献の拡大写真で見たことはあっても実物を虫眼鏡で見たことはないのですが、ダニに食われた経験は多分10回近くあります。マレーシアで食われたのは数回だけです。ダニは普通見てもそこにいるかどうかなどわかりませんし気がつきませんから、数時間後に痒い痒いとなって、あそこにダニがいたと気がつくわけです、ですからハエや蚊と違ってその場で防ぎようがありません。

通常ダニに食われるのは安宿安旅社のベッドの場合が多いでしょう、その他バスの座席、汚いナイトクラブの座席などにもいるかもしれませんね。ダニで何が一番厄介かというと、その痒さです、蚊やノミの痒さよりはるかに痒く始末に終えません。七転八倒のかゆみといえます。どうやって防ぐか、身体中全体に防虫スプレーでも拭きかければ効果あるかもしれませんが、安宿に泊まる度にそんなことはやってられません。防虫スプレーってダニに効果あるのでしょうかね? 

安宿、安旅社に泊まらなければまずダニには食われないでしょう。しかし東南アジアを節約旅行する人は好むと好まざるに関わらず、こういう場所にも泊まることになるので、運が悪ければダニに食われることも覚悟はしておかねばなりませんね。

というわけで、嫌われものの虫類とネズミは、マレーシアを含めて東南アジアではまだまだ、というか当然のごとく身の回りにやって来るのです。



日本の常識はマレーシアの常識ではない −お冷、一方通行路、理髪店編−


大衆飲食店・レストランのお冷は無料ではない

大衆食堂、それほど高級ではないレストラン、屋台、屋台式食堂、伝統的コーヒーショップ、こういった店店では、グラスに注いだ水は無料ではありません。注文できる飲み物で一番安いのは氷入りの水か白湯です、さらに屋台は別にしてほとんどどんな店でもミネラルボトルも注文できます。中華大衆食堂でもお茶はもちろん有料ですよ。

でこういう店の氷水や白湯は衛生的なのだろうか?という疑問をお持ちの方がよくいらっしゃいますね。衛生的といえば衛生的、不衛生といえば不衛生でしょう。所詮、大衆食堂、それほど高級ではないレストラン、屋台、屋台式食堂などで食事する限り、料理を作っている人たち、料理を運んでくる人たち、洗い物している人たちの衛生意識を受け入れることになります。ある料理だけものすごく衛生的に料理し、お冷用のグラスだけをものすごく丁寧に洗うなどということは全くありえません。グラスに入れる氷をきれいに水洗いするなんてことはないし、がんがんと沸騰させた湯だけを白湯に用いるなんてこともほとんど期待できません。適当に湧かせた湯を薄めるのに水道の水を注いでいる店もあるのですよ。

まあ多くの地元人がそれを飲んでいることだし、気にせず飲めばいいのです。といって無理に衛生的だと思い込む必要はないですよ、こんなものさと思えばいいのです。要は気にしないこと。マレーシア人だって気にする人はいますが、それに一々こだわる人はごくごく少数派ですね。どうしてもそういう気持ちに慣れない人は、常にミネラルボトルだけを注文し、ボトルから直接飲むことですね。

一方通行は一方通行にあらず

一方通行とはとういう意味でしょうか?道路交通で車両類は決められた一方向だけに通行しなさい、という万国共通の意味兼規則ですよね。一方通行をマレーシアでは”Jalan Sehala” と表記し、一方通行の交通標識にはほとんど全て矢印と共にこう表示されています。”Jalan”は通りのことだから、”Sehala(スハラ) 通り” だなんて理解しないように。この程度のマレーシア語は覚えましょう。

こんな子供でもわかる明白な交通標識を無視して、決められた方向とは反対方向にバイクを走らす、バイク乗りが非常に多いのです。非常にと形容したので、この状況をご存知ない方は、バイク乗り10人中2、3人が一方通行を無視するのだろうと思われるのかもしれませんが、いやいや、従がうのが2、3人で無視するのが10人中7、8人なのです。

田舎の農家が続く村道や、日中でも人や車の往来がぐっと少ない、都市部にある寂れた新興開発地区の通りでの話しではありません。もっとも村道に一方通行道路などまずありえません。クアラルンプールのような都会の往来の激しい立派な道路、そしてそういう道路に交差するまたは平行する路地、こういった道路や路地にはしばしば一方通行が設定されています。マレーシアの道路交通規制は、たくさんの一方通行路を設けるのが特徴です。交通渋滞を減らしスムースな走行のためということで、一方通行道路を増やしており、郊外、商業地区、新興開発地区、など至るところに設定されています。クアラルンプールの中心部にも長短の一方通行路がたくさんありますよ。観光客にも馴染みの深い主要通りをちょっとあげれば Jalan Bukit Bintang, Jalan Raja Chulan, Jalan Pinang などです。

この一方通行の多いことは、反面一部のドライバーに面倒さを強いることにもなります。十字路で交差する道路が一方通行のため、右折すれば100メートルほど先に目的の建物がある、しかし一方通行のため左折し数百メートルほど走行して、Uターン指定所でUターンし、そしてまた1キロメートル以上走行して再度Uターンして目的に建物にたどり着くとなる、または交差点を左折せずに直進し時計回りに右折を重ねて先ほどの道路に入り、目的の建物にたどり着く、などとなりますね。

こういう一方通行路のある交差点に臨んだ時、つまり右折すれば百メートル先に目的の建物があるような時、バイクはこの一方通行道路を逆走行するのです。しかもこの一通道路の右側をスピードを落として逆走するのが普通です。右側ですから時に歩行者が歩いています。本来は車の来るはずのない後ろからいきなりバイクが歩行者を抜いて行くのです。この一方通行道路にもし歩道があれば多くのバイクはこの歩道を車の流れと反対方向に走ります。歩行者としてはまったくたまったものではありませんが、バイク乗りはこの走行法を既得権のように捉えていますので、なんら悪びれた態度も且つ歩行者に警告する事もなく、当然のごとく歩道上を走りまたは一方通行路を逆走行します。

既得権と書きましたように、この行為を警察は全くといっていいほど取り締まりません。交通警官がその付近にいてもバイク乗りは歩道走行や一方通行の逆走をします。だから既得権と私は呼ぶのです。上で例に上げたのは、一方通行道路だが逆走行すれば百メートルほど先に目的の建物がある、といった例ですが、もちろんこれは一例であり、多種多様な状況で一方通行路のバイク逆走行がなされています。三叉路で交差点に臨んだ時、車線間に緩衝地帯があって向こう側の車線に直接入れないので、数十メートルほど手前の車線を逆送し、緩衝帯が切れている場所で違法横断して向こう側の車線に入る、なんてのもよく見かけます。

傍若無人なバイク乗りはさらに次ぎのような手段を用います。十字路交差点のある車線を走行していて、交差点で自車線に向けた前方信号が赤となれば、車は停車しますね。しかしバイク乗りの中にはこの赤信号停車を嫌って、交差点で急に左折しすぐまた違法Uターンして交差点に戻ります(交差する最初の車線が赤ですからこの車線の信号は青になってますね)、そしてその交差点で左折して最初の車線に戻りそのまま走って行く、つまり交差点の信号で止まらず結果としてノンストップで走行してしまうのです。

もちろん赤信号の交差点に臨んだ時、左右車線を通行する車がごく少なければまたはなければ、10台中半分くらいのバイクは信号無視ですね。尚交通警官が交差点にいれば、これらの無法バイクも赤信号無視だけは控えます。交通量が相当激しい道路でも信号無視するバイクは珍しくありませんが、交通量が少なくなればなるほど、またはラッシュ時を外れれば外れるほど赤信号無視のバイクは増えます。

こうして一方通行路は一方通行としての権威がありません。歩行者は道路横断する時、どんな道路でも必ず左右をよく確認してからにしましょう。一方通行道路や歩道を歩くときは、常に後ろからバイクがくるかもしれないことを頭に置いておきましょう。

華人理髪店は理髪よりも水商売が中心

マレーシアの理容店・美容室は、男性用の理髪店(室)と男女の客を対象にしたユニセックス美容室(店)ともっぱら女性専用の美容室と、大雑把に分ければ3種類あります。男性用理容室は伝統的インド人バーバーと、マレー人理容室と、華人理容師でかためた華人経営の理容室(店)に分かれます。この華人理容師でかためた理容室は、理容の傍らカラオケとバーの機能を持たせています。つまり水商売兼理容という商売形態です。

注:理髪室、理髪店、理髪中心、理髪廰、理容室、理髪院、理髪廊、などと表記は数種類ありますが、内容は全くいっしょで、単なる表記の違いだけです。ここでは分別上説明的に”華人”理髪室などと書きますが、華人という単語が店名につくことはありません。


カラオケと理髪がどう共存するか、不思議に思う方がいらっしゃることでしょう。簡単にいえば、理容椅子のある部屋またはコーナーの隣部屋にカラオケ機器を置いてカラオケします、またはひどいところは理容椅子と同じ部屋にカラオケ機器やカウンターを設けています。この場合は明らかに、理容より水商売主体ということですね。カラオケには当然ビールなどがつきものですから、ある人が髪を切っている後ろのカウンターではビール飲んでる人がおり、隣の部屋ではカラオケを歌っている人がいるのです。

私の知る限り、今やクアラルンプールの華人地区にある多くの華人理容室はカラオケ兼ビールカウンター主体になっているのではないでしょうか。もちろんあの光ながらくるくる回る蛍光灯サインはちゃんと設置してあり、店名に何々理髪室(店)と書かれてはいますが、理髪は単なる名目化しているかのような感じです。この種の理髪店は一般に女性だけの理容師の店が多く、よく”何々女子理髪室” などと店名がついています。純粋な理髪だけの理髪室では男性理容師がほとんどのようですが、ビールカウンターやカラオケのあるまたはカラオケ主体の理髪室ではどうしても女性理髪師がほとんどを占めますね。つまり理髪室の水商売化です。典型的な例では、店名に ”何々カラオケ女子理髪院” などと付けています。

女性理容師としても、理髪の場合1人当り平均して二十数リンギットの料金、店の取り分を引かれれば理容師の手元に入るのは大したことありません。この種の理髪店では理容師は一般に水揚げ式ですから、客がつかなければ金は入らない。そこで店にやって来た、ビール飲み客の相手したり、カラオケ歌いの相手をすれば、いわばホステス職として客1人当りから得る間接直接の収入は多くなります。

別に水商売主体の華人理容室があって悪いことはありませんが、理髪主体の理髪店が減ってしまったようでちょっと残念です。なぜなら私は理容室に理髪に行くのであり、カラオケやビールに興味はないからです。

さてなぜ華人理髪室がこのようにカラオケバー化したのでしょうか? 現在の若い華人層はほとんどこういう理髪室に行きません、多くはユニセックスで髪を切る、染めるか、またはより安いインド人バーバーへ行くようです。これは華人女性理髪室の客層を見ていれば明らかで、客の圧倒的多数が中年世代の華人男性です。泥臭い下町の世界ですから、会話は華語と広東語主体であり、英語など使いません。

客の中にマレー人やインド人を多くはありませんが案外見かけます、この理由はインド人バーバーやマレー理髪店では味わえない雰囲気だからでしょう。尚こういう時は理髪師と客の間の会話はコミュニケーション上マレーシア語の会話になります。でも彼らがカラオケをしているのには出会ったことは私はありません。いうまでもなく、女性や子供はまったくと言って言いほどこの種の理髪室に来ません。よって華人女性理容師だけのような理髪室は客層が固定しており、新規客が増える可能性がごく少ない。

こういう状況下で店として売上を確保し、理容師としても一定の収入を確保する方策として、次第に理髪室のカラオケバー化が進んだと私はみています。なにせ華人はこの種のバーが好きですからね。本格的水商売としてビジネスを開始する、運営するにはビジネス免許の条件が厳しいし、店自体の改造も必要なので多少まとまった資本投資が必要です。一方理髪室をちょっと改造してカラオケ機器を置き、ビールを供給すれば、たちまちカラオケバー兼理髪室となります。ホステス役は女性理髪師がそのまま兼任しますから、理髪師が集まればまず問題ない。尚こういう女性理髪師を求める求人広告は華語新聞の求人欄に一杯載っています。

この種の理髪室で従事する女性理容師に、若い女性をあまり見かけません。20代後半から30代さらには40代といった感じです。ユニセックスの若い男女の理容師とはイメージから随分違います。彼女たちは今や理髪だけでなく半水商売的に稼ぐスタイルに慣れているのでしょう。というより、この種の華人理髪店ではずっと以前から、ビール飲みやマッサージサービスなどが提供されていました。以前こういった理容室をよく利用していた頃、理髪しその理容師から(別料金の)マッサージを受けて帰っていく客をごく普通に見かけましたし、時々私もそうしていました。こういったビジネススタイルは華人理容業の特徴なのでしょう。ベトナムには台湾のスタイルが入ってきた理髪室があることを以前ベトナム通いをしていた頃、ホーチミンシティーで知りました。さらにタイでは、マッサージ込み理容室が昔からありますね。

このように、”何々女子理髪室”という看板と色付きのくるくる回るランプが点灯していても、日本の理容店とは相当趣が違うのです。下手なカラオケを聞かされながら、または傍らのカウンターで酔っ払いがお喋りしてる中で理髪してみますか?(笑)



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