「今週のマレーシア」 2004年6月と7月のトピックス

・マレーロマンス小説の存在をご存知ですか  ・数字で見たマレーシア、 その21
マレーシア人の名前に親しみましょう  −マレー人編−   ・国民型タミール語小学校につい
マレーシア人の名前に親しみましょう -インド人編及びサバ州のブミプトラ編-
シンガポール映画の刺激を活かしてマレーシア華語映画の製作を願う
格安航空 AirAsia の自由座席制で乗客に愛が芽生えるだろうか?



マレーロマンス小説の存在をご存知ですか


マレーシア語で書かれた若いマレー人女性向けのロマンス小説というのがあります。その表紙に描かれたイラストから、真偽は知りませんが英語圏で人気あると言われている、ロマンス小説ハーレークイーンシリーズを連想させます。マレー人の往来の多い屋内の場所などで、この小説の販売キャンペーンをしているのにたまに出会います。その場に並んでいるのを見ると、ざっと100タイトル以上ありますので、結構頻繁に出版されているのだなと思っていました。

ただこのロマンス小説はショッピングセンター内などの一般書店にはあまり並んでいませんし、全く置いてない書店も珍しくありません。マレー人を主対象とした本屋へ行かないとなかなか目に入らないでしょう。ですからこのマレーロマンス小説の存在を知らない人も多いことでしょう。

注:クアラルンプールのKLCCにある Kinokuniya 書店のマレーシア語書籍コーナーには、マレーロマンス小説が比較的多く並べてあります。


話す言語と読む言語の選択の違い

一般にマレーシア人は日常話す言語において、自分の母語や自民族語以外にコミュニケーションとして他言語を使うことがよくあります、とりわけ非マレー人の場合そういえます。(もちろんこれはその人の職業、住む地域、交際関係などによって大きな違いがでてきます) しかし読む言語においては、民族別嗜好というか言語の壁というか利用言語が相当程度固定しています。ですから、自分が通常読む時に使う言語以外の言語で書かれた書籍にほとんど興味を抱かないマレーシア人は極めて多い、といっても間違いではないでしょう。

注:母語と母国語は似て非なるものであり、この2つが同一言語である人もいれば違う人もいる。母語と母国語を混同しないようにしましょう。

10代後半、20代、30代のマレーシア人であれば小中学校でマレーシア語を充分に習い且つマレーシア語で授業を受けてきた世代ですので、かなり高度に使えるからなんとか使えるという大きな個人差はもちろんあっても、マレーシア語の新聞に軽く目を通すぐらいはほとんど誰でもできるはずです。しかし一般大衆の範囲で、マレーシア語新聞を自分から買って読むとか、定期的に読んでいるような非マレー人にはまずお目にかかれません。いちばん安く且つ簡単に手に入るマレーシア語新聞でさえこの程度ですから、大多数の非マレー人にとってマレーシア語の書籍・雑誌となればはるかに縁の遠い存在です。

非マレー人の10代学生が本屋などでマレーシア語の書籍などを探していたり手にしていますが、それは学校の参考図書であったり課題書であったりするのがほとんどでしょう。さらに同じ非マレー人男子学生でマレーコミックを読む子は珍しくないそうです。これは人気マンガ雑誌という範疇に限られるのでしょう。

こうした学校時代のマレーシア語書籍との付き合いを終えた後、果たしてどれくらいの非マレー人がマレーシア語書籍・雑誌・新聞に日頃目を通しているかと推定すれば、仕事でそうせざるをえないような人たちを除いて、定期的にまたはいつも目を通すような人はごく珍しいと思います。この種の調査結果を見たことがないので私は推測するしか手はありませんが、そもそもこの種の調査は行われたことがあるのだろうか。

マレーシア語書籍が半数を占める国際書籍展示会

5月後半、クアラルンプールのPWTCで、2004年国際書籍展示会が開かれているというニュースを知ったので、私は早速出かけました。そこで、マレーロマンス小説の存在を知っていた私は、それが並べてあるブースをまず探しました。この国際書籍展示会は毎年開催されているようで、私は2年前にも訪れたことがあるので、ある程度様子は覚えていました。國際と名がついていますが、マレーシア語出版物が中心だと言えるでしょう、さらに英語輸入書籍もたくさんあり、マレーシア語書籍中心の階とは別階に展示されていました。いわば2部構成のような形の展示会です。ただ人の混雑具合を見れば明らかに人気はマレーシア語書籍中心の階にあります。

若いマレー人女性に人気があるというマレーロマンス小説シリーズの中で、恐らく最大手だと思われるのが、Creative Enterprise 会社出版のNovel Creative と題されたシリーズかな。社名をひっかけた”創作小説”という意味ですね。この出版会社のカタログをもらって初めて知って驚いたのですが、有名なマレーコミックス雑誌”GilaGila”を発行している出版社なのです。ブースにいたその社の展示説明兼販売係りの女性に、その社のロマンス小説のタイトル数は大体どれくらいあるのかと尋ねたのですが、なんと尋ねた2人とも知らない。このあたりがいつもながら感じるのですが、自分の職関連知識に欠けるマレーシア人が珍しくないところです。自分が勤める会社の主たる発行書籍の大体のタイトル数ぐらい知っておくべきですね。日本の巨大出版社と違ってこじんまりとした出版業のマレーシアですから、Creative Enterprise 会社もせいぜい数種類の書籍・雑誌しか発行してないからです。

少なくとも数百種は出版されているマレーロマンス小説

そこでもらった同社の書籍カタログで数えてみると、200タイトル近くあります。書籍価格はページ数の薄い物でRM10ぐらい、厚いものでRM35ぐらいまで数段階あります。ブースの棚に並んでいるロマンス小説を眺めている、手にとっているのは若いマレー女性だけですし、この傾向はこの展示会だけでなく相当なる確率でどの書店でも同じでしょう。非・マレー女性が購買するとはまず思えません(絶対にないというつもりはない)。同様にマレー男性がこのマレーロマンス小説を買うことはごく少ないでしょう、しかしマレー男性がこれを読まないかどうかはわかりません。なぜならガールフレンドが買って持っていた本を読むとか、家族が持っている本を読むとかの可能性は考えられますから。尚書き手は全員マレーシア人で創作であるとの返事でした。つまり書き下ろし小説ですね。

このNovel Creative のライバルとおぼわしきロマンス小説が Alaf 21(dua puluh satu)社のロマンス小説シリーズでしょう。この社の展示ブースにもたくさんの小説が棚に並べてありました。残念ながらカタログが置いてありませんでしたので、どれぐらいのタイトル数があるかはわかりませんが、ざっと見たところ100タイトルはありました。小説本の体裁・外見はCreative社のそれとよく似ています。もう1社マレーロマンス小説を出版している出版社がありました。

残念ながら私はこのマレーロマンス小説を読んだことがありませんので、内容の批評は一切できません。正直言って、マレー人ヤング女性向きの恋愛小説にほとんど興味がないし、それを辞書引き引き読む気が湧いてこないのです。当サイトの読者で、マレーシア語を専門にするような方で且つロマンス小説を読んでみようという方がいらっしゃれば、内容の批評、紹介を是非していただきたいと願っています。

Creative Enterprise 社のカタログから抜書き

巻頭ページで次ぎの小説が強調紹介されています。
Novel Creative で最も発行部数が多い小説は WARISAN、 Novel Creative の2003年優秀小説は Selamat Tinggal Sayang , Sentuhan Kasih, Cenderawasih, Cemburu Seorang Perempuan, Dah Kata Daaa!  。 Novel Creative の最も人気ある書き手 5名: Norhayati Berahim, Fatinilam Sari Ahamd, Nazifah Halim, Siti Rozilah, Salina Ibrahim 。残りは省略

同じ巻頭ページではこの社の発行人が前書きを書いています。その中でマレーロマンス小説Novel Creativeの出版にともなってその派生品が生まれたとして、Remaja Creative (子供向け劇画風小説)、Laman Hati (青年向け小説)、 Siri Tadika (小学校進学前の幼児向け)などのシリーズの誕生と発行に触れています。青年向け小説(マレーシア語でNovel remaja と書かれている)のリストは60タイトルほどあり、価格は全てRM10未満ですね。

マレーシア語書籍出版の傾向を再確認

この書籍展では、私のこれまで抱いていたマレーシア語書籍出版界の傾向を改めて確認しました。
書籍分類で分けると、幼稚園段階の学習書籍も含めて小中学校生徒向けの学習書籍、参考書籍が3分の1ぐらいも占めると言えます。これは相当高い比率といえるでしょう。
次いで多いのが、広い意味でのイスラム教関係の書籍です。クルアーン(コーラン)の学習書籍、ムスリムのあり方を述べているであろうと推測される書籍、イスラム教の講義書、ジャウイ(アラビア文字でマレー語を綴ったもの)やアラビア語の辞書でしょう。海外出版のアラビア語書籍も並べてあります、一般書でなくイスラム教関係に特化したものだと思われる。

マレー人は学校でアラビア語も学習するのでアラビア語の学習書籍・参考書も各種並んでいます。ただ、ある一つの外国言語としてアラビア語を学習するという方法ではなく、ムスリムのあるべき知識としてアラビア語を学ぶ過程でイスラム教も学ぶという方法が取られている。そのため非ムスリムにとっては向いてない言語学習法ですね。幼児向けのアラビア語兼イスラム教学習コンピュータも展示してありますが、これもムスリム対象の学習機材であり、もし使うとしても非ムスリムには使いにくいのは間違いないでしょう。

注:この学習法がいいとか悪いとかではなく、非ムスリム向きに考案されていないということです。つまりマレーシアの学校でのアラビア語の学習者はほぼ全員がムスリムであることを示唆している。日本ではアラビア語は多くはないが教えられていますよね、私もずっと昔かじったことがあります。少なくとも私の知る限り非イスラム圏ではこういう学習法は取らないはずです。


そして残りが一般マレーシア語書籍となります。その内訳は、マレーロマンス小説、女性雑誌、若者向け雑誌、ファッション雑誌、料理雑誌、コミック誌など雑誌類が多い。さらにマレーシアの政治や経済を解説したり評した単行本、大学生や専門知識を求める向きであろう入門的な専門書、マレー料理単行本が目につきます。マレーシア語辞書はポケット版・小型辞書を入れて10種ぐらいというところです。広い意味での実用書類は選択がぐっと少なくなります。例えば旅行関連書籍はまこと種類がなく、これだけで各国事情をざっと知るのは不可能に近い。さらに安価で手軽な書籍の代表である日本でいう新書はほとんど存在しない。文庫形式は存在してもごく種類少ないといっても間違いではないでしょう。

こういう面をあらためて確認すると、マレーシア語書籍はある分野に偏在している状況がよくわかります。
この2004年国際書籍展示会に並べれた書籍がマレーシア語出版の全てではないことを、私はもちろん知っています。学術書的な書籍は見たところ並べなかったようですし、出展してない主要出版社も当然あるはずです。しかしこの展示会に並べられているマレーシア語書籍は、どんな書店のマレーシア語書籍棚をも、種類と数の両面で数十倍の豊富さで凌駕します。よってマレーシア語書籍の一般的な傾向は充分示していたと思います。



数字で見たマレーシア、 その21


これまで断続的に掲載してきた数字で見たシリーズです。マレーシアに関する様々な統計数字を掲載しています。ここでは、数字を視点にしてマレーシアの諸面を知ってください。

最新の人口統計から

統計庁が今年3月発表したデータによれば、マレーシアの人口は2563万人です。マレー人の数は1300万人に達しました。
民族マレー人非マレー・ブミプトラ華人インド人その他民族
比率54.16%10.92%25.63%7.56%1.73% 100%

この種の統計が明らかになると必ずあるのが、華人界の諸方面指導層からの華人人口比率下落を愁う言葉で、華語新聞は最近もこれを伝えていました。確かに華語人口比率は毎年0.1%強ぐらいの率で下がっています。40年ぐらい前国民の3人に1人は華人でした、現在4人に1人で、数十年後には5人に1人なるのは確実です。なぜならブミプトラ家庭の平均子供数は華人家庭の平均子供数をはるかに上回っており、且つこの傾向が続くのは確実だからです。

好調なマレーシア経済

マレーシア経済は好調です。2004年第一四半期の経済成長率は7.6%を記録しました。これはこの3年間で最高の四半期伸び率です。2003年1年間の経済成長率は5.3%でした。
四半期毎2003年第1第2第3第42004年第1
実質国内総生産の伸び率4.6%4.6%5.3%6.6%7.6%


公立病院と診療所


保健省管轄下
の病院
診療所 州の病院
小児科あり
群の病院
小児科あり
新生児
小児科
小児科
専門医
訓練終了済みの
新生児用保健員
124院4000所14院23院24院570人約1万人

現在、出産時死亡率は、1000人の新生児中6.1人です。

政府系大企業リスト

政府の持ち株会社で投資機関であるKhazanah Nasional Berhad が、クアラルンプール株式取引所(KLSE)に上場している各企業において保有する株比率の表です。つまりその上場企業においてどれほど政府の所有率が高いかを示します。主要10社のみ表示。

企業名 Tenaga Nasional
(電力会社)
Telekom Malaysia Plus Expressways
(南北高速道路)
UEM World
(建設)
Time dotCom
(通信事業)
持ち株比率34.6%34%67%48.7%75%
その市場価値RM98億92億86億24億18億
経済省 / EPF17% / 11.8%20.5% / 14%    / 9.6%

企業名 Astro All Asia
(衛星テレビ)
Proton
(自動車製造)
Commerce Asset
(銀行)
UEM Builders
(建設)
Malaysia Airport
Holdings
持ち株比率21% 34%13%44%23%
その市場価値RM18億14億14億5億4億
経済省 / EPF
      / 10%7.8% / 18%    / 6%

Khazanah Nasional Berhadは政府の意向を反映して、上場企業だけでなく非上場企業にも投資しています。Khazanahの重役会は9人から構成され、その議長はアブドゥラ首相であり、その他第2経済大臣、中央銀行総裁らが占めます。
経済省 / EPF の欄の意味は、Khazanah Nasional Berhad とは別に 経済省 またはEPF(被雇用者福祉基金)が株所有している割合です。
こうして表を見てみると、Telekomは政府及び政府系の所有が軽く過半数を超えていますね。

2004年マレーシア音楽産業賞の発表

賞名 年間ベスト
アルバム
年間ベスト曲 ベスト男性
ボーカル
ベスト女性
ボーカル
ベスト加工
アルバム
ベストポップ
アルバム
歌手
グループ
Siti Nurhaliza
Ning Baizura
Reshmonu
Siti Nurhaliza
Reshmonu
Siti Nurhaliza

アルバム

EMAS
Selagi Ada
Cinta

Monumental

EMAS

Monumental

EMAS
賞名 ベスト新人
英語アーチスト
ベスト新人
アーチスト
ベスト英語
アルバム
ベスト民族
アルバム
ベストナシッド
アルバム
ベストポップ
ロックアルバム
歌手
グループ
Reshmonu
Ezlynn

Too Phat
S.M.Salim

Raihan

Exists

アルバム

Monumental
Ehmmm
360度
Sekarang Dah
Jadi

Gema Alam

Seperti Dulu
賞名 ベスト音楽
ビデオ
ベストアルバム
カバー

ベストインド
ネシアアルバム
ベスト音楽
アレンジ曲

歌手
グループ
Pete Teo
Pete Teo


Gigi
Siti Nurhaliza


アルバム
Arms of
Marianne
Rusting Living
for Urbanites

Salam kedelapan Bukan Cinta
Biasa



衛星テレビ契約者数
Astro衛星テレビ網は5月から、その視聴契約料金を値上げします。Astroの契約者は1月現在で139万人でした。

情報技術IT産業の現況

情報技術分野での調査会社IDCMalaysia が公表した、マレーシアのIT産業の統計数字です
2002年はこの10年で最悪のスランプ年であった、マレーシア市場は3.1%減少して総額RM81億でした。しかし2003年は穏やかに増加してRM94億に伸びました。2003年のPC市場はIT産業全体の32%を占め、前年よりやや伸びました。ノートパソコンを含めたPCの出荷台数は84万台でした。プリンター市場の2003年出荷台数は674000台でした。
2003年PC とプリンターの出荷台数番付
PC1位2位3位4位5位
メーカーHewlette Packard DellAcerMIMOSIBM
市場占有率14%12%9%7%6%
プリンター




メーカーCanon Hewlette PackardEpson

市場占有率42%22%18%


参考:Appleコンピューターの占有率は約2%です。Mimos は純マレーシア企業です。

パーム油の生産と輸出でインドネシアがマレーシアを追っている

パーム油でそれぞれの世界市場に占める割合

2000年2001年2002年2003年

生産量輸出量生産量輸出量生産量輸出量生産量輸出量
マレーシア49%60%49%60%47%56%49%57%
インドネシア32%27%33%28%36%33%36%32%

パーム油の生産と輸出の両分野で、この2カ国で世界の8割から9割近くも占めるという、寡占状態ですね。マレーシアの専門機間の予測によれば、あと5年もすればインドネシアはマレーシアを追い抜きにかかるであろうと。しかしマレーシアのいくつかの大プランテーション会社、上場企業でもある、はすでにインドネシアに農園を有しているとのことです。パーム油産業で競争力を持ちつづけるには、インドネシアに進出しておかなければならないということだそうです。それは新規拡大できるプランテーション農園の容易さから、パーム油生産ではインドネシアは世界最大になる潜在力を持っているからです。

マレーシア華語紙の状況

半島部の華語紙の発行状況
新聞名星洲日報南洋商報中国報光明日報東方日報光華日報合計
発行部数34.2万15.2万20.5万13万8.1万6.9万約98万
市場占有率35%16%21%13%7%6%

注:調査会社Nielsen の調査した数字に基づく。実売部数はこの数字をある程度下回ると思われます。

南洋商報と中国報の発行会社(新聞社)を同一の親会社が所有しており、2001年5月にこの会社が、華人与党政党 MCA の所有する会社に買収されてその配下にはいった。中国報はちょっとセンセーショナルな報道と娯楽報道の多い大衆紙という体裁です。
光明日報は星州日報の姉妹紙であり、大衆娯楽紙という位置付けです。
東方日報は、2003年1月1日創刊の一番新しい新聞で、他社とは幾分違った報道スタイルを打ち出しています、もちろんマレーシアという枠組の中でです。編集者、記者に、南洋商報や星洲日報を退社して参加した編集者、記者が多いようです。
光華日報はペナンを発行兼基盤とする唯一の新聞です、マレーシアの華語紙の中で最古の歴史を誇るそうです。

サバ州とサラワク州にはその州内だけで発行されている華語地方紙が数あります。その内唯一この両州にまたがって発行しているのが、詩華日報 だそうです。この新聞も半島部では発行されていません。半島部基盤の華語紙では、星州日報がサバ州・サラワク州に進出しているようです。

盗難車の保険申請が増加

2003年に発生した盗難車の件で、一般保険会社に保険申請があった盗難車数が19600台ほどになります、その内7300台が民間の自動車とのこと。保険申請額はRM5億6千万になり、これは前年比19%の増加です。盗難車のブランドで最大はProton Wira 1092台, Toyota Unser 802台, Produa Kancil 484台, Proton Waja 478台, などです。

2輪バイクの保険申請数は昨年減少して、11142台でした。昨年の盗難車の傾向はToyota Unserが7倍にも増えたことです。
以上の数字は、一般保険協会発表のものです。

殺人統計
国会で質疑応答の際警察庁から提出されたものによれば、1994年から2003年までの10年間で発生した殺人事件数は、5245件でした。その内未解決の事件数は2312件です

KLIA空港とクアラルンプールを結ぶ空港電車の乗客数が増加している

1日の平均乗車人数

2002年4月開通2003年2004年3月まで
Ekspres3927人4649人4947人
Transit(各駅停車)894人2652人4118人


国立大学への入学を認められた者の統計

2004年度の国立大学への入学者を決めた選定結果が発表されました。STPM試験受験者とマトリキュレーション修了者の合わせて86000人弱が国立14大学に入学を志願した中で、84%がその時点で入学基準点を満たしており、その中から38892人に入学を認めました。
国立大学入学者数の変化

2004年2003年2002年
ブミプトラ24837人6.8%23182人62.6%22557人68.9%
華人11778人30.3%11921人32.2%8665人26.4%
インド人2277人5.9%1931人5.2%1530人4.7%
合計38892人100%37034人100%32752人100%

注:ブミプトラとはマレー人及び先住民族のことです。(厳密な定義は省く)

入学基準点で最高グループに属するのは1774人で、その半数が医学部を申請しました。しかし医学部の枠は779人しかないので、申請者の14%は医学部への入学を認められませんでした。学生は申請時点で、8つの学部・大学への申請ができます。大学入学に関する機間の幹部に寄れば、理数科6 対 文科系4の枠はほぼ達成したとのことです。全国の国立大学における医薬系の枠は医学部が779人、歯学部が209人、薬学部が270人です。


ブミプトラ華人インド人合計
STPM試験で上位成績者1人503人23人527人
マトリキュレーション優良成績者789人419人39人1247人

中学校6年の前期後期課程(約2年間)を修了して受けるのが、STPM試験です。マトリキュレーション(約1年間)出身者は、STPM試験を受けません。この違った教育系列をいっしょのカゴに入れて、国立大学入学者を選考します。つまり入学申請者は大学入学のために新に試験を受ける仕組みではありません。上表でブミプトラはマトリキューレーション優良成績者では圧倒的に多いのですが、STPM試験ではほとんど皆無だというのが特徴ですね。これはマトリキュレーション自体にブミプトラが圧倒的に多数派であり、20000人ほどの内、非ブミプトラは約1割しか占めていないそうです。尚結果としての総入学者比は、大体 ブミプトラ6 対 非ブミプトラ4 になっています。

落雷大国マレーシア

マレーシアは世界でインドネシアに次いで落雷の多い国で、年間平均265日落雷の日があります。気象庁によれば、この数十年ほどの観測から言えるのは、スンゴール州スバン地区が国内で一番落雷の日が多い、平均して213日あります。全体的にいえば半島部西海岸が落雷がより多い。
落雷がある日の年平均
都市アロースターペナンジョーホール州スナイコタバルクアンタンクチンコタキナバル
回数164回193回190回113回148回178回125回




マレーシア人の名前に親しみましょう  −マレー人編−


マレーシア人の名前については、もう何年も前のコラム第117回 「マレーシア人の姓名の付け方と表記法」 −98年11月12月掲載− で詳しく書きましたね。ご覧になるには目次を開いて進んでください。

マレー人の命名法

まずごく簡単に名前の仕組みを復習をしておきましょう。ただし、ごく一部の例外的命名法はここでは触れません。
マレー人の場合は、 男性: 個人の名 + bin + 父親の名前、 女性: 個人の名 + binti + 父親の名前 となります。表記上省略が必要なまたは省略したい場合は、bin の省略形が” b ”で、 binti の省略形が” bt ”となります。

例:Abdul Hanif bin Zainuddin という人の場合はZainuddin が父親名で、Ahmad Sofie bin Mohamad Salleh という人の場合はMohamad Salleh が父親名です。Noraidah bt Ishak という女性は自分の名前(Noraidah)も1単語で父親の名前も1単語( Ishak) ですね。どちらも複数の単語からなる長い名前もあります。例:Mohd Noor Azlan bin Mohd Ishak 、これによって Mohd Noor Azlan さんは父親Mohd Ishak の息子 (bin) である、と名前が示しています。Sharifah Noor Fadilah binti Yusof さんは父親Yusof の娘(binti) であり個人名がSharifah Noor Fadilah となります。

子供に命名する時、娘であれば binti 、息子であれば bin を男女を示すはっきりした識別として間にはさみこみます。そしてbinti/ bin の後ろに父親名です、母親名ではありません。

注:以前得た情報では、マレーシアのイスラム法では、結婚登録してないムスリムカップルの子供は父親の名前を継ぐことはできない、この場合母親の名前を継ぐか、またはAbdullah という名を + の後に付ける、とのことです。

個人の名は1単語または2単語または3単語からなります。ごく少ない4単語の例:Omar Dani Al Amin、さらに5単語以上があるのかないのかは知りませんが、あったとしてもまず見かけることはないでしょう。

[ 個人の名 + bin/binti  + 父親の名前 ] で決定した名前は登録上一生涯変わりません。日常使う上では binti / bin を表記しない人も全然珍しくありません。
もちろん通称として用いる形や呼び名は、その人の任意ですから、その人の成長とともに、または職業、結婚、地位などによって変わるのは不思議ではありません。上で例に出した、Mohd Noor Azlan bin Mohd Ishak さんを同僚や友人が通常フルネームで呼ぶことは考えられませんよね。

新聞公表された18才男女国民の名簿を資料とする

18才の国民に義務付けられて2004年から開始された、国家奉仕プログラムに選定されたにもかかわらず無断で参加しなかった者の名簿を、6月10日に政府が公表しました。その未参加者8559名全員の名前と身分証明証番号が全国の各言語紙の合わせて7,8紙に載ったのです。内訳は、男子4668名、女子3891名で、ブミプトラが5499人を占め、華人が1000人、インド人とその他が365人です。

そこでふと気が付きました、この名簿は全国の18才児の名前が無作為に選択されているのと同じことなのです。つまりマレーシアの青年層の名前の傾向を知る有益な且つ興味深い資料になるのです。ということで、この名簿を利用してマレーシア人の名前を調べてみました。尚ここではマレー人に対象を絞ります。

女性の名に多い単語

Siti という単語が付く女性は多いですね、
Siti Aishah, Siti Aminah, Siti Asmah, Siti Farah Nadia, Siti Faizah, Siti Fatimah, Siti Hafsa, Siti Nora Syamsida, Siti Hajar, Siti Hasmah, Siti Lainah, Siti Norhaliza, Siti Norhayati, Siti Norina, Siti Rohana, Siti Rahayu, Siti Suhalina, Siti Sara, Siti Zaharah, Siti Zainab, Siti Zubaidah などなど、まだまだSiti 何々は続きます。

Nor という形も負けずに多いです、
Nor Ashikin, Nor Asima, Nor Azima, Nor Azian, Nor Azlan, Nor Asiah, Nor Aini, Nor Baizura, Nor Famizan, Nor Fateha, Nor Haslizawani, Nor Heziana, Nor Mila Karmela, Nor Safiah, Nor Shadah, Nor Zaridah などなど。
さらに
Noraini, Norakmaliza, Norbaizura, Norsidah, Norasikin, Noranura, Norasamah, Norazura, Norfidah, Norhayati, Nordayah, Norlida, Norshafriza, Normalini, Norliyana, Norsyohada, Norzila など、Nor が一体になった単語もたくさんあります。

Noor というのも多い、
Noor Aisha, Noor Azura, Noor Asyikin, Noor Azrin Sharini, Noor Cahya, Noor Fadhirawati, Noor Bakyah, Noor Faizah, Noor Hadijah, Noor Suhaida, Noor Siti Asimah, Noor Latifah, Noor Zerteh Sofia など。

Noorakma, Nooraznah, Noorazli, Nooraiza, Noorfarizan, Noorhafizah, Noorhasmah, Noorlida, Noorinda など、Noor が一体化した単語もあります。

Nur も多い単語です、
Nur Aishah, Nur Amirah, Nur Aqmar, Nur Asna Nisa, Nur Diyana, Nur Faraliyana, Nur Khairun Nisa' , Nur Hazirah, Nur Marlini, Nur Najwa, Nur Syuhada  など。
Nur と Siti を重ねた Nur Siti Asmah などという名前も見つけました。注意:Nur Rahim は男性名です。

注:Nur は光の意味です。Nor , Noor が大部なマレーシア語辞書にも載っていないので、Dewan Bahasa dan Pustaka を訪れてそこの司書に尋ねましたら、Nor , Noor はNur と同意味でその異体単語であるとの返答でした。


Nurul も女性名の組み合わせの中で用いられています、
Nurul Asma, Nurul Ain, Nurul Aishah, Nurul Hafizah, Nurul Huda, Nurul Fadzilah, Nurul Ima, Nurul Shuhada など

単独で女性名に使われる単語の例:
Anisah, Aslinda, Azreen, Farahidayu, Farhana, Fauziah, Hafizah, Halizawati, Haslinda, Hasmah, Haryatie, Hatikah, Hasni, Jamilah, Jumaliani, Marina, Masitah, Maslida, Maznah, Muraili, Naemah, Nidah, Rabiaah, Rafidah, Rahimah, Rogayah, Rohana, Rohazielah, Roslizayati, Rosmalisa, Rosmawati, Rosnita, Rosiah, Roziana, Ruzita, Salamsiah, Salbiah, Salfiya, Salina, Shafarina, Shareza, Sukarti, Suria, Surinati, Surini, Suzana, Suzi, Yusrina, Yuslinda, Yuzilah, Zainon, Zarinah, Zawiah, Zamsinar, Zanira, Zarmilah, Zubaidah, など。

もちろん女性名はここに紹介した以外にもいろいろありますが、大体の傾向は示せたことでしょう。

男性の名に多い単語

男性を示す単語で圧倒的に多いと思われるのが、Mohamadでしょう。この場合短縮形である Mohd という形での表記が多い。Mohamad bin Mokhtar みたいなMohamad 1単語だけの場合はごく少ないようです。通常はMohamad またはMohd の後ろに1つまたは2つの単語がつきます。
Mohamad またはMohd の後ろにつく第2単語を書き出します、全部はとても無理なので一部です、
Abdullah, Alkaff, Arif, Azizi, Azhar, Edzwan, Fairuz, Faizal, Faizul, Fiori, Fuad, Fitri, Haffizi, Hafiz, Hasnan, Isa, Rafiz, Ridzuan, Rosli, Sazali, Shahril, Sufinan, Zaidi, Zainal, Yuzulan, Ridhwan など。

Mohamad またはMohd の後ろにつく単語が2つある場合を書き出します、
Jarul Fazlin, Noor Azhar, Noor Azmy, Faizul Izwan, Kharoh Amri, Kairul Anur, Khirul Rizuan など。

Mohamad またはMohd によく似たMuhamad またはMuhamed という単語もよく見かけます。
Muhamad bin Ibrahim というように、Muhamad だけの名前よりもその後ろに単語が付くほうがずっと一般的のようです。それを書き出しますと、
Muhamad Amir, Muhamad Nizam, Muhamad Sykri, Muhamad Zahuri, Muhamad Ibrahim など。

Muhammad + 何々 もよくあります。その後ろに付く単語を書き出します、Muhammadの省略形はMuhd でしょうね、
Amiran, Daud, Faizal, Fathy, Hairy, Hishamuddin, Ilyas, Kamil, Paiza, Rofaizul, Roslan, Shahhir, Saiful Azzam, Yusry など。

Abudul + 何々 というのもたいへんよく見かけます、
Abudul Majid, Abudul Rahman, Abudul Razak, Abudul Sukor, Abudul Rahim, Abudul Samat, Abudul Shukur, Abudul Hanif, Abudul Hadi, Abudul Rashid,Abdul Wahab など。

Abudul といえばAbudullah現首相と同じ名前のAbudullah が浮かびますね、しかしAbudullah 自体それほどたくさん載っていません。Abudullah Basri のように第2単語を加えて名前を構成する例もわずかにありますが, Abudullah だけの場合が多いように思えます。

Abu + 何々という組み合わせは多くはないですがあります、
Abu Bakar, Abu Khuroihan, Abu Rahim, Abu Malek など。

Ahmad + 何々 というのも多い。それに続く第2単語を下記に示します、
Bakri, Ezuan, Fariz, Faizul, Farhan, Fitri, Izzul Nadzmi, Izzuddin, Jabrullah, Khalaf, Mawardi, Radzi, Reduan, Saifeul Azhar (2つの単語), Subari, Syukran, Syakirin, Zahari, Zufni, Zaki など。

単独で男性名に使われる単語の例:
Adunan, Amirul, Afif, Afizul, Ammar, Aflah, Aminullah, Anuar, Anwar, Asrul, Azizan, Azrol, Azlami, Azmie, Baslan, Hafis, Hafiz, Hamizi, Hassan, Hasmadi, Hishamuddin, Helmi, Huzairi, Ibrahim, Ihsan, Iskandar, Jamalludin, Kamaruddin, Khalid, Marzumi, Musa, Mazlizan, Nayan, Rais, Rafizal, Ramlee, Rafizan, Raziman, Roslan, Rosli, Roslee, Safiee, Saifuddin, Saidin, Shahizan, Shahrin, Shahrul, Sharil, Suffian, Suhaikimi, Suhaimi, Syaidinar, Wahab, Zalinani, Zuhaimi, Zuhaire, Zulhamzy, Zulham, Zulkifli, など。

男性名はここに紹介した以外にももちろんまだまだありますが、大体の傾向は示せたことでしょう。

名前の単語に比率高く混じるアラビア語起源の単語

マレーシア語はアラビア語から取り入れた、借用した単語が数多くあります。取り入れ、借用ですから発音や意味にずれが生じていても、それは言語一般の法則から、全く普通のことです。マレー人は即ムスリムですから、イスラム教においては神の言語であるアラビア語起源の単語を名前に使用してきました。ですからここで紹介している名前の単語にも多くのアラビア語起源の単語が混じっています。その比率がどれくらいかはわかりませんが、相当高いものと推定されます。

男性、女性の両方につく単語もある

Wan という単語は第2語以下が男性を示す単語が続く場合が多いようです、
Wan Azmi, Wan Azwa, Wan Ismail, Wan Kastri, Wan Khaorul Azwadi, Wan Lukman Hakim, Wan Mohd Shahriel, Wan Muhaimin, Wan Norshafuan, Wan Rosli など。
でも第2単語以下に女性を示す単語がついて女性の名前にもなります、
Wan Effanie, Wan Nor Asmy, Wan Norhasimah, Wan Nurmila など。

注:Wanという単語を辞書で調べると、1.祖母、2. 貴族的尊称という複数の意味が載っています。


Che という単語は男女どちらにも使われていますね。
女性の場合は第2単語が女性を示す単語になります、
Che Farizan, Che Hasnah, Che Mamaziana, Che Rohana, Che Rahima, Che Rohayu, Che Ruzana, Che Zarina など。
男性の場合は第2単語が男性を示す単語になりますね、
Che Mat, Che Hashim, Che Mohd Faizol, Che Sapian, Che Shukri, Che Rahim など。

Noorと Nor という単語も男女どちらにも使われています。
女性は上記で紹介しましたので男性の場合です、
Noor Azmi, Noor Azmil, Noor Affizi, Noor Aminal Yuzi, Noor Risdi, Noor Shahrul Azlan, Nor Azhar, Nor Azlan, Nor Famizan, Nor Hafizi, Nor Shah Rudy, Nor Aswad など。

Har**** という単語は、4文字目からの変化によって男女に入り乱れて使われています、
女性:Hardini, Harita, Harizah, Harita, Harriyatie, Haryati,
男性:Hariwan, Harman, Harris,

単語の語尾の違いが男女の区別

単語の語尾がわずかに違うことで男女の別を示している名前を対照します。
男性RosliJohariMawardiHaliziJamilFadilHamiziRahmatRosdi
女性RoslinaJohanaMawarHalizaJamilah/ JamiliaFadhilahHamidahRahmahRosdiana
男性SalimanZainudinAzizanShahizanSuhaimiRafizalRahimMazuan
女性salmiahZainonAzizahShahidahSuhailiRaffizahRahimaMazuin

この表は私が気が付いたものを書き出したものですから、まだまだあることでしょう。

マレー人の名前に親しむきっかけ

マレー人の名前を男女別にしてたくさん書き出してみましたから、みなさんの知り合いのマレー人の名前もこの中に多分あることでしょう。同一国内でも、自民族以外の他民族の名前には多少馴染みが落ちても不思議ではありません。ですから他国人の名前に馴染みがない、馴染みがぐっと落ちるのはどの国の民でも同じですね。ということで、このコラムをお読みになって、多少でもマレー人の名前に馴染み感を持っていただくきっかけにしていただければな、と思っています。



国民型タミール語小学校について


マレーシアの小学校には3種あることは、これまでにこの「今週のマレーシア」の教育に関するコラムで度々説明してきました:国民小学校 略称は SK またはSRK、国民型華文小学校 略称は SJK(C) 、国民型タミール語小学校 略称はSJK(T) です。略称はそれぞれマレーシア語名の頭文字をとったものです。

国民小学校 SRK/SK  と 国民型華文小学校 SJK(C) に関しては、これまでコラムで取り上げて触れましたが、国民型タミール語小学校に関しては、それだけを取り上げて書いたことはありませんでした。その理由は、国民型タミール語小学校は極めてインド人地区に偏在している、筆者の地区を含めて都市部ではあまり見かけない、タミール語にはまったく知識がない、インド人との付き合いが少ない、ということからです。

国民型タミール語小学校の現状を嘆く声が、それに関わるインド人自身の発言からもしばしば伝えられるように、現状は満足に程遠い状態にあるようです、例えばインド人与党政党MICのケダー州議長のことばを紹介します(6月28日付け Star紙の記事より)、

ケダー州の国民型タミール語小学校58校の半分近くにあたる25校は適切な用具と教育施設が揃っていない、とMICの州議長兼州評議会の評議員が述べました。この状況はこれまでにも数回州の当局にもたらされた何もなされていない。この州議長はケダー州の国民型タミール語小学校の中には水道やトイレがまともに揃ってないところもあるし、まともな教室がない、コンピューター室がないとこrもある、と明らかにしています、「これでは国民型タミール語小学校の生徒が学習で良い成績を修めることを期待し得ようか。ケダー州の国民型タミール語小学校はこの何年かで生徒数の増加はみているが、学校の施設は水準に達していない。」

これは国民型タミール語小学校の推進役でもあるMIC(マレーシア インド人会議)党幹部の発言です。教育省も国民型タミール語小学校は政府からの援助が緊要であることは認識していると、認めているそうです。

各小学校の違いを数字で比較

次ぎの表は以前にも掲載したことがありますが、”2003年教育統計”を華語新聞 星洲日報 がまとめて掲載したものを、筆者が多少増補・修正したものです。
全国の公立小学校の分析 (2003年1月末の時点)
小学校
の種類
校数生徒数(単位は万人)教師数(単位は千人) 学級
の数
教師対
生徒比
1校の
生徒数
1学級の
生徒数
総数総数
国民5655116.3110.2226.5528313572,51516.7400人31.2人
国民型
華文
128732.830.863.75263118,37920.3495人34.6人
国民型
タミール
5284.54.79.31.74.96.54,13714.3175人22.4人
特別280.10.10.20.20.30.62523.165人4.2人
合計7498153.8145.8299.75911417495,28317.2399人31.4人

注:四捨五入があるので各項目の計と合計がわずかに合わないことがあります。

現在全公立小学校の生徒数の76%が国民小学校に通い、21%が国民型華文小学校に通学しています。名称に”型”がつく、つかないは質的なといえるほど大きな違いです。国民小学校は政府の予算で全面的に設立運営されていますが、国民型小学校は、政府の完全補助が得られません。その一つの理由に、民有・私有地に存在する学校は政府からの全面援助は得られないと、教育法1996年に定めてあるそうです。民有・私有地に建つ学校は、学校運営の費用つまり教師の給料、生徒への食費補助、教科書貸与などの恩恵は得られても、学校施設を向上・改造、増築・増加などする費用は補助または提供されません、よってこの種の国民型小学校は、部分的援助学校と区分されています。国民型タミール語小学校は現在全国に532校あり(表では528校)、その内部分的援助学校が370校だそうです。

言語の面から国民小学校と国民型小学校の違いを比べて見ます。国民学校はマレーシア語で教育する学校であり、華文小学校とは華語を媒介語にして教育する小学校で、生徒の約95パーセントは華人です。タミール語小学校はタミール語を媒介語にして教育します、いうまでもなくほとんど生徒全員がインド人です。特別小学校とは、心身障害者のような子供向けの学校のはずです。
どの小学校の学習要項も教育省の定めた、KBSRというカリキュラムに沿っています。よって、教科書の記述言語が違っても学習内容の基本に違いはないはずです。

タミール語小学校は小型で生徒数が少ない

上表からおわかりのように、タミール語小学校は国人小学校と華語小学校に比べて、いかに小規模で生徒数が少なく且つ学級当りの生徒数も少ないことがわかりますね。タミール語小学校の生徒総数は10万人にも満たないのです。インド人の総人口比が8%弱に過ぎず、且つタミール人口はその4分の3割程度のところで、528校も全国にあるからです。つまり分散したインド人社会の需要に答えるためには、小型校がどうしても主流になるということです。タミール語小学校の大きな特徴として、多くがプランテーション農園内外にあることです。これはプランテーション農園労働者の多数派がインド人であるためにその子供たちが通える学校として、農園内外に建設された由来があります。

注:インド人は国内に偏在しており、インド人人口がごく少ない州が半分近くほどあります。そのためタミール語小学校が全くない州は、サバ州、トレンガヌ州、サラワク州で、わずか1校あるだけの州はペルリス州とクランタン州です(2州の生徒数合わせて150名ほど)。

このため私はタミール語小学校を実際に見る機会があまりありません。プランテーション農園内は私有地なので部外者は当然ながら入れません、農園外にある学校でも都市部から離れた郡部・郊外にあり、車の無い者にはとってたいへん探しにくいからです。バトゥ洞窟前にある小学校は数少ない都市型のタミール語小学校ですね。

タミール語小学校の沿革

タミール語小学校の起源は、19世紀におけるインド人のマラヤ移住に密接に関係しています。タミール語学校が初めてマラヤの地に建設されたのが、1816年のペナンだそうです。しかし学校の数が増加したのは1910年に近づいてのことだそうです。これはマラヤの地にプランテーション農園の開設が増えたことに時期を合わせています。当時の植民地政府が1912年に発した労働法で、プランテーション農園内で働く労働者の子供に小学生の年代の者が10人いれば、学校を設立しなさいと定めたが、しかしプランテーション農園側はそういう学校を設立することに乗り気ではなかった、そうです。

プランテーション農園というのは、当然ながら町部から離れた地にあり、ほとんどの労働者はその農園敷地内に住居を提供されて集団居住していましたし、現在でも同じです。ですからプランテーション農園の敷地内に小学校を作るのが普通であり、つまり私有地に学校が建てられたわけです。

その後タミール語小学校の発展に変化が起きたのは1930年から37年だそうです。それはインド人労働者を送ってきたインドの政府がこの問題に関心をもったからとのこと。そこでタミール語教師を要請するプログラムが始まったとのこと。 そして第2次大戦後に、タミール語小学校に本格的に変化が起りました。それは(後にマレーシアの第2代首相になる)Razak が教育に関する報告書をまとめ、そこで少数民族の受けている教育の現状、これからの教育方針などに関して指摘・提案したことなどを踏まえて、1957年の教育法の制定に結び付きました。こうして少数民族(つまり華人とインド人)の教育を国の教育システムに組み込むことになり、よって国民型小学校の誕生となりました。

以上この沿革は、インド人政党MICのシンクタンクである Yayasan Strategik Sosial が書いたものを掲載した記事を参照。

小学校の時点で全国統一試験を行い成績を発表する

マレーシアは小学校のうちから全国統一テストを実施し、その結果を細かに公表する国です。公表という意味は、学校の名前も生徒の名前も発表されるからです。小学校6年次の後半に全員が受けるこの試験 Ujian Pencapaian Sekolah Rendah  を一般にその略称で UPSR と呼びます。

このUPSR試験は、国民型小学校の生徒にとっては、中学校に進学する際、振り分け判断基準にもにもなる試験です、つまりマレーシア語2科目で合格点を取れないと、進学準備クラスで1年間マレーシア語中心の授業を受けることになります。合格点であれば、そのまま中学校に進学できます。この目的はマレーシア語を媒介語として授業を行わない国民型学校の生徒に、中学校で授業についていけるだけの十分なマレーシア語能力を育成することです。従がってマレーシア語を媒介言語として授業を行っている国民小学校の生徒はこの進学準備クラスに入る必要はありません。

UPSR試験の結果

UPSRの結果を学校種別に比較
実施年 小学校
の種類
マレーシア語
読解
マレーシア語
筆記
英語 タミール語
読解
タミール語
筆記
数学理科
2001国民88.283.658.0

79.077.8
タミ語54.640.152.481.570.274.482.6
華語65.556.762.2

90.385.9
2003国民90.386.166.1

82.782.2
タミ語60.057.661.285.678.085.878.6
華語71.370.768.9

93.788.2

注:タミ語は国民型タミール語小学校、華語は国民型華語小学校です。表は毎年行われている試験の2年分だけを載せました。

マレーシア語2科目でいえば、タミール語小学校は1999年から2003年まで合格率は一定して向上しています。ただ華語小学校も同様の傾向を示しています。英語科目は同時期、いつも華語小学校がトップで、国民小学校、タミール語小学校という順番はかわりません。数学と理科では、タミール語小学校と国民小学校が2番と3番を交互に占めるような形です。

長い間マイナスのイメージで見られていた

こういう試験結果の向上を見て、たとえば次ぎのような意見があります。

「タミール語小学校に対して長年人々は否定的なイメージを持ってきた。メディアはタミール語小学校のひどい建物状況、インフラ問題、生徒数の少なさなどを強調してきた。しかしメディアが強調していないのは、タミール語小学校のUPSR での試験結果向上です。タミール語生徒の成果は今や国民小と華語小の生徒のそれに匹敵します。タミール語小がはもっと進歩的な面で光を浴びるべきです」

これはインド人政党MIC のシンクタンクである Yayasan Strategik Sosial (YSS) の理事長のことばです。
このことばは与党政党の幹部サイドからの発言ですが、もちろんこういう楽観論的擁護論ではなく、政党関係者でない人々やタミール語小学校の現場からの現状悲観的擁護論も、時々現れます。一番最初に紹介した発言は、たまたま政党MIC関係者ですが、その例です。

「長年に渡ってタミール語小学校は、成績が悪く(国民小学校でなくタミール小学校を選んで入学する)生徒数が少ないと見られていた。1973年に教育省がまとめた退校者に関する報告書では、タミール語小学校が一番高く37%、国民小学校と華語小学校は15%でした。さらに中学校に進学するタミール語小学校生徒は約半数にしか達していなかった。1982年に教育省が導入した新カリキュラムKBSRによって、タミール語小学校は前進して行くきっかけとなった。」
と、 上記で言及したYayasan Strategik Sosial はまとめています。

「こういった歴史から、タミール語小学校の生徒は低所得階層の生徒が主体です。もし生徒たちの教育が適切に扱われなければ、彼等は途中退学してしまい社会問題を引き起こすかもしれない、その親たちは社会福祉を求めるでしょう。これらは結局全て政府の負担となるのです。」

これは他でもなく、教育省の政務次官を務めるMIC党の婦人部の副議長の発言です(6月27日 Star紙の記事から)。

タミール語小学校の施設は劣る

上記で説明したような歴史と状況のため、タミール小学校は常に校舎・施設・備品・用具の面で苦境を強いられることになります。華語小学校は、他民族より所得水準の高い華人層が強く支援するため、校舎・施設・備品・用具を向上、増加、改築するなどの費用をそれなりに充分に手当てすることができます。華語小学校の中には、外見が非常に立派で国民小学校を凌駕するような外見の学校もありますし、コンピュータなどの備品購入も生徒の親のみならず華人共同体の募金活動でこなしています。しかし全国での人口が華人コミュニティーの3分の1以下で且つ中所得階層の薄いインド人コミュニティーに華人コミュニティーと同じ経済負担はできません。しかも少なからずのタミール語小学校がプランテーション農園内にあるため、これらの学校のインフラ悪さはいつも強調されてきました。農園内から校舎を移動させようにも、その経済負担をする者がいませんし、政府から補助は出ません。そこで劣悪なインフラと設備の学校はそのまま残るという循環だそうです。

全国タミール語教師組合の議長は語る、「我我は教育省にこういったタミール語小学校を(政府援助の受けられる)学校に転換してくれるように頼み続けてきた。しかしこれまでのところこれは認めてもらえない。」 (6月27日付けStar紙の記事から)。

加えて、資格なり能力を充分に備えたタミール語で教育できる教師が常時不足しているという現状があります。華語小学校でも教師の不足が常に憂慮され、強調されていますから、これは国民型小学校に共通の問題のように見えますが、内容は違います。タミール語学校の場合、インド人コミュニティーが華人コミュニティーよりずっと小さい分、教師の予備軍となる人材により不足するわです。これはある意味では少数民族の置かれた運命ともいえます。

タミール語の持つ性格と置かれた状況が不利に働いている

タミール語はマレーシアの3大言語である、マレーシア語、英語、華語にはまったく適いません、それは言語の質ではなく、主として話者の数の問題であり、言語としての通用力の差です。話者、理解者が多ければ、必然的に放送マスコミ、出版、ビジネスで重用されることに結び付きます。タミール語はインド人、とりわけタミール人の民族としてのアイデンティティーの言語であり且つマレーシアで認知された唯一のインド系言語です。それにも関わらず、他の3大言語にはるかに及ばないのは、ひとえにインド人が相当な少数派であるという事実、インド人すべてがタミール系ではないこと、マレーシアのインド人にとってタミール語は華人界ににおける華語ほど重みを持つ言語ではない、という理由にあります。

注:ここで対象にしているのはあくまでもマレーシアのインド人コミュニティーであり、インドのタミール州でありません。

このタミール語の通用力の弱さは、マレーシアの日常生活で充分感じられます。多くのビジネス文書、宣伝広告、ビジネス会話、の場でタミール語が民族の枠を超えて使われることは、双方がタミール人の場合を除いて、皆無と言っても間違いではないでしょう。例えば、空港や鉄道駅や電車駅の案内標識類にタミール語は全く使われていません、ショッピングセンター内の標識であれ、商店街の看板であれ、タミール語が加わっている場合は、インド人相手を強調した場合を除いて、極めて極めて少ない。

しかし言語は話者数が少ないからといって言語そのものの価値が下がるわけでも低いわけでもない。一般に多くの人はある言語を経済価値の観点で重視します、つまりその言語を習得すれば良い学校に進学でき、ついてはより良い職に就ける、ビジネスに必要または結び付く、という観点ですね。だからこそ力を持つ言語はさらに強くなり、力を持たない言語はさらに弱くなる。英語がこれほど多くの非英語国で力を持つ中で、典型的な旧英国植民地国であるマレーシアはこの英語価値崇拝思考がとりわけ強い。

そのマレーシアはいつも枕詞に多言語の国と形容されます。確かに多言語であり、その通りとも言えます。しかし現実には、英語、マレーシア語、この2つに相当離されて華語、この3言語が他言語を圧倒しています。他の諸言語、例えばイバン語、カダザンドゥスン語、福建語、パンジャビ語、テルグ語、マラヤリ語、客家語、プナン語、オランアスリの言語、などなどが広く話され且つ価値ある言語と見なされているわけではまったくありません。これはもちろんマレーシアに限らず世界のほとんどの多言語国家でも同じ現象であり、ある国でそこで話されるほとんどの言語が皆平等に使われる、価値を持つなどということはありえない。常に力を持つ言語は決まっており、その第一は国語として定めた言語であり、次いでまたは時には国語を凌駕する旧宗主国の言語ですね。つまり旧英国植民地圏であれば英語、旧フランス植民地圏であればフランス語というようにです。

この言語に関する一般法則を前提にしたうえで、多言語国家マレーシアは国語マレーシア語を名目的には最重要言語として歌う、しかしながら官民ともに英語を強く奨励しています。華人コミュニティーの擬似 ”共通母語” として華語を熱心に学習し推進してきた華人コミュニティーは中国の世界経済力への大きな影響力を背景に、最近は華語をそれに結び付けた形で奨励しています。この3強言語に包囲された形で、タミール人はそのアイデンティティとしてタミール語を大切にしてきました、その現れがタミール語小学校ですね。一方タミール語がタミール人の言語であることが、タミール語の弱さでもあります。それは他のタミール系でないインド人にとってタミール語は外国語にしかすぎないからです。タミール語は非タミール系インド人にとって、華人界における華語の位置つまり華人界の擬似”共通母語”的意識のような、擬似”共通母語”的立場にあったこともないし、これからも絶対にありえないのです。

注:言語学的にみれば、タミール語はインド主流言語のヒンヅー語とは系統の全く違う言語、北インドのパンジャビ語ともまた別系統の言語となる。一方華語は広義の中国人・華人・華僑社会の共通言語的地位を確立している、且つ中国人・華人・華僑社会で話される福建語、広東語、客家語、上海語などはすべて漢語に属する言語である、つまり華語とは近い親戚関係の言語である。言語への捉え方をとっても中華圏とインド圏の大きな違いはここにも見られます。

母語愛、民族アイデンティティー意識だけでは不十分

さらにインド人自体がマレーシアの人口中わずか8%に満たない少数派であり、且つタミール人はその4分の3程度です。この数の少数さを克服するには、主として経済的動機に基づいた使用または自らの母語を愛し子孫に伝えたいという強い意識に加えて何らかの公の補助がないと、タミール語の学習奨励は絵に描いた餅になりかねません。例えば華人界での広東語は この経済的動機の強い言語です。タミール語教育を進めるタミール語小学校は、このような社会言語状況をよく理解したうえでその方向性を確固としたものにしなければならないでしょう。つまり単に、”タミール語を母語として、民族のアイデンティティーとして学習しよう” だけでは現実社会の中では充分なる力を発揮できないのです(もちろん母語愛は必要ですよ)。

タミール語を母語として、民族のアイデンティティーとして学習しよう、だけでは全てのインド人を納得させることができないからこそ、インド人コミュニティー内のタミール語小学校への進学率は、華人コミュニティー内での華語小学校への進学率に比してぐっと落ち、タミール語小学校で学んでいるのは全タミール人生徒中の約6割だそうです。1990年代後半より生徒数は増加したとはいえ、上の表でおわかりのように、タミール語小学校の生徒総数は、10万人にも満たりませんね。

この数字を含めた事実からいえるのは、国民型タミール語小学校の発展はインド人コミュニティーの自力だけではもはや無理だと言うことです。インド人政党MICもタミール語教師組合も、国民型タミール語小学校を充分なる政府の補助が受けられる学校にすべく運動し要求しています。

少数派としてのタミール語小学校の発展

タミール語はタミール系インド人のアイデンティティーの中心でありマレーシアにおけるタミール人文化を維持していく大きな役割を担っています。そのためには子供の時代にタミール語とタミール文化に親しみタミールコミュニティー出身であるる自覚を植え付けるタミール語小学校は、極めて大切な役割を持っています。

言語の学習・取得が単に経済的価値と数だけを要因に決められたら、多言語国家は次第に多言語国家でなくなってしまいます。人間社会は多様であり、従がって文化も言語も多様であったし、これからもありつづけるべきです。これは、言語ナショナリズムを主張するのではなく、相対文化主義に立って言語の多様性の尊重を訴え実践してきたIntraasiaの根本的立場です。
タミール語小学校がその存在価値に基づいて、少数派の学校ながら政府の補助を十分受けることがででき、タミール人の言語と文化を守り発展させる方向に行っていただきたいなと、部外者ながら願っています。



マレーシア人の名前に親しみましょう -インド人編及びサバ州のブミプトラ編-


前前回のコラムではマレー人の名前の例をたくさん書き出しましたので、今回はインド人とサバ州のブミプトラの場合です。
ここでいうインド人とは、マレーシア国民であるインド人の場合であり、インドのインド人を対象にしているわけではありません。巨大且つ多種の民族から構成されるインドの場合、おそらくいくつかの命名方があるのでしょうし、私にその知識はほとんどありません。

インド人の名前

マレー人編でその命名法を次ぎのように説明しました。
マレー人の場合は、 男性: 個人の名 + bin + 父親の名前、 女性: 個人の名 + binti + 父親の名前 となります。表記上省略が必要なまたは省略したい場合は、bin の省略形が” b ”で、 binti の省略形が” bt ”となります。

インド人もこれを援用した形式です。この一般式に当てはまらないグループもあるでしょうから、”多くの場合は”、と制限を加えておきます。
男性:個人名 + a/l + 父親の名、  女性:個人名 + a/p  + 父親の名
a/l はanak lelaki 息子、男の子 という意味の省略形で、a/p はanak perempuan 娘、女の子 という意味の省略形です。つまりある個人名 XYZ さんは父親誰々の anak lelakia または anak perempuan であるということです。インド人でもマレーシア国民なので、身分証明証の登録必要上、マレーシア語の a/l  または a/p を挟み込んでいます。これの英語表記である s/o ( sun of ), d/o (daughter of ) は、この名簿には見つかりませんでした。

インド人の名前を男女別に書き出して見ます。資料は前前回の「マレー人編」 コラムで用いたのと同じ名簿です。

男性

Ananthababu a/l Rajah, Andrew a/l Sundramuthy, Arivananthan a/l Periasamy, Darren Mark a/l Mariannan, Ganesan a/l Semban, Gejandiran a/l Gunasekaram, Gejendran a/l Prabhakaran, Hari Candaran a/l Batmanathan, Jayseelan a/l Selladorai, Jegatheswaran a/l Balachandran, Kruna a/l Sinnalah, Kumara Vel a/l Kamban, Kumran a/l Sundralingam, Kumaresan a/l Subramaniam, Lingesnaran a/l Vasudevan, Mahendran a/l Segaran, Mangalanayagan a/l Kani Appan, Muniandy a/l Arumugam, Muraliswaran a/l Aiahsamy, Muthukumar a/l Supparamaniam, Patmanatan a/l Veerasingam, Prabu a/l Ramakrisnan, Puspanthan a/l Ganasan, Ragu a/l Mahalingam, Ramesh a/l Chandran, Surendran a/l Subramaniam, Thanaraj a/l Aromogam, まだまだ続きますのでこれ以上は省略します。

女性

Angles a/p Susinathan, Antha a/p Vallupllia, Anjana Sanjith a/p Sanjith Sadasivan, Anusha Devi a/p Balakisnan, Citra a/p Kalaichelvam, Deepa a/p Kumaran, Gayathiri a/p Veeraiah, Gaytri a/p Krishnasamy, Jessica Arokiamary a/p M Suppramaniam, Kanaggambikai a/p Nagamutuh, Kayathiri a/p Armukam, Komathy a/p Munusamy, Laleeta a/p Kalimuthu, Letchumy a/p Subramaniam, Mani Megala a/p Perumal, Manimegala a/p BatumalaiMaragadam a/p Sithanatham, Nagarany a/p Thanasegaran, Pavitran a/p Krishnan, Rajeswary a/p Krishnan, Revathy a/p Nagappan, Selvanachi a/p Ilinsegeran, Shalini Naidu a/p Gunasegaran, Shava Bavahni a/p Senathirajah, Sivaneswary a/p Baskaran, Sivashangari a/p Subramanian, Thilagawathy a/p Assathamby まだまだ続きますのでこれ以上は省略します。

インド人にはムスリムコミュニティーがありますが、上記に書き出した名前は全てムスリムではないはずです。
前から気が付いていたのですが、Subramaniam というヒンズー教の神の名前の一つを、命名に使っている人が時々います。ここにあげた中にも複数ありますね。他にも同様にヒンズー教神の名前を使っている場合があるようですが、私には断定できるだけの知識がありません。

パンジャブ人の場合

インド人の中で北インド出身のパンジャブ人の場合、次のような特徴があります。まず彼ら彼女らはシーク教徒であるということです。宗教面でのインド人の主流はいうまでもなくヒンズー教徒であり、マレーシアのインド人コミュニティーの多数派はタミール人で、大体4分の3強を占めるようです。ですからパンジャブ人は少数派であり、且つ宗教面でも少数派ということになります。シーク教徒はそのコミュニティーが存在する地方では独自のシーク寺院を建てて維持していますね。シーク寺院はマレーシア国内に3桁の数があるそうです。尚パンジャブ人の多数がシーク教徒であるのは間違いないでしょうが、その割合がどれくらいかは知りません。

そのパンジャブ人の名前の特徴の一つに、娘に Kaur、息子に Singh と付けることがあります。
Balpreet Kaur a/p Jasbee Singh, Gurmeet Kaur a/p Jaswant Singh, Jasvin Kaur a/p Jarnail Singh, Jagdeep Kaur Sidhu a/p Gurmail Singh, Kavita Kaur a/p Gordip Singh, Parvinder Kaur a/p Awtar Singh, Rajwinder Kaur Gill a/p Gial Singh, Sharonjit Kaur a/p Surender Singh など。
この例に示しましたように、娘名として女性名プラス Kaur + a/p の後ろに、父親名がありプラス Singh (つまり男性名)がついていますね。次ぎは息子にSingh を付けいている例です、
Balmith Singh Mann a/l Gurucharan Singh, Rabinderjit Singh a/l Mohinder Singh, Suhkudave Singh a/l Kardip Singh, など。

多音節単語が目立つインド人の名前

インド人の名前の多くは多音節の単語からなるので、タミール語、ヒンヅー語の知識のない者、マレーシア人も含めて、にとって発音しにくいといえます。これは一般に複音節語より単音節語の方が発音しやすい、ある言語に馴染みのない者にとってその単語の発音はしにくい、といったどの言語の話者にも共通な一般的現象です。

サバ州のブミプトラの名前

サバ州に移ります。ここではマレー人と非マレー系ブミプトラに絞ります。いうまでもなくマレー人はブミプトラですよ。
サバ州は外国人の居住者比率の高い州ですが、外国人を除いたマレーシア国民約200万人の内、非マレー系ブミプトラ 65%、マレー人 15%、華人 14%、 残り その他、という民族構成です。そのため半島部ではオランアスリを除いてほとんど目にすることのない、非マレー系ブミプトラの名前が非常に目につきます。非マレー系ブミプトラは宗教面では、大別すればキリスト教徒とイスラム教徒に分かれます(もちろん他にもある)。
尚典型的なマレー人の名前は、前前回のマレー人編で書き出した、説明したものと同じなので省略します。

男性名

男性の名前の中から、単語の語調からいって非マレー系ブミプトラと推測されるまたはひょっとしてマレー人かもしれないが半島部では馴染みのない名前を書き出してみます。
Abel bin Gustine, Addy bin Assi, Agus bin Ellias, Ahnuwar bin Akino, Aldie bin Jamail, Alexson bin Piturus, Alfred bin Antamin, Alger Sylvester bin Lumer, Allasius bin Sipin, Alman bin Adam, Alni bin Alpirino, Amran bin Misle, Andika bin Robin, Arnold bin Gongora, Arween bin Mosikut, Asroy bin Rain, Bekkry bin Silip, Bonlee bin Ampurut, Caeron bin Mapihi, Cladius bin Bian, Daire bin Nandom, Danny bin Jessy, David bin Ngasu, Dudin bin Sadair, Edmund bin Jeffry, Eilman bin Ating, Elvin bin Ojingkin, Empin bin Lipoh, Farlin bin Burit, Ferdaus bin Effendy, Feryzoh bin Ukan, Flojoy bin Yaden, Galioh bin Juanisi, Hilary bin Riman, Isaac bin Julong, Jackie bin Mosikul, Jsckson bin Juliman, などたくさんたくさんあります。

女性名

女性の名前の中から、単語の語調からいって非マレー系ブミプトラと推測されるまたはひょっとしてマレー人かもしれないが半島部では馴染みのない名前を書き出してみます。
Ailesiah binti June, Aisah binti Talingalan, Ajiah binti Akandang, Al Nasra binti Juhalim, Alleyiah binti Moridon, Alleyen binti Danil, Aminah binti Lanasia, Amisa bte Nurki, Angela binti Giding, Ani binti Allan, Anijuku binti Amukat, Armah binti saripin, Bainah binti Raut, Bunga Zai binti Balelo, Carney binti Jamli, Celestinah binti Gidal, Ceroline binti Jeffrey, Cllenny binti Odol, Conney binti Kimlin, Daisy binti Noel, Dalinah binti Tempolong, Derwina bin Dandon, Dianie binti Denson, Dissih binti Ongkilong, Elisaberth binti Nicolaus, Elmie binti Leahmat, Elvi binti Mojiin, Emmy binti Andy, Esther binti Dagoh, Evelyn binti Sulle Tarok, Fedilia binti Fedilis, Feni binti Maringo, Helda binti Joseph, Hertina binti James, Inantangan binti Holabo, Jackquilin binti Garoh, などたくさんたくさんあります。

クリスチャン名が目立つ

お気づきのように、男女とも明らかにクリスチャン名という名前がたくさん混じっていますね。その場合はムスリムでないのはまず間違いないでしょう。クリスチャン名ではなさそうな名前もたくさんあり、それらの名前を持つ人も非ムスリムのように思われますが、サバに関する私の知識からでは断定はできません。従がって上に書き出した名前から判断して、クリスチャンである、ムスリムである、それともそれ以外、といった分類はいたしません。

bin / binti 形式でない名前の例

下に書き出したのは、[ 男性:個人の名 + bin + 父親の名前、 女性:個人の名 + binti + 父親の名前 ] とは違った形式の名前の例です。
男性
Juddu Gumis, Jemmy Janang, Jerode George, Jino Rintian, John Robot, Johny Jacob, Joshua Ombou, Jupery John, Libi Loison, Lorenzo Sompoliong, Mardon Doyahank, Mathew Ak Langkau, MIchael Semana, Mickdi Sianong, Mopor Amunga, Perlady Usip, Peter Pius, Petrus Litoama, Radius Rundi, Robenson Diaz, Robinson Fiel, Rohin Papong, Roland Soungin, Roslan Sabirin, Roslly Richot, Ruben Berah Tedorus, などなど。

女性
Jenny Gomok, Jeorbidah Anap, Jonalisa Echepare, Jusenih Marayong, Justina Rampungan, Laidah Polopau, Laini Wili, Leviah Moginda, Loretta Mary, Lydia Philip, Marcella Leong, Marilyn Jeffery, Martina Naduk Petrus, Mildred Dionisio Laguardio Sanchez, Mimi Jumin, Noemi Henry, Penay Yoseph, Poinah Tanggian, Ratanah Selom, Rohaini James, Rufina Saidi, Sahini Madom, Sally Imelda Veanis, Salvisiah Liansim, などなど。

ファーストネームに明らかに男性名である John とかPetrus がついてれば男性ですし、明らかに女性名である Jenny とか Martina が付いていれば女性とすぐわかりますね。でもはっきりわからないのに私が男性グループと女性グループに分けて書き出せたのは、用いた名簿で名前に併記してある身分証明証番号の下桁を見れば、男女の分別ができるからです。

ここで書き出した名前はほとんどクリスチャン名でしょうし、一般的なマレーシアのムスリム式の命名スタイルから外れています。フィリピン的な名前も目立ちますね。よって必然的にこれらの人たちは非ムスリムだと推定されます。しかし何分サバ州のことですから、断定することは避けます。
サバ州のブミプトラの命名法に関しては、以前のコラム第117回 「マレーシア人の姓名の付け方と表記法」 −98年11月12月掲載− で詳しく書きましたので、ご覧ください。

と、このようにマレーコミュニティーとはまた違った語調、スタイルの名前にも馴染んでくださいね。



シンガポール映画の刺激を活かしてマレーシア華語映画の製作を願う


シンガポール映画がマレーシアで公開中です。今回の作品も製作、脚本、監督さらにしばしば主演も務める、有名なシンガポールの映画人 Jack Neo、華語名 梁智強 の作品です。彼の作品はこれまでにも数本マレーシアで公開されています:Money No Enough, That One Not Enough, I Not Stupid, いずれも私はシネプレックスで公開と同時に見ていますし、コラムまたはゲストブックで簡単に触れたことがありますね。

梁智強の最新作はこれまた楽しく風刺に富んだ映画

最新作 ”突然発財”は英タイトル名に ”Best Bet” とつけてあります。シンガポール人が病的なほどに熱中する 番号当てくじ、通称馬票または4D と呼ぶ、にまつわる主人公4人の一部始終を描いたものです。製作費は普通程度の S$150万つまりRM 350万ぐらいだそうで、マレーシア映画の平均より倍ぐらいですね。シンガポールの物価が大体マレーシアの倍という物価水準から言えば特に多い金額ではないでしょう。

さて製作予算はどうでもいいのです、要は映画の内容です。そして今回の彼の作品もまことできのよい映画です。この意味は、社会的問題を上手に料理して風刺を利かせながら同時に娯楽性を充分詰め込んだ作品です。主演している俳優も芸達者であり、見ていて最後までで飽きさせません。映画は芸術至上主義の作品、またはごく一部のファン層だけを対象にした作品は別にして、まず娯楽性が欠かせませんから、この意味だけでもこの作品は合格です。しかしそれだけではハリウッド映画や香港映画にかないませんから、東南アジアらしい特徴が欲しいところです。その中でシンガポールらしさとその社会性を上手に詰め込んでいつも観客の期待に答えているのが、Jack Neoの一連の作品ですね。

これまでのJack Neoのマレーシア公開作品を見る度に、その作品に感心し賞賛してきた私は、今回も公開とほぼ同時にシネマに足を運び、これまでと同様その作品を楽しみ且つそのできのよさに感心しました。映画は予算をかけるだけが能ではないのです、ハリウッド基準に比べれば、数十分の1から100分の1程度の予算でも、楽しく見がいのある映画が製作できるということですね。ですから、この”突然発財”はシンガポールですでに興業収入 S$ 380万( RM870万)を稼いだそうです。

マレーシア華人に極めて理解しやすいテーマ

もちろんこのシンガポール映画が西欧人に受けるまたは評判となる、テーマがよく理解されるとは私も思いませんが、シンガポールの土壌を他国に比べればずっとよく知っているマレーシア人、とりわけマレーシア華人にはすんなりと通じる映画です。なぜなら映画のほとんどの出演者がシンガポール華人であり、且つテーマがマレーシアでもほぼ同様に存在し極めて似通った熱中状況を生み出している 番号当てくじ、通称馬票または4D、だからです。

マレーシアでは、マレー人はイスラム教における賭け事禁止の教えから馬票、4D類を全く買うことは許されませんが、華人を中心として非ムスリムであれば誰でも買えますし、各社ごとに数あるくじ販売店は朝の開店から夕方の閉店までいつも人が出入りしている人気です。華語紙各紙は第2面あたりで各種ある馬票、4Dくじの類の結果を必ず載せます。くじ結果をまず知る動機として華語新聞を買う人がいるくらいです。

”俗な言語”で、俗なテーマを通して俗な社会を映す

映画 ”突然発財”はこの4Dくじに溺れた、獲りつかれた3人の男とその中の男の妻、合計4人の物語で、ある日1等が当り大もうけしてしまった一人の男とその妻に起るであろう出来事を次々と描いていきます。そして最後はハッピーエンドとなります。この映画の台詞の大部分は福建語であり、映画で挿入される主役の1人が歌う創作曲も福建語です。場面によっては華語が使われ且つ主人公らも華語を時々交えて話します。字幕は華語と英語で、さらにマレーシア公開なのでマレーシア語の手書き字幕が加わっています。私は福建語はわかりませんので、華語字幕をずっと追いました、映画の内容からいって英語字幕を追うよりもより現実味を感じるからです。

映画をより身近に感じさせ且つ生き生きとした内容に見せているのは、この台詞として福建語が主として使われている演出にもあります。英語は別格として、華語一辺倒社会と思われがちなシンガポールですが、現実には華語を補完する形で、日常生活では福建語、潮州語、さらに少数派として広東語や客家語もが使われているそうです。華語は公の場、正式な場面、教育に使用する、高級な言語であり、それの対照として、”低級な言語”が大衆社会の”俗なレベル”で使われます。”俗なレベル”での主言語が福建語であり、その他いずれも漢語諸語も属する言語です。シンガポール華人界では福建人が多数派なので、福建語がその”俗なレベル”では主流言語になるのは当然ですね。

注:シンガポール政府と教育界は数十年来に渡って、この俗な言語をより話さない方向に向ける政策と運動を進めてきました。マレーシアに比べてそれは相当成功したのですが、それでも大衆の俗なレベルまで、華語一辺倒の世界にすることはできていません。当然ですね、”俗な言語”をこよなく好む俗な人間 Intraasiaは、シンガポール華人界大衆の物言わぬ抵抗にうれしくなり、且つ言語のおしつけ政策に強い反発を感じます。誤解なきように言い換えますと、華語教育に反対するということではなく華語教育には賛成です、しかし日常生活レベルまで大衆が話す言語の選択を押し付けることに対しては抵抗感を感じるということです。


映画の筋の中で、違法4D行為で刑務所に収容されることになる主役たちは、高等教育を受けたエリート層や上流界の人間でなく、高層共同住宅に住む街のありふれた大衆であり、くじに執りつかれた憎めない俗人です。つまり主役らは平均的シンガポール華人をちょっと誇張した存在でもあります。そこに監督の社会風刺意識が組み込まれています。その様子を日常の俗な言語たる福建語で台詞を語り、粗暴なしかし自然な振る舞いに見せて演じる俳優の演技及び脚本と演出のうまさに拍手を送りたくなります。

これまでも公開されてきた梁智強の映画

シンガポール映画の事情は私はよく知りません。なぜならマレーシアで公開されるのは平均して年にわずか1本ぐらいであり、それが私のシンガポール映画を見てきた知識であり、マレーシアで公開されないシンガポール映画もあるかもしれないからです。それを調べずにシンガポール映画うんぬんは語れません。私がここで語れるのは、マレーシアでこの6、7年で公開されたシンガポール映画についてであり、その公開作の半分ぐらいがどういうわけかJack Neoの作品です。

つまりそれだけJack Neo の作品はマレーシアでもある程度の興業成績が見込まれるから、公開されるわけですね。映画が民間ビジネスである限り、ほとんど見る人がいないであろうと予測されれば一般シネマで配給公開はありませんからね。彼の作品はいつも華語と福建語台詞の華人を主対象とした作品であり、上記に上げた以外にも Liang Po Po , Home Run  などの作品があるそうですが、これはマレーシア公開されていないはずです。

注:マレーシアでシンガポール映画が初公開されたのはそれほど古いことではなく、1997年のことです。コラム第28回の 「 Singlish映画をお薦めします」 で当サイトで初のシンガポール映画に関する話題を書きました。


華人人口が2倍のマレーシアでなぜ映画が製作されないのだろう

さて人口約400万人、その内華人が約4分の3を占めるシンガポールで、こういった華語と福建語台詞の華人主対象の映画が製作されているのですから、華人人口が600万人弱、つまりシンガポール華人界の2倍近い人口を持つ、マレーシア華人界であれば、華語映画または華人を主対象とした映画を製作できるはずだと考えても不思議ではないでしょう。しかし現実は、まったく違います。華語または主として華人向け映画はこれまで1本たりとも製作されていませんしその試みもなかったようです、さらにその計画も今のところありません。

単純に言ってシンガポール華人の2倍近い人口を持つマレーシア華人界はなぜこういう映画を製作しないのか、一人の映画好きとしてまこと残念な状況です。かつて数年前に華人監督と華人のプロドゥーサーが華人を含めた各民族の俳優から成る英語台詞映画を製作しました。マレー映画とは一味以上違ったタッチのマレーシア映画でした。しかし扱ったテーマの一部が当局のガイドラインに触れたであろうこともあって、公開がスムーズに行かず、マレーシアの映画祭にも素直に出品できないという結果となりました。公開された版における映画を見た限りでは、多分こういう点が公開を手間どらさせたであろうという程度の筋が含まれています。内容も俳優も撮影もマレーシアで撮ったマレーシア映画であり、できのいい映画だと私は思いました。ただ興行的には特に可も不可もない成績だったそうです。それ以後こういう新しい試みの映画はもう製作されていません。

注:この初の国産英語映画 "Spinning Gasing" は2001年10月シネプレックスで公開されました。この映画を含めた映画事情は、コラム274回 「続・映画を見よう、マレーシアで公開される映画事情」で触れていますので、ご覧ください。


このエピソードを語るまでもなく、昔はともかくこの数十年間マレーシアにおける映画はマレー映画であり、他の映画は製作されていません。その計画もないようです。マレー映画という意味は、出演の大多数がマレー人俳優であり、台詞に英語が混じっても基本的にマレーシア語の台詞であり、基本的にマレー人観客を主対象としており、マレー人好みのテーマと筋書きです。最近華人俳優を主役級の一部に起用した映画が製作され公開されました、さらにもう1本が製作予定されているそうですが、それは映画の内容上そういう俳優の必要性があるからでしょう。

華人対象の地元製テレビドラマは常時放映されている

華人を対象とした国内のプロダクション製作のテレビドラマは別に珍しいことではありません。数は少ないですが、以前から製作されておりテレビ放映されてきましたし、今後も製作されていくことでしょう。このテレビドラマは華語ドラマシリーズと広東語ドラマシリーズの2種類がありますが、台詞言語の違い以外に目だった違いはないように思えます。そこでこれを発展させて映画製作に結びつけたらどうだろう、と考えてもおかしくはないでしょう。マレー映画でさえ平均的製作費はRM150万程度だそうなので、より観客が少ないであろう華人対象映画では製作費はさらに少なくせざるをえないであろう、と推定できます。

映画製作の最大の難点は、製作費に見合った興業収入が得られるかどうかというにことにあるのはどの国のどの映画でも同じですよね。マレー映画の製作者・社は、常時公開されているハリウッド映画とボリウッド映画に加えてマレー映画も見たいと思わせる魅力をマレー人観客に与えなければなりません。マレーシア語の台詞という理由だけからマレー人がシネマに足を運ぶなんてことはありませんからね。ただマレー芸能界は国内最大なので、その有名スターが出演することは充分にマレー人観客にアピールすることでしょう。マレー映画の興業自体にはそれほど大きな貢献とはなってはいないでしょうが、時に国家フィルム公社など国の文化機関の後援もマレー映画にはあります。

マレーシア製華語映画の超えなければならない障害は多い

そこで華人プロダクション製作の華人対象映画に戻ります。果してマレー映画並かそれ以下の低予算で国内華人に足をシネマに向けさせる映画が製作できるかです。華人対象の映画の障害は、いうまでもなく毎週1本程度は公開されている香港映画であり、全民族を観客対象とするハリウッド映画です。対象とする華人観客はまずこの2種の映画を見たいと思うのが普通ですから、加えてさらにマレーシア製華語映画を見たい気持ちにさせなければなりません。当然ながら、マレーシア製華語映画を優先的に見るような観客が現れてくると考えるのは非現実的だからです。

そのマレーシア製華語映画は果してどの程度マレーシア華人を引きつけられるでしょうか? マレーシア華人芸能界は小さい、マレー芸能界に比べてずっと小さい。華人人口が600万人弱あっても不十分だと捉えているのでしょう、だから華人歌手の有名スターはほとんど台湾または香港に活躍場所を求めます。華人歌手でなく華人俳優をみると、Michelle揚 と 李心潔 の2人だけが例外的に国外で俳優として成功しているだけです。つまり映画に主演でき観客を引きつけられると期待できるほどの人気と知名度を持つのはこの2女優だけなのです。

マレーシア製華語または広東語テレビドラマに出演している華人俳優はどうでしょうか? 彼ら彼女らは華人娯楽ファンにはそれなりに知られてはいるでしょうが、上記の2人の女優とは全く比べものにはなりませんし、さらに知名度と人気度の点で、10人足らずの有名華人歌手にもまず適わないでしょう。すると俳優個人の魅力でシネマに華人観客を引き付けるのは相当苦しいことになります。ここが華人対象映画製作の分かれ目でしょうね。もちろん国内製作映画全てに追わされた運命である映画検閲委員会の検閲と当局の認める暗黙の方針に合致しなければならないのはいうまでもありません。

テレビドラマを継続的に製作していることから技術や製作プロダクションに特に問題はないはずですから、理論的には低予算のRM150万程度のマレーシア製華語映画の製作はできると思います。しかしそのためには投資者または投資社が必要です。映画もビジネスである以上、見返りの期待できないことに「はいよ」と投資する人・社が、おいそれと出てくるとは考えづらいですね。では一体マレーシア華人は、マレーシア製華語映画をシネマで見たいと思わないのだろうか、それを期待していないのだろうか? 大きな期待度は確かにないでしょう、しかし潜在需要は掘り起こせばでてくると思います。なぜなら芸能娯楽とは掘り起こしが鍵だともいえますからね。

映画製作の成功の鍵はごく少数の映画人の登場にかかっている

その時、マレーシアの華人対象映画に必要なのは、シンガポール映画における Jack Neo のような個性的な優れた製作者、監督、脚本でしょう、あえていえば俳優よりもこの3者、できればJack Neo のようなマルチ型人物、が大切です。Jack Neo は独学派の異端映画人だそうです。型にはまった定型的映画では,シンガポールのような小さな市場でハリウッド映画と香港映画並に見たい映画にはなりません。彼の映画にはまことシンガポール社会への風刺がある、シンガポール人を揶揄しながらシンガポール人に見たいと思わせる地元風味があるのです、だから彼の映画はどれもシンガポールで成功し、国際映画祭にも1、2作を出品しているそうです。

これと同じことがマレーシア華人界製作の映画にもいえるでしょう。誰か1人か2人の優れた映画人が出現すればいいのです、これまでにないようなタイプの製作者、監督、脚本が出現して、極めてマレーシア的またはマレーシア華人的な映画を撮って公開すれば、シネマに足を運ぶ観客はいる、いや生まれてくると思います。マレーシア華人社会は、特に都会の中流層は、娯楽分野への支出が多い、都市のシネプレックスの賑わいはこれを証明しています。ですから、1人、2人の優れた華人映画人の製作するユニークな映画が出現すれば、きっと今後のマレーシア華人映画の萌芽となることでしょう。一人の映画ファンとして、マレーシア製華語映画をシネマで見る日が来ることを願っています。



格安航空 AirAsia の自由座席制で乗客に愛が芽生えるだろうか?


何やら意味のよくわからないタイトルをつけましたが、まあとにかくちょっと辛抱して読んでください。格言みたいなことばがありますよね、「愛とは辛抱することである」。

米国の低価格航空会社に関する記事から

米国の低価格航空会社のSouthwest Airlines は”愛が形成される航空会社である” と好んで言います、そしてさらに、乗客がどの席でも選べる自由座席制のおかげで、格安なこの飛行機会社の切符を買い多くのロマンスが始まった、と。ダラスを本拠地にしたこの航空会社にはこの何年もの間に数千通もの手紙が届いており、その中には会社重役に宛てた少なからずの結婚式招待状があるそうです。その送り主はSouthwest Airlines のフライトを利用したことで出会ったカップルです。航空会社のスポークスマンは語る、「我我は空の愛の仲介者だとよく思います。」

米国のあるデート専門家(女性)は語る、「飛行機でのフライトはシングルが出会うよいチャンスです。」 そこでこの女史は、自由座席システムは出会う機会を作りだしていると考えています、しかしちょっと向こう見ずな方策にもなりかねませんので、「全てをそれに期待する必要はありません、でもそれは確かに良い機会です。」

この飛行便で出会って結婚することになったある米国女性は語る、彼は窓側の席に座っていた。その横の2つの席は空いている、そこで彼に誰か座っているか、座ってもいいかと尋ねた、と。その後2人は七面鳥のサンドイッチをいっしょに食べながら80分間のフライトを会話ですごした。2人は偶然帰りのフライトを待つシカゴの空港で偶然再会した。その後2人はデートするようになったとのことです。

以上は英語新聞に Rueters通信の外電記事として載っていたものの抜粋です、つまり記事の書き手は西欧人です。[ Love Plane ] という見出しに何気なく読み出し、読み終わってまず思いました、「じゃあ、我らが AirAsia でそういうことは起きるのだろうか?」
そこで AirAsia が [ Love Plane ] になる可能性を考えてみましょう。

AirAsia は発足以来自由座席制である

すでにご存知の方も多い、AirAsia はマレーシアの格安航空会社であり、その大成功は今やマレーシア国内に留まらず、タイへの路線と合弁飛行会社によってタイ国内線を運行、インドネシアへの複数路線、さらにはマカオ路線にまで伸びています。現在もさらに路線拡張中です。AirAsiaは座席指定制ではなく、最初からずっと自由座席制です、つまり乗客は好きな席に乗機次第座ることになります。

米国の文化のもとで西欧人乗客主体の国内航空である Southwest Airlines に起った、起っているケースを、文化と民族が大きく違う、東南アジアのマレーシア、タイ、インドネシアを飛行地域にし、東南アジア人乗客主体のAirAsia にあてはめられるのだろうか、というのが最大の疑問ですね。自由座席システムは東南アジア人や日本人などアジア人にとって、出会いさらには愛の芽生える機会となるのでしょうか?

注:AirAsia を利用する西欧人同士の場合はここでは関係ないので省きます。

私は回数は多くないけど何回かAirAsia を利用しましたが、残念ながらというか当然ながら、愛が芽生えるどころか出会いの機会さえ全くありませんでしたね。もし AirAsia においても Southwest Airlines 並に 「自由座席システムは出会う機会を作りだしている」 のであればまたはことになれば、”現在”シングルの者としてこれからもっと回数多く乗らねばなりませんなあ(笑)。

AirAsiaの航空機は(多分)全部同型機であり、横列は3座席通路を挟んで3座席 という配置です。レザー張りのシックな座席です。真っ赤な制服に身を包んだ客室乗務員がカートを押して回る機内サービスの品はすべて有料です。乗客占有率が非常に良いというAirAsiaでも、当然ながら 全路線すべての便が常に満席 などということは起りえません。がらがらの場合も、半分しか埋らない場合も、3分の2程度埋る場合もあります。そこで空席が比較的多い時に起るかもしれないシナリオを書いてみました。監督・主演もIntraasiaの予定です。

シナリオその1

場面はインドネシアへ向かう飛行機内。私は通路側の席に座りさっそく手にしていたマレーシア語紙を読み始めた、そこでマレー女性またはインドネシア女性が同横列の空席に座ろうとして、私に尋ねる、「Adakah orang duduk di sini ? (この席空いてますか)」 「Tak ada orang, Kosong, Sila duduk (いや誰もいませんよ、どうぞお座りください)」。そこでこの女性は窓側の席に座ります、真中席は空いてます。

しばらくして飛び立つと、その女性は持ち込んだ免税ショップの袋からチョコレートを取り出して食べだした。彼女はおもむろに私に話しかける、「Sila makan ni (どうぞこれ食べませんか、ni は口語)」 と半分に折ったチョコレートを差し出すではありませんか。チョコレート好きな私は断る理由はありませんので、「Terima kasih,  Saya suka chocolate (ありがとう、チョコレート好きなんです)」 と喜んでもらって食べると、会話が始まります。

シナリオその2

場面はタイ国内路線での機中。機内に乗り込んだ私はそっそく3席並び席の通路側に席をとる。横の2座席は空いている。持ち込んだタイ語紙を眺めていたら、1人のタイ女性がやって来て私に尋ねます、「ティーナンミーコンユーループラウカー(そこには誰か座っていますか)」 「プラーウ、マイミークライクラップ、ナンシークラップ(いえ、誰もいませんよ、どうぞお座り下さい)。」 と私。その女性は窓側席に座ります。

彼女はしばらくして私に話しかけてきます、「クンヒウナーウ チャイマイカー?(喉乾いてませんか)」 そこで私は正直に答えます、「ニットノイクラップ(ちょっと乾いてますよ)」 すると彼女は手もとのバッグからパックのジュースを2個取り出し、1個を私に差し出します、「ハイクン(これあげますよ)」 断る理由はないので素直にもらうことにします、「コップクン(ありがとう)、オー ナームマムアン、ポムチョープ(あ、マンゴジュースですね、好きですよ」 と2人の会話は弾みます。

シナリオその3

場面はマレーシア国内路線の機中。私は機内に乗り込むとすぐ通路側に席を取って手元の英語紙を読んでいる。すると隣の空いてる席に座るつもりであろう、1人の女性がちょっとおかしな英語で尋ねます、「Excuse me, Someboday is there ? 」 その様子と発音から日本人だとわかって私は日本語で答える、「誰も座っていませんよ、どうぞ。」 「すみませんね、窓側が好きなんです。」 とその女性は窓側席に入り込む。

離陸してしばらく、その女性は持ち込んだ袋から何やら食べ物を取り出して食べ始めた、そして私に話しかけててくる、「ビスケットですけどー、お一ついかがですか?」 見るとマレーシアメーカー”Hwa Tai ”製のビスケットだ。「このビスケットって、いつも100円ショップで買ってるんですよー、おいしくてそれでもって安いんです。クアラルンプールのスーパーで見かけたので思わず一杯買ってしまったんです。」 と彼女は一方的にしゃべる。(まるでHwa Tai には目がない読者の茶ウエ みたいな女だなと心の中で思いながら)私は、「あ、どうも、それではいただきます。」 とくれるものは拒まずにもらって食べる。実は私もHwa Tai 製ビスケットは好きなのです。こうして安物マレーシア製ビスケットが縁で話しが進む。

シナリオ その1、その2、その3の後、こうした機中の出会いと会話がきっかけとなって、飛行機を降りた空港から2人はいっしょにその都市を見物することになりましたとさ。まずはハッピーな展開。

旅行中の気分が貢献する

ここで飛行機を離れて別の交通機間の場合をちょっと考えてみましょう。市内・近郊を運行する乗り合いバスと電車はどの国だって当然自由座席のはずですが、こういうバスや電車で偶然乗り合わせたことで愛が芽生えるなんとことは確率ゼロで絶対にないとまでは言えませんが、確率的に言えば極めて極めて低い、これは米国だって日本だって同じでしょう。(毎日通勤電車に乗り合わせていていつしか知り合うというケースはここでは関係ありません)

上記で紹介した愛を生み出すSouthwestAirlines の場合は、国内路線の飛行会社だそうです。その乗客は中長距離を移動する、ビジネス目的であれ観光目的であれ友人など誰かを訪問目的であれ、移動を伴った旅行感覚の乗客です。不思議なもので、人は旅行という機会にはなんとなく心の調子が軽くなる、気分がいつもと違う、気分的に変化を感じることが多いものですよね。誰かと一緒ではなく一人だけの乗客またはシングル(独身)の乗客は、ふと話し相手を求めたり、または話しかけられるとそれに乗ってしまうものです。旅行中の心の状態が、出会ったり、話し合うきっかけに反応する主たる要因と分析できます。だから Southwest Airlines の乗客は自由に席を選べる雰囲気の中で、(上の記事で紹介したような)一人乗客狙いの行動が男女ともに発生してもおかしくはないでしょうし、時には取りたてて意識せずに発生してしまうかもしれませんね。

乗客の意識状態と航空機の自由座席制はAirAsia の場合でも Southwest Airline とほぼ同じだと考えられますね。1時間から2時間を超えるフライト時間ですから、ちょっとした出会いの会話をするには好都合の長さとも言えます。マレーシア人の一人乗客が近くに座った同性人とことばを交わすことはもちろんあるでしょう、そしてたまたま話した相手が同州人であれば話しは弾むかもしれません。タイ人の一人乗客が横の見知らぬ同性人と話しする、それがタイ人であれば話しはしやすく、話しは”のる”かもしれない、ただ他国人であれば言語の壁は結構厚いでしょう。しかしこれは相手が同性人の場合がほとんどで、見知らぬ異性人が、「(通路に出るため)前を通してください」といった義務的会話を除いて、途切れのないような会話に進むケースは、私のこれまでの様々な場での見聞からまずないと言えます。

近くに座っている白人に対して、彼・彼女が何人であれ、好んで英語で話したがるアジア人、例えばマレーシア人はいくらでもいる。一般にマレーシア人ほど英語力がないタイ人でもインドネシア人でも話しかける比率は減るがまあ同じようなものでしょう。しかしこれは愛の芽生えに結び付くようなことは限りなくゼロに近いケースです。明らかに日本人とわかるような一人旅行者に対して話しかけてくるアジア系の非日本人は珍しくないと思われます、この判断は女性の立場からだと難しいでしょうね。

しかし現実はシナリオが成り立たない

ではシナリオ その1から3までのような、意識的に近くに座るケースの場合はどうでしょうか。結論を先に言えばシナリオはシナリオとならない。そもそもそういう行動に出る女性がいると期待すること自体がおかしいといえますね。自由座席制を前提にした場合、機中が満席に近く他に座る席がほとんどないような場合を除いて、東南アジアの文化と慣習のもとで、わざわざ見知らぬ男のすぐ横近くの空座席を選んで女性が座ることはまずありえないでしょう。その逆、つまり他に空いている座席が充分ありながら男性が女性の座っている席のすぐ横席を選ぶこと、はないことはないだろうが、まあ女性に無視されるかなんとなく嫌な顔をされる可能性が非常に高い。

従がって,こういうシナリオが成り立つ可能性はどう考えてもごくごく低い、つまりこの”映画”は制作できないことになる。いわば番号当てくじで1等を当ててRM 100万を入手するぐらい難しいことでしょう。

東南アジア文化、慣習はやはり米国流の文化、慣習とは依然として且つ厳然として違うのです。東南アジアでどんなに西欧ポップスが流行しハリウッド映画が好まれようと、映画の一場面のような行為は東南アジアの慣習、文化状況下では”個人として”真似しにくいことになる。ただグループの場合はまた別ですね、例えば集団の若者が海岸や離島で開放的な気分で振舞うような行動がありますから。しかしこういう行動する若者でも、飛行機内で個人として同じように振舞えるかといえば、大人しくなって(?)行動にうつせなくなります。

インターネットと携帯電話を利用した出会いサービスは人気がある

現代はインターネット及び携帯電話を使ったSMS(文字送受信)の時代です。ですからこの2つを利用した出会い・デートサービスのサイトまたは会社はマレーシアにも数あるそうです。今やこれは世界の潮流ですから当然のことですが、探す本人と探す対象者の両方で民族選択項目があるのは複数民族が前提であるマレーシアらしい一面です。この種のマレーシア製サイトの中にはたいへん人気あるところもあるそうです。具体的な人気度は知りませんが、インターネット出会い・デートサービスを提供しているサイト例: www.ahmoi.com、   www.carikawan.com (注:友達探しといういう意味)

ちょっと前に次ぎのような新聞記事を載せました(2004年5月27日)。上の2つのサイトと下のサイトを開いてマレーシアの出会いサイトをご覧になるといいでしょう。尚誰でも登録できるそうなので、興味ある方は登録して探せますよ(推薦してるわけではありません)。

携帯電話からでもできるインターネットデートサービス”DoCoRo"
モバイル式インターネットプログラムの開発会社Unetrix は、モバイル機器を利用して同社のインターネットデートサイトに接続できるサービス”DoCoRo"を開始しました。「接続に利用できる機器は普通のパソコンでも携帯電話でもいいのです。インターネットデートはたいへん個人的なことです、多くの利用者は家のパソコンで接続します。しかしマレーシアの家庭保有率は100人中16人程度だ、携帯電話なら100人中43人、だからモバイルが接続法として最適です。」と同社のマネージャーは説明する。

この”DoCoRo"サービスに登録したメンバーは、理想のパートナーを探すために入力するためのツールを提供されます。適合があればその人物のプロファイルが見られる仕組みです。”DoCoRo"は現在、英語版とマレーシア語版があります。携帯電話利用者はGPRSの機能が必要です。”DoCoRo"を携帯で利用するには毎月RM10支払いが必要ですが、パソコンは無料とのことです。 www.docoro.com

サイバー出会い・デートは手軽で費用もほとんどかからず、気軽に登録して気楽に探せるから人気を呼ぶということですね。しかも実際に相手と会うまでに、音なきことばを交わせる(メール)し、面と向かっての接触もありません。これは、イスラム教学者・権威者の見方は別にして、東南アジア文化と慣習にも取りたてて接触しないようです、現にたくさんのマレー人らムスリムが登録していることからもそれがわかります。

どうやらAirAsia の自由座席制にほとんど期待はできない

はっきりといえることは、インターネット出会い・デートサービスは、根本的とまではいいませが質的に飛行機内の接触とは違います。もともとは西欧的発想のこれらのインターネット出会い・デートサービスはマレーシアのような東南アジア国でも受け入れられて人気を呼んでおり、愛を生み出しているまたは愛を生み出すことが強く期待されていると言えます。しかし格安航空機の自由座席制は東南アジア的文化と慣習のしきりを取り払うことはできない、と言えるのではないでしょうか。

こう考察していくと、我らが AirAsia がSouthwest Airlines 並の”愛が形成される航空会社” になる可能性は相当低いですね。まあSouthwest Airlines の数十分の1から100分の1程度では起るかもしれませんけど。ということで、愛の芽生えを期待してAirAsia に乗ってもどうも無理そうだなあ。



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