「今週のマレーシア」 2004年12月のトピックス

・ ラオスで開かれたASEAN会議に思う、アセアンの1国としてのマレーシア
・ ハリラヤプアサ中に外国人労働者が集中する界隈  ・クアラルンプールの華語小学校はたいへん不足している
・ Intraasia の雑文集 − 2004年分から抜粋 −



ラオスで開かれたASEAN会議に思う、アセアンの1国としてのマレーシア


ラオスで11月末アセアン首脳会議が開催されました。首脳会議に先立って且つ平行してアセアン加盟国の政府指導者レベルでいくつかの会議も行われていましたから、これはアセアンが毎年1回催行するアセアン最高レベル会議といえるものです。

日本でどのくらい関心を呼び、報道されたのかは知りませんが、今年のアセアン最高レベル会議はたいへん重要なというか節目の会議と呼んでもいいのではないでしょうか。マレーシア、タイ、シンガポール、インドネシア、フィリピンが集まって1967年に設立し、そしてブルネイが1984年に参加したASEAN はその後、1990年代後半になってベトナム、ミャンマー、ラオス、カンボジアが参加して、文字通り東南アジア諸国を網羅した、地域ブロック機構となりました。その正式名 Association of South-East Asian Nations の頭文字を取ってASEANとなりますね。ヨーロッパのヨーロッパ同盟 Europian Union の東南アジア版とも言えますが、実態も内容も相当違うのではないでしょうか。

ASEAN 加盟国の概要
ABC順の国名面積 平方Km人口 単位万人輸出総額 US$億輸入総額 US$億
ブルネイ
5,700
35.6
$44
$12
カンボジア
181,000
1340
$14
$18
インドネシア
1,900,000
2億1450
$634
$390
ラオス
236,800
570
$3.6
$4.8
マレーシア
329,800
2480
$1050
$792
ミャンマー
676,600
4940
$5.9
$3.7
フィリピン
300,000
8150
$350
$361
シンガポール
620
430
$1578
$1285
タイ
513,000
6200
$784
$742
ベトナム
331,700
8130
$195
$216

ASEANは地理的に大海をはさんで大陸部と海洋諸島部に分かれて広大に広がっており、ヨーロッパ大陸のような地理的均質性はありません、しかも民族、文化、歴史、言語、宗教特にイスラム教の持つ重み、経済発展度に大きな違いがありますが、東南アジアというまとまりはあるはずです。だからこそASEANが設立されたわけです。

アセアンに及ぼす中国の影響

さて今年のアセアン会議は、中国という存在がものすごく大きな影を落としていたように思えます。それは世界の、つまり先進国からの投資が中国1国に圧倒的に集中し始めている状況に、アセアンが危機感を持っているからです。2003年に中国が受けた外国からの総投資額がUS$540億、一方アセアン全体では US$ 200億 でした。つまり中国たった1カ 国でアセアンの倍以上も投資を引きつけているわけです。1990年頃にアセアンと中国がそれぞれ受けた外国投資額は、大体同額ぐらいだったとのことです。

アセアン各国の発展の最大の鍵は外国からの投資をどれだけ引きつけられるかです。もちろんそれが唯一の鍵でないのは言うまでもありませんが、しかし第1の鍵と言えるでしょう。これはミャンマーのような国を見れば明らかであり、諸外国からの投資がほとんど向かわないミャンマーは、いくら頑張っても自力ではほとんど発展の余地がありません(軍部独裁を敷いているため自業自得ですね)。

中国は外国からの投資を引き付けるだけでなく、アセアンに積極的に進出しているようです。
マレーシアの場合をあげましょう。確か3、4年前かな、中国銀行が政府から銀行免許を認められて、クアラルンプールのKLCC前を走る主要通り Jalan Ampang に本拠を構えました。KLCCから徒歩5、6分、日航ホテルの斜め対面です。90年代中頃までマレーシアの金融グループ MBFが所有していた高層ビルにすっぽりと入居したのです。ビルの上部に掲げられた中国銀行の文字がまことに目立ち、象徴的な存在ですね。サラワク州でのバクン水力発電巨大プロジェクトの一方の主役は中国企業体であり、半島部で進行中のイポーまでのマレー鉄道電化複線工事の半分を担っているのも中国企業体です。来年初めから中国車がマレーシアで積極的に販売されますし、サラワク州では中国製のバイクが組み立てられており、これまた積極的に販路を開発中とのことです。

日常品や衣料品に中国製品は、店舗とスーパーと屋台を問わず至るところで売られており、中国製品を見かけずに買い物はできないほどです。さらにこの数年急増した中国人旅行者と、それに付随した10万人を超えると推定される違法滞在の中国人の存在です。おかげで華人地区では中国人を見かけない日はありません。新聞を開けば、華語紙はいうまでもなく英語紙も毎日毎日中国関連の話題を伝えています。私ははっきりいって、中国と中国人のニュースに食傷気味ですな(反中国、中国排斥という意味ではありませんよ)。

アセアンとの自由貿易面で先手を打った中国

そんなおり、今回のアセアン会議と平行して持たれた、アセアンと中国の会議では、画期的なアセアン−中国協定が結ばれました。この協定ではアセアン中のマレーシア、タイ、シンガポール、インドネシア、フィリピン、ブルネイの6カ国と中国との間の貿易において、2007年までに3分の1の関税を撤廃するというものです。そして2010年までに全廃を目指す。他のアセアン4カ国は2012年を目指すとのことだそうです。つまりアセアンと中国の間で関税を撤廃した自由貿易ブロックをめざすということです。 日本とアセアンの自由貿易協定はブロックとしては進んでいません。中国に先を越されたというところでしょう。日本は来年からASEANとの関税撤廃交渉に入って協定を早く結び、中国に数年程度遅れて自由貿易実施に望む計画だそうです。

マレーシア企業はもちろん中国投資を重要視して、少なからずの企業が進出または計画しています。例えば大企業グループである LIONグループはもう何年も前からParksonデパートを中国各地に展開中です。上で述べたように、中国企業のマレーシア進出も目立つようになりました。こうしてマレーシアに限らず、もうアセアンは中国の存在を最優先して考えて行かねばならない状況になりつつあるようです。それが今回のアセアン会議の特徴みたいですね。ですから私は、11月末に掲載した 「新聞の記事から」 のASEAN会議のニュースに関するコメントで ”影の主役は中国である” と書きました。

筆者のアセアン諸国との関わり

当サイトはマレーシア専門サイトですから、ムスリム社会との関連からごくたまにタイ深南部を扱う以外は、マレーシアばかりです。しかしずっと以前にもサイトで明確に表明していますように、私はあくまでも ”東南アジアの中のマレーシア” という視点と観点でサイトを運営し文章を書いています。

その理由はもちろんマレーシアが東南アジアに位置することですが、私自身の中で長年東南アジアに関わってきたからです。1981年に初めて東南アジアに足を踏み入れて以来、来年が記念すべき25周年になります。もちろん当初から今のように深く関わっていたわけではありません、80年代は他地域も熱心に関わっていたのでくっついたり離れたりの状態でした。それが90年以降は専ら東南アジア専門です。

東南アジアの中で自分の中で深く関わってきたのは、出会いの古い順に書けばインドネシア、タイ、マレーシア、ベトナムです。この4カ国とはそれぞれの国の国語学習を含めて、関わり期間に長期、短期の違いはあるもののそれなりに熱心に打ち込みました、または打ち込んでいます。他の5カ国:シンガポール、ミャンマー、ラオス、カンボジア、ブルネイ とは通り一遍の関わりです。フィリピンだけはまったく関わりがありません。

アセアン会議主催地ラオスの思い出

今回のアセアン会議の主催はラオスでした。ラオスを訪問されたことのある方はごく少ないはずですが、東南アジアの中で、経済成長を基準に2分した時、その下部を占める国の中でも最下部に位置する国がラオスです。これは決して蔑みのつもりからでなく、哀愁を込めたラオスへの思いです。人口わずか600万人程度でいろんな意味で困難で貧しい状況に置かれているラオスを見る時、マレーシアはなんて発展した、そして将来有望な有利な立場にあるのだろうとつくづく思います。

1千万人にはるか満たない少ない人口、海もなく大きな鉱物資源もないといった地理的不利性、メコン川を挟んだ隣の大国タイと国語ラオ語が幸か不幸か姉妹言語であることがタイ現代風俗文化の侵略を招きやすく、且つ北方では巨人中国と隣り合っています。こうした状況から独自性を出そうとすれば鎖国的になってしまいがちであり、そうなれば余計発展が進みません。ラオスはまこと難しい地理的且つ民族的位置にあると思います。

私はラオスに、援助関係者や商社などのビジネス訪問者でなく、日本人の単なる個人旅行者としてはかなり早い時期に入国しました。1990年タイのノンカイからメコン川を小さなボートで渡って入国したのです(もちろんビザを事前に取って)。当時は現在のようなメコン川にかかる友好橋は存在しないし、持ち込み、持ち出し通貨を申告する義務がまだあった時代です。首都ビエンチャンは5階を超えるような建物はごく例外的であり、信号機が設置されていたのはわずか数機だけでした。道路の真中に寝そべっても車に轢かれるまでに相当時間がかかるだろうと、当時私は描写したことを覚えています。

外国人旅行者はビエンチャンから陸路離れてはいけない、他の大きな町へは空路で訪問しなさいという規則すら存在していました(でも私は官憲の取締りを心配しながらもオンボロバスで隣町まで日帰りしようと試みました、がビエンチャン郊外でバスがパンクし時間がなくなってあきらめた思い出があります)。テレビではタイのテレビ局がそのまま映り、タイ語はよく通じる、しかしメコン川1本超えただけでこれほど極端な違いが生まれるものだなと、唖然としたことを覚えています。

ラオスがマレーシアに追い付く日は来ない

同じ年の約半年後、私はマレーシアに住むようになりました。1990年末当時のクアラルンプールは現在のようなKLCC、ツインタワー、巨大ショッピングセンター、何本ものハイウエー、2階建て構造の自動車道路などはまだありませんでしたが、それでもごみごみと活気ある近代的東南アジアの大都市を感じさせるに充分でした。ラオスのビエンチャンとは、まさに月とすっぽんの違いがありました。1990年の時点でもうそれほどかけ離れた違いのあったクアラルンプールとビエンチャンの差は、2004年の現在では恐らくより広がっていることでしょう。(2004年のビエンチャンを見てないですが、知る限りの情報からどう推測してもビエンチャンに他の東南アジア大都市並の近代建設が始まっているとは思えない)

昨年タイで私の好きなイサーン(東北部のこと)をぶらついていた時、久しぶりにメコン川を見に行きました。メコン川沿いに位置する町に滞在し、対岸のラオス側をずっと眺めていました。透明度ゼロの水がとうとうと流れるメコンのすぐ向こうがラオスです。その町を訪れたのは数年ぶりです。メコンの対岸は当時と全く変わっていないかのようです。タイ人は対岸へ簡単に渡れるので、週末などを利用して出かけています。日本人など外国人は入国ビザが事前に必要であり、その取得料金の高さ(US$50ぐらい)に、宿泊食事など1日の全予算US$10 の私にはとても取る気にはなりません。

川渡りボートの発着する桟橋でボートに荷物を運んでいる人夫や、ラオス人とおぼしき人たちの荷物を見れば、食料品や日用品、小型電化製品ばかりです。印刷されている文字などからほとんどタイ製に見えました。このように工業がほとんど育ってないラオスはもうあらゆる物をタイから入れていることが実感できます。1990年にビエンチャンで見た光景・構造と基本的に変わっていないかのようです。もちろんラオスは発展しているでしょう、しかしそのスピードたるやマレーシアの10分の1、いや数十分の1と言っても間違いではないのではないでしょうか。

国の幸福度は経済成長だけにあるのではない、という主張があります。確かに理屈ではそう思います。しかし 基本的日常品でさえタイから入れなければならないような国ラオスの貧しい一般民衆にとって、それは豊かな国の民の現実生活を知らない空虚なことばに映るに違いありません。

東南アジアの発展国

翻ってマレーシアを見てみましょう。地方の小さなスーパーマーケットでも日常生活に充分たる商品が溢れています。もちろんタイ製があったり日本製が混じっていたりしますが、日常生活品や電化製品がほとんど外国製輸入品などということはありえません。十分に発展して物のたいへん豊かな”発展途上国”マレーシアの面目躍如な面が、あちこちの一地方町でも充分に感じられます。町を歩く人の体格を見れば栄養取り過ぎと思えるほど丸々した人たちが珍しくありません、各メーカーの新車はどこででも見かけます。まことマレーシアは物質面では豊かな、資源に恵まれた、さらなる発展性の高い”発展途上国”です。

マレーシアを日本とだけ比較していては、その置かれた立場と状況がよく見えてきません。東南アジアの中の1国としてのマレーシアを見る必要があるのです。バリだけを見てインドネシアを論じるのが愚かであるように、シンガポールだけを見て東南アジアは全く論じられません。同様にクアラルンプールだけを見てマレーシアを論じてはいけません。まず専門書を読んで東南アジアの基礎知識を得ましょう、そして例えばマレーシアを訪れる機会がありましたら、クアラルンプールの次には各地にも足を伸ばしてみませんか。学者の書かれた専門書から得る知識は大切です、しかしそれだけではまこと不十分ですね。フィールドワークが必須です、ですから地方の町や村も訪れましょう。

こうして東南アジアの数カ国を自分の足で旅してみると、その国の特徴がなんとなく、はっきりとではないけどぼんやりと浮かんでくることが感じられるはずです。東南アジアに位置するマレーシアの良い点も嫌いな点も、他の東南アジア諸国と比較してみるとより興味が沸いてくることでしょう。



ハリラヤプアサ中に外国人労働者が集中する界隈


ハリラヤプアサはマレーシア人だけが享受するのではありません。祝祭日2日間は当然ですが、合計4、5日は会社、工場、ショッピングセンター以外の多くの店舗、が一斉に休みになります。官庁、役所でも休みを取る人の割合がぐっと増えます。従がって、とりわけ工場で労働者として、及びビル、店舗などで下働きとして働いている合法または違法の外国人労働者も、それを享受することになります。

外国人労働者も享受するハリラヤ休日

毎年ハリラヤプアサの数日間、クアラルンプールの有名ショッピングセンターや市内有名観光地に外国人労働者の姿が急増して、そのことがいつも報道されます。もちろん私自身もそれを実際に目にして来ました。

外国人労働者にとっては、数日間から1週間弱の休みだがそれぞれの国に帰るには短すぎるし何よりも費用がかかる、都会から離れた工場の宿舎にずっといてもつまらない、同国人の仲間が集まるまたは仲間と連れ立ってクアラルンプール中心部に繰り出して楽しもう、それぞれの同国人仲間と親交を暖めようと、というのが主たる理由でしょう。

このためクアラルンプールの有名地または特定ショッピングセンターに実に多くの、間違いなく何万人という外国人労働者が集まるのです。当サイトは初期から、回数多く外国人労働者のことを伝えてきました。当コラム と 「新聞の記事から」 を定期的にお読みの方なら、すでにお気づきのことでしょう。その理由は、マレーシアという国は外国人労働者抜きには成り立たない経済構造になっていることを知っていただきたいこと、身の回りに数カ国から来た数多くの外国人労働者が働き且つ住んでいること、そして私自身外国人労働者問題に関心があること、からです。

外国人労働者向けの店が集中するJalan Silang 界隈

私は今年のハリラヤ前と休日中の2回、クアラルンプールの外国人労働者集中地の一つである Jalan Silang 界隈を訪れました。Jalan Silang 界隈は外国人労働者に関心があれば、必ずや足を運ぶ地であり、且つこれを知らずにことを語れません。外国人労働者は、それぞれ出身国毎に集まりますから、その出身国集団によって集まる場所があります。

数では外国人労働者中の圧倒的大多数を占めるインドネシア人は全国各地にそういった地を持っています、例えばクアラルンプールのチョーキット地区は伝統的にインドネシア人の ”テリトリー”です。普段からチョーキット地区はインドネシア人が極めて多いので、インドネシア大衆食堂はもちろんインドネシア民間薬やインドネシア語の新聞まで、あれこれ入手できます。
他にもインドネシア人が固まって住む地はクアラルンプール内外に複数あります。

注:Jalan Silanの位置は、『クアラルンプールの交通機関案内編 』 内の 「クアラルンプールを起点とする市内・近郊バス」 ページに載せた地図でご覧ください。


Jalan Silang 界隈はもう何年も前、確か1990年代の後半頃、そこに私が注目した頃はバングラデシュ人向けの店がJalan Silang 通りだけに集まって数軒営業していました。その後2000年ごろからミャンマー人向けとネパール人向けの店が少しづつ増えてきて、今ではこの2種の店がバングラデシュ人向けの店を圧倒しています。最初の頃のJalan Silang 通りだけから今ではその通りに交差する通りを含めたJalan Silang 界隈に広がり、ミャンマー人向けとネパール人向けとバングラデシュ人向けの店が、合わせて20軒近くはあるでしょう。ビルの上階の狭い目立たない店から地上階にある立派な店舗まで様々で、雑貨店舗から旅行社、稼いだ金を自国に送る送金代行会社まであり、さらに最近ミャンマー人用の理髪店までオープンしたことに気がつきました。

どの店もその国出身者の必要な食品、薬品、娯楽雑誌、音楽カセット・CD、日常品、衣料などを所狭しと並べてあり、何軒かの店は食堂かカフェも併設しています。それぞれの出身国に安く電話できる格安国際電話コーナーを併設している店もあります。私の見る限り、週末はいつも混んでいます。そこへ行けば自分の国の品が種類多く選べる、同国人仲間が多少に関わらず必ずいる、つまりおしゃべりや情報交換できるということで、 Jalan Silang 界隈はいつもこの3カ国の人間を引き付けているようです。さらにJalan Silang 界隈は、クアラルンプール発着の市内近郊バスの9割が集中する地区でもありますから、自前の交通手段を持たない外国人労働者にとって足を運びやすい地区です。この公共交通の便が抜群にいいというのは、Jalan Silang 界隈の他所にない利点です。

男ばかりの外国人労働者群

ハリラヤの前日つまり11月13日、Jalan Silang 界隈を少しだけぶらついてみました。もう休みに入っている工場も多いからでしょう、普段よりはるかに多い外国人労働者の数が目に入りました。この界隈の外国人はいつもながら男ばっかりの世界です。労働力としてマレーシアが移入している外国人労働者の主体が男性労働であることが、その一番の理由のはずです。バングラデシュから女性が働きに来ることは考えられませんが、非イスラム教国であるネパールとミャンマーからも、ほとんど男性労働力ではないでしょうか。

マレーシアに入って来る女性労働者としての最大グループは住み込みメイド、掃除・清掃人、調理手伝い兼皿洗い人としてのインドネシア人です。メイドとしては伝統的にフィリピン女性もいますが、数はインドネシア人女性の1、2割にも及ばないでしょう。その他メイドとして雇うことで、タイ人、カンボジア人、スリランカ人などが労働許可されていますが、実数としては微々たる数だと推定されます(コミュニケーションが難しいのが主因でしょう)。
工場労働力としての女性はインドネシア、ベトナム、などから移入されていますが、男性労働力の多分1割にも満たないのではないでしょうか。さらに仕事後、休みの日にバスなどに乗って宿舎回り・近所以外の所へ出かけるような行動は、圧倒的に男性が高い率を示すのはわかりますね。
こういったことから、路上や街頭で見かける外国人労働者の姿としては男性が圧倒的に多数になります。

休暇中も大賑わいの有名ショッピングセンター

ハリラヤ期間中、マレー人主体に多くの都市住民が Balik Kampung つまり帰郷します。クアラルンプールの路上の交通が平日よりも交通量が少なくなる普段の休日に比べても半減以下になり、たいへんスムーズになることは都市に残ったものなら誰でも実感できます。つまりそれだけ都市を離れるものが多いという証拠でもあります。もちろん皆が皆都市を離れるわけではありませんし、クアラルンプール出身者も充分いますから、クアラルンプールが田舎町みたいに静かになることは起りえません。さらにクアラルンプール及び近郊市は、マレー人の比率が、7、8割も占めるようなマレー人が跳びぬけて多い都市ではありません。

こうして都市住民は買い物に限らず時間つぶしの場としてもショッピングセンターなどを訪れますし、休暇を利用してクアラルンプールに来るマレーシア人もいますから、休み期間中は有名ショッピングセンターは大繁盛です。外国人労働者も当然この範疇に入ります。つまりショッピングセンター内外で多くの外国人労働者の姿を見かけることになります。

Jalan Silang 界隈のユニークさ

またJalan Silang 界隈に戻ります。こういったハリラヤ休暇中に人々がぶらつく、出かける場所の中で、ほとんど外国人労働者ばかりだという場所は、Jalan Silang 界隈をおいて他にないでしょう。尚チョーキットはもともと外国人労働者の多い界隈ですがマレー人店舗、屋台が主体ですので、ハリラヤ時期は休みの店、屋台がたいへん多い、よって普段の賑わいはありません。この時期のJalan Silang 界隈のユニークさはひとえに外国人労働者ばかりというところにあります。

ハリラヤ2日目の15日昼前から昼過ぎにかてJalan Silang 界隈を3時間ほどぶらついて観察ました。界隈で見かける、歩いたりたむろしている人々に占める外国人労働者の率は実に8割以上といえるでしょう。とりわけミャンマー人向けとネパール人向けとバングラデシュ人向けの店が数多く集まるこの界隈の中心、Jalan Silang 通りでは実に95%以上は外国人労働者です。そしてそのまた95%ぐらいは男です。

一体どこにマレーシア人がいるんだというくらい、ミャンマー人、ネパール人、バングラデシュ人らの集団と小グループが道路の半分以上を占拠していました。通りの至るところで10人前後の男だけのグループが数多く出来上がっており、ある者は道端にしゃがみ込み、ある者は立ちながら路上の会話は延々と続きます。話しが終ればショッピングセンターや飯でも食いにいくのでしょう、去って行くグループがあれば、一向に立ち去らないグループもあります。

この界隈はバス発着集中地のため、次々と到着するバスから次々とこの外国人男たちが吐き出されます。ですから去って行く者がいても人ごみが減ることは決してないのです。ある時点で数えれば、Jalan Silang 界隈に集まった外国人労働者数は間違いなく何千人にといえるでしょう、そして入れ替わり立ち替わりやって来る彼らの数を数えればこの日1日だけで数万人を数えるといっても過言ではないでしょう。それほど見事に外国人労働者がこの半径数百メートルにすぎない一帯に集まって来たのです。まさに壮観といえるほどの群集です。

普段見かけないベトナム人もかなり集まってきた

ミャンマー人、ネパール人、バングラデシュ人だけかと思いきや、そうではないのです。すれ違う、または立ち止まって話しているグループの顔かたちとことばを聞けばインドネシ人も数少なくいました。それよりも目についたのが、ベトナム人の存在です。この界隈にベトナム人労働者向けの店は、私の探す限り且つ知る限り、全くないのですが、それでもベトナム人の姿をこれほどまとまって見かけたのは初めてです。なぜベトナム人とわかるか。それは、顔つきがバングラデシュ人はいうまでもなく南アジア系のネパールやミャンマー人と違うので、何人かなと何気なく近づいてそのことばを盗み聞けば、ベトナム語を話しているからです(私はベトナム語を昔一時期熱心に学習したことがあります)。

ベトナム人は、外国人労働者のオンパレードともいえる私の居住地では極めて珍しい存在であり、且つミャンマー人、ネパール人専門ショップのようなベトナム人専用ショップをどこにも見かけたことがないので、彼らはどこに集まるのだろうかと私は常々興味を持っていました。

注:マレーシアで働くベトナム人労働者の総数がミャンマー人、ネパール人、バングラデシュ人に比べて極端に少ないのではなく、彼らの携わる産業による偏在のためである。

この日見かけたベトナム人は、とりわけプドゥラヤバスターミナルに面したローターリーの脇にある駐車場あたりで、5、6人ぐらいのいくつかのグループとなり、車座になって座り込んで話していました。Jalan Silang 界隈に行けば自国仲間に会えると聞いて、各地から集まってきたことでしょう。ミャンマー人、ネパール人、バングラデシュ人の数には全くかないませんが、ベトナム人の存在も確認できて私はなんかほっとした気持ちを覚えました。

やはり中国人は全く見かけなった

思ったとおりというか予想したとおり、Jalan Silang 界隈では中国人は1人足りとも見かけませんでした。私の居住地では日常的にみかけ、且つ我アパートにもグループで住んでいる、多分違法滞在者の多い中国人ですが、彼等の行動パターンは他の外国人労働者とは多少違うようです。

マレーシアの出入国管理法の面からいえば、見かける大多数の中国人はマレーシアにおける外国人労働者とはなりえません、なぜならインドネシア人、ミャンマー人、ネパール人、バングラデシュ人、ベトナム人のような工場の単純労働、メイド、農園労働者としての労働許可証は、未だ中国人には許可されていないからです(企業経営・専門技術者、手工業職人、エクスパトリエート、マレーシアマイセカンドホーム適用といったような範疇では当然許可されます)。ですから理論的にはこの種の範疇に分類される中国人は存在しないはずです。言うまでもなく理屈と現実は違いますから、最近はあちこちで中国人の存在を感じます。

バス乗客にみる外国人労働者比率の高さ

上で触れましたように、Jalan Silang 界隈にこれほど多くの外国人労働者が集まるということは、界隈で発着するバスの乗客に外国人労働者の比率がぐっと高くなること示唆しています。現に界隈で見かけたバスからは続々と外国人労働者が降りてきたし、私がJalan Silang 界隈に出かけたバスの乗客の3分の2以上は外国人労働者風でした。また別のバスでJalanDuta長距離バスターミナルにも出かけましたが、そのバスの乗客の半分くらいは外国人労働者でした(つまり少なからずの外国人労働者がこの休暇を利用して、クアラルンプールにやって来たこともわかりました)。このようにマレーシア人乗客が減った分、いろんな市内・近郊路線で多くの外国人労働者がバス乗客になり、時にはその車両の3分の2以上も占めていたはずです。

マレーシアの、とりわけムスリムコミュニティーにとっては、最大の祝祭であるハリラヤプアサ時期の外国人労働者の特定地点集合現象は、ほとんど国民の関心を呼ばないできごとです。そして下町や都市周辺の非・高級住宅地区や軽工業地区を訪れない在住者、日本人旅行者を含めた外国人旅行者にはまず伺い知りえない”外国人労働者群像”でしょう。しかしこれはもはやハリラヤプアサ時期の年中行事になっているのです。多民族国家且つ外国人労働者依存国家マレーシアの一面ですね。



クアラルンプールの華語小学校はたいへん不足している

−第362回 「華文小学校と中華中学校の保持と発展に力を注ぐ華人界」 の続編として−

マレーシアの教育体系の中で、小学校段階で民族語で教育する小学校があることはこれまでもこの 「今週のマレーシア」で何回も説明してきましたね (日本人学校やインターナショナルスクールはいうまでもなくマレーシア教育体系外です)。この民族語を用いて教育する小学校の存在は極めてマレーシア的特徴です。

民族語を用いることに特徴と意義がある

民族語教育の小学校とは、すなわち華語(華文)を用いて教育する国民型華文小学校と、タミール語を用いて教育する国民型タミール語小学校です。サバ州の小学校では教育科目として、サバ州最大のブミプトラであるカダザンドゥスン族の民族語であるカダザンドゥスン語科目があるそうですが、その小学校がカダザンドゥスン語を用いて教育しているわけではありません。ですからマレーシアという国では、華語とタミール語の2つの言語は、初等教育上の公式言語の一つであるといっても過言ではありません。しかし中等教育以上ではその地位はなくなり、教育科目としてだけ留まります。

注:独立中華中学校だけは例外です。これについては362回で説明しました。


華文(華語)小学校とタミール語小学校、とりわけ華語教育における初等中等教育の現状と問題に関するコラムを 第362回の 「華文小学校と中華中学校の保持と発展に力を注ぐ華人界」 で詳しく書きました。ですからこのコラムはその続編としての位置付けですので、基本知識の取得または確認のためにも、是非第362回をあらかじめお読みください。

そこで今回は、首都クアラルンプールにおける華文小学校の現状と問題に焦点を当てます。ここに紹介する統計表は、教総の調査研究と情報グループが教育省教育政策研究所などの資料をまとめて整理し作成したものです。そして華語紙 『東方日報』が10月24日付け紙面の華文小学校に関する記事でその表を引用して掲載しました。

注:董教総とはマレーシアにおける初等及び中等教育段階における華語教育の総本山的役割を果たす連合体で、政府翼下の団体ではありません。華文小・中学校の運営に関わる理事会の集合体である董総と、華文小・中学校の教師の団体である教総の連合体です。教総:マレーシア華校教師会総会 この2つの団体を抜きにしてマレーシアでの華語教育は全く成り立ちません。


華人人口の多いクアラルンプール

連邦直轄領であるクアラルンプールは華人人口比が全国平均(25%)よりずっと高く、インド人も全国平均人口比(8%)よりやや高い数値を示しています。つまり華人人口が非常に多く、インド人もそれなりに多いということです。
次ぎの表は2000年国政調査の公式記録の数値を私が参照して作ったものです。2000年時点でクアラルンプールの人口は140万人弱です。
クアラルンプールの民族別人口比率
民族別マレー人主体のブミプトラ華人インド人その他合計
割合43.6%43.5%11.4%1.5%100%

以上の基礎知識をお知りになった上で本題に進みます。特に明示しない限り、全てクアラルンプールに関する数字、です。尚「華文」 と 「華語」 は同一の意味です。

小学校の生徒数の比較からわかること

最初に全体像をつかむために、マレー人、華人、インド人の各民族毎に小学校に通う生徒数を見てみます。

民族別の通学校割合 (2003年7月時点)
民族マレー人華人インド人
小学校別人数割合人数割合人数割合
国民小学校73331598%642310%1130875%
国民型華文小14142%5520790%7985%
国民型タミール語小7
0
290720%
合計74736100%601630100%15013100%

注:パーセントは小数点以下四捨五入、

まず言えるのは、マレー人は子供を国民小学校に通わせ、華人は華文小学校に通わせている、という通説は間違いないということです。しかしインド人は子供をタミール語小学校に通わせている率がたったの 5人に1人 にすぎないという事実に注目して下さい。これはインド人界でタミール人の割合は8割弱程度である、マレーシアにおけるタミール語の通用力と必要度はマレーシア語、華語に比して各段に落ちる、タミール語小学校の施設と質は国民小学校と華語小学校にとても適わない、タミール語小学校自体の数が少なくて住居地近くにない場合も多い、という4つの理由がその主なものでしょう。よってタミール語を母語とするタミール人家庭でもあえてタミール語小学校に子供を通わせていないという、現実になっています。インド人の中で5%が華文小学校に子供を通わせているというのもちょっと興味深い事実ですね。

華人が子供を国民小学校に通わせている率が、10人に1人となります。これは後で説明するように、華文小学校に通わせたくても華文小学校が住居地近くにない、近くに華文小学校があっても入学定員が満員でもう空きがない、というのがその主要な理由だそうです。

均一度の割合
国民小学校の生徒に占めるマレー人の割合は80%、次いでインド人が13%を占めます。
国民型華文小の生徒では、華人が96%を占めます、当然といえば当然ですね。でも4%は他民族という見方ができます。
国民型タミール語小では、インド人がほぼ100%占めています。

学校種別の24年間における変化

それではこの3種類の小学校はこの4半世紀の間にどのような統計数字的変化を経てきたかを眺めて見ます。

学校数と生徒数の変化と比較

1980年1990年2004年24年間の増減
小学校別学校数生徒数学校数生徒数学校数生徒数学校数生徒数
国民小学校8467128103831171349575050増28622増
国民型華語小414830741509340592071減10900増
国民型タミール語小1632581632671529881減270減


表をみれば一目瞭然のように、国民小学校は生徒数の増加(43%)に合わせてというかそれ以上に学校数が増えています(60%)。しかし華文小学校は生徒数が23%伸びたにも関わらず学校数は逆に1校減っています(実質は2校減って1校増えた)。ですから下の表で示されているように、1校あたりの平均生徒数が大きく増えていますね。

クアラルンプールの華文小学校の中に生徒数が巨大化した学校がある原因は親たちの有名校集中心理にある、という説があるそうです。これに対して、教総は明確に否定しています。いわく 華人社会の人口が増え、通学する華人生徒数がぐっと増えた、さらに住居地近くに華文小学校が充分にないかほとんどない、よって華文小学校自体の供給が生徒需要に追いつかないことである、有名校集中心理は主たる原因ではない、と。これは上表を見れば、納得できる説明ですね。24年間に1万人以上生徒数が増えたにも関わらず学校数が全く増えていないのですから。

数字が如実に示す華文小学校新設の困難さ

そもそも各種小学校は独立以来どのように変化してきたのでしょうか。
マラヤ連邦独立を境にした学校数及び設立数の変化

1957年の独立まで独立以後2003年まで総数
国民小学校47校80校127校
国民型華文小36校4校40校
国民型タミール語小12校3校15校


歴然とした事実は、国民小学校は国の政策を受けて当然のごとく大幅に増えて小学校教育の主流となった、しかし華文小学校はこの47年間に増えたのは4校だけにすぎない、ということですね。尚華文小学校の増加数の内、全く新規に建設された小学校は1校のみで(1990年開校)、あとは巨大になった学校が分校化されることで数が増えた例です。

ことほどさように華文小学校の新規建設は困難であるということです、つまり華人界からの度重なる要求にも関わらず教育省から新規建設・設置許可が下りないからだそうです。公教育の土台である小学校を勝手に設立することはできません、地方自治体の建設許可を得る前にまず教育省の許可が必要だそうです。華文小学校の問題は、極めてマレーシアという国の性格と国政政治に絡んでいるので、単に初等教育の場という枠組の中だけでは解決できない面も抱えています。しかし純粋に技術的側面からだけでもある程度の解決は可能ではないでしょうか、だから華人界はそういった側面からも華文小学校の新規設立・建設を望んでいるように思えます。

注:なぜ初等教育だけの枠内では解決できないかは、第362回で掲げた次ぎの一節を上げておきます。「マレーシアの初等教育における民族性教育は、マレーシア人という”非特定民族的国民”を創出する努力の中で如何に民族性を保持するかという困難な目標を内在しており」。 これはまことに難しいことです。ある民族の民族性を強調しすぎれば国としてのまとまりが薄れ、もっぱら民族性を薄める方向に向かえば、自分たちのアイデンティティが欠如して民族主義者から強い反発を招きます。


華文小学校は大型校化するしか道がない

さらに学校種毎に、学校の状況を示す統計数字を示しておきます。

学校、学級、教師あたりの生徒数

1980年
1990年
2004年
1単位あたりの生徒数1校1学級教師1人1校1学級教師1人1校1学級教師1人
国民小学校799423380737227123117
国民型華文小117846371243442914804628
国民型タミール語小203302320427171992815

国民小学校はこの4半世紀に50校あまり建設されたので、生徒数の増加にもかかわらず1学級あたりの生徒数は減ってきました。しかし華語小学校は学校数が増やせないので、学級数を増やすことで対応してきました。それがいまだに1学級当りの生徒数が変わらない理由ですね。小数で小型のタミール語小学校はわずかながらも全生徒数自体が減っているので、学級あたりの生徒数は問題とはなっていません。

生徒数基準の学校規模分類 (2003年)
その学校の生徒数150人未満 151−
500人
501−
1000人
1001−
1500人
1501−
2000人
2001人以上
学校
総数
国民小学校3%31%40%20%5%1%100%127校
国民型華文小0%13%15%30%15%28%100%40校
国民型タミール語小13%87%0%0%0%0%100%15校
学校の数6校57校57校37校12校13校
182校


華語小学校では2000人を超える巨大校の比率が3割近いということがわかりますね。これは新規建設がほとんど認められていないので、1校あたりの生徒数が必然的に増えている現実を示しています。国民小学校は500人以下の小型校も1500人以下の中規模校も適当に混じっているといえます。タミール語小学校は500人に満たない小型校が圧倒的多数であるのは、生徒数自体がぐっと少ないので、これは必然といえますね。

華語教育にかかわる教師団体は訴える

教総は、こうした現実を細かに説明した報告書 「クアラルンプールにおける各型小学校の統計資料分析、華語小学校の不足問題を研究討論する」 において、クアラルンプールには新に19校の華語小学校を建設するべきである、と提言しています。この理由として、国民小学校の場合生徒数が572名増加で1校新設されていることから、華語小学校は生徒数が10900名増えている現状を換算すれば、19校必要となるとの理由です。

住宅と地方自治体省翼下の部局が出した学校基本指示には、小学校の生徒数は1050名を超えない、学級の生徒数は35名を超えないとなっている、と教総は指摘します。それにも関わらず華語小学校の平均生徒数は2004年で1480人にもなってしまった、と。

「(政府与党の一員である華人政党)馬華公会MCA党はその党大会で、華語小学校の建設を政府に要求する議決をこれまでにも何回も採択している。華語小学校が必要であるという切実な現象に対応すべきです、我々はMCAがこの問題を積極的に処理してくれるように願っています。クアラルンプールの華語小学校不足はたへん深刻化しています。」 と教総の議長は訴えています。

新聞はその媒介言語によって読者層が違う

華語学校の新入生登録時期になると、華人居住人口が多いが華語学校が少ないまたはほとんどない地区では、親たちが前夜から時には2晩も前からその小学校前で入学登録順番を待つ姿が報道されます。誰でも子供を居住地近くの学校に通わせたいのは普通でしょう。ですからそういう地区では競争率が自ずと高くなります。その同じ地区にある国民学校には入学枠が充分あっても、華語小学校に入学させたい親が圧倒的に多い現状は、当分変わらないでしょう。これは多くの人の見るところであり、私個人の観点だけではありません。

繰り返しますが、華語小学校の極端な数不足は単に初等教育だけの枠組では解決できないことは、華人界では承知していることでしょう。しかし根本的解決を追っていたら非常なる長い長い年月がかかるのは必須ですから、当面の対策として、切迫した地域における華語小学校の何校かの新規建設が常に要望されています。

こうした華語小学校の問題を華語新聞各紙はこと細かに頻繁に伝えています。英語紙やマレーシア語紙はこの件を細かには伝えませんので、華語新聞に目を通さない人にはほとんど具体的な数字が見えてこないということで、マレーシアにおける教育問題の一つとして今回はこれを紹介しておきました。



Intraasia の雑文集 − 2004年分から抜粋 −


今年も私は 「ゲストブック」 に随時あれこれと書き込みました。ただこの「ゲストブック」は無料レンタル掲示板類ですから、100個の書き込みに制限されており、その数を超えた古いものから消えていきます。
そこで2004年後半に 「ゲストブック」 に私が書き込んだ長短の書き込みから、主なものを抜粋してこのコラムの1編として残しておきます。ごく一部の語句を修正した以外は、書き込み時のままです。

Intraasia のホームページの基本的あり方  投稿者:Intraasia  投稿日: 6月14日


日本人だからといって、日本人・日本批判に対して”むやみに”擁護したり反論する必要はない、同様にマレーシア人だからといって、マレーシア・マレーシア人に気に食わないことを書かれたからことでマレーシアを”むやみに”擁護する必要はない。ジャーズムがそれをやれば、ジャーナリズムの質が低下し、自国民に信頼されないジャーナリズムになってしまう。個人がそれをやれば、単に”その人の捉える愛国心”の発露としか他人には写らない。

マハティール前首相がつい数日前にも、マレーシアのメディアと違って外国のメディアはマレーシアを正しく伝えていないと発言した記事が載っていました。外国のメディアはマレーシアを知らない、外国のメディアはその裏に意図を持ってマレーシアを歪曲して伝えている、といういつもの彼の主張をまた繰り返していたものです。

私も、例えば代表的外国メディアであるCNN がいつも正確にマレーシアを伝えているなどとは全く思わない、しかしマレーシアに関するニュースを世界に発信している、例えばAFP通信やロイター通信などの記事がすべてがだめだとも思わない。マレーシアマスコミの書けないことも、違った視点でも書いている場合もある。不十分な、または偏見した記事だと感じたらそれを批判し、優れた記事であればそれに耳を傾けることが、上手なジャーナリズムとの付き合い方ですね。

じゃあマレーシアを一番よく知っているはずのマレーシアのマスコミは、マレーシアを正確に伝えているかと言えば、これもそのままには受け取れない。現に、マレーシア人自身が制作し且つマレーシア人に人気の高い Malaysia Kini などのインターネットメディアを読めば一目瞭然、マレーシアを批判するマレーシア人もこれまた一杯一杯います。インターネットメディアやニュースグループは主流マスコミの書けないことをあれこれ書いている、マレーシアのマスコミは政府・体制擁護ばかりだと不満の人はいくらでもいます。

もちろんその人たちとその人たちの主張が全部正しいと言うつもりはない。Intraasia はそういう主張や意見に即迎合はしません、しかしなるほどと思える意見であれば取り入れるし、参考にします。政府のあり方に反対者もいる、擁護者もいる、それが事実です。その事実を認めること。その事実を抑えるようなことには強く反対し、批判します。その場が日本であれ、マレーシアであれ、タイであれ、Intraasiaの基本的態度は変わりません。

先進国の生まれだから日本人だから、もちろんそれを否定するつもりはないが、それだけに捕らわれているわけではない、第1これまでに私が書いた文章に日本・日本人賛歌がどれほどあっただろうか。日本人だからどうのこうのという決め付け視点はまこと迷惑ですね。Intraasia の書くものの中では、何もマレーシアとその対照として日本だけを頭に置いているわけではないことは、多くの読者はお気づきだと思います。

一方マレーシア人は他の発展途上国の民のことを充分に考えているのだろうか? そんなことはないのは、マレーシアに溶け込んで暮らせばすぐわかる。インドネシア人労働者やバングラデシュ人労働者などへの対応は経済的優越性から生まれる意識からではないのか? 日本には醜い日本人の思考法と行動があるように、マレーシアにも醜いマレーシア人の思考法と行動がある。しかしそういうこと”だけ”を取り上げて批判すれば、単なる批判のための批判となる。だからそういうことはIntraasiaはしません。
要は、できるだけ多面的なマレーシアを伝える中で批判もする、それがIntraasia のありかたです。

Intraasiaはマレーシア及びマレーシア人を批判のために批判したことはないし、将来もありません。同様に賞賛のための賞賛もしません。

Intraasia が書いて発表したものはこれまでに実質何万人にもの人が読んで来られたはずです。その読者の大多数がこの人 (愛国者をきどって、日本人のマレーシア批判に反発するマレーシア人)のような意見: 「現地の事情理解もせずにその全国民を無知、某新聞の記事一つで真実を伝えていないと思い込み、政治に利用されるでしょうと仮定しながらそのようなコメントをネットで発信することに疑問を思います」 の持ち主であれば、とっくの昔に私は発信をやめています。

Intraasia のこれまで書いて発表してきた数百万字は、すべてこの人(愛国者をきどって、日本人のマレーシア批判に反発するマレーシア人)のいうようなことに満ち満ちているのか、素直に読めばわかることです。これらに関して言い訳がましいことなどいう必要はないし、勝手な決め付けに一々反論するようなこともしません。Intraasiaは逃げ隠れはしない、書いたものが公開されているからです。そしてホームページが存続する限り掲載し続けていきます。誰が見ても明らかな間違い、事実の取り違え、不適格と気が付いた、指摘された表現の言い換え、誤記、誤字類に関しては改めます。それらを除いて、主張・論旨を書き直す意向はありません。

Intraasiaはこれからも時間と資力が許す限り書いて発表していきます。この人(愛国者をきどって、日本人のマレーシア批判に反発するマレーシア人)のお気に召すようなことを狙って書くつもりも、反対に気に障るようなことを選んで書くつもりも、さらさらありません。つまりある特定の方を念頭において書くことはありません。

繰り返します。Intraasiaはこれからも時間と資力が許す限り書いて発表していきます。その評価は、マレーシア人を含めた何万人かの読者にこれまでもそして今後もゆだねます。
以上この件に関して終りです。


インスタント麺のメニューは日本ではなぜやらないのかな 投稿者:Intraasia  投稿日: 7月 5日


マレーシアのマレー系とインド系の大衆食堂や屋台では、その店のメニューに、インスタントヌードルが加わっているのが普通です。マレーシアではインスタント麺は少なくとも10社ぐらいが、それぞれ数種販売しているのですが、不思議なことにこの大衆食堂や屋台の店のメニューで使われるブランドは、圧倒的にマギー社(Magi)の麺で、アヤム(鶏)味のような一般的なインスタント麺です。その他使われているのは、せいぜいIndomee社ぐらいでしょう。一番の理由は、Magi 麺がインスタント麺業界のNO1ということでしょう。

このためインスタント麺のことを、この場合マギーと呼びます、つまりマギー(ミー)ゴレン、マギー(ミー)スープと注文するのが普通です。屋台、店ではインスタント麺の袋を破って、肉、野菜、調味料を加えて調理し、客に供します。場所によって値段は違いますが、クアラルンプール周辺ならRM 2.50かRM 3でしょう。通常麺に加えて特に安いわけでもありません。この味は好き好きですね、でも注文者は決して少なくありませんよ。

そこでずっと以前ちらっとふれたことがありますが、なぜ日本の待ち時間なしの大衆食店ではこういうインスタント麺を使わないのだろうということです。ひょっとして存在するかもしれませんが、カップ麺の自販機を除いて、私は知りません。

日本のインスタント麺の種類は、マレーシアよりはるかにはるかに豊富です。だからいろんな種類のインスタント麺をずらっと並べて、お好みのインスタント麺を調理します、とメニューにすればいいのになと、日本へ行った時よく思います。

なぜかというと、立ち食いそばでさえ卵を入れれば300円もする(10リンギット!)高物価に私は悩まされるので、それだったら多少でも安くそれなりに美味しく種類のあるインスタント麺の方がいいやと、思うのです。まあ元来インスタント麺に抵抗感ないからでしょう。

牛丼屋みたいなカウンターで、種類たくさんある中から何々インスタント麺を注文して、待つこと3分でできあがり、値段200円から250円。うん、これならいけると思うのは私だけかなあ(笑)。自販機のカップ麺よりずっといいと思うよ。


第2の我が家プログラムの適用者の意外な少なさに思う 投稿者:Intraasia  投稿日: 7月17日


7月16日付けの「新聞の記事から」に載せたニュース [マレーシア 第2の我が家プログラム 適用者数の統計] について、あらためて感じるのは、日本人はなんて少ないんだろうということです。

以下記事
”マレーシア 第2の我が家”プログラムに関して、観光省副大臣が Imigresen の統計を元に国会で明らかにした数字です。(前身のシルバーヘアプログラム時代の)1996年から2003年までにこの両プログラムに応募し承認された人の数は、3064人であり、内訳は中国人 819人、英国人 376人、 インドネシア人 228人、 台湾人 205人、 日本人 187人、 インド人 134人 などです。
以上記事

ちょっと前にもこういう数字が発表された時、日本人は少ないなあと思った記憶があるので、この数字は記事になった段階で間違っていないと前提します。改名以前のプログラムから通算して、8年間あまりで「第2の我が家プログラム」の適用日本人は200名にも達していないのですね。

このプログラムはもともと定年引退などの方を対象にしているので、老年人口が多く且つ海外長期滞在を考えられていらっしゃる方が少なくない日本では、それなりに注意を引いてきたと、私は思っていました。なんでもその種の情報本も出版され、海外長期滞在希望者のクラブ?団体?もあると聞いていました。ですから8年間で200人にも満たない数はすごく意外ですね。この4、5年間で800人を超す中国人に比べれば、なおさらそう感じます。

海外長期滞在を考えてはいる、考えたことはあるが、実際に実行する方は、ごく少ないのでしょうか?さらにマレーシアを対象第1、第2にされない理由は私にはよくわかりません。もちろんそれがいけないということではありませんよ。どこに決めようとそれは個人の自由、勝手ですからね。

当サイトは、というより私は旅行情報及びマレーシアとはどういう国であるかという観点からの社会情報・案内・解説・主張を書くのが主たる目的なので、マレーシアの日本人コミュニティーのことは全くと言っていいほど触れていません(私自身が完全にその外で暮らしており、ほとんど接触はないからです)。だからこの「第2の我が家プログラム」などで滞在されたり、それを検討された方のことはほとんど知りません。

”日本人向け便利情報”の少ない当サイトに、その種の情報を主として求められる方はあまり集まって来ませんから、日本人のニーズを私には今一つ読みきれません。そのため、それは読者の方からの書き込みなどにお任せしておりますから、どうかよろしくお願いしますね。

そこで上の疑問に戻ると、長期滞在の際マレーシアを対象の第1、第2にされない理由は何でしょうね? 
あと次ぎのような方もいらっしゃることでしょう:マレーシアにコンドミニアムを賃貸しているまたは購入した(1千万あれば立派なコンドミニアムは買えます)、1年数回マレーシアを訪れて滞在している、しかしあえて 「第2の我が家プログラム」 に申請する必要は感じない、なぜなら通常の社会訪問パス滞在(一般の日本人訪問者がパスポートに押してもらう滞在許可証のこと) で合計半年前後はなんら問題なく滞在できるから。

東南アジアの中でマレーシアは、これまでフィリピン以外すべての国を数多く訪問し且つ何年も住んできた私の感覚では住みやすい国だと考えています。ですから「第2の我が家プログラム」であれ、社会訪問パスによる長期滞在であれ、私はそういう方が増えればうれしく感じますね。


いかにもチョーキットらしさを感じたダンドゥット歌手の無料歌謡ショー 投稿者:Intraasia  投稿日: 7月25日


クアラルンプールのアJalan Raja Bot と聞いて街の状況が頭にすっと浮かぶ方は、クアラルンプール在住の外国人ではまず皆無でしょう。さらにマレー街下町の状況に詳しい人を除いてマレーシア人の中にもぐっと少ないことでしょう。実はこの通りは、チョーキット市場の一方の入り口につながる通りであり、いわゆるチョーキットの中心となる一角です。朝から夜遅くまで種種の物売りと飲食の屋台が並びにぎわっています。

しかしその賑わいは、チャイナタウンのそれでもブキットビンタンのそれでもKLCCのそれでもバンサのそれでもありません。いかにもチョーキット的なマレー・インドネシア人街としての賑わいです。この一角で白人や日本人の姿を見かけるのはまれです。今晩久しぶりに訪れて1時間以上過ごしたのに、いつもと同じく白人も日本人もまったく見かけませんでした。

いかにもチョーキット的であるからこそ、私は10数年に渡ってこの一角を何百回も訪れてきました。今晩訪れたのは、Jalan Raja Bot の角にもう何年も前から建設にかかり、なぜか知りませんがとっくに完成していたビルがようやくオープンしたと知ったからです。このビルKomleks Raja Bot にデパートが入居して今朝からオープンしました。デパートは”大いなる2流デパート”のUDA Oceanです。そうチャイナタウンの外れにもあるあのデパートです。

20時半からマレー歌手が来るとあったので、それまではチョーキットのはずれにある私お気に入りのクランタン料理屋台で食事しました。どこにあるかって? 穴場中の穴場ですので教えませんよ(笑)。屋台のあんちゃ、んねえちゃんたちもクランタン弁で話しており、料理もクランタン料理、もちろん値段は屋台料金です、ブキットビンタンやチャイナタウンとは2味も違う場所です。

さて今晩行ったのは、Komleks Raja Bot の新規オープン記念に、マレーダンドゥット歌手の無料ショーが開かれるとあったから足を運んだのです。開始の8時半前にはすでに道一杯に人が溢れています、1000人は超えるであろう群集の8割は労働者風の男たち、その半分近くはインドネシア人でしょう。こうしてお目当ての歌手が現れると、舞台前は騒然です、後ろにいる私はちらちらとしか見えません。歌手は Ani Maiyuni & Shikin という若い女性組。私にはかすかな記憶ある程度の歌手ですが、会場の男たちはもう夢中です。ダンドゥット歌手ですから、その乗りのよい歌謡で男たちは手を振っています。

マレーシアではダンドゥットは人気あっても決して主流になれません。都会のヒップな若者はダンドゥットにはあまり興味ないようですし、ヒットチャートのトップにはなりませんが、チョーキットに集まるような人たちにはダンドゥットが好きなのでしょう。あくまで泥臭く、ごみごみし、猥雑で、インドネシア人と労働者の集まる街チョーキットのチョーキットらしさがこの短い無料歌謡ショーの観客層にも現れていました。


終ったオリンピックのメダル獲得国家リストを見て思った 投稿者:Intraasia  投稿日: 8月30日


アテネオリンピックが終りましたね。私は翌日の新聞で結果を追った程度で、とりわけオリンピックによって生活が乱れたわけではありませんが、深夜のテレビ観戦が続いて、体調が多少おかしくなった方もいらっしゃったようですね。閉会式が終ってほっとされていることでしょう(笑)。

オリンピックが始まる直前、巻頭ページのひとことで私は次ぎのように載せました。
「オリンピックが始まりますね。ただ8月はマレーシアの独立記念月間ともいえますので、国家は独立記念意識とムードの高揚により関心があります。いずれにしろマレーシアはスポーツ大国ではありませんし、地域住民、学校などのスポーツ活動が盛んな国でもありません。マスコミの取材団が大挙してギリシアに向かうこともありません。オリンピックに参加するマレーシア選手は10種目計26人にすぎず、内9人がマレーシアの得意スポーツ バドミントン種目です。

超肥大化したオリンピックに日本や中国のように大選手団を送る国はアジアでも少数派であり、マレーシア程度の規模がいわば非・スポーツ大国または強国の標準ともいえるかもしれませんね。スポーツ強国・大国が圧倒的に活躍するのは目に見えていますが、世界の過半数を超える国はそんな恵まれた選手強化策や資金を負担できるわけではありませんから、いわば当然のことでしょうね。」

どうやら書いた内容は相当程度あたったようです。「新聞の記事から」 で何回もお伝えしましたように、残念ながらマレーシア選手団はメダルゼロで、それだけでなく多くの選手の個人成績は期待外れだと捉えられています。その成績にアブドゥラ首相でさえ失望感を隠せない談話を発表しましたし、マスコミも批判的論調を混ぜています。

マレーシア国内では政治家主導でそのうち、スポーツ振興、強化策などの見なおしが行われる見込みです。東南アジア大会ではマレーシアとどっこいどっこいのスポーツ成績であるタイにも、オリンピックではずっと引き離されてしまったという、記事を書いた記者もいます。

「世界の過半数を超える国はそんな恵まれた選手強化策や資金を負担できるわけではありませんから、いわば当然のことでしょうね。」 
東南アジアのベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーはどれもこの範疇ですから、メダルには遠く及ばなくてもまあ無理もないではないでしょうか。しかし人口1000万人にも満たないヨーロッパの小国が、いくつもメダル獲得国リストに名を連ねていますね、ノルウエー、オーストリア、スロバキア、デンマーク、クロアチア、エストニア、ラトビア、スロベニアなどですね。例えばマレーシア人口の10分の1にも満たない人口200万人を超える程度のスロベニアがメダル合計4個と言うのは、驚きです。

この理由は国家と国民の両方において、スポーツというものに対する捉え方の違いに多いに基づくはずですし、スポーツ種目自体が西欧発祥または育ちの数が多いからでもあることでしょう。東南アジア育ちのスポーツは全くオリンピック種目になっていない。スポーツに対する捉え方の典型的な例は、インドに見られます。中国に次ぐ超巨大人口、しかも10億人に近い人口のインドは、メダル獲得たった1個です。インドを基準にすれば、世界のほとんどの国はよくやったと言えるのではないか。

ホッケーやクリケットの例外はあるものの、インドはそれほどスポーツ世界ではいつも極小国ですね。それはひとえに、国と国民のスポーツというものに対する捉え方の違いに基づくのではないでしょうか。そうでない限り、何大会であれインドの成績は説明できません。インドの国力からいえば相当なる強化予算を支出できるはずですよね。

「スポーツ強国・大国が圧倒的に活躍するのは目に見えていますが、」 と書いたように、米国、オーストラリア、ロシア、ドイツなどはそれを証明しています。さらにいうまでもなく中国ですね。(日本が強国・大国といえるかどうかは、皆さんの判断にお任せします)
ただいつも思うのですが、中国は13億もの人口を持つ国なので、50個程度のメダルをとっても全然不思議には思えません。確か全ヨーロッパの人口より多いくらいなので、今回金を32個取ったと、マレーシアのマスコミでさえ大書してますが、中国の巨大人口と面積と国力を考慮に入れると、まあ見合っているのではと私には思えます。そう思いになりませんか?

メダル獲得による国威発揚も結構ですが、中国や米国やロシアのような大国がそれをやると、単に鼻につくだけで、私には全然共感を呼びません。軍事や政治や貿易で世界を圧倒し、さらにスポーツでも他を圧倒しており、いい加減にしてくれよというのが正直な気持ちですね。

それと対照的に、バハマ、スロベニア、ドミニカ、ラトビアといった小国がメダルを獲得した事実は、まことほほえましく感じます。強大で金力の強い国がオリンピックに出場しなければ、オリンピックの魅力が半減してしまうということは充分認めた上で、1個から数個程度のメダル獲得とはいえ、こういった小国の名前が獲得リストに載るのはうれしいことではありませんか。何につけ”大国” ”独占”嫌いの私には、獲得した小国の数が増えるほどオリンピックが面白く感じます。


タイ深南部での衝突激化  投稿者:Intraasia  投稿日:10月27日


この2日間タイ深南部で起っている、タイ深南部ムスリムとタイ軍部・警察との衝突ニュースをマレーシアの各新聞でも大きく取り上げています。タイ深南部はマレーシアとごく近接しているだけでなく、マレー人、そのほとんどはクランタン州のマレー人でしょう、の中には、タイ深南部ムスリム(つまりマレー系タイ人)コミュニティーの中に親戚関係を持つ人も珍しくないそうです。これはクランタン州が歴史的、民族的、宗教的にタイ深南部と関係を持っていたし、今でも同じマレームスリムという人的つながりと地域の日常ビジネス・商売の面で両地域は密接です。(ケダー州、ペルリス州、ペラ州もタイと接しているが、ここでは直接関係ない)

クアラルンプールやペナンなどからこの姿は全くわかりませんが、タイ深南部や国境沿いのクランタン州をこまめに歩けばこれが感じられます。

タイ深南部ムスリムコミュニティでこの1年ほど起っているできごと・事件は、一部のマレー人にとって見過ごしできないことでしょう。今年4月百数十人の深南部ムスリム(つまりマレー系タイ人)が軍部に殺された事件はまだ記憶に新しく、その前後も主としてタイ警察官とタイ当局に協力する人たちがほとんど毎週、タイムスリム武装抵抗派と見られる者たちからゲリラ的に殺されています。一方タイ当局も被疑者を逮捕し、時には犯人らを射殺しています。こうして殺された人は軽く百人を超えるというように、武装反抗は深い根となっています。

パタニ県、ナラティワット県、ヤラー県からなるタイ深南部には、多数のタイ軍と警察が今年はずっと常駐しており、どんな意味からも不安定地帯と見なされています。タクシン政権は、口ではあれこれ言ってるそうですが武力で圧制する姿勢を崩していませんね。

そこへ、クランタン州のPengkalan Kubor のすぐ対岸であるナラティワット県Takbai郡でタイムスリム数千人の抗議行動が軍隊に圧制されて、実に90人近くが殺された、というニュースが載りました。タイ政府の公式数字が出る前にすでにこれだけのタイムスリム死者がでたというのは、驚きです。逮捕者は相当多数にのぼる模様です。まだタイ政府の公式発表はでてないそうです。

いくら多数の抗議行動であれ、石とせいぜい刀、鉄棒程度のデモ者を、自動小銃を手にした完全武装の警察・軍隊が鎮圧して逮捕、その過程ですでに90人近く殺された、これは多くの者の目には、強硬で事態を悪化させるだけの暴挙方針だと見られても仕方ないでしょう。地元ムスリム穏健派は、事態をますます悪化させるだけだと憂慮しているそうです。
当然ですね。反抗するタイムスリムの一部がより過激化して、より武装化しついには爆弾に走ることも、十分考えられます。世界のこの種の紛争の実態と歴史がそれを示しています。これまでの爆弾は偶然そこにいる個人を狙ったようなごくごく小規模の数少ない事件でしたが、これが重大化したらそれこそ、タイ深南部全体の危機化です。

私はタイ深南部には強い関心があり、何年にも渡って何回もあちこち訪れてきました。その一端として「今週のマレーシア」でも数回に渡ってタイ深南部に関するコラムを書いてきましたね。タイ深南部に強い興味を持つようになったのは90年代中頃ですが、最初の出会いは80年代後半であり、もう長い付き合いです。この地域はガイドブックなどからはすっぽり抜け落ちているように、数少ない外国人旅行者は単に通りすぎるだけであり、白人が浸るような場所はありません。タイ深南部を訪れるのは、やはりマレーシアのマレー人が外国人としては多いそうですし、私の経験からもそう思います。深南部タイムスリムの間ではタイ南部マレー方言が日常的に通用することも、マレー人には好都合です。

この一部のマレー人と関係あるタイ深南部が、つい1年ほど前からどうしてこんなにまで悪化してしまったのでしょう。私が毎年訪れていたパタニ県のあるムスリム漁村はどうなったのだろう。(仏教徒)タイ人でさえよそ者は全く足を踏み入れないような漁村ですが、この種のことに長年慣れている私は、当時何回も村をぶらぶら歩き回り、茶店で休みました。顔なじみもいるので今年も訪れたいのですが、しかし今になっては行きたくても行けません。ムスリムの顔をしてない私のようなよそ者が行けば、当局のスパイとでもみなされかねません。仲間を数多く虐殺されたタイムスリムの中には、仏教徒タイ社会に対してものすごい憎しみが育っていることでしょうから。

ことを起こしている一部のタイ深南部ムスリム武闘派にその主原因があるのでしょうが、それ以上に問題は、銃で強権発動して治安をするタクシン政権の方針ですね。タイ深南部は長年の問題を抱えていても、この1年以上起っているような暴力、殺し合いは2002年まではごく珍しいことだったのです(全然なかったということではない)。

パタニ県、ナラティワット県、ヤラー県の地理と状況が頭に浮かぶ方は皆無でしょうから、タイ南部危険論がまた出てくることでしょう。タイ南部とははるかに広い地方(10数県)を言うのであり、現在の不安定状況がこの3県以外のタイ南部全体に広がっているわけではない。ほとんどの読者の方には、タイ深南部のできごとはイラクやパレスチナ並に縁遠いことであるのは理解してますし、縁遠くて当然でしょう。しかし私には縁があり、興味ある場所なので、こうやってここにひとこと書きたくなりました。今回の事件でもう、早急な沈静化は見込めないですね。悲しいことです


そろそろ対岸の火事ではすまなくなるタイ深南部の混乱 投稿者:Intraasia  投稿日:10月30日


今晩10月30日 新聞の記事から に掲載した記事 「スンガイゴロックの呑み屋街で28日夜起った爆弾破裂によって死亡した、怪我した被害者の中にマレーシア人が混じっていました。死者はクアラトレンガヌから訪れていた華人です。怪我したマレーシア人はインド人と華人ら4名で、内一人は重症です。いずれもさらなる治療のためにマレーシアに戻ったと、タイ側の医師は語る。」にコメントしておきます。

これが物語るのは、タイ深南部に近接して住むマレーシア人だからといってタイ深南部の状況と民衆意識を必ずしも知っているわけではないということですね(もちろんよく知っている人もいる)。

同じようなことを書けば、外国人でバンコクに長く住んでいるけど、タイ南部、ましてや深南部のことなどテレビのニュース程度の知識しかない人が大多数でしょう。バンコクからだけの視点で深南部を見ていてもことはわかりませんし、ましてほとんどの人は、マレー語のマ の字も知らないので、例え深南部へ行ったことがある人でも、コミュニケーションがまともにとれないことになります。タイ語ができればもちろん大抵のことは間に合いますが、深南部でムスリム世界を知ろうとすれば、タイ語だけでも不十分です。タイ語もマレー語も知らないような外国人が何を言おうと、そんなのに耳を傾けるのはほとんど時間の無駄ですね。

スンガイゴロックはナラティワット県にある中程度の国境町で、マレーシア人がたくさん年中遊びに行く歓楽の町でもあります、といってもハジャイに比べればごく可愛い程度ですが。そういう所の呑み屋街は、狙われやすいということぐらい気がつかねばなりません。現に今年も1,2回かな、すでに小さな爆弾破裂と未遂が起きていました。

私は3日前に このゲストブックで タイ深南部武装反抗ムスリムグループが爆弾に走る可能性を示唆しましたね。こういうことをやるのはごくごく一部のタイムスリムにすぎないでしょうし大多数のタイムスリムがそんなことを支持するはずはありえないでしょう。しかしタイ軍警察、タイ中央・主流社会への反発意識が強いタイ深南部コミュニティーでは彼らは ”民衆の海” の中に紛れ込めるのです。

マレーシア国内からもタイ政府・軍部の強硬策に批判が出ています。マレーシア語紙はよりはっきりと書いているそうです。なんとマハティール前首相は、タイ深南部に、どの程度か知りませんが、自治権を与える方向で考えるべきだと、語ったそうです(まあこれはいささか内政干渉的発言に思えます、逆の立場でこれを聞いたら穏やかではないでしょう)。このように、ここまで事態が悪化してくると、マレーシアが単なる対岸の火事見物ではすまされない気分になってきても、決して不思議ではありませんね。この先どうなるのでしょうか? 当然誰も確とわかるわけありませんね。いうまでもなく私もです。



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