「今週のマレーシア」 2003年9月と10月のトピックス

・華人人口比が下がり続けている現状を憂う人たちがいる
完成したクアラルンプール及び近郊の電車網を乗客の視点から評する−前編− ・ その後編
独占プロバイダーの誕生は避けられない必要性なのだろうか
Mana‐Mana切符を使って近郊電車Komuter の全線を乗ってみよう−前編− ・ その後編
華文小学校と中華中学校の保持と発展に力を注ぐ華人界
半島を西から東へ移動し、東海岸州を駆け足で巡る旅の情景から−前編−  ・ その後編



華人人口比が下がり続けている現状を憂う人たちがいる


どんな国のどんな民族コミュニティーであれ、それぞれ独自の問題、悩み、懸案事項を抱えていますよね、マレーシアの華人コミュニティーにも、華人コミュニティーならではの問題、悩みがいくつかあります。その中から今回は人口問題を取り上げてみましょう。

注:この小文を書く際に、8月11日付けStar紙の「華人のジレンマ」という記事を参考にしました。

国内における華人人口比が、特にマレー人に対する比率ですが、下がり続けて久しいので、華人コミュニティーの上層部とか華人諸団体はしばしばこれを強調しています。では具体的にはどう下がっているのでしょうか。

この30年間華人人口比は下がり続けてきた

1970年に華人は総人口中の35.6%を占めていたのが、2000年には24.5%に落ちました。つまりかつて国民の3人に1人は華人であったのが30年後には4人に1人に減ってしまったのです。この傾向が一時的なのもでないことは次ぎの表に示します。注:出展は統計庁
半島部における各民族毎の1000人当り出生者数

1970年1980年1990年1994年1998年2000年
華人30.525.219.520.620.522.0
マレー人36.133.631.730.829.128.2
インド人29.629.823.424.222.521.9

この表で分かるように、マレー人は最近になるほど少なくなっているものの、それでも30人弱です。一方華人はこの10年間ほどは20人強という数字です。つまりある時点での1000人当りで2大民族の増加率にすでに8、9人の差が出てくるわけですから、数十年且つ100万人単位でみたら大きな差になることは容易に理解できますね。インド人も最近になるほど数字は減ってきていますが、インド人はもともと総人口に占める割合がぐっと少ない8%前後なので、出生率の差及びその変化が人口比に目に見えて現れてきません。
参考までに、半島部ではなく全国の1000人当りの出世者数は1998年の数字で24.4人となっています。

この先もブミプトラ人口比は増加するだろうとの予測

こうした出生率を基にした民族別人口予測の表を掲げます。作成は華人の人口問題研究者です。
(見込み)出生率に基づいた人口予測

1991年2001年2011年2021年
ブミプトラ全体1080万1420万1820万2220万
華人500万560万620万670万
インド人140万160万180万200万

1991年から2011年までの20年間でマレー人を中心としたブミプトラ人口は1.7倍に増えるが華人は1.25倍程度にしか増えないであろうという予測です。出生率からみれば特に意外性を感じない予測でしょう。益々華人人口の対総人口比が下がっていくわけです。

華人人口比が下がっていることを裏付ける、示す数字はいろいろとあります。華人女性1人あたりの子供数は1970年に4.6人であったが1998年には2.2人と少なくなった。1970年と2000年の数字を比べて見ると、華人男性の初婚年齢は27才から31才、華人女性は24歳から27歳に上がった、同じ1970年と2000年の比較で、30才才から34才の華人男性でまだ結婚したことのない率が19%から37%に増え、華人女性の同年代では9%から18%に増えた。この未婚率を同年代の他民族でみると、マレー女性が10%でインド人女性が15%弱です。

華人は都市・町部にその人口が偏重している

華人全体で見れば、都市・町部に住む人口が田舎・村部に住む人口比に比べて圧倒的に高い、つまり他民族よりも都市・町部に住んでいる率が高いのです。1991年の調査によれば、都市・町部に住む比率は華人の場合76%、マレー人が40%、インド人が64%でした。マレーシア全体の都市化近代化を考慮に入れても、華人の場合は急激な都市・町人口化といえるでしょう。マレーシア華人はマレー人に比べて、都市・町化する民族的傾向を持っていると言えますね。マレー社会はいまでも村落社会の性格を残しており、現にマレー社会における田舎・村部の人口比は華人社会のそれよりぐっと高いのです。

華人の出生率低下は日本の場合に似ていると考えられる

でなぜ華人はマレー人に比べて出生率が低いのかです。日本人の場合を思い浮かべていただければ、相当程度推測できるはずです。つまり一般に都市・町人口が相対的に増加すれば、初婚の婚姻年齢は男女とも遅れ、夫婦あたりの子供の数は減りがちになります。拡大家族の仕組みが薄れてきた、教育により金がかかるようになった、家族観の変化、平均年齢が伸びて老後が長くなった、女性の高学歴化と社会進出の増加などの要因によって、華人社会では出生率がこの30年間しだいに下落してきたのです。といっても日本人ほど落ちていないことは数字からおわかりですね。

女性の高学歴増加による少産の傾向を示す統計として、1994年の人口と家族調査の結果によれば、高等教育を受けた華人女性の平均子供数は1.9人、中等教育までの華人女性は2.4人、初等教育しか受けていない華人女性は3.4人の子供をもうけるとのことです。

人口比の低下を憂慮する華人界の指導層

こうした一連の要因と現象によって華人の相対人口比が低下してきたことは、華人指導者層と数々の華人団体にいわばある種の危機感を生んでいます。なぜなら相対人口比の低下はマレーシア政治における発言力、影響力が減少することに結びつくからです。マレーシア社会の仕組みを反映した広い意味でのマレーシア政治のあり方と動きは、各民族の力関係を叙述に示しています。与党連合の各政党間における国会議席割り振り、大臣級の政府役職の割り当て、地方自治体政府における各民族政党の代表者の割り当てなど、与党の民族政党間で職と地位をどう割り振るかは極めて重大なことなのです。つまりこの割り振りは日常のどぶ板政治につながる面から国政を司る面まで関連するのです。ひいては民衆の関心事でもあるのです。

このため、マレー人優先という不文律の大枠はあるものの人口に占める主要民族の構成比は当然ながら大きな要素であります(しかし、それが唯一の要素ということではありません)。だからこそ華人界の指導層、伝統的な華人諸団体が、華人人口の相対的低下を憂うわけです。

注:少なからずの華人団体がこの憂いを表明していますので、そのごく一例として、8月25日の華語紙”星洲日報”の記事から抜粋。
「ペナンで行われた全国呉氏総会の青年団代表大会では、全会一致で議決しました、それはマレーシア華人の人口伸び率が年々低下している問題を直視しなければならないというものです。」
呉氏総会というのは”呉”という姓の人たちだけの全国組織です。華人社会には同じ”姓”毎に組織した数多くの氏総会(団体)があります。

この華人コミュニティーの少産化現象、未婚女性の増加を憂う団体が援助策をあれこれ発表していますが、その中で有名なのが与党華人政党のMCAが、党の活動として行っている キューピッドクラブ があります。これは未婚の華人男女に出会いの場を提供する活動です。この他にも、いくつかの同郷団体、同氏族団体がその構成員(夫妻)が第3子又は第4子を産んだ場合に一時金を支給するなどの規定を設けたと報道されています。

総論賛成、で個人として実行できる人はどれくらいだろう

さて華人政党やその指導者や華人諸団体が華人人口比の相対的低下を憂慮しても、個人個人の華人がそれに積極的に答えて多産化に務めるのでしょうか?ここで総論としては同意してもいざ個人(自分)の場合となれば、簡単には実行にうつせないし、うつすつもりがない人が多いことが想像できます。多産に賛成する意思がある、多産を好むだけでは不充分であり、経済的に相当余裕ある、職が極めて安定している、住居に困らないなどといった状況にあることが十分条件になりますからね。

これは日本人の場合とほぼ同じだと見なしても間違いではないでしょう。つまり華人社会の少産傾向は、これ以上極端に進むことはないでしょうが、このまま続く可能性が強いだろうと一般に見なされています。宗教的背景と民族的慣習の根強さをつくづく感じるマレー人社会と違って、経済的上昇志向が極めて強く実利的である華人社会を何年も観察してきた私もそう思います。

注:ここで少産、多産という単語を用いましたが、現代日本社会を座標軸にして華人社会を眺める限り、現代マレーシア華人の少産はそれほど少産ではありません。もちろん、4、5人の子供を持つ夫婦が極めてありふれたマレー家庭に比べれば華人家庭は明らかに少産です。少産というのはかなり相対的なものですね。だから日常生活の中で、例えばショッピングセンター、屋台街、食堂、駅などで子供を3人さらには4人含んだ華人家族連れを目にするのは珍しいことではありません。筆者の知る限り、1人子の華人家庭の方がどちらかといえば珍しいはずです。

ずっと前に華語紙である華人与党政治家がいみじくも語っていた言葉を筆者は覚えています:「華人の少産化はもう後戻りしない傾向だから、華人界は量よりも質でいくしかない」。 しかしこういう正論を吐く華人コミュニティーの指導層、上層部は少ないでしょうね。結婚や出産は個の自由なる専有決定であるべきだ、というような主張は指導層や上層部の発言ではまずお目にかかれません。いずれにしろ、華人コミュニティーは多産化慣習を依然として放棄しないマレーコミュニティーと数で競いあっても所詮適わないと、筆者は思いますけど。



完成したクアラルンプール及び近郊の電車網を乗客の視点から評する −前編−


2003年8月31日にマハティール首相が開通式に出席してKLモノレールが一般向け運行を始めました。最初に開通宣言を出してから数回の延期を経て、実に1年以上も延び延びになっていたモノレールの一般運行がようやく実現したわけです。

このモノレール開通によって、クアラルンプール及びその近郊における公共交通中の電車網整備は一応完成しました。一応という意味は、例えばMid Valleyショッピングンセターまでモノレール線路を延ばす案とか、Putra Lineの最後の路線部延長なども案に上がっているからです。当初の電車網整備計画は完成したと言えます。

電車網整備の沿革

1995年にマレーシアで初の複線電化路線の乗り物としてデビューした近郊電車Komuterの開通以来、1996年12月に高架電車Star-LRT、次いで1998年8月に高架電車Purtra-LRTが運行を始めました。開通した当時はStar-LRT とPurtra-LRT ともに現在の運行距離より短い路線でしたが、その後1,2年以内に計画されていた枝分かれ路線または路線延長を完成させ、現在の運行距離となりました。Komuterの場合も3段階ぐらいを経て現在の運行距離になりました。

筆者はKomuterの場合は初乗車は遅れましたが、高架電車2社、モノレールのどれも一般開通開始の当日か数日以内に乗車して、そのサービス開始を祝いながら電車の運行具合を味わいました。それ以来Komuter、高架電車2社とも、とても数え切れないほど乗りまくってきました。それでは個別にみていきましょう。

注:尚このコラムで触れる各電車路線の、車両、切符販売機、駅構内などの写真と解説及び路線図は旅行ページの目次にある項目 「クアラルンプールの交通機間案内編」 を開いて、該当ページを是非ご覧ください。


KTMコミューター

Komuterは正式名KTM Komuter というようにその所有と運行はマラヤ鉄道(KTMB)です。この電車はマラヤ(マレー)鉄道の旧路線部分を電化複線化させたのが主要部分になっており、クアラルンプールとその近郊の電車網整備の一環としてだけでなく、そもそもマラヤ鉄道の近代化プロジェクトの面もあります。確かイタリアの会社がこの電車路線建設を請け負ったと記憶しています。

マラヤ鉄道の旧路線部分の近代化という経緯から路線はスランゴール州北部のRawang からクアラルンプール市内を抜けてヌグリスンビラン州のSeremban までの路線と クアラルンプールのSentul からスランゴール州のPort Klang までの路線 の2路線あります。この2路線はクアラルンプール市内中心部の4つの駅:KL Sentral, Kuala Lumpur, Bank Negara, Putra の間では同一線路上を走行していますので、乗り換えは容易です。尚Sentul からBatuCave まで路線を延長させる計画がすでに決まっています。

このKomuterは近郊電車という性格を持っており、車両長が長く、路線と時間によって車両増結され、1列車で運べる乗客数は高架電車をずっと越えます。しかし、いかせん平均スピードが遅い、つまり時間がかかるのです。Seremban とKLSentral 間の距離など50Kmを多少超える程度でしょうが、1時間10数分もかかりますね。各起点駅の始発が5時半頃、終電が22時半過ぎという運行ダイヤで、週末と休日は多少運行ダイヤが変わります。近郊電車という性格上、高架電車よりも駅前がゆったりとしている、従がってそこが駐車場として活用されている駅が多い、という特徴もあります。

乗り心地は良いがサービスがいま一つ

1路線片方向で1時間に4本から6本というまったく過密でない運行頻度、道路との平面交差がない、にも関わらず遅延は全然珍しいことではありません。始発駅から発車が遅れたり、線路上で停止したり、駅での停車が長引いたりして、遅れがでています。こうした遅延に車内放送や駅での案内放送がほとんどないことが、いかにもマラヤ鉄道の悪しき習慣を引き継いでいると言っても言い過ぎではないでしょう。遅れは乗客の不満を高めますから、新聞でこの種の不満投書を読むのは珍しくないのですが、あきらめで何とも声をあげない乗客がずっと多いのが実態ですね。

車両自体の乗り心地と座りごこちは決して悪くありません、開通当初の車両は数年後より居心地のよい車両に替わりました。車両製造元は韓国製、南アフリカ製、オーストリア製と3種類があり、それぞれ走行しています。冷房も快調であり掃除もまあ行き届いており、車両そのものには不満はないのですが、不満点をあげれば、プラットフォームの列車行き先掲示がないことがある、あっても見えにくいこと、さらに車両が長めで方向によっては連結が長い電車編成にも関わらず車両側面に行き先が表示されていないことです。列車の先頭と最後尾だけに小さく表示があるだけですから、上記4つの駅で列車到着時にちょっとでも遅れてプラットフォームに着くと、プラットフォームに着いた電車が、Serembanか Port Klang のどちら行きかほとんどわかりません。

全ての乗客がその駅発車時刻を記憶していることはありえませんから、こういう乗客の立場に立ったサービス不足を、鉄道・電車王国日本から来た者は強く感じます。しかしマレーシア人乗客は日本のような電車網の歴史と経験がありませんから、こういう点にも気づかないようであり、マレー鉄道側にも開通以来こういったサービス面の質を向上させる意欲がほとんど感じられません。
尚全部の駅ではありませんが、駅に電車が到着する前にプラットフォームで録音放送が流されます、しかし到着した電車に関する案内放送は通常はありません。

コミューター切符自動販売機の問題

乗車前の問題に、乗車切符販売時の問題があります。まず切符自動販売機の機能が非効率であり、紙幣の認識度が悪い、釣銭切れが頻繁なので10リンギット紙幣はいうまでもなく5リンギット紙幣でさえ使えないことがある。このため硬貨を充分に持っていない乗客は窓口で買いますが、駅によってはこの窓口が時々閉まっていることがある、または常時開いてないため発車前に切符買いが集中し、朝夕とか日祭日など長蛇の列で電車に乗り遅れる人も珍しくありません。

注:紙幣自体に起因する認識率の悪さ、つまり時々ぼろぼろの紙幣が流通している問題にはここでは触れません。

券売機の手順を述べますと:
1 約40個ある行き先駅名ボタンを選んで押して、2 大人子供を選択し、片道、往復、12回乗車券、を選択、3 複数人数買うにはもう一度(1), 2を繰り返し、4、運賃表示を知り、5 その金額を投入する方式です。

行き先ボタンが数多いので慣れてない人は探すのにまず時間がかかる、4の運賃投入で運賃を知りそれから初めて財布から取り出す人がよくいる、このため1人当りの所用時間が長い。そして上記の釣銭切れと紙幣の認識率の悪さです、何回もRM1, RM2などの紙幣を投入してそのあげくコインに切換えざるをえなくなります。この段階であきらめて窓口に並ぶ人もいます。多くの駅には小さく横長式の路線図に行き先駅までの運賃表示が1箇所貼られていますが(これすらない駅もある、つまり運賃が事前にわからない)、これがまこと目立たない、このため4の段階で初めて投入金額を知る乗客がよくいます。

注:ごく一般的にいえば、マレーシア人は運賃を掲示するのが好きでないようです。例えばKLSentral駅の2階にあるタクシークーポン売り場、ここはKL Sentral 開始以来の窓口ですが、未だに主たる行き先別の運賃を全く表示していない。そのため外国人旅行者を含めて窓口でいくらかかとまず尋ねることになる。この種の質問がしょっちゅうあるからでしょう、窓口係りは極めてぶっきらぼう、不親切である。これを解消するためには窓口上部に主たる行き先運賃を掲げておけばいいのだが、そうする気配すらない。
KLIAの空港タクシーのクーポン売り場でも同じです。主たる行き先別の料金を全く掲げようとしない。

KLSentral 駅は例外的に数カ所に合計10個ほどの切符販売機が設置してありますが、通常のKomuter駅は2台が普通です。ですからラッシュ時などすぐに販売機の前に長蛇の列となります。

これらの諸因が重なって、Komuterの切符購入はまこと効率が悪い、つまり時間がかかります。これに対して開通以来ほとんど改良しようとする動きが感じられません、つまり運賃表示図をもっと大きく目立つように掲げる、釣銭切れを防ぐためにこまめにコインを補給する、券売機を増やす、窓口オープン時間を休まない、といった向上策が考えられますが、筆者はまだ出会ったことがありません。

注:Bangi駅の例をあげておきます。販売窓口にはオープン時間として6時45分から15時まで、その内休憩時間が8時から9時及び13時から14時と掲示してあります。小さな駅なのでKomuter運行時間を通して窓口オープンしないわけです。こういう駅では窓口が閉まっている時間はコインを充分に用意しておかないと切符が買えないことになります。


切符種類の紹介

Komuterには、後編で紹介する高架電車が取り入れているプリペードカードがありません。その替わりといえるかは難しいですが、12回、24回といった多数回乗車切符があります、回数券ではなく既定回数まで使える切符ですね。プリペードカードを取り入れるには、全駅の自動改札機から変換、交換しなければならないので、当分これに変化がでることはないでしょう。乗り放題切符として1日だけ有効で、平日用と休日用の2種があり、料金はそれぞれRM 6、RM 10です。発行当日のみ1日限定とはいえRM 6で全線乗り放題というのは、確かにお徳です。旅行者で割安にあちこち立ち寄ってみたいという方は、使ってみるといいですよ。詳しくは「「クアラルンプールの交通機間案内編」の該当ページをご覧ください。



完成したクアラルンプール及び近郊の電車網を乗客の視点から評する−後編−


注:このコラムで触れる各電車路線の、車両、切符販売機、駅構内などの写真と解説及び路線図は旅行ページの目次にある項目 「クアラルンプールの交通機間案内編」 を開いて、該当ページを是非ご覧ください

高架電車2社はどちらも経済省翼下の会社所有・運営となった

高架電車にうつります。まず高架電車Star とPutra の両社は建設段階からと開通して数年間はそれぞれ別の会社が所有し運営していましたが、巨額の累積赤字が解消できず、2002年に負債を引きうけていわば買い上げた経済省の持ち株会社SPNBの翼下に入りました。つまり両高架電車は同じ持ち株会社であるSPNB翼下の電車路線となり、実質的に公共企業体に変更されたわけです。この持ち主兼運営社の変更によって、呼び名が2002年末頃、Star LRT からStar lineに、Putra LRTから Putra lineに変更されました。

注:Putra-LRT は自身が赤字企業になったRenongグループに属していました。Putraの建設コストはRM20億、Starの建設コストはRM35億だったとのことです。


Putra lineの特徴

Putra line は全線無人運転で、一部に地下路線があるのが特徴です。ペタリンジャヤの外れのKelana Jaya駅からクアラルンプールの外れのTerminal Putra(通称Gombak駅)までの長い路線で駅数は24駅、Pasar Seni駅の次ぎであるMajid Jamek駅からAmpang Park駅までの5駅が地下駅(地下路線)です。この区間にKLCC駅があることと KL Sental 駅を通ることから、Putra路線の真中部分では外国人旅行者の姿をよく見かけます。

Putra lineの車両はたいへんスマートですが、その車両がStar lineの車両に比べてやや小型であり、たった2両編成という点が、朝夕の混雑を助長しています。ラッシュ時間帯に限って幾分増便はなされたのですが、一番肝心な車両連結の増加が未だになされていません。それが資金的な問題なのか、それとも連結に技術的な問題があるのかは発表されていませんのでわかりません。ただ早急に解決してほしいという声は高まっていますね。

非効率な切符販売機

切符販売の面ではここも自動券売機の効率の悪さ問題があります。Putra lineはタッチ式スクリーンの券売機であり、画面の行き先駅自体にすでに料金が表示されていますが、紙幣の認識が悪い、且つ釣銭不足から5リンギット紙幣はまず使えません。販売機にはRM5とRM2のみ使えると記載されてますが、一方張り紙にはRM5、RM2、RM1が使えると書かれており、さらに、金額はちょうどを投入しなさい、1回の切符購入で紙幣の投入は1枚しか受けつけない、などとと書かれています。金額ちょうど投入指示は釣銭不足からですが、紙幣1枚だけしか受け付けないというのは、RM2以上の切符は硬貨も必ず併用しろということですね(RM5紙幣はまず使えないので)。

このように制限があり且つ紙幣認識の悪さから、数回試みた後結局窓口に並ぶという人をしょうっちゅう見かけます。だから最初から販売機を使わずに切符窓口に並ぶ人も多い。尚この券売機は複数枚の切符を売る機能が備わっていませんので、1枚1枚購入操作を完了させることになります。Star line と違って自動券売機の設置数は多少多いのですが、大きな駅では10台くらいある、しかし故障している券売機がよくありますので、例え7、8台あっても常時それが使えるわけではないのです。

注:紙幣自体に起因する認識率の悪さ、つまり時々ぼろぼろの紙幣が流通している問題にはここでは触れません。

通常切符以外にはプリペードカードと乗り放題切符(定期券と考えてもよい)がありますので、一々切符を買う手間は省けます。以前あったPutra Lineだけに使えるプリペードカードはなくなったようで、プリペードカードとしては高速道路、CityLinerバスなど他所でも用途があるTouch'n'Go カードがあります。このTouch'n'Goは文字通り、タッチするだけで改札機を通りぬけられますが、ここで問題は切符用の自動改札機とTouch'n'Go カード用の自動改札機が別々になっている場合(駅)があるのです。少ない自動改札機を有効に使うためには、全部を両方使える自動改札機するべきなのに、それが徹底されていない。

注:Touch'n'Goカードは使い捨てではなく、カードにプリペード額を追加できる仕組みのICカードタイプです。Putra lineとは直接関係ない、民間会社が発行している。


お得な載り放題切符(定期券)

2002年末から導入されたMonthly TravelCard と呼ぶ乗り放題切符(定期券)は歴月1ヶ月間Putra Line全線乗り放題できる切符で、料金RM 70です。多くの回数、長距離たくさん乗る人にはたいへんお得な切符ですね。さらにPutra Line とStarLine の両方に乗れる歴月1ヶ月間全線乗り放題切符はRM125です。この両方の乗り放題切符にはその他の特典も多少ありますが、ここでは省きます。

ただ奇妙に思うのは、この全線乗り放題切符は自動改札機では使えないのです。つまり自動改札機の脇にいる係員に提示することで扉式の改札を抜けられるのです。わざわざこのためだけに改札員を全駅に常時張り付けなければならない不合理なあり方ですが、現に職員が常時そこにいないことをよく見かけます、不正の種をまいているようなものですね。たいへんお徳で便利な切符を考案した反面、自動改札機があるにも関わらず、それを受けつけない切符を発売しているという、まこと理解に苦しむあり方です。

注:乗り放題切符所持者は週末と休日に限って、家族を無料で帯同できるので、この時だけ家族用として手動扉を使えばよいはずです。


優れた点

Putra line はその利用者親切設備が優れていますね。多分ほとんど全駅にトイレが備わっており、多くの駅には身障者も利用できるようにエレベータが設置されています。さらに掃除とメンテナンスがたいへん行き届いており、この面では二重丸といったところです。地下駅はプラットフォームに扉がある作りで、電車到着時のみ扉があきます、そこでプラットフォームは常時冷房されています。

Putra lineのサービスに、約半数の駅ではその駅を起点として近場を巡回している巡回バスの運行があります。通常は駅あたりに2つまたは3つ程度の巡回バスルートがあり、料金一律50セントです。このサービス自体はたいへんいいことなのですが、その運行には利用者から不満が常時あるようです。つまり運行間隔のいい加減なことです。何時何分発という時刻表は一般市内乗り合いバスと同様、当然ありませんが、巡回バス駅によっては、何分間隔程度のお知らせを出している所もあります。しかしそれが守られない、運転手の恣意的な時間感覚で出発するというバス運行一般に見られる悪しき慣習がここにも見られます。

Star line の特徴

Star lineは経済省翼下の会社に入るまでは、4両から6両連結運転でしたが、その後は3両から4両編成運転になりました(ラッシュ時は多少増結する)。6両の頃はがらがらが多かったので車両効率をよくしたようです。路線は Sentul Timur駅 からAmpang駅 までとSentul Timur駅から Sri Petaling 駅までの2路線ありますが、Sentul Timur駅 からChan Sow Lin 駅までは同一線路上を走行しますので、いわば枝分かれ路線といった方が適切でしょう。全駅数は25駅で、運賃は最低RM0.70から最高 RM2.80 までです。

Star lineの切符自動販売機はシンプルなので切符購入にそれほど時間がかかるとは思えません。機械の上の方に小さな路線図があり、その駅名に運賃が表示されています。その路線運賃図を見てから、運賃毎に分かれているボタンを選んで押し、必要運賃を販売機に投入します。紙幣はRM2とRM5のみです。釣銭切れでなければおつりがでてきます。シンプル操作なので、KomuterはいうまでもなくPutra lineの券売機よりも多少短い時間で切符が入手できるはずです。

Star lineの駅には販売機が2台ぐらい設置してあるはずですが、どの駅でも乗客は機械で買うよりも窓口を好みますね。ですから販売機前はがらすきでも窓口が混んでいることが普通です。Star line駅でもPutra lineと同様に窓口上部には路線図と料金が表示されておらず、ちょっと離れた場所に立て看板形式で表示されています。だから窓口に並んでいくらと聞いてから財布を探す人もいます。こういう点でまた時間をとるのです。

Monthly TravelCard と呼ぶ乗り放題切符(定期券)は歴月1ヶ月間Star Line全線乗り放題できる切符で、料金RM70です。上記で書きましたように、たいへんお得な切符ですが、自動改札機は受けつけません(この問題点は上記Putraの所で指摘しましたね)。さらにPutra Line とStarLine の両方に乗れる歴月1ヶ月間全線乗り放題切符はRM125です。この両方の乗り放題切符にはその他の特典も多少ありますが、ここでは省きます。尚StarLineではTouch'n'Goは使えませんが、Star-LRTの時代から販売しているStar 路線だけに使えるプリペードカードがあります。

Putra line と比べると、Star lineの方が総輸送乗客数が少ないことと車両が幾分大きく長いことがあって、混雑度は落ちます、ラッシュ時は別にしてゆったり乗れることが多いです。
Starlineも駅舎も車両内もたいへん掃除がよく行き届いており、きれいです。車内とか駅に落書き類はごくごく少ないですね。Putra line との違いは駅にトイレの設備はありませんし、身障者が使えるエレベータの設置された駅はありません。かつてのStara-LRT時代にはいくつかの駅ではその駅を発着とした周回ミニバスが運行されていました。最近はとんと見かけませんので、激減されたか廃止された可能性があります。

時刻表はない

Putra line もStar lineにも、何時何分発という時刻表はありません。どちらも5分から10分強ぐらいの間隔による運行です。ラッシュ時には短い間隔、それ以外はちょっと長めの間隔というかたちです。SPNB発行のパンフレットに記載されている始発は6時頃で24時頃にはすべて運行が終ります。何駅でもいいですが、ある駅を通る終電の時刻がその駅に表示されてないので、ここではあいまいな形で書いておきます。尚休日は多少終電が早くなります。

車内と駅構内の禁止行為

電車両と駅構内での禁止事項に関して、車内と駅構内にイラスト入りで掲示してありますが、この掲示が目立ち且つ数も多いのはPutra line の方です。禁煙、ゴミ捨て禁止、危険物と銃火器の持ち込み禁止、線路上に降りるな といった当たり前の禁止行為に加えて、動物(ペット)の持ち込み禁止、チューインガムの禁止、車内で飲食しない といったマレーシアらしい禁止項目もあります。面白い禁止行為?では、男女カップルが(抱き合ったりする)いちゃつく行為 というのがあります。尚これはStar lineの掲示にはまだない。いずれも罰金になると表示されてますが、実際に罰金を施行された例は例外的のようです。

マレーシアでも携帯電話は、もはや流行を超えた日常のごく普通の光景ですが、車内で携帯電話禁止という掲示は、どの電車路線にも皆無です。というより、携帯電話の使用を車内で慎むという発想そのものが市民側にないので、例え携帯電話使用を車内禁止行為に加えても守られないのは火を見るより明らかです。携帯電話禁止が掲げられている銀行内、病院内、映画館内、官庁の窓口、などで無視して電話会話している人の多さを見れば、日本社会と比べて音と騒音に関する迷惑意識の違いを明白に感じます。

KL Monorail

4電車中で路線が一番短いのがモノレールです。路線の最初から最後まで乗っても20分弱で、駅数は11駅のみです。運賃はRM1.20から RM2.50 までの4段階あり、現在のところ窓口販売のみです。プリペードカードは2種発売と表示がでています。駅にトイレの設備はありますが、全駅に備わっているかは未確認です。モノレールの大きな特徴の一つはブキットビンタン街を経由してクアラルンプール市内の中心部をつき抜けるという利点でしょう。

駅舎は駅名に協賛会社の名前が入った所もあるようにたいへん目立ちますが、駅構内に、この出口はどこどこへつながるといった案内表示類は掲げてありません。まだオープンしてまもなく、しかも限定時間運行中ということで、現時点で多くを評するのはちょっと早いので、いずれ当サイトの旅行者ページの該当項目内に書くことにしましょう。

ところで、KL Monorail の駅内には、KLSentral行きなどというプラットフォーム案内・指示板には、マレーシア語、英語、華語に加えて日本語、アラビア語が加わっています。例として "Monorail" が ”モノレール” を含めて5言語で書かれています。KLSentral駅でも空港電車ERLの表示などに日本語は加わっていますが、市内の電車路線にも日本語追加ということでうれしいですね。せいぜい日本人旅行者が増えて欲しいなと筆者も願っております。

注:その案内・指示板に日本語が加わってなくても、モノレールに乗る日本人がこの程度の英単語がわからないとはまず思えませんが、そのサービス精神を歓迎としましょう。


各電車相互間の乗り換え

Komuter, Putra line, Star line, KL monorail、 この4路線の駅の中には別の路線に乗り換えできる駅があります。表にしましょう:
乗り換え駅名/電車KTM KomuterPutra line Star line KL monorail 空港電車
KL SentralOKOK
OKOK
Masjid Jamek
OKOK

Hang Tuah

OKOK
Dang Wangi


OK(Bukit nanas駅)
Titiwangsa

OKOK
B. Tasik SelatanOK
OK
Transit
のみ停車
次ぎの3つは注参照




Pasar Seni まあ可能
Kuala Lumpur駅
まあ可能


Bandaraya まあ可能
Bank Negara駅

まあ可能

PWTC まあ可能
Putra駅

まあ可能


注:まあ可能 という意味は、高架電車の駅はそれぞれKomuterの駅と離れているがほぼ徒歩5分以内で乗り換えが可能です。

各電車の車内と駅構内に掲示された路線図には、乗り換え駅と相手の路線名が書かれています。しかしプラットフォーム、駅構内に乗り換えを表示した案内板を掲げている駅はありますが(Star line)、表示が目立たないまたはイラストの意味に気がつきにくいですね。ただKLSentral 駅 は例外的にわかりやすいですが。Putra line はStar line へ乗り換えできるMasjid Jamek駅構内には乗り換え案内板は見当たらない(プラットフォームは未確認)。オープンしたばかりのモノレールの4駅にもまだ見当たりません。このあたりが電車網の歴史のなさからでしょう、親切案内に欠けてますね。ごく最近、KomuterのB. Tasik Selatan駅ではプラットフォームの駅名の下に、乗り換え表示の小文字が追加されたことに気がつきました、このように案内表示のわかりやすさへの変化を期待しましょう。

不充分な乗り換え表示

ですから、今年の夏サバ州旅行の際クアラルンプールに立ち寄った茶店のウエートレスさんは、筆者宛てのメールの中で次ぎのような不満感を伝えてきました。「高架電車を乗り継いでKLセントラルまで行きました。Masjid Jamekの乗り換えでまごついて荷物を持ってちょっとたくさん歩いてしまいました。ちぇ 案内が不親切だー 相互乗り入れしてほしい..」

乗り換え表示に限らず、出口がどこにつながる、どの建物が近辺にあるかといった案内表示の不充分さ(案内表示がないということではない)を筆者はもちろん以前から感じていましたが、各電車運営社はこのあたりを積極的に改善する気配がありません。これは切符の自動販売機の非効率性の改善がほとんどなされていないことと同じですね。モノレールの場合は、まだオープンしたてであり、案内不充分さが数ヶ月後どの程度変わるかはわかりませんので、評価はちょっと差し控えます。

すでに何年も運行しているKomuter, Putra line, Star line の3電車はこれまでこれらの不充分さを改善してこなかったので、この先すぐに表示板・案内板類が増えるとか切符自動販売機が改良される可能性は低いですね。ですから、この日本人淑女が表明されたような不満はこれからも当分は続くだろうと思われます。

追記:上のように書きましたが、電車会社側は表示板・案内板類に関しては現状ぐらいで充分じゃないかと捉えているかもしれません。こういった表示はマレーシアの一般乗客が期待する程度と日本のように親切表示になれた国の民との期待意識の違いもあるでしょう。


それぞれ別のシステムによる電車網の建設

尚少し前からですが、Putra line, Star line, KL monorailの3電車路線とクアラルンプール及びその近郊を運行するバス網すべてに使用できる共通切符方式にしようという案または方針がごくたまに報道されています。その候補としてTouch'n'Go カードを全電車、バスに導入する可能性が高いという話しも読みました。政策・意思決定者の間ではある程度または相当程度固まっているかもしれませんが、一般向け公式発表はなされていませんので、この時点ではわかりません。それに発表された決定が覆ることも決して意外なことではありませんから、真の最終決定までにまだ紆余曲折はあるでしょう。

Putra lineとStar line は同一の持ち主兼運営会社SPNBになったにも関わらず、その券売機と自動改札機をまだ共通化させない理由はこういった話しがあるからだと、解釈できないこともありませんが、いずれにしろはっきりしたことはわかりません。両電車のサービス面での統合化が遅れているのは、Putra lineとStar lineはそれぞれ別の民間会社が別の国の電車会社と提携して建設した経緯にあります。ですから車両、線路、駅設備などほとんど全てに渡って互換性がないはずです。そしてごく最近これまた全く別のシステムである”国産”モノレールが、クアラルンプール及びその近郊の電車網に加わったのです。

注:尚KL Monorail と直接関係はないですが、KL Mnorrail の運営会社であるKL Infrastructure Group会社の親会社MTrans は、現在Putrajayaに路線18Kmの高架電車プロジェクトを進展中だそうで、完成すればKL Infrastructure Group会社が運営するとのことです。このようにこの”国産”モノレール会社は積極的に事業拡大を計っているようです。

クアラルンプール程度の規模の都市でそれぞれ別のシステムによる電車網の建設が適切であったか、不適切であったかはもう少し年月が経てばわかってくることでしょう。しかし、それが公に論議されるようなことはマレーシア政治経済の仕組みからありえませんね。

注:このコラムを書き終わってからの9月13日付けの経済専門のStar Bizweek別刷り紙に、KL Mnorrail の運営会社であるKL Infrastructure Group会社が、両高架電車StarとPutraを買い取る申し入れを(SPNBを通じて)政府にもちかけた、という意外な記事が載っています。業界筋によれば、まだまだ緒に就いたばかりであるとのことで、進展の明確な予想は無理な段階です。関連ニュースなのでここに加えておきます。




独占プロバイダーの誕生は避けられない必要性なのだろうか


マレーシアの在住者または元在住者でないと状況はわかりにくいのですが、マレーシアにはプロバイダーの熾烈な競争というのは、ごく一時期を除いて実質的にはほとんどありませんでしたし、現在も起こっていません。その主因はユーザーの5割以上をTM Netが何年も前から握っており、次いでしにせプロバイダーのJaring が数割を占めるというガリバー型の構造だからです。政府は一時プロバイダーの増加を模索はしたようですが、所詮その方針はプロバイダーの数を多少、10社以下程度、増やすというものであり、インターネットプロバイダーになりたいものはどんな会社でも歓迎というオープン政策では全くありませんでした。

こうして2大プロバイダー以外には、国内ほとんどの地域で接続できるサービスをもつ全国的プロバイダーはありませんので、極小プロバイダーは何かの面で特化したサービスを持つとか高サービス高負担型のプロバイダーとして存在してきたように思えます。例えば、日系のArcNetがマレーシア一般大衆ユーザーの頭に浮かぶプロバイダーでないのは間違いないでしょう。

2大プロバイダーを合併させるという驚きのニュース

そんな状況のところに、ごく最近次ぎのような思いがけないニュースがもたらされました。それもマハティール首相自身の口からですから、単なる計画だけで終わることはまずありえません。

注:9月13日の「新聞の記事から」の一部再録 2004年度予算案発表される
経済大臣を兼務するマハティール首相が国会に、2004年度予算案を上程しました。インターネットプロバイダーJaringはTMnetに吸収合併されることになるだろうと、首相。

筆者はこのニュースを読んで、2大プロバイダーが合併、具体的にはTM NetがJaringを吸収合併したらTM Netが文字通りの独占プロバイダーになってしまうではないか、と思いました。Telekom の一般大衆への顧客サービスの不充分さは多くの人が感じているように、このTelekomの直系子会社であるTM Netも、おせじにもユーザー第一主義とは言えません。TM Netは宣伝の上ではあれこれサービスの優秀さを訴えてますが、その日常的サービスの実態は、接続に問題起こっても事前且つ事後にそれをほとんど通知してこない、質問出してもすぐ答えを送ってこない、問題を訴えても解決までに延々と月日がかかるなどなどです。

情報技術専門紙の報道を紹介

こういった意見・感想はもちろん筆者だけのものではありません。そこで9月16日付け Star 紙の情報コミュニケーション技術専門別刷り紙”In・Tech” の記事から引用します。

以下は記事から引用翻訳
TM NetがJaringを吸収する2大プロバイダーの合併を首相が言及しましたが、この予想もしなかった政府の決定に対するインターネットユーザーからの反応は2年前の反応と変わりはありません。実は2001年にTM Net の親会社TelekomはJaringを取得(買収)しようとしましたが、利用者からの反対の声が強くあきらめた経緯があります。

インターネット業界の消息通は、「これは独占を作り上げる、合併後は本当の競争というのはもうありえない。インターネット接続のマーケットの規制などをより緩めることが行動として取られるべきであった。」と語る。 競争はまさに消え去っている。インターネット利用者はこの数週間憂慮すべきできごとに見舞われている。まず今月(9月)初めMaxis Commuications は、(利用者数から言えば極小プロバイダーである)そのプロバイダー事業であるMaxis Netを10月末にサービス停止すると発表しました。皮肉なことにMaxis Netのユーザーは(引き続き使えるように)それ以後はJaring ユーザーに転換させられることになるとの通知をMaxis から受けていました。

これとは別に同じように(極小利用者数の)Time Netプロバイダーもダイアルアップ接続サービスをもうすぐ停止するのではないかとの推測が流れています。

Intraasia注:Maxis NetもTime Netも親会社はそれぞれ携帯電話網を運営する会社です。両社がプロバイダー事業に参入した数年前当時は、一時大きく報道されたものですが、すぐにほとんど話題にもならなくなりました。2大プロバイダーに比べて、利用できる地域が限られていることもありユーザー数が圧倒的に少ない。


このTMnet Jaring合併に関して、地元WEBサイトは愕然としたとの感想に満ちています。「情報通信技術に立った活気にあふれた社会を建設するための第1の法則は、競争を奨励することにあるはずだ、競争をもぎ取ることではない。」 「この動きはまったく反対の方向に向かっている。」 などなど。

合併のニュースに対する情報技術会社からの反応は厳しくありません。SCS CompyuterSystemの社長は言う、「合併がブロードバンドに大きな力点を置く結果に結びつくことを期待する、マレーシアはこのサービスを緊急に必要としているのです。」Hewlwt-Packard Sales Malaysia の社長は、この動きは興味をそそる、しかし警戒心も示していました。

業界消息筋のDineshのような者はTM Netが現状の課題と需要の増加をこなせるとはみていません。TM Net は合併すればユーザー数は約300万人になります。TM Net はそのブロードバンドサービスであるStreamix に対して苦情があふれています。特にその接続信頼性と顧客サービスに対してです。「サービスの信頼性が問題です。TM Netの競争相手になる会社がないくてTM Netが向上していこうとする動機がなくなってしまう。」

インターネット接続の料金値下のニュースは歓迎を持って受け取られた。「接続料を下げていくというのは歓迎だ、情報技術分野はビジネスの切り離せない部分にもはやなっている。」とあるソフトウエア会社の社長。

しかしブロードバンド接続がこの先長い間低料金でできるかと、疑問を呈する人もいます、それはTM Net が唯一の電話線を使用しての唯一のブロードバンドプロバイダーであり、親会社のTelekomが電話線事業を握るからです。「競争がないから、将来値上げを留まる要因がない。現在約300万人がインターネット接続契約者ですが、ブロードバンドユーザーは5万人ほどと推測されています。」
以上引用翻訳終り

競争あってのビジネス

企業はビジネス活動をしており、そのビジネス活動のほとんど全部は競争に見舞われながら遂行されていますよね。当然中の当然のことです。その競争的ビジネス活動を行う企業が、プロバイダー事業を行う企業だけが実質的競争のない状態でのビジネス活動をどう捉えているのでしょうか? いつもながら、具体名のでる企業は公つまり政府を公然と批判するようなことはしませんので、まあその真意を推し量りながら読むしかありませんな。

消費者の立場からはもっとはっきりとものが言えますから、インターネットユーザーがその驚きと批判的意見を表明しても不思議ではありません。ただ今回は首相が率先して発表・決定したことに対する批判なので、マスコミはこういう意見をどの程度紹介していくのでしょうか。1人のユーザーとして言えるのは、Jaringもですが、特にTM Netは個人ユーザーが問題を訴えてもその問題解決への努力を示す誠意を示してくれません。

注:筆者自身も、メールで質問送っても数日以内ではまず答えてこないか全く返答を送ってこない、窓口に赴いて間違い料金請求の訂正を要求しても半年間はなしのつぶて、などの経験があります。

インターネット接続人口

マレーシアの現在のインターネット接続人口は次ぎのような状況です。
インターネットのダイアルアップ接続ユーザー数は、昨年末で260万人であり、そこでインターネットユーザーは780万人と推定される、とエネルギー・コミュニケーション・マルチメディア大臣の演説が先日報道されていました。大臣はそのなかで、「インターネット接続率は約33%です、マレーシアはアセアンの中で先頭を行く国です。」 と述べたとありました。(これに関連して、有料である衛生放送ASTROの契約数が昨年末で100万人を超えたと明らかにしていました)

「国内のデジタル分割の現状に橋渡しする必要があることをエネルギー・コミュニケーション・マルチメディア省は認識している。さらに省は、田舎や僻地の住民がインターネット接続できるようにと、郡部インターネットセンターとKedai.comプログラムの設立を通じて、その役割を担っていく」 とのことだそうです。

均一に分布していないインターネット接続

また別の報道ですが、エネルギー・コミュニケーション・マルチメディア省副大臣は国会答弁の中でこう明らかにしました、「今年6月末のインターネット人口について、ダイアルアップ登録273万人中、93%が都市・町部の住人です。都市・町部の定義は、人口1万人以上で且つその住人の60%以上が農林業に従事していないことです。家庭で1登録すれば3人がインターネットすると仮定して、我が国のインターネット人口は800万人ほどである。」 下の表はこの2003年6月時点でのインターネット接続登録を基にしたものです:
民族別
民族華人マレー人インド人その他民族外国人合計
人数142万人101万人20万人2万人8万人273万人
割合52%37%7%1%3%100%

同上の州別割合
スラン
ゴール州
クアラ
ルンプール
ジョー
ホール州
ペナン州ペラ州サラワク州ケダー州
割合22.417.49.97.96.24.84.0
クランタン州サバ州 ヌグリ
スンビラン州
パハン州マラッカ州トレンガヌ州 その他
不明
割合3.63.63.33.22.82.38.6


マレーシア人口の3人に1人が、頻度を問わないとして、一応インターネットに接続するとの説明ですから、それほど低い割合ともいえないでしょう。所詮この手の数字に推測はつきものですから、それを問うのは止めましょう。

マレーシアの社会構造を考慮すれば、都市・町部と田舎・郡部の差が大きいのはあらゆる面で言われていることであり且つ様々な統計数字がそれを示しています。ですからインターネット接続において都市・町部と田舎・郡部の間に大きな差が生まれても全く不思議ではありません。都市・町部型の民族である華人が 総人口比が25%にもかかわらず接続登録人口の半分を占めるのはいわば当たり前の結果でしょう。反対に田舎・郡部の人口比が多いマレー人がその総人口比をはるかに下回る接続登録人口比となるのも理解できます。インド人はその総人口比にほぼ見合った接続登録人口比です。

その他民族とは主としてサバ州サラワク州のブミプトラですが、総人口の1割前後を占めるのにもかかわらず、わずか接続登録人口比の1%という、超低比率です。電話線すら届いていないというサバ州サラワク州の僻地、郡部のインフラ発展の遅れはこういった面に叙述に現れていますね。ここでいう外国人とは外国人労働者として滞在している外国人ではなく、日本人や白人といった高所得、高学歴層の外国人中心だと思われます。ですからその接続登録比が、マレーシアその他の民族を上回る3%にも達しているのでしょう。

州別接続登録人口比を見れば、典型的都市・町部の州であるスランゴール州、クアラルンプール、ジョーホール州、ペナン州で6割近くを占めています。インターネットユーザーが半島部の西海岸部に偏重していることがよくわかります。ですから上で言及した極小プロバイダーはほぼこの西海岸州だけで利用できるようなサービスを宣伝していました。

TM Netは親会社Telekomの全国電話インフラを利用することで、1996年後半開設以来短期間でしにせのプロバイダーJaringをユーザー数では追いぬいてしまい、よってTM Netはその性格上唯一の全国津々浦々のプロバイダーです。一方Jaring はTMnet ほど津々浦々のプロバイダーにはなれなかった。

独占企業Telekom”の性格を引き継いだ子会社TM Net

純粋私企業にとって、ものすごい不採算とわかっている田舎・郡部でのプロバイダー事業の展開は不可能に近いでしょう。だからこそ田舎・郡部では、国家資本の入った”親方Telekom”の子会社であるTM Net が唯一のプロバイダーであると認識されます。その性質として競争力が育たず、採算の取れない田舎・郡部でプロバイダービジネスを支配するTM Netが、ビジネスとしてのプロバイダー事業もそれなりに成り立つ都会・町部で、ビジネス意識と顧客第一主義を向上させない限り、ユーザー意識と要求の高い都会ユーザーを満足させることは難しいのです。

このことが上で引用した”In.Tech” の記事にも現れていますね。マレーシア社会は日本のような均質な社会ではありません、地域差、民族偏差、階層偏差の高い社会です。こういう国で純粋に競争主義的ビジネスだけに依存すると、偏差が狭まるどころか開きかねないことも危惧されます。といって競争主義的ビジネスを奪いされば、向上と改良への動機と刺激が失われてしまうことになります。このプラスマイナス、長所短所を充分に考慮して 情報技術化社会を進めていかねばなりません。マレーシア社会の舵取りは容易ではないのです。

当分はTM Net に期待するしかない

最後に、こういうマレーシア社会の置かれた状況を充分に考慮してタイトルの「独占プロバイダーの誕生は避けられない必要性なのだろうか」に戻ってみましょう。1企業の独占は市場経済社会では好ましくないというのが一般通念ですね。だからTM Netの独占は良くないと言えるでしょうし、筆者もそう思います。一方非均質社会のマレーシアで、国民一般を情報技術化に馴染ませる、目指させるために、プロバイダー事業において私企業の自由なる競争ビジネスが最適だろうか、という疑問も幾分湧いてきます。ということで、合併のニュースにはがっかりしたものの明瞭な結論はちょっと下せないというのが、正直なところです。

注:しかしながら首相の鶴の一声でその迎合さを臆面もなく示した関係官庁と企業トップのことばにはあきれました。それを9月16日付け「新聞の記事から」 2大プロバイダーの合併方針をもちあげる談話 から再録しておきます。

来年度予算案で2大プロバイダーの合併を言及されたことを受けて、最大プロバイダーTmnetの親会社のTelekomは、Jaringの親会社のMimosとの交渉を何週間か後に始めるとしています。Telekomは今年携帯電話網会社CelcomをRM40億で買収したばかりです。「我々は独自の金融手段がある。」とTelekomの社長。
Teleokomは2年前にJaring買収に失敗した経緯があります。業界の専門家は2大プロバイダーの合併は独占を生み出すとよく語っていました。「選択は必要だが競争があり過ぎるのはよくない」と社長。

エネルギー・コミュニケーション・マルチメディア大臣は、「一般的観点から、競争がプロバイダーに良いサービスと低料金を生み出すというものがある、しかし競争が劇化してくると、2つの期待される効果が見えてこない。 2大プロバイダー以外にプロバイダー免許をえた会社は競争に参加するに充分でない。一方料金は下がらずサービスはよくならない。この場合政府の見方は、市場を圧倒する会社がより力をつけて、もっと広範囲のサービスを提供し低料金化することができる、というものです。」 「合併はTelekomの独占を生み出しません。」
「消費者はサービスがよくて低料金であれば、大プロバイダーが1つだけであろうといくつかのプロバイダーがいくつかあろうと、それで満足なのです。これが最も大切です。」


インターネットユーザーである消費者がどう批判しようと、マレーシア政治の仕組みからいって合併の方向がひっくり返ることはもうないでしょう。TM Netは来年早々には国内登録ユーザーの95%以上を握る巨大なプロバイダーに変わるわけです。そしてこの独占プロバイダーは、マレーシア国内で例えば光ファイバーのような、電話網を介さないブロードバンドプロバイダーがそのビジネスを充分に広げる時代がやって来ない限り、当分の間マレーシアの大衆インターネット接続の生殺与奪の権を握ることとなる、と言ってもおかしくはないでしょう。だから一ユーザーとしてTM Netのサービス改良と向上を願うしかありませんね。



Mana‐Mana切符を使って近郊電車Komuter の全線を乗ってみよう―前編―


マレー鉄道(KTMB)運営の近郊電車Komuterの各種切符中に、乗り放題切符Mana‐Mana というのがあります。Man-Mana は固有名詞として使われているので大文字ですが、通常はmana-mana と綴ります。発音は「マナマナ」ですから覚えやすい単語ですね。このようにマレーシア語の発音の中には日本人にとってごく発音しやすい語がよくあります。

注:言語学的にいえば、日本語は音韻構造上開音節語が多数を占めるので、mana mana のような短い開音節語は経験則をそのまま適用するだけで発音すればいいからです。

Mana-Mana の説明

ここでちょっと関連知識を説明しておきましょう。mana というのはマレーシア語の基本単語であり、「どこ」 という意味です。
「You tinggal di mana? どこに住んでるの?」 というのは頻繁に尋ねられる文句ですね。”di mana どこに”のように場所を尋ねる時に使います。口語では"you" がしばしばこのように使われます。尚マレーシア語では疑問詞”di mana どこに” を文頭に持ってくる必要はありません。 
もう一つ例を。「Awak pergi ke mana? どこへ行くの?」 "ke manaどこへ" と行き先を聞いてます。"awak" は目上の人、丁寧な問答時には使ってはいけない。

でこの"mana" を畳語にすると、ちょっと似た意味ですが 「どこでも、どれでも」 といった意味になります。
「Di mana-mana pun saya boleh tinggal. 私はどこにでも住めますよ」 ”di mana-mana どこでも” となり、”pun”はこれを強調しています。つまり 「どこだって」 という気持ちです。 
応用例:「Mari kita pergi makan lah, di mana baik? いっしょにご飯を食べに行きましょう、どこがいいかな?」 ”Mari kita”は英語の”Let's”とよく似た使い方です。
「mana mana boleh どこでもいいですよ」

これでmana-mana の意味と使い方がほぼおわかりですね。つまりMana-Mana切符は、”どこへでも行ける ke mana-mana”、” どこでも降りられる di mana-mana” という意味をかけているのです。もう1種類ある乗り放題切符は"Kembara"という名称で、この単語は「ぶらぶらする、放浪する」という意味です。

Mana-Manaの特典

Mana-Mana切符は学校休み期間中を除く月曜日から金曜日までの朝9時から、その日1日中Komuter全線に乗り放題でき、料金はたったのRM 6です。Kembara切符はMana-Manaの使えない日つまり土日と祝日用または学校休み期間用で、RM 10です。

そこでこのMana-Mana切符を使ってKomuterに乗ってみましょう。この切符はお徳だけでなく、乗車のたび毎に一々切符を買う手間が省けますよ。Komuter の窓口はその切符自販機の非効率さから並ばなければならないことがよくありますからね。尚切符を買う所は、Komuter駅の販売窓口であり、切符自動販売機では扱いません。

とりあえずポートクラン行きに乗ってみよう

まず、例えばKLSentral 駅から乗ってみましょう。ここはKomuterの2路線:Rawang - Seremban線 とSentul - Pelabuhan Klang線 の乗換駅でもあります。他にも3つの駅で両路線間の乗り換えができます。KLSentral 駅は当然ながら全コミュター駅中で一番設備・施設が整っており、Komuterのプラットフォームにはまだピカピカさを感じ、数不充分ながらもイスが置いてあり大型テレビまで備わっています。そのプラットフォームはコンコースからエレベーターで下るので地下駅かのような錯覚におちいります、しかし実際はビル内の地上階です。

どの方向の電車でもいいですが、まずPelabuhan Klang行きの電車に乗りましょう。Pelabuhan Klang はポートクランとも呼ばれます。KLSentral 駅を出るとすぐ進行方向左手にMidvalley Megamallショッピングセンターが見えますが、そのショッピングセンターと線路の間には、トタン屋根の平屋、2階建てからなる昔ながらのごく小規模のマレーカンポンが残っていることに気が付きます。すぐ後方のMidvalleyの近代的ビル郡とはまことに対照的な一画です。

2つ目の駅はPantai Dalam駅、このあたりはマレー人地区です。夕方以降にでも下車して、あちこちにあるマレー大衆食堂でマレー人に囲まれて夕食時間を過ごしてみるのもいいでしょう。クアラルンプールの旅行者向け地域しか知らない方は、こういう地区に足をちょとだけ踏み入れてみると、また違ったクアラルンプールが感じられますよ。

車窓から眺める町発展風景の変化

その次のJalan Templer駅になる頃から線路に沿って大規模な道路工事が進んでいる現場が目の当たりに見えます。これは線路がしばらくJalan Klang Lama通りに平行して走っているからです。現在この通称オールドクラン通りは、道路の高速道路化工事の真っ最中です(Nwe Pantai Highwayと呼ぶ)。クアラルンプールから近郊を結ぶ有数の道路なので、完成すれば多くの通行量となり、交通の流れにも変化が出ることでしょう。こういう規模の大きな道路建設を眺めていると、まことこの10年のクアラルンプールの外観の変化は大きいなとあらためて実感します。

Kg. Dato Harun駅、 Seri Setia 駅、Setia Jaya駅ぐらいまでの線路際には、時代の発展から取り残されたことが一目にもわかるような簡易住居が散らばっています。それらは伝統的カンポンではなく、ある意味ではマレーシア社会の発展のひずみを残したかのような住居地区です。オールドクラン通りの道路建設によって立ち退きとなったと思われる場所もあります。これらの駅では乗客が駅舎のない側のプラットフォームに降りた場合は、改札を通らずそのままプラットフォーム端から線路際に降り、柵を超えてそれぞれの住居地に消えていくのが目に入ります。もちろん誰もこれをとがめるようなことはしないようなので、皆ごく当たり前のこととして行っています。

こうしてSubang Jaya 駅に着きます。この地は、駅の背後に有名な複数のショッピングセンターがたち、忙しく元気な商店街、高級な住宅街、カレッジを含めた学校、高級病院などが存在する首都圏有数の中流地区スバンジャヤの入り口ですね。この駅で下車して、ショッピングセンターをふらついてみるのもよし、また有名なSunway Pyramidまで足を伸ばしてみるのもいいでしょう。駅前から巡回バスがあります。

クラン駅で降りてインド人街を歩く

次ぎの駅2つはスランゴール州の州都シャーラムに位置する駅です、しかし線路がシャーラム中心地を外れて走っているので駅前の様子はぐっと静かです。そのShah Alam駅を出ると、線路はマレーカンポン風景の中をしばらく走り大きな町Klang に入ります。Klang駅自体は町の繁華街から少し離れた場所ですが、この駅周囲とそこを通るバス通り(Jalan Tengku Kelanaという道路名)はスランゴール州一といわれるインド人街です。クアラルンプールのMajid India通りと違って、普段の人通りは多くはありませんが、店の種類と数はひけを取りません。インドレストランで典型的なインドカレーの昼食を取る、または冷たい物でも飲みながら極上に甘いインド菓子を味わって下さい。サリーなどインド人御用達の品はあちこちの店で売っていますよ。

さてKlang駅を出ると、最終駅の1つ手前であるJalan Kastam駅あたりまで電車はカンポン地区をずっと走って行きます。KLSentral駅からSubang Jaya 駅あたりまでの風景とは全く違う”田舎”を感じる風景です、ただ丘陵地でもジャングル地帯でもなく平地です。とりたて特徴のあるカンポンではありませんが、車窓風景としては楽しめるでしょう。もちろん下車しても構いませんが、村の雑貨屋程度の店がある程度でしょう。

古い波止場のあるポートクラン

最終駅Pelabuhan Klang はその名の通り港(マレーシア語でPelabuhan)に面した駅です。港というより波止場と呼んだ方がふさわしいですが、ポートクランの中でも一番古い波止場ですね。大コンテナヤードのある北ポートと豪華フェリーターミナルのある西ポートは、この場からはずっと離れており見えません。駅舎を出ればすぐ斜め前に古い建物があり、そこはクタム島へのボートが発着する桟橋の出入り口も兼ねています。

この建物の半分ほどはインドネシア スマトラ島のTanjung Balaiai 間を結ぶフェリーボードの切符売り場兼待合所であり、出入国管理所、税関の事務所が入居しています。ほぼ毎日スマトラ島との間に船便があり、このあたりではインドネシア語がマレーシア語を圧倒しているかのようにあちこちで聞こえます。尚日本人はこの船に乗るにはあらかじめインドネシアビザ取得が必要であり、他の白人も多分そうでしょう。ですからまずこれらの旅行者の姿を見かけません。

建物を背にして右方向には島があり地元住民の村が見えます。この古い建物の2階にある食堂でコーヒーでも飲みながら、決してきれいとは言えない波止場を眺めていると、クタム島の往来の船が時折発着し、荷物運びの小さな船が港内を往来しています。

クアラルンプールに戻って乗り換える

さてまたKomuterに乗って引き返します。ところでKLSentral駅からPelabuhan Klang駅までの直通運賃はRM4.30ですから、途中下車1回でもすれば片道だけでMana-Mana切符の元が取れますよ。Pelabuhan Klang駅からRawang駅までならRM 6.20 です。
KLSentral駅を過ぎて今度はRawang方向のKomuterに乗り変えます。Kuala Lumpur駅はもはや都市間列車の停車駅としては使われなくなったので、今やKomuter駅専用かのようです。いつもがらんとしています。KualaLumpur駅はその芸術的な外観で知られた伝統ある駅ですから、建物は保存されることになっています。乗り換えはこの駅でなくても次のBank Negara 駅かPutra駅でもいいです。Rawang行きは同一プラットフォームで待ちます。

電車到着案内掲示板と放送のおかしさ

さていつも気になるのはKomuter電車の”習慣”である運行の不正確さですが、こういった駅で待っているとおかしなことに気がつきます。上下のプラットフォームではそれぞれ時計表示付きの電光掲示板が次ぎの電車の到着を表示していますが、電車が遅れても、事前にインプットされた時刻だけが表示されますので、次ぎにやって来る電車が表示通りである保証はありません。さらにややこしいのは、プラットフォームで流される録音式の発車案内放送です。これも定刻時刻到着を予想して流されるので、到着すべき電車が遅れて来ようと、別の方面行きの電車が次ぎにやって来ようと全くお構いなしに録音テープは回っています。要するに、電光掲示板も案内放送も当てにならないということです。乗客は、プラットフォームに到着する電車の運転席上部と最後尾に表示された行き先だけを当てにしなさいということです。

最終・始発駅ラワンの町

とにかくやって来たRawang行き電車に乗って、最終駅Rawangで降ります。駅自体はこじんまりとした駅で、ちょっと目立たない場所にあります。駅を出て坂を上がれば交通のたいへん激しい道路を挟んで目の前に警察署があります。この道路はクアラルンプールからイポーへ向かう旧道ですが、現在もトラックをはじめ極めて交通両の多い道路です、この町ラワンはこの道路が町の中を横切る形で走っているのです。ラワンはこの地方の中心町ですので、クアラルンプール、Kuala KubuBaruなどの町とを結ぶバス便がある。90年代の中期のマレーシアを知る方にはなつかしい?かつてクアラルンプール市内外を我が物顔に走っていたミニバスが近郊とを結ぶバスとして使われています。もちろん車体の色と文字は塗り替えてありますよ。

ラワンの町はインド人の店が目立ちます、それだけこの周辺にはインド人人口が多いということですね。つまりかつてゴム農園で働くために移住者が多かったということでしょう。次ぎから次ぎと行き交う車のエンジンと警笛の騒音を我慢しながら町をちょっと歩いてみましょう。華人界の存在を物語るりっぱな寺院、ショッピングセンター、昔ながらのごちゃごちゃした市場、半島部西海岸側の地方町の典型的な姿がこのラワンの町にはありますよ。

注:ここで触れましたポートクラン、ラワンの写真は「スランゴール州(KL近郊、蛍鑑賞、Putrajaya)」のページをご覧ください。




Mana‐Mana切符を使って近郊電車Komuter の全線を乗ってみよう−後編−


Rawangラワン駅はスレンバン行きの始発駅ですから、どの電車に乗ってもまず座れるでしょう。もしSeremban駅までどの駅でも降りずにまっすぐ行けば約2時間かかります。規定運賃RM 8.1で、これだけ乗れば乗りがいがありますよ(笑)。Komuter車両には3種類あり、全席が観光バス式の通路を挟んで2座席 2座席タイプの車両が一番座席数が多いはずです。ラワンを出てKuang 駅そしてSungai Buloh駅までは駅間の距離が長い。電車はいかにも郊外といった風景の中を走ります。つまり密集地帯ではなく所どころに人家があるような風景です。住宅商業建物郡を建設中の新興開発地も車窓から眺められます。Kuang 駅は見た限りではとりわけ興味ありそうには見えませんでした。

園芸センターに近いスンガイブロ−駅

次ぎのSungai Buloh駅はその名のとおりSungai Buloh通りに面した駅で、駅のすぐ周囲に人家はありません。スンガイブロSungai Buloh通りはクアラルンプールからクアラスランゴールに続く、トラックも多い交通量の多い道路です。しばらく線路とこの道路が並行して走りますので、車窓から植木、薬草、植木鉢、盆栽などをたくさん置いた大型の園芸センターの店が数軒見えます。そう、Sungai Buloh通りはずっと以前からこの手の園芸センターが何軒かあることで知られているのです。花や植物や薬草に興味のある方は、多少歩きますがこの駅で降りて訪ねてみるのもいいかもしれませんよ。

クポン駅で眺めたある光景

次ぎの駅はクポンKepong駅です。クポンはクアラルンプール有数の古い華人地区として知られています。そのクポンの中小工場がたくさんある地区に近い場所にKepong駅はありますので、クポンの中心からは多少離れている感じです。

Kepong駅の上り下りのプラットフォームをつなぐつまり線路をまたぐ歩道橋上でぼんやりと景色を眺めていると、線路上を向こうの方から駅に向かって人が歩いてくるではありませんか。まあKomuter路線で線路を挟んで住む人たちが柵を超えて線路を横断するのを見かけるのは特に珍しいことではないので、気にしなかったのですが、その男たちはプラットフォーム方向に歩いてきてついにはプラットフォームにあがりました。つまり電車に乗る駅利用者なのです。

郊外のカンポンみたいな所ならいざ知らず、クポンのような人家、会社の多い地区でも、まだこんな悪癖をそのままにしているのだなとあきれながら、下りのプラットフォームに下りて電車を待ちました。ももなく電車がやって来ました、するとぞろぞろと降車した乗客の少なからずの人が、歩道橋方向でなくプラットフォームの外れに向かって歩いて行くではありませんか。後で電車の窓から見ると、プラットフォームが終って柵に沿ってごく細い踏み固めた道があり、その道が柵の壊れた地点で終っています、そしてその地点から左に折れた坂の先は住宅地です。これでわかりました。駅で電車を降りた乗客は駅舎のあるプラットフォーム側に渡って改札を通らずに、降りたプラットフォームの端からそのまま駅外に出てしまうのです。駅舎と反対側に改札設備など一切ありませんから、常識的には違反行為です。改札をせずに駅外に出てしまうからです。

下車時の改札は重要視されていない

これは衆人環視、駅員の目の前で行われています。毎日毎便この行為が行われていることでしょう。あーあ、マレー鉄道って所詮いつまでたっても変わらないなと思いました。前編でちょっと触れましたように、ちょっと郊外の駅になると、改札のない側のプラットフォームで降りた乗客がそのまま線路脇を少し歩き、いつしか柵の隙間から外へ出て行く光景はよく見かけます。つまり目的地まで切符買ってなくても改札しないので、所詮わからないことになります。さらに車内で検札がありません。筆者は何年にも渡って数多く乗ってきたのに一度も検札に合ったことがないというのは、Komuter電車では検札自体がないのでしょう。

乗る前に自動改札機で改札するだけで、下車時の改札はしてもしなくても、マレー鉄道の会計上の仕組みではほとんど関係ないということです。つまり下車状況を調べられないほど簡単な自動改札の機械であり、駅員はそれを一々気にしてないということです。都市部のKomuterの駅は全員下車時に改札を通りますので、運賃不足であれば機械がストップをかけます。しかし一度そういった場所から外れれば、後は気にしないのです。なぜなら郊外の小さな駅には日中限られた時間しか駅員のいない駅も結構あることをみてもわかります。

マレーシア人の乗車行動癖を知っているからこそ、例えばクアラルンプールでは最大のIntrakotaバスはしばしば車内検札を行っています。地方へ行けばほとんどの中小バス会社が近郊バス路線で車内検札を常時行っています。この事実に照らし合わせれば、Komuterの”おおらかさ”は特筆ものですなあ。

わかっていても手を打たないマレー鉄道

で、問題は次ぎの点にあります。
Kepong 駅構内をでて線路に沿って数分歩けば線路をまたぐ歩道橋がありますが、見た限り向こう側のつまり降りる側の階段が多少壊れておりほとんど使われてないようです。線路と駅舎は多少地面をより高くなっており、道路へは多少下ります。その道路から線路をまたぐ歩道橋なので高さがあり、結構上り降りする感じです、多分通常の建物の3階への階段ぐらいの高さがあるでしょう。線路にそって両側に住宅地が広がっています。つまり駅舎にある側からの乗降は問題ありませんが、駅舎のない側で歩道橋から離れた位置の住宅の人はちょっと大回りしなければならなくなります。駅駅舎をでて歩道橋まで歩き上って渡り下って、さらに線路に沿って歩き駅舎のちょうど向こう側(反対側)あたりまで来れば少なくとも5、6分はかかるでしょう。

高い階段の上り下りを含めてこの5、6分を意に介さずまたはいやいやながらも毎回歩くことはマレーシア人一般の意識からありえません。例え2、3分でも遠回りはしないマレーシア人一般の行動形式と意識を考えれば、確実に5分を超えしかも高い歩道橋を上り下りする行動は99% のマレーシア人は行いませんし、全く期待できません。だから駅舎のない側のプラットフォーム、下りRawang方面、で下車した客は、改札のある側のフォームに渡らずに、ちゅうちょせずにプラットフォームの端をめがけて歩き、柵の壊れた地点から駅外に出ていくのです。

踏み固めた線路際の道、マレー鉄道の柵内です、を数十メートル歩いてから柵外に出る、且つ電車に乗る時は必然的に線路を横切ることになる、安全上から当然過ぎるほどの禁止行為ですね。さらに検札せずに駅外に出てしまう。この2つの問題点が常にあり、それがどれくらい続いているのか知りませんが、昨日今日始まったものでないのはいうまでもありません。1日に数本しか列車の通らないような田舎路線の駅でのできごとではありません。中心部ではないとはいえクアラルンプール市内の駅、背後に大きな住宅地と古い中小企業地帯を控えたKepong駅での状況です。

これらを解決するには、両プラットフォームに改札所を設置するしか方法はないことになります。マレーシア人乗客に大回りして歩道橋を渡れといってもそれは不可能です、これは誰でも認めることですね。線路横断を禁止する、それも乗客にそうさせない手段をとらない限り、守らない人は減りません。こういったマレーシア人の行動様式と意識を考慮すれば、両プラットフォームに改札を設けるしかないのです。この必要性がわかっていながらも、開通以来でしょう、ずっと無改札と線路際通行と横断を見て見ぬふりしているマレー鉄道のありかたは、筆者が最初に嘆いた言葉です、「あーあ、マレー鉄道って所詮いつまでたっても変わらないな」

クアラルンプール中心部にある4つの駅

電車乗りを続けましょう。
Segambut駅の次はもうクアラルンプールの中心部の一画になります、その名もPWTC(プトラワールドトレードセンター)地域にあるPutra駅です。駅自体の回りはにぎやかではありませんが、徒歩数分で有名なショッピングセンターMallの入り口に着きます。その対面はUMNO党本部の入居したUMNOビル及びPWTCの巨大なビルです。Sentul 路線の終着Sentul駅はこのPutra駅で乗り換えれば、次ぎの駅がSentul駅です。

次ぎは距離的にはごく近いBank Negara駅です。名前が示すように駅は”中央銀行”の門を下った位置にあります。この駅の乗降は思いのほかというか、当然というか多いのです。2路線の乗り換えができるだけでなく、駅を出てゴンバック川にかかった太鼓橋を渡ればそこはRajaLaut通りです。そこにはクアラルンプール市庁(通称Bandarayaと呼ぶ)を始めとした官庁、ビジネスビルが連立し、さらにStarline高架電車のBandaraya駅があります。つまりBank Negara駅から徒歩5分以内には多数の人の働くまたは出入りする官庁、銀行、ビル、駅があるからです。

この駅も次のクアラルンプール駅ももちろんクアラルンプールの中心地に位置する駅です。KL Sentral駅を境として線路はPelabuhan Klang方面とSeremban方面に分岐します。引き続きSeremban方面の電車で乗車を続けます。Seputeh駅は静かな住宅街にある駅です。ただSeputeh地区には高級なコンドミニアムも背後に控えています。それを過ぎるといくらか郊外という風景になり、住宅街がいくつも目に入ります。

バンダータシックスラタン駅は電車交通の要所

こうして数ある住宅地区の一つSalak Selatan駅を過ぎるとそこが、Bandar Tasik Selatan駅です。ちょっと長めの名前ですが、6、7年前まではなんの変哲もない郊外の一新興開発地区だったのが、今ではクアラルンプール郊外の電車交通の要所の一つとなりました。なぜなら、このKomuter、高架鉄道Star-line, ERL空港鉄道の3本がこのBandar Tasik Selatan駅付近で近接しており、それぞれ駅を設けたことによって、3路線間での乗り換えが可能だからです。駅舎はいずれも陸橋でつながっており他の駅舎と線路がまじかによく見えるので、始めての人でも間違えることはないはずです。尚ERL空港鉄道はTransit電車がこの駅に停止します。Bandar Tasik Selatan駅の周辺は住宅地と商業ビルがありますが特に見て回るようなものはないです。

池の周りにできているMINES

駅をでてしばらくして左側に大きな池が見えます、その手前の岸辺にはユニークな形のビルが建っています。池の向こう側の丘陵には、瀟洒な高級住宅が見えます。池や湖のある風景はやはり景色として眺めがいがありますね。この池は実は昔の錫鉱山跡である人造湖なのです、人造湖の岸辺には高級なリゾートホテルがあり、次ぎに紹介するMINESの建物が立ち並びます。

次ぎの駅はSerdang駅です。この駅は有名なショッピングセンター、展示会場、テーマパークであるMINESへの玄関口ともいえるでしょう。駅前に道路の向こう側に渡るものすごい長い歩道橋があり、これを渡って駅からMINESまで歩いて7、8分ぐらいかかります。玄関口としては多少遠いとも言えます、そのため多数派は車かバイクによる訪問ですね。こういった施設へはやはり自家用車族が主体であり、そう期待されています。

Serdang駅を過ぎればカジャンまではほぼ郊外風景です。電車はしばらく林のある丘陵地を走り、ときたま小さな中小企業地がぽつっとある。林の中には見え隠れする農家の周囲をバナナの木が囲んでいます。やがて線路から見えるショッピングセンターを目印にカジャンの町中に入りますが、Kajang駅は大きくにぎやかな町カジャンの中心部を外れた一角にあります。駅前は学校です。中心部まで歩けば7、8分とのことです。本来はもう少し中心部に近いところに駅があるべきですが、移転は簡単ではないようです。

マレー鉄道西海岸線のありふれた風景

Kajang駅を出ると電車はちょとした林間地帯をずっと走ります。木々がうっそうと生い茂り青い草が一面を覆う、その風景より多いだろうと思われるのがオイルパーム農園です。この風景がずっと続きます。時たまマレーカンポンの人家がぽつぽつと線路際に立っています。集落といえる程度の規模で、何百軒も固まっているようには見えません。こういった、うっそうとした林、広大なオイルパーム農園、点在するマレーカンポン、これらはマレー鉄道沿線ででごく一般的な風景といえます。そうです、マレー鉄道の車窓から眺める景色の多くはこういった何気のない風景なのです。もちろん東海岸線に乗ればもっとジャングル風景が多くなりますが、西海岸線ではどこまでもどこまでもジャングル風景が続くような景色はありません。

ですから、クアラルンプールからペナンやジョーホール州へはバスで行くのでマレー鉄道に乗れなくて残念、といった気持ちを抱かれる旅行者は、Komuter電車のRawang - Seremban 路線に1時間半から2時間ほど乗ってみれば、不充分ながらもマレー鉄道の気分が味わえますよ。電車車両は違いますが、長距離列車もKomuter も同一線路上を走るからです。つまり車窓の景色は全く同じです。しかも現在はペナン及び以北への北上線は夜行の1本だけですから、クアラルンプール―ラワン間の景色は実質的にはまず見えません。ですから北上する場合は、日中クアラルンプールとラワン間のKomuterが唯一景色を楽しめるマレー鉄道の電車なのです。尚ペナンから南下する場合は、夜行便でKL Sentral駅に朝着ですから、ラワン以降の景色は見えますね。

さてKajang駅の次はUKM駅です。UKM とはマレーシア国民大学の略です。駅近くにキャンパスがあるかと思って下車したのですが、徒歩ではとても行けない距離でした。多くの学生は交通の激しい道路際で大学を経由するバスを待っていました。

KLIA空港へのバスの発着するニライ駅

次いでBangi 駅、静かな駅周囲からはとてもわかりませんが、実はバンギBangi は工場地域と新興住宅地が連立する発展地区です。その次の駅は、わずかな住宅しかなく閑散としており一方側には採石場のあるBatang Benar駅です。多分無人駅でしょう。山林の続く田舎風景の中いつしか線路はヌグリスンビラン州に入り、Nilai 駅に着きます。ニライ自体は小さな町ですが、このNilai 駅前広場からはKLIA空港を結ぶ乗り合いバスが運行されています。タクシーも常駐し、その他の地方鈍行バスもこの駅前広場を経由するので、交通面では便利ですね。商店街もあるので一時下車して食事、休憩もできますが、町自体に面白みはなさそうに見えます。

ヌグリスンビラン州の州都が終点

こうして終点のSeremban駅まであと2駅です。スレンバンに入るまではさらに同じような田舎風景を電車は走ります。2つの駅であるLabu駅とTiroi駅では、その地の住民以外にまず上下車する人はいないでしょう。Labu駅の柵の裏はバナナ畑です。車窓には開発中の住宅地もみえることがありますが、大体が田舎風景といってもいいでしょう。時にはっとするほど見事なマレー家屋が見えますよ。こうしてついに終点のSeremban駅に到着です。マラヤ鉄道の長距離列車も停車するので、小さな駅ではありませんし駅舎内は整っています。駅舎を出ると構内の一角に駅の由来を彫った駅碑が建っています。まこと意外なのは、碑文に英語とマレーシア語と華語というマレーシア3言語に加えて日本語も加わっていることです。

駅の対面にはSeremban Paradeという小型のショッピングセンターが建っていますが、スレンバンはヌグリスンビラン州の州都とはいえ、高層ビルや近代ビルが立ち並んだり、旅行者を運ぶ観光バスが訪れるような大きな都市ではありません。旅行者には馴染み薄くこじんまりとした州都と言えますが、それでもスレンバン中心部だけ歩いたとしても結構時間がかかるものです。ミナンカバウ建築の州庁舎など見所はありますから、Seremban駅前通りを交通の流れに沿って中心部に向かい、2、3時間ほど町をぶらついてみるのもいいのではないでしょうか。歩くのはいやという人は、駅前がタクシー集合場なのでタクシーに困ることはないでしょう。

注:ヌグリスンビランについては、「KLから日帰り圏のヌグリスンビラン州」のページをご覧ください。


電車だけでなくいくつかの駅で降りてみましょう

こうしてKomuter全線に乗ったことになります。全40駅にも触れました。1日で2路線:Rawang - Seremban線 とSentul - Pelabuhan Klang線を乗り終えることは可能といえば可能ですが、それではあわただし過ぎて、ほとんど駅で降りる時間もないぐらいです。現実には2日間または3日間かけていくつかの駅で下車して歩いてみるのがお勧めですよ。2日間でもMana-Mana 切符代の合計はRM 12、乗る距離と訪れる地の多さから言えば安いものですね。



華文小学校と中華中学校の保持と発展に力を注ぐ華人界


教育に関する事柄はマレーシアではまこと関心または論議の対象になります。もちろんどこの国でも教育は国家の最重要な事柄ですから、単に政治家や官僚や学者や教育関係者の間だけではなく、普通の国民も絶えず声をあげることでしょう。マレーシアはその多民族構成と複数宗教社会であるゆえに、その教育の方向性、あり方、目標のすべてに民族性と宗教性が絡んできます。この2点は日本でも教育論議に含まれてはいても、その関わり方はマレーシアのそれとは質的に違います。マレーシアの初等教育における民族性教育は、マレーシア人という”非特定民族的国民”を創出する努力の中で如何に民族性を保持するかという困難な目標を内在しており、宗教教育は教育自体に組み込まれています。

注:ムスリム生徒にはイスラム教学習の授業時間があるといったカリキュラム面だけでなく、服装はムスリムとしての服装でなければならないことなどですね。

よって教育に宗教性を絡めるべきだ、絡めるべきではないという議論はそれ自体が成り立ちません。

小学校の全体像

教育の基本は初等教育ですから、この段階ですでにいくつかの重要な問題が指摘され且つ論議にあがります。教育内容に関してはここでは扱わないとして、教育を授ける、受ける場としての問題を取り上げてみます。
2003年9月20日付けの華語紙”星洲日報“が華文小学校と生徒数の変化について、大きく報道していました。以下の2つの表は教育省発表の”2003年教育統計”を星洲日報がまとめて掲載したものを、筆者が多少増補・修正したものです。

全国の公立小学校の分析 (2003年1月末の時点)
小学校
の種類
校数生徒数(単位は万人)教師数(単位は千人) 学級
の数
教師対
生徒比
1校の
生徒数
1学級の
生徒数
総数総数
国民5655116.3110.2226.5528313572,51516.7400人31.2人
国民型
華文
128732.830.863.75263118,37920.3495人34.6人
国民型
タミール
5284.54.79.31.74.96.54,13714.3175人22.4人
特別280.10.10.20.20.30.62523.165人4.2人
合計7498153.8145.8299.75911417495,28317.2399人31.4人

注:四捨五入があるので各項目の計と合計がわずかに合わないことがあります。

現在全公立小学校の生徒数の76%が国民小学校に通い、21%が国民型華文小学校に通学しています。下段で説明しますが、名称に”型”がつく、つかないは質的なといえるほど大きな違いです。そこで国民小学校と国民型華文小学校の変化を比べて見ます。国民学校はマレーシア語で教育する学校であり、華文小学校とは華語を媒介語にして教育する小学校で、生徒の約95パーセントは華人です。タミール語小学校はタミール語を媒介語にして教育します、いうまでもなくほとんど生徒全員がインド人です。特別小学校とは、心身障害者のような子供向けの学校のはずです。

注:華文と華語はほぼ同一意味で使われています。この単語を”中国語”と訳すと、それはマレーシアという場においては適切とはいえません。なぜならマレーシアの華人教育界や中文表記上では”中国”という単語は別の意味合いが加わるからです。


ずっと不足状態にある華文小学校

2000年同時期の統計では、国民小学校の校数は5379校でした。2000年の時点に比べて2003年には生徒数が47000人弱増え、この3年間に新に設立された国民小学校は276校です。一方国民型華文小学校の2000年の数字と2003年の数字を比べると、この3年間に生徒数が14000人ほど増えたにも関わらず、増えたつまり設立された華文小学校は3校に過ぎません、と星洲日報は書いています。

国民型華文小学校が不足している問題は常に華人界が訴えている点であり、今回の星洲日報の記事は全然珍しい記事ではありません。それどころか各華語新聞を開けば、しょっちゅうこの種の記事を目にします。華人界は、華文小学校が足りないと多分20年ぐらいは訴えているのではないでしょうか。

注:ほんの1例を上げれば、教総の議長は、「我々はアブドラ副首相が首相職に就いたら、華文小学校の非常に困っている点を少しづつ改善してくれるように願っています。華人コミュニティーの教育への需要を新首相が満たしてくれることを期待します。」 と星洲日報の記事内で語っています。

華文小学校が足りないため、当然ながら華文小学校では教師対生徒数の比率が全国平均17.2 よりも高い20.3 となり、1学級の生徒数が全国平均の31.4人より多い34.6人というように、数字にも明らかになっています。

一番の問題はこの平均数字よりも、華人人口が集中している都市部での華文小学校の極端な不足です(華人人口の多い新興住宅地が顕著)。このため1学級の生徒数でスランゴール州が40人、クアラルンプールに至っては45人という数字になるそうです。華文小学校は生徒数の大きな大型小学校がある一方、生徒数150人に満たない小型小学校が全体の4割の 510校もあります。その多くはサラワク州、ジョーホール州、ペラ州、に固まっているそうです。つまりそれぞれの州内の郡部・田舎にある華文小学校の場合がほとんどで、設立された数十年前はその地にそれなりに華人人口があったが、時代の流れによって都市部への流出がおきて、子供を養育する若い世帯が大きく減ってしまったという現象が、こういった生徒数のぐっと少ない華文小学校の出現に寄与しています。尚全国の小学校総数に生徒数150人以下の学校の占める割合は32%です。

都会型の州であるスランゴール州の華文小学校の1学校あたりの生徒数は1045人、クアラルンプールに至っては実に1443人です。つまり大型校化するわけです。全国平均の1校あたり399人の生徒数から見れば大型校であることは明らかです。一方に校舎も運動場も足りない大型校があり、一方に生徒数100人程度の小型校があるといった2極化現象は、華人界だけでは是正することはできません。というのは、小中学校の設立、移転、統合などはすべて教育省の許可がなければできないからです。

タミール語小学校の特徴

タミール語小学校は反対にいかに1校あたりの生徒数が少ないかお分かりですね。インド人の総人口比が8%弱に過ぎず、且つタミール人口はその8割程度のところで、528校も全国にあるからです。つまり分散したインド人社会の需要に答えるためには、小型校がどうしても主流になるということです。タミール語小学校の大きな特徴として、多くがプランテーション農園内外にあることです。これはプランテーション農園労働者の多数派がインド人であるためにその子供たちが通える学校として、農園内外に建設された由来があります。

注:インド人は分散はしていますが、人口がごく少ない州があります。そのためタミール語小学校が全くない州は、サバ州、トレンガヌ州、サラワク州で、わずか1校あるだけの州はペルリス州とクランタン州です(2州の生徒数合わせて150名ほど)。


小学校に二部制の学校もある

これまでにもコラムだけでなくあちこちで書いてきたように、マレーシアは若い国です、つまり15歳未満が人口の3分の1を占める子供の数が多い国です。ですから華文小学校に限らず学校、校舎は不足しがちで、二部制小学校が存在します。次ぎの表はそれを示す統計です。二部制では、生徒数に比べて校舎・学級が足りないので午前部と午後部に分けて授業を行います。そのほとんどは都市部の小学校でしょう。

全国の公立小学校を授業時間帯の面から分類 (2003年1月末の時点)
小学校の種類 午前中だけ授業
の学校
午後だけ授業
の学校
午前部と午後部
の二部制
校数の合計
国民4844447675655
国民型華文1087151851287
国民型タミール494133528
特別2828
合計6453609857498

2部制では午前部の授業が終れば直ちに下行し、午後部のために校舎と運動場を開けなければなりません。1部制授業の方が生徒と教師の双方にとってゆったりしたものになるのは当然ですから、政府は2020年ぐらいまでの長期計画を立てて、全国の2部制学校を徐々に減らし、最終的には1部制学校だけにする計画です。そのためには用地確保、校舎・施設建設への財政支出が多大の負担になることはわかりますから、数年程度で解決する課題ではありません。もちろん教員の養成も必要ですね。

華文小学校での男女教師比の極端なアンバランス

教員といえば、華文小学校では男性教師の不足が嘆かれています。華文小学校教師数のわずか17%だけが男性教師です。この数字は、国民小学校では37% と2倍以上であり、全小学校教師中では男性教師が34% を占めます。華語小学校の男女教師比のアンバランスは際立っています。この理由を、華語教育界の総元締めである教総の議長は、「華人の青年男子は一般に小学校教師になることを好まない、これは給料が安いことが原因です。華文小学校教師の職は衰退化している。もはや昔のように教師職を尊ぶようなことはない。これが華人青年が教師になりたがらない原因です。」と説明する。

マレー人界ではこれほど極端な男女教師比が起こっていないことを見れば、これは外部要因もあるとはいえ華人界が独自に解決すべき問題でしょう。給料が低いことだけを主因にするのはいささか身勝手な分析と思いますね。

”国民型”と”国民”の違い

国民型である華文小学校とタミール語小学校は、その学校運営に必要な費用への国からの補助はごく限られています。つまり公務員である教員の給与は国から支給されますが、日々の学校運営資金や施設設備の購入、増改築への補助はごく限定されているのです。このため華文小学校はどこも常日頃からPTA、地域の華人団体、学校運営理事会などが義捐金・寄付金集めの催し、呼びかけを行っています。マレーシア各民族中、平均所得で一番上位なのが華人であり、多くの大中小の企業家を擁していますから、この義捐金・寄付金集めで華文小学校をほぼ支えていくことができています(もちろん、所得が高いからだけの理由ではない)。しかし典型的低所得階層であるプランテーション農園労働者の子供が主体となる農園内外のタミール語小学校は、学校運営費の欠乏に非常に苦しんでいる状況、その施設・設備のお粗末さが、しばしば報道されます。たしかにむべなるかな です。

注:国会の質疑であるマレー与党UMNO議員が、公立学校を発展させるために援助を与える時に華文小学校とタミール語学校を無視すべきではない、と述べました。「教育とは全人のためにある。民族に関わらず全ての子供たちに適切な教育を与えることを保証すべきです。華文小学校とタミール語学校を無視してはいけません。」 「教育省は、土地獲得問題が片付かないといったいい訳を使うのでなく、両学校の発展に経済的援助を与えるべきです。」 以上9月24日の新聞記事から


国民型である華文小学校とタミール語小学校は国民小学校ほどではなくても”公立並”ですから、当然カリキュラムなどは教育省の定めたものに従がい、教科書も同様です。尚私立小学校と民衆イスラム学校はごく少数で全体の数パーセントに過ぎません。華文小学校とタミール語小学校はそれぞれマラヤ独立前からの長い歴史的経緯があり、教師もそれぞれの民族教師が大多数を占め、各民族語である華語またはタミール語で授業を行っています、つまり民族のアイデンティティがそこに込められています。それだからこそ華人界は華文小学校の維持と質向上に多大なる関心持ち、しばしば経済的負担をいとわないのです。

参考:マラヤ独立以後の華文小学校の推移

華語で教育する華文小学校は、マラヤ連邦独立を期して国家の教育体制の中に組み込まれていきました。この条件に合致せず組み込まれない小型の華文小学校の多くは次第に閉鎖となりました。政府の統計資料によれば、1978年の時点で、独立華文小学校はわずか11校でした。そしてその後は独立華文小学校はすべてなくなりました。

中華小学校の変遷 (董教総が発表)

1957年1967年2000年
学校の校数政府系943990979
独立系3991200
合計13421110979
生徒の人数
(千未満切り捨て)
政府系310,000355,000506,000
独立系51,00050,0000
合計361,000360,000506,000

この統計数字は以前の華語新聞に掲載されていたもので、董教総の集計です。上記で掲げた表の数字では国民型華文小学校の2003年の数字は1287校、生徒数637000人です。言うまでもなく、3年の間に校数と生徒数が数割も増えるなんてことはありませんから、国民型華文小学校の前身が中華小学校のはずなので、数字が随分と食い違っています。なぜかはよくわかりませんが、表の統計は半島部だけのものかもしれません。参考として掲げておきます。

注:董教総とは華語教育の総本山的役割を果たす連合体で、政府翼下の団体ではありません。華文小中学校の運営に関わる理事会の集合体である董総と、華文小中学校の教師の団体である教総の連合体です。


中等教育では全民族同一学級内学習が原則

さて中等教育に移ります。中等教育では、初等教育における華文小学校とタミール語小学校のような国民型の中学校は実質的にはありません。マレーシア語を媒介語にして授業を行い、生徒は民族に関わらず同一学級内で学ぶことを原則とした国民中学校になります。中等教育としての職業または技術学校とかもこの範疇に入ります。元ミッション学校のような中学校でも原則としてマレーシア語が媒介語ですが、一部のエリート私立学校では原則の枠内で英語教育も取り入れているようです。いうまでもなく、インターナショナルスクールや日本人学校はマレーシア学制とは関係ありませんね。

注:国民型の中学校は実質的にはありません と強調したのは、名前として”国民型中学校”は存在はしているが、他の国民中学校のように公立学校でありカリキュラムを含めて基本的に変わりはないからです。1970年代の教育改革によって当時の華文中学校が政府学校に変換した過程から、元華文中学校は国民型中学校と名づけられています。全国に80校ほどある国民型中学校は授業科目として華語科目が何時間か教えられているが、それを除けばマレーシア語教育であり他の国民中学校とかわりはない、と華語教育団体は説明しています。


ある意味では異端的な存在の独立中華中学

上記の公立国民中学校の範疇に入らない学校として独立中華中学があります。その名称の通り、華文(華語、日本では中国語と呼ぶ)教育を原則とした中学校です。ですから生徒は華文小学校出身の華人生徒がほとんどであり、毎年華文小学校を終えた生徒の1割弱が独立中華中学校に入学します。

全国の独立中華中学の生徒変遷 (董教総が発表)
1973年1978年1983年1993年1998年2000年2002年
生徒数28318359304589059383540025325854048
校数60606060606060


独立中華中学校については、7月13日付け華語紙”東方日報”の解説から抜粋引用します。
1961年の教育法改正によって、国内の多くの華文中学がその改正を受け入れました。その当時改正を受け入れなかった16校と及び改正を受け入れたがその後華文中学校になった中学校を、一般に独立中華中学と呼びます。1963年から1973年は60校に及ぶ独立中華中学の苦難の時期でした、生徒の学力は理想にほど遠く教師の士気は低落していた、危機に面していた。1973年に董教総が「独中建議書」を発表、ペラ州が発端の独立中華中学校の復興運動です。

1975年 董教総の中工委員会が発足して、独立中華中学の統一試験の確立に成功しました。この試験はマレーシア政府の認知を今でも受けていませんが、世界の著名な400の大学、カレッジがこの統一試験を(高等教育を受けるために学力があるかを認定する試験として)認めています。

2002年時点で全国の独立中華中学の全教師数は2817人で、内65%は大学卒以上の学歴を持っているが、全体の68%は教育部門の資格を持っていないという点が、中華教育の総本山 董教総の開いた全国華文独中関係者の大会で発表されました。
以上

このように独立中華中学はマレーシアの主流教育から外れた存在なので、給与を含めて政府の補助は一切受けられず、運営は各中学の理事会が行い、私立学校のように授業料で成り立っています。教育内容や教師は董教総が責任管轄しています。もちろん華人界からの寄付・義捐金などが施設設備の維持と向上、増改築に必須であり、これができるところが華人界らしいところです。尚独立中華中学は傍流にある中等教育とはいえ、マレーシア国内に存在しマレーシア法制によって設立された中学校ですから、教育省のカリキュラムに準拠しています(ただどの程度かは知りません)。独立中華中学の中には全部ではないようですが、政府の中等教育における国家統一試験PMRとSPMも受験しています。このように独立中華中学は極めて華人社会的な学校といえます。尚インド人界にはこの種の学校は始めから存在しません。

華人界独自の高等教育への道

独立中華中学の生徒は卒業後高等教育に進学する場合、国内の公立大学への入学は授業内容などから多少不利になることもあって、国内の私立カレッジ、英米圏の大学に進学する生徒と、華語教育の最高学府として台湾、シンガポールの大学、または国内の中華カレッジへ進学する生徒にわかれるそうです。国内の華語教育と中華文化の伝承を掲げて華人コミュニティーが独自に設立し運営しているのが3つのカレッジ:半島部南部に 南方学院、半島部中部に新紀元学院、半島部北部に韓江学院があります。

以上のように教育に熱心であることは華人・中国人社会の伝統的価値観だと一般に言われていますが、明の部分の裏には必ず暗の部分もあるのが、世の中の常ですね。諸処の理由で充分な基礎教育を受けずに中学校を去って行く生徒も少なくないのです。最後にそれを扱った記事を2つ紹介しておきます。

華人生徒の25%が中学を終えずに退学

教育省の調査によれば、小学校終了前に全生徒が受けるUPSR試験で合格点を取った華語小学校の全華人生徒数は、1997年には99000人ほどありましたが、中等教育である国民中学校に進学して2002年の時点で在学している生徒の数は、75000人弱に減っていました。これが意味するのは約3割弱の華人生徒が政府(公立)学校における中等教育を終えずに退学したということです。
退学の主たる理由は勉強についていけないということで、その他家庭の理由などです。

公立中学校の生徒数の調査から中途退学率は増えていると、教育省はみています。1998年に中学入学した生徒数415719人(内ブミプトラが282888人で非ブミプトラが132831人)でしたが、2002年に中学5年に進級した生徒数は355305人でした(内ブミプトラが249059人で非ブミプトラが106247人)。つまり5年に進級するまでに6万人が退学したことになります、内訳は33829人がブミプトラで26584人が非ブミプトラでした)。
以上



半島を西から東へ移動し、東海岸州を駆け足で巡る旅の情景から−前編−


今月初め東海岸州を相当なる駆け足で訪れましたが、その際クアラルンプールからペナンまで飛行機で飛びました。東海岸へ行くのになぜわざわざまずペナンに降り立ったかは後で説明します。クアラルンプール-ペナン間に飛行機を使ったのは、実に12年ぶりぐらいのことです。これまでペナンは数多く訪れてきましたが、費用節約第一のためいつもバスか列車です。今回は飛んだのでは、Air Asiaの超格安航空券を事前にインターネット購入したからであり、情報発信者として、数年前に内部大改装されたペナン空港ビルの内部を見てみたかったからです。

Air Asiaの飛行切符代はRM 9.99つまり10リンギットです、確かに極安です。もっともこれに空港税や保険料のRM 16が加わるので、実際はRM 26かかります。Air Asiaの通常紙面広告はこの隠された費用の存在には小さく言及していてもその額を明示していません。はっきり言って幾分不誠実な広告ですが、これはマレーシアの他の広告主も同じようなスタイルですので、Air Asiaだけを責めるのは不公平と言えますね。

販売期間限定、飛行期間限定、座席数限定とはいえマレーシア国内各地への極安航空券を宣伝しまくり且つ売りまくっているAir Asiaは(良い意味で)ビジネスのたいへん上手い航空会社だと感心します。上手く利用すれば、筆者のような低所得階層の貧乏人でも国内移動に飛行機を使えるということになりますので、今後もこの路線を維持拡大して欲しいものです。

ペナン空港の大きさ

12年ぶりのペナン空港は搭乗到着ゲート、免税店、到着出発ロビー、搭乗手続きカウンターなど内部全体に渡っては確かにきれいで明るく機能的になっていましたね。数年前にジョージタウンから情報収集目的に訪れた時(飛行するためではない)はまだ改装工事が始まっていなかったので、外部者の目にできる範囲の空港ビル内部は旧態依然としていたことを覚えていました。それと比較するとまこと良くなったものだと感じました。

注:ペナン空港に関しての情報は、「ペナン州総合案内」の該当項目をご覧ください。

しかし一方で、特に外から眺める空港のこじんまりとした大きさは当然ながら以前と全く変わっていません。ペナンが諸面でマレーシア第二の都市であるジョージタウンを持ちながらも、その空港がランカウイ空港と同じ位の規模であるというのは、ある種のこっけいさを帯びた現実です。アジア経済危機の発生する1998年以前に、ケダー州のアロースターに新に国際空港を建設するという計画がありました(確か海岸際を大規模に埋め立てそこに建設し、ペナン州とを結ぶ高速道路を建設する計画だったと記憶しています)。なぜ人と物の両方の扱い能力に限界が近いと言われているペナン空港の拡大または新規空港建設でなく、外国人旅行者の訪問がごく少ないアロースターに新国際空港を、と当時思ったものです。

この裏には当サイトの第355回コラム「ペナンのジョージタウンは州都なのになぜ”都市”の地位になれないのか」に通じるものがあると思いますが、ここではこれ以上触れません。

良い空港とは各層の人に使いやすいことが条件である

ところで現ペナン空港はまこと公共交通面が悪い、空港へ乗り入れていた便数がごく少なかった乗り合いバスは2、3年前にすでに運行を廃止していました。となると空港外へ5,6分ほど歩いて大通りに出て乗り合いバスに乗るしかない。ジョージタウン市内まででさえRM 30もかかる空港タクシーなど、Air AsiaのRM10 切符乗客としては始めから全くの考慮外です。ちょっと手間さえかければ安価なしかし時間のすごくかかるバス便に乗れることを、旅行情報発信者である筆者はもちろん知っていますが、通常の旅行者、マレーシア人であれ外国人であれ、このことを知っている人はごく少ないでしょう。第一空港内のどこにもこの種の表示、案内は全くありません。まあ空港当局は、空港へまたはからの移動にバスに乗るような貧乏人は飛行機など乗らないだろうと考えているのでしょうが、現実は必ずしもそうではないのです。空港で働く月収RM1000にも満たない下働きの人たち、外国人バックパッカ-、そして筆者のような節約せざるを得ない国内旅行者などが、数多くはありませんがいるのです。

良い空港とは、単に裕福なものに至れり尽せりのサービスを提供するだけでなく(もちろんそれは大切であり必要です)、持たざるものにも通常程度のサービスを提供する空港なのです。この面での発想がマレーシアの意思決定権者、為政者には決定的に欠けています。例えば新行政首都のPutrajayaがいい例です。このPutrajaya を乗り合いバスで訪れるものにとって、Putrajayaの街構造と現状の公共交通サービスは多大の不便さと苦痛を与えています。この意味を疑う人は、試しにPutrayjayaを半日ほど自分の足で歩き回って見れば誰でもわかってくるでしょう。

とにかく強い雨の中ジョージタウンの街中を過ぎて波止場に着き、フェリーでバタワースに渡り、バスでケダー州に向かいました。それは今回の目的の一つであった半島を西から東に横断するためであり、そしてその夜はケダー州とペラ州の州境の町で泊まり、翌朝Baling からクランタン州に向かったのです。

半島部を横断するいくつかのルート

半島部を陸路横断するルートは5つほどあります。外国人旅行者のほとんどはクアラルンプールからKarakハイウエーを使いそのまま2号線で真っ直ぐクランタンに到達するルートを使いますが、それ以外のルートを経験される方はごく少ないですね。南部ではジョーホール州Mersing から同州のBatu Pahat にほとんど1本道のような形で抜けられます。ただ半島部はこの部分ではぐっと細くなっているので、あまり半島横断という気分が湧いてきません。さらにMersing から北上しパハン州にはいりLanjut から半島を横断してヌグリスンビランのSenawang に抜けるルートがあります。これはクアラルンプールからバスでMersingへ行く時の長距離バスルートでもあります。中部では上記のKarakハイウエー以外に、フレーザーヒルの裏側ともいえるRaubまで行き、そこからJerantut を経由して2号線に出てクアンタンに到達するルートがありますが、これはルート全体を通して走るバスもないし、遠回りで時間がかかる非効率なルートといえます。首都圏からクアンタンKuantanやクアラトレンガヌKualaTerengganuへ行くのにこのルートを使う人はいませんね。唯一このルートだけは、全体を通しては私でも試していません。

注:クアラルンプールとコタキナバルを結ぶバスの走るルート、つまりGua Musang経由のルートは、半島部を縦断しながら横断するような形となります。ちょうど半島部を対角線上に横切ることになりますので、一応ここでの半島部を横に横断するルートからは外しました。


そして北部にはたった一つのルートがあります。それがバタワースやアロースターからBaling を経由してペラ州北部を横断し、クランタン州北端を走行してコタバルに到達するルートです。この道路の半分以上が東西ハイウエーと呼ばれています。実際には普通の道路ですが、ペラ州では自然保護地帯であるBelum渓谷・森林地帯を抜けるので景色はたいへんいいのです。北側をタイとの国境線としているBelum渓谷・森林地帯の大分部は治安上の理由から1990年代初期頃まで、一般人立ち入り禁止地帯でした。そのため半島部で最も手付かずの自然が残っている数少ない地区の一つです。現在でも北部Belum渓谷・森林地帯は開発禁止地帯であり許可なく入れませんし、この東西ハイウエーの通る中部・南部Belum渓谷・森林地帯でもまだ大開発といえるほどの規模の開発は始まっていません。自然保護団体などはこのままBelum渓谷・森林地帯の自然を現状維持すべきだと主張していますね。

北部ルートの見所

そこで久しぶりにこのルートを西から東へ長距離バスで走りました。ケダー州の州境の町Baling から途中乗車したコタバル行き長距離バスは州境である峠を越えてペラ州に入り、小さな町Pengkalan Huluを過ぎればあとはもう集落程度で町といえる規模の人家集合地はありません。Gerik地方を過ぎればもう本格的山岳道路です。

バスはやがて、Belum渓谷・森林地帯を引き裂くかのように位置するTemmengor人造湖を見晴らす高台から湖に浮かぶBanding島を結ぶ橋に向かって、道路を下っていきます。この時の車窓からの景色はきれいですよ。湖に浮かぶBanding島は2本の橋で結ばれており、2本目の橋を渡り終えて、バスはまた坂を上り深い山中のつづらおり道路を登っていきます。この深い山中の景色は半島部で見慣れたた、どこまでも続くかのようなオイルパーム農園のパーム林の景色ではなく自然な山林の景色なのです。道路は気がつかないうちにクランタン州に入ります。クランタン州側かどうか定かではありませんが、道路が坂を上りきったあたりの地点で、巨木を積んだ幾台もの大型トラックを見かけました。
バスがJeli の町域に入る頃山中の景色は終ります。

注:この東西ハイウエーに関しては、「北部州のケダー及びペルリス、その他」 内にある該当項目をご覧ください。


バスの運転手がかけたラジオ局RMK

クランタン州に入ってしばらくバスは田舎道路をコタバルに向けて走ります。バスの運転手がカーラジオをつけて地元ラジオ局にダイヤル合わせました。聞こえてくるアナウンサー・DJのマレーシア語がクランタン方言なのです。その独特のアクセントと単語の発音調ですぐわかるのですが、このクランタン方言がバスはクランタン州を走っているんだということを改めて実感させてくれます。通常この種の長距離バスの運転手は90数パーセントの比率でマレー人ですが、ラジオ局の選択から言って私の乗ったTransnasionalバスの運転手とその相棒の運転手2人はどうやらクランタン人のようです。

番組の合間に 「RMK、Radio Malaysia Kelantan」 とアナウンサー・DJが言いました。全国津々浦々放送している公営放送局RTM のクランタン地方放送支局の番組なのでしょう。当然ながら首都圏など他の地方ではこのRKM放送は聞けないので、そのクランタン方言がなにか新鮮に聞こえます。公営RTMのマレー放送局や人気民放ERA局の番組中、DJ と電話会話する聴取者がクランタン方言のような発音をすることはあっても、アナウンサー・DJがクランタン方言で話すことはありません、だからこそ筆者にはこのRKM放送の語調が新鮮に聞こえたのです。

街中の一角で流行るツバメ呼び込みビジネス

コタバルは不思議な都市である。町の中心地にある少なからずの空家ビルにツバメの巣作りが許されているのです。どういうことかというと、使われなくなったホテルやオフィスまたは住居ビルの上階と屋上を改造して、そこにたくさんのツバメを呼び込んで巣作りさせ、その巣を取って販売するわけです。つまり、ツバメの巣は料理などに重宝されますから、巣を作るツバメを呼び込んで商売にしたてているわけです。そのために夕方から夜にかけてテープに吹き込んだツバメの鳴き声をビル情報から音高く流しています。そのうるささから道路を歩いていてもすぐ気がつきますから、上空を飛び回るツバメにはいいおとりの鳴き声に聞こえることでしょう。何百匹か何千匹か知りませんが、数多くのツバメが上空を飛び回り且つおとりの鳴き声テープが響くという、商業居住地区にあるまじき情景にも関わらず、この情景は今回の訪問時にも2年ほど前の訪問時と変わっていませんでした。

地方の一部の小さな町では住民街でこのツバメの呼び込み巣作りがビジネスとして行われていることは筆者も知っています(マラッカ市内でも多少あるみたい)。しかしコタバルはクランタン州一の都市であり州都なのです。いくらその一部の街区であれ、旅行者も歩き回る都市のど真ん中でこの種の情景が堂々となされているのは、どうも馴染めませんなあ。

注:このことに関しては、第268回コラムの 「コタバルへの旅 −旅情と批判と訪問の誘い」でも少し触れました。その中で東海岸の暗の部分にも多少触れたコラムです。


コタバルの安宿ではいつも濁り水にあう

今回泊まった安ホテル、1泊40リンギット、でも濁り水を経験しました、何がと言えば水道水の濁りです。部屋のバスルームの蛇口をひねるとまず茶色の水が少し流れます。その後すぐに澄んできますが、グラスに注いで明るい日にかざせば、透明度が落ちているのはすぐわかります。洗面台やトイレの水洗は茶色がこびりついています。これまで何回もコタバルを訪れて泊まる度に気がついていたので、水の濁り自体は不思議ではありません。最初の頃は、泊まった宿の貯水タンクなり配水パイプのせいかと思ってっていましたが、しかし今回を含めてあちこちの安ホテルまたはエコノミーホテルの全てで部屋のバスルームの水は多少ナリとも濁っていたし、洗面台は茶色くなったりしていたので、これはもう宿のせいだけでなくコタバルの上水道全体のせいだと推測するしかありませんね。筆者はコタバルの住民ではないので、水道水の濁りが季節的なものか1年中同じなのかまではわかりませんが、とにかくこれも州都コタバルの一面と言えます。

尚水道水の品質の悪さはなにもコタバルに限りません、クアラルンプールやその近郊で、住民から水道水の質の悪さにしょちゅう苦情が出ているのは、周知の事実です。ただ筆者の経験する限り、コタバルの透明度は我がアパートの水道水の透明度よりも劣るとは言えます。

夜市の持ち帰り専用屋台の賑わい

コタバルと言えば市内近郊バスターミナル至近の広場で毎夜開かれるパサーマラムとよぶ夜市の賑わいである。夜前半の賑わいの圧倒的中心は、夕食用として持ち帰り食を売っている食べ物屋台です。クランタンの名物マレー地方食であるNasi Dagan、Nasi Kerabu、Ayam Percik、マレー風タイ食、マレー菓子、などがまこと種類多く且つ美味そうに並んでいます。その中で10数軒の持ち帰り専用屋台はまるで蜜に群がる蜂のごとく買い物客が群がり、その群がりが多分1,2時間ぐらいでしょう、しばらく続きます。

クアラルンプール、ジョージタウンのような都会の屋台街では持ち帰り注文は当然できますが、持ち帰り専用屋台は全く主流ではありませんし、そういう専用屋台のない屋台街の方がずっと多い(はず)です。しかしこのコタバル中心部に有名な夜市屋台街は圧倒的にこの持ち帰り専用屋台が花形ですね。それがユニークなのです。

筆者はこの夜市で持ち帰り食を買うつもりだったのですが、泊まった安ホテル近くの路上に人だかりのしている2軒の屋台を見て、近づいたら持ち帰りマレー食の屋台でした。こんなに人だかりしているのならと、思わずそこで買い求めホテルの部屋に持ち帰りました。もっとも(クランタンらしく)プラスチックスプーンを付けないので指で食べたのですが。チキンの唐揚げ付きNasi Kerabuが料金RM3.2で味も量も満足できました、やはり地元の人で混んでいる屋台ならハズレはありませんね。コタバルでの楽しみの大きな一つはこれです。

注:関連する情報と写真は 「東海岸と内陸部  クランタン州編」 の該当項目をご覧ください。




半島を西から東へ移動し、東海岸州を駆け足で巡る旅の情景から−後編−


バス切符販売所で出会う期待に満たない販売員

翌朝バスを乗り継いで、久しぶりにトレンガヌ州のKuala Besutを訪れました。
そのバスに乗る前にコタバルの中心部にある市内近郊行きバスの発着するSKMKバスターミナルの切符販売所に入り、4つあるカウンター中のクアラトレンガヌ行きの切符を扱うカウンターで尋ねました。「Bas ke Kuala Terengganu pergi melalui Merang kah atau tak mulalui Merang kah? トレンガヌ行きバスはMerang 経由ですか、そうではないですか?」 するとカウンターの若い男は、「Pergi ke Marang, dari Kuala Terenganu.  Marang へはクアラトレンガヌから行きなさい」 と答えました。この答えで私の尋ねたMerang を彼がMarang と聞き取ったことがわかりました。Marang とはクアラトレンガヌから30分ほど南下した波止場町で、Kapas島などへのボートが発着します。

そこで私は、「Bukan Marang tapi Merang, Saya nak pergi ke Merang.  Marang ではなくMerangです。Merang へ行きたいのです。Bas ini pergi melalui Merang kah atau tidak kah ?このバスはMerangを通るのですか、それとも通らないのですか?」 とMarang でなくMerang であることを強調して再度尋ねました。するとこの男、「Tak tahu 知らないよ」 と答えるではありませんか。そして別のカウンターの先輩らしき男性にさじを投げました。そこで私はそのカウンターの前に行って同じような質問したのです。その男は最初は同じようにMarang はクアラトレンガヌで乗り換えろと言いましたが、すぐに簡単な地図で場所を示しながの私の意図をわかったようで、「Bukan lah 行かないよ」 と言いました。つまり「Tak pergi melalui Merang. Merangを通らないのですね」 と私は念を押してその場を出ました。

私は、コタバルからクアラトレンガヌやクランタン方面へのバスは全て国道3号線を通り、平行した地方道にあるMerang を通らないことはほぼ知っていましたが、改めてカウンターで再確認したかったのです。この一つのエピソードでもお分かりのように、マレーシアのこの種のバス切符販売所に座っている販売係りはまこと道程知識に欠けます。Merang は確かに隣の州の町ですが、コタバルからクアラトレンガヌ方向にある、恐らく100Km程度しか離れてない東海岸の町であり、有名なRedang島へのボートが発着する波止場があることで知られています。詳しい地図を虫眼鏡で見ないとわからないような小さな無名のカンポン(村)ではないのです。クアラトレンガヌやクアタン方面行きのバス切符を売るカウンターの担当者が、このMerang を知らないと言うのは、まこと職業常識知識に欠けます。このように自分の売る切符の道程さえまともに知らない切符販売係りにしばしば出会います。そういう時はがっかりしますね。尚筆者のマレーシア語が彼らに通じないからではありませんよ、少なくともこの程度の会話で私の発するマレーシア語の意味そのものが伝わらないなんてことはありません。

クアラブスットで声かけられて乗ったタクシー

こうして筆者は別のバスでトレンガヌ州の州境の町Jerteh まで行き、乗り換えてKuala Besut に着きました。Kuala Besut の波止場は日本人旅行者も訪れるPerhentian島へのボートが発着します。何年も前に訪れた以来ですので、その後の変化を自分の目で確かめたかったわけです。確かに以前より”ちゃんと”していました。島はすでに旅行季節としては低シーズンですから、旅行者で船乗り場付近が一杯だというようなことはありません。

その次に、同州のMerangへ行こうと波止場を離れて主道路にでてバスを持ちました。最初はJertehの町まで戻ってそこからバスでクアラトレンガヌ まで行くつもりでした。そうすれば途中のMerang を通るバスがあるからです。波止場で地元の人とちょっとおしゃべりしたら、Kuala Besut から直接Merang を通るバスがあると聞いたので、主道路でいつ来るとも知れぬバスを待つつもりでした。この種の情報は全く公知されていませんし、地元の人もどれくらいの頻度でバスが来るかもよく知りません。特にバス停らしきもないので適当に道路端で待ち、バスが近づいてきたら手を挙げるだけです。安くはつくけど根気のいることです。

ちょっと待っていたら偶然Kuala Besut波止場のタクシーが筆者の目の前で停車して、声かけてきました。「Nak ke mana どこ行くの?」 「 Merang, Sampai Merang. ムラン、ムランまでだよ」、 という簡単な会話のうちに、彼はクアラトレンガヌまで客を迎えに行くので安くしてRM20でいいよ、と言ってきました。その言葉は渡りに船でした。それなら空車で行くより例え安くても人を乗せた方がいいだろうと、私はちょっと強気に出ました。「RM20 mahal, sepuluh lah.  20リンギットは高い、10にしなさいよ」 こうして運転手としばらく交渉しましたが、彼は確かに空車でクアラトレンガヌへ行くよりRM10でも受領した方がいいと思ったのでしょう、私の言い値にしぶしぶOKしましたので、その年代物の車に乗り込みました。確かに、1台チャーターのような形でざっと言って80Kmぐらいも離れたMerang まで運賃RM10は格安です。通常なら運転手は絶対に受けませんね。恐らくRM30, 40ぐらいはかかるでしょう。バス待ちの時間が省けたし運転手とおしゃべりもできるだろうから、私としてはちょっと得した気分です。

通常ルートから外れた地方道を走る楽しさ

こうしてMerang に向かいました。車はちょっと走ると道が3号線に合流しましたが、しばらく走ってから左折して海岸に近いほうの道路を通ります。コタバルからクアラトレンガヌを結ぶバスや一般車は一貫して内陸を走る主要道路の3号線を使いますので、この海岸に近いほうの地方道を走る機会は通常ありません。ただ景色などの面白みから言えば、この地方道の方に歩があります。特にPenarik村で海岸際を走りますので海の景色がきれいです。街道に人家はまこと少ない、つまり部落や小さな村程度がほとんどです。筆者との雑談中に運転手は“Tak ada orang la 人が住んでない" などと言っておりました。まことそうなのです。トレンガヌ州は広いがこのように土地の有効利用はほとんどなされてないかに見える地が延々と続きます。はっきり言えるのはこのあたりにはどんな意味でも工業は全く存在していません。

1時間以上走ってMerang地方に入りました、目指すMeang波止場は道路から数百メートル入った河口にあります。もう何年も前の記憶ですからはっきりしてませんが、当時に比べていかにも波止場らしくなりました。そのタクシー運転手は、昔の波止場から場所が少し移動したと言ってましたので、私の記憶にあった小さな船着き海岸とは違って当然なのでしょう。

この比較的長い距離を走り且つ適度に気の良い運転手だったので、私は乗る前に交渉妥結したRM10にRM 5を上乗せして手渡しました。RM10では少なすぎると感じたからです。「Saya faham dari Kuala Besut sampai Merang itu jauh、saya tambah lima ringgit lagi.  Merang からここまでは遠かったと知ってますよ、だから5リンギット上乗せします」 運転手はにこっとしました。タクシーに乗って通常あまり走らない道を走っただけですが、こういうとりたてて特筆するまでもないひと時が一人旅では楽しいものです。

リゾート毎の立派なボートにレダン島の観光産業情景が浮かぶ

河口に沿って桟橋がいくつか並んでいます。Redang島のリゾートビジネスがいかに繁栄しているかを物語るかのように、有名リゾートはそれぞれのリゾート専用のボートと船付き場または桟橋を持っているのですね。Kuala Besutの共同桟橋とは違います。中には冷房付きの船もあり立派な小型船です。こういった情景から判断すれば、それだけRedang島の観光産業が大きく発展してきたのでしょう。ただ波止場全体は河口に永久建設されたものではなく、立派な船との対比がおかしいくらいです。さらに近くには漁船も何艘も停泊しています。

注:「東海岸と離島 トレンガヌ州編」 ページを開いて、該当項目をご覧ください。


地元人同士の方言会話は意味がわからない

人気の少ない波止場をざっとふた周りしてから、川の水面にちょっと突き出した粗末な茶店に入りました。昼も過ぎていたので食事できる所を探したのですがまともな料理がなかったので、まあ喉でも乾いたので茶でも飲みながら休憩するか、というところです。Kopi panas (地元ホット珈琲)を飲みながら、隣のテーブルで雑談していた地元のマレー人男5、6人の話しを聞くともなく聞いていました。しかし何を話しているかさえほとんど分からないのです。リゾート船で働く者たちなのか漁民なのかわかりませんが、地元の男たちであるのは風采と話しぶりで間違いありません。でその言葉が理解できないのです。トレンガヌ方言でしょう、クランタン方言と幾分違いは感じますが、とにかくわからない。クランタン方言もこの多分トレンガヌ方言も標準マレーシア語と相当発音が違うので聞き取れない上に、これら方言には特有の単語または使い方があるそうです。

クランタン人やトレンガヌ人と私が相対して話す時は、話す内容が限定され且つ相手も多少手加減するので、ぎこちない会話になっても内容が全くわからないようなことは通常はおきません。筆者も何回かのクランタン州行きでクランタン方言の発音の特徴はいくつか覚えました(もちろん微微たる程度です)。しかし地元のある程度年齢のいった人たち同士の会話は、横で聞いていると標準マレーシア語とはほとんど別の言葉に聞こえます。マレーシアの国立国語研究所にあたるDewan Bahasa dan Pustaka がクランタンだったかトレンガヌだったかの方言解説の書籍(マレーシア語版)を出版していることを知っていますが、それを読破するのは私には難しすぎます。どなたか日本人のマレーシア語専門家の方、東海岸のマレー方言解説本を安価に出版して欲しいものです。

島のゴミを運んできた荷役船

Kopi を飲み終わって70セント払って店を出、もう一度近くの川辺を覗いたら、リゾート客用ではない小型の荷役船が浜辺に接岸して、数人の男たちが船から浜辺のトラックに物を運んでいました。よく見るとその物とは黒いゴミ袋なのです。つまりレダン島の各宿から出されたゴミをその船で本土側に運んできて、それをトラックに積み替え、どこかに投棄するのでしょう。レダン島では自己焼却している宿もあるそうですが、焼却行為から発生する灰などが海を含めた環境に悪影響を与えると言われています。島では自治体の保有する集中焼却設備はないそうですし、多量のゴミを埋め立てることは島の規模からいってふさわしくないでしょう。だから荷役船でゴミを集めて本土側に運んでくると聞いていました。

この河口の桟橋に停泊する数多くのリゾート用大小のボートを見れば、島で排出されるゴミの量は相当なる量になるのではと推定されます。そして年々島への訪問者は増えています。レダン島はそのきれいで自然に恵まれた周囲海と海岸で発展したきただけに、ゴミ処理は今後の島の観光発展にとっても重要な要因になります。この小さな荷役船のゴミ移送作業に偶然出会って、どの程度まで島のゴミを回収できるのだろうと、私は思いました。

注:船と黒いビニール袋詰めのゴミの話題で私の脳裏にすぐ浮かぶのは、数年前のインドネシア スマトラ行き船での光景です。軽く100人以上乗れる中型フェリーでマラッカからドマイまで3時間くらいの航海ですが、航海中乗客は飲食します。船乗り組み員のインドネシア人がそれを黒いビニール袋にいれるべく集めにきて船内はきれいに保っていました。私がたまたまデッキに出て潮風に当っていた時、その乗組員が先ほど集めた黒いゴミ袋 4つ5つを海にポイするではありませんか。まあ小さな船のゴミ投棄などマラッカ海峡に影響はないでしょうが、ゴミは海に捨てるものだという発想に、インドネシアらしさを感じたものです。なおドマイからマラッカへの帰路にも同じ光景を見ました。


クアラトレンガヌ雑感

クアラトレンガヌは、同じような性格を持った東海岸の州都であるコタバルに比べて人々の往来、街の賑わいという面では幾分適いません。トレンガヌ州はRedan島を代表としてPerhentian島、Lang Tengah島、Kapas島といった内外の旅行者を引き寄せるいくつかの離島を擁する州です。ですから結構多くの旅行者が州を訪れてはいるはずですが、その相当多くの割合が州都クアラトレンガヌに立ち寄らない可能性がありますね。つまりパッケージツアーや国内団体旅行では、団体バスで離島への波止場町であるMerang、Marang、Kuala Besut に着くやすぐボートで島に渡り、帰りも波止場からクアラルンプールなど出発地にそのまま帰ってしまう、また飛行機であればクアラトレンガンヌ郊外の空港から旅行社のバンやタクシーで波止場に直行し帰りも波止場から空港へ直帰、クアラトレンガヌには泊まらない、そんなスケジュールが新聞などに載っている旅行関係の広告から推定されます。

実際クアラトレンガヌの街で多くのグループ旅行者を見かけるのは、市内の新しい桟橋付近を除いて、それほど多くはないといえます。私のこれまでの経験から、研修などの名目で町を訪れているマレー人の団体は時々見かけますが、純粋な旅行者らしきとしては単独から数名程度の旅行者に何組か会う程度というところです。

クアラトレンガヌは中心部の通りでさえ夜7時8時頃には賑わいが急速に減ります。街中をバイクが交通法規無視で我が物顔に走っているのはクアラルンプールと同じだなと思いますが、自動車でぎっしりと溢れた道の渋滞などはほとんどありません。コタバルのように市内の中心部で多くの市民を引き付ける、従がって旅行者も行きやすい、そういう魅力的な大きな夜市パサーマラムが見あたらないのです(夜市がないということではなく、旅行者でも簡単に訪問できるような場所にないということです)。

市内中心部の安ホテルは1泊RM40からRM50ぐらいですが(旅社タイプはもっと安い)、新しく建ったホテルは見かけませんでした。全体的にホテルのクラス選択と数も間違いなくコタバルの方が多いですね。この理由は離島を訪れる多くの観光客がクアラトレンガヌに泊まらずにまたは寄らずにトレンガヌ州訪問しているのではないかという、上で私が推測したことを裏付けているように思えます。

市内近郊へのバス交通は、クアラトレンガヌのバスターミナルが比較的新しくゆったりしており、発着がこのターミナルに一元化されていることから、コタバルよりずっと使いやすくなっています。といっても路線図があるわけでも出発案内が掲げてあるわけでもないので、地理や言葉に疎い旅行者が簡単に乗りこなせるということではありません。

このバスターミナル上階はちょっとしたバザールです。様々な小さな店がありますが、マレー人対象の衣服、布、そして仕立て屋がごちゃごちゃと商売しているのは、マレー人の州トレンガヌ州らしいところでしょう。マレー衣装や布、手工芸品の数と種類はセントラルマーケット(Pasar Payang市場)の方が当然豊富ですね。こちらも小さな店がごちゃごちゃぎっしりと集まって商売しています。冷房などないですよ。

私のこの数年の旅は東海岸を含めて、経済状況から費用節約せざるを得ないのでいつも駆け足になってしまい、まこと残念です。本来はコタバルとクアラトレンガヌにも数泊してあちこち出かけたかったところです。皆さんは初めてまたはこの次東海岸を訪れる時は、こんな駆け足旅は真似しないでくださいね(笑)。

注:ここで触れた一部は、「東海岸と離島 トレンガヌ州編」 ページに写真などを掲載しています。




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