「今週のマレーシア」 2003年3月から5月分のトピックス

・マレーシアのいろんな事柄と雑学に知識を増やそう、 その5
デング熱流行に関する政治家のやりとりを通じて環境衛生意識を考える
マレーシアとタイの一般向け乗り物・交通機間を解説し比較する ・国境に近いタイ山中に残る旧マラヤ共産党の地下道見物
SARSが現時点でマレーシアに及ぼしている影響の様子営業運転を開始してないKL Monorailの親会社が株式上場する
数字で見たマレーシア、 その17 ・命名に気を使う不動産業界と大衆の不動産名気にする度はいかほどか
チャイナタウンのペタリン通りを改名しようとの論議がある ・ペナン州にはなぜ中長距離バスターミナルがないのだろう

注:週の数よりコラム数が少ないのは、その期間マレーシアを留守にしたので掲載できませんでした。



マレーシアのいろんな事柄と雑学に知識を増やそう、 その5


警察官の階級

街を徒歩で警らする警官、空港など要所を警備する警官、道路交通専門の警官、パトカーで警らする刑事警官、こういった警察官を観光客を含めて我々は日常的に目にしますよね。物を盗まれたとか交通事故に巻き込まれたために警察署を訪れる人も決して珍しくありません。こうして警官は、誰もが身近に目にする存在です。その時警官の制服と制帽についている多種の記章に自然に目がいきますが、一体この警察官の階級はなんだろうと思うことがあります。そこで下に警察組織の階級を表にしてみました。

尚グループ名と順位はわかりやすいように筆者が便宜的につけたもので、正式の職位に付与しているものではありません。襟章は写真で示すのが最適ですが、それができないので精微でないおおざっぱな表現になっていますことは、ご理解ください。

下級職(平)グループ: 制帽に飾りなし
順位1615141312
階級Lance CorporalCorporalSergeantSergeant-MajorSub-Inspector
襟章Vマーク1個Vマーク2個Vマーク3個表現が不可能星1個

中級職グループ: 制帽に銀のモール
順位1110
階級 InspectorChief- Ispector
襟章丸型マーク2個丸型マーク3個

上級職グループ:制帽にオークの葉が1重
順位987
階級Assistant SuperintendentDeputy SuperintendentSuperintendent
襟章丸型マーク3個丸型マーク1個丸型マーク1個+特別マーク

注:Deputy Superintendentがなぜマーク1個だけなのかは知りません、しかし制帽が中級グループと違いますね

高級職グループ:制帽のオークの葉が2重
順位654321
階級 Assistant
Commissioner
Senior
Assistant
Commissioner
Deputy
Commissioner
Commissioner Deputy
Inspector-
General
Inspector-
General
襟章 丸入り星型2個
+特別マーク
銃のクロス+
小星型1個
+特別マーク
銃のクロス+
小星型2個
+特別マーク
銃のクロス+
小星型3個
+特別マーク
銃のクロス+
小星型4個
+特別マーク
銃のクロス
小星型4個
+特別マーク

注:InspectorGeneralの場合、Deputyとは銃のクロスの形が違います

警察の制服組組織全体で、はっきりした数字は忘れましたが、確か8万人強ぐらいです。その内、上級職グループと高級職グループの人数はたった2千人を超える程度だそうで、このクラスは下級中級グループとは最初から採用、待遇などの全く違う幹部職です。

マレーシアで料理に使われる葉の豆知識

葉を料理に用いるのは:料理を包むなどの容器替わり、風味を増す、料理を提示する、といった目的があるそうです。そこでマレーシアは多民族国家を反映して、民族によって葉の好みが違うそうで、マレー人はココナツ、パーム、ウコン(インド産ショウガ科の葉)を好み、華人は蓮、竹の葉を好むのです」。バナナの葉はどの民族も好んで使いますが、特にインド人は好みます。

葉の基の植物
用いられ方
その他
ココナツの葉 若い葉は祝祭の準備料理に使われる
例:Ketupat、2枚の葉で米を包む
他にもKetupat クトゥパットは
サテ料理につきもの
Palasの葉 Ketupat palas は半島部北部州で人気がある
そのケースに使われるのがPalm Palas 、1枚葉のみ使用
バナナの葉 これを包みに使う料理は:otak-otak, kuih koci、
その他の地元甘い菓子の包みとして
一部インド料理では皿としてこの葉を用いる
パンダンの葉
(Pandan)
多くのアジアのお菓子で香り添加に用いられる香料米のような香り
Turmeric
和名:ウコン
バーベキュー・焼いた魚や肉に若いウコンの葉を
添えて香りを添える(しょうが味で甘い香り)
魚の匂いを消すのに都合がよい
竹の葉中国料理のもち米食品 肉粽 につきもの
(Noni) ノニサラワクでは成長した葉で魚を包むのに利用マレーシア語ではmengkudu という

注:以上は新聞に載っていたものを筆者がまとめたもので、料理上の自分の経験に基づいたものではありません。

続・マレーシアの司法制度

マレーシアの裁判所はその裁判・管轄権によって、大きく3グループに分かれます:上級裁判所(複数種)、下級裁判所(複数種)、特定された管轄権を持つ特別裁判所(複数種) です。
上級裁判所(複数種)に関しては、コラム第285回 「マレーシアのいろんな事柄と雑学に知識を増やそう、 その2」で書きましたので、今回は特定された管轄権を持つ特別裁判所に関してです。

特別裁判所
特別裁判所はそれぞれの制定法によって設立され支配されています。
種類は4つある:未成年裁判所、軍事法廷、産業裁判所、シャリア裁判所

未成年裁判所


シャリア裁判所


産業裁判所


軍事法廷


以上は法律解説書"Malaysian Legal System" を参照し抜粋翻訳してまとめたものです。

シングルマザーを呼び表すマレーシア語の変化

伝統的価値観を固守するマレーシア社会の特徴は家族関係の捉え方に典型的にそれが見られます。これはマレーコミュニティーであれ、華人コミュニティーであれ、インド人コミュニティーであれ程度の差はあれ同様でしょう。
シングルマザーに対する社会の捉え方と扱いは21世紀の現代でも20世紀後半と対して違いはないのではないでしょうか?シングルマザーを支えるまたは援助する団体はありますが、そういう団体が必要であること自体、シングルマザーに対する蔑視的捉え方、扱いが目立つということです。

以下は2月19日付け TheStar紙の女性問題特集紙面の記事から抜粋
マレーシア・シングルマザー会議というのがあって、その議長は言う、最近なってようやくシングルマザーたちは公衆に出て声をあげるようになった、と。この議長はシングルマザーらに対する援助を行っているNGO Wanita Ikram (住所:Kajang  03-90760426) のコーディネーターでもあるそうです。

ある女性がどういう経緯でシングルマザーになったかによって、かつてマレーシア語では言い分けていたという:夫と死別した寡婦を balu と呼び、夫と離婚した結果の離婚母親を janda と。前者は通常人々の同情を得たが、後者の場合は人々はなんの気のとがめもなくその女性は夫を大切にしない女性だとレッテル付けていたという。そのため ibu tunggal という単語が1995年に生み出され、この単語は寡婦、離婚母、未婚母である女性を意味するだけでなく、パートナーの協力なく自分の子供を育てる女性または男性を意味するのです。

シングルマザーに対する捻じ曲がった見方は長い間続いてきたものです。マレーシア・シングルマザー会議の議長は訴える、「シングルマザーは皆さんに言いたい、仲間である女性特に結婚した女性は(シングルマザーに対して)距離感を置き始めてしまう、なぜなら彼女たちはシングルマザーが彼女たちの夫をとってしまうのではないかと考えるからです。大衆はシングルマザーになんらの感情移入がない、女性の間にさえない。現実にシングルマザーは結婚した女性たちに脅威など与えていない。シングルマザーが欲しいのは大衆の感情移入であり、同情ではない。」

さらに彼女は大衆のシングルマザーへの否定的な見方はメディアの現し方も貢献していると批判する。テレビ番組は今や、シングルマザーを成功物語だけでなく苦闘し助けが必要であるという人たちをも強調することで、肯定的な光を当てる描き方をする時である、とこの女性議長は語る。
以上

マレーシア社会はこのように規範主義者の考える”あるべき女性の姿”から外れた女性に対して、その原因を理解するのではなく、規範から外れたこと自体を批判し差別感を持った捉え方をするために、シングルマザーはその存在を負の存在と位置つけられてしまうのです。このような社会では、シングルマザーで何が悪い、シングルマザーも現代社会の主体的な一つのあり方である、という解放思想は全く育ちません。女性NGOや政府機間のシングルマザーを援助する活動は、時々伝えられているように存在しているそうですが、マレーシア社会の根底的思想が変化しない限り、所詮それは”援助”活動に終ると思います。



デング熱流行に関する政治家のやりとりを通じて環境衛生意識を考える


インターネットニュースグループで知ったニュース

このところの国内でのデング熱発生の多さはこれまでの最悪である、スランゴール州はその中でも最多の発生を記録しているとして、伝統的野党の民主行動党(以下通称でもあるDAPと略す)の議長が、スランゴール州州首相に電子メールを送ってこの最悪のデング熱発生に対する回答を求めているニュースが、インターネットニュースグループを通して2月の後半配布されてきました。いうまでもなくこの手のニュースをほとんどマスコミは報道しませんので、マレーシアの新聞をよく読んでいる方でもご存じないことでしょう。

注:各言語紙には読者層を反映した性格・特徴があり、例えば華人支持者が多いDAP党のニュースは華語紙は比較的よく載せるが、英語紙はたまに小さくしか載せない、マレーシア語紙はそれよりも少ないはず。


スランゴール州州首相はこの議長の”スランゴール州は最悪の発生をみている”という主張に反論して、昨年の発生件数は9385件だから絶対数だけ見れば最悪のように見えるが、しかし、これは州人口420万人においてなので、10万人当りの発生率は223人である、この発生率はクアラルンプールのそれよりずっと低い、保健専門家の観点は発生率を比較することを重視します、との反論内容が州首相からの返メールに書いてあったとのことです。

しかしこの回答に納得できないDAP議長は、下記の表からわかるように3項目でスランゴール州はクアラルンプールを上回る、だからスンゴール州は最悪のデング熱発生に見舞われた(ている)州だということに変わりはない、と何回目かのメールに書いて送ったそうです。DAP議長は、スランゴール州は特に15人もの死者を出しているのだ、と批判しています。

2002年のデング熱罹患者に関する数値 (2002年12月28日までの統計)

人口(約) 発生が報告
された数
10万人当り
の発生率
報告された
死亡者
10万人当りの
死亡率
スランゴール州420万人9385件223件15人0.357
クアラルンプール140万人6342件453件2人0.142
全国合計2300万人32,289件



注:筆者が時々かかる街のクリニックで医師に尋ねたところ、デング熱患者だと判断したら大病院か当局に知らせることになっているとのことです。


デング熱とはどんな病気

ところでデング熱とはどんな感染症なのでしょうか?マレーシアに住む者として、デング熱の名はもうしょっちゅう目にする、耳にする病名です。中学生以上の年齢であればこの病名デング熱、マレーシア語では denggi  華語では骨痛熱症、のことを聞いたことがないようなマレーシア国民はいないと断言できるほどです。筆者の手元にある日本語のパンフレットから書き出してみます。

   厚生省 成田空港検疫所発行の無料配布パンフレット "デング熱"

マラリアと同様にアジアや太平洋諸島など熱帯亜熱帯地域に広く分布するウイルスによって引き起こされる感染症です。デング熱は流行する地域全体では年間数十万人の患者が発生しています。マラリヤと異なり、デング熱を媒介する蚊(熱帯シマカ、ヒトスジシマカ)は空き缶などに溜まった水や竹の切り株に溜まった水でも発生するために都会で流行することも多く、ある意味ではマラリアよりも感染する危険性は高いと言えます。

デング熱の概要

  1. 感染源:デング熱ウイルスを保有している蚊(熱帯シマカ、ヒトスジシマカなど)に吸血されることにより感染する。
  2. 症状:3日から15日間の潜伏期(蚊に刺されてからウイルスが体内で増えるまでの期間)を経て、突然の発熱で始まる。熱は38〜40度C程度で5日から7日間持続し、激しい頭痛、関節痛、筋肉痛、発疹を伴います。この発疹は風疹と同じような小さな紅斑で、痒みや痛みはありません。また軽い皮下出血が足腿部、腋下、手のひらに発熱期の最後や解熱後に現れます。
  3. 治療法:一般に対処療法だけで特効薬はありませんが、特別な治療を行わなくても軽症ですむケースが多く、死亡率は1%以下であるといわれています。しかし、最近の傾向としてまれにデング出血熱という重症な疾患になる場合が多くなってきています。
  4. 予防法:予防接種はもちろん、予防薬はありませんので、蚊に刺されないようにすることが唯一の予防法です。

デング出血熱
一般に流行するデング熱の中でも出血傾向を伴う重症疾患で、その原因は特殊な型のデング熱ウイルスによるものなのか、個人さによるものなのかは諸説あり、精細については明らかになっていません。
以上パンフレットから抜書き

表現や細部で多少の違いはあっても、これまで筆者がマレーシアで得たデング熱の知識もこれと同じようなものです(もちろん筆者が病気そのものを評することは不可能)。いずれにしろマラリアほど重症になる可能性は少ないが、マラリアに比べてはるかに都市と町部の人が感染しやすい感染症なのです。マレーシアではちょっとした村規模以上の住民がマラリアに感染する危険性は無視できるほど限りなく小さいですが、デング熱はそうではないのです。

注:マラリアといえば、10年ほど前日本で献血した時、血圧検査する医師が、問診表を見て「マレーシア滞在ですか?マレーシアはマラリア流行国ですね」と手もとの資料を示して、多分WHO発表に基づいて作成されたものでしょう、筆者に告げました。それ以来こういう”メディハラ” (メディカルハラスメント)にあいたくないので、問診表に正直に書くことはありません。


身近なところにあるデング熱の発生源

空港検疫所発行ののパンフレットにもあるように、空き缶にたまった水に湧くボウフラがデング熱媒介の蚊の発生源となりえます。つまりベランダや庭に置かれた植木鉢、雨水の溜まったプラスチック箱、ゴミで詰まった溝、雨ざらしの工事現場の廃材機材などはすべてこのボウフラ発生源になるわけです。これは筆者が推定しているのではなく、自治体や保健省のデング熱注意喚起文書にはこの種のことが書かれています。ですからマスコミもこういった注意を新聞に載せることがあります。

こういうことから、藪があったりよどんだ池や水の流れの停まったような川の近くの住民だけがボウフラ発生に注意すればいいというものでないことは、お分かりですね。村、町、都会のどこにでもこういったボウフラ発生源はあることになります。もちろんゴミで詰ってない溝、ゴミで流れがよどんでない川、汚い池などがごく少ない高級住宅地域の方が、ゴミで詰った溝が目につき、空き缶や箱が捨てまくってある郊外の住宅地、下町商業住宅地に比べれば、ボウフラ発生源が少ないことは当然でしょう。でもどんな地域でもゼロにはなりませんね、例えば庭の外れに置かれた装飾置き物などに溜まった水にボウフラが湧くなんてことはありますから。

こうしたことからクアラルンプールや大きな自治体は、結構高級な住宅地でも蚊退治のために噴煙式の消毒活動を時々行っています。もちろん藪やよどんだ池やゴミの散乱したような地域はもっとしばしば消毒活動を行っています(そのはず)。

デング熱撲滅は政府だけではできない

スランゴール州州首相の返答メールに戻ります。
「当局がデング熱の発生原因を減らそう、撲滅させようと努力しているのに大衆がそれにあまり協力的でないというのはなぜか?デング熱を防ぐワクチンがない以上、デング熱を媒介する蚊の発生地をなくすしかないのです。これは当局だけの責任でなく一般大衆の責任でもあります。あなた(議長のこと)自身が大衆にデング熱防止のための教育することに手を貸していただければ感謝します」 と州首相はその返メールで書いてきた、と議長自身が明らかにしています。

DAP議長はそのメールで主張する:
「デング熱発生を抑えるのは政府だけでできることではないということに私も同感です。大衆から全面的な支持と協力がなければなりません。」、「しかし全国的な注意喚起、警告、デング熱撲滅キャンペーンは政府主導でなければならない。州はあらゆる手段を使って市民社会とあらゆる部門の支持を動員しなければならない。そうでなければ(撲滅キャンペーンなどということは)成功しない。」
「人々が自身またはその家族がデング熱の危険にさらされていると十分気付いたら、誰も”たいして気にしない”といった態度はいつまでも続けてはいられない。」 と。

政権党UMNOに属する州首相と有名な野党議長の応答は政治家の互いの立場を現した応酬であり議論ですから、特にコメントすることもありませんが、2人の主張には最も重要な点が含まれています。2人とも主張しているように、こういった感染病の発生を防ぐには官だけの掛け声と努力だけではどうしようもありません。だから何が大切かといえば、市民自らがデング熱の流行を防ぐ意識を持ち行動することですよね。これなくしては、いつまでたっても劇的な発生減少はありえないし、毎年毎年デング熱の流行に見舞われるわけです。

デング熱の発生など皆知っていることではないか

上に書きましたように、分別のつく歳になったマレーシア国民であれば誰だって知っているデング熱です。溝にゴミを捨てて詰まらせればそこにボウフラが沸く、ゴミをあちこちに捨てまくればそれが悪臭発生の原因だけでなくハエ・蚊などの発生源になる、川にゴミ廃棄物を違法投棄すれば、それが川の流れを妨げ下流の洪水発生原因や水溜りを生じさせる、道路・建設現場に置き去りされた産業廃棄物や残品に雨水が溜まってボウフラ発生に結び付く、こういったことは別に専門知識を要しなくても、誰でも身近に日頃目にし、その結果がどうなるかぐらい知っていることです。しかしこうした行為は全く減らない、減っているように見えない。

注:こういう現状を知らない方は、郊外に多い新興住宅地、商業住宅混在地、ニュービレッジ、スクワッター地区、公営アパート地区、軽工業地区、市内の古い下町などを数十箇所自分の足で歩けば実態がわかるでしょう。


クアラルンプールとスランゴール州はマレーシアの経済発展のおかげで且つその原動力として最も恩恵を受け且つ最も開発が進んだ州です。10年前と比べるとクアラルンプールとスランゴール州の道路、街路、建物は目に見張る変化を遂げました。丘陵だったところが住宅地区に変貌し、昔ながらの商店街しかなかった町が大きなショッピングセンターを加えたにぎやかな町に変わった地区は多いのです。表通りも裏道も舗装されてきれいになった。なのになぜデング熱の発生が増えたのか、またはたいして10年前と変わらないのか?

ここに見られるのは、一般論として住民の意識に目だった変化はないということです。DAP議長は 「人々が自身またはその家族がデング熱の危険にさらされていると十分気付いたら、誰も”たいして気にしない”といった態度はいつまでも続けてはいられない。」 と書いてますが、筆者はそう思いません。デング熱のことなど皆知ってますよ、でも”たいして気にしない”のです。これをマレーシア語の有名な表現では”tak apa"症候と呼びますが、大多数の住民意識に、環境や公衆衛生への意識の大きな変化がないからこそ、今でも新聞には10年前と同じ調子の記事が毎日載っているわけです。いわくゴミ回収がいい加減だ、裏道や溝や道路端に住民は勝手にゴミ捨てする、空き地や丘陵地に各種のゴミを不法投棄する、身の回りのボウフラ発生源をなくさない、などなどです。

キャンペーンでデング熱が劇的に減るだろうか

DAP議長は続けて批判する:
「世界保健機構WHOが9ヶ月前に東南アジアの各政府に対して、デング熱の広がりが予想されるので有効な予防措置を取るようにと警告したが、スランゴール州と国民の大多数がデング熱大発生の重大さに気がつかない、これは悲劇的で恥ずべきことだ。」 「私はだから保健大臣に腹が立つ。彼は党内権力闘争に忙しくて国内のデング熱注意喚起キャンペーンに率先して時間を割いてない。」

確かにデング熱注意喚起キャンペーンは必要だし、現状のそれでは不充分でしょうが、しかし仮に大キャンペーンがなされたとしても、それが終れば市民はまた元の状態に戻るだけでしょう。1年365日キャンペーンなどできないし、それではキャンペーンの新鮮さが全くなくなってしまう。キャンペーンとか何々運動といった官製の運動ではデング熱撲滅に対処できるとは思えません、なぜならデング熱流行を招く原因をマレーシア人自体がその思考と行動に持っているからです。

マレーシアはまこと発展した、特に首都圏のクアラルンプールとスランゴール州はその典型です。それなのに発生原因がわかっており且つ防ぐ方法も決して不可能ではないデング熱がなぜ毎年毎年流行するのか、それはつまり”tak apa"だからです。熱帯という気候条件から、デング熱のよう感染症が限りなくゼロになることはありえないはずですが、それにしてもクアラルンプールで年間6300件、スランゴール州で年間9400件の発生報告はいかにも多いですね。これだけ発生すれば、絶対自分には関係ないやとまでは感じられないのが普通でしょう。現に筆者も昨年末高熱で身体が痛かったとき、デング熱の可能性を疑って町医者で血液検査を受けました。結果は否でした。

注:発生件数の全てが州内または市内に均一に分布しているわけではなく、複数のある地域に偏重しています。


現在のデング熱流行状況の開示を内閣が禁止した

州首相は反論とその立場の説明を続ける:
「スランゴール州政府がデング熱発生件数などを公開してないというのは正しくない、昨年はほぼ2ヶ月毎に記者会見でその時点で最新の数字を発表したのです、今年の発生件数については、内閣の指示によって、公表できません。」

これに対して、DAP議長は再度州首相にメールを送って、次のように尋ねた、「デング熱流行が最悪の州として、貴方とスランゴール州評議会は今年のデング熱流行に関する情報の開示を禁止する内閣決定に反対するような行動を取ったのか?」

実際この議長はこれまで州首相当てに送った6回目と7回目のメールで、クアラルンプールで開かれる第13回非同盟諸国会議の名のもとに、州民の生命がどうして犠牲にさせられなければならないのか、とすでに書いたとのことです。加えて、「私(議長)はデング熱流行に関するメールに回答する州首相の誠意には印象を受けた」 と書いてます。

1月後半から2月初めにかけて筆者はマレーシアを留守にしていたので、内閣がデング熱発生の情報を開示禁止したとは知りませんでした。だから精細と理由は知りませんが、この議長は上記のように決めつけていますね。世界中から多くのマスコミが取材にやって来る時に、デング熱の発生件数の数字をわざわざ示したくないということなんでしょうか、なるほど。まあ、そういう詮索は止めますが、都合の良い悪いに関わらず情報公開という姿勢に関しては不充分であることだけは確かでしょう。

軽症だとしてもやはり罹患したくない

政治家のやりとりから一歩離れて、一人の市民として言えば、デング熱のように相当程度まで市民の意識で防げる感染症にもしかかってしまったことになったら、腹立たしいさを感じることでしょう。マラリアのようにマラリア蚊の存在がわかっている地帯へあえて足を踏み入れて多少の防御にも関わらずかかってしまうのとは違い、現代的設備、インフラが全て揃った普通の町で普通の生活していて、デング熱に感染するのは、マレーシアのような発展した国だからこそ、腹立たしくなるはずです。それがデング出血熱のような重症に陥らなくてもです。

ところで、DAP議長は最後のメールに次のように書きました:
「スランゴール州の州民及び他の国民の生命と福利の観点から、デング熱流行についての情報開示を禁じた内閣決定を引き下げるように求める申し入れを、マハティール首相とアブドラ副首相宛てに直ちに行ってほしい、とスランゴール州首相に催促する調子の内容で、私(議長)のメールを締めくくった。」



マレーシアとタイの一般向け乗り物・交通機間を解説し比較する


筆者は日程や行き先があらかじめ固定された旅行でなく気ままな自由旅一筋にこれまで打ち込んできました、だからこうして旅行サイトを主要内容の一つにしたホームページを運営している一因にもなっているのです。ペンネームIntraasia を使っているので東南アジア以外の旅はここでは触れないとして、筆者がフィリピンを除く東南アジア諸国9カ国中で最も数多くの回数且つその国内津々浦々に渡って旅してきた国は、ダントツにマレーシアとタイです。以前にもちょっとだけ書きましたように、筆者のマレーシアとの最初の出会いは1981年1月ヨーロッパ放浪からの帰路、買った片道切符がたまたまマレーシア航空であったことからクアラルンプールにストップオーバーしたことです。その後80年代に2回ぐらいタイからマレー半島を南下したことがあるが、本格的にマレーシア全国を旅し始めたのは1990年終わり頃からですね。それ以来サバ州とサラワク州を含めてマレーシア国内を数百回あちこちに出かけてきました、短くは日帰り長ければ10日間ほどに渡ってというようにです。

1980年代のバンコクでその魅力にひかれた公営市バス

筆者にとって出会いという面ではマレーシアの方が古いのですが、本格的関わりの面から言えばタイとの方が古い。というのは1980年代中頃の一時期タイにのめり込んだからです。当時はといえば、バンコクに高速道路がわずか数本しかなく、空港も古くこじんまりとした旧ドンムアン空港であった頃です。バンコクは昔も今もその賑わいは東南アジア随一ですが、現在のバンコクの整備ぶりとは一味違った喧騒と混雑ぶりを誇っていた頃です。筆者はバンコクの町を縦横に走る公営バスの安さと面白さに虜になったのです。冷房なしバスは1回乗車運賃がたった1バーツであり、バンコク名物の超渋滞のためバスは走っている時間よりも止まっている時間が長いくらいの状態でした。冷房なしバスのドアはほとんど開きっぱなしであり、そこで乗客は好きな場所で乗り好き勝手に降りていました。どこで乗ろうとどこで降りようと切符さえ買えば運転手も車掌も全く気にしませんでした。

世界の数多くの国でバスに乗ってきた筆者ですが、こんな自由で且つ運賃の安いバスはまずありませんでした。この気楽さと安さに満ちたバスに筆者は曳かれて、バンコクの町を当てもなくバスと徒歩で何百回とうろついたものです。10回乗車しても10バーツですし、渋滞で停車していれば道路の走行車線であれ交差点のど真ん中であれさっさとそのバスを降りて、歩けたのです。もちろん交通安全面を犠牲にしてですが、1980年代という時代がそういう行為を可能にしていました。しかし都市の発展と共に当然ながらこういう行為は90年代以降だんだんと許されなくなり、21世紀に入った現在のバンコクの公営バスでは厳禁行為であり、好き勝手に上降車する乗客の姿はもうまず見られません。

クアラルンプールにはミニバス全盛期があった

マレーシアのクアラルンプール及び近郊市の90年代前期はミニバスの全盛期でした。このバスの交通法規無視走行は今でも明確に思い出せるほどひどかったのですが、距離に関わらず一律50セントの運賃の安さは魅力でした。バンコクほど乗客は好き勝手に乗降車は許されませんでしたが、それでもバス停でない所での乗降は相当甘めに見られていました。筆者はバンコクでの経験を生かして、クアラルンプールに住み始めた当時しょっちゅうミニバスで市内外をうろついて町の地理を覚えていったものです。全ミニバス路線を走破してみようかと真剣に挑戦したぐらいです(成就は結局あきらめましたが)。

大都市の市内バス乗りこなしはミスをして上達する

このように筆者にとって大都市での交通は一般乗り合いバス利用が主体であり、これは80年代のジャカルタでも90年代のホーチミンシティーでも、バンコクとクアラルンプールに比べてはるかに少ないとはいえ、相当試みてきました。大都市でバスを乗りこなすのは極めて月日がかかります。路線数の多さからだけでなく、路線の上を走る電車と違って、走行する道路風景が常に変化するバス路線を体得するのは忍耐と根気が必要であり、多くのミスを重ねることになります。旅の技術はミス(乗り間違いなど)を恐れていては上達しません。数百回乗ればその3分の1ぐらいはバス選択の失敗か乗降場所の失敗となるでしょう。巨大都市のバンコクやジャカルタではこういうことはしょっちゅうおこります。

その都市の住民なら一般に決まった路線しか利用しないのですが、地理をよく知らないが市内外あちこちにでかけたい旅人としては、手当たり次第に路線バスに乗ってみるのが楽しいものです。楽しい一方乗り間違いと降り間違いのために延々と排気ガスと暑気に満ちた道路を歩くことにもつながります。日中ならまだなんとかなるのですが、暗くなった次点での降車ミス、乗車バス間違いは、相当不安な気持ちになります。つまり今自分がどこにいるか全く見当がつかなくなるからです。巨大都市バンコクで夜間見慣れない場所に行きついてしまった時の焦り感は経験された方でないとわからないでしょう。尚地理不安になったからタクシーを捕まえて知っている街に出るという方策は、筆者のような貧乏且つ徹底した街歩き派には縁のない方策です。

鉄道網の貧弱なマレーシア

さて都市を離れて地方の町や村へ行くには中長距離バスか鉄道を利用することになります。鉄道は2路線しかなく、全運行路線も日に片方向10数便程度という少なさからマレーシアでは必然的にバスが圧倒的に一般的移動手段になります。タイは路線数も主要4路線と支線をいれれば5、6路線になり、運行本数と運行距離の両面でマレーシアの数倍以上になるタイ鉄道は、そのため大衆の乗客総数もマレーシアよりはるかに多いことになります。それでも同一目的地への運行便数と到着時間の早さから言えば中長距離バスの方にあきらかに軍配はあがります。尚タイにはバス以外にも手軽な交通手段が複数あります。

こうして着いた地方の市町村での移動は徒歩を基本にその市町村で得られる交通手段を利用することになる。この場合移動性の評価ではタイが圧倒的にマレーシアを上回ります。つまり下段で説明しますが、交通手段が複数あり且つ容易に得られことと、その利用運賃の安さの面でタイでの移動しやすさは特筆ものに優れているのです、ただしこれを享受するにはタイ語が読むことを含めてある程度できることが必要条件になります。これは地方の市町から近郊の村や部落へ行く場合にも共通の現象です。

残念ながらマレーシアはこの移動のしやすさと運賃の安価さという両面でタイにはとても適いません。地方の市町村内と及びその近郊を結ぶ移動手段には数少ない乗り合いバスか、サバ州、サラワク州を除いてタクシーしかないからです。タクシーといってもメータなしの乗り合いタクシーですので、1人で乗れば物価に比して相当高くつきます。且つ夜になれば小さな町ではタクシーも運行を止めてしまい、旅行者は足がなくなってしまいます。

長年各種の乗り物に乗りまくってきた者として両国を比べる

筆者はタイとマレーシアに関わって以来これまで約18年ほどの間に両国で車輪の付いた交通機間・乗り物を利用した回数は、控えめに見積もっても合わせて一万回を軽く超します。その種類は市内乗り乗り合いバス、近郊バス、中長距離バス、鉄道、電車、サムロー、乗り合いバン、タクシー、乗り合いタクシー、バイクタクシーなどです。乗り物好きであり且つあちこちと移動することに限りなく興味を抱く筆者は、多くの旅ではできるだけ動き回ります。そういう時にはこれらの車輪付き交通機間・乗り物をたくさん利用します。クアラルンプールやバンコクでは常に市内乗り合いバスを日常的に利用してきましたし、今でもそれはもちろん変わりません。

こうして筆者のマレーシアとタイにおける滞在と旅は交通機間・乗り物の利用なしには全く成り立ちません。そこでタイとマレーシアの一般向け交通機間・乗り物を表にして分類し、それぞれ解説・評価してみましょう。尚ここでいう一般向け交通機間・乗り物とは人を運ぶための車輪付き運搬手段に限定し、渡し船・ボート類及び飛行機は省きます。

注:サラワク州の乗り物だけに関しては記憶があいまいなので、この表と解説に一部含めてない場合があります。がマレーシアに関する説明と評価にほとんど違いは生まれてこないはずです。


マレーシアとタイの一般向け乗り物比較表
距離分類交通機間・乗り物
マレーシア
タイ
長距離列車 2本線:西海岸線と東海岸線
ただ運行本数が片方向合計で
日に10数本とたいへん少ない
全て冷房車両
4本線:北部方面線、北東部方面線
東部方面線、南部方面線、
運行本数は多く列車種も豊か
3等は非冷房車
バス全て冷房車 大多数が冷房車だが
一部にまだ非冷房車もある
中距離列車 2本線:西海岸線と東海岸線
特徴は長距離と同じ
鈍行のみ非冷房車両あり
4本線:北部方面線、北東部方面線
南部方面線、東部方面線
さらに支線として2路線ある
運行本数は多く列車種も豊か
バス全て冷房車非冷房車より冷房車の方が多い
定員制バン存在しない 中部、南部で極めて一般的。
途中で客を拾わない分バスより早いが
定員に達するまで発車しない
乗り合いタクシー クアラルンプールではもはやすた
れたが、地方町ではまだまだ需要
が根強く、ほとんどの町にある
中規模程度の町には通常あるが
ない町も珍しくない。一般に車両数
は少なく、運賃割り高で人気薄
近距離列車中距離の場合と同じ中距離の場合と同じ
バス冷房車、非冷房車 冷房車、非冷房車
非冷房車が幾分多いように思われる
定員制バン 正式にはサバ州以外にはないが
一部州で非合法運行されている
定員制というより乗り合いバンに
近いといえる
中部、南部で極めて一般的。
途中で客を拾わない分バスより早いが
定員に達するまで発車しない
乗り合いタクシー 地方町では需要が根強い
バス運行がないなどの場合は
唯一の公共交通手段となる
存在しないはず
乗り合いピックアップ
乗り合い軽トラック
存在しない ものすごく一般的であり、どの市町村
にも存在する。路線が木目細かく且つ
低料金なので利用者がたいへん多い
首都内乗り合いバス ほとんどが冷房車両
Intrakota, Cityliner の大手2社
と数社の小バス会社が運行
4段階のゾーン運賃制
冷房車両化が進んだが、まだ数割は
非冷房車。これを含めて同一路線で
バスのグレード種類が数種ある
運賃が高いほど座席数が少なく快適
大多数が公営バス
高架電車 Starline とPutraline の2路線
モノレールが開通すれば3路線
SkyTrain 1路線のみ
近郊電車 Komuter電車のこと
市内電車としても利用できる
通常の列車を近距離で使えるが
近郊電車としては存在しない
タクシーメーター制冷房車メーター制冷房車
トゥクトゥク存在しないバンコク名物、料金交渉制
乗り合いピックアップ・
乗り合い軽トラック
存在しない 基本的に中心部を外れて運行して
いる。市内で乗り降りする便もある
運賃はほぼ決まっている
バイクタクシー存在しない 市内のある地区内だけを運行する
多くの人が日常的に使っている
運賃はほぼ決まっている
地方の
市・町
乗り合い市内バス 大きな町のみで運行、冷房車が
多いと思われる、
(ペナンなどにはミニバスもある)
大きな町のみで運行、
冷房車、非冷房車混在
タクシー 大きな町のみにある、
メータ付きでも料金交渉制が多い
市内タクシーのある町はごく少ない
トゥクトゥク存在しない 中規模以上の町では、これを見か
ける場合がよくある。料金交渉制
乗り合いピックアップ・
乗り合い軽トラック
存在しない 基本的に郊外へ行く時に使うものだが
市町内で乗り降りするのもごくあたりまえ
運賃はほぼ決まっている
サムロー(自転車型と
バイク型)
ペナン、マラッカのは主として
観光客用といえる。コタバルでは
地元人が主として利用しているが
数は多くない。全て自転車タイプ
どの町にも必ずといっていいほどある
自転車タイプとバイクタイプの2種あり
町によっては2種ある所も1種だけの所
もある。料金交渉制
バイクタクシー存在しない 一般にごく近距離運行でどこでもある
多くの人が日常的に使っている
運賃はほぼ決まっている
田舎・村 乗り合いピックアップ・
乗り合い軽トラック
存在しない 基本的に他の地へ行く時に使うものだが
同一地で乗り降りしても全く構わない
運賃はほぼ決まっている
サムロー(自転車型と
バイク型)
これまで見かけたことがない 多くの村にあると思われる
自転車タイプとバイクタイプの2種あり
所によっては2種ある所も1種だけの所も
ある、料金交渉制
バイクタクシー存在しない 一般にごく近距離運行でどこでもある
多くの人が日常的に使っている
運賃はほぼ決まっている

交通機間・乗り物マレーシアタイ

注:料金交渉制といっても距離に従がって相場はちゃんとあるので、地元人が利用する場合は交渉料金の幅は小さい。バンコクや観光地では外国人に吹っ掛けてくる幅が広くなるが、これは仕方がないとも言える。


乗り物種毎に説明を加える

乗り合いピックアップ・乗り合い軽トラック:通称ソンテーオと呼ばれ、荷台に幌と長いすを設置して乗客を数多く乗せることができるようになっている。車毎に路線が決められておりタクシーのようにどこへでも行くわけではないが、路線上であればどこで乗降しても構わない。運賃は距離によって数段階ある定額制で降車時に払うのが一般的。行き先表示はほとんどタイ語のみであり出発地点もばらばらなので、旅行者にはたいへん難しいが、これを使いこなせれば人が住む所なら大抵の所へごく安価に行くことができる (だから筆者のお気に入りの乗り物です)。最もタイ的乗り物。

バイクタクシー:決められた地点で客待ちしており、流しはしないのが基本です。バイクの後部シートに人を乗せて近い距離内の指定場所まで客を運ぶ。バンコクでは客もヘルメットをつけるように用意されているが、他の町ではまずヘルメットは用意されていない。便利ではあるが転倒時の危険性は常にある。(よって筆者はこれしか選択がない場合を除いて、めったに利用しません)。ベトナムにもありますが、タイとは違う。

サムロー:自転車またはバイクの横、前、後ろに客用荷台車を取り付けて人を載せる車両のこと。タイでは車の前に客用荷台車をつけるタイプはないはずです。タイだけでなくインドネシア、ベトナムにもあるお馴染みの交通手段ですね。自転車タイプ(マレーシア語とインドネシア語ではベチャと呼ばれる)はだんだんと数が減っている。バイクタイプはスピードがあまり出ず転倒の危険性はずっと低いので、バイクタクシーより安全度はずっと高い。

鉄道:タイ鉄道の夜行寝台には冷房車両と冷房なし車両の2種あるが、マレー鉄道の寝台車は冷房車両のみ。対面式座席の冷房なし3等車両はタイ鉄道では極めて多くの列車に連結されており、乗客が多い。マレーシアのサバ鉄道は近距離鉄道であり、寝台などの設備はない。警備面での特徴として、タイ鉄道の夜行はほとんどの列車に制服姿の警官が同乗するが、マレー鉄道で同乗の制服警官の姿を見るのは例外的な場合といえる。

定員制バン:通常12人ぐらいが定員であり、運賃先払いし定員になり次第目的地に向けて発車する。よって途中で客を拾わないが、目的地近くではどこでも降りられる。さらに乗車地は市町の中心部が多く便利なので、利用者の人気が高い。バン発着所とバンの行き先表示は、外国人の集まる観光地は別として、大多数の場合はタイ語のみなので、タイ語が読めないとどの町へ行くバンなのかさえわからないことになる。

乗り合いタクシー:タイには上記の定員制バンがあるため乗り合いタクシーは人気薄で、どの町にもあるわけではない。マレーシアでは大抵の町にありますが、ある地点まで1台いくらと料金が設定されているので、1人だけで乗る場合は残り3人分を支払うことになり物価に比して相当高い。マレーシアでも中近距離バスのサービス向上で少しづつ減ってきたが、地方の町から近郊の部落、村への足はこれしかない場合が多い。

中長距離バス:タイの場合、深夜走るようなバスは別にして、日中であれば多くのバスは街道のバス停で客を乗降させて行く。これがはなはだしいのは冷房なしバスであり、乗降が極めてこまめで頻繁、従がって時間がかかるが料金は当然冷房車より安い。冷房車の場合、バス会社と便によって多少違うがほとんど途中で客を乗降させない便、P1(ポーヌンと読む)クラス、と比較的数多くの回数客を乗降させる便、P2(ポーソンと読む)クラス、の2クラスがある。冷房バス、冷房なしバスに関わらずタイのこの種のバスは客の荷物を手助け運びするなどの助手を必ず乗せている。加えて冷房バスの中には飲み物サービスなどするスチュワーデスを乗せている便もある。

一方マレーシアのバスは発車地点に近い場所か途中のごく決められた地点でしか客を乗降させない。1度発車したら途中で全く客を乗降させないバス便も結構ある。マレーシアのバスでは長距離のため交替運転手が乗っているバス便はあるが、助手が同乗しているバスはない。(ごくごく少数の豪華バスではスチュワーデスがいるそうですが、これは助手ではない)

高架電車:クアラルンプールの方が早く運行開始し、2路線ある分より優れているともいえるが、バンコクの高架電車も乗り心地の良さと駅、電車のきれいさなどマレーシアにひけを取らない。クアラルンプールの高架電車2路線は相互共通の1ヶ月間乗り放題切符を発売開始した。クアラルンプールはモノレールが走行開始すれば3路線となり、この面でバンコクよりサービスはより進みます。

首都圏の乗り合いバス:クアラルンプールは市内と郊外を一体化し、4段階のゾーン運賃制を採用している。乗車区間が:一つのゾーン内 RM0.70 2つのゾーンにまたがる RM1.20、3つのゾーンにまたがる RM1.60、 4つのゾーンにまたがる RM2.0 となり、ごく一部の冷房なしバスを例外として全てワンマン運転で運賃前払い方式。プリペードカードも使用できる。 

交通手段に関してはマレーシアよりタイがずっと優る

上記の表と追加説明からおわかりのように、タイの方がマレーシアより乗り物の種類が豊富で且つ乗客の立場から言えば融通がずっと効くのです。その典型的なのは近距離での乗り合いピックアップ・乗り合い軽トラックであり、市町村内ではバイクタクシーとサムロの存在です。この3つの乗り物があることがタイでの旅をたいへん安価で移動しやすいものにしています。もちろん前提として、多くの経験を積み且つタイ語がある程度話せ読めることです。

マレーシアで地方に行って、その町内を回ったり近郊の田舎地区を訪問しようとする場合、近郊バスは本数少なく且つルートのきめが粗いので目的地が近郊バスのルートに当らないことがよく出てきます、そこで交通手段のない不自由さに筆者は常に直面してきました。タクシーを借りればものすごく高価になり、それは選択外です。結果として他の交通手段がないので徒歩しかないことになり、行動範囲はごく限られてしまいます。このためいくら経験を積もうとマレーシア語が話せようと、この種の移動に極めて制約がでてきます。

自家用車の持てない下層階級に特に賢著ですが、そういった人々がいかに気楽に移動できるか、どれくらい移動しやすいかという面から言えば、タイの大衆の方がマレーシアの大衆よりずっと行動的だとはっきり言えます。この意味は安価な交通手段利用の容易さの面から裏付けられます。下層階級でもバイクは容易に入手できますから、マレーシアでもタイでも田舎町村で多くの大衆がバイクで移動しています。タイでは女性がバイク運転するのは極めて日常的且つ一般的行動ですが、マレーシアでは都会地方の町田舎を通じて女性のバイク運転はたいへん少ない。特にマレームスリムの女性がバイク運転している光景を見かけるのは極めて珍しい。自前の交通手段がバイクしかない下層階級にとっては、そのバイクに乗れない者やバイクに同乗できる人数以外には近場を移動するための安価で容易に利用できる交通手段が乏しいことが移動の少なさに結びつき、これがマレーシアの田舎、地方町を特徴つけていますね。

一方タイの田舎、地方町では、上記で解説した乗り合いピックアップ、バイクタクシー、サムロが全国ほとんどの地で利用できるので、下層大衆でも簡単に且つ安価に移動できるのです。乗り合いピックアップ類は最低運賃5バーツから、バイクタクシー、サムロだと最低運賃10バーツからというのが普通でしょう。

交通安全意識において両国民に大きな差があるとは思えない

交通安全の面から言えばバイクタクシーは最も危険性の高いものであり、乗り合いピックアップ・乗り合い軽トラックも一度事故が起これば乗客は道路に投げ出される可能性が高いといえます、トゥクトゥクとサムロも同様でしょう。だからタイの乗り物の多くはマレーシアより危険度が高いという批判が出てくるし、現にあります。確かに一面ではその通りで筆者も同感です。

しかしこれは別の面ではいささかお笑い種の批判とも言えます。マレーシアの田舎・村ではバイク乗りはほとんどヘルメットなどなくすっ飛ばしているし、地方の乗り合いバスの乱暴運転は知られたことです。ハイウエーを走行する中長距離バスの事故は珍しくありません。各種車とバイクの無理な追い越しなどマレーシア全土の共通現象です。都会のパブディスコ街でその駐車場が客の車で埋っている光景は毎晩のことです。警察が飲酒運転を本気で取り締まる気であれば、パブ・ディスコ・レストラン街の道路で常時一斉検問を行えばいいのです(でもなぜかやりませんね)。

マレーシアの交通事故死者数は毎年だいたい6000人弱です。タイの交通事故死者数は1万人を超えるそうですが、タイの総人口がマレーシアの総人口の3倍であることを考えると、極端に多い数とは言えません(この死者数が大したことはないなどと、もちろん思ってはいませんよ、多いなあと思います)。ただ、この数字と筆者のこれまでの体験からいって、結局の所マレーシアもタイも一般大衆の交通安全意識にたいして違いはないのです。

交通機間と乗り物に関しては両国には結構なる違いがある

地理的に陸続きで隣り合い、気候も似たような地域が多く、経済発展度にも大きな差のない、マレーシアとタイですが、人々の行動様式と大衆向けの交通機間・乗り物のあり方にこのように相当違いが見られるのです。



マレーシア国境にほど近いタイ深南部の山中に残る旧マラヤ共産党の地下道見物


はじめに

この旅行記は1999年9月にある旅行雑誌に寄稿用として書いたもので、確実なことはわかりませんが掲載されなかったようです。その後ずっと私のパソコンの中に手付かずのままで残っていたので、ここで発表しておきます。

この一文は「今週のマレーシア」のコラム趣旨から多少ずれますが、それなりにマレーシアと関係あることと、留守にしたおかげで書きあがったコラムがないため、今回コラムの”穴埋め用”として掲載します。ということで趣旨をご理解ください。
以下は本文です。

ペラ州に近接した山間の町のユニークな特徴

ゲリラとか反政府活動組織の地下道(トンネル)といえばベトナムのクチの地下道が有名ですね。今やベトナムの有数の観光資源としてベトナム案内には必ず紹介されるぐらいです。

でマレー半島に目を転ずると、これがあるのです。場所はタイ深南部のヤラー県ベトンの郊外の村です。このベトンはタイの最も南にある町で、マレーシアのペラ州の北端に接しています。バンコクからの距離実に1200Km以上という遠方で且つヤラー県の県都ヤラーから山道をミニバスで3時間もかかる山間の僻地町です。

海抜600m近い山中の町ベトンはユニークな町です。州都へ行くよりもマレーシアのペラ州に出かけるほうがずっと近い、国境まで約7Kmです、名前からしてベトンとはマレーシア語で”竹”の意味なのです。さらにタイの観光地紹介でも紹介される順位がずっとずっと下ですから、白人層や日本人はまず見かけません。ベトンを訪れる観光客はマレーシア人が絶対多数なのです。どのホテルでもある程度の規模以上のレストランや店、さらにカラオケやパブならマレーシアリンギット通貨支払でOKです。

これだけでもマレーシア観光客の多さが分かりますが、さらに店やホテルの案内、メニューなどによく華語(中国語)、時にはマレーシア語が加わっていますし、マレーシア語を解するタイムスリム(人口の半分)も多い。もっとユニークなのは華人系タイ人(人口の4割)で中国語諸語を話す人が多いことです。タイの華人はマレーシアの華人と違って中国語教育を普通は受けないので中国語を話す人はごく限られていますが、この町の華人系タイ人はその面でもユニークです。

マレーシア人観光客向けの地下道

こういったユニークな面はその地理的な位置に基づくのでしょう。それではこの程度の予備知識を持った上で地下道見物にでかけましょう。地下道のある場所は郊外のTanohmaeroh郡 Piyamit村ですが、そう言わなくても通称のピヤミットPiyamit Tunnelで充分通じます。

ベトンの街角では旅行者向けにタクシーがピヤミット見物をその付近の温泉訪問とセットして客待ちしてます。その表示が英語又は華語(中国語)で書かれており、料金表示もマレーシア通貨RM60というところがベトンらしいです。タイバーツ表示ではありませんよ。

数名で地下道見物に行くならタクシーがお勧めですが、一人なら街を流しているトゥクトゥクの方が幾分安くなります。料金は交渉次第ですが、タイ語か中国語が話せればタクシーの半額近くになる可能性もあります。

ピヤミットへは町をでてしばらくすればあとはずっと曲がりくねった山道を登っていきます、今は舗装されているが当時はたどり着くのもたいへんだったことでしょう。約20Kmの道を30分ほどで、ピヤミット村の駐車場に到着、一帯は奥深い山中です。そこからPiyamit Tunnelと掲げられた看板の所にある小橋を渡り丘の中腹に向けて階段を上っていけば、簡単な説明図と当時の使われた品、写真の展示品が掲げられた小さな広場です。入場料として中国語で印刷された切符に2リンギット払います。ここでは入場券までマレーシア観光客向けです。

マラヤ共産党が地下道を作ったいきさつ

この場所は50年代60年代に当時のマラヤ連邦(マレーシアの前身)を悩ませたマラヤ共産党が本部を置いた場所なのです。マレーシア政府の攻勢によって次第にタイ国境まで後退せざるをえなかった当時のマラヤ共産党が、76年に地元のタイ人支持者の協力で設けた軍事基地がその後マラヤ共産党本部になったものです。

次第に本部として作り上げていく中で掘り上げた地下道がこのピヤミットトンネルです。総長さ約1Kmとクチトンネルに比べればずっと短いし、地下道内に病院や工場があるような大規模な地下道ではありませんが、それでも十分軍事ゲリラトンネルの雰囲気を感じさせます。収容人員は200人ほどだったそうです。

何でも50人ほどの共産党員が3ヶ月をかけて堀ったとか、山中の目立たないところに設けられた出入り口は全部で9個所あるようですが、現在は6個所のみ使われてます、さらにその内手入れされているのは4個所だけであとの2個所は出入り口の土が崩れたり照明がなかったりで、実際は出入りできそうにありません。

90年代になってタイ政府によって観光資源化された

地下道を保存し観光資源化するためでしょう、後年タイ政府によって、地下道の半分ほどといくつかの出入り口はコンクリートの吹き付けが施してあり、且つ電気ランプで照明されているのでその部分の地下道を歩くことは問題ありません。地下道内には食糧貯蔵庫や掘るのに使った道具などが展示してあり、マラヤ共産党の地下ラジオ放送を録音した場所が残されています。
地下通路は人がようやく2人すれ違えるほどの幅で高さはちょっと背をかがめる程度にできている。板で道の上と周囲を抑えた当時のままの部分もある、簡単な工具のみでこれを掘った苦労が忍ばれてきます。
尚手入れと照明されてない地下道へも行こうと思えばできそうですが、真っ暗且つ足元がぬかるみとても無理です。さすがそこは不気味ですよ。

トンネルのある一帯の地上には屋外調理場跡、炭焼き施設、小屋などが残されています。興味深いのは中心にある小さな広場に面した屋根付き吹き抜けの集会場です。数年前までタイ国境付近にあったカンボジアのポルポト派の拠点の様子を伝える写真の状況に酷似しているのです。木の幹をまる切りした椅子がいくつか並べてあり、その前に黒板とテーブルが並んでいる、当時マラヤ共産党はここで議論や戦略を練っただろうなと状況が頭に浮んできます。

歴史のひとこまになったマラヤ共産党

このマラヤ共産党本部は1987年4月に行われたマレーシア政府、タイ政府、マラヤ共産党の3者による停戦・和解協定で平和裏に武装解除し、この場に拠点を持っていたマラヤ共産党は解党(一部派はその後もしばらく存続)したのです。そして旧共産党員の中にはマレーシアに戻らず、この一帯に永住することをタイ政府から認められ、タイ政府提供の土地に今も居住しています。その数600人弱とか。ですからこの一帯を中国語で「友誼村」というのです。表示にもそう書かれています。

なぜここにマラヤ共産党の拠点ができたかは地理を眺めるとわかります。きれいな清水が上方から流れています。山一つ超えればもうそこはマレーシア領、奥深い山中にあるため、タイ側からもマレーシア側からも攻め込むことは難しい地形です。さらにマラヤ共産党の主力は華人、それを陰に支持する人がこの華人系タイ人口の多いベトンに当時ある程度いたのでしょう。

こういう歴史と民族的傾向と土地柄からこのピヤミットトンネルを訪れる観光客のほとんどはマレーシア華人のようです。事実その日私の見た訪問客はすべてマレーシア華人でした。タイ語が全く聞こえてこないのです。
つい10数年前までこの地で軍事訓練を続けながら自活していた人々がいたことに不思議な思いを感じざるえません。

ベトンへの帰り道、道の脇に温泉の湧く池があります。ただ日本のような温泉ではありません。池の縁に腰を下ろして両足を池に浸している人たちがいました。



重症急性呼吸器症候群SARSが現時点でマレーシアに及ぼしている影響の様子


3月終わり頃からマレーシアにも俄然関係が出てきた重症急性呼吸器症候群SARSは、マレーシア社会のあちこちに影響を与えています。そこで、現時点(4月後半)でまず具体的にどんな影響または現象が起きているかをマスコミ報道から抜き出して書いておきます。ここに書いた以外にも、「新聞の記事から」 に頻繁にSARS関連のニュースを載せていますので、ご覧ください。その後でSARSに対するマレーシア人と日本人を含めた外国人の反応が過剰である、またはそれほどでもない、ということを多少論じてみましょう。

旅行・観光産業はSARSの直接影響を受けているため、マレーシアの外貨獲得の主要3本柱の1つであるこの産業にSARSが及ぼす負の影響は実に大きな問題ですね。
SARSは単に旅行・観光に関連するいくつかの産業だけでなく、小売業界などにも影響を与えているそうです。例えば消費者は人の多く集まるスーパーマーケットやショッピングンセンターに行く回数を減らしている、よって売上高が落ちるという減少です。レジャー産業では、その代表的なゲンティンハイランドは海外からの訪問者が多いのですが、その多くの割合を占めるシンガポール、香港からなどの訪問者が激減している、おかげで証券アナリストのゲンティンハイランドグループへの評価は下がっているそうです。

こうして、マレーシアの今年の国際総生産GDPの伸びにもマイナスの影響をこのSARSは確実に与えることになると、専門家は予想しています。政府もそれを認めて、公式予測の成長率4.5%を見直す予定です。

空港運営会社が明かす利用者の激減

マレーシアの各地の空港を運営するMalaysia Airport持ち株会社の会長は、SARSの影響にイラク戦争が加わって4月だけでも収入は6割も減少していると語っています、「この会社の経営に参与して11年間になるが、今は最悪の時期です。2つの出来事の影響はものすごい深刻です。飛行便数は4割減り、乗客数は3割落ち込んでいる。 」 空港内の免税ショップの売上も3割から4割落ちているそうです。
Malaysia Airport持ち株会社は政府がその株の7割を所有しています。
(この項目は4月20日の新聞記事から抜粋)

空港タクシーは客待ち時間がぐっと増えた

KLIA空港を本拠地にしている空港タクシー会社Airpot LIMOの運営する空港タクシーは、KLIA空港利用客の数割減少によって、タクシーの客待ち時間が大幅に増えたとのことです。空港タクシーにはベンツクラスの車を使うPremierサービスとProtonWira車クラスを使用するBudgetサービスがありますが、乗客数にそれほど変わりのない国内線路線客の利用者の多いBudget車の運転手よりも外国からの訪問者の利用の多いPremier車の運転手に大きな影響が出ているそうです。

Premier車の運転手は最近では1回客を乗せる順番が来るのに10時間ぐらいもかかるのが当たり前になっており、このため1日1回しか客を乗せる機会しかない運転手が多くなったとのこと。空港タクシーは空港ビル外にある屋外の待ち場所で約1時間、次いで到着ホール前の通路につながる場所で第2の待ち時間があって、これまではそこも1時間ぐらいでした。つまり都合2時間待てば、客を乗せる順番が回って来たものだそうです。
1日に2回空港から客を乗せるには、勤務時間を17時間以上にしなければならないと、ある運転手は語っています。空港タクシー会社との契約で”企業家計画コース”を選択している運転手の場合、Premier車の運転手は会社に車のレンタル代として1日RM130支払わなければなりません。ですから客を乗せる回数が減れば即レンタル代支払いが苦しくなるのですね。尚同コースのBudget車の運転手の場合はRM80です。
(この項目は4月18日の新聞記事を参照)

涼茶の需要が増え価格が上昇した

次ぎは、SARSに不安感を持つ華人の涼茶への需要が増加し、新しい販売方法が現れている様子を伝える華語紙の記事(4月19日付け)から抜粋翻訳しておきます。

最近都会の中薬店に足を踏み入れると新しい現象に気がつきます。多くの中薬店では、伝統的な涼茶の材料を透明な袋に詰めて店先に並べています。消費者はこの袋を見ればそれぞれの涼茶の材料が一目瞭然にわかります。

Intraasia注:中薬店とは、中国漢方薬やその関連品を販売する薬屋のことです。照明明るく冷房付きのような店舗もある一方、ちょっと暗い感じの店内で天井には扇風機が回っている昔ながらの店構えの店舗もまだまだ数多い。中薬店は華人街には欠かせない店です。
涼茶とは漢方材料で煎れたハーブ茶と理解していいでしょう。”茶”という漢字を使用しているがいわゆる日本茶や紅茶の”茶”とは違う。日本語で通常何と呼ばれているか筆者は知りませんので、”涼茶” という中文をそのまま使用しておきます。華語と広東語では発音は違うが、表記は同じです。


中薬店の中にはそこで並べて売っている各涼茶の材料の名前を一々表示してない店もあり、ただ厚紙に大きな字で次ぎのような文字が書いてあります、「何々病の予防に処方」などと。この現象は現在クアラルンプールとスランゴール州ではある種の風潮になっています。

涼茶を飲むことの効用は、熱を冷まし解毒作用がある、抵抗力を増す(と考えられている)ので、現在の状況に非常に合っています。多くの人にとって、「予防するのは予防しないよりましだ」、という状況下では、次ぎから次ぎへと涼茶を求めて中薬店の前に人がやって来るのです。このため各中薬店では消費者の便宜を図ってそれぞれの涼茶の処方材料を透明袋詰めした涼茶包みとして並べている現象が起きているわけです。

涼茶は一定期間決まって飲むことが、いわゆる”抵抗力を増す”効果に結びつくので、このため多くの消費者はおしげもなく10包み、1ダース包み、20包みのようにまとめて袋詰め涼茶を買っていきます。中には100包みもまとめ買いする人もいます。こうして各中薬店の商売を流行らせています。大多数の消費者は中薬買いの目的で来店するのです。

ある中薬店の従業員は説明する、マレーシアにSARSの一件が出現して以来、多くの人はどうやって防御したらいいかよくわからないと思っている、そこで外出を減らしたりマスクを買ってみたりする。そんな状況下、伝統的涼茶を求めるという方式が大変歓迎されているわけです、と。涼茶は需要が急増しておかげで値段が上がり(以前に比べて)倍ぐらいになった。来店して中薬の価格をあれこれ尋ねる人はごく少ない。

別のペタリンジャヤで商売するある中薬店のマネージャーは説明する、店ではそれぞれ成分の違う4種類の涼茶を販売している、値段と薬効ももちろん違っており、一包みの値段はRM6、RM8、RM10、RM12の4種類です。この内RM10とRM12の涼茶が売れ筋です、と。この店では客からの需要が急増したため1週間前から店内に涼茶の材料袋入り袋を吊り下げ展示販売するようにした、と。

涼茶は種類によってそれぞれ味が違うので、この店では店内で各種の涼茶を煎じて客が試飲できるようにしています。安全面から試飲に用いた小さなプラスチックのカップは即座に捨ててしまいます。とマネージャーは説明しています。

ある中医は「涼茶の主要は解熱や解毒効用を持つ、それによって身体の毒素を減らす、体内の”熱気”を排除します。この結果身体の免疫力を増し、SARS感染の可能性を下げます。」と説明しています。しかしながらとこの中医は付け加える、「少しばかりの種類の涼茶は”寒”を呼びますから、喘息持ち、身体虚弱、冷え性のような人には向いていません、飲まない方がいいです。」
以上

Intraasia注:中医とは伝統的中国医療に従事する医者のこと、ただしマレーシア保健省が免許を与え登録を義務付けているわけではないので、Dr.ではない。ほとんど全員が華人であり、加えて中国からやって来た中国人中医も珍しくない。


涼茶を定期的に摂取することがSARS感染に抵抗力を高めることになるという思い込みは、現時点ではもちろん、多分将来も科学的根拠は証明できないでしょうが(もしできたらそれは結構なことです)、華人コミュニティー中に結構多く存在する伝統的中国医薬(漢方医薬)観を持つ華人にとっては、この種の根拠論議は不必要なことに違いないでしょう。

船舶輸送にも影響が出ている

マレーシアの船舶主協会の会長は、SARSの影響は船舶主にとってはイラク戦争より重大だ、船輸送産業に打撃を与えていると、マレーシアの船舶産業に危険を及ぼしていると、訴えています。「長い目で見てこのリスクはたいへん高い。船の乗組員はSARS感染の危険の高い地方へ行きたがらない。これは我々のビジネスに影響を及ぼすのです。」「戦争の場合船乗りは戦争危険地区へ行く場合、危険g手当てを支給される。しかしSARSの場合、彼ら乗組員が同じことを要求するとは思えない。船乗りはその身の危険を案じて、感染地方へ行かないことを選ぶであろう。」 「重大さはより大きい、なぜなら単に1人や2人のことではなく船全体に関係するからです。」

SARS感染の広がりを抑える検査の徹底化などによって船荷の遅延など貿易に影響を与えます、として、「コンテナー船の場合はより大きなダメージを受ける。この船の遅延は次の港への予定が狂い、結果として連鎖的影響を与えるからです。」
(この項目は4月21日の新聞記事から抜粋)

Star Cruiseはオーストラリアに引っ越す

船といえばマレーシアの誇るクルーズ船にもSARSの影響は及んでいますね。
マレーシア、シンガポールを基地、寄港地にしていた、マレーシアのGentingグループが大株主のStarCruiseは、SARSの影響を軽減するために、そのクルーズ船2隻の運行スケジュールを変更し、今月中に基地をオーストラリアに移すことを決定しています。これはマスコミでも数回取り上げられていましたね。


毎日の新聞には上で紹介したような、苦境や悲鳴を訴える記事がいくつも並んでいます。これからも当分は続くことでしょう。では次ぎは、SARSに反応する人々に対して主張する記事を紹介しましょう。

過剰反応する必要はないと書く香港帰りの記者

Star紙の記者として香港にしばらく滞在してSARSの模様を初期から取材し、ごく最近マレーシアに戻ったWong氏はStar紙に書いています。(4月22日の「過剰反応する必要はない」という記事から抜粋します。以下は記事から。

マレーシアに戻った喜びは、香港から飛行機を降りるやいなや、KLIA空港内の清掃員や保安員がマスクをしている様子を目にして急にしぼんだ。それ以上にショックな光景は、マレーシアから他の目的地に飛ぶゲート前で待つ乗客、多数は西洋人だが、がマスクをしている光景でした。飛行機でいっしょだった香港家族の一人がいみじくも述べた、「我々はSARSのないマレーシアでイースター休暇を過ごそうとしているけど、この人々がマスクをしている光景を見ると、マレーシアにもたくさんのSARSケースがあるに違いない。」

人は注意深くすることと過剰反応に違いがあることは誰でもわかる。私(この記者)がKLIA空港内で見た光景は明らかに注意深いもの以上であった。免税店だけでなく、飲食店で働いているスタッフもマスクをしている。私が強調したいのは、香港からやって来る乗客はもっとも厳重に検査を受けた乗客に違いないということだ。香港空港で飛び出す乗客は3回も検査を受けるのです。空港内販売人の医者や看護婦を真似たマスク姿は、外国人旅行者を驚かせ、彼らにSARSの大発生がマレーシアにあると考えさせてしまうであろう。

これらのことは様々な報道にもかかわらず、SARSに関して多くの人はよく知らされていない、とりわけマスク着用に関してです。マスクを着用すればSARS感染を防ぎきれるという科学証明は出ていない。我々は店頭で買える簡単な手術用マスクで本当に防ぎえると何を期待できるであろうか?

しかしながら当局は大衆にマスク着用を奨励するのを好む、それはもっとも目に見える人々への注意喚起であるからです。マレーシアに大発生は起こっていない、とにかくまだ起きてないのです。ジョーホールバルの空港かCausewayで働く従業員がマスクをしているならまだわかる、もっともその効用性はないが。 SARSの一番の伝染は患者との身近な接触なのです。

SARSは病気としてものすごく感染力が強いのでも、ものすごく致命的でもない、ということをマレーシア人は知るべきです。死亡率は5%程度である。マレーシアではバイク事故で死ぬ人の数の方が世界中でSARS感染で死んだ人の数より多いのです。感染が起こっている状況下に近づいただけの人全てをまるでハンセン病患者のように扱うという脅しは、人々をうそを言わせることにさせるか隠れてしまうことにつながるだけです。これは真の危険を生むことになる、もし本当の大発生が起こったとき当局は感染経路を追えなくなってしまうからです。

我々は単に恐怖から行動してはいけない、それでは我々は健康差別主義者に成り下がってしまう。
以上は記事から。

この記者の論は多分届かないであろう

この記者は決してSARSを過少評価しているものではないでしょう。筆者はその主張に全面的に賛成ではないですが相当的を得ている点もあるように思えます。しかし大衆にこの論理が素直に受け入れられるかは疑問に思います。こういった不気味な病気はまず恐怖感を呼び起こします、というよりマスコミの流す日々のニュースと人々のうわさで意識しないうちに恐怖感を作り上げられてしまいます。この恐怖感が大衆意識に定着してしまうと、もう論理的主張と説得は作り上げられた恐怖感とその思い込みを打ち崩すことはきわめて難しくなります。

一番のいい例はAIDSでしょう。マレーシアのようにAIDSを一部の性的不道徳者に罰があたった病気であると捉えて差別化した視点で眺める人が多い国では、AIDS患者は隠れてしまいます、少なくとも差別されるのではないかの恐れから表になかなか出られない。現に多くの予防運動も啓蒙運動も”不道徳な行為をしないように” という宗教的倫理観念を打ち出しています。現実にAIDSは単なる倫理観や宗教教育で防げないのは、AIDSに関心を多少でも持つものなら自明のことですが、そういう現実に耳を傾けない人々がマレーシアには多い。

SARSも感染が今後広がれば広がるほど、差別感を持った恐怖感がより支配していくことでしょう。誰も現時点でこの病気が今後どう広がっていくかまたはいつごろワクチンができてくるかといったことはわかりません。普通の市民観念から言えば、心配したって特にどうしようもないけど、心配するのもまた至極当然のことだと思います。普通の市民としていや市民だからこそ、特別の防御などできません。そうかといってあらゆる外出を止めるような過剰反応したり、デマやうわさを撒き散らすのは、状況を悪化させるだけと気が付きたいものです。過剰反応は経済を麻痺させるのみならず、被害者を作り出すのです、つまりあの地区で感染を疑われる人がでた、あの人はシンガポールへ先週行った、などという十分な根拠のない理由をこじつけて”いけにえ”を探しだすのです。
仮にですが、SARSがこの地に燎原の火のごとく広がるようなことが起きたら、人々はSARS感染におののくだけでなく、いけにえにさせられるのではないか、という心配までもしなくてはならなくなるでしょう。

シンガポール生鮮卸し市場の例をとって考えてみる

こういったことを示す例をごく最近のSARSに関するニュースから掲載してみましょう。

シンガポール当局はPasirPanjang生鮮卸し市場で働く者が重症急性呼吸器症候群SARSに感染したと最近診断されたことを受けて、マレーシアからの野菜輸送に暫定的ストップを命じました。シンガポールの担当大臣はマレーシア当局には、卸し市場の10日間停止をすでに通知したと語っています。(4月22日の新聞記事からを再掲載)

シンガポール当局はPasirPanjang生鮮卸し市場で働く者が重症急性呼吸器症候群SARSに感染したと診断されたことを受けて、卸し市場を10日間閉鎖中ですが、この市場に配送などで出入りしていたまたは市場と商売しているマレーシア人63人が、マレーシア保健当局によって29日まで家庭で隔離状態に置かれました。保健大臣の発表では、マレーシア当局が掴んでいるマレーシア人の数は203人ですが、現時点で60数人の追跡ができたとのことです。残りの140人弱については、全国的に追跡する意向です。

またSARSに感染したしてないかの様子をみるために家庭で隔離されている家庭の子供が、通学しているとの報告が出ているので、省は調査するとしています。(4月26日の新聞記事からを再掲載)

シンガポール当局が卸し市場を暫定閉鎖処置にしたのは、言うまでもなくマレーシアの野菜やマレーシアから仕事でやってくる人を防ぐためではもちろんありません。でここでちょっと疑問を感じます。

この生鮮卸市場はシンガポール消費野菜の過半数以上を扱う卸市場だそうなのでかなり大規模な市場でしょう。この大きな卸し市場にこの数週間出入りした人の数は実質何千人にも及ぶのは間違いないでしょうし、万に近いぐらいかもしれませんね。これだけ多くのシンガポール人をシンガポール当局は特定し隔離することは不可能ですね。しかしマレーシア人はシンガポール人に比べればごく少ないので特定できたのでしょう。この市場に単に出入りしていただけのマレーシアからの配送運転手や商売人約200人を、家庭で隔離する決定をマレーシア保健当局は下して、すでに60数人が隔離状態に置かれたということだと理解できます。

ところであるホテルに滞在した客がSARSに感染した可能性の高い者であった場合、閉ざされた空間である部屋とかフロア全部を閉鎖するのは、まあ納得できます。クリニックを訪れた病人がSARSに感染した可能性の高い者であった場合、応対した看護婦と医者が隔離措置を受けるのも、これもまあ納得できます。しかしこの卸し市場の場合、どう考えてもホテルのフロアや部屋のように閉ざされた空間ではありません。
マレーシア当局が下した理由は200人がこのシンガポール人従業者と直接接触したからということではなく、単に閉鎖された卸し市場に出入りしていたからというだけです。この処置の疫学根拠はほとんどないように見えますが、それでも当局は世の風潮を察して隔離するとしたのでしょう。新聞で見る限り、この処置に対する反対論は載っていません。

仮にもし、卸し市場のような屋根はあってもほとんど閉ざされてない空間でSARS感染するのであれば、社会に安全な場所がなくなってしまいますよね。つまり、駅、ショッピングセンター、オフィス、工場、ビル、学校、ホーカーセンターなどあらゆる屋根付きの建物は感染可能場所になってしまいますからね。

すでに何週間か実施されている、SARSに感染した疑いすらない段階のある人をその家庭で隔離する命令についてですが、家庭で隔離したって家族の誰かは買い物や仕事で必ず外出しなければならないでしょう、そうでなければ10日間前後もどうやって暮らしていけるのでしょうか?さらにその家庭内では家族全員が24時間防護服と防護マスクを身につけてない限り、隔離の意味が半減してしまいますが、こんなことは絶対に不可能でしょう。万が一、いや億が一 家庭隔離を受けた人が発病したと仮定します、するとその時点で家族に感染した可能性は極めて高いはずですね。億が一の可能性もつぶすのであれば、上で述べたシンガポール卸し市場に出入りしていただけのマレーシア人はすべて病院で完全隔離すべきでしょう。感染した可能性の高い人が宿泊したペナンのホテルの例でいえば(4月25日の新聞の記事からを参照してください)、その期間にそのホテルに泊まっていた者と1回でもホテル内に足を踏み入れた者全員を病院隔離しなければならないでしょう。

このように論理的に考えていくと、いささか疑問に感じる現象が出てきています。しかし社会の風潮はこういった非論理的な行為さえも容認する方向にあるように思えます。これが極端に行きつくと、上で述べた”いけにえ”を探す行為となってしまいます。

外国人旅行者は最も先入観念に捕らわれやすい

外国人旅行者は、東南アジア全て至る所でSARSが広がっているかのように思い込まされ且つ自ら進んでその種の先入観念情報を受け入れてしまっているようです。白人も日本人もしかりでしょう。所詮大多数の白人にシンガポールとマレーシアの区別はつかないし、大多数の日本人にインドネシアとマレーシアの区別はつかないでしょう。例えば、バリ島爆弾テロのためにマレーシア旅行を止める白人旅行者が少なからずでたし、またフィリピンの武装ゲリラがサバ州を危険地帯にしているとなどという過剰警告を出していた、現実生活を知らない無知で傲慢な外務官僚・団体が権威を盾に発信している海外安全情報なんとかサイトが、まるで金科玉条のごとく信じられているのを知れば明瞭ですね。

上記のWong記者は「マレーシアではバイク事故で死ぬ人の数の方が世界中でSARS感染で死んだ人の数より多いのです」と書いてますが、私も別の件でですが、以前同じようなことを書きましたね。マレーシアでは一般市民がテロで怪我する、死ぬなんてことは極めて極めて確率の低いことであり、その何千倍いや何万倍の確率で交通事故で怪我し死んでいるのです。SARSの件はテロと全く同じとまでは言えませんが、よく似ていますね、少なくとも現時点でマレーシア人が輸入感染以外で感染認定、死亡したケースはまだ起こっていません。

一般市民として、私はSARSに感染する心配よりも道路でバイクや自動車にぶつけられるまたは乗っているバスが交通事故を起こす方がより心配する価値があります。勘違いをして欲しくないのは、SARSなど全く気にならない、心配する必要はないなどと思っている、主張しているのではありません、私もごく常識程度に心配しています。ただごく私的なことをいえば、現実に生活に困窮している生活者として、来月はどうやって食っていこうかというのが私にとって一番の心配の種であり、且つ現時点では交通事故の方が危険性は高いということを知っているのです。

最後に

所詮根拠あることを基にして何を書こうと、こういった主張は一般日本人旅行者に届かないのは知っていますよ。現に4月5月の日本人旅行者のマレーシア訪問も激減している、激減しそうですから。外国人旅行者全体の傾向に沿っているだけでこれが日本人に特有でないことは、このコラムの上方で書いた記事から明らかですから、日本人だけがどうのこうのということではありません、何国人でも同じでしょう。この場が日本人相手のコラムだから日本人旅行者を強調したのみです。

注:筆者の知り合いまたは読者の日本人旅行社の方(複数)にメールで尋ねたところ、日本人旅行者も激減している、当分期待できないだろう、ゴールデンウイークは前年に比べて壊滅的な状況、などの返事をいただきました。

いずれしろこのSARSはもし感染者の発生が今後次々と起こるようなことになれば、市民の間にパニックを起こしかねないと危惧されます。なぜならすでに単なるデマだけでクアラルンプールの有名ショッピングセンター内のスーパーに人が一時途絶えたりしたことが起こっており、うわさとデマの広まりやすい国民性なので、それだけに当局も一般市民も一層慎重に対処していかねばならないと思います。
なにわともあれ、感染の広がりが抑えられますように、早くワクチンが開発されますように、願っております。



全く営業運転を開始してないKL Monorailの親会社が株式上場する


いきさつ

4月も後半に入った頃のことです。新聞に株式公開のための資料ページが挟みこまれていました。日本の朝刊サイズで10数ページ゙ですから結構な分量です。たまに上場企業が年次株主総会のための公開資料として年次財務報告書を新聞にはさみ込みますので、どこかの企業が同じことをしているのだなと、中を開かずそのまま新聞置き箱に入れようとしてちらっと表紙ページを見たらモノレールの写真がでかでかと載っているではありませんか。え、モノレールの会社?とそこで表紙ページだけをよく見たら KL Monorail の親会社の会社・財務報告書だったのです。開通もしてないモノレールの持ち株会社または親会社がなぜこんな資料をと思いました。

素朴な疑問が湧いた

1週間後ビジネス界の話題を集中して掲載するビジネス特集紙面で(4月26日付けBizWeek)、モノレールの親会社KL Infrastructure Group会社がクアラルンプール株式市場に上場する予定であるという解説・紹介記事を読みました。これを読んで、この会社の主収入の大部分を予定しているモノレール営業がまったく始まっていない段階で、どうして株式市場に上場できるのだろう、という素朴な疑問がわきました。尚クアラルンプール株式取引所はマレーシア唯一の株式市場であり、その株価指数CI は各国の経済新聞・雑誌に掲載されるマレーシア経済の重要な指標の一つです。

KL Monorail を所有する企業構造

KL Infrastructure Group会社は上場のためにまず総発行株の一定割合を他社や投資家に買ってもらい、所有比率などを公開しなければなりません。これはいろいろとある上場必要条件の一つですからね。その一つたる株式公開に関して、手もとにあるいささか古い99年発行の資料には次ぎのように書かれています:上場時点で払い込み資本金の最低25%は一般投資家の手に渡っていなければならない(現在は変更されているかは未確認)

株式所有(予定)比率を示す表
株主 MTrans
Holding
KL Monorail
Concessionaire
Syarikat
Prasarana
Lembaga Tabung
Angkatan Tentera
その他 Itochu
CorpJapan
ブミプトラ
投資家と一般
合計
比率52.6%2.8%10%5%1.9%3.8%23.9%100%

Syarikat Prasarana Negaraは 国家機構に属する投資会社です。日本企業も少数株主として参加しているのですね。MTrans Holding 会社がKL Infrastructure Group会社の株式公開後の絶対多数株主になります、つまりMTrans Holding 会社はKL Infrastructure Group会社を通じてKL Monorail を所有していることになります。クアラルンプール株式市場に上場する予定日は5月末だそうです。

モノレール建設はこれまで工事停止と遅延してきた

KL Monorailプロジェクトは1997年初めに始まったのですが、97年秋の東南アジア経済危機で大プロジェクトはほとんど停滞した例に漏れず、1998年初めには建設は全く停まってしまいました。その後1年半以上経って99年7月にようやく工事再開できましたが、それはプロジェクトの縮小と巨額な政府ローン投入のおかげだそうです。

このKL Monorailプロジェクトの当初計画では路線キロ16Kmだったのですが、それが半分になり、モノレール車両などの生産を国内で行う変更したことで、総建設費が半額のRM12億に減ったそうです。「車両の構成部品の80%は国内で調達し、マレーシア国内で100%生産している。」とKL Infrastructure Group会社の専務取締役。

その後の建設スピードはまことにのろのろと進んでいるように見えました。一般市民の目には本当に工事しているのかというぐらいの建設スピードでした。ようやく路線と駅の5、6割程度が出来上がったのは2002年中頃で、営業部分開通すると公式に発表があり、モノレールの試験走行も頻繁に行われていました。しかし一般営業する部分開通の直前である2002年8月に試験走行中の車両の補助車輪が1個下に落下し、たまたま高架下を歩いていた人の頭を直撃する事故が発生しました。この人はしばらく重体に陥ったぐらいの事故で、KL Monorail はこれで当分開通をあきらめなければならない状況に陥りました。まあ当然といえば当然で、モノレールの高架下は道路または分離帯であり、人も車もバイクも24時間そこを移動しているわけですから、車輪の落下というのはとても簡単に見過ごすことのできない事故ですね。

その後残りの路線と駅も完成して、KL Monorail は2002年12月開通、その約束が達成できず次いで2003年3月ぐらいには一般開通と発表していたのですが、これもいつしか消えてしまいました。明確な公告は現時点でもありませんし、KL Monorailのホームページにも古い予定日しか掲載されていませんが、なんでも今年8月には一般開通する予定だそうです。

やはりモノレール収入が主たる収入源

上場予定のKL Infrastructure Group会社はビジネスはその直系子会社KL Monorail だけではなく、不動産開発とモノレール高架などを利用した広告メディア業も会社業務にしていると述べています。不動産開発とはKL Monorail が走行するBrickfields地区のクラン川に沿った一帯の再開発であり、広告メディア業とは高架の柱やモノレール駅などに広告掲載場所をリースすることによる商売だそうです。モノレールは依然として開通していませんが、確かに高架や駅外面を利用した広告だけはすでに昨年夏ごろからはでになされていますから、この面である程度の収入はすでにあったことでしょう。しかし不動産開発はまだ完成してませんから(第1段階が12月に完成予定)、当然収入などあるはずないかほどんどないと考えて間違いないでしょう。

こうしてみると上場予定のKL Infrastructure Group会社は本業で且つ主たる収入源であるモノレール運行がゼロ、副業の地区再開発は未完成でこれまた収入なし、あるのは会社の規模にしてはとても大きな収入とは思えない広告場所代だけですね。この状態でなぜ株式市場に上場するのだろう? さらに実質的ビジネスを開始させる前に上場できるのは、なんか不思議に思えます。もちろん企業側としては、クアラルンプール株式市場が定める上場するための要件を満たしているまたは満たすことになるのだから、別におかしいことではないと説明するでしょうけど。

注:上場するための要件である一定割合の株の一般への売り出しは、1株50セントで新株を2億230万株発行することになるそうです。この内1億株が純粋に一般投資家へ売りだし、800万株がKL Infrastructure Group会社とその持ち株会社MTrans Holding 会社の取締役と従業員に割り当てます。残り1億1500万株はブミプトラ投資家用に割り当て、7000万株は保留されるとのことです。その結果が上記の表のような持ち株比率になるそうです。


株式への個人投資家でもなくその方面の豊富な知識のない筆者には、ほとんど営業もしてない会社がクアラルンプール株式市場に上場するのはやはり奇妙に感じるのであり、一般営業開通が当初計画よりも1年前後も遅れているのに(2003年8月開通ができた場合)、つまりまともな収入もなく私企業としてどうやって生延びてきたのだろうと、不思議にも思うのです。こういった方面に詳しい方の解説を聞きたいものです。



数字で見たマレーシア、 その17


これまで断続的に掲載してきた数字で見たシリーズです。いろんな統計数字を知って考えてみるのも時には必要だと思います。

STPM試験

国立大学入学資格試験としての面を持っている、STPM試験の結果が3月初め発表されました。2002年の受験者は2001年の40147人より増えて、47022人でした。受験者が多少増えたものの、多数派はSTPM試験を受けずに他の高等教育機関への道を選んでいます。
受験生政府系学校私立学校卒業後の個人受験合計男子生徒女子生徒
人数3513161195772470221581331209

合格科目数5科目4科目3科目2科目1科目合計
合格者の割合6.1%40.5%18.2%13.5%12.2%90.6%


世帯の平均月間総所得

ブミプトラ・民族別の月間世帯所得 1999年 単位はRM

ブミプトラ華人インド人その他
全体都市部非都市部
上位20%4855847064563242
626875804124
真中40%1810316824601204
220428441577
下位20%74212711092616
8651155670

これは世帯所得なので個人所得より当然多くなります。この表は階層分布なので単なる平均所得に比べてより実態を示していると思います。華人の上位階層がいかに豊かであるかを叙述に示していますね。一方ブミプトラの下位階層の低所得さは、マレーシア国策であるブミプトラの所得向上がまだまだ目的達成してない現実を写しています。例えば、ブミプトラは家族が多いので6人ぐらいとして、世帯収入がRM742、つまりこの金額で一家が1ヶ月暮らす生活は極めて厳しいものですね。

麻薬常習者の状況

去年政府は、マレーシアを2015年までに麻薬常習者のいない国にすると宣言しました。
国家麻薬庁の統計: 2002年1月から10月

人数その割合月平均3大麻薬ヘロインモルヒネカナビスその他
新規の常習者13468人52.5%1347人
320232274442
常習癖に戻った者12169人47.5%1216人
639539321365










13歳未満13-15才16‐17才18‐19才20‐24才25‐29才30‐34才35‐39才
新規の常習者1110047610973750308118281145
常習癖に戻った者0219701058240525262450
合計1110249511674808548643543595

常習者は収容所などで更正生活を送っても、半数近くが麻薬使用癖にまた戻ってしまうのですね。麻薬は人間を破壊しそれによってギャング団が儲かるだけですが、それでも麻薬は一部の人間を捉えて放さない。

政府関連の大企業

政府系の資本が入った上場大企業のリスト
企業体名主たる分野 政府に関係する機間が
所有する割合
多数株主
Tenaga Nasional電力87%Khazanah
Telekom Malaysia通信85Khazanah
Golden Hope Plantationsプランテーション84Permodalan Nasional Bhd
Kumplan Guthrieプランテーション82Permodalan Nasional Bhd
PLUS Expresswaysハイウエー79Khazanah
Maybank銀行70Permodalan Nasional Bhd
Commerce Asset Holding銀行61Khazanah, EPF
Sime Darbyプランテーション59Permodalan Nasional Bhd

政府に関係する機関とは:
Khazanah, Permodalan Nasional Bhd, EPF(被雇用者福祉基金), Lembaga Tabung Angkatan Tentera, Kumpulan Wang Amanah Pencen ( 通称はSOCSO), Lembaga Tabung Haji などです。

マレーシア最大銀行のMAY Bank にこれほど多くの政府資本が入っているとは知りませんでした。

株式と証券

クアラルンプール証券取引所の株価指数の変化
1993199419951996199719981999200020012002
年末の指数12759719951238594586812680696646

97年後半から98年終わり頃までに東南アジアを襲った経済危機の影響でマレーシア経済も後退と停滞を余儀なくされた97年と98年は、株価指数もその状況をよく示していることがわかります。ただ96年以前のブーム時期、バブルにはならなかったが、の数字に戻るのはまだまだ年月がかかりそうです。

マレーシアの証券取引業界を強化するために証券会社の整理統合化する方針を政府は2000年に決め、それが行われました。2000年に65社あった証券会社が2002年末には、綜合証券会社6社を含めて33社に減りました。
綜合証券会社6社の表
大きい順123456
会社名OSK SecuritiesK&N Kenaga Kuala Lumpur
City Securities
Hwang-DBS
Securities
PM
Securities
Avenue
Securities


インターネット接続人口の変化

ダイアルアップ接続者の推定人数
年(各年末)199619971998199920002001 2002
第U4半期
2002
第W4半期
登録者数(万人)6.420.540.566.8169.5211.5229.7261.4
利用者数(万人)19.261.5121.5200.4497.7634.5689.1784.2

注:インターネット接続には光ファイバー接続などもありますが、ごく少数ですからそれは無視してもいいでしょう。登録者数とは各プロバイダーに登録した人数であり、一つの登録で複数者が利用できるので利用者数とは登録者を含めてインターネットに接続する人数のことのはずです。

この表は、マレーシアのコミュニケーションとインターネット産業を監督し方針を打ち出す役割を持った国家機構である、コミュニケーションとマルチメディア委員会が発表しているものです。2002年第W4半期の時点で、登録者数が260万人というのは、マレーシア人口2500万人弱の約10%ということになりますね。

携帯電話使用者数の変化

19981999200020012002
登録者数215万272万512万748万925万
その内プリペードユーザーの割合

49%58%68%

この表はコミュニケーションとマルチメディア委員会の調査による数字です、この結果携帯電話所有率が2001年の31%から2002年は37%に上昇したとしています。ただこの数字は携帯電話を乗り換えたりして二重登録、使われなくなった登録者も含まれているのではないでしょうか?そうでないと赤ん坊を含めた国民の2.5人の1人が携帯電話を持つなどという信じられない結果になってしまいます。

天然ガス

マレーシアの天然ガス埋蔵量の内訳は、53%がサラワク州、半島部が38%、サバ州が9%を占めます。マレーシアは現在液化天然ガスLNGの輸出量では世界第3位にあり、世界のLNG輸出量の13%を記録しています。1位はインドネシアで2位がアルジェリアです。
世界の液化天然ガス製造トップ4
国名インドネシアアルジェリアマレーシアカタール
製造場所2箇所2箇所Bintul1箇所
製造量 単位MTPA33.924.522.714.3

数字はBPの世界エネルギー評論2002年から
天然ガスの内LNGが需要に占める割合では日本はたいへん高いそうです。

2002年の殺人被害者の分析

警察の特別調査部の副長官が明らかにするところでは、警察に届けられた2002年の殺人事件で殺された者516人中、総人口比25%弱の華人が最大の31.2%を占め、その多くが秘密結社メンバー、麻薬団一味、ギャンブル組織、強盗であるとのことです。ブミプトラは殺された者の32.8%を占めますが、総人口比中の割合が60%ほどなので、相対比率は華人のそれよりもぐっと低くなります。総人口比8%ほどのインド人は17.8%を占め、被害者は秘密結社、麻薬団などに属しています。残り10数パーセントは、主として外国人だということになるでしょう。

マレー人の殺された者の場合、多いのはamok の被害者だそうです。州別で殺された者が一番多いのは、スランゴール州で117人、ジョーホール州とサバ州が各77人、クアラルンプールが52人でした。



命名に気を使う不動産業界と大衆の不動産名気にする度はいかほどか


不動産世界では名前のつけ方が重要な要因であるとして、例を上げた記事を読みました(5月3日付けBizWeek)。 以下それから抜粋。
首都圏の新興開発地区Kota Damansaraを例に取りましょう。ここはMutiara Damansaraの後ろに位置し、3900エーカー(Intraasia注:1エーカー=約4千平米)の広さを誇る。以前Pusat Bandar Sungai Buloh(Intraasia注:無理に訳せばSungai Buloh町センターのような意味)と呼ばれていたが、この名前では需要があまり湧いてこない、そこでKota Damansaraという名が登場したのです。

この地区は現在、地主でもあるスランゴール州開発公社が民間のParamountグループ及びSunwayグループらと手を携えて、重要なプロジェクトを行っている。ある不動産リサーチ会社は語る、スランゴール州開発公社はこの地ですでに10年前から低所得者向け住宅開発を始めた。その後公社はこの地に有望性を見出して民間と協力関係を結んだ。もしPusat Bandar Sungai Buloh名のままであったらこれほど人気は出なかったであろう、と。

別の不動産コンサルタントは語る、この2年間でデベロッパーの間で最も人気ある名前は Damansaraです、それに加えて人気ある名は、たとえ平地に建てられていようと Heights と Hill (Intraasia注:マレーシア語ではBukitと表記)も人気だ、と。名前だけで人気が出るなどという単純なことはいえないが、確かに名前が価値を持つという証拠はある、マーケッティングの戦略でもあります。と。

また別の不動産コンサルタント会社の人は語る、1ユニットRM50万以上の高層コンドミニアム郡で有名なMont'Kiaraがもし以前の目立たない地区名前であるSegambutであったら、これほど人気を呼んではいないでしょう、と。

KL Sentral はこういった名前の作るイメージの高級化の良い例です。 KLSentralはクアラルンプールのBrickfields地区にある、なぜBrickfields Sentral としなかったのか? Country Heights Damansara, Country Heights Menjalala, Damansara Perdana、これらはその本来の地区名であるKepong を全く反映していない。例えばBandar Utama とKepong のどちらを選ぶかと言われれば、選択は明らかである(Intraasia注:Bandar Utamaということです)
以上抜粋終り

首都圏のいくつかの地区の特徴を説明

ここに現れている名前はクアラルンプール郊外とその周辺に広がる新しい開発地も含まれており、首都圏在住者でもその近くに住んでないとピンとこないことと思われます。そこで説明しておきますと、Damansaraの代表地Damansara Heightsはクアラルンプールの伝統的高級住宅地で、高級なコンドミニアムと瀟洒な住宅が多く、それほど新しい開発地ということはないです。このDamansaraの名前があちこちに使われているのはもう何年も前から気付いていました。本々のDamansaraから随分離れているのになあと思ったものです。

Mont'Kiaraはその隣接したSri Hartamas と対になった最高級コンドミニアム連立地であり、開発されて10年ぐらいしかたっていませんが、expatriateと呼ばれる外国人(在住日本人の多くもこの範疇)と中の上以上の階層のマレーシア人のお好み地です。低所得者層にはとても手の届かない地区です。下記で触れるBandar Utama、ここはコンドミニアムでなく、高級な住宅地帯でここも開発されて10年ぐらいでしょう。3階建ての家などが連なっており、ゆったりといかにも立派に作られており、ここも低所得者層には全く手の届かない地区です。

一方これらの高級地と対照的なのがKepong で、Brieckfieldも相当程度この範疇に入ります。Kepong はクアラルンプール最大の伝統的華人集中地区です、確か8割以上9割近い住民が華人です。古い街並みと低所得者層から中所得者層が中心です。コンドミニアムはごく少ない。余談ですが、筆者の住む地区もKepongのような特色を持っていますがKepongほと大きくはない。Brieckfieldは歴史的建造物などがある一方、労働者、特にインド人労働者の多かった町でいまもその特色を持っています。尚盲人関連の施設が目立つが、これはインド人とは関係ない。

Sungai Bulohという名前はクアラルンプールから郡部へ抜ける道路Sungai Buloh通りの両側に位置する一帯の地区名ですが、新興開発地と工業団地がある一方まだまだ多くの田舎町風景を残していますので、郡部というイメージを持たれやすいでしょう。

マレーシアの大きな町はその地区によって住民の民族構成比率に相当開きがある、つまりある地区は特定民族の住民が多いという民族別遍在が地区毎の住民構成に見られますが、加えて地区によってその住民の主たる所得階層を賢著に示してもいるのです。もちろんあくまでも傾向ですから、例えばKepong にもものすごく裕福な人たちが住む大きな家家もありますし、Damansaraの外れの住宅で貸し家に数人が部屋を分かち合って生活しているような場合もあるでしょうし、外国人労働者が固まって住んでいることもあります。傾向から外れた例がないということではありませんよ。

日本人の方が名前意識度は強い

こういう例を見ると、マレーシア人も不動産に関しては名前を意識する面が強いということでしょうが、日本人ほどめったやたらにいわゆる”聞こえの良い”名前をつけません。こんな例は皆さんの身辺に転がっているでしょう。例えばもう何年も前のことですが、知り合い(日本に住む)が、コーラルハイツに引越しましたというメールを送ってきました。住所から判断して、海も見えないような内陸地のアパートの名前にコーラル(サンゴ礁)とはいかにと思ったものです。ハイツとは日本語の意味ではアパートの別称ですよね。要するに珊瑚荘(礁)なんだ、家主はダイビングファンかな(笑)。

横浜のランドマークタワーの命名を知れば推測がつくように、東京タワーがもし現在建設されたらメトロポリタンタワーとでも名づけられるのではないでしょうか。まあこれも時代の意識の変化ということでしょうね。でも大阪の通天閣は今出来上がってもあくまでも通天閣でいくのだろうか。

余談:筆者は関西人ではないですが、この漢字3文字での表現は優れているなと感じます、いかにも関西らしい?

東京渋谷にスペイン坂(通りかな)などといいう若者向きのファッションとエスニック料理街があります(多分今もあるのでしょう)。何のどこがスペイン風かよく知りませんが、こういうネーミングでかっこよく思わせるのは日本人の得意で且つ大好きなところですね。英国とオーストラリアの大好きなマレーシア人ですが、英国風のパブ、オーストラリア風のパブはあっても大衆居住地の建物名とか大衆食堂の屋号を英国風に名づけるほどではありません。尚チャイナタウンはいうまでもなく華人が発展させたから、これは名前の聞こえ良さを模倣したものではありませんね。中級以上のホテルやレストランに外国の名前をつけるのはマレーシアでもごく一般的ですが、小さなアパートや大衆向け商店街が同じような名づけはまずしません、例えば 家賃数百リンギット程度の大衆アパート名がVictoria、GoldCoast、Cambridge などとは考えられません。

注:高級ホテルの例にはLegend、 Pearl, Regent, SuCasa(スペイン語)、Golden Horse, Dynasty など


高級になればなるほど増す名前つけの重要性

高級なイメージを持った開発地になればたネーミングの重要度が増すのは確かに納得できます。上記で紹介した以外にも例を上げれば、スランゴール州スバンジャヤにSunway (正式にはBandar Sunway)という”かっこいい”名前の複合型の開発地区があり、ショッピングセンターをSunway Pyramid、テーマパークを Sunway Lagoon、ホテルをSunway Lagoon Resort と名づけて国外からも客をたくさん引きつけていますね。このBandar Sunwayの周囲の地区は PJS+数字 とかSS+数字といういかにも地番的な名称であり、さらにKinrara とかPuchong というマレーシア語名の地区もあります。確かに”PJS Lagoon”じゃ、イメージが湧かないでしょうな。

高級ショッピングセンターや高級ショッピング街になれば、化粧した名づけになる例も見られます。クアラルンプールの真中に今年後半部分オープンする巨大なショッピングセンターはTime Square、ブキットビンタン街にあるSrtar Hill などが代表的です。でも 地名をつけたSubang Parade、One Utama(Bandar Utam地区にある)、さらにSuria KLCC とかペナンのGurney Plaza などは地名の有名さを利用した例でしょう。

コンドミニアム(高級マンションのこと)クラスになれば当然命名に気を使っていますね。適当に例を拾えば、Indah Samudra, Aloha Tower, Straits View, Stulang View、いずれもジョーホールバルにあり、売買価格が2002年末でRM45万ほど(1ユニットつまり1世帯向け)の高級なコンドミニアムだそうです。マレーシア語単語あり、英語単語ありですが、いずれも聞こえの良い単語です。

大衆層向けの施設の名前は日本よりずっとこだわらない

一方上で例に上げたような名前が価値を加える意識(ネームコンシャス)は、低所得者層から大衆層向けのアパート、住宅、商店街などにはほとんど波及していません。共同住宅つまりアパートはマレーシア語のRumah Pangsa, 英語で言えば英国英語のFlatなり通常のApartmentが一般に使われています。日本人は大衆アパートであっても昔馴染みの何々荘といいうようないささかカッコ悪いことばはもう少数派で、ハイツ、メゾン、ハウス、コーポ、カサといった名称を好みますよね(他にもあるのかな?)。マレーシアではこの種の化粧した単語はこのクラスでは使われません。

余談:筆者は特に名前にこだわる派ではないのですが、昔東京でアパートに住んでいたときその名前が ****荘だったので、なんか古臭い名前だなと感じたものです。


一般的に言って、日本人の方がマレーシア人より名前意識(ネームコンシャス)度は高いでしょう。この背景には、単言語社会の日本と多言語社会のマレーシアなどといった言語、民族間嗜好の乖離の大きさがあるので単純な比較は簡単ではありません、例えばマレー人はマレーシア語名で付けたい、またはマレーらしさを込めたいなどといった民族意識による面が強いのですが、98%前後が日本民族である日本においては、逆に日本名を避けるという現象が目立ちますね。しかし現象だけ捉えればこの判断が正しいはずです。

注:地名や建物に好まれるマレーシア語の単語の例です、 Putra, Putri, Indah, Menara, Jayaなど


大衆との違いを見せつけたい階層

でも日本人の方がマレーシア人より名前意識(ネームコンシャス)度は高いでしょう、という結論には、大きな例外があります。上記の新聞BizWeekの記事から引用しますと: ある不動産コンサルタントは言う、「もし私がある会社の社長だとする、私の自宅住所が重要です。Kampung Segambutの住所にRM30万を投資するぐらいなら、10%の割増を払ってもそのすぐ隣にあるMont'Kiara という住所にした方がいいです。」 
ある会社の取締役重役は自分の住所を他人に伝えるのに、Sungai Bulohだと言うよりもSierramas と言った方が楽です。Sierramas (新興開発地だと思われる)は現実にはSungai Bulohにあるけれどもです。以上

つまりビジネス界上層や官界の上層部階層はそのステータスをものすごく重視します。乗る車、住む家とその場所という他人に見える点と”Datuk”に代表される称号を獲得することで、彼らは社会の上層であることを大衆に見せつけなければならないと考えています。日本では上場中堅企業の重役でも電車通勤するとか古い下町に住んでいることは特に珍しいことではないですが、こういう大衆行動を行うまたは尊ぶ意識は、マレーシアの実業界の上層にはありません。自家用車はProton Wiraでは都合悪いのです、ベンツクラスかせめてProton Perdanaでないと、住む場所はSungai BulohのカンポンでなくBangsarの瀟洒なハウスであるべきだと考えるわけです。
これはタイやインドネシアやカンボジアなど東南アジア至る所で見られる階層社会意識であり、マレーシアももちろんその例に漏れないということです。この上層に属する人たちにとって、金力と地位を見せつけるための名前は重要なのです。それは上で引用した文言が叙述に示していますね。

地方町、カンポンは都会人の名前の意識度とは違う

なお、マレーシアも広いですから、地方町やカンポンに住む住民の不動産への名前を気にする意識は、都会人、特に首都圏、の名前を気にする意識と違うものがあるように思えます。クランタン州やトレンガヌ州の町で、Star Hill, Time Square などという名前をつけたショッピングセンター、ビルが出現する可能性はこの先当分ないでしょうね。

注:マレーシアではショッピングセンターを意味するPlaza, Parade などは一般的な名称として考えられており、特にかっこいいという意味合いはありません。




チャイナタウンのペタリン通りを改名しようとの論議がある


現在チャイナタウンは美化改造工事中

クアラルンプールの通称チャイナタウンはクアラルンプール市庁の主導ですでに美化改造プロジェクトの工事に入っています。以前の「新聞の記事から」でもお伝えしましたね。

参考: チャイナタウンの大改造工事という、3月11日の「新聞の記事から」
何年も延期されてきた、クアラルンプールのチャイナタウンの美化改造工事が3月17日からようやく始まる予定です。影響を受けるPetaling 通りとHang Lekir通りは段階的に閉鎖されます。この工事は総予算RM1100万かけて市庁が行うもので、請け負った会社が4段階に分けて工事を行う予定です。このため屋台はそれぞれ2ヶ月ほど休業することになります。「該当区間の工事が終れば、その部分の商売人は戻って商売再開できます。」と市長の説明です。

工事に先だって、地域の同業者団体複数は説明を受けました。工事が完成すれば空の見える屋根、歩道、インフォメーションコーナー、公共トイレなどができます。いくつかの論議を経て、同業者団体と市庁は改造デザインに同意したのです。最初の予算が4分の1になりました。工事はHang Lekir通りを除いて10月には終了する予定で、新しく700区画がチャイナタウンビジネス用に割り当てられます。市庁は、マレーシア人皆に好かれる新しいチャイナタウンにしたいとしています。


古びたインフラが目立つ

チャイナタウンは人によって好き嫌いの好みがはっきりした街ですが(私自身特に好きな街ではありませんが、嫌いということでもない)、クアラルンプールの主要な観光地であり、外人観光客の目立つ街ですから、多くの日本人もその名前はご存知でしょう。さらに1度は訪れて見る価値のある街です。名前の通り中国人が発展させた街であり、現在もチャイナタウン一帯のビジネスを牛耳るのは華人です。ただ働いている人間はインド人、マレー人、外国人などと案外多くの非華人の姿が目につきます。

建物のほとんどが古く、中には放棄された建物も結構あり、上水道・排水・通信設備などのインフラが劣るというチャイナタウンのもう一つの特徴は、その発祥した経緯と華人街であることの両方からずっと今になるまで引きずっています。現代的模様替えは遅々として進まず、また地元商売界も積極的でなかったようで、これまで提案された美化計画は1度足りとも現実化しませんでした。それがついに2003年3月中頃を期して始まったわけです。

ある華人団体連合の決議

各種華人団体の連合団体の一つであるスランゴール州中華大会堂は、美化改造後の”茨廠街”を改名して”葉亞来街”とするようにとの提案を決議しました。さらに、その他の華人団体連合も同じような決議をしてクアラルンプール市庁に提議するようにと望んでいます。しかし各界のこれに対する反応は様々ですと、華語紙は伝えています。

注:このコラムを書くにあたっては4月30日付け「星洲日報」の特集などを参照または一部引用しました。

上の文節の中の固有名詞は大きな意味合いを持ちますので、そのまま書きましたが、単語自体がほとんどの読者の方には意味がわからないでしょうから、ここでまず説明しておきます。”茨廠街”とはPetaling 通りの中文名ですが、クアラルンプールとスランゴール州の華人社会でチャイナタウンを呼ぶときの一般的な呼称でもあります。クアラルンプール華人界の間では華語だけでなく広東語も共通言語としていることから、一般に広東語の発音の”jijon gai"と呼びます。英語一辺倒の華人を除いてチャイナタウンをこう呼ぶ華人は多いのです(全ての華人が呼ぶということではないですよ)。筆者も華人と会話する時はこの呼称を使いますし、この呼称は馴染みになっています。

注:茨廠街の語源は昔葉亞来の時代にこの通りにタピオカの工場があったということからです。一方マレーシア語名のJalang Petalingがどういう理由からつけられたかは市庁の担当部でも資料がないのでわからないそうです。Petalingというのは、スランゴール州内の郡の1つの名前なのですが、現在のチャイナタウン一帯は一度としてそのPetaling郡には属したことがないので、奇妙に思う人もいるそうです。でこのマレーシア語名はクアラルンプールが連邦直轄領になる以前の1962年にはすでにつけられていたとのことです。尚マレーシア語のJalanとはstreet の意味です。


”葉亞来”はヤップアロイ と発音します。クアラルンプールの町が出来上がり拡大しつつある19世紀のKapitan Cina、つまり当時のクアラルンプールの中国社会における警察権、司法権、麻薬元締めなどを含めたあらゆる面での統率者です、俗な言葉で言えば中国人社会の大親分ということです。当時の中国人社会は、英国植民地政府によって中国人社会内における自治権を与えられていたからです。彼自身は客家人です。尚当時はまだ全員が中国人であり、華人ではありませんし、華人という意識そのものが存在していない時代です。

注:マレーシア華人社会では、”華人”と”中国人”のことばが意味するものは、例外的意義を除いて同一ではない。華語マスコミや書籍では、中国人とは中華人民共和国の人々を指す。ところで、19世紀当時、現在のマレーシアの地にやって来た中国人は生活などの上でも一般に言語別又は出身地別の意識が極めて強く、従がってまず何々地方の福建人、何々地方の客家人などという意識の次ぎに中国人であったようだ。


チャイナタウンは海外でもお馴染みの通称名

通称チャイナタウンは道路名でも正式な地区名でもありませんが、多くのマレーシア人は一般にこう呼んでいるし、且つ十分理解される呼び名です。さらに外国人旅行者には圧倒的にこの名前が知名度を持つのは間違いないでしょう。市庁などが公的に呼ぶ名はチャイナタウンの中心通りで午後から屋台が立つ、Jalan Petaling (英名 Petaling Street、ペタリン通り) を代表させて、Jalan Petaling 地区(一帯)などという呼び方をよく目にします。微妙にチャイナタウンという呼称を避けていますが、チャイナタウンという呼称をまったく使わないということではありませんよ。一般市民でもチャイナタウンのことを頭に置いてJalan Petalign と呼ぶ人もいますね。これの華人版が上で説明した、茨廠街”jijon gai"です。

注:チャイナタウンの西側に隣接した地点にある高架電車Putralineの駅が、Pasar Seni (英名Central Market)と名づけられているのも、微妙な心理を示していると私は感じます。例を一つあげれば、政府翼下にあって観光面を司るTourism Malaysiaが発行する、Kuala Lumpur Shopping という観光案内パンフレットにはPetaling Street そしてカッコ書きで (Chinatown) と印刷されています。

注:チャイナタウンは漢字でかけば唐人街、海外ではマレーシアの唐人街(チャイナタウン)という認識がありますね。

スランゴール州中華大会堂の決議が、Jalan Petaling を Jalan Yap Ah Loy と改名しようという意味だけの提案なのか、それ加えてチャイナタウンという一般呼称もやめようということなのか、そのどちらであるかは筆者には今の時点ではっきりわかりません。ただ、このように大多数のマレーシア人と外国人の双方にすぐ理解してもらえる、通称名チャイナタウンの呼び名を変えるのはたいへん難しいように思えます。

Yap Ah Loyの貢献がよく反映されていない

スランゴール州中華大会堂の構成団体でその大会にこの議案を提出した、スランゴール州・クアラルンプール広肇会館は訴える、「もし茨廠街(つまりJalan Petaling) を Jalan Yap Ah Loy と改名したら、我々は外国人に 茨廠街を宣伝する時、100年以上前にKapitan Cina Yap Ah Loyがこの地区を開発して後に華人の商業集中地区に発展したと伝えることができるのです。」 とその理由を述べています。現在 Jalan Yap Ah Loyは確かに存在するが全長がわずか約50mのものすごい短さであり、これではYap Ah Loyが当時のクアラルンプールの開発に貢献したことが浮かばない、と。茨廠街一帯はクアラルンプール華人の経済商業地の発祥地であり、決して後年のチャイナタウンとして生まれたものではない、外国人や地元人がこの歴史的背景を知ってほしい、と理由付けています。

注:Jalan Petalingの午後遅くから始まる夜市は有名ですが、この場所で夜市を立てることが市庁に認められたのは1970年代のことだそうです。その当時市は現在より長さが短く時間は18時から24時まで、そしてまだ観光客向けではなかった。

この論点の背景にはKapitan Cinaの Yap Ah Loy葉亞来が公的な評価で過少評価されている、その名前が今では教科書などからも消えつつあるという、華人界の一部の思いがあることを私は感じます。華語新聞にはたまにこの種の主張が現れます。クアラルンプールの開拓と発展に大きく寄与した(と彼らが主張する)Yap Ah Loy が多数の人にこれ以上忘れ去られてはいけないということなんでしょう。

ペタリン通りの改名に反対の地元商売人

華人間にはこの改名提議に反対する人も多いそうで、茨廠街界隈で商売する小商売人の多くは反対とか、さらにクアラルンプール小販売業協会は賛成していません。Petaling 通りという名は国内外の観光客に印象よく与えており、もし改名すればその負の影響は旅行業にも及ぶ、と反論しています。

クアラルンプール市庁は、現在行っているチャイナタウンの美化改造工事が終ってもPetaling通りの名前は据え置くとしていますが、これに影響あるか関心が持たれているとか。市庁は説明する、市内の道路は軽軽しく改名できません、あらゆる分野に影響あるからです、と理由を説明します。「現在のJalan Petaling と Jalan Yap Ah Loy は長年に渡って存在しています。市当局はこの歴史的事実を軽軽しく変える意向はない。ただスランゴール州中華大会堂が市当局に正式に提議すれば、道路名委員会がそれを審査することにはなる。」

筆者はここで別に改名を支持するとか支持しないを主張するのが目的でもつもりでもありません。クアラルンプールのチャイナタウンは外国人にもたいへん知名度が高いので、こういった主張があるということと、そしてその背景を紹介したかったわけです。



ペナン州にはなぜちゃんとした中長距離バスターミナルがないのだろう


ちょっと目的があってケダー州へ行った帰りにペナンによって1泊しました。ケダー州南部の町Sungai Petani からバタワース行きバスに乗りましたが、到着する前の車中で、バタワースのバス発着場よくなっているだろうな、それとも他の場所へ移動したかもしれないな、となんとなく期待していました。というのは1年半ほど前にバタワースに立ち寄った時、バタワースのバス発着場はそれまでの古いバスターミナルに隣接した広場に移っていました。その理由は、確か2001年の中頃ですが、その旧バスターミナルであった建物の上階に入居していたParksonスーパーが火事になり、建物自体が使えなくなったからです。そこで建物すぐ横の空き地ですべてのバスが発着しており且つそこにテント張りの各バス会社の切符販売カウンターが臨時に設置してありました。

古くて狭くてしかしいつも混雑していた旧バタワースバスターミナル

バタワースのバスターミナルは、ペナン州本土側内を運行する乗り合いバス数十路線からなる近郊バス、隣のケダー州アロースターなどケダー州の主要町とを結ぶ中距離バス、そしてクアラルンプールとバタワース間を運行するまたはジョーホールバル、クアラルンプールとケダー州、ペルリス州間を結ぶバタワース経由の長距離バス、これらの3種類のバス便が発着するにぎやかなバスターミナルです、いやでしたと書くのが正確でしょう。バタワースは製造業、海運・運輸産業、商業活動のたいへん盛んなペナン州第2の大きな町であり、いうまでもなく田舎町ではありません。さらに半島北部西海岸側の交通面において要町的役割も備えています。従がって、半島を南北に縦断する長距離バスがたくさん経由します、さらに東海岸州とを結ぶバス便もそれなりにあります。

このようにバタワースは地の利と豊かな産業に恵まれた町ですから、人と車の往来のが多いのは当然です。そのバスターミナルは長い間フェリー乗り場に隣接して陸橋で結ばれた古い建物の地上階にあったのです。適当なバスの発着便数を超えた発着数のバスを扱う古いバスターミナルの常で、利用客は排気ガスに見回れ且つ日中でもなんとなく薄暗いバスターミナルでした。ただこのバスターミナルは待合ホールは無いものの、2階にたくさんの屋台センターと物売りの店があり、バス待合の時間を座ってつぶすことはできました。地上階のバス待ち客は少なくとも雨に濡れる、太陽の日差しに直接さらされることはありませんでした。
いくらフェリーターミナルに隣接した便利な建物とはいえ、バス発着数の適度な扱い量を超え老朽化したターミナルは早く近辺の適当な場所に移転するか改築すべきではないかと、筆者はバタワースバスターミナルに立ち寄るたびに思ったものです。

隣の空き地に移ったバス発着場は暫定的だと思っていた

その旧バスターミナルが火事のために使えなくなったとのニュースを知り、その後しばらくしてバタワースに立ち寄った昨年時、旧ターミナルに隣接した空き地で”暫定的に”バスが発着し、”暫定の”各バス会社切符販売カウンターが運営されているのを確認しました。たんなる空き地ですから、座るイス、腰を降ろす場所がなく、まともにバスを待つ場所がほとんどありません、ごくわずかに置かれたイスを除いて適当に空いた所を見つけて立ちんぼでバスを待つのみでした。さらに雨と日を防ぐ場所は、わずかにテント下またはパラソル下の切符売り場カウンターあたりだけでした。乗降する、バス待ちする人数に比して、雨と日を防ぐ場所は完全に不充分でした。いくら”暫定バス発着場”でも、バタワースほどの規模の町としてはちょっとひどいなと筆者は感じました。半年もすればどこかの適当なビルを改造してバスターミナルをそこに移転するか、上階が燃え破壊された旧ターミナル建物を修復するのかなと思っていました。だから今回ケダー州からバタワースに向かう車中で、バタワースバスターミナルの変化を楽しみにしていたのです。

参考:2001年11月に更新した旅行ページ掲載の「バタワースButterworthの交通と宿」ページに、私は次ぎのように書きました。
バスターミナルの様子が全く変わってしまった。今年(2001年)中ごろターミナルのスーパーマーケット階で火事があって破壊されたことからだと推測するが、10月現在バスターミナルのあった建物自体が廃墟と化している。バス発着場には元ターミナルに隣接した広場を当てている。ここはオープン式の待合所であり、多少のイスが置かれているがその数全く不充分であり、屋根も小さいので、強い雨はおろか太陽の日をしのぐのも大変である。下左写真の左側に見えるテントが待合場。

切符売り場は広場の一画にテントを張りその下に机を並べた形式で、各バス会社が営業している。当然一時的販売方法と思えるが、今後どのように改良されるか現在の時点ではわからない。さらにこの発着場はバス会社からコミッションをもらうのであろう客引きが非常にわずらわしい。まともに待つ場所もない屋外でブースさえない切符販売所、さらにうるさい客引きと、これが州一の中長距離バス発着量を誇るバタワース・バス発着所とは信じられないお粗末さである。
尚広場横で、テント張りの下たくさんの飲食屋台が営業している。


1年半後の今もバス発着場はそのままであり陸橋下に切符販売所

ところがバタワースに着いたのが昨年と同じ空き地(広場)だったのであれっと思いました。青空広場なのでバス乗降時には全く雨太陽をさえぎることはできません。バスを降りてそのあたりを調べて見ると、広場に隣接した一画が各バス会社の切符販売ブースになっています。20社ほどあるバス会社の各切符販売所は、昨年訪れた当時のテーブルを並べただけのカウンターではなく箱型のブースなので、これは多少”進歩した”といえますが、その場所が陸橋の軒下なのです。右の写真をご覧ください。

この陸橋は要するに、各種車両とバイクが通行する、一般道路とフェリー乗降場を結ぶ長さ100mに満たない渡り道路です。その陸橋の直下の空いた場所に販売ブースを設置しただけなのです。決して広い場所ではないので十分な待合場所などありません、ブースに囲まれる形で20人ぐらい座れるプラスチックイスが置いてあるだけです。陸橋の直下なので販売ブース、切符購買者・バス待ち客が雨と太陽に直接さらされることはありませんが、なにせ狭いので混雑時に利用客が雨太陽をさえぎるにはいかにも不充分であり、上方に電燈などないので夕方や夜は暗いだろうなと推定されます。(写真内の黄色い看板は近郊バスのバス会社と行き先表示、暗くてはっきりと写ってない部分がブースと待合場所です)

利用者を軽視したバス発着場

上方で説明したように、バタワースは人々の往来の多い大きな町であり、半島交通の要所の一つです。それなのにこのみすぼらしいバス乗降場のありさまは何なんでしょうか。旧バスターミナルは古くて狭くて暗かった。それが火事のためにすぐ隣の空き地に移転した。そこまではいいとして、移転からすでに2年近くは経っているはずです。近所にバスターミナルを建設するまでの、臨時移転かと思ったらそうではないようで、バス会社の販売ブースが並ぶ陸橋下の一画と青空バス乗降場兼バス駐車場は今後も当分使われるようです。

マレーシアの気候は1年中通じて強烈な太陽の日が照りつけますし、雷雨はこれも1年通してしょっちゅうあります。雷雨時の豪雨のすごさは傘などまったく役に立たないほどの強さですよね。バス乗降時にこの雷雨に遭遇すると、その1、2分間だけでびしょぬれになってしまいます。田舎町の小さなバス乗降場ならいざ知らず、半島部で有数のバス交通量を誇るバタワースのバス乗降場が青空広場であり、まともな待合場所すらない、切符販売所が陸橋の軒下にある、一体これは何なのだ、と憤慨せざるをえません。

クアラルンプールで発行される新聞では、ペナン州のこの種の細かいニュースは報道されないのではっきりとはわかりませんが、ペナン州はバタワースにバスターミナルを建設またはちゃんとしたビルに移転する予定はないのでしょうか。旧ターミナル建物が火事になってすでに2年近くぐらいは経っているはずです。本当にバスターミナルを建設又はそれに見合ったビルを見つける気があれば、1年か1年半ぐらいで完成しているか別の適当なビルに移転しているはずですね。つまりバスターミナルは緊要な課題だとみなされてないことがよくわかります。なぜか?それはこのコラム最後で述べます。

ジョージタウンの市内バスターミナルは変わらず

さてフェリーでペナン島に渡ればそこはジョージタウンですね。いつも感心に思うのはジョージタウンの古い街並みにぎっしりと並ぶ家家は生き生きしているということです。それは、地区100年以上の建物が多い中、人々がその建物に住みまたは職場として使用して働いてからです。いくら古くても人が住まなくなった街は生気が失せて単なる博物館的になってしまいますが、ジョージタウンの華人街は違いますね。

ジョージタウンの地理上の目印はもちろんKomtarですが、それに隣接したというか、ほとんど一体になった建物の地上階がジョージタウンの市内・近郊バスターミナルです。本格的バスターミナルとして建設されたのではなくビルの地上階をバス発着場に転換した形式であり且つ数十年も前から使われている古いバスターミナルなので、まことに狭くて且つ薄暗い、日中でも構内に入ってくるバスの行き先表示がよく見えないほどです。(右の写真)

注:このバスターミナルに関してはもう5年も前のコラム第96回 「ペナンGeorge Townの古いバスターミナルに思う」 で失望感を交えて書きました。

ペナン島を巡るほとんどのバスがこのターミナルを経由しますので、当然ながらバタワース以上に近郊バスの発着は激しい。車両変化を見ると、この数年冷房ミニバスが随分増えたように思えます。早朝から夜遅くまでバスは発着していますが、特に午後からは俄然とバス発着数が増え出しまこと混雑度は激しくなる。4,5レーンしかないレーンに入りきれないバスが、ターミナル入り口に続く道路にはみだして数珠つなぎになります。そうするとビルの地上階にある吹き抜け式のバスターミナルとはいえ、排気ガスの匂いはより充満するのです。もっともバスがほとんどいなくても何十年もの排気ガスの匂いが建物にこびりついていますけど。

注:フェリー発着所前から発車するバスはほとんどこのバスターミナル内を経由するが、他所からKomtarに向かって来るバスはターミナル内には入らずKomtar横の通りで客を乗降させる。


ジョージタウンには長距離バス発着場さえない

バスターミナル構内は島内を巡る市内・近郊バスのみの発着だけでとっくに飽和状態ですので、ジョージタウンと他州間を結ぶ中長距離バスはこの構内には全く入ってきません。中長距離バスは構内に隣接したまたはごく近くの道路で客を乗せます。Komtarとバスターミナルのある建物はつながっており、その真下がトンネルみたいな形状で道路が通過している構造なので、その道路の路肩に多くの長距離バスが停車して客を乗せます。この道路は交通が激しく且つこの場所も薄暗くバスの表示がよく見えないほどです。あらゆる意味で中長距離バスの乗車地には向かない場所ですが、Komtar真下という便利さから多くのバスがここで客を乗せています。

Komtarに道路1本挟んで隣接するような形で新しい大ショッピングセンターPlangin Mall が2年近く前に建設されました。今回見ていたらこのPlangin Mall横の道路にいつも、各社の長距離バスが何台も停車していました(右の写真)。つまりそこがバスの始発地点であり、客がそこから乗車しています。(通常、長距離バスは始発地点以外にもその他の1、2地点で客を拾ってからペナン島を離れるので、ここだけでは座席は埋りません)。

この道路は上記のトンネルみたいに道路がビル下を通過している地点の100mほど手前です、つまり同じ道路ですので交通量は相当激しい。こうしてこの2地点のどちらであれ、バス乗客は激しい交通の中で路肩に停車しているバスに乗車することになります。Pluslinerバスのように独自の発着場所を持っているごく一部のバス会社を除いて、ジョージタウン発着のほとんどの長距離バス会社はKomtar付近をその発着場所にしていますので、いわば道路路肩がバス乗降場です。

通常この種の長距離バスは半島部とを結ぶペナン大橋に渡る地点に近いGelugor でも客を乗せますが、そこではいくつかのバス代理店が店舗を並べてはいてもちゃんとしたバス乗降場なんかではなく、交通の激しい道路の路肩です。その後バスは大橋を渡ることになります。

こうしてペナン島発着の大多数の中長距離バス用としてのバスタミナールがペナン島には存在しないのです。ジョージタウンはあらゆる意味で都会であるにも関わらず、中長距離バス用のバスターミナルがいまだにないのです。クアラルンプールに住んでいるとペナンの細かなニュースまでは伝わって来ませんので、バスターミナル建設計画中なのかどうかは知りませんが、少なくとも確実に言えるのは現在建設中ではないということです。ジョージタウンが目覚しく発展してきたこの20年ぐらいの間にバスターミナルを建設しなかったということは、何を意味しているのでしょうか?これも最後に書きましょう。

イポー、マラッカもちゃんとしたバスターミナルを持たない

尚半島部の主要都市中、まともな中長距離バスターミナルがないのはイポーとマラッカと上記で書いたバタワースです。マラッカは一応バス発着用として定められた青空場所を利用しており、イポーは複数の建物に囲まれた狭く奥まった場所です。どちらも大きな町のバス発着場としては向いていないか不充分な場所ですが、一般車両が次々と行き交うような路肩で乗降するのではありません。この2つの市は少なくとも中長距離バス乗降用としての専用の場所があるのです。ジョージタウンはこの両市よりも尚劣ります、何せ一般道路の路肩が乗車場所ですからね。ジョーホールバル、クランタン、アロースターの立派な中長距離バスターミナルで何回も乗降すれば、ジョージタウンほどの市になぜちゃんとしたバスターミナルがないか、不思議に思わざるをえなくなります。

マレーシア最混雑のバスターミナル・プドゥラヤ

クアラルンプールには数カ所に中長距離バスターミナルがありますが、なんといっても最も大きく最も混雑し最も運行本数が多いのがPuduRayaバスターミナルですね。この名前を知らずして、ここを使わずにしてマレーシア半島部の国内バス移動は全く語れませんし、成り立ちません。マレーシアで最も有名なバスターミナルであるのは衆目一致のことです。このPuduRayaはすでに何年も前からその飽和状態というか過剰混雑状態が度々マスコミでも話題になってきました。

ずっと昔は半島部のほぼ全方面にこのPuduRayaから中長距離バスが発着していたようですが、その後次第に他のバスターミナルに運行を移管させてきました。東海岸州への路線は新設したPutraバスターミナルへ、Pekelilingバスターミナルがパハン州への一部路線を扱うというようにです。最近では1年ほど前に、国内バス会社最大のTransnasional社がクアラルンプールとケダー州・ペナン州・ペルリス州間を結ぶ北部路線をすべてJalanDutaバスターミナルに移しました。それでもまだまだPuduRayaの過剰混雑状態は緩和しません。当然といえば当然で、バスターミナルとして適度な扱い量の倍以上のバスが毎日出入りしており(最盛期には1千台近かった)、且つPuduRayaに通じるPudu通りがクアラルンプール市内有数の混雑道路だからです。隣のPlazaRakyat複合ビル建設が資金難ですでに4年ほども止まっており、そのためPuduRayaへのバス入り口が極端に狭く、これがPuduRaya一帯の混雑に輪をかけています。

このPuduRaya混雑緩和を掲げて市当局と管轄官庁は新しくバスターミナルを市郊外に建設するプロジェクトを始めています、ただその進捗状況はほとんど発表がなくよくわかりません。

多くの中小バス会社はDutaバスターミナルへの移転を命じられた

最近次ぎのようなニュースを読みました。5月21日付けの新聞からです。

商業車免許認定庁は中長距離バス会社11社に対して、現行のPuduRayaバスターミナルからJalanDutaバスターミナルにそれぞれのバス発着場所を移転させるように先に指示していましたが、それがなされていないので、バス会社(複数)に対して、移転しない理由を2週間以内に述べなさいと命令を出しました。それぞれのバス会社は納得できる移転拒否理由を明示しない限り、バス運営免許を取り消すと、庁は警告しています。「5月17日が移転の期限であったが、ほとんどのバス会社はJalanDutaバスターミナルに移転しようとしていない。」 と商業車免許認定庁の議長は語る。

商業車免許認定庁は、バス会社11社に対してPuduRayaバスターミナルからJalanDutaバスターミナルに発着を移すように命令したのは、PuduRayaの混雑緩和とPuduRayaの改修工事を開始するためであるとしています。移転は暫定的なものであるから心配しないようにとも述べています。「商業車免許認定庁はクアラルンプール市内に中長距離バス発着する適当な場所を探しているところです。」
以上

プドゥラヤの便利さは群を抜いている

5月中旬筆者がJalanDutaバスターミナルを訪れた時、構内の一角に20個ほどの切符販売ブースがすでに完成していました。筆者はそれを見て、たくさんのバス会社がJalanDutaバスターミナルに移ってくるのだな、でも大多数の乗客には不便になるなあ、と思ったものです。事情を知らない者がこの記事を読めば、PuduRayaの混雑はひどいからバス会社の単なるわがままに思えるでしょうが、バス乗客の立場で考えれば、ほとんどのバス乗客はPuduRayaバスターミナルでの発着を望むでしょう。なぜならJalanDutaバスターミナルは一般乗客にとっては不便な場所にあるからです。

宿泊施設なら大衆ホテルから中級ホテルまでPuduRayaバスターミナル周囲にありますし、飲食場所はもう数え切れないほどたくさんあります。方や市中心地から離れているJalanDutaバスターミナルの周りには宿泊施設も飲食施設もまったく存在しません。飲食場所としては、構内の一角に10区画ほどの数少ない屋台からなるホーカーセンターしかありません。一番大事な移動手段はPuduRayaバスターミナルとJalanDutaバスターミナルを結ぶ運賃RM1の乗り合いバスはあるものの、運行間隔が30分くらいに1本の少なさで且つその運行が不正確であり、まこと不便です。タクシーは常駐しているが、当然低所得者層にはぐっと高つく手段ですね。他の場所への移動手段が極めて限られているし、比較的高価につくというのは、平均的大衆を対象とするバスターミナルとしては致命的欠点ですね。
PuduRayaバスターミナルなら、市内中心部に散らばっている市内・近郊バス乗り場のどの乗り場へも徒歩5分以内という絶好地にある。さらにStarLine高架電車の駅はPuduRayaバスターミナルのすぐ裏、PutraLine高架電車駅も徒歩5分の距離です。

このようにJalanDutaバスターミナルは、交通移動手段の豊富さと手軽さ、宿泊施設到達の容易さ、飲食店舗がたいへん豊富である、この3点でJalanDutaバスターミナルを圧倒的に上回ります。JalanDutaバスターミナルの唯一の良さは、Transnasionalバス乗客向けに待合室が冷房されており、バス乗り場が青空オープン式だから排気ガスに見回れる恐れがほとんどないことです。ただこれも、他社バスの乗客数が増えれば現在の待合室は明らかに手狭になります。

JalanDutaバスターミナルに移転したくないバス会社の本音は、その不便さで乗客が減るかもしれないということでしょう。さらにJalanDutaバスターミナルに以前から移っているTrannasional社が冷房付き待合ホールを独占しており、新に移ってくるバス会社用には待合所がないということもあるでしょう。各社ブースはすでに出来上がっていても別の待合所は作られていません。

中長距離バスがほぼ唯一の手段である低所得者層

バタワース、ジョージタウン、クアラルンプール、この3都市の代表的バスターミナルまたはバス発着所の内実を細かく紹介しました。読者は在住者を含めて、自分でバスターミナルへ行って切符買う式のバス旅行など全くしたことがないかごく限られた路線または回数のバス乗車・旅行しかしたことのない方が大多数でしょうから、読者の方にできるだけ現実を知っていただきたいからです。

中長距離バスの一番の利用者は昔も今も変わらず低所得者層と学生などの若者層です。この層は自家用車が持てないか保有してない、飛行機でひょいっと飛ぶなどという高価な移動手段は全くまたはかなり取りづらい人々です。格安運賃路線を取っているAirAsiaの登場によって国内飛行便切符の価格をぐっと下げましたが、それでもバスにはとても適いません。例えばクアラルンプールからペナンまで通常のバスなら約RM22ですが、AirAsiaの最低価格時飛行切符を使用しても、空港使用税込みでRM55、さらにKLIA空港などとの行き来のバス代、電車代が最低でも十数リンギットかかりますので、AirAsia利用の最低費用と比べてもバス運賃は3分の1ですみます。一般にAirAsiaの平均的価格帯切符を使えば、全て込みでRM100近くになりますから、月収RM1000前後かそれに満たないような低所得者層にはおいそれと手が届きません。まして4、5人の家族で移動するようなことを想定すれば、飛行機は全く考慮外になります。ですからやはりそして唯一バスに限るのです。マレー鉄道の列車はバス乗車の倍の時間がかかるし、本数と路線がごく限られており、バスの代替にはほとんどなりません。

雨、太陽をほとんどさえぎれないバス発着所、まともに座って待つ場所のないバス発着所、市内中心部からずっと離れた不便で余分な出費のかかるバスターミナル、こういった発着所・ターミナルを、帰郷や旅行の度に、好む好まずに関わらず常に利用せざるをえない人々は決して少なくありません。実際に各地のバスターミナルを何十回何百回と利用すれば、バスしか移動手段のない人の苦労が実感できることでしょう。

庶民の足であるバスと表裏の関係にあるバスターミナル・発着所がなぜこうも2流以下の3流施設のままで長年放置されてきたのでしょうか。ここにマレーシア社会構造のありかたを感じます。KLIA空港、KL SENTRAL駅といった莫大な金をつぎ込んだ一流施設の存在がある一方、利用者数がもっと多く且つその利用者が平均からそれ以下の大衆に片寄っている中長距離バスターミナルのお粗末な状態を比べて見れば、筆者の言わんとすることがある程度わかっていただけるのではないでしょうか。

マレーシア人ということだけであることを知っていることにはならない

マレーシアは極めて階層社会です。中長距離バスなど全く乗ったことのない、つまりPuduRayaバスターミナルもバタワース・バス発着場もジョージタウンのバス乗り場もほとんど利用したことのないマレーシア人も珍しくありません。どこへ行くにも自家用車族、飛行機族ですね。(どこへも一切出かけない人の場合はここでは関係ありません) 。こういう人の中には実態をほとんど知りもしない、経験したこともないくせにあれこれ言う悲しき輩がいます、いわく中長距離バスは不正確運行とか運転が危ない、PuduRayaは汚いとか危ない、などなど。確かにバスの中には不正確運行のバスがある、危険な運転する運転手がいます、PuduRayaは決してきれいとはいえないし、軽微な犯罪は時に起こっています。しかしこれらはすべてマレーシアの他の場・機会でも相当普通に見られることです。とりたてて中長距離バスだけが不正確運行、運転が危ないわけではないし、PuduRayaだけが特に汚いとか危ないわけではありません。

こういう知りもしないのに知ったかぶりで語る一部マレーシア人の心理は、チョーキットに関して以前当コラムで指摘したマレーシア人の心理と全く同じです。自分たちよりちょっと劣るという差別意識を下敷きに、まともに自分の足でチョーキットを何十回と歩いたこともないくせに、チョーキットだけが悪の根源かのように語る一部マレーシア人の意識と同じだということです。チョーキットは決して清潔でもたいへん安全な場所でもない、それは事実です、しかし特別に汚く且つ危険な場所でもありません。マレーシア人だからといって、チョーキットをよく知っていることにはならない、長距離バスやバスターミナルの事情・状況に通じていることには、全くなりません。

筆者の願い

中長距離バスは最も利用者の多い交通手段です、従がってバスターミナル・発着場はそういう人々にとっては身近な、いや好むと好まずに関わらず付き合わなければならない場所です。発展するマレーシアの代表的市であるクアラルンプールやペナンに、一流に近いぐらいの施設に便利さとサービスを備えた中長距離バスターミナルが早く建設又は改修されることを、中長距離バスがほぼ唯一の交通手段であるマレーシア人を応援する者として且つ中長距離バスの常連利用者として願わずにはいられません。



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