「今週のマレーシア」 1999年5月と 6月のトピックス

クランタン州の河川カンポン(集落)に思う ・ コタバルで金曜朝のPAS党の集会を見る
数字で見たマレーシア、その 4テレビ番組にみるマレーシアと日本の比較文化試論
マレーシア社会の責任逃れ症候群を考える日本のJICA提案のクアラルンプール都市交通計画に期待する
おことわり: 5月ほぼ1ヶ月間マレーシアを留守にしましたので、トピックス数が少なくなっています



クランタン州の河川カンポン(集落)に思う


昨年末の2日間筆者は駆け足でクランタン州の内陸部を訪れました。クランタン州はこれまでにも何回も足を運んでいますが、内陸部を流れる川を渡航する目的だけで行ったのは始めてです。いきさつは、クランタン州を流れる Sungai Klantan川を渡航する地元民の足替わりのボートがあることをたまたま知ったので、単にそれに乗って観光客の行かない川を航行し、河岸に広がるジャングルを眺めてみたくなっただけです。

ただ雨期のため降り続く雨で増水した川にいささか予定は狂いましたが、それでも増水と急流に多少恐怖を感じながらも(救命ジャケットが用意されてないので)一応目的は達しました。詳しい内容は旅行者・在住者のためになるページの 「クランタン州を歩く」をご覧ください。

マレーシアの東海岸州のクランタン州は北辺をタイに接した内陸部の多い州です。州都コタバルが南シナ海に面した海岸線に比較的近いことと、(ケダー州の)プルフンティアン島への波止場 Busutへ行くのにコタバル経由が多いので、クランタン州は海になじみの多い州みたいに思われている方もあるかもしれませんが、実際は大部分は内陸地方です。尚Busutはトレンガヌ州の北端であり、ルダン島などの島々へのボート出航はすべてトレンガヌ州の波止場からです。

クランタン州を論じるには筆者の知識と経験では不十分ですから、ここでは論じるのでなく感じたことを、見聞きしたことを中心にしてあります。

クランタン州はちょっとユニークである

クランタン州といえば他の半島諸州ではあまりみられないユニークさを持っています。マレーシア人にとってまず”深マレー人の州”という印象が強いのではないでしょうか。事実州人口の9割5分ほどはマレー人です。またクランタン人と言えばマレーシア人ならその強い訛りのあるマレーシア語を誰も思い浮かべるはずです。地元の人たち同士が話していると筆者にはほとんどわかりませんし、慣れてないマレーシア人でもよく聞き取れません。

それを一般にクランタン方言と呼びますが、どの程度標準マレーシア語と違うのか、これまでに上手く説明してくれた人にであったことがありません、筆者が想像するにこういう方言の違いの研究はほとんどなされてないのではないでしょうか。日本では大学には方言学などの科目・コースもあるし、従って方言学の研究者・専門家が少なからずいらっしゃいます。国立国語研究所などでは各方言の研究報告も出版されていますよね。

しかしマレーシアではどの程度こういうことが研究されているのかな。ないことはないのです、日本の国語研にあたる DBPがいくらか出版していることは知っています、でもこういうことをわかりやすく書いて一般書籍の形で発売されるなんてことはマレーシアではありえないでしょう。

PAS党の地盤であり政権州である

さてクランタンをユニークな存在にしているのは、方言に付け加えて州政府を握るPAS党の強さでしょう。Parti Islam Se−Malaysiaという正式名の短略形のを取って通常「パス」と呼ばれるPAS党は、イスラム至上主義を掲げる政党で、現在マレーシア全州の中で唯一、政府与党連合Barisan Nasionalでない政党として単独に州政府を握っているのです。PASの究極の目的はマレーシアをイスラム国家にすることです。といっても筆者はイスラム教に造詣が浅いのでよくわかりませんが、はやくいえばマレーシアをイランやサウジアラビアみたいにすることかな、というイメージです。

こういうイメージがわくのも無理もありません、というのはPASの取っている州政府の新方針が紹介されるたびにちょっとセンセーショナルに新聞報道されるからです。数年前の州選挙で州政府を握って以来、他の州ではちょっと考えられない方針を打ち出しそれを実施しています。いわく、遊園地のように男女がいっしょに座り合って遊ぶ遊戯遊具は禁止する、スパーマーケットで店内で流す音楽に西洋的要素をもった音楽は禁止する、スーパーマーケットの支払カウンター(キャッシャーの所)を男女用に分けなさい(事実コタバルではそうなっています)、などなど。もちろん休日はイスラム式の金曜日ですし、女性のTudung(スカーフ)着用率は田舎でなくても9割以上と思えます。クアラルンプールの繁華街をミニスカートとタンクトップ姿で歩いているマレー女性でも、クランタン州ではそんな格好では歩けないでしょう。

PASの攻撃先は単に西欧的要素を持ったことだけに限りません。非イスラム的要素をもった伝統的マレー民族芸能の幾つかをも州内で上演禁止したのです(以前、新聞の記事からでもお伝えしましたね)。カルチュラルセンターで観光者向けに行う芸能でなく、村村で芸人が行う伝統芸能です。このためかどうかは知りませんが、外国からのクランタン州への投資は全州で一番少ないのです。日系企業で農林水産を別にして製造業で会社工場をクランタンにおいている企業は極めて少ない(はずです)。

政府与党のPASへの批判

こういう方針に政府与党連合のUMNOは常にその極端なイスラム主義、原理主義といってもいいでしょう、を批判しています。いわくマレーシアは多民族複数宗教国家であるから各民族の融和が一番大事だということです。非マレー人与党政党の中心である華人の党MCA(馬華公会)はもちろんPASのやり方に反対で、時々辛辣な批判を投げかけてます。いわく、PASはイスラム至上主義を掲げてるのでもしPAS政権下になれば、非イスラム教徒である華人は第二級市民になるはずだと。

これはたいへんわかりやすい批判で、筆者も納得いく論理ですね。もし本当にPASが政権とればそれはイスラム至上主義の方針を実施しようとするでしょうからね。例えばイスラム法、シャリア法という、を非イスラム教徒にも適用するつもりだと言明していますから。

クランタン州民の意識

クランタン州では伝統的にPASが強く、これまでにもUMNOと州政府を取ったり(78年から90年)取られたり、さらには与野党連合を組んで共同で州政権を収めたことも一時期あります。でこういうPAS党が州政権を握る下地はどうしてクランタンにあるのでしょうか。これがよくわかりません。PASは公正な(と思われる)選挙で過半数を取り、堂々と州政府を握ったわけであり、州民もクランタン州が長年PASの本拠地であることからPASの思想方針をよく知った上でPASを選んでいるわけですから。

いわくクランタン州の州民は変化発展を嫌う、保守的である、伝統的価値観を崩そうとしない、西海岸州の都会に多い都市中流マレー人的な生活を好まない、UMNO流融和精神を持たない、などなど理由は考え付きますが、やっぱりよくわかりません。なぜってやっぱりそれは筆者がムスリムでないことでしょう。

クランタン州民の思想を理解するにはどうしてもマレーシア的イスラム思想がよくわからないと、無理じゃないかなと思わざるをえません。なぜならクランタン州は半島部では一番開発から取り残されており、インフラはずっと遅れ充分な産業がないので、多くの州民がクアラルンプールへのように西海岸の都会へ働きに出かけています。それに州民の所得は半島部では確か最下位クラスです。こういうことを知ると、”西欧的思想に毒された”私のような者には、とりあえずまず開発を進めねばならぬのではと思うのですが、州民の多くはそうは考えないのですからね。

イスラム原理主義者の捉える発展感

政府与党の大黒柱であるマレー人政党UMNOの地方幹部はこう言っています、「田舎の住民に発展についてあまりにも多くの間違った教えが言われてきた。そういう彼らには発展は”汚い”ことばなのです。なぜなら PAS党指導者は、発展はイスラムの教えに背くと言っているからです」 「PAS党の指導者にとって、市民社会は1400年前のメッカの複写品であるべきなのです。」

またクランタン州田舎のある住民は、「PAS指導者は、発展に向かうのが宗教的罪であるかのように、アラーの神の怒りを被るかのように表現しているのです。」 ただ「発展することの怖さがクランタン州の田舎の民にはずっと存在するのです。」

PAS党指導者は、発展に反対しているわけではないと反論はしています、例えばPAS州議会議員は、「発展に反対はしないが、西欧やそれに似せた政府与党 Barisan陣営が宣伝するような発展思想には反対する。」 西欧的思想を拒否した発展とはどういうものか、筆者には理解できませんが、例えそういうものがあるとしても、それは生活が便利になり、個人の自由平等が重んじられ、科学が進むといったこととは関係ないのかな。

「西欧によって宣伝されている発展は国民総所得や消費者物価やインフレ率で計られている。(そこには)ある人が一日に何回お祈りをするとか Zakat(宗教的寄付)をどれくらいしたとか、さらに社会、宗教にどれほどある人が寄与したかの指数はまったくありません。」とはこの人のことばです。こういうマレーシアの現状だから「宗教と倫理をビジネスが切り離された時、欲張りな規則と人々が汚職に対して盲目となるのです。」

こういう思想を理解するのは恐らくほとんどの日本人には不可能でしょうし、私も同様です。が知識として知って置く必要があり、彼らがそれを選ぶのならそれはそれで尊重はします。

クランタン州の別のUMNO幹部は、「PAS指導者は、州に意味ある発展をもたらすことのできない党の非能力さを理由つけているだけさ。金持ちであるからといって宗教的に罪であるなんてことはない。」 「PAS党はクランタン州を未発展のままに置きたいのです、なぜなら発展の結果いろんな知識を得ると、住民がPAS党を拒否するかもしれないから。」と痛烈に批判しています。

クランタン州は発展というものさしでは半島で一番遅れていますから、州首相の秘書でもそれは認め、「クランタン州が遅れているのはよく知られた事実です。でもサバサラワク州も、その豊かな自然資源に関わらず、発展していない。」というように言っています。尚サバサラワク州の”発展が遅れている”のは筆者も事実だと思いますが、その原因と理由はクランタン州とはちょっと違ったもののはずです。

以上上記の段落で「 」引用したのは1月4日付け英字紙The Starの記事から引用しました。

クアラクライの川辺にある住居

今回筆者が訪れたKuala Kraiの町は、中心部が華人商売人に握られたなんの変哲もないマレーシアの普通の田舎町でしたが、川岸に暮らす貧しい民家をみると考えさせられます。電気は供給されているものの水道はない浮式のバラックの家が岸辺に並んでいます。川が生活の全てみたいで、それはいいのですが、まあ家と呼ぶには気がひける状態であり、その家の回りは水に浮かぶゴミで埋まっており、人々は泥の川で洗濯をし水浴をしているのです。トイレは文字通り、”水洗トイレ”です。なにせ木で簡単に囲ったボックスの下は流れる川ですからね。その近くで水浴をしている若い男たち、たしかにこういう光景は東南アジアの田舎やスラムではおなじみの光景ですから、そのこと自体に筆者は驚きはしませんが、どうもマレーシアらしくない光景に感じられてくるのは、筆者がずっとクアラルンプールのような都会生活に慣れすぎたせいかも知れません。

クアラルンプールの発展が何を彼らにもたらすのか

クアラルンプールにKLタワーやペトロナスツインタワーが建とうが、KLIA新空港が開港しようが、マルティメディアスーパー回廊計画が進もうが、クランタン州の田舎の民に関係ないことはわかります。たしかに、世界の情報を捉えるインターネットの楽しみ、好きな時にすきなだけ使える電気と水、金さえ出せばなんでも買える高級ショッピングセンター、夜遅くまで酒と歌声に浸れるネオン街のパブやカラオケクラブ、ハリウッド映画みながらデートできる冷房映画館、西欧料理から中国料理までなんでもそろったレストラン、そんなことは筆者の訪れた Sungai Klantan川沿岸の住民にはまったく関係あり得ませんからね。

彼らにとって、忙しく時間に追われた生活、やかましく排気ガスにまみれた自動車社会は価値を持つことはないのでしょう。カラオケが無くてもブランド衣装を着れなくてもイタリア料理を味わえなくても、いいのです。そして変わることなくとうとうと流れる泥の川Sungai Kelantanのごとく、彼らの日々は流れていくのです。

生れて初めてクアラルンプール見物をしたクランタン州の田舎に住む中年住民のことばを最後に引用しておきましょう、「クアラルンプールの生活に慣れることはありえないです。あんな忙しくやかましい生活はいやだね。」



コタバルで金曜朝のPAS党の集会を見る


上記のコラム 「クランタン州の河川カンポン(集落)に思う」 を書いたのは2月頃ですが(掲載は5月初め)4月後半にも筆者はクランタン州の内陸部を訪れました。雨期の増水した頃の水位がぐっと落ちていましたが、川岸の風景、川を航行するボートに変化はありません。透明度ゼロのチョコレート色の川はとうとうと相変わらず流れています。

この時筆者は数年ぶりにコタバルで1泊しました。金曜日の朝9時ごろ中心部を歩いていて、びっくりする光景に出会いました、ある古ぼけた中程度規模のビルの周囲にすごい数の人々が集まっているのです、多くはコンクリートの道路に新聞紙を敷いて座りこんでいるのです。ビルの周りの大衆食堂にも人々はぎっしりと、そして人の数はどんどん増えていくのです。

そばにいる人に尋ねたら、このビルはPAS政党のクランタン本部だということで、毎金曜日朝ここに支持者が集まるとの事でした。それでようやく筆者にも事情がつかめたのです。PAS主催の毎金曜日朝のCeramah 集会なのです。

金曜日の礼拝のためにモスク一杯に、そして中に入りきれない人がその周りの道路でカーぺーっとを敷いて礼拝をするのは、都会のモスクならおなじみの光景ですが、イスラム政党PASの集会にこれほど多くのマレー人が集まり、それもビル内に入りきれない人々が周囲の道路を埋め尽くし、新聞紙に座り込んで熱心に演説を聞いている、その光景に驚いたのです。

決して動員されてきたようには見えません、寄付金の袋に人々は小銭(だと思う)を次から次へといれていますし、集まっている人の熱心な聴講の様子から自主的に集まったものでしょう。

9時半頃に州首相でPAS指導者の一人Nik Aziz氏が、公用車で現れました。新聞や雑誌の写真でおなじみのムスリム衣服に身を固めています。そくさと本部内に入っていき、演説が始まり、ビル外に向けたラウドスピーカーでビル周囲でも充分よく聞こえます。しばらく聞いてましたが、筆者には断片的にしか内容がわかりません。

ビル内部に入りたかったのですが、すでに人で一杯だそうですし、鞄を持っていたのであきらめました。それにしてもビル裏の小さな小路まで埋め尽くした人、見事に男女別に分かれている、と熱心な聴講に、これがPAS党のクランタン州での強さを示す一つの証拠でもあるのだろうと感じたのです。

クランタン州の新聞売り場、雑誌などを置いてある店、キオスクなど至るところでPAS党の機関紙 Harakahが売られています。一般誌である英字紙、中国語紙よりも容易に入手できます。そして実際よく売れているように見えます。

いやはやまこと西海岸州の雰囲気とは違いますね。マレー人社会に厳然と流れるイスラム至上主義それともイスラム保守主義というか、の姿に、筆者は改めて、西海岸の都会や離島のリゾート、それも確かにマレーシアの一面です、だけに焦点を向けたマレーシア社会紹介・論では不十分だなとの思いを強くしました。



数字で見たマレーシア、その 4


以前にも述べましたように、ある国の経済指標だけ見て日本と比べても、なかなか実態が見えてこないものです。でも数字は重要な指標であることには変りませんから、経済指標を知ることも大事ですね。(以下数字は99年発表経済白書から引用)

単純に円換算しないほうがいい

マレーシアの国内総生産を一人当たりに直すと、98年はRM11,835でした。98年は経済不況のため実質成長率は85年以来始めてマイナスを記録しましたので、1人当たりの国内総生産額も97年のRM12,051から下がったわけです。 99年4月初旬の円との交換率でRM1は約32円から33円ですから、このRM(マレーシア通貨の単位はリンギット、マレーシアドルではありませんよ)を単純に¥に直せば、円換算の一人当たりの国内総生産額が出てきますね。

ただRM3からRM4で屋台や大衆食堂で控えめな昼食がとれますし、市内バス代は大体RM1前後、クアラルンプールからペナン行きのバス運賃 RM19ほど、新聞1部 RM1から1.2、Tシャツ1枚 RM10からRM30、電話の基本料金 月RM20、理髪店 RM25ほど、牛乳1リットルパック RM3ぐらいです。こういう物価を知れば、円換算して即その生活程度を想像するのは間違っていることに気が付かれることでしょう。

民族別の世帯収入の差

あまり発表されない興味深い数字があります。民族別の月世帯収入です(各家庭の月収をリンギット表示)。

民族区分
95年
97年
実質伸び率(物価修正済)
名目伸び率
全国平均
2,020
2,606
10.2%
13.6%
ブミプトラ
1,604
2,038
9.3%
12.7%
華人
2,890
3,737
10.3%
13.7%
インド人
2,140
2,896
12.8%
16.3%
その他の民族
1,284
1,680
11.0%
14.4%
非マレーシア人
1,744
2,625
19.0%
22.7%


民族間の差が結構大きい事がわかりますね。華人がやはり圧倒的に他を離しています。
さらに都市部と非都市部の世帯収入には大きな差があります。そこで都市部を見てみると、

民族区分
95年
97年
実質伸び率(物価修正済)
名目伸び率
全国平均
2,589
3,357
10.5%
13.5%
ブミプトラ
2,159
2,769
9.8%
13.2%
華人
3,147
4,071
10.3%
13.7%
インド人
2,429
3,289
12.9%
16.4%
その他の民族
1,615
2,225
13.9%
17.4%
非マレーシア人
2,711
4,403
23.6%
27.4%


上の表は都市部ですが、全国平均でいうと、都市部が97年RM3,357 のところ非都市部ではRM1,704なのです。非都市部の世帯収入は都市部のそれの半分近くですね。この開きは95年よりもわずかに広がっています。

低所得世帯

重要なことですが、月収RM1500未満の低所得世帯の占める割合が95年の55%から下がったとはいうものの、97年でもまだ44%あるということです。つまり2軒に1軒は月収RM1500未満なのです。このクラスだと4万から6万リンギットする国産自家用車を購入して、毎月ローンを払っていくのはちょっと苦しいところでしょう。

参考までですが、貧困率というのがあって、97年は都市部も非都市部も貧困世帯数は減り、比率も全世帯数の6.1%に減りました。95年には37万世帯が貧困世帯であったのが97年には29万世帯に減ったのです。尚全世帯数は483万世帯です。これはマレーシア経済が90年以降一貫して伸びてきた結果を示す一端ですが、98年は経済停滞の影響を受けてこの数字が上昇し、全世帯数の7%が貧困世帯と見られています。

民族別の人口比率の変化

本とかホームページなどにマレーシアの人口が載ってますが、古い数字を使っているのが多々見受けられます。データはなるべく新しいものを使いたいものです。そこでマレーシアの人口です。

98年の人口は2240万人で2000年には2290万人になると予想されています。国民全体の出生増加率は幾分下がりましたが、依然としてブミプトラ(厳密な定義は多少違うが、マレー人と半島部及びサバ・サラワク州の先住民族をいう)が一番高く3.68%でした。華人は2.48%、インド人は2.60%でした。これによってブミプトラの国民全体に占める率は上昇し続けており、95年の61.5%から 98年は62.3%に増えています。華人人口比率は低下傾向がおさまりませんね。95年の27.4%から98年は26.8%に落ちました。かつて華人はマレーシアの3割以上を占めていたのですが、このままいけば2割5部になるでしょう。

インターネット普及はまだまだ

インターネットはどこでもこの数年急激に延びていますから、マレーシアでもその例外ではありません。親プロバイダーとしては2社しかありませんが、インタネットプロバイダー加盟者は95年の42000人から98年は10倍の42万人に伸びました。この内一般家庭からの利用者が6割を占め、ビジネス界の利用は1割強というところです。

マレーシアにとって日本は大貿易相手

ところで、マレーシアにとって日本は米国、シンガポールに次ぐ大貿易相手国です。尚この3国でマレーシアの総輸出額の半分を占めます。マレーシアから日本への輸出額は98年の総額の10.5%を占めました。日本が不況で輸入が減り、この比率は97年の12.4%から落ちましたが、それでもマレーシアの第3の輸出相手国です。マレーシアと歴史的つながりの強い英国へは総額のわずか3.6%なのです。マレーシアの総製造品輸出額の6割は電子・電気製品でその相当多くの割合が日系の電子・電気メーカーの製品です。これだけ見てもマレーシアと日本の経済的つながりは大きいのです。



テレビ番組にみるマレーシアと日本の比較文化試論


先月マレーシアを離れている間に日本で6日間滞在しましたが、かぜをひいて非常に調子が悪かった事もあり、数日間はビジネスホテルの部屋から出かけずにテレビを見て過ごしました。

筆者は昔からテレビはほとんど見ない主義でしたし、たまに日本に行っても宿泊場所でじっくりテレビを見る事はなかったので、これほどじっくり日本のテレビ番組を見たのは十数年ぶりというところです。そこでマレーシアのテレビとの比較をいろいろ感じましたので書いてみましょう。両国にお住みになった方ならすでに当たり前にご存知のことも多いかもしれませんけどね。

マレーシアのテレビチャンネル

マレーシアのテレビ放送局つまりチャンネルはマレーシアラジオテレビ公社(RTM)が経営するTV1、TV2,民間放送局のTV3が老舗です。その後できた放送局はすべて民営で、首都圏だけで放送されているMetroVisionと昨年開設したntv7があります。地方で見られるのは公共放送のTV1とTV2とそれに民営のTV3までで、場所によってはTV3さえも移りが悪い地域もあります。

こうみるとチャンネル数は、首都圏で5つ、地方なら3つ時には2つと少ないです。替わりにと言ってはなんですが、シンガポールに近いジョーホール州とマラッカ州の一部ではシンガポールテレビ局の番組が映ります。そこで英字紙ではシンガポールテレビ番組表をごく簡単に載せているのです。

一方タイ国境に近いペルリス州、クダー州、クランタン州、ペラ州の一部ではタイのテレビ放送が映ります。でもマレーシアの新聞の中でタイテレビ番組表を載せている新聞は1紙もありません。ここにも見られるのは同じマレーシアの隣国でもマレーシア人の興味対象、あこがれではない、はシンガポールにより向いていると言う現実です。

独自の地方テレビ局はない

さて日本の各局のチャンネルを回していて気がついたのは、朝だと実に様々な地方から映像が送られてくる、地方局のアナウンサーがその日の様子を伝えている、つまり地方のテレビ局から東京のキー局に映像が提供されているのですね。これは見ていてあまりあきません。

ところがマレーシアのテレビはクアラルンプールからの放映だけで、地方の支局が独自の映像を放送する事はまったくありません。クアラルンプールのスタジオからキャスターがたまにコメントすることはあっても、地方局のアナウンサーがその地方のある地を訪れてそこを紹介するなんて映像を見た記憶はありません(ひょっとしたらあるかもしれませんが、一般的ではないということ)。地方にあるのはRTMの支局だけで、地方独自の放送局は一つもありません。これは独自の地元発行英字紙と中国語紙が普及しているサバ州サラワク州へいっても同じです。

放送権はクアラルンプールが握る

番組の制作は中央つまりクアラルンプールが完全に握っているというところでしょう。地方にニュースになるできごととか行事があってそれをカメラが映す事はもちろんありますが、ニュースでもない普通の光景を映さない、例えばキャメロンハイランドから茶摘みの様子を映す、次にクランタン州の海岸から漁師の漁上げの様子を映す、そういうなにげない日常の紹介番組がほとんどないのです。マレーシアは各州の権限が日本の県よりも一般に強いのですが、ことが言論に関すると中央コントロールは強大です。いや州によっては中央のコントロールが緩んだら今以上に言論コントロールをするのではないかな、そんな所もあります。

人口が日本の6分の一ということもあるのでしょうが、もっと大きな理由は情報発信の自由化特に電波放送での自由に対して政府は極めてガードが固いのです。これはマレーシアだけでなく近隣のタイ、インドネシア、シンガポールも国の大小に関わらず、映像制作は中央が独占して放送しています。ですから首都ジャカルタから数千キロは慣れたスマトラの寒村でもジャカルタ制作放送しか映らないのです。

ニュースも言語別放送

ニュースはマレーシア語、英語、中国語、タミール語とそれぞれ放送時間帯が別に設けてあり、タミール語ニュースだけはゴールデンアワーを外れます。これはタミール語話者が他言語に比して絶対的に少ないつまり視聴者が少ないからでしょう。しかしどのニュースを眺めていても金太郎飴みたいで、内容にたいして差はなさそうです。ただマレーシアの名誉からいっておけば、毎日ゴールデンアワーのニュース時の放映時間の半分を国王一家のニュースでつぶすタイよりはましだということです。

ニュース番組では、何何大臣がどこどこの開会式や式典に出てこう述べた式の報道は毎日あるのですが、それのもたらす影響とか批判的意見に触れる事はないのです。例えば環境問題のニュースで保護派がその主張を述べる場が提供されません、交通事故において事故現場を映すがそれがなぜ起こったかを深く追求する姿勢がない、などなど筆者の理解するジャーナリズムとは程遠い内容で、どうひいきめに見ても政府の広報目的放送としか思えません。

さらに野党の指導者がテレビに出る事は全くないなど、欧米世界の報道に慣れた目にはもどかしさを感じます。ただ誤解しないでいただきたいのは、反・マレーシア政府の放送をしろといってるのでなく、ニュースという名前にふさわしい番組に近づいてほしいという願いからです。

日本に比してぐっと種類が少ない番組

日本のお昼の番組ってほんとバラエティーに富んでいますね。ふざけたタレントが次から次と出てきて、お遊びこころ一杯で会場の視聴者や出演者と楽しんでいる、あまりのおふざけに多少は反発を感じますが、面白い事は面白い。そして手を変え品を変え番組をあれこれと変化の富んだものにしている。さすが遊び心の普及した日本だと思いますが、こういう文化はマレーシアには育たないでしょうね。

夜のタレント出演番組に多少こういうスタイルをした番組はあっても、日中からのおふざけ番組はまったく存在しません、というより週末を除けば午前から又は正午から放送してる局自体が少ないし、その内早朝から放送しているTV1などNHKの教育番組以上に”硬い”ので、地方では娯楽要素を持った番組局が見られるのは夕方になってからというところも多いのです。日中はもっぱら無難な古い映画を流している局もあります。

日本の番組だとモーニングショーというかアフタヌーンショーというかスターの話題を追っかける番組が幅を利かせてますね。そういうことに疎い筆者にはちんぷんかんぷんで面白くもないし興味もわきませんでしたが、日本人って覗き趣味と言うかまことそういう話すきですな。マレーシアでもスターのゴシップとかは雑誌に出てますが、テレビで根堀り葉掘りこれでもかと放映することはありませんし、それが性的・政治的話題であればタブーになります。

視聴者と参加者のプライバシー意識

視聴者が参加する番組がありますね、クイズ番組を除いてこれもマレーシアでは少ない、ましてやしろうとが次々と出演して個人的自慢話やおのろけ、個人とか夫婦の秘密を暴露する、恋人のはなしを嬉々としてするなんて、マレーシアではまず考えられません。そういう個人ごとを不特定多数の前で公開する風潮はまったく広まっておりません。マレーシアはまだ基本的に村社会の慣習をひきづっているので、知ったものどうしではものすごくうちとけてオープンにするのですが、不特定多数の前でプライバシーをばらすというのは、きわめて異例です。(例えば、田舎のバスなどに乗ると運転中の運転手とながながとおしゃべりしている客がいるし、知った者にはものすごく気をきかせるという村社会の風潮が強い)。

ですからそういう番組ができたとしても参加者の反応はとても日本の視聴者ほどではないでしょう。ましてやシャイなマレー女性がテレビでボーイフレンドとの交友歴を披露する、想像すらできませんね。

ところでこういうプライバシー暴露ってなにか日本社会の異常な面をあらわす番組ではないでしょうか。(こう書くと反発受けそうですな)。ただ週刊誌類が政治家の裏の悪事・好事・ふるまいをたいした根拠もなく書くのは、こういう下地があるからできることなのでしょう、あらゆることは発表できるのだというね。その面ではプラスでもあるのです。

外国人スターは現れないCM

CMを見ていて即座に気がついたのは、主として米国の有名スターがよく現れるなとということです。マレーシアのCMで欧米の有名スターが出る事はありえません。華人やインド人に人気ある香港やインドのスターもめったに現れません。多分有名スターのギャラの高さにマレーシアのコマーシャルではそれがまかないきれないのでしょうし、マレーシア人純潔主義もその裏にあるのでしょう。それにしても日本のテレビって外人、今は欧米人だけでないようですが、好きですね。国際化が進んでいていいことはいいのですが、なにか筆者にはしっくりとしませんでした。単に今の日本についていけないだけかもね。

付け加えておきますと、マレーシアでも西欧風の顔とスタイルは好まれるようで、CMにそういう人、有名人ではない、が出る事もあるし、ファッションショーでは西欧的スタイルのモデルが多いようです。

忘れてはいけない言語事情

マレーシアのテレビを論ずる時絶対に知っておかなければならないことはマレーシアの言語事情です。99.9%以上の国民が日本語を日常言語とする日本と違って、マレーシアは多言語使用社会です。主要言語だけでも4つあるし、国語のマレーシア語がすべての人々の日常言語になっていないことから、電波放送であれ活字メディアであれそれぞれの言語別に対象者が限られます。ですから全国民的番組というのはできないのです。ドラマも歌謡番組も言語別にそれぞれ制作され、視聴者もその言語の話者が絶対的に多数なのです。、

ラジオはそれぞれの言語専門放送局が一般的ですが、テレビはラジオ局ほど数はないからそうはいかない、従って時間帯によってマレーシア語の番組、中国語の番組、英語の番組などとしています。この面では豊かな言語文化を持っている、母語尊重を実行しているという素晴らしい面もあります、ただそれが視聴者獲得の際には壁にもなるのです。尚ラジオ放送も地方独自の放送局はないが、公営のRTM地方支局が独自の放送をしている州もある。

近い将来も変わりそうにないテレビ放送

このようにマレーシアにはマレーシアに向いたテレビ番組のありかたがあるのですが、将来衛星放送がどんどん普及してマレーシア国外からのテレビ映像がどんどん家庭に流れてくるようになったら番組のあり方もかわるかもしれませんね。でも現在衛星放送はASTRO1社に限定し、規定以上の小型パラボラアンテナしか使用と販売を許されていませんし、その方針を変える見込みは望めませんから、将来という意味はずっと先の将来ということになるでしょう。



マレーシア社会の責任逃れ症候群を考える


筆者はマレーシアに何年も住み、マレーシア社会の中につかって暮らしているので、それなりに対処法と暮らし方を取得しましたから、いちいち小さなことを気にしないようにしてます。しかしそれでも腹のたつこと、いらいらすることはもちろんあります。

複合民族社会ゆえである?

その中で比較的よくあるとか、出会うのは、あることに対しての責任をすぐ他人に転嫁することです。これは日系企業で働いていらっしゃる方なら経験上よくご存知だと思いますが、マレーシアのどの民族にもこれは共通して言えますね。こういうことに対して一般的な答えは、マレーシアのような複合民族国家はまず自分を守り、相手との緊張状態を有利にする必要があるから、安易に自己の責任を認めることができない又は認めるべきでない社会だ、自己の失敗をいさぎよく認めることは美徳ではなく単一社会に近い日本とは違うのだ(日本は単一ではないけどそれに近いのは事実ですね)、というものです。

わかります、その答えの言わんとすることは。
なんであれ自分の責任や非を認めてはすぐ立場に響く、賠償責任につながる、自己にそんな権限はもともとない、自己の責任はここまででそれ以上は関係ない、同僚とはいえ他人のミスを自分の責任と考えることはできない、などといろいろその理由はありますからね。でもこれの裏には私の知った事ではない、関わりたくない、という意識も見え隠れしています。

相手の言い訳を良く取れば、あなたは本当に関係ないのだ、だから仕方ないのだ。それを悪く取れば、何をいっても言い逃ればかり、責任逃避だ、となりますね。

筆者のある経験

この間も筆者は、自分のでなく今はもう関係ない前パートナーの税金の件で税務署を訪れてある要件を伝えたのですが、帰ってきた答えは、以前聞いた答えと同じでした。同じようなことで筆者はこれまで何度か税務署に足を運んでいるのですが、いまだに税務署はその仕事ののろさとミス(というと言い過ぎだが)を認めず、善処するみたいな返事を繰り返していました。確かにその係官が彼女の担当かどうかは知りませんが、あなたはその同じ部署の一員でしょ、と皮肉を言いたくなりました。でも、”一応紳士たるIntraasia” もちろんそうは言いませんよ、「Tolongよろしくお願いします」とだけね。

例には困らない

ここで、コンドミニアムの断水に対して言い分けばかり、という見出しの新聞の記事から引用しておきます。

「Pandan Heightsコンドミニアムの居住民は4日間に渡る断水でスランゴール水道局に腹をたてています。ある居住者はこの4日間水道局の係員の言う終わりなき言い訳にいやになっています。「電話をするたびに電話に出るその係りは断水の理由をころころと変えるのです。」「最初は、パイプが壊れた。その次は配水システムに問題がある、そして水圧が低下したからだ、となった」「昨日は、コンドミニアムのポンプが充分働いてない、だから上階まで水が行かないのだ、と」

別の住民は、スランゴール州水道局は消費者に上水は充分にあるから心配ないと言っておきながら、配水に問題があるというのは理解できない、と言っています。」

以上6月12日付けのStar新聞の記事から抜書きです。

毎日同じような不満を載せる新聞

この種の住民のいろんな当局に対する不満表明記事は毎日毎日載ります。断水に憤慨、交通渋滞なんとかしてくれ、工事現場の無責任さ追求、違法ゲームセンター取り締まれ、違法ゴミ捨てを取り締まれ、浮浪者がうろついていて困る、アパートにいつまでたっても当局の入居許可が出ない、などなど生活に関わる多種多様な不満が伝えられます。新聞の社会の公器としての役割をよく果たしている点は充分誉められてしかるべきですが、それよりもよくも毎日同じような不満が発生するものだなと、あきれます。

そういう不満の記事を読むと、なんでこんな簡単なことがいつまでも解決しないのかと時に不思議になります。例えば道路に穴があいた、傷んででこぼこだなどの状態がもう1ヶ月も続いている、そんなことが多いのです。筆者の居住地区でもこれはしばしば起こってきました。道路が陥没して地下の水道管から水がもれてるのに半月程も直しにきませんでした。住民はあきらめてるのか、こんなものと最初から思っているのか、よくわかりませんなあ。

都市住民としての意識

しかし都市化で住民の権利意識が高まれば、こういうことにいつまでもあきらめ、知らんぷりはだんだんと難しくなり、上記のような苦情になるわけです。ここで不思議なのはこういう苦情を受ける立場の人も都会の住人だということです。人口数千人や数百人程度のカンポン(村とか部落の意)に住んでいるわけではありません。ですから都会の住民としての意識は持っているのではないか、と筆者は推測します。つまり、もし例えばです、その水道の苦情を受けた立場の人の住むアパートのエレベーターが壊れて1週間直しにこなかったら、その人はきっと管理する会社に文句を言うと思うのですが。

それとも壊れたのは神の仕業、そのうち直るでしょ、とでも思っているのでしょうか、そんなことはないでしょう。やはり住民個人としての不満を持ちそれを表明すると思うのですね。こういう意見に対して、いやそれはその苦情電話を受ける人は公務員だからさ、公務員は時間が来たら帰ればいいからね、といううがった見方をする人がいますが、そうではないですね。公務員が全部そんな人ばかりではないし、こういう責任逃れ言葉・態度をするのは、なにも公企業体に限ったわけではありません。私企業、店でもよく起こります。

友人のある経験

先日筆者は友人に付き合ってコンピューターショップにいきました。友人は買ったばかりのパソコンが最初からおかしい、CPUのスピード設定からして正確に設定できない、狂っているなどと言って、その店にその買ったばかりのパソコンを持ち込んだのですが、店の担当者の木で鼻をくくったようなひとこと、「今忙しくて見てられない、来週までにチェックしておくから、来週取りに来てくれ。」の一言で終わりでした。

筆者もずっと以前一番最初にPCを購入した時、使い始めてすぐ調子が悪くなったので電話で訴えたら同じような目にあったものです。こういうのはほんの一例でマレーシア滞在者なら一ツや二つこのような経験がおありだと思います。ですから公共企業体に限った態度だという論はまったく当っていません。

カンポン時代の意識では困る

さてこの責任回避症候群は複合民族国家だから、自己を守ために好むと好まざるをえずやむを得ないものでしょうか、民族間が緊張状況を醸し出し社会が不安定な時代ならいざしらず、現代の落ち着いたマレーシア社会はもうそういう論理は通用しないはずです。都市化が進むとどうしてもカンポン・村時代の意識を持ちこんでは都合の悪い事がおきてきます、ゴトンロヨンの助け合いの精神も薄れている都会で、明日なんとかなるから今日はがまんしたら、ということはもう通用しませんね。

筆者は感ずるのですが、このカンポン時代はよき隣人思いやり意識であった事、つまり他人を公然と批判したり自己の権利を声高高に要求しないことが、都会ではそのままあてはまらない、そういうことに人々は気ずいていないかまだ習得していない、という見方をしています。

カンポンではなあなあの関係を保つ事が美徳であった事が、都会では自己を保持する方向ばかりに働き、グループの一員としての自己責任を逃避する方向に働いているのです。

あやまる事は美徳ではない

もちろん筆者は、マレーシア社会がまず責任を認めてあやまる事が美徳になるべきだ、と言っているわけでもそれを期待しているわけでもありません。そんなことはカンポン社会にもなかったでしょうし、マレー人もインド人もそういう伝統を持っていないでしょうから、そういうことを期待すべきではありません。そうではなく都会に住む以上、都会人としての意識に変わることが必要であることを、人々に教育していかねばならないと考えるのです。つまり、マレーシア社会が全体としてそういう意識を持つ方向に自身で気づき習得し、それを人に伝えていくという事です。

今回はちょっとえらそうに文句を書いてしまったけど、まだまだ小さい事を気にしてるのかな。



日本のJICA提案のクアラルンプール都市交通計画提案に期待する


まず最初に次の新聞記事をお読みください。(The Star 6月18日付け)

クアラルンプール市庁が歩道プロジェクトを一次凍結

チャイナタウン一帯によりよい歩道を設けるプロジェクトが途中で止まっています。この建設を行っているクアラルンプール市庁はLeboh Pudu, Jalan Hang Kastri, Petaling Streetの3道路の歩道建設・整備のあと、このプロジェクトを一次凍結する事を決めました。それは市庁が日本のJICA(名称は国際協力事業団でしたっけ?)に委託して作成されたルート青写真が、政府によって承認されるを待っているからです。

JICAはすでに4月に "A study on integrated urban transportation strategies for environmental improvement in Kuala Lumpur" (クアラルンプールにおける環境向上のための都市交通計画の研究 −筆者の仮訳)を政府の担当大臣に提出しました。

「いくつかの道路は歩行者天国にすべく提案されています、我々は歩道をまた掘り返すなんてことをしたくないのです。」と担当大臣。政府が認めれば、「市庁は土管などの埋め工事を完成させるでしょう」 と。
「その地域の道路は一方通行道路にし、PuduRaya前のロータリーに信号機を設置します。」と市庁のスポークスマン。

クアラルンプールのチャイナタウンをJICAの研究チームが発展プランのモデル地域として選んだのです、なぜならそこはクアラルンプールでもっとも混雑した地域の一つだからです。一方通行は公共交通利用を高め、交通混雑緩和に役立つでしょう。また効果的な交通周回システムを持ち歩行者にやさしい環境を作るため、バスルートを組み直す提案もあります。

このプロジェクトが完成したら、チャイナタウン一帯は歩行者に安全になるだろうと、市庁は確信を持っています。

以上記事から翻訳

記事の背景を解説

この地域とはチャイナタウン、プドゥラヤとクランバスターミナル、コタラヤショッピングセンター裏のLeboh Puduからセントラルマーケットの先までの一帯のことでしょう。クアラルンプールでもっとも市内と郊外行きバスが集中し且つ一般交通もたいへん激しい地域です。そのため早朝から夜遅くまで自動車の騒音と排気ガスに満ちています。バス利用者だけでなく、チャイナタウンとセントラルマーケット・コタラヤショッピングセンターやバスターミナルという人気あり人の集合する場所を抱えてますから、人の往来の多さもクアラルンプールでも有数の地域です。旅行者も比較的多いのでこの界隈を歩かれた方もいらっしゃることでしょう。

この混雑と猥雑さは今に始まったわけでなくおそらくマレーシアが自動車社会になって以来のものでしょう。この地域を定期的に利用する人なら、この混雑と交通無法状態は何とかならないかと思っている人も多い事でしょう。この地域は筆者のアパートからバスで10分弱と近く、街へ出かける時の中継地になりますので、何百回いや何千回とこの地域を歩いています、ですから筆者もなんとかならないかと切実に思っている一人です。

昨年Lebuh( 小路)の美化の際狭い道路際のあちこちに出ていた屋台はコタラヤショッピングセンター横道などに集められました。しばらくはよかったのですが、今では流れ者的屋台がまた歩道に店を開いています。バス停はコタラヤ裏とセントラルマーケの横までの一帯に五月雨式にあり、バスの台数の方が道幅と道の長さよりも多くなり、朝夕には団子状に並ぶわけです。その間を自家用車、タクシーが突っ込んで来て混乱し、さらに悪いのはジグザグ運転と信号無視のバイクが状況を悪化させています。人々は車の間を縫って歩かざるをえませんし、もともと信号など気にしていません。この状態はプドゥラヤロータリーからチャイナタウン一帯までほぼ同じです。

筆者は数ヶ月前ある事情からこの一帯のバス停を中心にした地図を作成したのですが、クアラルンプールのバスに相当通じている筆者でも地図の作成に数日を要したほど、バス便は錯綜しています。地元の人は自分の乗るバスは知っていてもそれ以外は知らないし、バスルートの小冊子が出ているのですが、間違いが多くてあてにならず結局こつこつと自分で調べるしかありませんでした。

とにかくこの地域は交通法式を含めて大手術が必要なことは筆者も同感です。ですからこの新聞記事を読んで、大変期待感を持っているのです。

しかし、Intraasiaの話はこれで終わりません、ここからが本題です。

ことはそれほど簡単とは思えない

まずこれほど長年混雑し、人々も当然視している地域の交通状態が、一方通行の実施や歩道の整備を伴ったプロジェクトで一掃されるとはちょっと考えづらいのです。いくらルールを作ってもそれが人々の行動様式に合わない時、またはそれを守らない人が多い時、その新システムはうまく機能しません。

いい例が、昨年クアラルンプール市庁が様々の地域で実施した歩道美化プロジェクトとブキットビンタン街一方通行化です。Tuank Abdul Rahman通りのような大通りの多くの部分にきれいな幅広い歩道を作りましたし、筆者の住む下町地域の歩道も美化されました、でその結果どうなったか。確かに見た目はきれいで車道から少し隔離されたのですが、その歩道上を今だにバイクが駐車し歩行者の歩行をさまたげています。もっと悪いのはバイク乗りが広くなった歩道を前以上に走りまわる事です。あぶなくてしかたないのだ。(こう書くと、否私はバイクが歩道を走るのをみた事がない、とおっしゃる方がいらっしゃるでしょうが、もちろん24時間どの歩道でもバイクが走っている訳ではありません、しばしば走るということです、だからこそ危ないのです。車道のように24時間走っていれば、それに常に気をつけますからね)

美化工事後の状況

筆者の地域の歩道はその整備がやっつけ仕事なので、もうあちこちが凸凹です。それを市庁はあまり直さない、ちょうど公衆電話と同じで設置は多いのだが壊れてまたは壊されてそのままで使えるのが半分もない、というのと似ていますね。きれいに作り直した歩道のあちこちの敷石が惨めにはげたり、表面が波を打っています。

また広くなった歩道では禁止されている屋台が、または屋台とまで呼べないりんご箱ほどの台の上で物売りしている人が、いつのまにか商売再開しているのです。こういう物売りが増えれば当然美化などその次で、飲食物を捨てたり、料理時のゴミなどの問題が出てきます。市庁はときどき取り締まりますが、そんなことにひるむ彼らではありませんから、取締官がいなくなればまた商売再開です。人々はもちろんそういう屋台でも物買いしますから、違法屋台やこの手の商売人は一向に減らないのです。こういう現象はクアラルンプール中心街のブキットビンタンでもチョーキットエリアでも、プドゥ地域でもコタラヤ裏一帯でもそれほど対して変わりません。

計画実施の期待値と実現値の差

こういう現象を見慣れている又は経験上知っている筆者には、このJICA提案の交通プロジェクト完成ですべてがよくなる、ものすごく変わるとはなかなか信じられません。日本から来てか呼ばれたか知りませんが、JICAの交通問題の専門家の方々は、理論上のプロジェクト完成時の効果と現実にはそれがどの程度達成されるかを、よく押し図って計画を提案された事と思いたいです。

他国でプロジェクトを行う時は、まずその国の国民性つまり行動様式と慣習と考え方をよく知る必要があります。そうでないとせっかくの無償援助がまったく使われないという、よくNGOが批判する公的援助のプロジェクトになってしまいます。上記の場合は無償援助ではありませんが。

歩道を作ってもそれが歩行者の歩くためだけに使われずに、屋台商売人の商い場所となり、道の混雑を嫌うバイク乗りの近道と駐バイク場になるということを頭にいれて、ドゥローイングしなければならないのです。もちろんこのプロジェクトを依頼した市庁はいや、そんなことは起きない、違法だから市庁は取り締まると言うでしょうが、現実がそれを証明しています。筆者はいくらでも例を上げる事ができます。マレーシア人の行動様式を知っている者として、所詮そういう取り締まりは不徹底になり、例え取り締まりがあってもいたちごっこになるとかなりの確立を持って予想します。

現実に基づいたプロジェクトが望まれる

昨年クアラルンプールの中心地を含めて各地で行った歩道美化と車道拡張化が無駄であった、ということではありません。いい結果も多いと思いますし実際その恩恵を受けている場所も多いでしょう。しかしその程度が期待ほどには上がってないところもあるでしょう。それはプロジェクト自体が悪いのでなく、人々がそういう美化、法の遵守に従わないのが第一原因です、もちろんですね。

しかしマレーシア人の行動様式を知ればそういう結果になってもおかしくないというのが筆者の指摘です、ですからプロジェクトを進める時、工学上とか道路構造上だけから計画をくみ上げるのでなく、マレーシア人行動様式をあらかじめ読んだプロジェクトにすべきです。

例えば広い対向各2車線道路、対向車線間に高さ10センチ、幅50センチほどの緩衝地帯があるとします。所々に設けたUターン場所以外はUターンは禁止です。日本ならこれで問題は起きないでしょう。しかしマレーシアだとUターン場所が遠い、たかが数十メートル先でもです、この緩衝地帯を横断するバイクが絶えません。時には車もやります。もちろん違法です。車は別ですがバイク乗りがこの程度のことを警察官の目の前でしても違反切符はまず切られません、黙認です。歩道を走行する、バイクを引いて歩くのではない、バイクを見ても警察官がそれを停める事はまずしません、少なくとも筆者はそういう現場にお目にかかった事がありません。

コイン式駐車料金課金廃止で何が起こったか

これが現実です。また別の例を上げましょう。数年前からクアラルンプール市は市内のほとんどの道路脇のコイン投入式駐車場、つまりちょっとひろい道路の左右またはどちらかに場所を確保して、駐車させる仕組みを廃止しました。市内から自動車を減らして交通混雑緩和を狙ったものでしたが、その目論見は完全に失敗。今でも同じ場所に自動車が駐車しています。

コイン投入式駐車機は撤去されたので無料のはずですが、現実はそうではありません。Jaga Keretaと呼ばれるごろつきどもが、駐車する人から勝手に料金徴収しているのです。場所によって違いますが1リンギットとか2リンギットです、本来無料になった、駐車そのものは違法かもしれないが、のに車を停める人は金を払わざるをえません。相手はごろつきです、要求される金を払わなければ停めてる車になにされるかわかりませんからね。これに不満を訴える声は高いのですが、市も警察も定期的に取り締まれません。なにせ相手はその姿を見れば逃げ得るし、数は抜群に多いのです。筆者の地域など早朝から深夜まで、数十人の勝手に駐車代徴収人が”働いて”いますよ。

つまり道路際の駐車スペース廃止と禁止は何であったのかと思わざるを得ません。

こういった例をあげたのはクアラルンプールの現状に詳しくない読者がほとんどだからですが、これも現代マレーシア社会の一面でもあるのです。

マレーシア人の行動を頭に入れて計画を立てるべき

筆者の主張はこうです。どうせ完全に取り締まりなどできっこいないのだから、どうせ交通法規遵守できないのだから、それを逆手にとってプロジェクトを練り、進めるということです。例えば上記の対向4車線の道路の違法Uターンの件です、Uターンできないように対向車線関にブロックを並べる、緩衝地帯の高さを50センチほどにするというものです。実際こうしている道路もありますよ。それが無理ならなまじっかUターン禁止などせずにどこでもUターンOKにすればいいのです。

歩道のバイク駐車と走行に関して言えば、歩道に全部柵をつけ、出入り口の幅を人間が1人だけできるぐらいにするとか、車道と歩道の境の敷石をぐっと高くし、敷石部を3段ほどの階段状とでもするのです。そうすればバイクの屋台も歩道に乗り上げられませんからね。バス乗り場は乗客の我先現象をふせぐため、渦巻き場の並び柵を最初から作るのです。乗客は行儀よく並んで乗車するなんて最初から期待しない事です。ついこの間開通した高架電車LRTの乗客の振る舞いを見ておれば、乗り物が最新式になったからといって、その振る舞いは変わらないのです。バスがバス停でないところで客を降ろし、乗せますから、整列して待っていても列が崩れます。これはコタラヤ一帯は典型的です。でしたら道路にバスもバス用の柵を作り順番に入線するようにするのですね。

バス・タクシーレーンがクアラルンプールに設けられてすでに2年近いのかな、今ではそれを守らないバス運転手の方が多い現状を見れば、法規遵法精神を訴えても無駄です。そうせざるを得ないような方策を施すべきです。

例えば住宅地や学校があるような地域では、その前の道路では車のスピードを落とすべくなっています。単なる道路標識でなく、道の数個所に緩い盛り上がり、高さ20センチから30センチ、を設けてあるのです。これがあれば車、バイクの運転手はいやがおうでもその手前でスピードを落とさざるを得ません。これなどマレーシアが自身をよく知っている例です。スピード落とせのサインだけでは所詮役にたたないことを知っているからでしょう。

こういうことをもっと他の交通規則施行、都市計画にも応用すればいいのにと筆者は時々思います。

新交通システム完成を待ちましょう

JICAの交通問題専門家の方々はどのくらいクアラルンプールに滞在されて街を歩き、人々の行動を観察されたか、筆者はもちろん知りませんが、こういう現状を踏まえた上で、それを充分承知した上で、彼らはチャイナタウンとその近辺の交通システム発展計画を提案されたことでしょう、筆者はそう信じています。そして横暴自動車・バイクが減りバスの流れがスムーズになるようなこの地域の新交通システム完成を心待ちしていますよ。



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