「今週のマレーシア」 1999年3月と 4月のトピックス

飛躍的に向上したクアラルンプールのバスと高架電車網 ・ F1サーキット完成と愛国の関連性
新聞の記事に加えたコメントに対する読者の批判と筆者の立場民衆のアセアン連帯意識はあるのだろうか
異論のあったマレー映画ついに公開されるマラヤ大学へ語学留学中の日本人に聞く
料理法知らずのマレーシア料理案内と勧め一夜漬けで覚えるマレー料理の注文法   ・インターネットカフェ最近事情



飛躍的に向上したクアラルンプールのバスと高架電車網


クアラルンプール(KLと略称する)及びプタリンジャ( PJと略称する)の公共交通網が著しく整備されたのはこの数年です。2年半ほど前から冷房車両のIntrakotaバスが街を走るようになり、同時に他のバス会社も少しずつ冷房車両を増やし始めました。当時KLとPJの乗合いバスの主流はまだミニバスでした。定員20数人乗りのミニバスは小回りのきくことをいいことに、街を文字通り縦横無尽に走っていました。便利といえばこれほど便利な乗り物はなく、値段の安さ(1回60セント)と便数の多さで、快適さを無視すれば KLと PJの中心部の大概の場所へは安く且つ容易に到達できたのです。

ミニバスはなぜ廃止されたか

反面、ミニバスは小会社か個人経営がほとんどで、そこに雇われた乗務員である運転手と車掌が歩合制の給料であったため、客サービスは2の次ぎ、とにかく乗客をたくさん詰め込み、早く目的地に着くことだけを頭において運行されてましたから、運転の荒さは相当なもので、交通法規の無視は日常茶飯事でした。そのため多くの利用者のみならず市民からもたえず非難を受けていました。

加えて、ミニバスは決められたバス路線から外れて走行することがしばしばあり、慣れてない乗客に不満を与えたのです。尚この決められたルート外しは運転手によって頻繁かそうでないかは違いますが、タクシーのように勝手に好きな路を走ると言う事でなく、次又は次の次のバス停へ行く場合、その路が混んでると、手前で曲がったり別の路を使って次のバス停へ行くわけです。又は次のバス停の近くを通るだけで、次の次のバス停へ行ってしまうのです。このようにルート外しにもその運転手なりのルートがあるわけで闇雲に走っていたわけではありません。乗客は自分が慣れた路線ならルートを外されても不便になることはあっても戸惑いませんが、知らない路線に乗った時目的地のバス停に停まらないのはたまったものでありませんね。

なにはともあれ乗合い路線バスが勝手にルートをはずすのは許せませんから、こういう悪慣習はいずれなくなるべきだと思っていましたが、ミニバスが消えたことでそれはなくなりました。

これ以外にも、乗務員の制服がないから誰が車掌かわからないとか、運転手が運転中にタバコ吸ったり、ビニールの飲物を飲んでいる、大音量でカーステレオ・ラジオをかけて乗客のことを顧みないなどの苦情や不満がありましたが、この種の苦情はマレーシア人なら半分はあきらめるしかないものでもあります。なぜなら禁止された場所でタバコを吸う、運転中に携帯電話するのは普通の市民自身禁止されている事を知りながらやっているし、大音量でラジカセステレオを家で深夜まで響かせているのは、そういう乗客自身でもありますから。

こういう運転の荒いちょっといい加減な乗合いバスの運行に慣れていない、又は始めから慣れようとしない在住外国人はミニバスを毛嫌いしたりまったく乗らないわけです。乗らないからわからない、わからないから乗らないの繰り返しで、結局あれは自家用車の持てない貧乏なマレーシア人が乗るものだというような偏見を持つ人まで出る始末でした。確かに低所得者層が乗客の中心ですが、全部そうではありませんでした。

何であれ利用することが大事

筆者はそれまでに東南アジア諸国でこういう種のバスには十年近く乗り慣れてましたので、初めてクアラルンプールでミニバスに乗った時別に驚きも戸惑いもありませんでした。安くて(当時は50セント)路線数と便数が多く手軽な交通手段としてたいへん便利な乗り物でしたので、休みの日とか会社が早く終わった時(当時は日系企業に勤めてました)などには地図片手にクアラルンプールとPJのあちこちに出かけたものです。こうやって街を覚えていったのです。当時100路繊近くもあったミニバスの全路線制覇を目指したぐらいです

よくバスは路ががわからないから乗れないと言う人がいますが、路がわからないからバスに乗って路を覚えるのです。10回乗り降りしてもRM5ですから、これほど街を知るのに都合のいい乗り物はありませんでした。もっとも自家用車があればそれはまた話しは別ですけど。

発展がミニバスを必要としなくなった

しかしクアラルンプールという街を、マレーシアという国を、だんだんと知っていくにつれ、こういう荒くていい加減なミニバスは消えていくべきだなと思い始めたのです。それはマレーシアが発展途上国からの脱却を図りながら、同時にクアラルンプールが首都として交通網と道路整備に並み並みならぬ力を注いでいる事がわかり、もうクアラルンプールではミニバスのようなスタイルのバスはなくなるべきだなと思ったわけです。都市が発展し社会秩序が構築されていけば、どうしても旧来のあり方を改める必要にせまられます、その一つがミニバスでした。

ミニバス廃止が叫ばれてすぐKLとPJからミニバスが消えた訳ではありません。当然ながら運行会社、従業員から反対はでましたし、当時その代替えになるべく Intrakotaバスもまだ路線がずっとずっと少なくて、一挙にミニバスがなくなったら利用者を一撃する事があきらかでしたから。それに高架電車もまだ建設中であり、それに市民は電車の便利さを全く知りませんでした。電車そのものが存在しなかったから、電車の便利さを実感できないわけです。

そんなことからミニバス廃止が決行されたのは、予定より1年半以上も遅れた98年4月のことでした。それまでにはミニバスの代替として当局の肝いりで登場したIntrakotaバス路線も大分増えており、且つ市内と近郊運行バス最大手のCityliner(運営会社はParkmay)も冷房の新車両を続々と導入していました。またその他中小の市内と近郊バス会社はIntrabasuに統合されることになり、冷房のない旧車両のままの路線運行を止めていきました。

クアラルンプール一帯のバス網は優等生

こうしてクアラルンプールとプタリンジャヤの道路からあの悪名高いミニバスが完全に消えてまだ1年足らずですが、KLとPJのバスサービスは飛躍的に向上しました。IntrakotaバスとCitylinerバスは全部冷房車両で、この2社でKLとPJの大抵の路線はカバーしています。それ以外に比較的本数の多いMetro バスが元長距離バスのお古を使って市内の一部地域をカバーしています。冷房車両でない旧型車両バスを使っているのは小会社のLen Sungなどのごく一部だけです。

運賃は、Intrakotaは一律90セント、Citylinerは行き先によって違い、どちらも釣り銭はもらえません。Intrakotaと Citylinerはそれぞれ料金支払い方として現金以外にもプリペイドカードを提供していますので、小銭用意をする面倒が省けます。ただマレーシア人はまだプリペードカード方式に抵抗があるらしく多数は依然として現金支払いです、またプリペードカード購入場所がきわめて限られている事です。

バス停は市内ならほとんどが、停留所としての小屋が設置されているか、目印が建っていますから、迷うことはありません、ただバス待ちの人が少ない場合、乗客は乗ろうとする意志を示さないとバスは停車しませんよ。

バスの路線は前面上部に路線番号と最終行き先がはっきり示され、且つ Intrakotaバスならほとんどのバスは前部側面の窓ガラスに主要なる行き先が5つほど書いてありますので、場所名を知っていれば初めての路線でもそれほど難しい事ではありませんが、細かいバス停とか目的地は運転手に尋ねるしかあません。

このようにKLとPJのバス路線は東南アジアの大都市の中では優等生クラスのバス網となりました。時刻表はもちろんありませんが、Intrakotaバス運行の頻度が示してあるバス停もあり、乗客へのサービスをよくしよういという意気は十分感じるのです。もっとも運転手の中にはいまだに荒い運転をしたり客とおしゃべりしながら運転している者もいますが、これらはある意味ではしかたないことで、あきらめるしかありません。


マレーシアの誇る高架鉄道 (LRTと略称する)運行

96年12月に第一路線が開通したSTAR LRT高架電車は少しずつ乗客が増え、今では朝の通勤通学時間は混んでいるのです。STAR運営路線は98年9月に途中から枝別れした Bukit Jalil路線が増え、さらに昨年末にはMallショッピングセンターを近くを通り Sentulまで路線が伸びました。これでSTAR運営の予定路線はすべて開通し、現在6両又は8両の車両で朝6時から夜11時半すぎまで運行されています。

STARとはまったく別の公団PUTRAがプタリンジャヤとクアラルンプールのセントラルマーケットを結ぶ路線を98年8月から運行開始しました。こちらはPUTRA LRTと呼ばれ、まだ予定路線が全線開通していません。

こちらは車両がずっと小型サイズのわずか4両編成で、運転手のいない全線無人自動運行です。いつ乗ってもがらすきの高架電車ですが、設備とサービスは間違いなく1流です。いうまでもなく運賃がバスに比して高い、2、3倍程度、と駅が少し乗客の需要地をはずれていることがその理由ですが、こういう乗客のちゅうちょ傾向も、現在建設中の、セントラルマーケットからクアラルンプールを横断して郊外のWangsa Majuまで伸びる路線が近い将来開通すれば、乗客数はずっと伸びることでしょう。それまではがらすきの乗車を楽しみましょう。

尚Putra LRTの場合主要駅では、駅から近郊街を巡回するシャトルバスが電車運行時間中運行されており、これは優れたサービスです。LRTの高運賃とはうって変わって、バス代わずか50セントという低運賃です。PUTRA LRTはいたるところに最新式の設備を取り入れ、切符はタッチスクリーン方式で料金が表示され、そこで始めて料金投下となります。このやり方は一見親切に見えますが、一人一人に時間がかかるため大量の乗客を扱うのには向いてませんが、現在の乗客数なら十分間に合うのです。

両方の高架電車も朝6時ごろから夜11時半過ぎまで運行されており、時刻表はありませんが電車を待つのにそれほどくにならない10分以内の間隔で運行されています。改札はすべて自動改札機を使用しており、さらに両LRT高架電車はそれぞれプリペードカードを導入していますが、互いの互換性はないのです。ここが残念なところです。

旅行の際には電車、バスも試してみましょう

LRT高架電車はどちらもたいへんきれいで快適且つ駅舎もよく手入れされており、ゴミも落ちていないのです。繁華街の汚い裏町を知るものにとっては「やればできるじゃないの」と言う気を強く感じさせます。クアラルンプール旅行の際には是非高架電車を有効に使って街見物してください、高架電車から郊外の風景を見るだけのためにLRTに乗ってみる価値あります。

そしてバスや高架電車の車内では、乗客のしぐさや振る舞いを観察してください。例えば車内で、特にバス車内では、新聞など書物を読む人が全くいない、電車では吊革につかまりたがらない、幼児・子供を平気で座席に靴のままで上げ遊ばせているなど、日本とは違うのだなと感じますよ。

クアラルンプール旅行ではバスや高架電車を街歩きの中に入れてくださいね。乗り間違えても慌てない、そんな気持ちでいれば、旅行が少し幅広くなるかもしれません。

追記:バスの下車法

バスの車中で、次の駅はどこどこなどという車内放送はもちろんありませんから、降りる場所は自分で判断します。地図で目立つ場所を目標値に設定してそこをすぎたら降りるとか、周りの乗客に尋ねるとかしてください。運転手またはもし車掌がいる場合は車掌でもいいです、に降りる場所を頼んでおくのはいいですが、あまり早くから頼んでおかないほうがいい。忘れられてしまうからです。尚クアラルンプールの地図でバス路線を精細に示した地図は販売されていません。

バスから降りる時は、車内に取り付けられたブザーを押してください。IntrakotaバスもCity Linerバスもわかりやすい赤色のブザーが車内に何個所も取り付けられています。その他の古いバスでもブザーは付いてますが、ちょっと見にくくなっています。他の乗客の動作を見ていればわかります。バスを降りる時は必ず出口で左方を確認してください。乱暴なバイクがバスの横を走りぬける事がたまにありますから。

高架電車LRTの場合は、車内放送も軽く1回あり、且つ路線図も車内に張られています。駅によっては無料の路線地図パンフレットを置いているところもありますから、それを入手してください。いずれにしても駅数が少ないし、ホームにも駅名が書いてありますから、下車にまごつくことは少ないでしょう。



F1サーキット完成と愛国の関連性


マレーシアはまだ若い国です。1947年にFederation of Malaya として英国から独立し、1963年になってようやく現在のマレーシア、つまり半島部とサバ州、サラワク州、それに当時のシンガポールの4つがマレーシアという国を形作ったのです(シンガポールは65年にマレーシアを離脱)。ですから完全に現在の構成・枠組みになってまだ40年にも満たないのです。それ故マレーシアは、日本と同じようなやり方とペースでなく、若い国として国の整備、統一、経済発展などに邁進しなければならないことはよく理解できます。そのうえマレーシアは多民族、複数宗教の国ですから、国の統合性維持に並々ならぬ力を注がなければなりません。マレーシアを語る時は、こういうことは常に頭においておく必要があります。

でそういうことは充分わかってはいるのですが、時には理解できないことに遭遇するのです。その一つが愛国心鼓舞の過剰さです。もうあらゆる機会をとって、Cinta Negara愛国を強調、訴えるので、筆者のように”愛国”を一歩離れて考える、文字通りにとれない者には、いささか辟易します。こう書くと”愛国”の日本人読者から反発されて「お前は反日本か」と言われそうですが、これは筆者の学生時代からの一貫した立場ですから致し方ありませんね。”愛国”という” ”付きの意味に対してですよ。

愛国ヨットマンの単独世界1周

今マレーシア人の元船員が単独ヨット世界1周航海に出ています。ランカウイからマハティール首相をはじめとして多くの人に見送られて出航したのは、99年2月初めでしたが、その行為自体が愛国行為だと宣伝され、そのヨットマン自身も、マレーシア人でも単独ヨット航海はできるんだお国のためにやるんだ、ということを出発前にしきりに述べていました。ヨットの名前からしてマレーシア国旗名の Jalur Gemirang です。首相の見送り演説もそんな調子でした。いわゆるマレーシア人もできるんだ ”Malaysia Boleh”というやつです。

筆者は冒険ということにはたいへん理解ある人間だと自分を思っています、子供の頃から冒険の本はたくさん読んだし、アムンゼンの南極大陸横断とかリンドバークの大西洋単独飛行、日本人の近いところでいえば堀江健一さんの単独ヨット太平洋横断とか故植村直巳さんの山登りなど、冒険家の行動を賞賛しあこがれたものです。ですからこのマレーシア人ヨットマンには、個人的心情としてたいへん応援し成功してもらいたいと願っています。

しかし冒険とはある個人がまたはグループが危険を冒して個人の好奇心と冒険心を満たすものであり、その結果として有名になりたいということだと理解していますから、冒険行動に愛国心だの国家のためにという目的、本心か建前から知りませんが、が絡むとどうも胡散臭さを感じてしまい、心から応援する気になりません。それが今回のマレーシア人ヨットマンのマレーシア初の単独ヨット世界1周航海なのです。

なぜこのヨットマンは自分の冒険心を満たすために航海にでると言って航海にでなかたのでしょうか、スポンサーがそれでは納得しないのでしょうか、それではマレーシアのマスコミが見向きもしないからなのでしょう? それとも心から国のためにやっているのでしょうか?本当の事はもちろんわかりっこありません。そういうことの詮索が筆者の興味でなく、そういう発言と行動に一介のヨットマンを駆り立てる背景に興味があります。

登山隊が愛国心を鼓舞

先年マレーシアの登山隊がマレーシア初のチョモランマ(エヴェレスト)登頂を果たしました。これはマレーシア政府も応援して資金を出しており、ヒマラヤへの出発時から公的マスコミの応援があふれていました。そして初登頂に成功登頂した2人は帰国してヒーロー扱いでした。ヒーロー扱いそのものはいい、それに見合う事を成し遂げたから。しかしそれがマレーシア人にもできる Malaysia Bolehという国家の標語に重なっているところに、やりきれなさを感じたのです。マレーシアの登山人口なんて微々たるものです。日本のように一般登山愛好家向けに有名雑誌が2誌もあるとか、山岳クラブが何百何千もある状況ではありません。職業登山家は、筆者の知る限り一人もいません。周囲にハイキングでなく登山愛好家を探す事すら難しいのです。そんなマレーシア登山界の状況で、国家プロジェクトとしてチョモランマ初登頂を目指し、外国の登山家とシェルパに多大の助けを得ながら初登頂を果たしたわけです。

そういう舞台裏と背景を一般国民はきづかず又はよく知らされず、マレーシア登山隊もエヴェレスト登頂できたんだと喜び且つ為政者とマスコミは国民を鼓舞したわけです。ヒマラヤ登山活動ニュースに多少でも詳しい方ならエヴェレスト無酸素単独登頂でさえ今では大きなニュースにならないほど一般化したことなのに、近代装備に身を固めかつ大シェルパ隊で登頂したマレーシア隊は、国では大ニュースでヒーロー歓迎です。愛国活動からの登山活動なんて20世紀前半の出来事かと思ったのですが。その当時マレーシア国民と政府のとった態度に世界との落差を筆者はしみじみと感じました。まあ、あえて批判はしなかったのですが。

その後、マレーシア隊、確か軍人だったと記憶してます、が北極点に落下傘降下した時も、Malaysia Bolehがマスコミと政府の論調に響きました。熱帯の国のマレーシア人が厳寒の北極点に達したということですが、今や金さえ出せば一般人でも北極に行ける時代ですから、その大袈裟な愛国主義と冒険と似ても似つかぬ偽冒険を称える論調に大きな違和感を感じたものです。

マレーシアでF1レース

3月初めにスランゴール州の Sepangに自動車レース用のサーキットがオープンしました。名前を Sepang F1Circuitというように新空港KLIAのごく近くにあります。この完成によって99年10月にはマレーシアで初のF1 レースが開催される予定です、というよりF1レースをマレーシアに持ってくるためにこのレース場を建設したのです。発案者はいうまでもなくマハティール首相であり、その号令のもと約15月の工期で完成させたといわれています。

筆者は始めこの計画を新聞で知った時、なぜマレーシアでF1レースと奇妙に思ったものです。それは筆者自身が別にF1グランプリに興味がないからだけでなく、マレーシアで一般のF1熱がそんなに高いものではないことを知っていたからです。マレーシアの若者に人気あるのはモータバイクの世界グランプリで、マレーシアはその開催国の一つとしてシャーラムサーキットで毎年レースを催してきました。モーターバイクレースに人気があるのは、クアラルンプールが東南アジアの大都市で一番バイク保有率が高いということもあり、バイクの保有率が極めて高いということが一番の理由でしょう。尚この世界モータバイクグランプリは今年4月この Sepang F1サーキットで開催されます。

世界にマレーシアを知らしめる好機

で巨額の資金を導入して建設した新サーキットは何を狙っているのでしょうか。F1サーキットが行われて観光客がマレーシアに来ることによる経済的波状効果が一番の狙いでしょうが、その裏にあるのはマレーシアを世界に知らしめようということです。マハティール首相は言っております、「サーキットはマレーシアの発展する自動車産業にも貢献する。観光産業にも貢献しその広告効果による収入は見逃せない。20億人の観客がこの10月にマレーシアに注目するのです。」「F1レースを開催できる事はマレーシアがその世界的レースを開催できると世界に示す絶好の機会です。」と。

これでおわかりのように、マレーシアという国を世界に知らしめる、マレーシアはF1レースも開催できる発展した国であると世界に知ってもらおうという発想です。マレーシア人自身も認めるように、西欧諸国や米国から見ればマレーシアは無名の国でしょうから、F1レースのように世界中で何百万人か何千万人かの観客がテレビ観戦する、これはマレーシアの存在を世界にしらしめる絶交の機会というわけです。

たしかに F1レースはマレーシアを売るためには絶好の機会でしょう。それをテレビ観戦していくらかの外国人がマレーシアを後日訪れるかもしれません。マレーシアの発展ぶりを見て、マレーシアに投資しようという人が生れることもあるかもしれません。それは否定はできません。今更名前を売る必要のない日本という観点からだけ考えると、F1レースで名前を売るのが目的なんて、となりますが、どこにあるか知られていない”小国”がこれほど多くの観客を引きつけるのは、オリンピックとかワールドサッカーを除けば数少ないですからね。RM3億の投資は何回もF1レース中継されればもとがとれるのかな。

見事に為政者の立場から計算されたF1サーキット建設です。国を代表する立場にあるマレーシアの為政者としてならこれは賞賛すべきかもしれません。マレーシアを”愛する”人ならば、これに賛意をしめしサーキット完成を祝いF1レースを応援すべきだというところでしょう。

Malaysia Bolehを具現化

こうやって3つの事例を示しましたように、マレーシアを世界に示す、マレーシアだってできるんだ(これをMalaysia Bolehという)という考えを具現化するために、為政者は並々ならぬ努力を払い、それを国民に植え付けようとしています。国民の多くもそれを肯定的に受け止め、Malaysia Bolehキャンペーンを支持しているように見えます。F1サーキット建設も、エヴェレスト登頂者を賞賛し、ヨットマンの単独航行を応援することも、バドミントンの世界大会で優勝を争うマレーシアチームをこぞって応援するのと奥では通じているものがあるでしょうが、なにかすっきりとしたものを感じないのは筆者がマレーシア国民でないからなのでしょうか。

”愛国”は一つの形だけでない

こういう例に見られるように国を愛するという行動をストレートに示す事は奨励され、為政者に好まれますが、例えば、”ラワク州に建設中のバクン水力発電プロジェクトは環境と先住民族に多大の影響を及ぼすからそれは長い目で見れば国に悪い影響を与える事になる、だから国を愛する故にハンタイなのだ” という発言や発想に対しては、為政者からマスコミからそして多くの国民からは指示を得るのは難しいことになります。そういう開発は国の占有事項だ、西欧の環境保護運動に呼応してマレーシアの発展を妨げるとは何ごとだ、という発想ですね。

マレーシアであれどの国であれ、国のためにとか”国を愛する”行動にもの申すと、「お前は反国の思想を持っている」と批判され、烙印を押されやすいものです。”国を愛する”思想とその現われである行動と表現には、様々な形があるということを多くは理解してもらえません。特に若い且つ統一を至上の目的とするマレーシアのような国では難しいですね。国家という存在を考えると、リベラルだと見られている人でも、時には”愛国的”になりますから。

付録:下記はホームページ巻頭に書いたものの再録です

このマレーシア初のフォーミュラ 1カーレースにも使えるサーキットが完成したのは98年暮れです。場所はKLIA空港のあるスランゴール州の Sepangで、空港から3.5Kmほど離れているそうです。例に依って残念ながら、一般公共交通手段のサービスがないので、筆者はまだ実物を見た事がありません。しかし記事によれば、RM2億9千万もかけ、森の中に作られた世界最新のレーシングサーキットだそうです。世界のモータースポーツ関係者からは、その最新設備とユニークなデザインで賞賛を浴びていると、新聞は自賛しています。

1周5.5Kmのコース中、ハイスピードで追い越しも可能な直線コースが2個所あるため、メイン観覧席がV字型、つまり2重正面観覧席になり、収容人員数3万人です。その他自然席は10万人ほども収容できるとか。しかしこの最新レースコースも今年は2大イベント、ワールドモーターサイクルグランプリと F1カーレース、以外に大きなレースが予定されていません。SICの総支配人は、「サーキットを造るのは問題ないが、そのサーキットを1年間通してレースに使うのは難しい。」と言っています。尚レーシングサーキットとは別に1周1.2Kmゴーカート場も作られています。

これだけの施設を有効に使うことは、Bukit Jalilに昨年造った大スポーツ施設をフルに利用してもらうよりも難しそうですね。ありそうなことだと思います。いずれにしても今年10月のF1レースはマレーシアから中継されることになるはずです。F1ファンではない筆者も期待しています。



新聞の記事に加えたコメントに対する読者の批判と筆者の立場


3月10日の「新聞の記事から」の記事”企業がマレーシアに期待するものはなにか”を掲載した際、筆者はその記事に対するコメントの中で多少過激な「一部日系企業人の傲慢な発言」という用語を使いました。それを掲載すれば読者から反発があるかもしれないな、と筆者自身ある程度の予想をしていました。

この予感が見事にあたって、ある在マレーシア日系企業の経営に長年関っていらっしゃる在住日本人の方から批判のメールが届きました。さらにその後別の読者が「ゲストブック」に批判と意見をお書きになりました。

そこでそのメールに答えた筆者の返メールとさらにもう一度その方から頂いたメールの内容の相当部分をこのコラムの場で再録しておきます。又ゲストブックの方は意見を公開されていますので、そのまま引用させていただきます。

今回このコラムでこれらの意見を載せますのは、頂いた又は発表された意見はきっと多くの方にも納得のいく且つ示唆に富むものであると思いますし、同時に「新聞の記事から」に書いたごく短いコメントだけでは読者の誤解を招くだろうな、と考えていた筆者の立場を明らかにする意味合いもあります。

ここに掲載する筆者宛てメールの内容は個人の特定に結びつく部分を一切省きました。そのため多少ご意見の内容が不明確になることもありますが、プライバシー尊重のためですからご理解ください。尚その在在住者の方から、発言をコラムページに掲載してもよい、との同意を頂きましたので、決して無断引用ではありません。筆者は個人的メールを無断で公開するようなことはいたしませんよ。

マレーシア日系企業の経営に長年関わっていらっしゃる在住日本人を仮にZさんと呼んでおきます。

Zさんのメールから

多分はじめてメールを差し上げているのだと思います。
掲示板のほうへ投稿しようかなとも思ったのですが、私自身を第三者に特定されることがわずらわしくて、個人的なメールという形を取らせていただきました。

Aochan(すみません、どうお呼びしたらわからないものですから)のホームページは定期的に読ませていただいています。内容的にもとっても客観的で、公平な観察をされているという印象を持っています。

省略

さて、前置きが長くなってしまいました。Aochanの新聞記事の感想文に関する話題です。3月10日付け記事「企業がマレーシアに期待するものは何か」の記事の感想で「一部日系企業の傲慢な発言」という表現があります。いつも読ませていただいているAochanの文章からすると、この部分だけずいぶん色合いの違う表現のように感じます。

(ここでZさんによるMajeca/Jameca projectの簡単な説明。)日マの官民が集まって毎年、日マどちらかで、ちょっと大げさにも見える会合を行っています。官と民といいますが、どうしても官の主導力が強まっているのは見え見えです。が、ともかく、その場で、お互いに要望を披露する儀式が重要部分を占めていまして、日マ双方、お互いに要望を披露し合うのです。

省略

さて、私が引っかかった「傲慢」の意味ですが、政治的安定を要望したことが傲慢なんですか? それとも、マレーシア政府(国民)に物申したこと自体が傲慢と見えたのでしょうか。企業活動をする上で、その地の政治的安定は相当重要な意味を持ちます。
98年9月以降のマレーシアの動きは企業の立場だけで言えば心配の種であることは間違いありません。その意味では、単なる事実をJameca/Majecaで述べたと解釈していますが、それが傲慢に見えるとしたらどう言う観点からそうなるかを知りたくて、このようなメールになりました。

マレーシアで活動している日系企業の経営に携わってきて、日系企業が傲慢であると感じたことは何度もあります、が、長くなりますので省きます。
以上、突然のメールで失礼しました。

Intraasiaの返メールからです。

訪問していただきありがとうございます。
どなたであれ、つまり批判的にみられる方でも賛意を寄せられる方でも、それはマレーシアへの関心の現われだと思いますので常に歓迎しております。

まず最初に不愉快な思いをさせたことに対しては申し訳ありませんでした。
私もあの表現を使った時多分反発される方があるだろうとは予想していました。短い言い方なので、私の意図するところが伝わらないだろうとも思いました。ただどうしてもひとこといっておきたかったので、簡潔にいってしまったわけです

省略

傲慢の意味を説明させていただきます。
政治が安定していればそのほうがいいのは一般的にそうですよね、同感です。しかし政治が安定しない必要が生れることもあるし、そうでない方がいい場合もあります。例えばインドネシアです。私はインドネシアにも関心を持ちしばしば訪れていますので。

民の暮らしがどうしようもなくなってそれで社会不安が起きざるを得ない場合もあります。インドネシアの4,5年前までは確かに政治は安定していたでしょう、しかし多くの人の暮らしはどうだったのでしょうか。インドネシア人が禁止されても禁止されてもマレーシアにやってくる背景は安定の中の悲劇です。
こういう場合現在のように不安定だから悪いとはいえません。もうどうにもいかなくなって、行動に出ざるをえないこともあります。

マレーシアでいえば、マハティール反対の立場の人であれば安定イコールマハティール存続ですから、安定はあまり好ましいことではありません。私はホームぺージの中で何回も書いているようにどちらの支持者でもありません。それを決めるのはマレーシア国民であるという立場ですから。

こういうことを考えていくと、政治安定を強調すればするほど現在の政治支配体制温存につながりやすいことになります。結果的に現体制指示に成ってしまいます。外国が投資すればするほどミャンマーの現政治体制安定につながるから、反政府派は投資ハンタイするわけです。

こういう発想が私の中にはあるので、政治体制安定イコール大賛成とはいえないのです。
今の枠組みを温存することに賛成であれば、デモも集会もいらないという事になります。それがマレーシアの多数である事は事実でしょう、しかし自由度がないとか、UMNOスタイル反対から行動する層もありますね。賛成反対は別にして、私はそういう行動自体に反対はしません。イスラム原理主義政党PASであろうと アンワル派であろうとです。
こういう動きを押さえつける事には反対の立場です。PASやアンワル派に賛成ということではありませんよ。

外国人はこの当たりを考えずに、デモがあるから集会があるから危険だ不安定だと考え、それをいうのですが、こういう表現ができるようになることが成熟した社会に向かう一つ面でもあると考える次第です。

ですから国が変わつつある時、それはいやがおうにでも不安定にならざる時はあると思うのです。むやみに政治の安定を強調すれば、それは現体制の枠組みのみを結果的に支持することになるはずです。

もう一つ例をあげます。
西欧などで日本の通貨不安定を評して「内閣が替わってばかりいるから、経済が安定しないのだ、もっと安定させろ」という議論がありますね。マハティールもこの間そういう発言していました。これは私にいわせれば、大きなお世話、そういうことは自国民がきめることという事です。

現代世界は外からの影響が強く、それがある国の体制に大きな影響を与える時代、特に小国であればあるほど、巨大コングロマリットの力には勝てませんよね。そういう時コングロマリットが資本を引き揚げると困るから、体制を安定させておかねばならない、という論議が勝ちます、なにせ飯の食い上げですから。しかし歴史は常にそこまで先を見通して動く場合ばかりではありません。今のインドネシアはそうでしょう。

日系企業を含めて外国企業が安定を望む、それは知っています。しかしそこに住む民の立場から言えば、外国企業の望むようにばかり進んでは、都合がわるい場合もあります。ですから、私は国の安定ばかりを強調する論者に反対するわけです。もちろんこれは私がそういう企業経営をする立場でないからそう言うのだだろう、ととられるのは知っています。

上記で申しましたように、しかし、マレーシアだからこういう論を張っているのではありません。外国企業の時には勝手な考えを批判しているわけです。もし日本でこういうことを聞けば日本においても同じことを私は言いますね。「国民がそれを決める事だ、外国企業の発想を押し付けないでくれ」と。

こういう論点から新聞記事にコメントしたかったのですが、あの短いスペースでは伝わらないでしょうね。もちろんこのメールの内容を書いても筆者に反対される方はいらっしゃることでしょう。

私は以前からホームページでも訴えているように、自分に賛成している方だけの仲間うちホームページにするつもりはありません。ですから以前は「何でも伝言板」、今は「ゲストブック」に反対意見も書いてくださいと言ってるわけです。人の批判を封じることには断固反対ですから、批判がかかれたからそれを削除するなどはしません。もちろん無茶な論とかものを読まずに気嫌いする、うその決め付けは別です。そのかわり言いにくいことであろうと反発をくらうことであろうことも時には書いています。

長年経営に関わってこられた貴兄と一介の野良犬の私は立場が相当違うから、一致しない点もあることでしょう。しかしそういうことを承知であえて、わざわざ反論されていらっしゃったことには、感謝しております。普通は無視するかもうこういうサイトは見ないという方ばかりでしょうから。
これをやるから私は読者を逃す事もあるのですが、時には直接表現で書きたい事もおこるのです。

それではまた機会がありましたら。

筆者の上記のメールに対して、Zさんの2回目のメールです。

早速の返事をいただきましてありがとうございます。
2,3度読み返してみました、Aochanおっしゃっていること(内容)に特に異存はありません。個々の解釈ではもちろん違った答えになるだろうポイントもありますが、(たとえばインドネシアの今の状況は本当に民衆のためによかったのかどうか、歴史の審判が必要だろうと解釈しています)おっしゃる観点には反論するところはありません。

「国が変わりつつあるときそれはいやがおうにでも不安定にならざるときはある」まさにそのとおりだと思います。同時に、国が政治的に不安定になったときは外国からの投資は減ります、ということも、客観的な事実です。前にもちょっと説明しましたが、日マ双方の政府財界が1年に一度集まってお互いの要望を披露し合いましょう、という、いわばみえみえの意見交換会での要望に、言わずもがなの意見を披露したのは、間の抜けた話かもわかりませんが、客観的な事実を申し上げたという点では、『傲慢』の批判はあたらない、というのが私の意見です。

3,4年前の日本側の要望は「生産性の伸び以上の昇給が起こっている、何とかしてくれ」でありました。むしろこの要望のほうがはるかに傲慢です。昇給を実施しているのは企業側であり、その結果自分の首をしめているわけで、これをマレーシアの政府や企業に文句言っていく筋合いはまったくありません。

所詮企業の倫理観はその程度のものです。自分の会社が立地している国が安定していれば企業活動に専念し、安全が危うくなるとさっさと逃げ出す、これが企業の姿です。資本主義社会の赤裸々な姿とも言えます。

くどくなってしまいましたが、私の言いたかったことは、「企業に過大な(崇高な?)倫理観を求めても無駄なことです」ということです。『傲慢』などという言葉を使うことで多大なエネルギーを使わなければなりませんが、その言葉を使われた企業側では、ほとんどゼロに近い反応しかないだろうと断言できます。

うまく説明できたかどうか自信ありませんが、企業への期待度という観点を除けば、Aochanと私の考え方にはあんまり相違はない、ような気がしております。

Intraasiaの再返メールから

お返事ありがとうございます。

Zさん:同時に、国が政治的に不安定になったときは外国からの投資は減ります、ということも、客観的な事実です。
Intraasia:誠に同感です、この点はどこの国でも同じでしょう。リスクがあれば資本は逃げる。

Zさん:前にもちょっと説明しましたが、日マ双方の政府財界が1年に一度集まってお互いの要望を披露し合いましょう、という、いわばみえみえの意見交換会での要望に、言わずもがなの意見を披露したのは、間の抜けた話かもわかりませんが、客観的な事実を申し上げたという点では、『傲慢』の批判はあたらない、と いうのが私の意見です。

Intraasia:確かにそういう裏の事情をご存知のかたから見れば、私の傲慢発言は問題視されるかもしれません。私の真の論点は、投資したからといって、それをかさにした思考はすべきでないということです。企業である以上それが前面にでるが、ある程度は経営側のやり方でかわるものではないでしょうか?

Zさん:くどくなってしまいましたが、私の言いたかったことは、「企業に過大な(崇高な?)倫理観を求めても無駄なことです」ということです。

Intraasia:同感です。マックスウエバーの時代からこれは言われている事です。といって企業の社会的責任はその時代よりずっとずっと大きくなったと思います。

Zさん:『傲慢』などという言葉を使うことで多大なエネルギーを使わなければなりませんが、その言葉を使われた企業側では、ほとんどゼロにい反応しかないだろうと断言できます。

Intraasia:そう思います。企業人はそういうことに反応しません。無視します、金持ち喧嘩せずですね。それだからこそ貴兄の貴重なメールに感謝しております。
新聞記事からの短い引用とコメントですから、たまには気に食わない内容もあるかも知れませんが、これからもよろしく。決して批判のための批判を張っているわけではありませんので。


以上のように一部省略はしましたが、Zさんの批判・意見と筆者がなぜ傲慢ということばを使ったかの背景説明の内容は、相当程度読者の方にも分かっていただけたと思います。筆者はあくまでも”一部”という言い方を使っていますから、日系企業全部を批判していない事はお分かりになっていただけたと希望していますが、あまり過激なことばはこれからは控えるようにしましょう。

次は3月18日付けでゲストブックにお書きになったN.Tさんの意見です。(2回にわたっています)

Intraasiaさんのコメントについての感想です。
難しい話ですね。
僕はこのニュースを見てません(新聞も)Intraasiaからさんの表記した内容からしか判断するほかないのですが、営利企業である私企業が第一に求めるのは利益だと思います。その利益が確保できて始めて安定した雇用を確保でき、業務縮小や撤退といった事をさけ、メセナ等の活動にも移れます。海外への進出は多額の費用が掛かります。出来るだけリスクをなくそうとするのも当然の考えです。

『外国企業のためにマレーシアと国民はその国の方針を決めるわけではない』これは当然の話ですね。しかし投資した側に立つならば方針はどうであれリスクは避けたいのです。その為の牽制球ではないのでしょうか?
マレーシアに投資した企業は、安い賃金労働力や現地のインフラを土地を使わせてもらって利益を上げようとしています。と同時に現地の人も雇用が得られ、仕事を得られ、利益の分配を享受できると思います。

直接働いてもらう給料のみならず、流通に携わる人とかがえられる仕事、ホテルの客室稼動への貢献、日本人カラオケの店。6:4規制によりローカルの銀行も確かな融資先という事で外国企業はお得意様になっているでしょう。飛行機会社とかも恩恵を受けているはずです。その他リゾート地関係も、と枚挙に暇がありません。

仮に政情が不安定という理由で、ありえないけれど全ての外国企業がマレーシアをされば、その経済における影響度や国際社会での信用度の落ち込みは計り知れないのではないでしょうか?

声高によその国の政治までに介入するなという事は、筋が違っているとは思います。が投資をするのには企業としての条件があるはずです。マハティールさんも何度も日本にきて投資をお願いしているではありませんか。その中でマレーシアはこんなに言い国なんだと(国民性、正常の安定、インフラの充実)いっていました。それを信じて進出した企業は、なのに投資をした後になって政情が不安定だと、投資の重要要因である政情の安定が気になるのは当然のことでしょう、と思います。(勿論現状では100%そういった問題がないのは感じています)

『それがその国の民に何をもたらそうが知ったことではないという気持ちを込めてです』そういう気持ちが込められているのかは本当かどうか判りませんが、政情の安定が投資の重要用件であるのは否めません。それは人間としてというよりも、私企業の論理からです。そして外国企業がマレーシア進出によってもたらす有形無形の現地に与えるものはマレーシアにとっては不可欠のものである事は確かなのではないでしょうか?

『また仮に不安定でもそれが現状なら又はマレーシア国民が望むならそれが必要な場合もある、外国企業のためにマレーシアと国民はその国の方針を決めるわけではない』それも理解できます。しかしあなたがたには私の国のことをとやかく言ってもらいたくない、そういって実際に動乱が起きて、コソボみたいな事になれば、そこまでならなくても政情の不安定を理由に沢山の外国企業が撤退する可能性はあります。又は今後投資する企業が減る事。そうなればそれは投資した企業も勿論のことマレーシアにとっても大きな痛手となると思います。

傲慢さでこういう事をいってはいないような気がします。投資したがわにたって、そして政情不安がおこるとしてその結果起きる投資企業のマレーシアの利益を守ろうと思っての発言といえばあまりにも擁護しすぎですか?

両方のためにはやはり政治の安定は求められなければならない事ではないでしょうか?マレーシアという国をよくしようという民の行動が、政治の不安を呼び込み、歴史という長いスパンでその事が評価されたとしても、結果今生きる人が苦労を強いられるとしたならば、本当に良い事なのかは判断できません。

沢山の戦争があって今の私たちの幸福が在ると思います。それは沢山の人の犠牲のもとです。大きい犠牲も小さい犠牲もそういうのは無い方がいいはず。政治の不安定が理由で多くのマレーシア人が生活の支障をきたす事は、避けるべきだと思います。

N.Tさんの2回目の書き込みから

声高によその国の政治までに介入するなという事は、筋が違っているとは思います。
訂正)筋がとおっています。当然です。

投稿したあと読んでみて、追記です。(注:これは N.Tさん自身のことばです)

僕がここに来る前に政治と宗教についてローカルと話をする事は避けろ。という指示がありました。その国の政治や宗教に、全くよそ者の人間が色々言うのはだめだって事です。
それはそのとおりです。それはここでくらしていて常に意識していました。多分Intraasiaさんが言いたかった事もそこなのかもしれません。なのに自分の投稿はよそ者の多国への政治介入を肯定している風に自分で思えました。そういうつもりではないのです。

しかし、政情不安でもし外国企業がマレーシアを離れ、それによってマレーシアという国に大きな影響が出るのはたしかです。投資した側には政治不安は非常に困る事です。それはマレーシアにおけるに留まらず日本にいる社員にも影響します。ローカル社員にも影響が大きいです。マレーシアにも影響があります。そういう気持ちも分かるってことです。

Intraasiaのコメント

企業の論理から投資国に政情の安定と投資の保証を求めるのは別におかしいことではないでしょう。筆者が万一投資家だとしたらやっぱりそれは大事な事だと思います。しかしそれが過ぎると、投資国の民に何が起ころうとつまり民の暮らし考えを二の次にして、まず企業の権益保護ばかりを考えることになります。投資家、投資企業というものは、投資した国の官僚とかエリート層とか地元企業幹部層との交流が深いものです。もちろん例外はある。そういう時往々にしてそういう官僚エリート層、企業幹部層の意見のみにとらわれやすく、それがその国の流れなのだなと思い込んでしまい勝ちです。

インドネシアへどんどん投資した日本企業はどうだったでしょうか。政情の安定した政権であった(と見られていた数年前まで)頃でも、多くの民の暮らしは考えはどうだったのでしょうか。スハルト政権一人に罪をなすりつけて、彼らは腐敗していたのだから仕方ないではすまされません。スハルト政権と強いつながりを誇っていたのは日本企業ではなかったでしょうか。そしてどんどん投資していました。

これに関連しますが、日本のODAのあり方に対して、時々日本のHGOなどが批判するのはそれが民の生活向上に結びつかないのではないかというものがありますね。

マレーシアは確かにインドネシアと違います、私も当コラムで数回それを強調してきました。しかしJetro幹部の発言の一端を読んで頭をよぎったのは、投資しているから我々にも”言う権利”があるといったおごった気分をその裏に感じたからです。

Malaysia-Japan Economic Association と Japan-Malaysia Economic associatonの共同年次会議がどういうものか、当然筆者はよく知りませんから、この発言だけを取り上げて批判するのはたしかに性急すぎたきらいもありましたが、常日頃筆者の頭にある発展途上国に対する先進国からの投資のありかたへの考えがこのコメントにつながったわけです。

これに関して筆者が強調しておきたいのは、マレーシアで日系企業関係者が発言したからでなく、その発言がどの国から、米国であろうとドイツであろうと、どの国に対して、インドネシアであろうとベトナムであろうと、筆者の反応は同じであっただろうということです。

一般に発展途上国は先進国からの投資がなければ発展は遅れてしまいますね。又先進国の企業は自国内だけの投資ではもうやっていけないので、より安価で労働力豊富な地域を求めます。つまり持ちつ持たれつですね。筆者はこれに異論はありません。これを論じれば切りがありませんのでやめますが、これが現代世界の現状であることは誰も異論のないところです。

そこで問題になるのは持ちつ持たれつの関係にあるのに、投資家・企業が時にその投資先の国を脅すような態度にでます。俗な言い方をすれば、政情不安であれば金を引き上げるぞと。貧しい発展途上国は金を引き上げられたら労働者が失業、インフラが整えられないなどとマイナス面ばかりが出てきますから、何とか投資企業に残って欲しいと思います。そしてそのための手を打とうとします。
また投資企業の中には自国では当たり前に認められていることの反対を求める場合もあります、例えば労働者に勝手に団結などさせては困る、女性の差別賃金は認めるなど "発展途上国にふさわしい基準”を求めます。

こういう投資家・企業の態度をおごりと筆者は考えるわけです。もちろんそれは一部の投資家・企業ではありますが、ある国が多少でも不安定になるとこういう考えが力を持ってきます。投資の見返りが充分ないうちに引き上げたくはないが仕方ない、もう投資なぞしないぞと。この発想の源はまさに資本の論理だけで企業の社会的責任を軽視、又は無視したものです。

投資企業に投資したからといって資本の論理だけで動かれたら、投資を受けた国は弱いものです。たいして抵抗できません。だからこそ為政者は民衆に言います。「安定政権が大事、政情不安はだめだ。」マレーシアでもマハティール首相はこういう言い方をしてますね。しかし世の中全ての民がその政権、体制に賛成なら構いませんが、反対派もいます、批判派もいます。もちろんそういうグループにとっても投資の引き上げや減少は切実な問題です。当たり前ですね。でもそれでもなお国を不安定にさせなければならないこともある。歴史はそうやって流れてきたはずです。

筆者はそういう歴史観に立ちます。安定だけが全てでないという、そういう思想を持っています。もちろん自分の暮らしを含めて世の中安定していた方がいいのは当たり前ですが。

後書き

たまたま筆者とは全く面識のないお二人から、論理的な且つ貴重な批判を頂きましたので、これを私たちだけの議論にしておくのはもったいないと思い、その内容をこのコラムに掲載することで読者にも知っていただきたい、考えていただきたいと思った次第です。お二人にはこの場を借りて再度お礼を申し上げておきます。



民衆のアセアン連帯意識はあるのだろうか


昨年起こったあるうわさ流布事件

昨年8月クアラルンプールのチョーキット街でインドネシア人の暴動が起こっている、というデマを電子メールを使って流した罪で数人が警察に逮捕され、現在その裁判が行われています。これ自体はそのデマを飛ばした事がマレーシアの法律に触れたという事ですから、また別の問題ですからここでは扱いません。ここで問題にするのはなぜそんなばかげたデマが流され、それを信じる人が多くでたのかということです。

数人がインターネット上で流したこのデマを受け取った人が又別の何人かに配布し、さらにそれが又別の人にというようにねずみ算式に流布し、その上そのデマが人口を膾炙して広まったのです。
チョーキット街でインドネシア人が暴動を起しているというデマが飛び交った時に、それを信じた市民からマレーシア警察庁に、チョーキット街で外出禁止例がでたかを確かめる 100を超える電話が殺到しました(裁判の証言より)。

事件が生れた背景

この事件の背景を簡単に説明しますと、インドネシア人はその絶対多数がマレーシアに出稼ぎにきている肉体労働者です。男性なら建設現場主体、女性なら家庭住み込みのお手伝いさんかビル清掃人が主体です。当時ビザなしで働いていた外国人は8月末までに国へ帰りなさい、もし帰国しなければ猶予期間終了後一斉逮捕するという方針を、非合法外国人労働者とその雇用者に対してマレーシア政府が発令していましたので、たしかに彼らにとっては大問題でした。インドネシアに帰っても仕事はないし、そうかといってマレーシアに残れば逮捕されてしまうというジレンマに陥っていたことでしょうから。

なぜ人々はデマを信じたのか

そういう背景があるしにしてもです。なぜマレーシア大衆はこのばかげたデマを信じ、さらにそれが流布したのでしょうか。世の中いろんな人がいます、作りはなしを捏造し広めることに喜びを感じる人はどこの社会にもいますね。まして匿名の世界であるインターネット上なら容易に且つ広範囲にできますね。だからでデマを流したこと自体に意外感をまったく感じません。問題はなぜこんなデマを多くの人は信じたかです。

このデマを最初に流したデマ発信元の数人は、インターネットプロバイダー Jaringの警察への協力で後日逮捕されました。いくら匿名メールでもプロバイダーのメールサーバーの記録からばれてしまういい例ですが、プロバイダーが通信の秘密を警察の要求とはいえそれを提供する事がいいのか、の議論はありましたし、そういう論調は新聞にも現れました。しかし残念ながら、まことに残念ながら、そのデマが生れた背景とデマを信じた人々の心理に踏み込んだものは、私の知る限り、全くありませんでした。もちろん筆者の限られた見聞ですから絶対になかった、ないとはいえませんが、これは相当の確信を持って言えます。

筆者が問題にするのは、インドネシア人が暴動を起したいう話をいとも簡単に信じてしまうマレーシア人の心理なのです。簡潔に言います、都会のマレーシア人の少なからずはこう思っているのでしょう、「あいつらならやりかねない。」と。

ハリウッド映画がマレーシアで撮影されている

「新聞の記事から」でこれまで数回掲載しましたように、ハリウッド映画 Anna and the King が現在イポーを中心にしてペナンとペラ州で撮影されています。毎年最低でも映画館で50本の映画を見る筆者は映画の、もちろんハリウッド映画を含めて、大ファンですから、撮影とはいえ多少の興味あります。ですからこのハリウッド映画撮影そのものに文句をつけるわけではありません。公開のあかつきには筆者もそれを是非見てみたいなと思ってるぐらいです。

この映画 Anna and the King は数十年前に公開された”王様と私”のリメイク版だそうで、舞台は19世紀タイ王室を舞台にした国王ラマー4世とそれに主人公のイギリス女性の物語です。国王に香港出身でハリウッド進出した人気俳優チョーユエンファットが扮し、イギリス公使夫人に有名女優の Jodie Fosterですから、そのネームバリューだけでマレーシアで人気を呼んでいます。撮影の始まる前から雑誌新聞は写真つきでたびたび報道してきました。

さらに撮影に使う建物改築・建築費用、エキストラへの出演料、撮影スタッフの使う金など総額数千万リンギットが地元に落ちることから、地方自治体も撮影に協力的です。エキストラの応募に何百人がどっと集まったそうです。とにかくマレーシアでは珍しい大型ハリウッド映画の撮影は話題につきません。

本来タイで撮影するはずであった

ところでマレーシアにとっていい事ずくめの Anna nad the King 映画はタイが舞台なのです。撮影の前はなしを知らない人は、なぜタイ王室舞台の映画がマレーシアで撮られるの、と不思議に思われることでしょう。実はこの映画もともとというか当然タイで撮影する計画でした。そのためタイの王立映画委員会(という名前だったかな、はっきり覚えてません)とプロダクション側は何回も交渉して多少は台本を変えたそうです。しかしながら映画内でのタイ国王ラマー4世の描写に最後までタイ映画委員会の同意が得られなかったので、撮影場所を隣国マレーシアに移したのです。それでも撮影に使う象は、象使いとともにタイから借りているのです。またエキストラや脇役俳優に何人かのマレーシア俳優も出演します。

タイが撮影を認めなかった理由

考えてみれば当たり前で、西欧の描写するアジアの民衆や王家などは西欧視点によるステレオタイプが多いし、多分この映画もそうでしょう、でも筆者は見るつもりですよ。タイはタイで今尚かたくなに、極めて国王尊重の立憲王政を保持していますから、ハリウッド観の王様とタイの崇める王様では当然違いが出てきますね。両者最後の妥協ならずで、棚からぼたもち的にマレーシアに撮影が回ってきたわけです。

もし立場が逆であったら

これだけみればマレーシアにとってハリウッド映画撮影万万歳ですし、筆者もその映画内容自体にどうこう言うつもりはありません。所詮ハリウッド流のアジア描写ですから、それ以上を初めから期待していませんから。鑑賞して楽しむだけです。で何が言いたいかといいますと、タイで撮影された映画をマレーシアで撮影許可したその背景です。

もし仮にです、ハリウッドプロダクションがマレーシアのスルタン(イスラム教の守護者としての役割を今尚保持し、各州のスルタンにその任と権利が授与されている)を描写する映画を製作しようと計画したとします。すると当然ハリウッド流のスルタンつまりイスラム描写になりますから、これも当然マレーシア政府というよりイスラム教界全体に関わる最重要事項になります。そうすればハリウッド映画撮影がスムーズに認められる可能性は極めて少ないでしょう。現にPricess of Egyptだったかな、筋にイスラムが絡むアニメ映画、それはマレーシアで上映禁止となりました。

タイが王室に対してアンタッチャブルを貫いているように、マレーシアはスルタン制にほぼアンタッチャブルを保持しています。ですから、もしマレーシアで撮影を拒否されたその映画をハリウッドがタイで撮影を許されれば、マレーシアのイスラム教界はタイに対して何らかの意思表明つまり不満又は批判を表明することでしょう。

筆者は思想として、どの国であれ”何々制”だのの君主制を支持しませんから、上記のどちらに対しても表現の自由の観点から疑問を提示する立場です。もちろんハリウッド流のアジア観に迎合するつもりはまったくありませんよ。

2つの出来事に共通するものは何か

さてここでながながと解説しましたインドネシア人暴動のうわさの件とハリウッドのタイ王室映画撮影の件に共通する点、背景はなんでしょうか、それを筆者は問題にしたいのです。

マレーシアもタイも東南アジア諸国連合ASEANの設立以来の中心メンバーです。ASEANは今年カンボジアが加入を認められて10カ国になりました。政府は常にアジアの精神強調と協力・連携を歌っていますし、それを誇っています。でそれは単にASEAN内で投資、貿易することだけではないでしょう。各国の民衆の意識がASEAN加盟国として、つながりあう、互いに理解し合うことも期待されてるはずです。でも実態はこの例を見るように条約の単なる条文、目的にすぎません。

アセアン友邦の意識はどこにある

一体どこにASEAN友邦としての民衆の精神的連帯化が進んでいるのか大きな疑問です。マレーシアで働くインドネシア人労働者へのマレーシア人一般の対応と彼らへの待遇は、貧しいけど歴史的民族的に近い隣国の民を見る目ではありません。マレーシアは絶対的に労働力が足らないから、インドネシアは国民に充分仕事を供給できないからという両国の事情があって、マレーシアがインドネシア人労働者を膨大に100万人前後も雇用しているのです。

いわば両者もちつもたれつの関係ながら、マレーシア人のインドネシア人に対する意識は決してそうではありません。我々は彼らを使ってやっているのだ、という意識が見え見えです。それでなければインドネシア人に対するマレーシア人基準よりずっと下の待遇は説明できません。そういう深層の心理があるからこそ、”チョーキット街でインドネシア人が暴動”というったくばかげたうわさがあっという間にひろがったのです。つまり”あいつらならやりかねない”という意識。”日本人が暴動”などといううわさは間違っても広まらないでしょう。さらにこういうインターネット上のうわさを信じ流布したのはある程度教育も収入もある人たちが多かったようで、そこに問題の深さを感じます。

一方、ハリウッド映画撮影では、マレーシアに落ちる金と人気スターの話題だけが日の目を浴び、マスコミも人々もそれに注意を向け、なぜタイが拒否した映画をマレーシアが認めたかの論議には、筆者は一度もお目にかかっていません。マレーシアと2番目に関係の深い隣国のタイがそのデリケートな問題で拒否した映画を、マレーシアは何の躊躇もなく認めた、どこに隣国への連帯意識があるのでしょうか。タイ王室はマレーシアに関係ない、その通り、しかしことが反対にスルタンに及べば立場は同じになります。マレーシアが拒否したハリウッド製のスルタンを扱った映画(もしあるとしたら)をタイが撮影許可したら、マレーシア国民、特にムスリムですが、はどう反応するのでしょうか。

アセアンの抱える大きな壁

ASEANという素晴らしい地域共同体を設立してすでに30年(だったかな?)、ここに見られるようにASEANは今尚政治的共同体と貿易共同体の名目にとどまり、諸国連合内の民衆の連帯意識発展にはほど遠いという事実に気がつきます、いや正確には再認識した次第です。ASEAN内の最裕福国シンガポールと最貧国のミャンマー、カンボジア、ラオスをみれば、その民衆のASEAN意識は当分育たないでしょう。人はまず経済的動物ですからね。



異論のあったマレー映画ついに公開される


自分たちと違う民族または他国の民の慣習、風習、掟、宗教観などに遭遇する、知ると、時には驚きあきれさらにどうしても理解できないことがありますね。あたりまえの事ですが、自分たちが生れた時から長年親しんできた慣習、風習、掟、宗教観などとそれがかけ離れたものであればあるほど、それへの理解度はおちます。ですからどの民族にもこれは発生することですから、そのこと自体だけを問題すべきではありません。それを研究される方は別にしてです。

マレー映画 Johgoついに公開

製作兼監督のU-Wei Haji Saariが1年半近く前に完成させ、その公開にいわゆる検閲委員会からストップがかかっていたマレーシア語映画”Jogho"が、ついこの間からようやく一般公開されています。この映画は97年末東京で行われた第二回アジア映画祭りで初公開され、台北での43回アジア太平洋映画祭りで主演の Khalid Sallehが主演男優賞を得ました。そのことが公開への後押しになったようです。また制作費RM120万をかけたこの映画は日本のNHKが製作費を補助しています。(映画のポスターにもこれがはっきりと書いてある)

筆者はそこで先週さっそくその映画を見ました。これまで見たマレー映画はごくわずかしかない筆者ですが、マレー映画の佳作だと思いますね。主役の演技は見るものの心を引きつける上手さです。

クランタン方言で貫かれた台詞

この映画は南タイに住むマレーコミュニティーを撮ったもので、せりふはほとんどクランタン方言で、タイトル”Jogho"からしてクランタン方言で闘牛という意味です、ですからとても筆者程度のマレーシア語力ではせりふの多くが理解できません(字幕一切なし)。時たま挟まれるタイ語のせりふのほうが聞きやすいぐらいでした。もっとも西海岸のマレー人でも全部理解は難しい、あるマレー人に言わせれば3分の1はわからない、といわれるぐらいクランタンマレーシア語は標準マレーシア語と離れていますから、無理もありません。それでも映画自体は複雑なあらすじではないし、淡々とした映像を見ていると案外内容はわかるものです。

映画はマレー映画らしく、どぎつい描写も特撮もないまことに穏便な映画です、しかし主人公が牛同士の闘牛の好きなタイ南部に移り住んだマレー人であり、闘牛の賭け事が重要なモティーフであり、殺しの場面もあるのです。南部タイでは認められている闘牛は、マレーシアでは50年代に禁止になったそうです。きっとこうしたことから、検閲委員会が首を縦に振らなかったのでしょう、公開までに紆余曲折があり、昨年末ようやく公開の許可が取れ、今月からようやく国内公開が始まったのです、しかし西海岸の主要都市の限られた映画館、わずか10館ほど、でだけという条件です。ただマレー映画の常で観客はマレー人ばかりでしょうし、筆者の入った映画館でもそうでした。

南部タイとクランタンとのつながり

映画の内容は、南部タイのマレーコミュニティーを舞台に主人公にまつわる生活のようすをリアルに描いたものです。監督は、「この映画はマレー人を扱っているが、マレー人のためのマレー映画ではない。一般的な人間を扱っているのです。」ただこの映画の主題を理解するためには、南部タイとクランタン州のつながりをある程度知っていることが必要でしょう、それでないとクランタンマレー人がなぜ南部タイに移り住んでいったのかとか、南部タイのムスリムコミュニティーで日常的にマレー語(クランタン方言)が使われるかの背景が分からないからです。

ある文化・社会を見る時国と国の関係で切って考えがちですが、このように国という国境を越えてつながりある場合は、ガイドブックのようにA国で1巻、B国で1巻とはならないのです。世にタイ関係の本はあふれているし、タイ好きも多いですが、南部タイのムスリムに目を向けたものは筆者の知る限り非常に少ないし、またマレーシアの東海岸の好きな人もままいますが、国境を越えたこのムスリムのつながりに注目を払う人はずっと少ないですね。ですからこの映画の製作費補助したNHKは、たいへん日本の観衆になじみのない題目を選んだ映画を補助したわけですね。NHKは何を期待してこの映画に補助したのでしょうかね。

この映画は日本での映画祭で初公開され且つNHK補助ですから、きっと日本でも専門館で公開されたかもしれませんが、いずれにしろ一般受けする映画ではないですから、商業的に成り立つことはなかったでしょう。でもマレーシア映画の一つの水準を示し、東海岸ムスリム社会の一面を垣間見る映画ですから、もし機会があったら是非見てください。筆者はけっしてマイナーな映画のマニアではなく、メイジャーなハリウッド映画から、香港映画、ロシア映画とフランス映画(マレーシアでは絶対に見られない)などの映画ファンですからこそいうのです。映画という映像技術は時には見事にある社会、文化を見せてくれますね。

マレー人監督の撮った泥臭いマレー映画

上記で述べましたように映画のあらすじ自体簡単なものです、南部タイのムスリム社会が淡々と描かれるなか、闘牛や賭け事をモチーフにし、且つ2シーンあった殺しの場面などのためでしょう、それが南部タイのムスリムの一面でもあってもマレーシア当局には許容できなかったのかもしれません。現に今回の公開許可でも東海岸では上映ができないようです。ものすごい暴力場面がいくつかあるとか、賭け事を奨励しているのでもないのです、もちろん性的描写などこれぽっちもありません。

さらに少なくない数のイスラム教徒が批判する西欧的行動の描写とかその影響など、この映画のどのシーンを見ても探し出せません、それほど泥臭い土の匂いのする映画です。普通の目から、いやマレーシア社会にある程度慣れた筆者の目で見ても、この映画のどこがそれほど問題になるとはあまり考えられませんが、一部のイスラム教権威筋とか当局からみれば問題なのでしょうね。

この映画ではまことに見事にマレームスリム社会が描かれています、それが例えタイ南部ムスリム社会で起こっているとしても、それと緊密な関係を持っているクランタンのマレー人には見逃せないことことなのでしょう。筆者はクランタンマレー社会が先にあってそのあとにイスラムが出来上がったと思うのですね、それゆえマレー民族文化習慣を強調することとムスリムである事は矛盾しないと考えますが、ある種の人たちにはそうではないようです。ですから西欧育ちでも西欧傾斜でもないマレー人監督がマレーコミュニティーを描いた映画でさえ公開が時には難しくなる。

埋められない溝を感じる

筆者はできるだけマレーシア社会を理解したいと何年も務めてきましたが、それに賛成でなくてもその背景は分かろうという努力をするということです、それでもどうしてもわからないのは、この表現の自由というものに関する根源的違いです、単に許容度の差の違いでなく、彼らつまりイスラムを至上と考える方たちと筆者の間には根本的且つ根源的違いがあるのです。

これは批判でなく、筆者のあきらめです。この両者の間にある溝はそれこそ深くて広くてどうしても埋める事はできませんね。互いにこの溝を渡る事はできそうにありません。映画を見終わった後で筆者はあらためてこの思いを感じた次第です。



マラヤ大学へ語学留学中の日本人に聞く


マレーシアの大学に留学される日本人は毎年結構いらっしゃいます。登録上は年数百人に上ると以前新聞報道にありました。ただ内部の事情に詳しい方によれば、研究者が便宜的に留学ビザを取っている場合もあるので、実数はそれほど多くないだろうとのことです。

留学の形態

留学中の方の話によれば、正規の大学生としては登録できないとのことで、ほとんどが語学留学又は大学院生・研究生として大学に在籍しているそうです。ただ語学留学でも一般学部授業の聴講は認められます。
私立のカレッジ(大学ではない)で専門科目、英語とか会計など、を学習されている留学生もあるようですが、筆者は詳しい事知りません。ご存知の方がいらっしゃったら教えてください。

語学留学は形態から二つに分かれ、日本の大学から交換又は派遣留学生として来ている方、私費留学されている方です。さらに留学生ではないが在住者の配偶者としてマレーシア語を勉強されている方もいらっしゃいます。その留学者と学習者がマレーシアの国立大学中で一番多いのはマラヤ大学(UMと略称)です。

マラヤ大学を訪ねて話を聞いた

そこで筆者は前から、こういうマレーシア語取得のために留学されている方とお会いして話を伺いたいなと思っていましたところ、当サイトの旅行者・在住者のためになるページにいつも「マラヤ大学留学生活記」を投稿していただいているコタバルさんの協力で、その機会を持ちましたので、今回はそのことを書いてみます。

4月のある日の午後、筆者はマラヤ大学のキャンパスを訪れ、午前中の授業の終わった皆さんにキャンティーンの一画で話を伺いました。集まっていただいたのはコタバルさんをいれて7人、うち男性は一人だけです。この男性が少ないのはマレーシア語クラスをとっている日本人男女の比率からいっても妥当なところで、女性10人に対して男性は一人にも満たないそうです。

7人の内訳は大学生5人、元会社員の夫妻1組つまり2人です。私費留学組は大学生2人とこの夫妻です。まず筆者が感心したのは、皆さん実利的面を最初からそれほど期待されていない事です。実利面を期待しないという意味は、マレーシア語を習ってそれを即職業につなげるというよりも、個人的興味・関心・学習心からマレーシアに来たという方ばかりでした。確かにマレーシア語を取得してだけで職業に即結びつけるのは非常に難しいですから、ある意味では納得できる動機ですね。

さらにちょっと意外だったのは、以前マレーシア語又はインドネシア語を習った経験がなくてマレーシアに来たという方が3人もいた事です。日本の大学でマレーシア語の授業を1年受けた方が2人でした。今はそういう大学もあるんですね。

白人層の少なさ

さてこういう方々のように、大国でない他国の文化・言語に興味を持つのは日本人の誇るべき点だと改めて思いました。欧米の白人バックパッカーはマレーシアでもいろんな所で見かけますが、こういう白人が実利的でないマレーシア語を学びにマレーシアへ留学しに来るというのは非常に少ないはずだ、と筆者は推測していましたが、やはりそのとおりで、マレーシア語クラスにそういう白人の姿はほとんどないそうです。マレーシア語クラスは、初級から上級まで3段階ある、日本人が半数から3分の2を占める最大グループです。白人もいるそうですが、マレーシアに住むからとかの理由からだそうです。その他マレーシア語学習者はアフリカ圏とか韓国からとのこと。

日本人の優れた興味心

この面からだけを見ても日本人は、例えそれが実利にすぐ結びつかなくても、大国であれ小国であれ各国に広く興味を持つ、という優れた傾向は相変わらず強いなと感じ、うれしく思ったのです。ここに日本人のバイタリティーを見ますね。マレーシアだけでなくこれは東南アジアの諸国にもいえる事で、タイでタイ語習っている、ベトナムでベトナム語を習っている日本人は結構いるのです。その地域をうろついている白人旅行者は総数からいえば日本人よりはるかに多いのですが、こういう”小国”の文化・社会・言語に興味を持つのは比率から言えばやはりずっとずっと日本人より少ないのです。筆者のこれまでの東南アジア放浪と在住の経験から言ってこれははっきりいえますね。

留学生のマレーシア観

さてこの7人のマレーシア滞在歴は、ちょうど1年滞在のコタバルさん、10ヶ月の夫婦、この春3月から留学された方3人、半年ほどの滞在歴が1人です。大学の寮生活者は夫婦の2人を除いた5人ですが、それぞれ同じ寮ではありません。いずれも望んでマレーシアに来た方ですから、いろいろととまどいがあるけれど、積極的にマレーシアに住んでいこうという気概を話から感じました。マレーシアへの不満を聞いてみると、衛生観念が低いとか、トイレが汚い、騒音に鈍感だとか、他人への気遣いが薄いという一般的な批判は出てきましたが、これ自体は日本人一般のマレーシア観と違うわけではありませんね。必要な事は、こういう不満はあってもそれにとらわれずに生活していく事ですから、その面では適応性の高い方ばかりでしょう。

ほとんどの方がマレーシアに来る前に東南アジアのどこかへは行ったことがあるということで、さすが海外旅行熱の高い現代日本若者ですね。マレーシアの同年代層とくらべればはるかに外国経験は高いのです。

マレーシアの印象を聞いていく中で、KLシティーセンターとかKLIA新空港の発展に比べて、見合ってない面に驚いたと述べられた方もあります。クアラルンプール郊外で部屋を借りているこの夫婦は突然の断水、電話切断などに戸惑ったなどと、各自それなりに戸惑いはあるようですが、決して決定的なものではないのです。

望んでいらっしゃった方ばかりですから、マレーシアの食事に大きな不満はお持ちでなく、中にはクアラルンプールに来る前に2週間ほどジョーホール州のカンポンでホームステイを体験したので、カンポンの食事はおいしかったけど寮の食事は劣ると発言された方もあります。カンポンの食事がおいしいとはなかなか頼もしい方ですね。

知っていたマレーシア人はマレー人ばかり

ちょっと矛先を変えた話題を聞きました、マレーシアに来る前に知っていたマレーシア人はという質問では、やっぱりマハティール首相は全員ご存知でした。さらにアンワル元副首相の名も。これは昨年の騒動から日本でも報道されたからでしょう。芸能人ではシーラマジット、なるほど彼女はまだ日本ではそれなりに有名なのか、P.Ramlee、全員はご存知なかったようです。最近の売れっ子芸能人では、ザイナルアバディン、シティ ヌルハリザ、KRUなどをマレーシアに来る前から知っていたそうです。そう日本人にも好まれ日本語版も出版されている漫画家ラットの名もあがりました。ただ残念ながら華人系又はインド系マレーシア人の名は一人も挙がらなかったのです。

寮生活は社会一般と少し違う

大学での寮生活は想像するに、大学という場所がらマレー社会との付き合い比率が高そうですし、青年層の比率の高さから、例えば筆者の住む地区などと比べると同じマレーシア内でも思ったより大きな違いは出てくるかもしれません。
そこで寮でのマレーシア人学生の行動を尋ねたのです、マレー人がマレーシア語の小説を読んでいるのを見た事ありますかでは、意外なことに数人の方があるとのこと。筆者の予想と違いましたが、これは公立大学の特殊なケースに違いありません、なぜなら普通の書店にマレーシア語の小説が並んでいる事自体少ないのですから。ただし雑誌や宗教書は多いです。

マレーシアで驚いた点

マレーシアで驚いた事に何がありますかの質問に対しては、クアラルンプールの大都会さ、これは多くの方が納得されるところでしょう、マレーシア人の宗教信仰の深さなどがあがりました。もっともムスリムのマレー人にもそれほど敬虔でない人もいるという観察を述べた方もいました。

漠然としてますが、マレーシアは安全と感じますかという質問には、ほとんどの方がそれなりに安全だと答えています。筆者はそれを聞いてうれしかったですね。安全はその人個人に起因する事が結構多いものですが、それを忘れて、ある国は危険だとかいう論がまかりとおることに、筆者は強く反発を覚えますから。

マレーシア学生と日本人学生の違い

マレーシア人学生と現代の日本人学生に大きな違いはの質問に、「マレーシア人学生は幼い」というある人の答えに皆がうなずいていました。「アニメがいまだに好きなんですよ、人形抱いて寝てる」そうです。あまり日本人学生の行動に詳しくない筆者はその通りに受け取っておきました。またマレーシア学生の卒業後の進路選択は日本学生より狭いとの意見にも賛成がでました。これは日本との経済発展度の違いから、マレーシアでアルバイターで生活、外国旅行を1年も送るようなことはできませんから、筆者にも納得のいくところです。
ただ残念ながらそれ以上の詳しいまたは具体的な学生の行動スタイルの差は明らかになりませんでした。

マレーシア人の家族の絆に感心した

マレーシア学生に感心した面では、家族との絆が強いということに皆が同意されました。毎週末でも3時間もかけて親元に帰るとか、暇を見つけて家族に電話している、という例から、マレーシア人の家族間のつながりの強さを実感されたようです。確かにこれは社会一般を見ても同じことがいえます。兄弟姉妹で商売をしたり親子で商売したりする人の割合は日本の比にならならぐらい高いのです。ラジオの雑談インタビューを聞いてても、子供のことだけでなく、親兄弟の話題に触れるリスナーが多いのです。マレー人、インド人は大家族主義ですから、これは小家族化した現代日本人から見れば確かに感心する点でしょう。筆者も同感ですが、ただあまりにべたべたした家族主義にも多少の違和感を感じるのも正直なところです。

もし将来マレーシアに住むならどこがいいですか、の質問にクアラルンプールと答えは半数にみ足りませんでしたし、クアラルンプールは魅力は欠けるという発言も支持を得ていました。残念ながらこれは一般旅行者の印象にも同じようなのが多いですね。

日本のマレーシア本への意見

マレーシアに来る前にマレーシアに関する本を読みましたかの質問には、全員が多かれ少なかれ読んでおられました。それに関する意見で、書いてある事に奇麗ごとが多すぎるという批判もでました。例えば各民族が仲良く融和してると書いてあるが、そうでない面も発見した、という事です。マレーシア参考図書は明の面ばかり強調しすぎているという意見もありました。確かにそう言われると、筆者もマレーシアの暗の面を連ねた本を読んだ記憶がありませんね。もちろんそういう本が出版されなければならないというのでなく、そういう面を混ぜて書いてもいい段階にマレーシアは到達したのだから、マレーシアは批判への許容度をもう少し増やすべきではと思います。

筆者の留学観

最後に筆者の印象を述べておきます。最初に触れましたように、目先の実利にすぐに結びつかない事に打ち込むというのはたいへんいいことではないでしょうか。マレーシア語を習ったかといってそれがすぐに利に結ぶことは多くはないでしょうが、他国の文化、人々に実生活の中で触れる経験はきっと得難いものになるでしょうし、そういうことをやってみる姿勢と発想は好きですね。

こういうある意味では贅沢、つまり日本の経済が豊かだからできる事ですから、だけど幅のある姿勢と行動は、残念ながらマレーシアの大学生とその親にはまだ期待できません。英語国圏の大学に留学するマレーシア人学生は中上流階級に多いですが、すべては目先の実利を期待してますし、そうせざるを得ない事も筆者は理解できます。マレーシア人学生が、例えば役に立ちそうにないタイ語留学することは例外中の例外です、マレーシアにはまだ国としてそういう余裕がないことはわかりますが、もう少しゆったりとした学問観を持つべきではないかと筆者は常々思っています。

大学の寮生活は決して快適なものでないことは、コタバルさんの留学生日記にも書いてある通り、でも若い一時期そういう中で過ごしてみる、時には現代日本の楽チン生活から離れたカンポンで過ごしてみる、そういう経験はかけがえないものになると思います。筆者はもう若くはないので彼らと同じように留学したり寮生活を送ることとは無理ですが、ちょっとうらやましい思いもします。そんなこともあって、今回お会いした方を含めマレーシア語学留学されている方、そういう方々を心情的に応援したいですね。

雑談兼インタビューに集まっていただいた方のお名前を記して、ここにお礼を述べておきます。
位田さん(在マ5ヶ月)、山田さん(在マ1ヶ月)、中野さん(在マ1ヶ月)、藤井さん(在マ1ヶ月)、村瀬さん夫婦(在マ10ヶ月)、コタバルさん(在マ1年)



料理法知らずのマレーシア料理案内と勧め


各民族がバラエティーを生み出した

マレーシアを旅行する、に滞在する楽しみの一つにその料理の豊富さがあります。マレーシアを構成する民族が複数である事がその最大の理由ですが、マレー人、華人、先住民族、インド人など各民族が持つ伝統的料理に付け加えて、自民族料理に別の民族の料理法や材料を使って新しい料理を生み出し又はその民族料理に変化を付けているからです。

例えばラクサ料理は本来マレー料理ですが、華人がそれをとりいれて別種のラクサを生み出しました。ペナンのラクサでおなじみのアッサムラクサです。辛い魚スープにゆでた麺類を加えるアッサムラクサ、亜三(参)ラクサなどと書かれている、はクアラルンプールでももちろんありますが、やはりペナンの方がそれを提供する屋台・大衆食堂が多いのです。

ロティチャナイは、インド料理起源でそれを供する数からいえばインド料理店が一番多いのですが、東海岸だけでなくクアラルンプールでもマレー店がロティチャナイをそのメニューに加えているのは極めて普通に見られます。ロティチャナイはもうインド料理というよりマレーシア料理でもある、と言ってもいいくらい民族の垣根を越えて食される料理です。ただ華人のロティチャナイ屋だけにはお目にかかったことはありませんね。

トムヤムスープ、言わずとしれたタイ料理ですが、これをメニューに加えているマレー屋台・大衆食堂は誠に多いです。この傾向は、北部と東部へ行けば行くほど多くなるような気がします。ただサバ州サラワク州でトムヤムスープを見かけた記憶がはっきりしないのですが(トムヤムスープがないと断言しているのではない)、これはサバサラワク州がやはり地理的に半島部つまりタイから離れているからでしょう。

マレー屋台のトムヤムスープとタイの屋台・食堂のそれとには、はっきりと言えないが何か違いを感じます。料理法にまったく素人の筆者ですから、どの材料が違うのか何の香料が欠けているのかわからないのが残念ですが、タイのトムヤムのチリ辛さとは違うのですね。トムヤムスープは華人もその数は多くはありませんが、その屋台メニューに加えています。東炎湯/麺と書かれています。

注記:大衆食堂とここで言っているのは、マレーシアで一般にいうコーヒーショップの事です。コーヒーとついてもコーヒーを主にサービスしているのでなく、大衆料理をメインにして、それに飲物も供するのです。英名ではどの店もRestaurantと店名に加えてます。例えばIntraasia Restaurantのように。又マレーシア語では Kudai Makanan Intraasia、でも実態は上記のコーヒーショップのことで、普通は冷房設備がありません。華語では茶餐室、茶室、飯店などと書かれてますが、これらはすべてコーヒーショップまたはコーヒーハウスのことです。
名は実態を示さずというか実態と少しずれているのですが、そんなことに文句を付ける事自体おかしいですね

英語名は実態とずれる

Nasi Ayamこれは本来は中国料理の鶏飯をマレー風にアレンジしたものです。Nasi Ayamを英訳するとChicken Riceです。また鶏飯を英訳してもChicken Raisです。でもこの2つのチキンライスは味付けも鶏の焼き具合も相当違います。ですからマレーシアの呼び名である Nasi Ayam(ナシアヤム)と鶏飯(広東語でガイファンと呼ぶ)を使いましょう。尚鶏飯は海南人出身者が始めた海南鶏飯と白鶏を使ったイポー鶏飯が有名。

注記:チキンライスというと日本のチキンライスを思い浮かべる方があるでしょうが、まったく違います。料理名を単に別の言語に置き換えると本当の姿が消えてしまう例ですね。

同じ英語名でも中身と材料の違うのにMixed Riceがあります。同じMixed Riceでも、華人の日常飯である経済飯とマレー人のNasi Campurは、手法と形態は同じですが、味とおかず内容が相当違います。材料に宗教上の制約のない華人の経済飯のほうが断然種類は豊富ですし、幾分安い。どちらのMixed Riceも白ご飯に好きなおかずを自分で選びご飯の上に載せる方式です。持ち帰りでも同じ、発泡スチロールにご飯をいれおかずを載せますから。だからミックスという呼び名が生れたのでしょうが、経済飯の方が金銭感覚にさとい華人らしく直接的な表現ですね。マレー食のNasi Campurは混ぜご飯という意味です。でもご飯と混ぜるわけではないですよ。

他民族の味を取り入れる楽しさ

さてこのように他の民族料理法を取りいれて自民族料理に幅を広げる、又はそのメニューにしてしまうのは、世界いろんな国、地域でもあることですから、マレーシアだけの特例ではありません。日本はそれが得意ですよね。ラーメンでもハンバーガーでもスパゲティーでも日本人好みの味にしてしまいますから。

でこのミックス民族料理の代表がマレーシアではニョニャ料理と言われるものです。家庭料理としての面はここでは論じないとして、外食料理においては大衆料理というよりレストラン料理です。マラッカ、次いでペナンがその代表地です。

一口知識:ニョニャ料理のいわれ

18世紀末にペナンがイギリスの植民地になり、それまで住民のごく少なかったペナン島は次第に人口が増えていきました。ペナンは茶、スパイス、陶磁器などの貿易の中継地として栄え、やがてその品目に錫とゴムが加わりました。そのため東西交易の交差点となり貿易者だけでなく様々な人たちをヨーロッパ、インド、中国、マレー半島から引き付けたのです。そこが現在のジョージタウンです。
1832年にペナンはマラッカとシンガポールとともに海峡植民地The Straits Settlementを構成しました。

こうした中で中国からペナンやマラッカに渡ってきた中国人はマレー人との通婚を通して次第にマレー食文化と習慣などをその伝統的中国文化に取り入れていきました。こういう海峡植民地生まれの中国人をStraits-born Chinese といい、一般にBabaババ(男性)Nyonyaニョニャ(女性)と呼ぶのです。

ニョニャ料理はこのニョニャが生み出し育てた料理で、一般に辛く時には酸味より甘味が強いのです。食材料の主体は中国料理からのものを使いますが、マレー料理から香料や一部材料と料理法を取り入れたものです。ですからスパイス使用が比較的多く、材料では例ライムの葉、レモングラスなどを使用します。またニョニャ料理には、もち米、ココナツをベースに使用した甘く色とりどりのケーキKuihがつきもの。

ニョニャ料理はカレー味のものが多いのですが、マレー料理とインド料理の強烈なカレー辛味と少し違ってマイルドな辛さですよ。機会がありましたらペナンやマラッカ、クアラルンプールのニョニャ料理専門レストランで是非試してみてください。

屋台といえばまずペナンです

屋台・大衆食堂料理ばマレーシア全土どこでも一般的でそれを探す手間は全く要りませんが、やはりペナンを真っ先に上げなければならないでしょう。

ペナンはペナンの観光新聞に言わせれば”マレーシアの食べ物首都”だそうですが、確かに屋台・大衆食堂の多さと種類の豊富さは他地域を少しうわ回るといってもいいでしょう。それは屋台・大衆食堂で一番種類が多い華人人口の占める割合がマレーシアのどの州よりも高い事、海が近く海の幸が入手しやすいこと、相当に都会化している、などがその理由と考えられます。田舎というのは料理の種類と店の数はずっと少ないから、屋台が流行るのはやはり都会でなければなりません。

ホーカーセンターが増えている

ペナンにもクアラルンプールとその周辺にもホーカーセンターを呼ばれる屋台を1個所に集めた吹き抜け式の屋根付き場所があります。この場合は朝も昼も夜もどこかの店が営業しているものです。それともう一つが伝統的なタイプである、通りの一部分に屋台が並ぶ形式です。このタイプは当然ながら夕方からが一般的です。

楽しさから言えば道路に広がった屋台街の方がいいかもしれませんが、その後始末がたいへんというより屋台商売人が後始末に力をいれないのは全国共通ですから、現在では都会では少しずつホーカーセンター方式が増えています。

安宿とカフェを出て屋台街を歩こう

ペナンで屋台街といえばガーニードライブが有名で観光ガイドにも載ってますね。確かに夜の海岸に面したあの賑わいには感心します、クアラルンプールの屋台街にない気分を味わえます。ただペナンの屋台街はガーニードライブだけでないのはいうまでもありません。アイールイタム、マカリスター道路、などなどいくらでもあるでしょう。

バックパッカーの多いチュリア通りには屋台街とまで呼べるものはありませんが、そこからほど近いキンバリー通りにはあります。しかし哀しきバックパーカー、特に白人は、はチュリア通りの外人相手のカフェでピザやスパゲティーを食べビールを飲んでます。ペナンまで来て世界中どこにでもあるピザを食べている彼らには永久にマレーシア人の食文化が理解できないでしょう、というより彼らはそういうこと理解することに興味ははなからなくて、ただエキゾチックで安く旅ができる東南アジアを楽しんでいるだけですから。

日本人バックパッカーの皆さん、こういう哀しき白人バックパッカーを真似せずにアジア人らしいバックパック旅をしてくださいね。バックパッカー宿街を離れて夜の街へ食事に出かけてご覧なさい。キンバリー通りでもカンポンマラバール通りでも屋台・大衆食堂はいっぱいあるのです。

クアラルンプールのチャイナタウンで言えば、夜になると通りにずらっとテーブルと椅子を並べて白人に占有されたかのようなハンレキール通りの海鮮料理レストランでなく、ペタリン通りの小路には地元人好みの屋台と大衆食堂が目白押しです。例えば同じハンレキール通りの麺類専門店など壁のメニューに英語なぞ一切書かれていませんが、地元の人に大人気です。旅行者に媚びを売らないそういう店の方がおいしく安いのです。もっともそのためにはある程度の知識も必要ですけど。

ランカウイだって屋台街はある

さて話がずれましたが、屋台料理はランカウイでもクアの町の海岸端で味わえます。ランカウイはほとんどの方がリゾートのに泊られるから、屋台料理を味わいにわざわざ町まで出てくる事はないでしょう。でもクアの町の安宿に泊っている予算のない旅行者なら、筆者はいつもです、海風の気持ちよい海岸端へいって屋台食を味わいましょう。ただしあそこはほとんどがマレー料理です。

屋台料理の勧め

マレーシア旅行者、特に自由旅行者の方なら是非屋台街や大衆食堂を訪れておいしいマレーシア大衆料理を味わってみませんか。誰でも始めから思うように自分のほしいものが注文できませんし、時には何がでてくるかよくわからない事もあります。それは当たり前、15年以上東南アジアを歩いている筆者でも知らないところでは戸惑うし、マレーシア料理注文に充分に慣れるまでに、言語面を含めて2年はかかりました。

ですから始めから希望通りにはならないのです。大衆料理を味わうには物怖じせず、店で食べている人の料理と同じ物を注文してみるのです。少しずつそうやって覚えていくしかありません。軽い気持ちで料理を味わう、興味心と食い気があれば失敗もまた楽しですよ。



一夜漬けで覚えるマレー料理の注文法


前回のコラム「料理法知らずのマレーシア料理案内と勧め」を書いたところ、マレーシア料理を試してみたいが、どうやって注文したらいいかの問い合わせがありました。また街中で旅行者を見ていて感じるのは、おそらく注文法がわからないから、屋台と大衆食堂は入りずらいだろうなという事です。もちろん筆者でも知らない国地域へいくと同じように戸惑いますから、これは当然ですね
そこで今回は注文法について、ごく初心者向けに手早く覚えるためのこつを書いてみましょう。

最初に言っておかなければならないのは、当たり前ですがその国の言葉がある程度分からない限り、自分の希望通りにはいかないということです。これだけはどんな精細なガイドブックを見ようが、ここで丁寧に説明しようが限界はあるということです。前にも書きましたように、失敗も楽し、それも次回のためだ、という気持ちで望んでください。

マレー料理命名法第一の規則

マレーシア語は、誤解を恐れずに言えば、大体書かれた通りに発音すればいいので、発音面ではそれほど難しいことはないでしょう。ただし聞き取りは当然ながら発音するよりも時間と慣れが必要ですから、一夜漬けで聞き取れるわけがありませんから、細かいことはあきらめてください。

そこで屋台の看板とか店の壁に張られたメニューを見てみると、
Nasi (ナシ)のあとにGoreng(ゴレン) と書かれていればそれは炒めご飯です。NasiはごはんでGorengは炒めるですから、このように名詞には後ろから修飾がかかる規則を覚えてください。これはすべてに共通ですが、マレー屋台の中にはGoreng Sayur炒め野菜のように間違ったマレーシア語を掲示しているところも中にはあります。

覚えておく食べ物ことば、( )内がその便宜的発音です。

Ayam(アヤム) 鶏、、Minya(ミニャ)油、Putih(プティ) 白い、Campur(チャンプー) 混ぜる
この4つを覚えればすぐに応用できます。
Nasi Ayam はマレー料理の代表 焼いた鶏の片を載せた飯です、Nasi Putih白いご飯、Nasi Minya白飯に油を加えた ご飯。Nasi Ayam の店では場所によっては白飯と油飯の両方を準備している店もあります。

応用問題:Nasi Goreng Ayma (ナシゴレンアヤム)はなんでしょう?
答え:Nasi Gorengの上に又は脇にAyam を加えたものです。

Nasi で有名なのはNasi Lemak(ナシルマッ)です。普通は朝食に出ることが多いです。ご飯にピーナッツ、干し小魚、薄く切ったゆで卵、きゅうり、さらに辛いペースト状のサンバルを添えたもので、さらに盛ったタイプよりも、中身をバナナの皮でくるみ、外側を新聞紙でくるんでピラミット型にしたタイプのほうがより安い。写真はいつかそのうちに掲載しましょう。

Mee またはMi (ミー)麺類のこと、”私”の意味ではありませんよ。「MeはMeeにする」 と冗談を言えば通じるかもね。上記の知識を利用すれば Mi Gorengはもうお分かりですね。炒め麺つまりやきそばの親戚です。

Maggi Mi(マギーミー)というインスタント麺がマレーシアでは超有名ですので、屋台・大衆食堂ではこれをメニューにいれて、炒め麺にも使います。その時はMagi Mee Goreng と言う。
麺類にはその他 Bihun /Bee Hoonビーフンと、Kuai Tiew /Kway Teow クワイティオなどが主なもので、いずれもその語の後ろにGoreng とかSup(スップ)がつきます。

Supはスープのこと。ですからMee Supといえば普通のスープ付き麺ですね。Maggi Mee Supはもう言うまでもないですね。Sup Ayam チキンスープ、Sup Dagin(スップダギン)牛肉入りのスープ、Sup Sayur 野菜スープ

Sayur(サユー) は野菜

Sayur Goreng は炒めた野菜つまり野菜炒め。ですからSayur Gorengを1皿注文し、ご飯には、Nasi Putih 又はNasi Gorengを注文すればいいのです。

これに似た料理にNasi Padprik(パプリック)というのがあります。 肉野菜炒めみたいな料理ですが、チリがたくさん入っているので、チリを少なくしてほしい時は、Kurang Cili (クランチリ) と頼んでください。
Kurang(クラン) は便利な言葉ですから是非覚えておく事。

肉と魚類

Daging 肉のこと、ただし普通は牛肉を指すDaging Lembu(ダギンルンブ)のことを指す場合が多い。Kambing(カンビン) は山羊の肉。Ayam 鶏で、豚肉はマレー料理には当然ありません。

魚はIkan (イカン)で、屋台なら4,5種類並んでますが、魚の名前はとりあえずいいでしょう。よく知られた料理 Ikan BakarはBakar(バカー)が焼くという意味ですから、焼いた魚ですね。これを覚えれば、Sotong Bakar(ソトンバカー)、Udang Bakar(ウダンバカー)など皆同じです。Sotong はイカ、Udang は蝦、Ketam (クタム)はカニ、です。

Campur(チャンプー)という言葉も是非覚えてください。混ぜるということ。ですからおかずをそれぞれよそって食べる式のご飯をNasi Campurといいます。これはほしいおかずを自分でよそうから難しくありませんね。その時このおかずは辛いかどうか知りたければ、”pedas-kah?”(プダスカ?) と聞けばいいのです。
少し丁寧に ”Tolong Tak Pedas”(トロンタップダス)という言葉も必要ですね。「辛くしないで」

とりあえず一夜漬けで覚えるならこれぐらいの分量ですね。マレーシア旅行にはこのページを印刷してお持ちください。一夜漬けでもきっとお役にたつはずです。Sila Makan さあお召し上がりください。



インターネットカフェ最近事情


ほんの2,3年前にクアラルンプールでオープンし広がり始めたインターネット店又はインターネットカフェですが、いまや田舎の町へいってもそれを見かけます。といっても田舎の町の場合、カフェでなくパソコンショップ・代理店又は地元のコンピューター学院が店の一画にPCを数台から10台ほど置いて、インターネットサービスを客に提供している経営法です。人口が少ない地域ではその方法しか成り立たないでしょう。

都会中心部より多少離れた地区に多い店

インターネット店又はカフェが圧倒的に多いのは都会ですが、クアラルンプールの場合都会のど真ん中よりも、少し中心部を離れた地区に多いのです。例えばブキットビンタイ街にはショッピングセンターの中に数箇所あるだけで、インターネットショップ又はカフェとして独立した店舗は今のところ存在していません。

4月19日の新聞の記事からを再録
「インターネットブームが過去2年間首都圏にインターネットカフェ、マレーシアでは通常 Cyber Cafeと呼ぶ、の増加を呼びました。インターネット世代の10代がをつかみかけた当初は1時間RM10以上もして、インターネットカフェはその投資に見返りがありました。その当初の成功が他の人に、インターネットカフェビジネスは金の成る木と思われ、さらに多くの参入を招いたのです。

しかし97年後期からの経済停滞で、他の業界と同様の影響を受け、さらに競争激化で料金が低下し、1時間RM2.5の店もでています。結果として収入が激減したのです。その低下した収入を増やすためためインターネットカフェをビデオゲーム場化してもいます。
現在首都圏には300のインターネットカフェがあるそうです。そのうちGombak地区には50軒もあります。」以上記事から。

その理由を考察する

なぜ中心部の繁華街に思ったほどインターネットカフェがないかは次の理由が考えられます。
まずビルの賃貸料の高さに見合って収入が見込まれないことでしょうね。
それとあとで述べるように、ビデオゲームセンターが豊富にあるので客層の大きな部分を閉める生徒と学生層がインターネット店で遊ぶまでもないという事でしょう。
これがマレーシアのインターネット店の特徴にもつながりますね。

この1年ぐっと下がった利用料金

第1の理由ですが、競争激化で利用料金が低下して、インターネット商売だけでは賃貸料、必要経費を払っった後利益を保持していくのが難しいでしょう。つい半年ぐらいまでは、クアラルンプールのいい場所にあるインターネット店なら料金1時間RM8ぐらいはしましたが、いまやそういうところでもRM6ぐらいに下がっています。その店のメンバーになれば、1時間RM5、時にはRM4ぐらいでしょう。上記の記事にあるような、1時間RM2.5という店はクアラルンプールの中心ではお目にかかれません。当たり前ですがそれだけ低料金では高賃貸場所では無理ですね。

スレンバンの中心街の1画で、たいへんいいショップが1時間RM3のメンバー料金を施行しているのをみましたが、この料金は賃貸料の高い場所では無理だと店のオーナーが言っておりました。筆者も同感で、1時間RM3ではいくら1等地でなくても低料金すぎると感じます。パソコン、インターネット用専用線架設、店内装飾などの投資の後で1時間利用がRM3では、もうめちゃくちゃに繁盛でもしない限り商売存続は難しいでしょう。そこで超長時間営業にしたり、ビデオゲームをパソコンで遊ばせる商売が増えてくるのです(これは第2の理由で述べる)。個人営業のインターネットショップでは朝から深夜1時過ぎまでオープンしています。よく毎日やってるなというほどの長時間営業ですが、オーナーだけの単独、従業員なしの営業だからこそできるのでしょう。

1等地から独立したインターネット店が減った

さらに第1の理由を裏付けるのにこういうことがあります。インターネットカフェが出始めた頃、中上流階層の溜まり場の一つであるクアラルンプールはバンサバルのショップ街に何軒ものインターネットカフェがオープンしましたが、2年後にはすべてなくなってます。というよりそれをメインにしてなくて、本業のカフェとかパソコンショップにインターネットのできるPCも置いてあるという形式に変わってしまったのです。イッピー層と外国人の多いバンサバル(日本語ガイドブックなどではバングサなどと間違った呼称紹介がしてある、あの一帯はバンサバルと呼ぶのです)でさえインターネットカフェがなくなったのは、対象客のインターネットへの興味が減ったのでなく、インターネット店が商売場所を変えただけなのです。

どういうことかというと、そういう1等地又は高級な場所からインターネット店は次第に周辺、郊外に中心を移しています。ちょうど上記記事で述べられているGombak、ここは中心から離れた住宅地、に50店舗もできるのです。さらにカレッジのある地区にはインターネットカフェが必ずあるそうです。残念ながらそれを筆者は調べて回る余裕がないので、記事の受け売りですが、なるほどと思えるだけの根拠はあります。

インターネット店はゲームセンターでもある

第2の理由は、マレーシアのインターネットショップはゲームセンターの要素も兼ねているという事からきます。
実は筆者はずっと以前ビデオゲーム産業に関わったので(ただしゲーム自体は全くやらない)、ビデオゲーム場に替わる存在としてのインターネットカフェ又はショップならそれの需要が十分ある事を経験上感じていました。マレーシアでも子供たちと学生はビデオゲームが大好きです、大学生ぐらいまでの層は、ビデオゲーム場(ゲーセン)の主客です。

そのビデオゲーム場は違法ギャンブル機などを置いたり、無許可営業で当局からそして親からも常ににらまれる存在です。そこでこのインターネットショップでVideo CDで遊ぶまたはインターネット上でゲームするのは、ビデオゲームセンターへの取り締まりが厳しくなった現在ビデオゲーム業者にとって格好の商売替えの場となったことでしょう。だからインターネットショップがある種のゲーセン的要素を兼ねるようになったのです。

日本語ウインドーPCのある店はまだない

このゲーセンインターネットショップは学校の近くや住宅地にあって主対象を生徒や大学生においているどちらかといえば、高級志向でないインターネットショップが主流でしょう。クアラルンプールの中心街にあるインターネットカフェは当然こういうあり方ではありません、カフェで飲食物を売り、雰囲気よくインターネットサーフィンできるようにしてあります。尚数は少ないですが、クアラルンプールやペナンのチャイナタウンには外国人旅行者主対象、ほとんど専用といってもいいぐらい、の店もあります。ただ日本語WindowsをインストールしたPCを置いている店は、筆者の知る限り全くありません、在住日本人の多いコンドミニアム内又はその周辺にはあるかもしれませんけど。

余談ですが、バンコクのカオザン通りには日本人自由旅行者対象の店があるそうですが、マレーシアはタイほどそういう旅行者が多くないので、それだけでは商売はなりたたないでしょうね。でも日本語PCを数台ぐらい置いたらいけるとは思うのですが、そういうインターネット店は出てきませんね。資金があれば筆者が設置したいぐらいです。

マレーシア特有の事情の中で

話がずれましたが、マレーシアでもインターネットビジネスは注目を浴びています。でもインターネット登録人口のまだまだの少なさ、約50万人ほどとか、とビデオゲーム場要素を持ったインターネット店の状況とあいまいな規制、のため、きっと日本のインターネットカフェ状況とは違ったものではないかと、筆者は推測します。

特にインターネット店に対するこのあいまいな規制のため、現在飲食業での免許店と娯楽業での免許の店とが両立しているそうで、それに各自治体毎にその適用と営業時間許可に相当な違いがあるそうで、インターネット店業者からも関係官庁の早急な規制統一と公平な適用を求める要望が出ています。最後に、マレーシア社会に根強くある情報規制思考が、新しいインターネット商売の流れをどう左右していくかですが、これは商売という枠組みを越えた事柄ですから、これからも規制のゆれはあるでしょうね。



このページの目次へ 前のページに戻る