「今週のマレーシア 」 98年1月分と2月分のトピックス

今年のマレーシアと変化の大きいクアラルンプール・ 砂糖をパニック買いする消費者整備途上にある首都圏の交通網
マレーシア出版事情と読者 (前編)マレーシア出版事情と読者(後編)伝統的映画館の廃業
交通事故と歩行者の敵バイク乗り日本人旅行者にとってのマレーシア沈黙するムスリム国家



今年のマレーシアと変化の大きいクアラルンプール


今年はマレーシアにとってどんな年になるでしょうか。経済予想とか占いをするつもりはありませんが、東南アジア各国が経済成長率低下に苦しむと予想されている 98年ですから、マレーシアだけがそのかやの外にいることはできないでしょう。ほぼ10年間つづいた高成長と好景気の後ですから、経済停滞の影響で人々にとってショックな年になりそうです。

高層ビルの立ち並ぶクアラルンプール

初めてマレーシアを、特にクアラルンプールを訪れる方の多くはその発展ぶりに驚かれます。筆者がマレーシアに来た90年末当時に比べると、この7年間ほどにクアラルンプールタワーとツインタワーに代表される高層ビルとコンドミニアムの急激な増加、道路建設の激しさ、高架電車網の建設、ショッピングセンターが郊外にまで増えたなど、街の目に見える変化は大変顕著なのです。

旅行者の方がブキットビンタン街を歩ければ、トレンディーなブランドショップの並ぶショッピングセンターと建設中のモノレール用の高架、あちこちにある五つ星ホテルに目を奪われることでしょう。

東南アジア大都市の負の面もある

一方、道路建設にもかかわらず道路渋滞は一層悪化し、自動車とバイクの運転マナーは一向に向上しないとか、住宅地・団地の建設スピードに水源整備がついていかずたびたび断水する、道路ビル工事中に地下送電ケーブルを不注意に切断して一帯を停電にさせる事故は相変わらず減らないし、ゴミの捨て方と回収問題は人々の環境問題意識に見合っていまだ進歩せず、スクワッターと呼ばれるミニミニスラムが減らないといった負の面も感じ続けています。

読者の方からクアラルンプールはきれいだったけどどこにゴミ問題があるのですか、などというメールをもらったことがありますが、まあ当然ながら旅行者のごく短期滞在ではそういう問題は見えてきませんし、ましてや観光バスの名所巡回コースではスクワッター地区などは全くいきませんから、わからないのも無理ありません。しかし東南アジアの他の大都市に比べてずっといいものの、クアラルンプールにもそういう場所や問題が残っているのです。

なぜクアラルンプールツアーはこんなに少ないの

話がちょっと横道にそれますが、年末に雑誌AB ROADを入手して(ある読者が送ってくれたのです)マレーシアへのツアー状況を調べてみたら、なんと9割まではランカウイツアーでKLツアーなんてほとんどないのですね。いやはやクアラルンプールってこんなに人気ないのかとすこしがっかりしました。

あっても、午前中にランカウイからKLについて午後だけKL観光、そして夜にはもう日本へ帰る飛行機に乗るという超スピード見物です。なかには”クアラルンプールとランカウイ6日間(クアラルンプールでは観光なし)”なんてうたっているツアーまであり、これじゃ首都クアラルンプールがかわいそうです。

確かにクアラルンプールは、人間の欲望を金さえあれば何でも満たしてくれるバンコクや、整った人口美と管理された清潔・安全さが売り物のシンガポールに比べて、魅力が今一つなことは、長年東南アジアを歩いてきた者として筆者も認めますが、マレーシアらしい都会の代表としてクアラルンプールにはクアラルンプールとしてのバンコクやシンガポールにはない魅力があるんですよ。

これじゃあんまりです。ツアーを主催する旅行会社さん、もう少しKLへのツアーを増やすか滞在を長くしてくださーい。でなければ Intraasia主催の”クアラルンプールを歩く見る遊ばない” とか”エコノミーホテルだけに泊るマレーシア5分の1周ツアー”みたいなの作ろうかな。

今年の国家3大行事

本題に戻ります。独立以来41年目にはいった今年は、マレーシアが国の威信をかけてこの何年間建設してきた準備してきた重大な施設オープンが控えています。予定より半年ほど遅れたものの、広大な土地にまったくゼロから作り上げた新クアラルンプール国際空港の開港が、修正計画では今年半ばです。

日本人にはまったく受けないし興味もないけれど、マレーシアもその一員である英連邦諸国スポーツ大会が9月に開催されます。そのためにメインスタジアムを含めていくつかの競技場と選手村がKL郊外に大分できあがりました。現在の路線から枝別れした高架電車LRT の別路線が競技場Komonwelthまで建設中で、これも今年半ばにはオープンするでしょう。

そして国家最大のプロジェクトであるマルティメディア回廊(MSC)内で、建設を開始したプトラジャヤとサイバージャヤの一部が出来上がり、MSCが部分的ながら現実に立ち上がる予定です。首相官邸も98年末前には将来の行政首都プトラジャヤに新築移転する予定です。

ショッピングセンターなどは供給過剰

以上が98年の3大国家行事です。MSCを除けば空港も競技場類も相当程度完成しているので、経済成長率低下の影響はほとんど受けないでしょうが、英連邦スポーツ大会までにオープンを望んで続続と建設された又建設中の高級から中級までのホテル、そのために確実に供給過剰になり、はこの成長低下の影響をまともに受けるといわれています。さらにいまでさえ平日の午後など閑古鳥が鳴いているし、且つ空き店舗の目立つ新興の中型ショッピングセンターは生き延びていくことができるのかな。

やっぱりこういう供給過剰はどこの国でも避けられないんですね。筆者は数年前からショッピングセンターやオフィスビルやショップハウスは絶対に建てすぎだといってきたのですが、そのころは景気が良くて、つい1年前まででは新聞にもそんな論調はめったにでませんでした。ただホテルとコンドミニアムは建設しすぎだという意見はありましたが。

街の発展状態に感じた素朴な疑問

それにしても経済評論家やエコノミストはなかなかこういう実態を予測できないのですね。統計に現れた数字を基にして、いくつかの専門家の意見を取りいれて判断するのでしょうが、街の実態に疎いのではと思わざるをえません。筆者は1年半ほど前までは、パートーナーと商売でほとんど毎日KL一帯を隅々まで走りまわっていたのですが、街の発展状態を目の当たりにして素朴な疑問が沸いてきて、数年以内にマレーシア経済は問題が起こると予想していたのです。もっとも当時誰もまともに聞いてくれなかったのですが。

なぜかというと東南アジア大都市の中では抜群に整っているとはいえ、基本的生活インフラストラクチャーのアンバランスさと貧富のかい離、安易に外国人労働者に頼る風潮など経済成長が鈍った時防波堤になるべきものが不十分に感じたからです。月賃貸料RM5,6千 にもなる高級コンドミニアムが建っている裏道では一雨降れば道が冠水し、そこから程なく離れた場所に残る木造の朽ちた住宅街。どこかで見た風景でした。そうタイやインドネシアでおなじみの風景ですね。

足りなかった専門家の指摘

今ごろになって経済記者が、96年の銀行ローンの伸び率は30%、97年11月までが28%も伸びた、8%ほどの経済成長率を維持するのにそんなに高いローンの伸び率は必要なかった、加えてローン先の半分は非生産業の不動産、株式と消費分野に貸し出された、と書いてます。

月収RM千数百そこそこで価格RM4,5万のプロトン車を超長期ローンで購入する人たち、そのローン申請を安易に認めるファイナンス会社など、経済が好調だと誰も不調になった時を考えないのですな。それにしてもこういう街の表情や路地裏の実態はマレーシアの専門家なら知っているはずなのに、好調と見えた時にこそもう少し警戒的な論調をはるべきだったのではないでしょうか。

マレーシア人では、政府やビジネス界主流に逆らうような否定的なコメントを発表するのはなかなかできないとは思いますが、では外国人エコノミストなどはどう観測していたのかな。残念ながらよく覚えていません、中にはMSCのアドバイザーを努める大前研一氏のように、理論と数字は詳しい(でしょう)けど大衆の実態を知らない知ろうとしない専門家もいますからね。彼は我々の毎日の昼食代がRM3からRM3.5に値上がりする重み、インターネットどころか電話さえまともに保有していない東海岸の村などの実態がわかるのかな。

ミニバスが消えて高架電車網が現れつつある

KL市内に戻りましょう。2、3年前までは市内を我がもの顔をして縦横に走っていたミニバスは、もう市内近郊バス総数の1割ぐらいに減りましたが、これも今年中には消えてしまうのですね。ミニバスには筆者は随分おせわになりましたが、もう最近では高架電車LRTか Intrakota冷房バスばかりです。台数自体が少なくなって利用しずらくなったことより、安かろう悪かろうのミニバス運行に飽きたのです。90年代前半までの乗り物ミニバスよ、さよならです。

自家用車がなくなったので、この半年以上筆者は出歩くことがずっと少なくなり、出かける時はできるだけLRTを使っています。交通渋滞に左右されないLRTは、夕方バスなら40,50分かかるのが8分ですみますから、2倍の運賃を払っても乗る価値があります。

このLRT路線は現在1路線しかありませんが、現在上記で触れたKomonwelth 路線とペタリンジャヤ・スバンジャヤ行き路線と現路線のSentulまでの延長の3路線工事を平行して進めています。それとはまったく別に、KTMの近郊電車路線(複線)が96年後半からから運行されています。全部完成する98年末頃には、クアラルンプールは東南アジアでは、シンガポールに次いで都市電車網のある都市になります。

きめこまかい路線にはほど遠いですが、5年ほど前には電車で通勤通学するなんて考えられなかったのですから、この電車網整備は現代都市整備の一環としてクアラルンプールプールの誇る一面なのです。バンコクと比べたら都市開発の計画性のよさと実行力が際立ちますね。

こうしてクアラルンプールを改めて考えてみると、整った中のアンバランスさという興味ある面が見えてきます。ですからクアラルンプールって捨てたものではないのですよ。もっとクアラルンプールを訪れてくださいね。



砂糖をパニック買いする消費者行動


砂糖がないとお菓子類やケーキが作れないだけでなく、料理も味つけが落ちますね。それぐらいは料理をしたことがない筆者でも知っております。でも砂糖が足らないからといって飢え死にするわけでもありませんし、すぐ生活に直接ひびくとは到底思えません。

マレーシア中が1月28日からの中国正月と30日からのハリラヤ休日を待ち望んで、多くの家庭ではお祝い用の伝統的菓子類の準備に入っていることも、筆者はわかっています。それにしてもです、この数週間の砂糖不足騒ぎは、ことばはきついけど、”ばかげています”。

全国的な砂糖不足騒ぎ

新聞には毎日、砂糖不足と砂糖買いだめ騒ぎのニュースが大きく載っています。単に首都圏一帯とかある州だけでこの問題が発生しているのでなく、サバ州サラワク州を含めて全国的に砂糖不足騒ぎが起こっているのです。

12月に政府が2月1日から価格統制品である消費必需品のいくつか、砂糖と小麦粉とミルク、を値上げすると発表していらい、この”ばかげた”砂糖不足騒ぎ、むしろ砂糖パニック買いといった方が実状をよく示していますが、になったのです。
国内取り引きと消費者問題を担当する省とその大臣らが、砂糖供給は十分である、消費者は買いだめしないようにという声明を何回も出してきました。もちろん供給側の砂糖精製会社や卸し会社に、値上げを見込んで生産を控えたり売り惜しみしないよう、もし省の指示にそむいたら罰するという警告を発し、精製会社の生産量をチェックしています。

それでも消費者の砂糖買いだめ傾向はおさまらず、いくら仕入れてもすぐ売り切れてしまうため、多くのスーパー、食料品雑貨店、市場では、購買者に1人当たり2kgとか4Kgの制限をつけているのです。田舎に多い家族経営の食料品雑貨店では一人当たり1Kgにまで制限している店もあるそうで、反対に消費者はそういう店は砂糖が統制価格より高く売られていると不満を伝えています。

作られた砂糖不足

いずれにしてもです、理解のできない消費者行動です。今月の全国砂糖出荷予定量はかってない規模の10万トンにすると、担当省幹部は発表しました。人口2千万の国ですから、赤ん坊から大人まで一人当たりにすると国民一人当たりなんと5Kgにもなります。平均的家庭の月砂糖使用量が2Kgだそうですから、2重フェスティバルを控えて消費が急増する理由はあるにせよ、現実を超えた市場流通量ですね。

政府与党を構成する政党マレーシア中国人協会(MCA)の消費者問題議長が、「これ(砂糖買いだめ行動)はばかげている。(値上げ前に)買いだめして節約できるのは月せいぜい50セントなのに。」と言っています。まこと同感、来月2月からの砂糖統制価格の値上げ幅は1Kgあたりわずか25セント!だけなのですよ。

2重フェスティバル後には、毎日の飯代が恐らく多くの店で数十セント値上がりするでしょうが、こちらの方がずっと重大で影響が大きいはずです。

官庁の声明を信用しない消費者

度重なる官庁や州政府の安定供給声明にもかかわらず、多くの砂糖購買者、普通の家庭の主婦や主人でしょうが、はまったくこれを信用していないみたいです。わずかの節約のためと供給不安心理からこういう行動にでているはずですが、いかにもおろかな消費者と言うしかありません。こういう消費者は自分で自分の首を絞めていることに気がつかないのですね。

日本でも73年でしたか、第一次石油危機の時にトイレットペーパーや洗剤の買い付け騒ぎが起きましたね。当時まだ学生だった筆者にはまったく影響はなかったのですが、後日実態が明らかになって多くの消費者がそのおろかな行動を恥じたのではなかったかな。

たとえ砂糖精製会社や卸し会社が作り惜しみ、出荷惜しみしているとしても、それはせいぜい数週間続くだけでしょうし、仮に砂糖が無くたって、米がないのとは違って食うのに困るわけではありません。単に楽しみにしている2重休暇のお祝い菓子や料理が作れなくなるだけなのですが。
マレーシアは構造的飢餓に陥ってる北朝鮮や干ばつで食糧危機に陥ってるアフリカのどこかの国とは全く違います。それどころか食べ物が安くて豊富なのです。相当程度自由な市場経済の国なのです。

もちろん砂糖買いだめを苦々しく思っている人もいっぱいいることでしょう、この機会に砂糖消費を減らそう、と栄養協会が訴えています。だから筆者も、「マレーシアの消費者よもっとかしこくなれ」と言いたいですね。

金融機関は大丈夫という政府声明

この砂糖不足騒ぎに見られるマレーシア消費者の行動は、筆者には不気味な前兆を感じさせます。当ホームページの「新聞の記事」からとこの「今週のマレーシア」で何回も書いてきましたように、現在マレーシア経済は経済成長率低下・停滞と通貨リンギットの暴落に直面しています。リンギットは対米ドルに対して1年前の半分近くまで落ちてきました。つまり為替交換率が半年でなんと90%近くも落ちているのです。

日本円も対米ドルに対してよく50%ほど上下しますが、日本に比べて経済規模のずっと小さい国マレーシアでこの通貨価値下落は、日本が通貨下落で被る影響よりもはるかに大きいはずですから、まこと深刻なものがあります。

政府はこの経済危機に見舞われ出したころから、マレーシアの金融機関特に銀行、ファイナンス会社は資金的にしっかりしていて問題ない、としきりに言い続けています。その一方数週間前には国に存在するファイナンス会社は多すぎる、たしか40数社と記憶してます、から核になる7,8社に減らすべく、今年の3月までにファイナンス会社間で合併・吸収交渉を始めなさい、と財務省が指示を出しました。また小規模銀行に対しても経営基盤強化するため合併するよう示唆しています。

筆者はどのファイナンス会社や銀行の経営基盤がどれほど安定していて、どこが不安定化全く知りません。もっとも専門家でも、どこがだめだとよく分かっている人はそんなにいないでしょう。情報公開度が公正で多きいことが条件ですからね。日本だって銀行や証券会社の倒産をどれくらいの専門家が事前に指摘したのでしょうか。

砂糖買いだめに見る消費者の行動

そこで筆者が上記で不気味な前兆を感じると書いたのは、たかが砂糖の値上げ不足でこんなに騒ぎが起きるのですから、もしファイナンス会社や銀行の経営不安のニュースやうわさが流れだしたあかつきにはどのようなことになるか、という思いです。それを見越してかどうか知りませんが、政府は銀行の預金者の預金は保証する、と先日声明を出しました。しかしこの砂糖騒ぎを見たからには、政府の声明がどれくらい有効かいささか疑問に思うのは筆者だけではないでしょう。

預金が無くなると思わされた預金者の行動は、砂糖が買えなくなると感じた消費者のパニック行動の比ではないでしょう。スーパーの砂糖売り場に行列を作っても不穏な行動は一切おきてませんが、ことが預金に関すれば銀行やファイナンス会社の前に単に行列を作るだけで終わるのかな。

マレーシア消費者の”作られた砂糖不足(大臣のことば)”による愚かな買いだめ行動は、まだ現在進行中ですが、筆者に改めてマレーシア人を考えるヒントとこのコラムの題材も提供してくれました。
参照: 「新聞の記事から」 に関連ニュースがあります



整備途上にある首都圏の交通網


大気汚染の元凶の一つ車の排気ガス抑制には、自家用車の抑制、公共交通網の整備が緊要ですね。マレーシア政府はその目的のために賞賛すべき政策を取っています。

あちこちで道路と高架電車建設中

首都圏の交通渋滞は、東南アジアの大都市ならいたるところで見られるものですが、クアラルンプールはバンコクやジャカルタよりはいいものの、相当ひどいといえる状況であることは否定できません。この道路交通状態を緩和するために、市及び政府の肝いりで首都圏あちこちで道路増設工事と高架電車とモノレール建設をしています。(余談ですが、モノレールは日系企業が受注しています)

ですからこれらが完成するこの数年間は、渋滞が倍加・悪化しているわけです。KLの中心部の主要道路など工事の影響で車線半減、一方通行化で旅行者の方でもその渋滞ぶりはすぐ体験できます。

Asean 中一歩先を行くマレーシア

深刻化する交通渋滞に悩んでいるものの、都市交通計画のよさは、また比較しますが、バンコクやジャカルタのそれよりはるか上です。これはまさにマレーシアが一歩先を進んでいる点、シンガポールは除いて、です。もう少し早くから建設に取りかかるべきだったとは思うものの、こういう公共投資に多くの金をつぎ込む政府のリーダーシップは、他の Asean 諸国もみならうべきではないでしょうか。

いくらがんばって道路を造っても自家用車の増える速度にはかないませんから、公共乗り物を増やさないかぎり交通渋滞は永久に解決できませんよね。そこで猪突猛進のごとく高架電車やモノレール建設、近郊電車路線の整備に 3年前から取りかかったマレーシアのあり方は、もっと報道されてしかるべきです。

電車車両製造産業はマレーシアにないので、いずれの車両も外国つまり、韓国、南アフリカ、オーストリア、日本から新型車を輸入していますしその予定です。このため少しばかりマレーシアの実状にあわないスタイルの車両を使っていることに結びついているようです。もっともマレーシア自体が、長距離列車を除いて、車両による大量輸送交通機関の経験がなかったため、致し方のない面も多分にあるのですが。

LRTはきれいな見本

日本からマレーシアにいらっしゃって、 LRTと呼ばれる KLの高架電車や Komuter と呼ばれる近郊電車に初めてお乗りになれば、きっと筆者の言葉にうなづかれることと思います。両方とも、特にLRTは、いつもきれいに保たれ、結構時間に正確な運航は、東南アジア大都市のこれからの見本とも言えます。筆者はこの両者をよく利用しますので、自信をもっていえます。「バンコクとじゃカルタの交通政策の指導者は、是非クアラルンプールを見習うべきです」と。

もちろん筆者は無条件に絶賛しているわけではありません。乗客のマナーの悪さ、これは多分にマレーシア人が電車乗車の規則を知らない、無関心なことにあるのでしょうが、とか 高架電車LRTで使われる車両の不適格さ、例えば写真に示したように吊革の少なさ、捉まり棒がない、座席がステンレス製で発車時と停車時お尻が滑ってしまう、など不満はあります。

しかし今までミニバスや市内バスのひどい運行を知っている、何年も利用してきた者として、電車網の建設整備に力をいれているマレーシアやるな、という気持ちを抱かずをえません。日本のマスコミもマルティメヂアスーパー回廊ばかりでなく、こういう面ももっと報道してくださいな。

バス網はまだまだ不十分

そういうものの、まだまだ公共交通網は不足です、特にバス網は十分に木目細かくないし、本数も不足なのでどうしても自家用車、バイクに頼らざるをないのも現状では事実です。この1,2年相当冷房バスが増えた、恐らく4分の3ぐらいまで、ものの朝夕のラッシュ時の満員バスのひどさは耐え難いものです。車を買えるクラスなら自家用車、そこまで手が届かないクラスはバイクと、自前の交通手段利用族は一向に減りません。

そこでバイクの保有率が大変高く、ある専門家は首都圏では1000人に180台と計算しています。バンコクが124台だそうなので東南アジア一だそうです。

減らない自家用車利用

政府は交通渋滞緩和のため、自家用車の利用を押さえ公共交通の利用をしきりに奨励していますが、鶏(公共交通の整備)が先か卵(自家用車の抑制)が先かで、自家用車族はあまり聞く耳をもちません。

自家用車の便利さ快適さと保有のステータスシンボルをひたすら信奉するマレーシア人に、少々の飴(電車網の建設、冷房バスの増加)ではあまり多くのドライバーは振り向かないでしょう。増してや鞭(市内の駐車料金値上げ、自家用車乗合・同乗の勧め)では自家用車族の気を変えることはできないですね。

車のなくなってしまった筆者ですが、バス・電車派とはいえ、やっぱり車が必要だと思いますね、特に中心部以外や郊外に出かけるには車が必需です。筆者の行動力が以前と比べて、はるかに鈍ったのはやっぱり自家用車がなくなったせいです。(これ筆者の嘆きです)

自家用車同乗キャンペーン

この自家用車乗合・同乗とは、同方向に通勤する人たちが一台の自家用車に相乗りして通勤する、つまり車1台を1人だけで占有するのをやめようという運動ですが、政府のキャンペーンにもかかわらずほとんど実を結んでいないでしょう。政府は以前は結構熱心にこのキャンペーンを宣伝していましたし、今でも言葉にはよく出てきます。

しかし実際問題として、たとえ同じ会社に通勤する際でも、兄弟姉妹かずっと親しい友人でない限り、自分一人で行きたいと思うのが普通でしょうし、ましてや方向が同じでも通勤場所が違えば面倒だし、第一帰宅時間が他人とはなかなかいっしょにはならないでしょう。こう考えるとこの自家用車同乗キャンペーンは現実的でないことがわかります。

成功しない理由の一つ

イスラム大学でカウンセラーを務める女性がこう言っています。「心理的な面から、快適さとプライバシーを守るということと同様に、異性の他人と同乗するのが疑い深く見られることを避けることも」 自分一人で車を運転する理由です。「例えば2人の男性と2人の女性が一台の車に同乗すれば、彼らの意図が人からの誤解を招きかねない。」

なるほど筆者はそこまで気が付きませんでした。(自分が男だからでしょうが)。ましてや保守的なムスリム女性なら互いに知っているとはいえ、狭い車の中で男性と同乗するのは耐えられないかもしれませんね。

写真は 英字紙 The Star の人気ひとこま漫画 からです。ちょっと見にくいですが、妻が夫に同乗してもいいのが左側、していけないのが右側だと指示してます。

マレーシア消費者協会会長は、「自家用車同乗・乗合運動は、同じ屋根の下に住んでいて同じ職場に通う同性の独身同士だけに向いているでしょう。」

まこと要点をついた言葉です。所詮自家用車乗合・同乗キャンペーンはほとんど実を結ぶことのない運動でしょう。政府も本当にこれが人々の行動パターンを変えられると思っているのか、筆者は疑問に思います。消費者連盟会長も、このキャンペーンは「心のこもってない誠実さに欠ける」 と評し、自家用車乗合・同乗を奨励するなら、もっと確固とした立場を政府はとるべきだと言っています。

まだまだ時間がかかる交通網の整備

クアラルンプール一帯でしゃにむに推し進める電車網の整備と道路建設が実を結ぶのはまだ2,3年かかるでしょうが、例えば電車の駅を出たらばそこからバスサービスが全くない、かなり不十分という現状を早く改善し、郊外と郊外の点と点を結ぶ路線を新設するなど、現状の不備を早急に改める必要があります。

バス運航路線は中心から郊外へとその逆という縦の路線ばかりで横の路線が大変少ないので、A地点からB地点へ行くのに一度中心部までバスで来て、そこから乗り換えてB地点に向かわざるを得ません。

東南アジアの大都市では優れた交通計画を実施しているクアラルンプール一帯ですから、いずれはシンガポール並みの便利で安価な公共交通網に近づくのは決して不可能ではないように感じます。また是非そうなってほしいですね。



マレーシア出版事情と読者 (前編)


世界の国には民族、言語、宗教面だけでなく、文化、慣習にそれぞれの違いがあることは誰でも知っています。しかしどれほど違い、どうしてそういう違いが発生しているかはなかなか分からないものです。日本人に比較的なじみの深い東南アジアのほぼ真ん中に位置するマレーシアですから、まったく知識がないとかイメージが湧かないという方は少ないでしょう。

多民族からなるイスラム国家

ただマレーシアは多民族国とはいえイスラム教国ですから、その当たりのイメージが捉えがたいのも事実でしょう。反対に中東アラブ国家の一般的イメージを当てはめて、街でみる女性はすべてベール姿、男性は4人まで妻がもてるなんていう偏ったイスラムイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんね。

クアラルンプールを歩いていただければお分かりのように、スカーフで頭髪からあごまで覆ったマレー女性はごく普通に見かけますが、ベール姿の女性を見ることは極めてまれですし、現実に複数妻を持つマレー人は大変少数だそうです(何パーセントが複数妻を持つかの統計は、多分発表されていないはず)。高層ビルや豪華ホテルが街角街角に立ち、新しいショッピングセンターがあちこちにでき、車の渋滞とクラクションの騒音を四六時中感じる大都会です。

ショッピングセンター内には、ブランド店から安売り衣料品店、電子音響製品店、アクセサリー装飾店、家具店などからマクドナルドなどのファーストフード店まで、その店ぞろえはそれほど日本とは変わりません。もちろん細かい点の違いはいくらでも指摘できますが、ここはそれを論ずる場ではありません。

ショッピングセンターに少ない書店や本屋さん

こうしてウインドーショッピングがてらショッピングセンターをうろうろしていて何となく物足りなく感じるのです。それは書店、本屋さんですね、が極めて少ないことです。

クアラルンプールでいえば、旅行者にも有名なブキットビンタン街のナンバーワンである Sengai Wang Plazaとその隣の BB Plazaには、それぞれ2軒の書店又は本屋さんがあります。これは例外中の多さで!、同じブキットビンタン街の高級ショッピングセンターKL Plazaには書店がないし、Lot10 はIsetan内に日本人客中心の紀の国屋書店が一軒と、もう一軒高価写真集を並べた書店があるだけです。

ホテルや店が軒を並べるこの人気店舗街一帯には、1軒も書店がありません。ずっと以前小さな本屋がありましたが、とっくの昔に撤退してしまいました。

他の地区をみてみると、高級タウンにある Bandar Utam Oneショッピングセンターは客層が中上流階級だけあって、りっぱな2軒の書店、その内1軒は主たる客が日本人と思われる丸善です、がありますが、もっと大衆的な地区、例えばKepong だの Selayang だの Puchongだの Cherasなどにある、ここ数年以内にできたまだ新しいショッピングセンターには、書店はあってせいぜい1軒、中には雑誌新聞売りコーナー程度で、本屋と呼べる店がないショッピングセンターもあります。

ショップハウス街には本屋がほとんどない

それらのショッピングセンターの付近は、大概がショップハウスと呼ばれる(一般に)1階が店舗2階以上が住居の店舗街があるのですが、そういう店に本屋が含まれていることはきわめて珍しいのです。たいていは文具店の一角に雑誌や生徒向けの本がおいてある程度で、本屋さんとして独立した店舗を構えているのにであったことがほとんどありません。

これはクアラルンプールのベッドタウンでありビジネスタウンでもある、都市Petaling JayaやSubang Jayaでも同様で、何百とあるショップハウス街の中で書店があるのはどれくらいあったかな、1年半ほど前まであちこちを走りまわっていた筆者でもすぐ思い出せないほど、独立した本屋のあるショップハウス街は極めて少ないのです。
本屋と呼ぶには気が引ける、ほとんどが生徒層を対象にした文具店の一角にある程度です。

全国で400軒しかない本屋

本を探すにはどうしても高級ショッピングセンターの書店にいくしかありません。又はチャイナタウンですね。そこには中国語書籍だけでなく英語書籍も比較的多くおいてある中規模書店、あくまでもマレーシアの基準で言えばで日本の基準なら普通の書店程度、が数軒あります。あとはBangsar地区のショップハウス街かJalanTuanku Abdul Rahman 街ぐらいかな。

いずれにしても本屋さんや書店が少ないのは事実、国立図書の受託センターによれば全国でわずか400軒あまりですから、はじめの頃本好きの筆者は、マレーシアの人本探しに不便だろうな、と思っていました、しかし、後にそんなことはほとんどの人が感じてないことがわかりました。ようするにマレーシア人は本を読まないのです。

マレーシア人は本を読まない

The Star新聞の記事も書いています。「マレーシア人がまったく本好きでないことは常識です。実際多くの人は読書習慣がない。」 「 最近、国立図書館が行った識字率調査によっても、平均的マレーシア人が年に読む本の数は2冊です。」 (これでも筆者には多すぎる感じがしますけどね) 「これでも82年に行われた調査よりは進歩している。その当時マレーシア人は年に数ページしか読まなかったのだ。!」

別にこういう調査記録を読まなくても、マレーシア人が本を読まないのは実感できます。第一に本屋と書店の少なさとその本揃えの貧弱さ、第二に、本を読んでる人をほとんど見かけない、第三に、図書館の少なさ、というよりほとんどないか目立たない、第四に、ある種の出版言論規制がある(こんなこと書いていいのかな、ちょっと心配だけど事実ですからね)、第五に英語崇拝により自国言語出版産業の限界。

地方では本屋探しがたいへん

それでは一つずつ見ていきましょう。
クアラルンプールでの本屋書店の少なさは上記で述べたとおりです。これが地方都市、特に東海岸州やサバサラワク州、へいけばもうずっと顕著で本屋探しは大変です。あっても書店と呼べる規模でありません、まさに町の本屋さん程度です。

しかもその本揃えの貧弱さは、筆者がマレーシア語の書籍を読まないからそういうのではありませんよ、題名ぐらいは分かりますから、次の本屋を探す気力を失せさせます。田舎のカンポン、そこで本屋が独立して、イスラム教解説・普及書と学習参考書を除いて、存在することはありえないでしょう。

英語書籍も中国語書籍も生徒相手の学習書籍類や子供向けの本ばかりで、一般読者が求める書籍はまあ見つからないといってもいいすぎではないでしょう。新聞の記事にも書いています、「地元出版の本に限れば、本の多様性はほとんどない。」 雑誌?後で触れますが種類自体が多いといえるほどではありません。

これだけ本屋の数がすくなければ、出版社も出版の数種類を増やすことはできませんね。マレーシアでは一般に4,5千部初出版して売れ行きを見るそうです。そして初版が売り切れてからしか第二刷りをしないそうです。

車内で読書しない

第二の本を読んでる人が少ない点。筆者はマレーシアに来て以来、よくバスやLRT高架電車や、コミューターという近郊電車を利用してきましたが、車内で本を呼んでる人を見るのは極めてまれ、新聞を読んでいる人さえ珍しいぐらいです。筆者は乗り物中で新聞雑誌なり本を読まないと気が落ち着かないのですが、マレーシア人は反対ですね。

乗り物だけでなくバス停、駅でバス電車を待っている間でも、活字を読んでいる人は本当に少ないのです。コーヒーショップ(大衆食堂の親戚みたいなところ)で新聞か漫画を見ている人はいますが、本を読んでる人はいませんね。

図書館が少なく蔵書不十分

第三、図書館が少ないのはそこまで手が回らないということでしょう。2020年までに先進国入りを目指して、経済発展第一だから、とにかくそれに関することに力を入れなければなりません。住宅や道路の建設は非常に熱心ですし、住民もそういうことを望んでいるのですが、図書館を作れという要求は少なそうです。

住民選出の地方自治体議会が存在しないので、そういう声はあっても上がってこないでしょうし、読書熱の低さから、図書館建設運動が支持を得られるにはそうとう時間がかかりそうです。
教育省は主に地方と都市郊外対象に、移動式図書館車を保有して、周回させているそうです。

現有の図書館は日本の基準からいえば間違いなく不十分です。クアラルンプール中央図書館、Merdeka広場の横にあり、場所的には申し分ないですが、いかんせん蔵書数が少ない、日本の地方都市の図書館程度でしょう。
それよりもクアラルンプール中央図書館を知っているか行ったことのあるクアラルンプール人がどれくらいいるでしょうか。

書棚にはってあるべき分類方式の掲示がものすごく小さく且不十分なので、目的の本を探すのにたいへんです。英語書籍がマレーシア語書籍を凌駕してます。どういう訳か中国語図書は見当たりませんでした。どうでもいいようなことに厳しく、かばん類持ち込み禁止はわかりますが、筆者が手に持っていた新聞紙でさえ持って館内に入れません。そのくせロッカーがない。

国立図書館、一度その姿をみたら忘れられない形の建物です、筆者は訪れたことがありません、なにせその近くを通るバス便がないのです。近くに住むとか学校に通う学生ならともかく、どういう人を訪問対象にしているのといいたくなります。

出版プレス法の存在

四番目の出版規制の点。マレーシアにはいわゆる出版プレス法がありまして、勝手に書籍類を出版できません、つまり書籍販売網にのらない載せられないからといって自分勝手に販売領府できないのです。自費出版はできますがそれとて当然検閲は受けている(はず)です。
もちろん広告とかパンフレットなら、いちいちお伺いをたてる必要はないですけどね。この点についてはこれぐらいにしておきましょう。

言語面から見た書籍出版

5番目、言語面からいうと国語のマレーシア語の出版点数がいくらひいき目に見ても多くありません。読む人が少ないから出版が少ないのか、出版が少ないから読む人が少ないのか。その両方でしょうね。

それよりも大きな要因は英語です。マレーシア人は英語がよく通じることを自慢しているくらいですから、英語崇拝に陥って海外の書籍文献を翻訳するのでなく、それを輸入して直接読む傾向があるのです。

しかし英語の書籍をすらすら読めるのは、英語での高等教育を受けた者が大多数でしょうから、国民の多くが英語書籍を日常的に読むことは起こり得ません。いくら英語がよく通じるといっても、英語はすべての人に届きません。当たり前ですが、英語を母語(母国語とは違いますよ)にしている人は数パーセントにしか過ぎないのです。

母語出版の必要性

、ある程度その言語ができてもやはり自分の母語(生まれ育った時に取得した言語)が、例外はあるにしても、一般的に一番よく話せるし、読めるものです。考えていただければわかりますように、英語で書かれた本雑誌を読むよりも日本語の翻訳書、訳がいいことを前提に、を読む方が理解は早いですね。

これと同じことです。より多くの人に技術なり文学なりを理解し読んでもらうには、対象読者層の母語であるべきです。しかしマレーシアではその努力をほとんどしません。読める層だけでけっこうだとか、マレーシア人は英語が読めるはずだとか、英語を読めるようになるべきだとかの理由で、多数者を、少数ではありませんよ、切り捨ててしまうのです。

「世界にあまたとある英語書の方が選択は絶対的に多いし、なぜわざわざ訳す必要がある。英語ぐらい読めるはずだ。」 その通りですね。英語がほぼ自由に使える層にとってはね。しかし繰り返します。英語はマレーシア人のすべての人に届きません。特に低所得者層、高等教育を受けなかった人、田舎の人などにとってはなお更です。

マレーシアがいくら英語の使える人が多い、日本より英語が通じるといっても、英語の書籍を寝転んで読めたり、英語の映画テレビを字幕無しでほぼ理解できるのは所詮少数なのです。
話せるように見えても、Pasar English(市場英語)程度つまり高度の英語学力の無い人が多いのです。筆者はしばらく通翻訳をしたことがありましたが、つくづく感じたものです。

マレーシア人の隅々まで英語が、それも高度の英語が通じるようになれば英語の書籍で結構でしょうが、そんなことは起こりません、というより不可能ですね。マレー人は母語としてマレーシア語を話し、華人系は母語として広東語とか福健語、中国語(華語)を話し、インド人の多数派はタミール語を話す状況で、英語が民族間の言語つまり族際語としての役割を果たしていることは認めますが、それが彼らの母語又は母語レベルまでになる可能性は、数十年いや百年でも無理でしょう。

こういう国民の母語転換をできるのは、シンガポールのように人口の少ない島国で、政府が強権を発して民衆に植え付けることができる国にかぎられます。
マレーシアで仮に同じことをやっても成功はしませんし、喜ぶのは一部の英語崇拝家族か英語学習に十分金を使える裕福層だけでしょう。

多くの分野で英語書籍が凌駕する

このようにしてマレーシア語なり(華人系マレーシア人向けに)中国語に訳す努力が足りないので、当然それらの言語で出版しようとしません。従って、仮に潜在読者層が存在しても英語が相当程度使えない限り、気楽に英語書籍を買うことに結びつきません。第一英語書籍の大部分は輸入書籍ですから、マレーシア出版物より値段が高く低所得者層にはたいへんです。

世界で一番出版数の多い英語書籍に、出版点数の少ないマレーシア語の書籍がかなうはずがありませんから、例えば店頭に並ぶコンピューター関係などの本雑誌はほとんど英語書籍です。地元出版でさえ英語で出版しています。翻訳努力を省き、有名雑誌の記事をそのまま載せれますからね。
マレーシア語のコンピューター雑誌はものすごい薄い、つまり宣伝のほとんど取れない、のが1冊だけです。

英語化が出版にも弊害を与える

以前この「今週のマレーシア」の”マレーシアの英語” でも書いたように、筆者はマレーシア人の英語崇拝を批判してきましたが、その理由の一つに上記のようなこともあるのです。誤解のないように付け加えておきますが、筆者は英語学習と使用に反対しているわけではありません。英語の疑似母語化に反対しているのですよ。

英語化をすすめれればすすめるほど取り残される人がでてきます。そしてそいう人たちは英語書籍には手が出ないのです。何回も繰り返しますが、マレーシアで英語がすべての人に届くことは、考えられる将来にはありません。

外国人にとっては英語が通じる方が便利でいいから、絶対多数は英語化歓迎でしょう。「この忙しいのに、マレーシア語なんか習ってられるか」 よくわかります、旅行者やビジネスマン・ウーマンの立場ならそうでしょう。しかしそれは単なる外国人の視点であって、マレーシアの言語尊重、出版文化発展を願ったものでもそれに寄与するわけでもありません。

一体どこの国が外国人のためにその国の言語を決定するのでしょうか。英語化によって取り残される人がいっぱいいることも、知って欲しいのですね。



マレーシア出版事情と読者 (後編)

はじめに:前週の続きです。是非前編にあらかじめ目を通してくださるようお願いします。

多数を占める学習書類

さて本屋さんや書店の数が少ないことは、マレーシアで出版される書籍類の数と種類が少ないことと表裏一体の関係です。マレーシア出版物で何が多いかといいますと、新聞を除けば学習・教育書籍です。どこの書店へいっても学習書、生徒が勉強に使う参考書とか参考書、解説本、練習ノートなどのこと、が大きな面積を占めています。大きな書店でも3分の一ぐらいは学習書籍類ではないかと思えるほど、小さな本屋になればなるほどこの面積の占める割合が高くなります。

筆者の住んでいる小型ショッピングセンターにある本屋など、一般書籍は1割もおいてありません。もう1軒は新聞と雑誌それに漫画ばかりで一般単行本はないのです。

こういう形の本屋さんは決して例外ではありません。これが一般的なのです。例外なのは、在住日本人におなじみの Sogoデパート内の紀伊の国屋書店とか、Bandar Utama ショッピングセンター内の丸善書店の方です。

なぜこういう学習書・教育書がこんなに多くの売り場面積をしめているのでしょうか。記事に寄れば、「国内で販売されるマレーシア出版物の売り上げの80%は学習書・教育書である。」 まこと実状を見れば納得がいきます。「売り上げが確実に見込まれることから、ほとんどの出版社は学習書・教育書に優先権を与えます。」

これとは別の記事で、UM大学の研究者の調査によれば、マレーシアで出版される本の半数以上は子供向け図書である。95年は全出版本種数の(たった)6,456点中で45%が子供向けだったそうです。子供向け図書と学習書籍は重なっているのが多いでしょうから、こういうちょっと食い違った数字がでてくるのでしょうが、年間よくいって7,8千点にもいたらない出版数です。

学習書・子供の本の多い理由

なぜこれほど学習書や子供向けの書籍がマレーシア出版物の多くの割合を占めるのでしょうか?
1世帯当たりの子供の数が多いから、それもあるでしょう。「マレーシア人は試験第一指向である。多くの人は試験に合格するためだけに本を読む。だから多くの出版社は教育書籍に力を注ぐのです」 とある出版社の幹部、なるほどね。

政府関係と契約している20年以上の歴史のある別の出版社の幹部は、「大衆は本を買うことに興味がないのです。」 と。出版社の人がここまで言うとは日本では考えられないでしょう。

これじゃ、「マレーシアの出版物は脅威に面している、なぜなら読者は輸入書籍の方を好むから。」 のも致し方ありませんね。少ない読者層の身になれば、輸入本、その多数は英語圏からの英語本と、中国語本なら台湾香港、漫画なら日本、の方が洗練されており且種類と内容が豊富ですからね。

新聞記事はどういうわけかまったく触れていませんが、もう一つの理由が隠されてるはずです。それは子供向け本とか学習書籍は内容的に安全だからです。つまり検閲などに引っかかる可能性はゼロに近いですね。しかし歴史書、宗教書、思想書、政治解説書などは当然ながら議論のある点を内容的に含みますから、出版社としてはリスクを犯したくないのでしょうね。

ここでも人気の日本漫画

輸入漫画についてすこし付け加えますと、これはもう日本漫画が圧倒的に多いのです。何も東南アジアで超有名なドラえもんだけではありませんよ、スラムダンクのようなスポーツ漫画から題名は知らない恋愛漫画、などなどいろいろ紹介されています。

面白いのは、確か”タッチ”とかいうのかな、野球に題材をとった漫画ありますよね。野球の野の字も知らないマレーシアで読まれてます。これは多分日本漫画・コミックがまず台湾か香港経由、そこで中国語に翻訳されて大々的に出版されている、からでしょう。私の推測するに、マレーシアで出版されている日本漫画の載った雑誌・文庫本はほとんど孫出版ではないかな。

マレーシア出版の日本漫画雑誌に加えて、台湾香港の漫画雑誌が輸入されていますからね。こういうのの版権はどうなっているのでしょう。ちょっと意外だったのは、最近知りましたが、数は中国語の日本漫画雑誌より数は少ないものの、マレーシア語版の日本漫画雑誌、文庫本が出版されているのです。日本語から直接翻訳しているのか孫翻訳かしりませんが、ドラえもんをマレーシア語で見るのも面白そうですな。

ただし日本の青年コミックとか少年漫画でもセックスをあつかったものとか残酷なものは、いうまでもなくマレーシアでは読めませんし輸入されません。

マレーコミック雑誌は大人気

マレーシア製の漫画雑誌ではマレーシア語のマレー漫画雑誌が大変よく売れています。買うのはマレー人男性ばかりのようですが、一番売れている”Gila−Gila” は1月20万部ほどだそうで、人口2千万の国ではミリオンセラーの範疇に入りますね。ほのぼのとしたカンポン生活や都会の独身マレー人の生活を描いた軽妙なストーリーと絵なので、多少マレーシア語がわかればストーリーがおえます。ただし口語俗語マレーシア語ばかりで、辞書をひいてもわからない言い回しが多いのです。

類似のこの手のコミック雑誌は数種売られていますから、マレー人の生活の一端を覗いてみるのに、一度ぐらい買ってみるのもいいでしょう。1冊RM3.5と屋台での飯代程度です。

マレー書籍で一番売れるのは上記の漫画・コミックだそうです。単行本でまあ売れるのは、英語本と似て、経営法とか自己啓発、健康、料理などの実用書です。出版社幹部は、「書籍販売という面からはマレー人読者市場は小さい。しかし雑誌の分野では大きい、とくにコミックという面ではかなり大きいのです。」

マレー小説は売れません

ベストセラーコミック雑誌Gila-Gila を出版しているのは、マレー小説出版の大手の出版社だそうで、その編集者は「皆は小説みたいに硬いのではなく、軽い読み物を好むんですよ。」この出版社、年にマレー小説300種ほど出版して、よく売れるのはほんのわずかだそうです。「ほんのわずかのグループの人たちだけが、フィクション分野に興味をもつのです。マレー小説は売れません。」

マレー小説の出版社のことばとは思えませんが、本当でしょうね。
別の出版社の幹部はこう言っています、「地元マレーシア人の作家の書いたフィクション物はまったく売れません。詩もしかりです。」

実用書・雑誌に傾く地元出版

書店に行けば上記のことばを裏付けるように、マレー雑誌は各種いろいろ並んでいますが、といっても数えられるほどですから、何種類あるかとても数えられない日本の雑誌状況とは天と地の差ですよ、マレー書籍の棚は寂しいですね。一番はっきりするのは種類が豊富でないことです。

これは地元出版のどの言語本にもだいたい共通していて、学習書関係を除けばいわゆる実用書主体です。健康法、料理、ビジネス戦略、自己啓発、それとマレーシア経済・政治、そんなところかな。中国語書だと、占いとか風水の民俗信仰もの、マレーシア語ならイスラム教解説・啓蒙書ですね。

コンピューターの使い方とかインターネットの解説のような書籍は、書記言語が英語中国語に関わらず、ほとんど全部海外からの輸入書籍です。

旅行ガイドブックが出版されない

マレーシアは東南アジアの一部ですが、地元発行の近隣諸国についての解説・紹介書そして旅行ガイドブックがほとんどありません。中国語の薄っぺらな雑誌が一つかな。マレーシア人は筆者の基準からいうと、驚くべき”近隣諸国無関心国民”ですから。まあ近隣諸国も互いに同様ですが、例えばタイ案内でさえまともなのが出版されていません。ベトナムものなんてないでしょう。

従って「地球の歩き方」のような自由旅行者向けのガイドブックは存在し得ません。英語が読めれば、多分 Lonely Planetでも買って読むのでしょう。もっとも若者が気楽に外国へ自由旅行する段階にいたってませんから、なくても不便に思わないでしょうけどね。

寂しい語学学習書・辞典の書棚

語学学習書・解説書しかり。すぐ隣国のタイ語を習うのに輸入の英語版タイ語入門を使わねばなりません。悲しいことです。もっともそんな人は極めて例外で、クアラルンプールでさえ常設のタイ語を教える学校はありません。UM大学とYMCAのオープンコースぐらいかな。つまりそういう学習本は出版され得ません。タイ語を外国で習うなら日本で、ですね。

マレーシアで話される言語と英語を除いて、他言語学習への興味がないので、例えばマレーシア語 -タイ語のような 各言語辞書などありません。世界の大言語であるフランス語辞典さえありませんから、その言語学習者の少なさと言語研究の貧しさは寂しい状況です。英語学習に偏りすぎた反動もあります。尚アラビア語はイスラム教の神の言語ですから、もちろん研究水準は高いはずです。

これを日本の東南アジア研究の状況と比べてみると、なぜマレーシア人はここまで近隣諸国に、商売を除いて、無関心・興味ないのか、特にマレー人ですが、不思議です。

東京神田のアジア関係の書籍を集めているアジア文庫へ行くと、店狭しとアジア関係本と雑誌が数千冊は並んでますが、クアラルンプールの書店で東南アジア関係の書籍を探すのは簡単です。わずかな種類しかないしそれも英語圏からの輸入書だけ。
東南アジア研究するのなら、一部の歴史資料調査とか現地調査は別にして、書籍面からなら日本の方がずっと向いているように感じます。研究者の方、そうですよね?

人口比に満たない中国語読者層

マレーシアの人口の3割弱を占める中国人の多数は、学校で華語(日本では中国語と呼ぶ)を小学校から学習しますから、母語の如何を問わず大なり小なり中国語が話せ読めます。只英語教育を受けた中国人は、その人の母語である広東語とか福健語、客家語は話せるが、華語(中国語)つまり漢字が読めないのです。こういう中国人も思ったより多いのです。(広東語とか福健語は一般に口語言語なので)

その中国語話者は新聞購読に際して、3グループに分かれ、1つは中国語紙グループ次は英語紙一辺倒グループ、最後が英語紙を併読するグループです。中国語の書籍を買う層は当然中国語読者層か併読者層でしょうから、中国人が600万人弱といってもその全部が対象になるわけではありません。ですから中国語書籍購買対象の潜在者は数百万というとこでしょうか、それほど多くありませんね。今後も読者層が劇的に増える可能性はありませんから、中国語書籍出版はそれに見合った規模にしかならないことになります。

中国語書籍の中心は輸入本

中国語書籍を販売している書店、本屋さんは、中国人が多数を占める居住地区のショッピングセンター内かショップハウス街にしかありませんので、書店数からいっても英語を販売する書店数より数がずっと少なく、中国語書籍をじっくりと探そうとすれば、チャイナタウンへいくのが手っ取りはやいことになります。チャイナタウンはマレーシアの水準からいう大きな本屋が3,4軒あって、どの店も多くの中国語書籍を揃えていますから。

中国人が州人口の多数を占めるペナン州はどうでしょうか、筆者は残念ながらよく知りません。

このチャイナタウンの書店に並んでいる中国語書籍は圧倒的に台湾、香港、中国で出版されたもの、それにシンガポールもある、でマレーシア出版は極めて少ないのが実状です。読者数が比較的少なく且学習書に偏る現状を見れば、大中華文化圏の中心国から輸入したほうが現実的であり、手っ取りはやいのはうなずけます。書き手の豊富さから見ても、マレーシアの中国人だけではとても大中華圏にはかなわないですね。

マレーシアの中国人相手だけに出版してもせいぜい数万部ぐらいしか売れないでしょうから、輸入中国語書籍と対等にやっていくのは難しいことが理解できます。ちょうどこれは、マレーシアの英語出版会社が英米の出版界に到底かなわないのと同じだと考えられます。マレーシア人読者相手に書き手を見つけてリスクをしょって出版するより、世界に星の数ほどある英語書籍から確実な売れ筋を輸入した方が、商売としては硬いでしょうから。

このため中国語活字の中心はいきおい新聞になります。新聞は大中華圏から輸入しても役立ちませんから。その他種類はあまりないけど、小説とか実用書類、漫画が中国語地元出版の中心でしょう。

極少数のタミール語読者層

インド人はマレーシア総人口2千万の8,9%しか占めませんから、もうそれだけで出版状況が想像できます。それにインド人の多数派はタミール人で小学校ではタミール語を習いますが、いかんせんタミール語で高等教育を受けられませんし、タミール語で書かれた書籍が入手困難なことから、必然的に国語のマレーシア語か英語に頼るざるを得ないということになります。

その結果タミル語の読者層はいよいよ減るわけです。普通の書店本屋にはタミール語書籍はまったくおいてありません。いったいどこで買うのでしょうか、筆者も知りません。タミル語の雑誌と新聞が売られている雑貨兼新聞販売店などはありますが、その数は決して多くありませんから、タミール語だけの活字に頼るのは困難です。

タミル語書籍を出版する数すくない会社の幹部が、「インド人はマレー人や中国人に比べてもずっと読書をしない。それは、彼らは強制的に読まされるつまり教科書類だけしか読まないのだ。」と告白しています。この会社はマレーシアで唯一のタミール語の子供向け雑誌の出版社でもあり、始めた当時はわずか5千部の発行部数だったそうです。今は価格をRM1.2 (コーラ1本と同じ値段)に下げて部数が伸び現在3万部だそうです。子供向けにたった一つしかない出版社でもこの数字です。

特定分野に特化した地元英語出版

地元の英語出版は雑誌を中心に、これも実用書、教育書中心ですね。理科系技術書、法律書、小説、社会科学系、人文化学系の本は、英米の輸入書籍が書棚の多くを占有しています。並んでいる雑誌でも輸入雑誌が地元英語雑誌を凌駕しています。

地元出版社がマレーシア人の書いた文学を出版しようとしないので、自費出版に踏み切る人もいるようです。ある中国人は、書き上げた自己作品をいくつかの出版社に見せたら、「英語で書かれたマレーシアの小説は売れません。その種のものの市場はない。」 といわれて、仕方なく自費出版に踏み切った、と新聞のインタービュー記事にありました。

他国から認知されないマレーシア英語

英語崇拝の高いマレーシア人が英米小説を好むことは、よくわかります。数の豊富さと歴史からやっぱり英米小説に傾くでしょうね。これだけ英語崇拝、米語ではない、に傾くマレーシア人が多いのに、自分たちはよくできると自慢する(マレーシア)英語が決して標準英語の一つになれない、(他の世界から)認められていないのです。こういうことに彼らは矛盾を感じないのだろうか。

試しにお手元の英和辞典を見てください、マレーシア英語に触れている辞典があるでしょうか、ないはずです。また筆者の愛用しているLongman dictionery(英英)でもまったく触れていません。

歌手都はるみのヒット曲に有名な1節がありますね、「着てはもらえぬセーター編み −−−−」 マレーシアの英語崇拝者はこんな気持ちを抱いているのでしょうか。筆者には理解できませんな。

道遠い出版文化繁栄

以上のように、マレーシアでの出版事情と読書事情が、まだまだ発展途上国の一部や先進国のはるか後塵を拝している現状はお分かりになったことでしょう。いろんな事情が重なってこういう現状なのです。

テレビやコンピューターゲーム、テレビゲームの影響で子供が本を読まなくなったとかいう議論は、じゃあ日本は台湾は、というもっとそれらが盛んながら出版もそれに増して膨大な数を誇る国の例を引けば簡単にくずせますが、出版の自由の面と言語政策の理由の面をついても、マレーシア人はなかなか同意してくれませんね。

出版の自由はつまり言論の自由ということですから、この自由ということの定義自体が違う国の政府下では、議論がかみ合わないのもしかたありません。国益に反することは書いてはいけない、ではその国益とは誰にとってであり、誰が判断するのかということがオープンに議論できません。
出版を自由にすれば、その結果当然玉石混交、良書悪書なんでもありになりますが、マレーシアには石はあってはならないという考え方ですからね。

言語観の面、国の政策と直接からみ且各民族の”国語であるマレーシア語”への捉え方の違い方から、筆者も次の点を認めます、マレーシアでは英語がこれからもより大きな地位を占めていくことでしょう、ということをです。誠に残念ながら、マレーシア語を含めた各言語発展と出版事業発展にとってそれは決していい方向ではないにもかかわらずです。



伝統的映画館の廃業


筆者の住む近くにあった映画館がこの1年で4軒も廃業しました。筆者はクアラルンプールの中心部にごく近い下町に住んでますから、下町の映画館が2軒 Starと Pudu、ブキットビンタン街のしにせ映画館が2軒 Cathey とPavillion、さらに少し離れますが、たまにいったことのあるSogoデパート斜め前の Odeon も昨年末で廃業しました。つまり筆者の知ってるだけで5軒、その内4軒は筆者がしょっちゅう足を運んでいた映画館でした。

発展する町の運命とはいえ、こうした昔ながらの古びた映画館が取り壊される又は他の娯楽施設に転換していくのは、映画好きにとって一抹の寂しいものがあります。筆者居住区の2軒、ブキットビンタン街の1軒PavillionとOdeonはたしかに年代を経ており、いずれこういう古い汚い映画館は取り壊される運命にあるのだろうとは思っていましたが、これほど一挙に且つ早くやってくるとは意外でした。

新しい映画館はすべてシネプレックス方式

もう上映1本だけの伝統的上映方式の映画館は、都会の中心部では成り立たないということでしょう。クアラルンプール及び周辺にこの数年ぞくぞく出来上がったショッピングセンターは、大抵シネプレックス方式の映画館をもっています。つまり複数の映画を同時にいくつか上映できる映画館ですね。

そうでない小型のショッピングセンターは2本上映のミニシネプレックス形式です。スバンジャヤにあるSunway Pyramidのシネプレックスなど10本近い映画を上映できるそうです。こういう最新式のシネプレックスは、当然座りごこちのよいシート、階段状になった座席、高性能の音響設備を備え、設備上は申し分ありません。

高くなった映画鑑賞料金

その結果いうまでもなく映画鑑賞料金は伝統的映画館より5割ほど高のRM8又はRM9します。この料金だと、ものすごく安いという感覚ではもうありません。日本の映画館料金と比べないでくださいね。あくまでのマレーシアの娯楽水準での比較ですから。

旧タイプの映画館は大体RM5でしたから、安いという感覚で、筆者は数年前まで週2回は足を運んでいたものでした。いつも行っていた映画館自体がなくなってしまったし、(シネプレックスでは)料金も高くなったので、このごろではせいぜいよく行って週1回に減りましたね。

クアラルンプールにはまだ、主にハリウッド映画上映館のFederal とかRexのように一本だけ上映の伝統的映画館が残っています。両館の場所がチョーキット又はチャイナタウンという好条件地のせいもあるのでしょう、いつ行っても客がよく入ってますから、当分はなくなるなんてことはないでしょう、それに廃業して欲しくありません。

でもハリウッド映画上映館で且ブキットビンタン街にあり、改装して数年しかたっていなかったCatheyが昨年末廃業した例もあって、若者の映画鑑賞指向が変化したことと、都心の地価上昇などで、伝統的映画館はいずれもちょっと不安定な将来のようですね。映画館の興亡からみてもクアラルンプール一帯は、だんだんと、特にこの数年、変わっているのです。



交通事故と ”歩行者の敵”バイク乗り


たった13日間で243人の死者と 2,029人のけが人、これが2重祝日とその前後の特別交通取り締まり期間中の 1月21日から2月2日までに起こった交通事故の悲しい結果です。例年この期間中は里帰りとかお祝いパーティー出席、つまり酒酔い運転増加?、で交通事故が増える時期ですが、それにしても悲惨な数字です。

ものすごい交通事故死者率

これがどれほどひどい数字かおわかりですか? 日本の交通事故死者数は確か年間1万人ぐらいですよね。マレーシアは総人口が日本の約6分の1ですから、この数字を人口比にすれば、13日間で1,450人ほどにもなる計算です。つまり日本の年間交通事故死者数の 7分の1に匹敵する数をわずか13日間で達成したわけです!

死者の半分以上はバイク乗り

死者数の半分以上はバイク乗りとその同乗者です。バイク数が東南アジアでも第一といわれる保有率の高さから(首都圏では1000人に180台)、このバイク乗りの事故率割合がたかいのはある程度うなずけますが、なんといってもバイク乗りの無謀運転が原因の第一でしょう。もちろん乗用車やバス、トラックの運転も荒い、法規無私の癖が蔓延しているのは自明のことでもあります。

筆者の見た2月3日付けのいくつか新聞はさすがにこの数字を憂慮した記事を載せていました。安全運転の専門家は、「マレーシアのバイク乗りの95%は道路を走るための充分な訓練を受けていない。それは(運転免許関係を管轄する)道路交通庁の、バイク乗りに正しい運転技術を教える運転免許教授細目が実状にあっていないから。」 と訴えています。
「多くの若いバイク乗りは住宅地で親や友達兄弟から運転技術を受け継ぐだけだ。これでは我々は彼らのむちゃくちゃな運転を責められない。」 バイク免許取るのに7時間の学科学習のあとすぐに道路交通庁の試験を受けるシステムに問題があるとの意見です。

筆者は残念ながらバイク免許取得の仕組みをよく知らないので、解説できないのですが、簡単に取れる実地試験が甘すぎるのは明らかです。

いかにも危ないバイク乗り

クアラルンプールかその周辺で暮らしていらっしゃる方でなくても、車を運転するか又は車に同乗して車中から彼らを観察しているだけで、バイク乗りはいつも車と車の間を擦り抜けて走る、飛ばす、信号を守らない、一方通行を逆走といったことがわかります。ですから、ほとんどどの日本人はバイク乗りを、”危ない”といいます。

危ない結果事故でけがする死ぬのは彼らの自業自得ですから、筆者はなんら同情を持ちませんが、その無謀運転が他の車、バイクの安全に悪影響及ぼしますから、つまり巻き添え事故ですね、彼らの勝手でしょう、とは言っておれないのです。
車を自分で運転したり道をてくてくと歩かない、当然でしょうが、マハティール首相も、「バイク乗りに時々同情を感じない。」といってるぐらいです。

田舎のバイク乗りも似たりよったり

都会のバイク乗りだけでなく、田舎のバイク乗りは、また少し違った無謀症状を呈しています。ヘルメット着用率がものすごく低いのです。もちろん飛ばす追い越す走り方は、都会のそれとたいしてかわらないので、転んだら一環の終わりでしょうな。都会であまり見られない乗り型に3人乗り、4人乗りがあります。車がないからでしょう、子供の学校への送り迎え、買い物、出かけ時などに、妻を後ろ座席に乗せ、運転する夫の前に子供一人、妻の前にもう一人と、全部でバイク1台に4人です。バス便がない又は不便だから交通手段が限られているのは、わかりますけどね。

街を歩けばバイクに当る

これだけでもバイク乗りには腹立たしいのですが、さらにというか一番困るのは、筆者のような街を歩く者を危険にさらすことなのです。とにかくバイク乗りがどれくらい無謀運転しているかは、クアラルンプールの中心街を歩いていただければよく分かります。

車がなくなって街を歩くことが以前より多くなった筆者は、バスを使ってもバス停まで/から歩くことになりますしね、歩道をてくてくと歩くのですが、この歩道をバイクが走る、横断する、のり上げるのです。バイク乗りにとって歩道は車道の延長で、彼らはほとんど歩道に敬意を払いません。

歩道を疾走するバイク

ですから車道がひどい渋滞で混んでれば、脇の歩道にバイクを乗り入れて走る、文字通り走るのです。対面交通の道路を走っていてUターン禁止の時、歩道に乗り上げそこでUターンしていきます。大きな道路が一方通行なので、目的地につくにはぐるっと回らなければなりません、その周り道が面倒くさいので、歩道を逆走行します。

その他商店街、ショッピングセンターの周りの歩道は軒並みバイクの駐車場に早変わり、バイクは歩道に乗り上げ駐車です。もっともこれは、歩道の脇は車が停めるのでバイクは歩道上に追いやられる(?)からですが。
やれやれ、歩道はなんのためにあるのというところです。

とにかくこの傍若無人のバイク乗りが歩道を走るおかげで筆者も何回かぶつけられそうになりました。交通マナーがひどい車道や交差点ではとても気を許せませんが、歩道ではたまに、多少はその交通状態から気を抜くのです、そういうときが非常にあぶない、背後からかそれとも前面からか突然バイクが疾走してくるのです。

取り締まらない交通警官

ぶつけられたらけがするのは歩行者に決まってますからね。しかし彼らバイク乗りは何らやましいことをやってると思ってないのが、事を救いようのない状態にしています。さらに悪いことに、交通警官はこういう歩道を走る横切るバイク乗りをまったく取り締まらないのだ。警官の面前で歩道を走っていても警官は取り締まりません。時には交通警官が渋滞を避けて歩道走行してますから、何をかいわんやです。

だから筆者はバイク乗りを、”歩行者の敵”と呼ぶのです。まったく腹立たしく、悲しい状況ですな。



日本人旅行者にとってのマレーシア


日本人にとってマレーシアの魅力って何でしょうか。このところ筆者は時々考えております。以前から日本人旅行者がクアラルンプールにあまり立ち寄らない、立ち寄ってもごく短期間の滞在である傾向は知っていましたので、どうしてそうかなとか、それは旅行社とか旅行マスコミの宣伝せいなのかなと、少しばかり調べたくなりました。

ランカウイツアーの多さにびっくり

年末に常連の読者からABROADを贈っていただいたので、それをじっくり眺めると、あまりのランカウイツアーの多さにびっくりしたのです。そこでこれまで、6年以上も前に訪れて以来、あえて避けていたランカウイへ1月初めに駆け足旅をしてきました。
(なぜ避けていたのかって? それは筆者の得意とする、バスや列車で安上がりに行き、安宿に泊まり、バスや徒歩でうろつき、食事は屋台か大衆食堂というパターンのランカウイ記事では、誰の興味も引かないだろうことはわかっていましたから。ランカウイはやっぱり、余裕のある人がのんびりとくつろぐリゾート島です)このあたりのことはすでに当ホームページ巻頭紹介でお伝えした通りです。

日本の旅行社のパンフが物語る旅行者の期待

その後、1月中旬に今度は別の常連読者から、各旅行社の発行するマレーシアツアーの載ったさまざまな旅行パンフレットを贈っていただきました。きれいな色刷りの旅行パンフレットは、内容も至れり尽くせりで、さすが日本の旅行社が作っているなあと感じさせる出来上がりですね。例えばホテルの内部写真を入れ、いろんなマークを使って施設娯楽を見やすく案内していることなどです。これだけを見ても、日本人旅行者が旅に何を期待しているのかがある程度想像できます。

マレーシアの旅行パンフレットはこれほど気のきいた作りをしていませんからね。これらのパンフレットに載ってるツアーは、ABROAD のようにランカウイツアーばかりでなくマラッカツアーとかペナン滞在、はたまたボルネオツアーとしてサバ州またはサラワク州ツアー(小田急トラベルサービス)が載っており、ちょっとほっとしました。もっとも、そういうバラエティーに富んだマレーシアツアーのパンフレットを選んで送っていただいたようですが。

それでもやはり少ないKLツアー

どちらにしても首都クアラルンプールのツアーは極めて少ないですね。でも例えば”クアラルンプールフリーステイ5日間(JALパックのAVA)”とか、”マレーの微笑み、小粋なクアラルンプール5(東急観光のVita Classe)”というようなのがあるのがうれしいですね。

一国の首都がこれほど人気がないのはなぜ何でしょう。近隣諸国でもインドネシアはバリ島ツアーが圧倒的にジャカルタを抑えていますから、別にマレーシアだけの例外ではありません。タイはプーケットやパタヤ海岸が大変人気あっても、バンコクは同様に人気あります。シンガポールは小さな島国都市国家ですから、首都ツアーという面からは比べられません。

その理由を考える

クアラルンプール、首都となったのが百年前の1896年で、歴史的にはバンコクより新しい都市ですから、建築歴何百年もの古い建造物があるわけではありません。有名な建築物というと独立広場前の英国植民地時代の建物である裁判所、鉄道駅ぐらいでこの当たりに固まっています。それとこの1,2年に出来上がったKLタワーとペトロナスツインタワーでしょう。

建築物の一種である宗教寺院は、バンコクならいたるところにある、エメラルド王宮・寺院をはじめとしたワットが観光客を引き付けているのですが、マレーシアがイスラム教国であるだけに、モスクが宗教寺院の中心になりますことは、当然です。しかしイスラム教のもつ性格上、モスクは華美な装飾や偶像物を許しませんから、視覚的興味に落ちることは否定できません。それにイスラムはタイの南方上座部仏教に比べて日本人にずっと縁遠いですからね。結果として建築物鑑賞又は訪問目的のツアー時間は減ってしまいます。

とはいうもののクアラルンプールは多民族都市ですから、華人系の寺院とインド人のヒンヅー寺院がいろんなところにあるのですが、どうもそういう寺院は日本人観光客の興味を引かないようです。せいぜいチャイナタウンにあるヒンヅー寺院とKL郊外のBatu Caveぐらいかな。
この原因は恐らく、それぞれの寺院の規模が比較的小さく歴史も新しいことと、中国寺院なら中国台湾が本場だし、ヒンヅー寺院ならもちろんインドが本場だから、そのあたりが興味からはずれる、旅行社が売り込まない理由かも知れません。

川が生活と交通の一端でない

クアラルンプール市内にも川はいくつか流れていますが、その川をボートで航行して町を眺めるとか風景を楽しむなんてことはできません。川幅も狭いし水深も浅いし、第一現在の川そのものがそういう目的にできておりません。

ただクアラルンプールが首都に定められた頃は、Klang川を船が航行して品物、人を運んでいたそうですが、当時川が住民の生活の一部だったのでしょうか、筆者は知識を持ちあわせておりません。
いずれにしてもクアラルンプールの船交通と交易は大規模なものでなかったようで、だんだんと川が使われなくなり、現在では川を交通手段として利用することは全くありません、ですから残念ながら、クアラルンプールは川を観光の資源にできないのです。

水はクアラルンプールに劣らずきたないものの、川が依然として生活の一端、交通手段の一つでもあるバンコクはこの面でもクアラルンプールを上回っています。

味に保守的なマレーシア人

食事の面を見てみましょう。イスラム国家とはいえ、多民族国家ですから住民数に比例するごとく中国料理とインド料理はとりわけ豊富です。バラエティーさでは、日本のはるか下ですが、クアラルンプールなら世界のさまざまな料理を提供するレストランがホテル内だけでなくあちこちにあります。

ただマレーシア人自体が料理に味に保守的なこともあって、ちょっと変わったレストランは外国人の客層に頼っているように見えます。マレー人はムスリムですから、どんな料理でも食べていいわけではありませんし(ハラル料理といって、イスラム教で許された範囲でなければなりません)、中国人も珍しい国の料理には興味を示さないようで、そういうあまり一般的でない民族料理のレストランは経営が大変そうです。

ギリシア料理だのドイツ料理、スペイン料理、ロシア料理のレストランはほとんど存在しません。ムスリム料理を供するトルコレストランでさえ存続が難しいのです。日本じゃ街角にもあるフランス料理店は、ホテル内にしか存在せず、独立したフランス料理レストランってあるのかな。

少ないマレー料理専門レストラン

反対に多いのはタイレストラン、日本レストランやステーキを中心とした西洋風料理店です。韓国料理レストランもいくつかあります。不思議なのはマレー料理専門レストランが数箇所のみ、それも半分以上は観光客向けです。ツアーによく組み込まれているSri Mulayu レストランや豪華なCarcosa Sri Negara、大衆的なRasa Utaraぐらいしかすぐ頭に浮かんできません。街角にどこにでもマレー大衆食堂や屋台があるから要らないということかな。でも中国料理はその屋台や大衆食堂の多さにもかかわらず、中国レストランが数え切れないほどあるし、インド料理レストランもマレーレストランより多いのです。

高級マレー料理は外国人旅行者のみならず、地元マレーシア人をも引き付ける魅力に欠けるようです。思った通り、手元の旅行パンフレットでマレーシアでグルメをうたっているのは一つもありません。まあこれは仕方ないか。

かなりある夜の娯楽場

娯楽面ではクアラルンプールはバンコクよりは劣るものの、筆者の感覚からいえばそれなりに結構あるように思えます。カラオケ、ディスコ、パブ、クラブなどクアラルンプール中心街や高級住宅地のBangsar、Damansaraには何十軒もそういう店が客を引きつけています。こういう店の常で、しょっちゅうつぶれたり新しく開店したりですが、総数が減ってるようには見えません。

クアラルンプールは市政府の条例で、酒類を供する娯楽施設に午前1時閉店を義務づけたのですが、普通に遊ぶならこの閉店時間で充分ではないでしょうか、こういう飲食娯楽店に出入りしなく(できなく)なって長いので、詳しいことはもう知りませんが、多くの外国人が常連客であるのは周知の事実です。店によっては白人の方が多いのではと思えるところもけっこうあります。

旅行者が旅でふらりと夜遊びに入る、酒を飲みに行く、そんな楽しみもクアラルンプールにはちゃんとあるのですが、あまりそういうことは知られていないのでしょうか? 旅行エージェントやガイドパンフ・ブックはそういう点を載せたり知らしめていないようですね。

日本人を主たる対象とした日本人クラブも10を超す店がありますから、そういうところの好きな方にも満足はできるのでは思うのですが、いやこれでももの足らない、もっと猥雑な店がいいという方には、残念ですが、ムスリムの国である以上、そういう面を期待するのは無理ですよ、とお答えするしかありませんな。まあないことはないですけどね。

マレーシアは隠れた買い物天国?

パンフレットを見ていて気がついたのですが、「マレーシアは輸入税がない上に、物価の安さもあって香港、シンガポール以上のショッピング天国」 「有名デザイナーブランドや化粧品、アクセサリーが格安で」 と東急観光のVita Classe パンフレットに載っています。”輸入税がない”なんてそんなばかなことはありませんが、輸入税がない物もあるとか低いと書くべきです。

いずれにしても、通貨リンギットの交換価値がこんなに下がる前でも、マレーシアが”香港、シンガポールより安いショッピング天国”なら、1万円交換してRM350 ほどもくる現在では、もっと安い”ショッピング天国”になったことでしょう。筆者はそういう方面にまったく知識とお金がありませんので、どのブランドが良くて安いか見てもさっぱりわかりませんから、残念ながらクアラルンプールがどの程度買い物天国かはわかりません。知ってる人教えてくださいね。

それでも、旅行の楽しみが買い物である方には、この頃のクアラルンプール中心街の高級ショッピングセンターの充実は、シンガポールには明らかに劣るものの、買い物ツアーとしてもクアラルンプールは捨てたものではない、と言えるのではないでしょうか。いや、選択が少ない、店がシンガポールほど多くない、というブランド志向のOLや中年女性の声が聞こえるかもしれませんが。

もっと知られてよい自然の豊かさ

都会の魅力とは別にマレーシアの誇るゆたかな自然は、もっともっと知られていいはずです。青い空と白い砂浜イメージの南国の島ならもちろんランカウイ島ですが、ランカウイほど知られてないけど、もっと南国の離島イメージに合ったティオマン島、それよりもさらに自然度のつよいRedang島、Perhentian島などがあります。

しかしティオマン島は別にして、他の離島は観光開発度が低く大衆リゾート客を受け入れるにはまだ向いていません。その分自然がより多く残っており、水も文字とおりに透明ですから、エコツアー、ダイビングツアーとしてもっと売り込んでもいいと思いますが、どのパンフレットもまったく触れていません。

離島ではなくビーチとしてパンフレットに載っているのが、サバ州のTajung Aruh ビーチ、サラワク州のDamaiビーチ(日通旅行のMIND)です。これらの海岸は半島マレーシアの海岸よりきれいな海であるのは間違いないですから、海岸としては申し分ないでしょうが、ランカウイのようにリゾートの選択がありませんから、幅広いリゾート客に対応できないかも知れません。

これらの海岸の知名度はまだまだ相当低い、マレーシア人だってどれくらいの人が知っているかです、ので日本人リゾート客が押し寄せるまでには行かないはずですが、でもランカウイばかりでなく、こういうビーチを売り込むのはいい考えだと思います。

人気が出て欲しいジャングルツアー

マレーシアの自然はもちろん海と島ばかりではありません、むしろジャングルの方が大きい割合を占めていますが、やっぱりジャングルでは幅広い観光客をひきつけられないようです。又一般パッケージツアーの限界かもしれませんね。

例えばTaman Negaraの中には自然の中に調和して建てられた素晴らしいリゾートがあるのですが、これを宣伝している売り込んでいるツアーパッケージはまったくありません。少なくとも筆者の調べたABRoadと各旅行社のパケージパンフに限っては、ジャングルツアーを載せているのは極めて数少なく、例えば、サバ州の”ジャングルリゾート、レインフォレストロッジステイ5日間(小田急トラベルのボルネオ)”あたりしかありません。これは日本で紹介されている一般的ツアーを示しているはずですから、ジャングルツアーはずっと人気度が低いことが伺えます。

尚ジャングルツアーといってもジャングル奥深く入り込むなんていう本格的ことではなく、ジャングルをちょっと味わってみる程度です。本格的ジャングルを素人が簡単に歩けるわけではありませんからね。

しかし残念です、これほどの豊かな自然が残されているボルネオやマレー半島中心部の自然に触れるツアーがないことは、マレーシアにとっても不幸ですし、日本人旅行者にとってもせっかくの機会を逃していることになります。

リゾート島ツアー、海岸リゾート休暇ならはタイやバリ島にもあるし、内容はそれほど違わないでしょう。買い物ツアーならシンガポール、バンコクク、アラルンプールどこでもできます。しかし熱帯の山中ですごすリゾート休暇はほぼマレーシアに限られていますからね。インドネシアはマレーシアより熱帯ジャングルがずっと多いけど、まだとてもリゾート客を呼べる水準にいたっていません。筆者のような放浪旅向きです。

その点マレーシアのジャングルにはTaman Negaraのように、リゾート滞在客を満足させる施設をもったところがありますので、もっとこういうエコツアーを知らしめ売り込んで欲しいものです。

地元新聞記者の目

ずっと以前のことですが、地元新聞の旅行部門担当ベテラン記者の、日本人旅行者に関する記事が載りました。引用してみましょう。
「以前より多くの国が日本語に重きを置くようになった。そしてそれは旅行産業において一番明らかです。これはすべて旅行業のためであり、旺盛な買い物でしられる日本人の購買力を考慮したためであろう。
しかし日本人を気に入らせる努力の点で、ことはいささか過重になっている。日本人観光客は普通訪れた国の文化をあまり持ちかえらず、反対にすべてが日本の中にひたりきりである。

そのような進展は旅行産業にとっていい予測をうまない。旅行の重要な部分には、(その国の)文化食物環境について知る過程の中に見出されるべきである。
このような短所にもかかわらず、日本人旅行者を楽しませる努力はいくつかのよい結果を生んでおり、日本人の到来数の増加をみている。日本はマレーシア(旅行産業)にとって第3番目に大きな市場である。96年のマレーシア入国者数は前年比6.8%増加の353,000余りであった。

アジア諸国の積極的な誘致策にもかかわらずASEAN諸国で、香港ハワイのように、日本人訪問客100万人クラブに加入した国はまだない。ASEAN諸国が日本人向け市場で成したところをみると、海岸リゾートが日本人旅行者には引き続き主目的地になっている。」 引用終わり。

マレーシアの旅行収入に大きな割合を占める日本人

97年の日本人入国者数はまだ発表されてませんが、増えてることは間違いないでしょう。最近の新聞記事によると、97年のマレーシア旅行産業界全体の国別推定収入では、日本人旅行者はシンガポール人に次ぐ最大の収入源だそうです。入国者数でも隣国のタイを抑えて、2番目になる時も近いでしょう。

これだけの日本人旅行客の存在と購買力のために、クアラルンプールやランカウイ島等の高級ホテル・リゾートは軒並みに日本人マネージャーなりフロント要員を置いています。上記引用でもおわかりのように、マレーシアの旅行業界にとって日本人客は大のお得意さんです。それでなければ、遠く離れた日本からの観光客、地元の日系企業のためにマネージャーが要るなんてありえませんからね。隣国のタイ人のためにマネージャーを置いてる有名ホテル・リゾートってあるのかな。

日本企業にとってマレーシアは、投資先としてはすでに長年重要国の一つであることはいうまでもありません。このように日本人の訪問が、旅行であれビジネスであれ、多く増えればそれだけマレーシアの得るものは多くなるでしょうし、また日本人にとっても旅行先としてもっと人気がでてもおかしくないはずです。ですから早くそうなるように、さまざまな旅行地、見所を今以上に”上手に”売り込む必要があるように思うのです。いつまでもランカウイばかりではちょっと残念ですからね。

こうやってマレーシアを売り込んでいる Intraasia は、さしずめその水先案内人かな。



沈黙するムスリム国家


新聞、雑誌、テレビの国際ニュース欄をよく読まれる方なら、すでにご存知のことだと思います。遠く離れた北アフリカのアルジェリアでムスリム過激派によるムスリムの皆殺しが数年前から起こっていますね。イスラエル占領地におけるイスラエルのパレスチナ人(即ムスリム)の弾圧殺人ではなく、ムスリムによるムスリムの虐殺です。
また日本人観光客もその犠牲になった無差別乱射のエジプトでも、何年も前からムスリム過激派の活動が伝えられています。

筆者はもう昔の事ですが、アルジェリアのいなかもエジプトの乱射場所も訪れたことがあるので、いくらかの興味を持っておりました。尚ムスリムとはイスラム教徒のことをいいます。

素朴な疑問

このアルジェリアでの虐殺がおきる前にも、アフガニスタンでは今尚続くムスリム同志の内戦が起こっています、何万人、十数万人かのムスリムが互いに殺しあっているのです。で筆者は前々からいつも思っていました。アッラーの神の前でイスラムの同胞精神を褒め称え、その宗教的敬謙さでしられるムスリムがなぜ、たとえ民族又は意見を異にしようと、同胞ムスリムを殺すのか、殺す必要があるのかと。

マレーシアは多民族多宗教国家であり、多数派はマレー人すなわちムスリムです。このことは皆さんすでにご存知ですね。筆者はムスリム論を書くつもりでも、イスラム国家評論をするつもりでもありません。上記のアルジェリアの出来事に対して、イスラム国家と民衆の取っている態度にいささかの疑問を感じていたところ、たまたま大変鋭い且勇気ある論調を読みましたので、紹介します。

有名マレーシア女性の問題提起

それは、マレーシアAIDS協会の会長を務めるMarina Mahathir女史が、このアルジェリアのムスリム虐殺の件をムスリム女性の目から評論した記事です(1月28日付けTheStar新聞に掲載)。訳してみましょう。

「前略。
私によくわけが分からないのは、この虐殺に関してイスラム国家がまったく沈黙していることなのです。不幸にも、いくつかのグループや個人を除けば、マレーシアもその(沈黙している)中に含まれるのです。

(旧ユーゴスラビアで)セルビア人がボスニア人を民族的粛清していた頃、叫びが耳をつんざくようであった。人々は抗議し、手紙を書き、チャリティー運動も起し、叫び怒りの声をわめき、そして嘆き悲しんだのです。もちろん全ては筋が通っています、なぜなら民族粛清は卑しむことであり、どこで起ころうと、誰が起そうと非難されるべきことですから。(筆者注:当時マレーシアは、故郷を追われたボスニアのムスリムを引き取って住居などを提供していました)

しかし、それと同じような残忍な方法で人々が彼ら自身と同じ民を殺している時、私たちは何をしているのでしょうか?さらに悪いことに、彼らは、聖なる月であるラマダン(断食月)の最中に互いに殺しあっているムスリムなのです。我々は、この神聖なることへの冒涜に対して、少なくとも何か言うべきです。

我々はこれがいかにして始まったかを指摘できる、それは ”間違った”人々が勝つであろうということから民主的選挙が停止された時です。民主主義のチャンピオンと目される西欧世界を、まさにアルジェリアで起こっているひどい出来事をやめさせるべく何にも言っていないと、我々は非難の手を向けることだってできる。

もちろん、失望し、がっくりし、怒っている人たちからの反応があったに違いない。圧制はある国に起こるどんな病いをも決してなおす事はない。(これと同じようなことがトルコで起こっていることを知っている、人は(間違いから)けっして習わないのであろうか?)

はじめ(アルジェリアの)彼らは西欧思想化したと考えられるジャーナリスト、知識人などを殺すことから始めた。我々はその時何も声をあげなかった。それらのことは非常に孤立したことのように見えた。
とにかく、ここマレーシアでは自身の西欧化したと見える人々について、ある種の留保を持っている人がいる。(そういう西欧化した人は殺されるべきだと、我々が思うのではなくて)

しかし今や、アルジェリアでは首都から遠く離れた村に住む貧しい住民を、アルジェリアでもっとも西欧化していないと思われる住民をだ、殺しているのである。
中略

誰が殺しているのかの疑問が湧きあがっている、そして非難は政府を支持している軍部を含めて両サイドに向けられている。しかしそれは私たちのとってどうでもいいことであるはずだ。だって誰がやろうとそのことはまちがったことであり、罪深いこと、不道徳行為なのだ。

いくつかのヨーロッパ諸国が懸念を示し、調査のために代表をアルジェリアに送った。(その代表団は)状況に光を当てるかもしれない人々に代表団の自由な接触をゆるすことを躊躇する政府の妨害に会いながらである。国連も調査団をアルジェリアに送るべく要請を出した。しかしイスラム国家は石のごとく沈黙している。

もし我々が恥ずかしすぎて声を上げられないのなら、そうする(声を上げる)べきなのだ。しかし沈黙がこの状況をよくするのであろうか?それが人命を救うのであるだろうか?他の国の内政に干渉することを我々は恐れているのでしょうか?アルジェリアが世界に示しているイスラムの胸くそ悪いイメージを、我々はどうやって正当化するのでしょうか?我々はいかにして(ムスリムの)統一について語れようか、そして我が同胞の一部がこんなにも卑しむ行為している一方、ただ無力にたたずんでいるのである。

われらと同じ信仰をもった人々がこの次は虐殺されるではないかという恐怖にすくんでいる時、許しと善意を説くハリラヤを我々はどうやって祝うことができようか、その子供たちは明らかに同じ民族、国籍、信仰の人たちに叩きのめされ強姦されるのではないでしょうか。

この状況に絶望的ではないような顔をしようとする人もいます。まるでアルジェリア全体が混沌としているのではないかのごとくです、その人たちに言わせれば、北部の寒村のいくつかだけである、のです。じゃ、殺された村人と生存者にそう言ってごらんなさい。彼らがたまたまその虐殺に選ばれたことがうれしいとは、私は思わない。

虐殺はテロリストの仕業だ、とアルジェリア軍部はいう。面白いことに、それは西欧世界がまさにアルジェリアの民を描写するのに一番好まれることば、それを使用したのである。
付け加えて、そういう”テロリスト”が貧しき村の民を、自分たちの支持を得るべく民をなぜ殺すのであろうか?

もし我々が人間は他の人間の生命を奪うべきでないと信ずるならば、我々はアルジェリアで行われている虐殺を責めるべきなのだ。さらに、もし我々が、人々が自分の民を殺すべきでないと信じるなら、今アルジェリアで起こっていることにもっと激怒するべきなのだ。もし我々が座って何も言わなければ、世界から単に政治的に弱いと見られるだけでなく道徳的にも疑われるだろう。

我々が何かを言い、さらに行動をも起せば、これはイスラム教が平和と正義と人類愛の宗教であるということを示す、すばらしい機会になるであろう。現状のように、我々は率先してやる機会をすでに逃した、なぜなら他の人々(非ムスリム)がすでになんらかの事をやってしまったから。それでも遅すぎるということはないのだ。

ハリラヤのお祈り時にアルジェリアの人々のことを思い出そう。」
以上記事からの翻訳終わり。

筆者の立場

今回のトピックスはほとんど翻訳がしめるという形にしました。筆者は絶対無宗教主義者ですから、イスラム教徒であろうと、クリスチャンであろうと仏教徒であろうと、そのことを批判するつもりも迎合するつもりもまったくありません。信じたい方は信じてください、という立場です。現れた現象を描写し考えるだけです。

ですからこのアフガニスタンとアルジェリアで起きているムスリム同士の内戦・虐殺とでもいうべき事態に、マレーシアではどんな現象が起きているかをお伝えしたかったわけです。

日頃諸事に声の高いUMNO青年部(UMNOは政権を独立以来握るマレー人政党)は、新聞で見る限り、見事に静かです。イスラエルサッカー選手団がマレーシアで試合をした時、競技場まで押しかけて抗議行動をして警官隊ともめたイスラム原理主義政党のPAS(反UMNOの立場を取り、クランタン州の政権を握っています)もしかり。Marina女史のいうように、ほとんどが沈黙している、と筆者も捉えています。

しかし筆者はマレーシアに住んでいますから、イスラム教・国家評論をしてあらぬ疑いをかけられたくないので、こういう形をとりました。翻訳した記事は、マレーシアの英字紙中発行部数No.1に掲載されたものですからね。



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