「今週のマレーシア」 2001年11月と12月分のトピックス

・エイズ問題を通して、生殖を管理するあり方を考える ・ ランカウイを視点を変えて考察してみる
あらためて触れる外国人労働者のこと  ・マレーシアのいろんな事柄と雑学に知識を増やそう、 その1
続・映画を見よう、マレーシアで公開される映画事情
華人人口比低下を憂慮する華人指導者層の論理  -前編− ・ ‐その後編-
なぜIntraasiaは時にマレーシア関係の記事、ステレオタイプ像を批判するのか



エイズ問題を通して、生殖を管理するあり方を考える

副題 − 「マレーシア女性は虐げられた存在?」 と 「HIV/AIDS検査の義務化」を結ぶ根の同一性 −

エイズはマレーシアでもいわばUntachable の病気ですね。これは程度の大小はあるにせよ、恐らく多くの他国でも変わらない事実でしょう。
10月24日付けのThe Star紙の"Woman" 特集ページに、マレーシアにおける女性エイズ患者の状況を題材にした記事が載っていました。筆者はそれを読んでいささか違和感を感じたのですが、内容自体は考えさせられる重い意味を持ったものです。

それと時期を同じくした頃、ジョーホール州のイスラム当局が州内のムスリムカップルに結婚前のHIV/AIDS検査を義務つける決定をしたというニュースが現れました。その決定の根源に潜むものに”マレーシア的なるもの”を感じた筆者は、「新聞の記事から」 にこの一連のニュースを抜粋して載せました。

この2つの出来事はいずれもHIV/AIDSに関わっていますが、それに限られるものではなく、マレーシア社会のあり方と思考に極めて関係した、というよりマレーシア社会を叙述に示すものなのです。そこで今回はこれをテーマにして取り組んで見ました。

女性のHIV感染が増加している

まず女性エイズ患者の状況を題材にした記事からその一部分を抜粋してみます。

以下記事より
マレーシアエイズ会議( Malaysia AIDS Council) がまとめたものを保健省が公式発表した、マレーシア国内におけるHIV感染者の数は、86年から2001年4月までの累計で4,049人になります。その内男性が37,891人と圧倒的に多く、女性は2,158人です.

依然として男性多数の中で、女性の感染者は92年以来4倍増とのことで、「これは重大な問題であり、男性女性の性差問題でもあります。」とエイズ会議の幹部Huang 女史が語っています。「女性のHIV感染の増加は、社会経済要因と文化要因のせいです。」 「女性は差別され、食い物にされる。女性は健康に留意するというような基本的要求さえ奪われている。」 Huang女史はさらにこう説明する、「マレーシア人女性のHIV感染者の90%は、それぞれの夫からうつされたのです。」 

女性を病気にさらす多くの要因がある、なぜなら多くの女性は家庭の内暴力のサイクルに取りこまれて、自分の身体を管理できないでいるから。家庭内暴力はしばしば性的強要に結びつき、多くの女性はセックスに対してNoといえない。「彼女らは結婚の枠組みにとどまる、それは経済的に依存しているからだ。女性が夫から離れないというのが文化的基準でもあるのです。」とこのHuang女史は語る。

「夫に従順な結婚している女性が夫からHIVを感染させられる。彼女等は夫を拒めない。なぜなら夫がどこかへ行ってしまうのが心配だから。多くの女性は夫とセックスに関して話し合えない。」 「夫の行動の現実を否定する女性もいる。コンドームの使用ということを口にできない女性もいる。」
以上

女性は無力な被害者にすぎないのか?

一部を抜粋しただけですが、この記事のいわんとする事はだいたいおわかりになることと思います。この記事を書いているのは名前Shamala Veluから判断すると女性記者のようですが、記事の記述は”女性は無力な被害者”という視点に偏りすぎているのではないかと、思わざるを得ませんでした。例えば、マレーシアの「女性は差別され、食い物にされる。女性は健康に留意するというような基本的要求さえ奪われている。」 とはあまりにも極端な決め付けであり、確かにそういう女性も少なくないようだが、それでマレーシア女性全体をくくるのはあまりにも荒っぽいと言わざるをえません。

マレーシア女性は差別されてはいない、などと筆者は全否定するつもりはありません、ことはそれほど単純ではないと思います。なぜなら女性自身が自らそれを受け入れている面を筆者はよく感じるからです。ムスリム女性のあり方と理解を非ムスリムが解釈するのは非常に困難ですから、そのせいもあることでしょう。さらに経済的依存関係に入ったのは、それを女性自らの選択した面も非常に大きいはずです。

一体マレーシア女性はこの記事に描写されているほどそこまで差別される存在であり、それが女性のHIV感染又はエイズ患者の拡大に貢献しているのであろうか?これに答えるのは相当なる実地調査を行って現状を知らねばなりませんので、筆者には確とした判断はできません。それでも一般知識として、やはりこの記事主張は極端すぎる、と思うのですね。

この記者と記事中の非インタビュー者の論理の立て方は、虐げれた女性はエイズの恐怖にさらされており、その不幸を一身に背負わされている、と結論つけていることですね。この記事が載せた中から抜き出して筆者が下記に紹介しているように、そういう女性がいないとはもちろん言いません。しかしエイズ感染女性の置かれた問題を男女関係の枠組みに主として帰す見方はちょっと中途半端な捉え方ですね。なぜならエイズ問題とはその社会全体のあり方を写す鏡でもあるからです。HIV感染が女性被害者よりも圧倒的多数の男性に現れている事実からいえば、虐げれた女性の問題の前に 差別化された存在又はマージナルな存在としての社会的少数派に対するマレーシア社会の許容量の低さが大きな問題である、と思うのです。

以前このコラムで扱った性転換者や同性愛者への社会的蔑視感はマレーシアでは極めて強い。もちろんどんな国だってこういう少数派やマージナルな存在への偏見差別はあるし消えることは考えられないが、マレーシアはそれに対して一般社会の許容量が極めて低い国の一つではないだろうか。同性愛者や性転換者はどの社会にもいるし、それをなくすことはできない、という事実を受け入れしようとしない且つそういう人々の人権を認めようとしないのがマレーシア社会の多数派、特にムスリム主流ですね。だから同性愛行為などするからエイズになるのだ、という見方が依然として強いということです。

従って女性のエイズ患者又はHIV感染者への差別も、結局のところこれと同一線上にあると思います。

HIV感染したムスリム女性を収容するホームの存在

記事の抜粋を以下に続けます
クアラルンプールには、行き場をなくしたHIV感染したムスリム女性とその子供のためのホームRumah Solehah があります。このホームは1998年にマレーシア・イスラム教医学協会によて設立され、以来53人の女性がこのホームに一時避難場所を得たのです。中には8人ほどの華人とインド人も混じっています。その中でこれまでにAIDSで死亡した女性は9人に上ります。Rumah Solehahの意味は、”神に忠実な女性の家” という意味です。

国民大学の皮膚科医者でホームの長も勤めるDr.Saadiah女史は語る、「このホームはどこへも行くあてのない女性のために作られた。ある種のパイロットプロジェクトです。」最初は単身女性だけを収容していたのですが、その後母親とその子供にも門戸を広げました。しかしその狭さのために、一度に収容できるのは8人から10人だけです。このホームでは、収容された女性にカウンセリングなどを施し、HIV感染女性たちは自信を取り戻し、そして仕事を探せるまでに回復するそうです。「ここに居ると女性は(状態が)良くなります。しかし彼女たちも一度このホームを離れると、健康状態が悪くなる事もあるのです。」

このホームの運営資金として、ホームは保健省から月RM2500受け取るのですが、それでは全く不充分で、毎月の支出は充分に押えてもRM5500になるそうです。「我我はホームRumah Solehahへの寄付者を募っています。我々は母子の入居希望者を、ホームの経済理由から断っているのです。」 とDr.Saadiahは語る。このホームは自己収入を少しでも増やすためにセルフサービス洗濯所、フォトコピーサービスを営んでいます。そしてこの小さな商売ができるようになったのは、ニュージーランド、オーストラリア、英国、日本などの大使館からの補助金のおかげです。

注:Rumah Solehahの連絡先 Wan Hava女史宛て 03‐91721533。 日本大使館が補助金提供グループに入っているのはうれしいことですね

「文化的規範と社会規範によって、女性が家庭内で決定する言葉を発することを妨げられている。強い(女性への)性偏見が存在し、その中で女性は育ち教育を受けているのです。」 と前述のHuang女史。それで終らない。男女関係の中で女性の役割は完全なる個人として定義されていない。社会は何が適当であるかを定義し定めるのです。結果として、若い女性が避妊を習おうとすると、その女性はみだりであるとレッテル付けられます。 「女性は沈黙の文化のために傷を受けやすいのです。これが女性が自身を守る情報を受けない理由の一つです。」
抜粋以上で終り

女性”性”の解放に抵抗する社会

ある国、ある社会ではそこ独自の文化的規範と社会規範が存在するのは当然の事で、それがない社会と国は存在しません。そしてその規範はゆっくり変化する場合もあるし、なかなか変わらない場合もある。でマレーシアの文化的規範と社会規範が、女性”性”の解放(セックスの自由という意味ではない)に強固に反対する又は極めて消極的であると、Intraasiaは捉えています。女性の”性”が生むためのそれである、民族を保持するために優先させる、ことを政治的支配層だけでなく社会大衆も進んで受け入れているのです。これはムスリムであれ華人であれインド人であれ、それほど大差のない思考と現象が示していますね。

西欧諸国や日本で起こり、ある程度の流れを作った生むための”性”からの開放という思想はマレーシアで起こっていないし全く育っていないのです。その理由は多分に宗教的枠組みからであり、且つ民族としての伝統的思考と枠組み温存でもあるのです。だから常に出産を国がつまり体制が又は民族としての固まりとしての共同体を代表する組織・権威が主導し奨励しているのです。

これを叙述に示している現象を上げましょう。マレーシアという多民族国家では常にある民族の比率が関心になります。そこで数のパワーを常に頭におかざるを得ない支配層の意向が、大衆にも浸透しているといってもよいでしょう。ですから華人支配層が常常訴える、華人女性はもっと子供を生もう運動もその一例であり、子沢山主義を実践しているマレー人コミュニティーとインド人コミュニティーはしいてそういった呼びかけは必要ないほどです。

こうして、文化的規範と社会規範が女性”性”の解放を強固に批判しているのです。こうした社会では西欧的または日本的意味での女性”性”の解放努力と運動は起こりません。さらにイスラム主義はそれ自体を否定しているのです、革新的なムスリム女性団体の主張を読むと、彼女等のアプローチは、西欧的”解放論”でないことが明瞭です。華人コミュニティーの捉え方は極めてコミュニティー至上主義ですね。企業界、官界、政界で要職を占める女性の立場は、性差によって出世などの機会を奪うなという、エリート主義の立場です。つまり宗教体なり民族としてのかたまりとしての観点からのアプローチであり、または能力主義の恩恵を得るべきとの立場からの主張であり、人間社会の中の女性一般の”解放”という思想ではありません。

マージナルな存在を考える必要がある

こういったマレーシア社会の文化的規範と社会規範を知った上で、この記事の描写したHIV感染又はAIDS患者女性を捕らえる必要があります。そうすれば、”虐げれた女性はエイズの恐怖にさらされており、その不幸を一身に背負わされている”という捉え方ではまことに不充分であり、少数のマージナルな存在にも同じことは起こっておりそれが女性に限らないし、逆に女性自身がマージナルな存在を差別する存在にもなっている場合もある事を知らねばなりません。

筆者が上で、「エイズ感染女性の置かれた問題を男女関係の枠組みに主として帰す見方はちょっと中途半端な捉え方」と主張したのはこのような意味合いからです。筆者は劇的増加とはまだ言えないと思いますが、マレーシアにおけるエイズ女性の”急激”増加は、単なる男女の性差の力関係だけの解決では片付かない事を、ここで主張したいのです。

エイズ検査と女性のHIV感染の増加に共通するもの

この筆者の論点を知っていただいた上で、最近話題になっている、ジョーホール州のイスラム当局が州内のムスリムカップルに結婚前のHIV/AIDS検査を義務つけた決定の件に関する記事を再録しておきます。記事を掲載した時筆者はコメントをごく短く書きましたが、決定の根底にあるのはこのコラムで書いたようなことからなのです。このムスリムカップルに結婚前のHIV/AIDS検査を義務つけ問題は、要するにこのコラムのタイトルである 「マレーシア女性は虐げられた存在か?」と根っこは同じなのです。

ムスリムカップルに結婚前健康検査(10月18日の記事から)

ジョーホール州でこれから結婚するムスリムのカップルに、AIDS検査を含めて伝染する病気の検査が義務つけられることなります。この理由は結婚するムスリムカップルが結婚に向いている事を保証するためです。これは12月1日以後のムスリムの結婚に適用されます。

州のイスラム教委員会の議長は、人々はこれを結婚前のエイズ検査と誤解している、しかしその他にも心臓検査、てんかん、血圧、インポテンツなどの検査項目がある、さらに女性が妊娠できるかの検査もする、と語っています。「イスラム教は将来の夫婦がずべての面において正直である事を要求している、それには健康状態も含まれる。これは双方が将来批判し合うことを防ぐのです。」 「検査結果がでて、そのカップルは治療するなどの決定をする事ができるのだ。」 「AIDS検査を含めるのは、それがパートナーにうつらないように、子供に転移しないようにというためだ。」 「この政策はムスリムが結婚しにくくなるのではなく、将来のムスリム世代を保護し、マレーシア人が健康であるようにということです。

ジョーホール州のエイズ検査への反応(10月31日の記事から)

ジョーホール州がムスリムカップルに結婚3ヶ月前にHIV/AIDS検査を義務付ける方針を決めた事に対して、保健省はより良い理解を得たいとしています。保健省にそういう余裕があるかを保健長官からその観点を聞きたい、と保健大臣です。一方マレーシアエイズ会議のマリナ会長は、この決定は病気に関する不充分な分析に基づくものであるので、その決定の合理性を憂慮します、と述べています。その一つに、HIV感染してもしばらくは発見されないという潜伏期をジョーホール州は理解してないことを、女史はあげています。「15分間のテストでは反応作用を示し、間違った心配感を生むだけです。」 「間違ったテストの結果が否定的な影響を及ぼす。」

ジョーホール州のムスリムのエイズ検査を支持する声(11月1日の記事から

ジョーホール州の宗教局が州内で結婚するムスリムカップルに結婚前のHIV/AIDS検査を13日から義務付けることに関して、マレーシアエイズ会議からの批判を呼んでいますが、支持する団体も現れました。それは(国内最大の消費者団体である)ペナン消費者組合からで、その議長Idris氏は、政府はこの検査の動きを広めるべきだ、としています。「決定を批判する点には有効性はあるが、そこでは重要な点をついていない。疑いをもたない配偶者とその将来の子供をHIV感染から防ぎ保護するという点です。」と声明を出しています。

マレーシアエイズ会議のMarina会長は、3ヶ月という感染テストの潜伏期の妥当性、検査の確実性、保健関係者の準備の点などを疑問視しています。ジョーホール州は検査の決定を予定通り進めるとしています。「実際この検査は配偶者の権利を守るからこの決定は特別なものです。なぜなら配偶者になるものがHIV感染してないことを知る事ができるからです。」と州の女性問題と健康委員会の議長は説明しています。「HIV感染しているものが結婚する事を防ぐつもりはない。我々が行うのは彼らがそのまま結婚を勧めるかのカウンセリングです。」

「ジョーホール州では特にムスリムの感染が増えている。昨年1年間で739人のムスリム感染者が発見されました。」 「今年1月から8月までに州内でHIV感染生活者は735人いると確認しています。その65%は単身者です」。一方マラッカ州州首相は、マラッカ州では今のところこういた検査義務を施行する意向はないと語っています。
以上


エイズ検査であれ遺伝子検査であれ何であれ、結婚する両者が合意の上で自主的に且つ個人的にするならば、それはカップルの権利と行動であり、他人がどうのこうという問題ではないですね、少なくとも社会的論議を呼ぶ問題にはならないでしょう。しかしこの検査はジョーホール州のムスリムに限られるといえ、強制・義務なのです。マレーシア社会の状況を考えれば、他州にも広がる可能性がでてくるかもしれません。だからこそ、筆者はこの義務・強制を生み出した思考に、女性HIV感染が増加しているとの事象に潜む思考との同根性を感じたのです。



ランカウイを視点を変えて考察してみる 


数え方によりますが100前後の小島及び極小島からなるランカウイ群島は本島のランカウイ島で代表させて、一般にランカウイと呼ばれています。ペルリス州の沖にありながら、所属はケダー州です。この理由はペルリス州は20世紀初頭にケダー州から分離して成立した州であり、ランカウイはケダー州のままであるということでしょう。

5万人に満たない島に大規模投資

それまで漁業と農業さらにセメント工場程度しか産業のなかったランカウイが一大発展した契機は、ケダー州のアロースター近郊を地元とするマハティール首相の発案と掛け声です。この島を観光と免税の島にするべく、国と州政府は87年に決定した後、90年前後から積極的にランカウイを開発してきました。そのために主としてランカウイ本島に多額のインフラ投資と宿泊施設と観光施設への投資が行われてきました、もちろん現在でもそれは進行中です。

ランカウイ本島はシンガポールよりちょっと小ぶりの島ですが、島人口は5万人にも満たりません。つまり人口はごく少なく人口密度も低いので、島経済をその規模以上に且つ急激に発展させるためには、外部からの投資と人の移入に大きく依存しなければなりません。このため国とケダー州政府はランカウイ開発のためのランカウイ開発公社、通称LADAと呼ぶ、を設立し巨大な投資を次ぎこんできたのです。島の唯一の町Kuah の中心部とフェリーターミナルのあるKuah 波止場を結ぶ1本路の中間ぐらいの地点にそびえる白い大型ビルがLADA本部ですよ。

LADAの議長は、ケダー州の国会議員であり且つマレーシア政界の大物であった、ダイム前経済大臣がずっと勤めてきました。ダイム氏が今年中頃大臣を退いた、正確に言えば失脚だが、以後兼任していたLADAの議長も辞任したので、現在は誰がその席を勤めているか筆者は知りません。いずれにしろLADA主導下にランカウイ開発は引き続いているのです。

道路建設に見る島のインフラのよさ

何年にも渡って巨額投資されてきたためインフラの良さは、住民4,5万の規模の島とすれば非常に整っています。例えば、日本人観光客にも人気ある2軒の豪華リゾート Datai と Andaman へ続く道路を思い浮かべてください。この2軒のリゾートがある地区は住民も全く住んでいないし、農業地があるわけでもありません、漁業用の船着場もありません。島の周回道路から北へ向かって分れる道を延ばしてそれを山中に(確か)10数Km切り開いて立派な道路を、まさにこの2軒専用の道路を建設したのです。リゾート手前にゴルフ場がありますが、常時一杯のゴルフ場では全くないそうなので、その客数などごくわずかといえるでしょう。

もう一つ多額投資の道路建設をあげましょう。ランカウイ空港が沖に向かって伸びる湾をちょうど横断する形で海上に立派な道路が建設中ですね。空港の滑走路南にあるPantai Cenang海岸のはずれあたりを一方の起点にして湾をぐるっと横断して、Pantai Kok海岸当りをもう一方の起点にした海上道路です。相当できあがっていますが、いつ頃開通かは知りません。現在はこの両地点を結ぶ道路は滑走路に沿うような形で島の外周を走っていますが、車でたかが10分もかからない程度の距離です。この道路ができれば確かに行程は半分ぐらいに短縮されますから便利になることは間違いないでしょう。 しかし素人目に見て、この海上横断道路がどうしても必要な道路とはとても思えません。現在の道路が特別に狭いとか痛んだ道路ではないし、しょっちゅう交通渋滞が起こるなんてことはありませんからね。まあ建設のために建設する道路だと考えて差し支えないでしょう

現在今年オープンしたばかりのOriental Villageの敷地内からMat Cincang山へ登るロープウエーを建設中です。Oriental Villageそのものも、多分開発以前はただの林であっただろう場所に忽然と建設された高級ショッピング建物街です。ブランド品ばかり販売しているので高級購買客対象であり、建物類にもいかにも金をかけたであろうという風体の施設です。この場所はそれで終るのでなく、またまた多額の投資が必要であろうロープウエーの建設中です。

こういうことができるのはそれだけ島に多額の公共・開発投資が続いている証拠ですね。

ランカウイ空港の良い面と不満足な点

ランカウイ空港はまだできて5年も経ってないであろうピカピカの空港で、この規模の空港としてその設備は申し分ない立派さですね、ジャンボ飛行機も(将来)離着陸できような長い滑走路が揃っています。空港ロビーはブランド品ショップも揃い、明るく快適です。これだけ立派な空港ながらちょと物足りないのが、人の息吹きがあまり感じられない事です。ざわざわとした人の往来が、繁忙期を除いてない事でしょう。さらに空港周囲にはこれまた立派な大展示会場と中級ホテルが1軒あるが、ごちゃごちゃとした猥雑さは空港内外には全くありません。これが航空距離的にはそれほど離れておらず、マレーシアにとってはいわばライバルにあたるタイのプーケットの空港に比べるとはっきりと違いを感じる点です。(もっともプーケットはランカウイをライバルなんて見なしていないでしょうが)。

良く言えば上品、悪く言えば活気のなさ、ランカウイ空港を描写するにはこの言葉が適当でしょう。

近代的フェリーターミナルとヨットハーバーにはさまれたオンボロ桟橋

インフラに触れると筆者にはすぐ言及したくなるのが、Kuahの町の波止場にあるフェリーターミナルです。筆者がランカウイを初めて訪れた91年当時は空港も波止場も旧建物でした、現在それには全く面影が残っていないほど当時とは変わりました。このフェリーターミナルも空港と同じく確か90年代中頃完成したはずですが、その大きなフェリーターミナルのすぐ隣には木造の古い桟橋が1本あります。この桟橋はTuba島へ行くボートと近くの島巡りするボートが発着しています。Tuba島はランカウイ本島に次いで住民の多い島ですから、といっても数千人程度でしょう、案外頻繁に住民がランカウイ本島との間を往復しています。Tuba島には中学校がないので、中学生は毎日本島まで通っているのです(筆者が訪れた2年前はそうだったので、現在でも変わってないはず)。さらに島には小さなよろず屋的店店はあってもスーパーはないし、クリニックはあっても病院はないので、何かと住民は本島へ来る用事があるのでしょう。

ただ2つの島を往復するのは旧式の木造乗り合いボートであり、ランカウイ島とケダー州またはペルリス州の波止場を結ぶ高速フェリーのような快適さは全くありません。多少大きなボートもありますが、雨が降れば雨に濡れるし波しぶきがかかるような程度のボートです。さらに小人数で島巡りする小型ボートもこの桟橋からの発着ですが、こちらはTuba島行き用ほど古いボートではないし観光用ですから、乗客が毎日これに乗らざるをえないわけではないですね。こういったことから発展するランカウイの中で一番発展しないこの桟橋風景と状況は今尚変わりません(島の漁師が漁用に使うボートを停泊させる桟橋は除く)。

この桟橋のある一角に屋根つきのボート待合場所がこの1,2年できましたが、この桟橋にはどこ行きなど表示類は全くありません、それどころか入り口らしき門もない。島へ戻る住民やターミナルや近くの施設で働く地元の人たち相手の小屋式の大衆食堂が数軒営業している。ここだけ見ればマレーシアの地方のまたは小さな島の船着場の風景と全く変わりません。すぐ右隣にある冷房完備で人が車が繁忙に行き来するフェリーターミナルとはすごい対照です。

さらに同じようにすごい対照的なのが、この木造桟橋の左隣だ、そこはLangkawi ヨットクラブの桟橋があり、豪華なヨットが数多く停錨しています。陸にあるクラブハウスは見ただけでも豪華な造りでレストランも営業しています。つまりみすぼらしい木の桟橋を真中にして右はフェリーターミナル、左はヨット桟橋とクラブハウスという構造であり、この3つの施設はごく隣あった位置にあるのです。豪華なヨットと何隻ものフェリーが停泊するフェリーターミナルを尻目に、時折小さな古いボートがこの木造桟橋を離れまたは到着するのです、多くの観光客はみすぼらしい木の桟橋が何かは知らずにターミナルを利用していることでしょう。

免税の島は自動車も安い

ランカウイは免税の島である。従って酒類、タバコ類はマレーシア本土に比べて数割以上安い。その他チョコレートなどいわゆる海外旅行用土産品は安い。島の高級ショッピングセンタや免税品ショップ、さらに最近できたもっぱら世界のブランド品を販売しているOriental Villageでは、ブランド品がこれも本土より安いそうである、ブランド品には全く知識のない筆者は「安いそうである」 と自信なく書くしかありません。

観光客向けの品だけでなくたいへん重要な物が免税または大減税なのです、それは自動車です。マレーシアで一般販売される物の内、日本より唯一高いといえるのが自動車です。国産Proton車の1600ccでもRM5万ぐらいから、カローラはRM11万近くもしますからね。でランカウイでは車の価格はどのメーカーの車であれ、本土の販売価格の確か6,7割程度です、日本車でも日本並の価格で買えるようです。対象が安くても数万リンギットもする自動車ですから、購買者にとってその恩恵は大きいですね。この低価格で車購入できる特典は島民だけにあるのでなく、外部から島に投資して商売する人、会社も恩恵を受けます。

当然の規制ですが、ランカウイで購入した車は許可なく本土へ持ち出す事はできません、つまり本土へ持ち出して転売・転貸しまたは中古車デーラーに販売し利ざやを稼ぐことを防いでいるわけです。島内で購入した車は全てナンバープレートが”KV” となっているので、すぐ見分けはつきますし、島と本土を運行するカーフェリーはありませんので、いずれにしろおいそれと島外へ持ち出す事はできません。尚一時的に持ち出す時はどうなるかなどの詳しい規則は知りません。

極小レンタカー屋が目立つ

この安い自動車価格もその理由の一つででしょう、レンタカー屋が多いのです。フェリーがフェリーターミナルに着き乗客が船を降りるや否や、桟橋上で何人ものレンタカー屋が次々と寄ってきてしつこくレンターカーを勧めます。フェリーの乗客でも関係者でもない者は桟橋に立ち入っってはいけないことになっているのに、どうして彼らが桟橋でそういう客引き行為できるのか不思議です。この”当局は見て見ぬ振り”主義のために、もう数年も筆者はフェリーターミナルに着く度にこのうるさい客引き屋の相手をせざるを得ません。もちろん初めからレンターカーなど借りる気はさらさらありませんので、通常は一言二言でおしまいですが。

これまでこういった客引き屋と話した経験から判断すると、レンターカー屋は個人やグループでの地元の小規模商売者ばかりで、本土の有名レンタカー会社のビジネスでは全くありません。こういった車はしっかりとした保険契約や契約事項を取り決めたレンターカー会社とは違ってレンタルされることもその理由でしょう。確かに料金は安いです。時期にもよるでしょうが、丸1日借りてもRM100も全然かかりませんせん。

ランカウイでは、白人バックパッカーの多いPantaiCenagみたいな所ではレンタルバイクもあるようですし、クアの町でも探せばある、つまりこのレンタカー屋はレンタルバイク並の気安さでレンタルし且つ客はレンタルできるのです。まあ難しいレンタル契約など必要ないやという気持ちで借りるには好都合ですね。ところでレンタバイクってどういう保険契約になっているのだろう、と筆者は以前から思っています。

島の一般交通を牛耳るタクシー

しかし島内の交通はどうしてタクシー一辺倒なのだろうと筆者はランカウイを訪れるたびにいつも感じます。タクシーの大多数は外側をきれいな統一図案で描いたバンタイプですが、乗用車を使ったタクシーも数少なくあります。このバンを利用されたことのある日本人観光客は多いことでしょう。ずっと以前は島内の一部を周回する小型のバスが運行されていたのですが、最近は見たことすらないので廃止されたのでしょう。当時は廃止したほうがいいと思うほど運行頻度が少なかったのです。なにせ1時間以上もしないと来ないバスをとても待っているわけにはいかないのは、島住民でも同じ気持ちだったことでしょう。

多くの豊かな日本人旅行者の方には感じられないことかもしれませんが、島のタクシーは物価に比して決して安くありません。空港からクアの町までだって10数リンギットはかかるでしょうし、町のフェリー波止場からタンジュンルーとかPantaiKokのような遠距離へ行けば20リンギットは超えます。全タクシーはメーター制でなく行き先別の料金表に基づいて課金します。1泊4,5百リンギットもするAndamanに宿泊するようなカップルならタクシー代の30,40リンギットはたいしたことではないでしょうが、島を訪れる観光客全てがそんな高級リゾートだけに泊まるわけではないのはおわかりでしょう。数から言えば高級リゾート以外の数の方が多いはずです。

島には中程度のリゾートからエコノミーなリゾート、料金にすればRM200からRM100程度のリゾートが数多くあります。マレーシア人一般大衆はそういうところに家族連れ又はグループで泊まるからこういう中小リゾートが維持できているのです。さらにRM100未満の海辺に位置しない安ホテルと RM50以下の安宿、ゲストハウスも結構あります。そういうのはKuahの町とPantaiCenagに固まっています。PantaiCenagは昔から白人バックパッカ−の多い地区、Kuahの町はマレーシア人で海にそんなに興味がなくつつましい予算で泊まりたい人が多いところで、白人や日本人はめったに泊まりません(尚筆者は海は好きなのにいつもKuahの町の安宿です)

この種の客層は当然予算に制限ありますから、おいそれとタクシーを使えません。ちょっと遠方に行けば往復タクシー代が宿泊代並の料金かそれをずっと超すことになるからです。ランカウイ住民でも自家用車やバイクのない人、特に女性でバイク運転は滅多にない、つまり低所得者層はバスがないため行動がずっと制限されます。タクシー代が高いからです。クアラルンプールなら10Kmぐらい離れている所へ行ってもバス代がRM2未満で済むのに、島ではそんなわけにはいきません。

なくならない白タク行為

だからこそ白タク行為が流行るのです。観光客には見分けがつかないでしょうが、道路で車に乗りたそうに待っていると車が近寄ってくるのです。白い普通のバンもあるし、自家用車もあります。いずれも白タクですが、住民や慣れたマレーシア人訪問者ならよく知っていることで、これをよく利用しています。なぜなら公認タクシーよりずと安く半額近くの料金だからです。マレーシア語で交渉する筆者は何回もこういうシロタクを利用しています。ただこのシロタクは日中だけで夕方からはほとんどいませんので、夜間はタクシーだけになりますね。

でここからがランカウイの抱える問題と筆者は思っています。なぜ低予算旅行者向けにバスを島内に走らせないかです。島内の観光地、訪問地、海岸はあちこちに散らばっていますから、1箇所だけで多くの訪問が済みません。Galeria Perdana, Crocodile farm, Underwater World, Craft & caltural Center などなど数ある訪問地は互いに10Km以上離れている所が多い。最近できたハリウッド映画Anna and the King のロケ施設を観光地にした建物、高級ショッピング街Oriental Village もまた別の地区、こうして観光客がいろんな訪問地を回るには、タクシーを借り切るか島内観光バスのツアーに参加するしかありません。道と運転に慣れていればもう一つの手段はレンタカーですね。よってこれがレンタカー屋を流行らせる理由でもあります。

観光当局はこれだけ島のあちこちに観光施設を作り投資しているので、もっともっと多くの観光客にそういった施設を訪問して欲しいはずですが、現実はそれを助長する方向とは反対ですね。低予算の旅行者は1箇所滞在するしかないのです。民間会社がバス運行すれば赤字で続かないしょうが、巨額のインフラ投資と観光施設投資を続けているLADAが、島内周回させる小型バス網を運営することができないとは思えません。小型バス運営など巨大投資に比べればはるかに低予算でできるはずです。しかしやらない、なぜでしょう?

推測すれば、タクシー業者と運転手からの強硬なる反対でしょう、バスを頻繁に運行すれば客が減るとね。ただ島の旅行会社が走らす観光バス・バンには全く影響はないでしょう、なぜならそういう観光バス・バンのツアーに参加する客層は、バスがいくら安くてもそれに乗って自分で動き回る層ではないからです。

万人向きのアイランドにはそれに見合った公共交通を導入すべき

筆者はタイの地方町や島での経験も豊富なのでいつも思うのは、どうしてタイ式に誰でも安く移動できる車の営業を認めないかということです。タイの町や村には”ソーンテーオ”と呼ばれる乗り合いバンや乗合ピックアップトラックが頻繁に運行されており、観光地や島でも大体同じです。尚タイのこの種の車は白タクではなくすべて公認です。ですから貧しい地元住民や予算のないタイ人訪問者はそういう安い交通手段を使います、もちろん筆者は常にこの種の車を利用してあちこち移動してきました。

乗り合いバンや乗合ピックアップトラックは安全度からいえば落ちるのは確かですから、それを心配するなら小型バスの頻繁な運行でしょうね。ところがマレーシアはこういう乗り合いバン類を全く認めないかわりに、住民の運行する白タクには目をつぶるのです。これは皮肉なパラドックスですね。

ランカウイが裕福な旅行者をより好む、より歓迎するのは確かでしょうが、それだけを対象にしてないのは政府・LADAの方針からいっても明らかです。むしろマレーシアでは国内観光の勧めとしてランカウイ旅行などを熱心に売りこんでいます。だからこそランカウイは豪華なリゾートから低予算のエコノミー、さらに安宿まで数あるのです。それならなぜ、もう少し低予算旅行者向けに交通の便を考えないのだろうか? こういった発想と実行のなさががマレーシアの観光立国としての弱点の一つだと筆者は強く感じるのです。

プーケットにかなわない理由

ランカウイが訪問者数と訪問者のバラエティーの両面でプーケットにはるかにかなわない理由は、プーケットが橋で本土とつながっておりバスで大量の旅行者がやって来る、島の人口がランカウイのそれよりはるかに高いので経済活動がずっと盛んだ、という事だけではありません。タイの、且つタイ人の観光に対する思考と態度は、マレーシア応援者として残念ながら言いますが、マレーシア人のそれより客サービス精神に富んでいます。彼らは誰でも受け入れどの客層にもそれに見合ったサービスを提供しようとします。もちろんその中には、例の男女の欲求を満足させる商売も混じってはいますけど。だからこそプーケットはあれほどまでに観光島として内外の人を引きつけ繁盛しているのです。尚プーケットはタイ人ムスリムがたいへん多い島ですよ。

マレーシアは、ランカウイはプーケット型の娯楽型、時には堕落型、の観光アイランドにしないと暗に言っています。もちろんタイの真似する必要はないので、それはそれで結構な事です、尊重しましょう。しかしタイのように、どんな客層にもそれなりのサービスを充分提供するという思考と実行力が欠けていると、筆者はここで主張しておきます。その意味は、単に島内バスを走らせろということだけでなく、裕福観光客のニーズであるマッサージやエステスパも必要であろう、レストラン、パブ街も必要であろう、などということです。もちろんエコツーリズムを奨励しながら、片方で自然破壊行為をしたらそれはいけませんよ。 
せっかくあれだけの巨額投資をしながら閑古鳥が鳴いている施設がいくつもあるのではないだろうか? と筆者は思うのです。

注:このコラムで言及したOriental Village, 木造桟橋などは、当サイトの旅行者用ページの「ランカウイ総合案内」に掲載しています



あらためて触れる外国人労働者のこと、 −続編・外国人労働者の社会−


内容が重なる部分もあるので、2001年1月の第174回コラム「外国人労働者の社会(前編) 雇う側の論理と根付く外国人コミュニティー」 の続編という形にしておきます。

筆者はこれまでも数回外国人労働者のことをこのコラムで話題にしてきました。それはマレーシア社会の分離不可分な一面だからであり、マレーシア社会を写す鏡の役割を持っているからです。人口面から言えばおおざっぱに、国民9に対して外国人労労働者1ぐらいの割合でしょうが、労働人口から見ればこの比率はずっと高まります、なぜなら外国人労働者はその名前の通り労働者として合法、違法の形でマレーシアに住んで又は滞在しているからです。

外国人労働者の存在の多さを知ろう

マレーシアはもう全くというくらい外国人労働者抜きには国が機能しません。つまり国民総生産活動が成り立たないのです。外国人労働者なしにはビルも道路も高架鉄道も一般住宅もコンドミニアムも全く建ちません、建設産業とメイドへの外国人労働者依存の比率は9割以上ですからね。マレーシアの第2番目の輸出高の多い品目であるパームオイルはプランテーション作物です、外国人労働者抜きにこの豊かな外貨獲得作物は十分に栽培、収穫できません。パームオイルだけでなく、ゴムなどのプランテーション農園、各種製造業などは外国人労働者依存の高い産業です。

その他身近なところでは、ビル、コンドミニアムの清掃、ショッピングセンターの掃除、トイレ番、これをやるのはほとんど外国人労働者です。夜店の屋台街で飲食物を運んでくる男女、皿洗いしてる男女にも外国人労働者は多いのです。ただ屋台で働くために労働ビザは下りないはずなので、これらは相当程度違法労働だと思いますけど。

多くの外国人旅行者と外国人居住者には、こういった外国人労働者の姿が”見えない”かマレーシア人との見分けがつかないでしょうが、こういう事に興味を持ち、言葉をある程度理解でき、彼ら彼女等の行動を観察していれば、彼ら彼女らの存在がいかに多いかを感じる事ができるのです。あちこちを自分で歩き回らないタイプの外国人旅行者でも(もちろん日本人を含めて)、この外国人労働者に接することはあるのです、それはランカウイや離島のリゾートなどで働くスタッフに外国人労働者がいるからです。フィリピン人、インドネシア人がランカウイ、東海岸のリゾート、ホテルで働いていますよ。

マレー人口の伸びは他民族より高い

人口と住宅調査2001年の初期分析結果を見ると、マレーシアの民族別人口の変化の中で、マレー人口が急激に増えていることが見て取れます。マレー人口は、1991年に総人口中の50% (879万人)を占めていたのですが、2000年では総人口の54.8%(1207万人)に上昇したのです。非マレー人ブミプトラの範疇では、1991年が10.6%(186万人)から2000年には11.3%(249万人)に多少上昇しています。どの民族の比率が減ったかといえばもちろん華人層になります。

でこの総人口中のマレー人口比の上昇とその原因であるマレー人口の大幅な増加の一因を、UMサバ大学で社会科学を講義するAzizah博士は、インドネシア人の存在をあげています。彼女の分析では、インドネシア人は調査の中で自身をマレー人に分類しているからというものです。1994年に国内の合法外国人労働者中に占めるインドネシア人の割合は51%だったのが、2000年には70%以上に増えた、この要因はそれまで認められていたバングラデシュ人労働者移入とフィリピン人メイドの移入が97年に制限された事であるとのこと。

注:マレー人比率の上昇の主要因はもちろん、マレー人の出生率が華人より高いということです。それだけでないというのがこの博士の論でしょう


以下しばらくこのAzizah博士の分析をもとに見てみます。
マレーシアにおける外国人労働者の移入は93年からしだいに増え経済危機に陥った1997年の時点では140万人に達していた。経済危機のため政府は急激に外国人労働者の移入を抑える方向にはいったのです。ただ非合法外国人労働者の存在は極めて多いので、政府はこれまでにも数回、当局に自首すればその地位を合法化する政策を行ないました(1987年、92年、96年)。しかしそれでも密入国してくる外国人の数は一向に減りませんし、合法的に働いていてもそのビザが切れても滞在し続ける、社会ビザで入国後働くといった非合法労働者になる存在が減りませんから、現在では推定役100万人の非合法外国人労働者がいると見ています。これは合法外国人労度者1人に対して1人の割合という高率です。 92年から2000年までに、半島部で当局が逮捕した合計は180万人にも及ぶのです。これは年間平均20万人を超す数です。

サバ州は特に違法外国人労働者の割合が多く、州人口の4分の1を占めると推定されます。半島部の違法外国人の多数はインドネシア人ですが、サバ州ではフィリピン人になります。

注:この理由はサバ州と南フィリピンのスルー海の地理的、歴史的、民族的近さからですね

外国人労働者が決定的に多いのは、プランテーション農園、建設現場、家庭内住みこみ労働(メイド)、清掃業ですが、それ以外にもたくさんの分野で外国人労働者が必要とされ働いています。当然そこには違法労働者の存在があります。そこでこの博士は次のように分析します。

政府、自治体はサービス部門の民営化を増やしていますが、これは例えば、掃除部門は引き受けた会社が下請け会社に回す、すると下請け会社は労働者集めに非合法外国人労働者も雇う、という波及効果を生むわけです。多くの自治体は業務が違法労働者によってなされたのかどうか問わないのです、と。

注:これは確かにそうだろうと筆者も思います。なぜなら清掃の仕事は極めてマレーシア人が嫌う仕事だからです。

さらに都市部の外国人特にインドネシア人は、自営の職業にも進出しています、タクシー運転手、屋台販売人、靴修理屋、仕立て屋などです。またガードマンに、トラック運転手、自動車運転手などに雇われていきます。
以上はこの博士の分析でした。

外国人労働者を必要とする下地

こういった外国人労働者の存在はマレーシア社会が求めるものであり且つ許容するものなのです。もちろんマレーシアに労働職場を求めてやって来る外国人という供給、合法と違法の両方から、が十分にあるから成り立つことです。インドネシア人、フィリピン人を始めとしてバングラデシュ人、ミャンマー人、タイ人などのマレーシアへの絶え間ない流入がこれを証明しています。

で低賃金と劣悪環境でも働く外国人労働者特に非合法労働者の存在はマレーシア社会に貢献し且つ一方大きなマイナス要因にもなっています。つまり低賃金でそういう環境でも働く者がいればそれを向上させる必要はないという意識をもつ雇用主が増えてもおかしくありませんし、いやな仕事はすべて外国人に回そうという意識が国民一般から全く減らないことです。上記の博士は語る、「わが国にはすでに200万人の合法と違法の外国人労働者がいる時、さらに移入する必要があるのだろうか?」

家具製造業界の例を見る

このマレーシア人が働かなくなって人で不足に陥っている業界の一つが家具製造業のようです。こんなニュースが7月のある日新聞に載りました。

(マレーシアの家具製造の一大中心地である)ジョーホール州Muarの家具製造業者は、その業界の工場で働く外国人労働者が会社倒産の場合は帰国を義務付けられている事に関して、それはその労働者にとっても業界にとっても無駄になると、政府にその方針変更を訴えています。同業組合の議長は、「工場で何年もかかって技術を教えた外国人が帰国するのは、業界にマイナスだ、彼ら外国人は技術を持っており経験ある労働者だからです。」 「最近3000人近くの外国人が働いていた工場の倒産のため、そこの外国人労働者は帰国したが、近くの工場が雇おうとしても許されなかった。」 と語っています。

Muarには300近くの家具製造工場があり、米国、ヨーロッパ、日本、中東などに輸出している。多くの工場は新しい注文を受けているが、人材不足で需要を満たせない、とのこと。
以上

この記事に現れているのは、マレーシア人は家具製造業で働かないから外国人が必要だ、という雇用者側のいつもの論理と且つ事実を示す例ですが、その原因をすべて ”マレーシア人がもう働きたがらないから” とマレーシア人労働者に責任を押し付けるのはおかしな論理でもあります。なぜならこういう業界は、低賃金劣悪労働環境だそうなので、他に給料が多少高く労働環境もそれほど悪くないところがあれば、そういう方面・業界で働く方を選ぶというのは、マレーシア人労働者の立場から言えばごく自然な行動でしょう(日本人だって同じですよね)。だから業界関係者のいう”マレーシア人が働きがらない”というのは、業界が自己努力をしない、足らないことを隠す言い訳という面もある、と筆者には感じられます。

グロバリぜーションの中資本と労働は常に移動していく

ある国の経済が発展すれば、どの業界でも当然労働環境、賃金の向上がついてまわりますよね。昔は悪環境でも低賃金でも働いていたが、周りの環境が良くなれば当然人はその働いている又は働こうと思う職場にも向上を期待します。だから環境、賃金が向上しない職場から人は離れて行く、そこで働く意欲を失っていくのは当然です。マレーシアの中小企業やプランテーション農園に欠けているのは構造改革の意欲のなさと実行の少なさですが、その業界の言い訳は常に、環境と賃金の大幅な向上は国際競争力を失う、ということにつきます。

しかしグロバリぜーションの進んだ現代世界で、所詮労働集約型産業はより賃金の低い国へ移って行っているのは、事実ですね。例えば、かつて日本で主として生産していた農業品目の中には、今では中国で委託生産した物を輸入するようになったり、製造物に関しては生産拠点を東南アジア、さらには中国に移している企業が続出しているのは、皆が知っている事ですよね。だからマレーシアだけがこの流れに抗することはできません、何らかの政策で流れの影響を幾分遅らせる、妨げる事は一時的にできてもです。

その当時はマレーシアは存在せずマラヤでしたが、マレーシア自身19世紀の昔から外国人労働者を大量に移入してきた歴史があり労働者移入自体に抵抗感が少ないこと、且つ周辺国から常に労働者を簡単に移入できる状況にある事から、いくつかの産業では自己改革をしなくてもよい環境下にあると一見思える状況が、こういった業界の構造改革を阻んでいるのです。

外国人労働者とは相互依存にある

マレーシア国民の中には、さらに政治の中にも矛盾した態度がみられます。それは社会が、国民が外国人労働者に依存していながら、その存在をできるだけ軽視しようというものです。俗な表現で言えば、彼らは単に出稼ぎでやって来るのだから、出稼ぎが終ればさっさと帰れ、その出身国で仕事がないからマレーシアが金を稼がせてやっているのだ、出稼ぎのくせに一人前の要求するなというものです。

しかしこれは事実と違うのは上で書いたとおりです。いわばマレーシアと外国人労働者はもちつもたれずの間だからです。外国人労働者が国では仕事がない、国で働いてもまともな金を稼げないからマレーシアへやって来るのはほぼ100%正しいと言えるでしょう。一方マレーシアがそういう外国人労働者の労働力をを切実に必要としているのもほぼ100%事実なのです。例えその給料が現状の数倍である月千数百リンギットぐらいになると仮定しても、ビル、トイレの清掃をやるマレーシア人はでてこないでしょう。これは住み込みメイドの場合でも同じです、会社勤めの一般OLの給料よりずっといいRM2000の給料だとしても、メイドの職を選ぶ華人が、マレー人が出てくることはもはやありえません。(数十年前なら別でしたが)

現在外国人労働者が主として占めている職は、単に低賃だからだけでなく、マレーシア人がもはや就こうとしない職なのです。建設肉体労働者、メイド、清掃、プランテーション農園、雑役、後片付けなどはマレーシア的概念からは各段に程度の落ちる職で、マレーシア人たる者の就く職ではないのです。

8月21日の新聞記事 「違法外国人労働者に鞭打ち刑を科す」 から抜粋

非合法外国人労働者の密入国、密滞在を抑える手段として、出入入国管理法を改正して、密入国者らに重い罰を課すことを政府は検討しています。副首相のアブドラーは、政府の特別委員会が提案した中には、非合法外国人労働者と雇用者とそれに関わった者に罰を加えることを含める予定だと、明らかにしています。さらに非合法外国人労働者には、初めて鞭打ち刑を科す事をも含まれているようです。
特別委員会の提案は、違法労働者を雇用した罪の責任の証明を被告に転換することもあります。

副首相は現在60万人の違法外国人労働者が国内に滞在しているとして、半島部ではその多くがインドネシア人であり、他の国々からの者ももちろんいるが、サバ州ではその多くがフィリピン人だ、としています。「違法外国人労働者は社会訪問ビザの条件に違反して、又は雇用主から逃げ出して又は滞在許可期間を超えてなどがその理由である。」
特別委員会のこの提案は内閣に近々提出されます。
以上

法のあるべき平等から言えば、違法に働いている者を罰すれば、違法と知って雇っている者も罰するべきですよね。違法労働者に鞭打ち刑を課すなら、違法雇用者にも同じことを課すべきです。それでこそ違法外国人労働者の減少に結びつくのです。

外国人労働者の溜まり場

独立記念日(8月31日)の朝、筆者は式典の行なわれている独立広場へ出かけた、式典を眺めることは無理だがひょっとしたらパレードなら多少は見られるかもしれないと思ったのだが、やはり人手の多さに遠くから垣間見る程度しかできない、そこで見物はすぐあきらめて広場を離れ、付近をぶらぶらしていた。広場へ向かう人、広場を離れてきた人で、あちこちに独立記念日を感じさせる雰囲気が漂い、手に記念日の品を持った大人子供の姿を見かけた。マレーシアは独立44年のまだまだ若い国であるのだ。

しばらくうろついた後、家路に着くために、いつものようにMetroJaya裏のバス乗り場へ向かった。そのバス乗り場に続く短い道路はJalan Silangと呼び、交通が激しく人の往来が多く、商店と食べ物屋が並んでいる通りだ。この通りの歩道の1画に男たちの群れが幾つかあり、皆それぞれ立ち話している。浅黒い肌に南アジア系の顔立ちをした男たちばかりであり、女性の姿を見かける事はまずない。彼らはマレー人でもインド人でもない、つまりマレーシア人ではないのだ。それでは何人か?バングラデシュ人とミャンマー人がそのほとんどなのです。

注:Jalan Silangはごく最近の9月初め Jaaln Tun Tan Siew Sinと改名された。Tun Tan Siew Sinは故華人政治家で経済大臣を務めた

なぜその一画にバングラデシュ人とミャンマー人が固まっているのでしょうか?それはこの通りにはバングラデシュ人向けのよろず屋が4,5軒と、ミャンマー人向けのよろず屋が数軒集中しているからであり、外国人労働者としてマレーシアで働く彼らは祝日なので、買い物がてら自民族の仲間の集まるこの通りにやって来たのです。日曜日や祝日にはいつも目にする光景ですが、その日独立記念日は、どの工場も休みでしょうから、彼らにとっても休みなる率が多く従ってそこに集まってくる者も多かったことでしょう。

この通りの一画にバングラデシュ人相手の店ができ始めたのは90年中頃かな、その後少しづつ増え、且つミャンマー人相手の店もできた。バングデシュ人専用よろず屋はベンガル語でかかれた看板がかかり店内はバングラデシュから輸入した食品、飲食物、映画音楽カセット、雑誌類などで埋まっている、一方ミャンマー人専用よろず屋はビルマ語の看板が懸かっており、店内はミャンマーから輸入した日曜品、食品、カセット、雑誌などで埋まっている。異国マレーシアで働く彼らにとって、やはり自国の飲食物、製品、音楽は欠かせないようです。

注:半島部では外国人労働者の数は首都圏が一番多いからクアラルンプールにこの種の店が集中するのは当然でしょう。ペナン州、ジョーホール州にも外国人労働者は多いので、そういう所にも規模は小さくてもこのような外国人労働者向けの店が何軒も営業していることでしょう。以前筆者が何人かに聞いたところと推測からすると、こういった店はいずれも口コミで知られていくようです。


在住日本人との置かれた立場の違いを見事に示す

日本食品・製品を主として販売する店舗はクアラルンプール内外の有名なショッピングセンター内や高級ビジネス・商業地区で営業しており、さらに日本レストランはホテル内、ショッピングセンター内などあちこちに相当数ありますが、バングラデシュ人相手の店とミャンマー人相手の店はこういう中心部のごみごみとした一画にあるのです。看板が目立たないし、ビルの階上にある店もあるので、注意して探さないとその存在に気がつかないくらいです。筆者はこれまで時々そういう店を訪れて観察してきたのですが、マレーシア人を店内で見かけた事はまずないですね。日本製品販売店・食品店や日本レストラン内にマレーシア人の姿を見ることは極めて自然なことでしょうが、バングラデシュよろず屋とミャンマーよろず屋にマレーシア人の姿はありません。マレーシアに居住する日本人とバングラデシュ人及びミャンマー人の置かれた立場の違いをまこと見事に示す現象です。



マレーシアのいろんな事柄と雑学に知識を増やそう、 その1

−国旗、国王選出、バジュクルン、ガメラン、伝統的民間薬など−

タイトル通り、今回は種種の事柄にうんちくを傾けた豆知識のコラムです

マレーシア国旗の知識

マレーシア国旗をマレーシア語で、JALUR GEMILANG(ジャルーグミランのように発音) と呼びます。栄光のストライプという意味ですが、ただこの名称が国旗の正式名になったのはつい最近の1997年のことです。

この国旗は1949年に、当時はマラヤ連邦でまだ独立してなかった、3つの候補作から全国的投票で選ばれた図案を基にしているそうです。この基図案を作成したのは当時ジョーホール州で働いていた公務員の建築家でした。そしていくつかの改良を加えて国旗として法定されたのは翌1950年4月でした。

こうしてできた図案はしかし1963年9月16日のマレーシア成立によって、星の画を14画に増やし、ストライプの数も14に増やしたのです。そして現在の国旗が初めてひるがえったのは1963年9月16日です。
1965年にシンガポールがマレーシアから離脱したにも関わらず、星の画とストライプ数は減りませんでした、後年この1画と1本は連邦政府を示す事になったそうです。

シンボルの意味

色の意味


4週間以内に新国王をスルタン会議が互選する

11月21日にスランゴール州スルタンである第11代国王が死去しました。国王をマレーシア語ではYang di-Pertuan Agongと表記する。
そこで、各州のスルタンから構成されるスルタン会議が4週間以内に開かれて、次の第12代国王を互選する事になります。それまでは副国王であるトレンガヌ州のスルタンが代理国王を務めます。

憲法のこういった分野専門のShad Saleem教授によれば、12代国王の選出は1957年に決められてその後1994年まで実行された、国王選出リストに基づくそうです。このリストの順番に従って独立した1957年から94年4月までに、ヌグリスンビラン州から始まって、スランゴール州、ペルリス州、トレンガヌ州、ケダー州、クランタン州、パハン州、ジョーホール州、ペラ州まで、9州から9人のスルタンがそれぞれ国王に地位に着きました。ただ国王の任期は5年ながら、1960年に在職数ヶ月で死去した元のスランゴール州スルタンを含めてこれまで4人は任期途中で死去しました。1963年にマレーシア結成に参画したボルネオ島部のサバ州とサラワク州はいうまでもなく、元(英国)海峡植民地であったペナン州とマラッカ州にスルタンはいませんから、この国王選出リストに4州の名前はありません。 

注:この4州の州元首は英語ではGovernorと呼ばれ、憲法上国王の候補になれず選出に加われない。私は”9州から9人のスルタン”とここで書きました、実際の称号に多少の違いがあるが実質的にはスルタンであるので、この表現でいいと思います


こうして一巡してから、第2順目のリストが94年4月から始まり、スルタン会議はヌグリスンビラン州スルタンを第10代国王に選出しました。その後1999年9月にスランゴール州スルタンが第11代国王になったのです。

この教授は、「ある州のスルタンが一度国王の地位につけば、その州はリストの一番後ろになります。リストが一巡すれば、また最初の順番に戻ります。」 と説明しています。「リストの順番にある州のスルタンがそれを受ければ、スルタン会議は彼が国王であると宣言するのです。」 ただこれまでに、次の順番に来ていたジョーホール州とパハン州が国王就任を断った例があるそうです。その場合はリストの最後に回される。

つまり部外者の一般的理解からいえば、リストでは次の順番であるペルリス州のスルタンが第12代国王に宣言されるということなんでしょうかね?でもスルタン会議で秘密投票を行い9人中の5人以上の多数で国王選出又は国王非当選を決めるのだそうです。
後記:12月12日スルタン会議で、ペルリス州のスルタンが第12代国王に選出されました。

バジュクルンのお話し

マレー女性の伝統民族衣装といえば、Baju Kurungですね。マレーシアなら都会、田舎を問わずどこであれ、このBaju Kurungを着ているマレー女性をごく普通に見かけます。Baju Kurungは日常着であり仕事着であり、またオフィシャルな機会にも着ることのできる衣装です。非マレー人女性が着てもおかしくないので、そういうBaju Kurungを1着や2着仕立てている華人女性も結構いるそうで、たまに見かけます。といっても毎日Baju Kurungを着ている華人女性はごくまれでしょう。ところがインド人がBaju Kurungを着ている姿はほとんど見たことがない。同じ非ムスリムでもこのあたりが微妙に違うのです。

さて筆者はファッショには疎いので、下の記述は9月23日付けStar紙のファッション解説記事をまるまる参考にしてあります。

Baju Kurungの上着部分は丈の非常に長い長袖で身体部分はゆったりとしており、スカート部分の丈はくるぶしぐらいまでの長さです。全国に共通して、ムスリム中学生のユニフォームは白と薄い青い色を基調にしたこのBaju Kurungであり、生地は綿だそうです。

ゆったりして体全体を覆うこのBaju Kurungはずっと昔イスラム到来と共に中東からムスリム商人によってもたらされたと考えられています。ファッションデザイナーのSalikn Sudekは、「Baju Kurungを最初に着用し始めたのはジョーホール州人だ。インドネシア人も着用するBaju Kebayaと違ってBaju Kurungは極めてマレーシアの衣装だ。」 と語る。Baju Kurungの衣装としてのユニークさは、脇の下で縫い合わせるpesak という名の部分だそうです。このpesakが袖と身体部分をつなぎます。Pesak には2種類あって、pesak buluh と pesak gantung です。peasak gantung の方が幾分ほっそりとなるそうです。

伝統的Baju Kurungの襟部分を teluk belangaえり といい、丸い形で中心に1箇所スリットが入っています。これとは別の伝統的襟にcekak musang というのがあり、発祥はジョーホール州です。この襟はインドのムスリムがもたらしたと信じられているそうで、Nehruカラーに似ているそうで、5又は7又は9つのボタンでしめます。「Baju Kurung cekak musang は伝統的にビロードで作られます。」とデザイナーのSalikn 。

マレー半島の各地にはそれぞれ特徴のあるBaju Kurungがありまして、北部ではBaju Kedahです。上着が他地方のそれよりも短いとのこと。 Terengganu州では生地に格子模様を用いるそうです。ペラ州では、パンツと組合わせるbaju Tun Fatimah です。baju kurung Pahangはpesak gantung を使います。
尚Baju Kurung teluk belangaが現在一番知られているスタイルだそうです。さらに90年代中頃から現在まで人気あるのはKebarungです。これは、baju Kurung のゆったりさを取り入れたbaju Kebayaのことです。

最後に、「baju Kurung はカジュアルにもなるう、フォーマルにもなる、豪華にもなる。それは布地とアクセサリー次第なのです。伝統的な布地であるsongket, kain tenunは美しい。」とデザイナーのSaliknのことばです。

ガメラン音楽

自分で買ったCD録音のガムラン音楽を聴くような場合を除いて、マレーシアでガメラン音楽を聴く機会は決して多くありません。先日コタキナバルの博物館を訪れた時、博物館内で録音された音楽が流されていました。それがガムランでしたのでちょっと意外感じたくらいです。下記にある専門家の言葉を引用しておきます。

マレーシアのガメラン音楽のレコードを吹きこみコンサートを開くRhythm in Bronze の音楽監督のSunetra Fernand(マレーシア人女性)はガメラン音楽についてこう語る、ジャワのガメランとバリのガメランとマレーシアのガメランの違いについて、「いずれも同じ家族の一員です。チキンカレーの中でちょっとスタイルが違うようなものです。3つのガメランの間には楽器の数において、楽器の作られ方において、変更があります、さらにレパートリーと音楽スタイルにはしっかりとした違いがある。」 「ジャワのガメランは多くの楽器を使って密に積み重ねてあります、音は川がゆっくり流れるかのようです。バリのガメランはたいへんダイナミックで、テンポがすぐ変わり音が大きくシャープです。マレーシアのガメランは安定した感じで穏やかです。」

しろうとには分かったようで分らない説明ですが、やはりたくさん聴き比べないとわからないでしょね。

マレーシア海域は地質時代の大昔は陸地であった

現在のマレー半島、ボルネオ島、スマトラ島、ジャワ島の周囲の海は、地質時代である160万年前から1万年までの更新世時代には、水位が100メートルほど現在より低かったのです。そのためマレー半島、ボルネオ島、スマトラ島、ジャワ島のほとんどは陸地続きであり、この広大な陸地をSundaland と呼ぶそうです。その後海の水面が上昇し、現在の半島と島の形になったそうです。このことがマレー半島、ボルネオ島、スマトラ島、ジャワ島見られる現在の植物相と動物相を説明することができます。
マレーシア海域は世界の中でも最も多様性を持った海域の一つです。例えば、世界中の魚の種2万種ほどの内、マレーシア海域で4千種が発見できます

なるほど、それでボルネオのサバにアジア象が生息しているんですね。どうやってマレー半島からボルネオ島までの広大な海を渡って行ったのか、以前から不思議に思っていた疑問が氷解しました。

マレー民間薬

都会のマレー地区やマレー人街(インドネシア人も客に多い)とマレーカンポンには、マレー伝統又はインドネシア伝統の民間薬を売る薬屋が目立ちます。時には路上で香具師が口上付きで売っています。そういった店では、いわゆる西欧薬だけを売るドラッグストアーではまずお目にかかれない種の”薬”をずらっと並べて販売しています。種類が多いうえ筆者には日頃全く馴染みのない”薬”なので、どの”薬”がいいとか、効くとかは全くわかりません。その中で比較的 マレー・インドネシア民間薬に縁がなくても目につきやすい”薬”を下に2つ紹介しておきます。
注:”薬” にしたのは、政府の公認した薬でない品も多いからです。

民間薬になったなまこの養殖

ある種のなまこ、地元でGamat Emas( ゴールデンなまこ)と呼ぶ種類のなまこ、から取った抽出物をマレー半島の北部地方では300年前から民間薬として使用してきました。そしてこの20年ほどその人気が増しているのです。マラヤ大学の科学者たちが、このなまこを商業的に養殖し、各種の商品化しています。Gamatは今や洗顔ジェル、ボディーローション・モイスチャー品、になっています、この理由はGamatにはエラスチン繊維とコラーゲンが含まれてるとわかったからです。商業的採取によってなまこの生息数が劇的に減少しました。特にかつては豊富に棲息していたランカウイ島とパンコール島の周辺です。

大学のチームは現在パンコール島でなまこの養殖をしています。マレーシアでは海洋バイオテクノロジーの商業化においては、知的所有権の法律によって守られており、発明者は占有的特権を一定期間与えられます。

以上、これは解説記事から引用しました。

Jamuジャム

いわゆる Indonesia Jamu で、ビン入りの丸薬、液体状、粉末状、カプセルの4種類あるそうです。
Jamuとは簡単に言えば、ハーブ、木の皮、木の根、スパイスなどを調剤・配合した内服する伝統的民間薬で、マレーシアでもそれなりに人気あるようです。インドネシア人ではJamuの起源はジャワ島の古都であるSurakarta, Yogyakartaだと信じているそうです。

簡単に言えば経口ハーブ薬なんでしょう。筆者を含めて経口というのは多少または相当、抵抗感がある方がほとんどだと思いますね。



続・映画を見よう、マレーシアで公開される映画事情


コラム158回 「映画を見よう、 マレーシアの映画・映画館事情」 の続編という形です。多少言いまわしを変えただけの同じような内容の部分も一部ありますが、その時書かなかったこと、その後起きた変化などを今回は主に書きました。さらにゲストブックの以前の書きこみと巻頭のことばも一部収録しておきました。

はじめに概論

ここでいう公開映画とは映画館(シネプレックス、単独館を問わず映画館としておきます)で封切り上映される映画のことで、VCDとして販売される映画のことではありません。数からからいえば当然VCDで映画を見る人の方が映画館へ足を運ぶ観客より多いのですが、パサールマラム(夜市)やショッピングセンターのVCD屋でVCDを購入しても、現在まだまだ海賊版が幅を利かせている現状から、製作社・者や映画関係者の収入にあまり結びつきません。ですからVCD版映画の人気と公開映画の人気に関連性はあっても、映画配給会社がその映画を公開する決定的な理由にはならないでしょう。

注:シネプレックスは1995年にBandar Utamaに初のシネプレックスがオープンして以来、都市の映画館事情を変えてしまって現在はシネプレックスが主流です

さらにマレーシアの映画館で公開されなくても、海賊版VCDの形で発売される映画ももちろんあります、それがマレーシア当局の規定する(が日本人の感覚とは相当ずれる)ヌード場面又はポルノ的要素をもっていたり、政治的メッセージを載せた映画、公開してもまず配給収入が見こまれない映画も海賊版VCDの形で売られています。しかし世界の映画国、ロシア、フランス、タイなどの映画をVCDの形で売られていることを見ることはほとんどないと言っても間違いではないでしょう (例外はあるかもしれません)。ここらが後で述べる悲しき点です。
尚日本のテレビ番組を華語字幕付きVCD化したものが華人層、特にヤングに人気があり、あちこちで簡単に購買できるが、これは映画の範疇とは少しずれる。

注:日本のアダルトビデオ又はポルノ映画のVCDが夜店などの違法VCD屋で売られている。クアラルンプールのチャイナタウンでも客を選んで売っている。これはその映画に興味があるのではなく単にSEX描写に興味があるからで、映画そのものはどうでもいいはずです

マレーシアの映画事情は以前コラムで数回書きましたように、ハリウッド、香港、ボリウッドがその3本柱で、年間通して常時上映されています。上映数から言えば半数以上がハリウッド映画でしょうし、動員観客数で言えばハリウッド映画は恐らく3分の2近くは占めるのではないかと推測できます。タミール映画のような低価格公開映画と違ってハリウッド映画はどれも高いでしょうから、ある程度の観客が見こまれないと公開されませんからね。

注:ボリウッドとはインド映画の中心地Bombay に米国のHollywoodをかけて作った造語


この3本柱に残念ながら入れないのが、年間10数本しか製作されないマレー映画です、これは現在までのところほぼ100%マレーシア語映画です。ものすごく低予算で1本当りRM100万ぐらいとのこと、主要ハリウッド映画が1本制作費US$5000万だそうなので、その規模と差はアリと象ぐらいの違いがありますね。

注:最近初の国産英語映画 "Spinning Gasing" が製作され、2001年10月シネプレックスで公開されました。複数の主演者に各民族からそれほど名の売れてないマレーシア人を起用しています。どの程度の興業成績か知りたいものです


香港映画は数年前からの香港映画スランプで以前よりぐっと上映本数が減りました。このためもあって、昔からあった香港映画専門館がほとんど廃業しました(これは以前のコラムで書きましたね)。でもマレーシアでは今尚公開映画の3本柱の一つに変わりはありません。

ボリウッド映画の人気を支えるマレー人

インドのボリウッド映画はマニアを除けば、一般日本人に一番なじみないですが、マレーシアではたいへん人気で且つ上映本数も多い。クアラルンプールにはインド映画専門館も数館あり、その外にも毎週1,2本のボリウッド映画が有名シネプレックスで常時上映されています。尚マレーシアでのインド映画では、タミール映画がボリウッド映画主流のヒンヅー映画と並ぶほど多く、ごく少数だがマラヤラム語とかベンガル語映画も上映されることがある。バングラデシュ人労働者向けにごく少ないとはいえベンガル語映画が上映されるまでになったのはそれだけバングラデシュ人が増えた証拠ですね。

マレーシアでのボリウッド映画公開を支えるのは、インド系マレーシアだけでなくマレー人です。さらに外国人労働者も貢献しているでしょう。総人口の8%そこそこと人口の少ないインド人だけでは、これほど多くのインド映画を上映できないはずです。それを叙述に物語るのは、マレー娯楽雑誌・新聞に載るボリウッド映画とスターの話題の多さであり、映画館観客にしめるマレー人の多さです。もちろんボリウッド映画のVCDを買うマレー人も多いのは当然です。ボリウッド映画の多くが字幕がマレーシア語だけだというのも、対象層をよく物語っています。

一般に、華人がボリウッド映画をみることはまずないでしょう。華語新聞、娯楽雑誌でボリウッドスターの話題を読むのは珍しい。ですからボリウッド映画に華語の字幕は一切つかないのです。ボリウッド映画に華語(中国語のこと)の字幕がついた公開又はVCD版がこれまではたしてあったのであろうか。華人がボリウッドにひかれないのは、民族の嗜好性に合わないというのが、筆者の仮説です。華人の嗜好を考えればこれはまず間違いないはずですが、これを精細に裏付ける論を書くのは非常に検証時間のかかることで、今回はできませんので、仮説としておきます。

ただクアラルンプールのMidvallyショッピングセンターとKLCCのSuriaショッピングセンター内にあるような、ハイクラスシネプレックスでボリウッド映画の観客に比較的若い華人の姿を見ることはあるでしょうが、それは極めて限られた現象ですね。ちょうどクアラルンプールのしゃれたアップタウンであるバンサのマレーシア全体で占める位置が極めて特異な存在であるように。だからインド映画専門館で、華人の姿は見られないし、華人町の違法VCD屋で華人がボリウッド映画のVCDを買う姿を見ることはまずないのです。いや東海岸の華人の中に見る人がいるという声があるかもしれません、民放TV3局がまともに映らない東海岸州の地域だと娯楽の数が少ないので、ボリウッド映画もその選択に入るということは考えられます。

1度見たら忘れられない特徴あるボリウッド映画

映画はハリウッドならハリウッドのスタイルがあり、香港映画は香港台湾と東南アジア華人大衆の趣向に合うように製作されるのが普通ですから、ボリウッド映画にもそのスタイルがあります。何が特徴かというと、1度見れば絶対忘れない、映画の流れの中で踊る歌うシーンが頻繁にはさみこまれることです。この歌い踊るシーンは筋書きと全く関係ない場所、例えば突然スイスアルプスが出て来たりする、である場合がよくあるのです。

さらにボリウッド映画の女性描写のステレオタイプ化は徹底しており、主演級の出演者は髪が長く胸が大きく目がパッチリとした顔の典型的コーカソイド美人というのにつきます。そして男性ヒーローが憧れるこのヒロインは時に保守的な家庭の反対にあうといった役柄です。インド社会を大なり小なり現しているのか、それともインド社会がこういう女性像を求めているのでしょう。それがマレーシアでも受けるというのは、マレーシア社会の一部、つまりマレー人社会とインド人社会にとって、こういう描写にあまり抵抗感がないという面もあると言えますね。
尚これがすべてボリウッドとはもちろん言いませんし、できません。ボリウッドファンではない筆者の知る範囲はごく限られているし、マレーシアに輸入されるのはボリウッド映画の一部ですからね。あくまでもマレーシアで一般的に公開されるボリウッド映画という範囲です。

その他の各国映画のファンは極一部のファン層

マレーシアの大都会といっても恐らくクアラルンプールだけでしょうが、この2年ほどようやく上記3国以外で製作された比較的マイナーな映画が2箇所の有名シネプレックスだけで上映されるようになったのです:18ホールを持つMidvalleyのシネプレックスには座席数の少ないインターナショナルホールが数ホールあり、常時数本上映されている。またKLCCのSuriaショッピングセンター内のシネプレックスではごく不定期に上映されることがある。しかし3大映画は公開前から違法VCD化されるぐらいなのに、こちらのマイナーな映画はほとんどVCD化されてない、又はなっていてもきわめて目立たない程度なので、まだまだこういった映画の大衆化は全然きていませんし、来ないでしょう。

注:インターナショナルホールでは99年のシネプレックスの開場とほぼ同時期から、商業的にはマイナーな各国の映画を上映している。フランス映画、イタリア映画、イラン映画、スエーデン映画、韓国映画、日本映画、中国映画、トルコ映画など2000年末までに30数本が上映されたそうだ。そのうち次ぎの3本がたいへん人気が良かったという;イラン映画のChildren of Heaven, 日本映画のLove Letter, 中国映画のNot one Lessで、どれも半年近く上映されていた。

例えばしばらく前、中国映画の極めて映画らしく感動的にどろくさいしかし地味な映画Road Home (後に人気女優となるZhang Ziyiが主演)が上記インターナショナルホールの他に、一般館で上映されたのですが、わずか数日で打ち切られました。私の見た時間帯は観客が5人にも満たなかった。この”Road Hoam”は、Midvalleyのシネプレックスでは数ヶ月間上映されていたのですが、思った通りやはりこういう映画は一般観客対象とした単館では商業的に成り立たないのです。この点日本は、マイナー映画の常設映画館もあり、日本人の好奇心の広さを示していてうれしいですね。

同じようにMidvalleyのインターナショナルホールで2000年初、初めてのベトナム映画”Three Seasons”が公開されました、非常に映画的に優れた映画でしたが、こういった泥臭さと東南アジア民族文化を基調にした映画はまこと観客が少ないようで、インターナショナルホールでさえ数週間で打ち切られました。

注:このMidvalleyのインターナショナルホールに触れた記事が2001年11月30日付けStar紙に載っていたので引用しておきます。
インターナショナルホールでこれまでにすでに70本ほどの各国映画が公開されたが、マレーシア人観客はこういった非商業的映画または非ハリウッド映画には興味を示していない。Midvalleyのインターナショナルホールの配給部門のマネージャーの語る、「こういう映画を見に来るのは一部の決まった人たちです。インターナショナルホールはすきま市場です。」 「しかし非商業的な各国映画を公開するのは重要です、なぜなら高品質な映画を公開するだけでなく、そういった映画が描こうとする違った文化を理解する事に役立つからです。」 「2002年はもっと各国映画、特に東南アジア製の映画の公開を増やす計画があります。」


英国を軸にヨーロッパを見る

マレーシアは多民族国家であるが、それを構成する各民族に関係ない文化には極めて興味が薄い国民です。筆者が違和感を感ずるのは、例えばマレーシア人とタイの話をしてもそれが単にバンコクとかハジャイでの買い物、娯楽に終ってしまう事で、タイの文化なり民衆の暮らしの話しに進まない点です。さらに例えば、マレーシア人にとってヨーロッパは”英国とその他” という分類認識なのです、ドイツもロシアもスペインもすべて英語国でないその他のヨーロッパという捉え方であり、つくづくと旧英国植民地としての深層意識と英語崇拝意識は根強いなと感じさせられます。

映画の話しに戻れば、世界の映画で質の高さを言われる旧ソ連、ロシア映画は知る限り1度も劇場公開されていない(極小規模のクラブ上映会はのぞく)、フランス映画、イタリア映画その他数カ国の映画などもMidvalleyのシネプレックスのインターナショナルホールのみで公開されるだけです。遠いヨーロッパのことはさておいて、隣国のタイの映画が映画館・シネプレックスを通じて全く公開されないのは、全く解せません(最近インターナショナルホールのみで1本公開中)。タイ映画は製作本数も多いから、配給会社が公開するための選択もできるはずです、それなのにすぐ隣の国の映画がなぜ公開されないのか。これは逆に、タイでマレーシア映画が全く公開されない(筆者の知る限り公開されたことはないはず)ことに合通じる意識がありますね。

さらにベトナム映画もフィリピン映画もマレーシアの一般映画館では公開されない。東南アジア共同体意識がいかに大衆の中に薄いかを叙述に物語る例です。単に映画鑑賞の面でなく、EUのヨーロッパ人共同体意識と比べてASEANの東南アジア人共同体意識はまことに希薄であると、その両方に旅し滞在し暮らした経験を持つ筆者はつくづく感じます。

マレーシア旅行では映画を見よう!

筆者はこれまで20箇所近いあちこちの映画館やシネプレックスで映画を見てきたので、マレーシア人観客の態度とか嗜好がよくわかります。ハリウッド映画で言えば、やはりどうでもいいけど多少にセクシーで荒唐無稽のアクション映画 Charlie's Angels みたいな映画がうけるのでしょう。まあ映画なんて楽しければ何でもいいでしょうからそれもいい、筆者もハリウッド映画は好きだ。しかしベトナム映画やタイ映画もたまには公開してくれと、様様な種の映画ファンである筆者は願いますね。

こんなことを頭に入れたうえで、マレーシア旅行の際はシネプレックスで映画を楽しまれる計画も入れておかれるといいですよ、日本の超高額な鑑賞料金の10分の1から8分の1の料金で、ゆったりした座席のシネプレックスで映画が楽しめますからね。


参考:マレーシアで見られる映画に関連した、ゲストブックの書きこみから抜粋収録

映画の話題に関連した読者からの書きこみが「ゲストブック」にありましたので、参考までにここに収録しておきます。ボリウッド映画ファンである八重子さんです。

八重子 > ここ20年くらい、音楽と踊りのないタイプの映画は、年毎に少なくなってきているそうです。一般大衆の好みに迎合 しているため、と映画製作関係者自身も批判していますが、やっぱり売れないと、、、ってことでしょう。 (2000/12/11(Mon) 11:53)
八重子 > インドの人たちにとっての映画って、ずっと一番の娯楽であって、厳しい現実の生活からかけ離れた、夢の世界をあらわしたタイプのものがやっぱり一番人気があるようです。現実には見ることが出来ないお金持ちの生活、海外の風景、美女と美男の恋愛、、、。 (2000/12/11(Mon) 11:57)
八重子 > ヒンディー映画についてもう少し。(しつこいようですが)今一番人気なのはShah Rukh Kahnでなくて、Hrithik Roshanだと言われています。あと、学校長役をしていた俳優の息子、Abhishek Bachchanも人気があるそうです。Shah Rukh Kahnは今はそれほど、、、という感じらしいです。(私の好みとしてはNana Ptekarですね。昔からおじさん好みだったので。彼は、歌と踊りのない、いわゆる芸術映画に入る、ボンベイのスラムの子供達の生活を描いた映画に出演していて、一応演技派俳優と言われているらしいです。ただの映画好きの私には演技のことはわかりませんが。 (2000/12/13(Wed) 00:39)

Intraasia > ボリウッド映画、ここでは主流のヒンヅー映画ですが、ハリウッドに次いで盛んな映画産業だそうで、製作本数は郡を抜いています。その観客層の主体は貧しい大衆だそうでそれにかなわぬ夢を売るとるのが一般的見方ですが、しかしそれだけでは捉えられないのです。中流階級もたくさんファンだといわれている、さらに海外のインド系何々人もボリウッドファンです。特に海外のインド系ファンには上中流層の比が多いとも、ですからこれほどボリウッド映画は普及しているわけです。

でなぜ?そこを追求するのは専門家の仕事で私の任ではありません。私がボリウッドをたまに見るのは、それがマレー人にたいへん人気がいいからです。マレーシア観察者としてそれを無視できないからです。ファンでもないのに見る、変な話しですが。なぜボリウッドがマレー人の意識に答えるか、これを探るのが私の目的です。 (2000/12/13(Wed) 09:27)

12月初旬に載せた”巻頭のことば”もこのコラムに関連しますので、ここに再録しておきます。

先月2本のマレーシア映画をシネプレックスで見ました。映画ファンの筆者にとってたまにとはいえ、マレーシア製映画を見ること自体は珍しいことではありません。でなぜそれをここに書くかです、それは年間製作本数10数本という少ないマレーシア映画界で2本とも特色ある映画であったからです。マレーシア製映画といってもこれまでその全てはマレー人主体のマレーシア語映画であり、それは現在もほぼ変わりはありません。

マレーシアのプロダクションと監督の下で製作された初の英語映画 "Spinning Gasing" が今回公開されました。ロケ場所がすべてマレーシアで出演者がほぼマレーシア人というだけでなく、複数の主演者は多民族国家を象徴して華人、マレー人、インド人、ユーラシア人です。英語せりふの中に時にマレーシア語と広東語のせりふが混じるというマレーシア的会話だけでなく、テーマの一つに異民族間の恋と結婚をからませたり、東海岸の伝統芸能をおり込んだりと、なかなか演出は上手でした。外国人が手っ取り早くマレーシア像を浮かべるなら、官製のToursim Malaysiaのコマーシャルよりこの映画を見せたほうがいい、とある地元批評家が書いていましたが、筆者も同感です。

しかし数週間に渡って国内都市のシネプレックスで公開されていたこの映画の興業成績はどうだったんでしょうか?筆者の見た時はわずか3人の観客でした。なぜたった3人だけ? それは大多数のマレーシア観客が映画に期待する憧れと非現実世界の夢が、この映画には欠けていたせいかもしれません。でも筆者はマレーシアに興味ある日本人の方にはお勧めしておきます。市販のVCD版でご覧になれますよ。

もう1本は極めて泥臭いマレー映画でした。監督は芸術派のU-Wei なので見る前から観客は少ないだろうなと推測していたら何と筆者1人だけでした。この映画 ”Kaki Bakar” は数年前外国の映画祭でマレーシア映画として初の受賞したそうで、本来のビデオ撮影を映画サイズに焼きなおしてようやく公開されました。主人公のジャワ系マレー人のマレーコミュニティーとの葛藤を描くというテーマと監督のリアリズム的地味な手法では、国内で興行的に成功はありえないでしょう。尚U-Wei監督の他の代表作にJoghoがあります。

筆者はこれまでハリウッド映画主体にいろんな外国映画をマレーシアの地で見てきましたが、この種の泥臭いとか芸術的映画をマレーシア人は全く好みません。ましてや国内のマレー社会を地味に描く映画なら尚更でしょう。この映画を見るチャンスはもうないと思います。
映画は製作された作品だけがその国なり民族の性格をよく示しているだけでなく、観衆の映画への反応と見方にもそれがよく現れてくると、筆者は考えます。



華人人口比低下を憂慮する華人指導者層の論理  -前編−


昨年7月全国一斉に実施された全国人口と住宅調査の結果が発表されました。その中からこのコラムに関係する点を取り上げてみましょう。(特に明示してない場合の数字は2000年7月時点のもの)

総人口と結婚年齢

総人口: 2327万人 (10年間で489万人の増加、つまり平均2.6%の増加率)、 内男性が1185万人で女性が1142万人。この人口には非マレーシア国民が138万人含まれており、その割合は1991年の4.4%から5.9%に増加した。
総人口における男女比は、女性100人に対して男性104人(1991年は男性103人)になる。ほとんどの州は男性比が高いのだが、ペルリス州、ペナン州、ケダー州は女性の比が高い。

マレーシアは人口増加率が抜群に高いわけでもないけど、低いとも言えませんね。この伸率がこれからも大きく変わる事はないだろうと、専門家にはみているそうです。日本よりずっと伸び率が高いので、以前は日本の7分の1だったのが今では6分の1強ですね、これが5分の1になることもそんな遠い先のことではないでしょう。

男性の平均初婚年齢がわずか上昇して28.6才(1991年は28.2歳)、女性の場合は25.1歳(1991年は24.7才)です。
国内でも初婚年齢が遅いのはクアラルンプールで、男性が30才で女性が27才です。次いでペナンで、男性29.3才で女性が26.3才です。結婚していない男性の比率は20才から34才では48.12% (1991年は43.2%)、女性の場合は20才から24才の範囲で68.5% (1991年は60.2%)である。

民族別人口の意味するもの

マレーシア市民人口における割合
民族別ブミプトラ華人インド人その他
年齢別15歳以下65才以上平均年齢
1991年60.6%28.1%7.9%わずか
1991年36.7%3.7%21.9才
2000年65.1%26%7.7%わずか
2000年33.3%3.9%23.6才

総人口を都市部と非都市部に分けると、都市部が62%で、これは1991年の50.7%から相当上昇しています。総人口に占めるムスリムの割合は1991年から多少増加して60.4%です。

国の発展に伴って、都市人口が増加するのは当然ですが、極端な都市化現象とはいえないと思います。まだまだマレーシアでは非都市部と都市部の間におけるインフラ面と経済面と医療教育などの公共サービス面に、各段の差が残っている地方も多いからです。ブミプトラの割合が総人口の65%なのにムスリムがそれより少ないこの割合なのは、非マレー人のブミプトラ中にはムスリムでない人々が多いからです。彼らは主としてサバ州とサラワク州の先住民族で広義のクリスチャンですね。

下記で論じるのですが、華人の人口比が今回の調査でも下がりました。インド人はこのように全体から見れば完全なる少数派です。インド人はクアラルンプールとペナンに多いので印象的には案外の比率に感じる方が多いのですが、実際は1割どころか8%にも足りません。集中している都市や村ではよく目立つのですが、インド人をほとんど目にしない地方や町村は非常に多いのです。


州別に見た華人人口とその比率
クアラルンプールの人口と民族比率
華人の多い州華人人口(その割合)
華人極少数の州華人人口
人口1,286,937人
ペナン州588,693人(46.5%)
トレンガヌ州24,295(2.8%)
マレー人549,481(42.6%)
クアラルンプール560,153人(43.5%)
クランタン州10,631(3.8%)
華人560,153(43.5%)
ジョーホール州916,704人(35.4%)


インド人146,621(11.4%)
ペラ州643,121人(32%)


その他ブミプトラ11,958
スランゴール州1,230,271人(29%)



半島部ではペナン州とクアラルンプールだけは華人人口がマレー人よりいくらか上回ります。

華人人口比の低下現象は続く

さて、この人口調査結果に大きな感心、というより憂慮感を表明したのが華人コミュニティーの指導者層です。各華語新聞はこの件を大きく伝える中で指導者層の言葉に焦点を当てていました。なぜか?それは華人コミュニティーの人口比率の低下が停まらないので、これは彼らにとっては一大事なのです。

マレーシア成立前である英領マラヤ時代における総人口に対する割合を示すと、1931年 ブミプトラ49%、中国系34%、1947年 ブミプトラ49.5% 中国系38%でした (当時は華人でなく中国人です)。マラヤ連邦が独立した1957年では ブミプトラ49.8% 華人37%、そして1970年 ブミプトラ53% 華人35%でした。つまり30年前である1970年の時点では、国民の3人に1人は華人であったのですが、2000年時点では4人に1人に減ってしまったわけです。

華語紙 星洲日報は10月8日付けの特集記事の冒頭でこう書いています。「現代の華人家庭は子供1人では少なすぎる、2人がちょうどよい、3人では多すぎる。現代華人家庭は子供の養育に長期計画を建てなければならない、彼らは子供の養育を怖がっているわけではない、多産を怖がっているのです。彼らが産婦人科医を訪ねるのは、必ずしも妊娠できない事に関してではなく、避妊に関してでもあるのです。」

華人社会に占める華人団体の影響の大きさ

華人界のいろんな組織・団体の指導者層はずっと以前から華人比率の低下を憂慮し、華人家庭に多産を奨励しています。華人組織というのは華人の先祖の出身地別に組織した同郷団体、同じ姓の者から構成される同氏族団体、業種・職業別に組織した業者・職能団体、運動体別に組織した社会組織からなりますが、これらは華人界の中で非常に大きな発言力と影響力を持ちます。華人政党はこれらの華人組織・団体と表裏一体ではありませんが、支持組織として非常に重要であり且つ指導層には政党の幹部に近いとか組織出身がいますから、思考も代弁する立場になります。

これら組織・団体の指導者層は、青年組織を除けば、伝統的に且つ圧倒的に中高年の男性が牛耳っています。華語紙に頻繁に載るこれら組織・団体の会合や大会の報告、華人行事の際の広告などに掲載される姓名と写真を眺めると、指導者層は中高年男性にものすごく偏っていることがよくわかります。一体どこに女性代表や青年代表はいるのだろうかと探さなければならなないほど、女性と青年は少ない、特に女性は極少数です。

多産を奨励する指導者層の論理

その華人団体・組織の指導者層の意見はいずれも内容は似たりよったりのようで、その主張を星洲日報の10月8日付け記事は次のように要約しています。

「政府の意向に従って、多くの同郷団体はいろんな優遇措置を提供している。華人は子供の教育に大変心を使う。そこで社会競争と経済面で子供教育の負担するのが難しいということが、子供の養育をしないという理由にはなり得ない、と考える。」 「マハティール首相の提案する将来マレーシアを7千万国民にするという人口目標において、華人人口比がこのまま低下を続けて行けば少数民族化してしまい、各方面での権益の取得に困難を起こす。」 「子供の教育資金に関しては政府が奨学金を提供し、各華人団体がこれも独自の奨学金を提供している、さらに教育保険もあり、教育費の問題が子供を多く産むことの妨げにはならない。だから華人家庭はもっと子供を産むべきである。」

という論理です。各団体が華人家庭に奨学金を提供しているいうのは本当で、華語新聞にはこの種の奨学金提供のお知らせと奨学金を申請して認めれた子供の名前を列記した報告が、しょちゅう載っています。何千とある華人団体・組織の一部だけでなく多くのまことに多くの団体、ひょっとしたら数百はいくのではないだろうか、がそれぞれ独自にその会員の子供に限って又はオープンで奨学金などを提供しています。対象子供は中学生以上がほとんどのようです。

記事の要約を続けますと、
「マレーシアは発展スピードが早いので、専門職や労働者が不足している。知識を持ち且つ優良な血統の華人ならば、子供が社会に出ても足がかりを得るのが困難であると必ずしも心配する必要はない、とこの華人界の指導層は思っている。」 「華人青年は結婚を遅くする必要はない、ともこの人たちは言っている。そして夫婦は早期に子供を養育すべきだ、理想を言えば男性は30才前、女性は25才前が親になるのがよい、と。」

生殖を決めるのは誰か

筆者に言わせれば、博物館行き思考ですが、こういう思考と論理を持った人たちが華人コミュニティーの各組織・団体の指導層を牛耳っているのは間違いないでしょう。”生殖と養育の選択権と決定権を、国家、民族、共同体、組織の手から個人と夫婦の手に”、という近代の個人思想は見事に跡形もありません。20世紀中葉までは国家が政府がまとまりとしての民族が、その構成員の生殖と養育を決め、それを社会規範化させてきました、例えば第二次大戦前の日本やドイツやソ連での埋めよ増やせよの政策ですね。構成員がそれに背けば社会的に不利になり、時には後ろ指指されることになりましたよね。こういった社会的規範は法律に書いてなくても、無言の圧力という形でも現れます、だから人々はそれに逆らうことに躊躇し且つ反発の思想が生まれにくくなります。

注:筆者がここで 「生殖と養育の選択権と決定権を、うんぬん”という近代の思想」 と書くとき、もちろんその近代の個人思想に肯定的価値観をおくからです。その近代の個人思想に否定的価値観を置く立場の人々も当然存在しますから、そういう方々にとっては「生殖と養育の選択権と決定権が国家、民族、宗教共同体にあるべきだ」 ということになるのでしょう。筆者は基本的に文化相対主義に立ちますから、近代の個人思想に否定的価値観を置く立場の人々を全面否定するつもりはありません。しかし、どんな立場の人の思想もそれはそれでいい、などという”完全・文化相対主義”の立場はとりません、もしそういう完全・文化相対主義の立場に立つと、例えば 食人主義の文化もそれはそれでいい、などとなってしまいますからね。


しかしこの国家と民族又は共同体、組織のために生殖するという思想と流れは、第二次大戦後、現代世界の平等化と大衆化の流れの中で、西欧諸国でも日本でも、大きく変化しました。女性権利の確立と人間の基本的権利の点から、生殖の決定は個人の手にあることを、現代では多数派思考として認めているはずです。もちろんどんなことがあろうと、日本民族のためにとか何々家のためになどという旧主思想が消え去ることはありえないことは、いうまでもありません。

国家はその国家政策として、人口政策をもつのは当然でしょう。労働不足と高齢化に対応するために、子供の養育や教育に補助を増やす、そのための施設を作る、税金などで間接的に出産を助長する、といった政策は多くの先進国で取っていることでしょう。しかし少なくともそれは国家の政策としてであり、社会の規範化、無言の強制化を目指したものではありません。個人、夫婦がこれを受け入れるか否かはあくまでも個人と夫婦の選択なのです、いや是非そうあるべきです。国家の方針・政策に従わないからといってそれを批判されるいわれはないし、個人の選択の自由と権利を尊重した上で、この国家の政策は施行されべきです。

マレーシアにおける違いを知る

しかしマレーシアのような国と社会ではこれは相当違います。先ずマレー人を中心としたムスリム社会にこういう思想は通用されないし、最初から生まれません。ここに西欧思想とイスラム思想の決定的違いの一つを見るのですが、生殖、信仰、現存在や社会規範からの解放という思想は、イスラム教とは両立しません。唯一神の創造した人間が神に背けない事を絶対前提にイスラム教の思想と社会体系は成り立っている。そこで生殖を、唯一神がでなく自由なる個人がコントロールするという思想が生まれないのは当然ですね。イスラムはそういった思想を拒否するのです。ですからマレー人の子沢山思考はこれにも一因するのです。もちろんマレー民族として子沢山主義を好むという観点もあるかもしれませんが、そうだとしてもそれが第一要因ではありません。昔子沢山主義であったのは世界のほとんどの民族は経験していたはずですから、子沢山主義は何もマレー人コミュニティーやインド人コミュニティーに限りませんよね。

もちろんマレー人家庭といえどもいつまでも子供を生んで養育するということはありませんから、当然多くのマレー家庭が避妊手段を取り入れている事は、以前のコラムでも数字を上げて書きましたね。問題は避妊するしないということではなく、避妊手段を早くから取り入れるか多産のあとようやく取り入れるか、ということでもないのです、生殖に対する思想の根本的違いなのです。



華人人口比低下を憂慮する華人指導者層の論理  -後編−


人口比は確かに大きな意味合いを与える

さて華人コミュニティーに戻ります。華人コミュニティーは上記で示しましたように、マラヤ連邦時代から1960年代末までは、半島部に限れば人口の3人に1人は華人だったのです(当時 マレー人は人口の過半数を切っていた)。しかし2000年にはこれが4人に1人に減ってしまいました。これはマレー人を中心にしたブミプトラの出生率が華人よりずっと高いことからの結果です。この30数年間に起きた大きな変化であり、人口比を重視する中華民族至上主義の立場に立てば、この比率減少はまことに重大でしょう。

経済的権益と発言権を確保し続けたい華人コミュニティーの指導者層は、華人政党指導層を含めて、華人の人口構成比にたいへん敏感であり憂慮しています。それを示したのが上に載せた指導者層の捉え方の要約ですね。マレーシアが多民族国家であり、その基本的ありかたとして、マレー人中心のブミプトラ対非ブミプトラという思考がめんめんと続いていることは現在のブミプトラ政策にも見られます。ですから、マレー民族主義者が、華人の構成比が低下すれば現在の社会的枠組みを比率に見合った形に修正する、つまりマレー人側にとってプラスに変更するよう主張することは当然の思考でしょう。これを怖れる華人コミュニティーはその強大な経済力にも関わらず、枠組みが華人界にとってマイナス方向に修正されることを恐れるのです。これが少数民族化を恐れる上記指導者層の要約に現れていますね。

民族の利益維持のために多産を奨励

こういった華人界の指導者層の具体的発言を、マレーシア客家人連合の青年組織(客聯青理事会)の顧問、といっても既に老年といえる人です、の発言から引用してみます (星洲日報の同日記事から)。

「もし華人が人口比率の低下にまた気を使わなければ、数十年後華人コミュニティーは少数民族化してしまい、その時権益を獲得する面において障害に面するであろう。華人という身分の時子供を産み育てるのは人の責任だというだけでなく、社会と国家に対する責任でもあるのです。とりわけマハティール首相が2020年には7千万の人口目標を立てていることにおいては、単に人口を増やすという事でなく,国際上の地位を確保するということである。

少なからずの華人はこう考えている、子供を多く育てるのは将来教育問題にぶち当たると。しかし実際には、家が貧しいことが教育の障壁にはならない、我々の同郷団体は大学生を選んで奨学金申請者に与えている、その大部分は貧しい家庭の子供が多い、彼らも同様に高等教育を受けることができるのです。教育省の高等教育基金が近年開始したが、それは各民族の大学生に開放されており、一律にRM6千からRM8千を貸し出す。加えて華人団体・組織の多くがそれぞれ奨学金を提供している。成績優秀で家が貧しい申請者向けにだ。だから多くの学生は父母の刻苦の金を当てにすることなく教育を受けられるのだ。

少なからずの華人親は子供の卒業後を心配している、競争熾烈な社会では足がかりを得るのが大変であると。実際にはこれも憂慮する必要はない。なぜなら我国の発展する余地はたへんあるからだ。努力さえすれば、高位の職に着くことは困難だと心配することはない。
中略
女性が自主権を持ったことが我国の華人人口比率の低下に寄与した一因である、だから職業女性がもっと多くの子供を生むことを願う。男性は子供の面倒を見ることで協力すべきであり、それによって女性の受ける圧力を軽減させるべきだ。妻が多産である事を奨励する。私はどの華人家庭も4人から6人の子供を産み育てるべきだと思う。男性は30才前に父親になるべきであり、女性は25才前に子供を生み始めるべきだ。」
以上

多産の面倒は誰が見るのか

こういう意見を読んで筆者は思うのですが、多産すれば子供の面倒は誰が見るのであろうか。2世代家族化している現代、数多くの幼い子供を共働きの夫婦が常時見られるわけはない、専業主婦でもちょっと難しい、つまり家庭内住み込みの外国人メイドを雇えと奨励している又は前提にしているのだろう。いかにも金力で解決を得意とする華人指導者層の発想の一端でもあります。さらに4人から6人もの子供を生み育てるのはどんな女性にも、特に職業女性には相当なる身体面と精神面に負担を要求しますから、多くの職業女性には職業面で当然不利に働く事は明らかでしょう。女性に多産を要求するこういう人物の発想がどんなことを前提にしたものであるか、自ずから明らかになりますね。

数は力なりの論理

もう一つ引用しておきます、華人団体の上部統合団体である華総の会長の発言からです(星洲日報の同日記事から)。

「華人の重要な本質を重視しない思想が出来上がってきたことが、華人人口比がだんだんと低下してきた原因の一つである。人々は周知している事であるが、華人は子供の教育を大変重視する、教育費はこの子供養育の避けられない要因である。しかしながら昨今多くの華人団体・組織から政府まで教育基金を設立して申請者に学費を提供している、華人はこのチャンスをつかむべきである。
 
華人人口比の低下問題は多方面にわたった深い討論がなされなければ、将来華人社会に大きな困難をもたらすであろう。華人人口比それゆえに、華人のマレーシアにおける地位に充分なる影響をあたえる。
華人社会全体がこの問題は重大性を帯びているという事に関心を払うべきである。この問題は実際新しい課題ではない。しかしながら我々はこれに対して努力を大してしてこなかった。もっと重要な事は、華人はこの問題に関心をあまり払ってないのです。このため我々は現在しなければならないことあがる、それは後の結果と影響を帯びたこの問題の研究討論を皆ですることです。

実際、量と質の両方を重視しなければならない。人口比が低下しては華人にとって一つもいいことはない。華人は正常な段取りに従って結婚し子供を産むべきである。我々の人口をそうして相対的に伸ばそう。
華人組織も民間団体も一致協力してよく研究討論し、華人の子供生育を奨励しましょう。さらに華人を正確な思想で教え導きます、華人人口が実際、明らかに国家発展を呼び込むのです。」
以上

典型的中華思想であり、中国流の中華民族の繁栄を最優先し数は力なりを訴えていますね。個人の選択と嗜好は民族の利益と繁栄の前に消え去っています。

なぜ表立って反対しないのか

こういった華人界の指導者層、重職に就く者の発言を華語新聞は幾つか載せています。
いずれにしろ、筆者にはほとんど受け入れられない思考でありますが、一体マレーシア華人コミュニティーの女性は、青年若年層は、こういった思考をどう受けとめているのだろうか、と筆者はよく思います。これほどまで生殖を民族の大義名分で管理したがる思考と行動に、女性と若年層がほとんど反発しないので、筆者には不思議に感じるのですが、これもマレーシア華人コミュニティーのあり方なのですね。

マレーシア社会全体に起こっている変化

ところで華人社会だけでなく、マレーシア社会全体に起こっている変化を社会人口分析すると5つの主要な傾向が見られると、国家人口と家族発展会議のFatimah事務局長がまとめています。(11月5日付けThe Starの記事)

結婚適齢年齢に達した若者が教育、職業、家庭の設立を求めて国内のより発展した地に移動することが予想されるので、核家族構造の割合は増加傾向にある。これが結果的に(伝統的な)家族による援助システム、特に老いた者と子供の面倒を見るという、の希薄化につながります。
以上
ここで示されていることは、社会の産業化と複雑化・高度化によって生み出された極めて自然な傾向でしょう。これが現実であるのです。この現実を無視して時計の針を逆に戻そうとする発想が、華人指導層にみられるのです。尚マレー人指導層、宗教指導層に関してはまた別の分析が必要なので、ここでは触れません。

庶民段階の素直な意見にほっとする

最後に、華人コミュニティーの一般庶民的思考を踏まえた2人の婦人科医の言葉を載せた記事を紹介しておきます、これも同日付けの華語紙 星洲日報に載っていたものです。

産婦人科医の張医師は次のように語る、
「これまで多くの人々と話した結果わかることは、華人がもはや多くの子供を産み育てない主原因は、多くの子供の面倒見に多大な精力を費やすつもりがないからです。都市の華人にとって子供の面倒を見るのは容易でない、特に新米の親にとってはなおさらです。子供によい生活を与えるべく心を配り、多産を拒否するのです。

次いで経済的負担の問題があります。華人は一般に子供が充分な教育を受けることを希望します。子供が小さくても彼らは子供が大きくなって教育費とその関連費用に思いがいくのです。避妊方式に関して、華人女性の多くははピルと避妊リングを受け入れません、彼女たちはコンドームと体外射精を選択します。
昔は華人夫婦は7,6人から10人もの子供が普通のことであったのだが、今では家庭の縮小で2人から3人まで、3人以上は多産とみなされています。田舎での傾向はこれほどはっきりとはしていませんが、彼らとて産児制限を始めて再度多産には戻りません。

現在華人コミュニティーに広まっている産児制限の風潮のもと、多くの若年夫婦は多産を拒否します。華人社会はこれを検討する時に来ている、とりわけ家計困難な家庭でなければ4人程度の多産を奨励すべきだと思う。」

こういう思考は指導者層の主張する民族の権益のためにという発想からでなく、4人程度の自然な多産の奨励論ですね。筆者はこういう論議までも批判するつもりはありません、そういった意味から尊重の意味でここで掲げておきます(賛成ということではない)

クアラルンプールにあるよく知られた華人病院に務める中国医療の産婦人科女医は語る、 
「現代の華人家庭は縮小し、2人か3人の子供を生めばそれが産児制限の始まりだと考えている。マレーシアに来て働き始めて数ヶ月してわかたことは、この地の華人社会の抱えるいくつかの問題です。とりわけ生育に関する状況です、それは精鋭を尊び多産を尊ばないということです。

華人社会は教育にたいへん力を注ぐ。病人の病床の言葉から、彼らは子供が充分に高等教育を受けさせたい、それは外国でもいいから、と非常に思っている事がわかります。結婚後夫婦は自分たちの子供を望む、ただし多くを生んで育てるとおいうことではない。結婚が遅いということも一因では有るが、40才50歳になっても子供の成育はできる、しかし彼らは多くの出産を好まないのです。また同時に、少なからずの女性が独身主義だということも発見した。これも華人人口比低下の一因であるとも思う。」
記事は以上

華人意識は薄れはしないが、そのために多産には戻らない

極めて理に適った観察であり意見でしょう。もはや華人家庭の多くは多産に興味がないのです。それは、単に教育費だけの問題を心配するからでなく、社会全体の急激発展と複雑化と都市化によって、意識の変化を生み出しているからなのです。華人コミュニティーの大多数の構成員が、年齢の老若や所得の多少によって華人意識を失うことはありえませんから、現代の若い又はそれほど年を重ねていない華人夫婦が華人コミュニティーの崩壊を願っているなんてことは冗談でもいえませんし、そんなことは起こりえません。それどころか華人コミュニティーは小学校での民族語教育や大学での民族別割り当て問題に非常に敏感です。

だからといって、その権益を守るために自らの意識を、社会全体がそれほど発展してなく複雑化してなく都市化程度の低かった30,40年前に戻して、多産主義に復帰するかと問えば、肯定の答えを得るのは非現実的なことでしょう。ただ現代見られるその意識の中に、”生殖と養育の選択権と決定権を、国家、民族、共同体、組織の手から個人と夫婦の手に” という強烈な意識は感じられません、だから消極的な個人主義の発現だと筆者は見ています。

こういう意識の変化を知って知らずか、時代錯誤的、非現実的な願いを華人の指導者層は訴えているのです。まこと彼らの思考法が博物館行きである、と筆者はつくづく思います。さらに、そういう思考を公言する指導者層に反発しない華人コミュニティーのありかたは、筆者はいかにも家長父的権威を重んじ且つそれに弱いマレーシア華人社会だなと、と感じざるをえないのです。



なぜIntraasiaは時にマレーシア関係の記事、ステレオタイプ像を批判するのか  


Intraasiaの姿勢

筆者はマレーシアを専門に伝える者として、情報の幅広さと質にこだわってきました。マレーシアを伝えるとは様ざまな面を伝える事であり、単に日本人の興味事を満たす事柄”だけ”を、ホームページのアクセス数を増すようなこと”だけ”を、書くことではないというのがIntraasiaのあり方であり、信念です。

例えば、マハティール首相の独裁性を批判するだけでは一面的過ぎますし、マハティール首相の成し遂げた発展途上国中の優等生的国家マレーシアを賞賛するだけでも不充分です。青い海と白い雲ココナツの木陰でジュースを飲む豪華なリゾート滞在、もちろんそれもマレーシアのある一面です。素朴で変化の少ないマレーカンポンの都会にないのんびりとした雰囲気、これもマレーシアのある一面です。ペトロナスツインタワーがそびえたち、モダンなKLIA空港の斬新さを賞賛する、それもマレーシアの一面です。一方、まともな住環境に程遠い非法居住者の住む非合法住居占有地区(スクワッター地区)の存在、それもマレーシアの一面です。だから筆者はこれらを混ぜて伝えてきました。筆者はマレーシアを賞賛することだけを書いているのではないし、マレーシアを批判するためだけに書いているのでもありません。

1990年当時勤めていた会社の先遣隊として、望んでマレーシアにやって来たことが私のマレーシア滞在と関わりのきっかけですが、それが今日まで続いて、最近通算滞在10年を過ぎました(途中1年ほどは日本へ帰っていた)。このそれなりにまとまった期間に渡って関わってきたことを、いかにして日本人に伝えるか、それを常に心がけています。Intraasiaは、ある時はマレーシアの強い擁護者でもあるし、ある時は強い批判者にもなります。ある時はマレーシア旅行を推薦する擬似旅行代理店の役割も果たしているのです。

筆者の意図を明確にする

さてかなり固い論調を始めに掲げたのは、これからここで書く意図を読者の方によく理解していただきたいからです。筆者は旅行マスコミやマスコミの伝えるマレーシア記事と像を時々批判してきました。下記に載せた一文はその典型的な出来事で一例なのです。この雑誌の編集部は、私の批判に対して訂正のようなものを載せる、とかっこいい事を最初1,2回目のメールに書いてきましたので、筆者はしばらく、数ヶ月も待ったのです、しかしその後全く音信が途絶えました。この雑誌の編集部がなぜ気を変えたのか、不定期に発行されているうちに”忘れてしまった”のか、日本に住んでいない私にはよくわかりません。ただその後私には全く連絡なかったことだけは事実です。

まあそういうことは全く重要な問題ではないのでそれ以上詮索するつもりはありません。重要な点は、知ったかぶりのうそを書いて出版してそのままにしたということですね。そして筆者の指摘に対して一度は応対しながら、その後は全く連絡もしてこなかった編集長と且つ記事を書いた自称ライターの傲慢な態度ですね。そこで、このコラムではその批判内容を詳しく公開するだけでなく、この話しの責任をはっきりさせるため、こういううそつき編集者といい加減ライターの名前も公開しておきます。尚その雑誌に記載されている取材者名も編集者名も筆者には完全に初見で、個人的にどうのこうのということでは全くありません。

ことのあらまし

今年2001年1月中旬筆者宛てに日本のある雑誌編集版社から雑誌が1冊送られてきました。それはその雑誌がマレーシア関連記事の中で筆者のサイトを紹介したので、参考にと送ってきたのです。昨12月の時点であらかじめ知らされていたとはいえ、贈っていただいたことに感謝です。

で初めて見るその雑誌をペラペラめくりながら、まず筆者のサイトが紹介してあるページを見てみました。当サイトのURLとともに、簡単なコメントがつけてあります。その同じページにあるマレーシア関連記事の表現にちょっと違和感を感じましたが、東南アジア専門雑誌ではないし、まあそれくらいは我慢の範囲です。(注:使用末節なことに一々文句をつけるような考えを、筆者は全く持ち合わせていませんよ)

雑誌の取材記事に憤慨

次ぎにペラペラページをめくっていき、マレーシアの小学校のことを紹介してある全く別のページを読んでみました。その2ページは日本からの取材者がマレーシアを訪問取材した記事でした。しかし、もう初めの数行から失望する内容で、後ろの方の部分は憤慨感すら覚えます。筆者はマレーシアを専門とするほームページを数年も発信している人間ですから、筆者の知識と経験は当然日本から来る取材者などの低レベルではありません。だからと言って、全ての取材者に筆者と同レベルまたはもっと高度のレベルを期待するということではありません。

マレーシアを深く知らない日本からの取材者(または在住者でもいいです)が書く記事は、その人に見合った程度であればそれでいいと思うし、その雑誌の読者もそんなに詳しいマレーシア記事を期待していないし、もし詳しすぎれば記事を読まないだろうと思います。
一番大切なことは事実を捻じ曲げない、知ったかぶりでうそを書かない、読者に間違ったマレーシアのイメージを植え付けないということです

しかしこの取材者の記事は事実ねじまげの間違いであり、重要な点をすっぽりと落としており、且つ知ったかぶりでうそが書いてあるのです。これでは筆者は見逃せませんし許せません。取材者は知らないことには触れなければいいし、確かでないことは、”・・・だろう”とか ”・・・と私は思う” と書けばいいのです。それを断定調で決めつけ且つ東南アジアの多言語者社会へのまったくの理解のなさを露呈しています。

編集部にメールで訂正をうながす

従って私はまずその編集部にメールを送り、私の批判の内容を細かく知らせておきました。なぜか? それは、筆者はその雑誌自体を批判することが目的でなく、その雑誌が次回どこかの国を取材する時こういうお粗末な取材者を使わないようにという要望であり、且つその雑誌の教育雑誌としてのあり方に強く期待したからです。筆者は一人のマレーシア観察者としてあくまでも建設的批判を目的にメールを送りました。

以上の前書きでおわかりのように、これから筆者がこのコラムで批判する点は、この雑誌のマレーシア取材記事が不充分だとか、不満足だとかいうことでは全くありません、一番批判する点は、重要点をすっぽりと落とし、事実を歪曲し、知りもしないのに知ったかぶりでうそを書いていること、なのです。だから次に記しておくように、こういうお粗末でふざけた編集者と取材者名を明記しているのです。

発行出版社:出版社を批判しているのではないので省きます(雑誌は一般に編集部が責任を持っている) 
雑誌名:子供に英語を教える先生と親のための月刊誌 "kids com"  2001年2月号 880円
編集部: キッズ第一編集部 編集長 井上美佐子
問題の記事:6 & 7ページの 「Our World from マレーシア」 
取材者名:山口まさえ


この編集部へ送ったメールから抜粋

キッズ第1編集部殿

今日17日 貴編集部からの雑誌Kid com 2月号が届きました。送っていただきありがとうございます。

さてここからは残念ながらまことに残念ながら、批判の意見をお伝えしなければなりません。
38ページに書かれている「世界で最も簡単だといわれるマレー語」などという表現にまず他民族への敏感さのなさを感じましたが、まあこの程度は見逃しましょう。もし最も簡単なら、それを話す人間がその言語で間違いをするのはいかにも愚かなことになってしまう。とんでもない、マレーシア語の試験で悩む生徒、読めなくて困っている一般マレーシア人の多いのも事実です。言われるほど簡単でないから困るのです。こういう表現は非常に敏感さにに欠ける表現ですね。

学習するに非常に時間のかかる語というのはあり、その逆もある。マレーシア語は比較的とっつきやすい言語であるのは事実です、しかし即それが簡単とはならない、第一言語自体に簡単も複雑もない、言語に高級も低級もないのと同じですね。

で最大の問題はこの取材者が書いたであろう6ページと7ページのマレーシアに関する記事です。この内容のお粗末さを、マレーシアを専門に伝える者としてとてもみのがすことはできません。** さんの好意をつぶすような気持ちでも、貴誌をけなすつもりでもなく、一人のマレーシアを専門とする者として、こういった間違いだらけの記事を許せないのです。

貴誌は「子供に英語を教える先生と親のための月刊誌」とうたってありますね。だからこそ、教師が親がこの間違った記述を子供たちに教え且つそう信じられることに我慢はできないのです。しかしなぜこういう記事を載せる前に専門家に内容校閲を依頼されないのでしょうか、これが大きな疑問です。日本にはマレーシア研究者がいらっしゃるし、私でもこの程度は校閲できます。

取材者がマレーシアのしろうとなのは最初の2行読んだだけでわかりました。取材者がしろうとなのは仕方ないでしょう、数多くの国に通じているなどどんな専門家でも無理ですから、それ自体を責めているのではありません。いろんな国と地域の取材する者がいるのは知っていますし、ある程度はしかたのないことです。しかしどの国であろうとこういう記事を書いた後は必ずその国事情の専門家の校閲が必要だということです。特に貴誌は教育関係を掲げていらっしゃいます。尚更事実誤認や取材ミス、知識不足を校閲すべきです。出版者としての義務だと思います。

様様なマレーシア記事を見るたびに私は感じるのですが、特に旅行雑誌の記事はまことにひどい、むちゃくちゃなことが平気で書いてあるし、編集者がそれをチェックできない。ばからしくていちいちとりあってませんが、今回は教育雑誌です、旅行雑誌のように簡単に見逃すわけにはいきません。

ごく小さなミスは問題にしませんが、大きな見逃すことのできない間違いをいくつか指摘しておきます。
ここで私のいう間違いとは、クアラルンプールにあるマレー鉄道駅を勘違いして又は校正ミスから、ある建物から100m離れていると書いたが、実際は1000mであったというようなことではありません。マレー鉄道駅はすでに廃止されたと書いた記述に対して、「それは完全に違う、取材者はまともに取材せずに伝聞だけを頼りに書いている。」 というようなことですよ。

「英語以外の授業はすべてマレーシア語で行なわている」 これは国民小学校(正式名Sekolah Rendah Kebangsaan) の場合のみに正しい。しかし国民型華文小学校は華語(日本では中国語と呼ぶ)を、国民型タミール語小学校はタミール語を、それぞれ教育の媒介言語で使います。だからUPSR試験にその科目があるのです。(詳しくは、当サイトのコラム第223回の「小学校卒業前の学力評価試験UPSRの英語科目」で書いています)

マレーシアのいや東南アジアでももっとも特徴的であろう小学校教育が、この主要民族語による教育なのです。これを抜きにしてマレーシアの小学校教育を語るのはまったくナンセンスであり、間違いです。華人は特にこの華語による小学校教育を大重視し、最近もこれを巡った大きな政治問題に発展しています。 よってこの取材者の記述はものすごく重要な点に言及していませんし、恐らく国民型華文小学校等の存在も知らないでしょう。国民型華文小学校は全国に1300校近くもあり、大多数の華人はこの国民型華文小学校を選びます。
マレーシアの小学校教育の姿がこれでは半分ですね(取材しろということでなく、言葉で触れなさいということです)

「今回の取材校はカバングサア・ブキッ・ダマンサラ小学校」 などと書かれていますが、そんな名前の小学校は存在しません。正式名はSekolah Rendah Kebangsaan Bukit Damansaraでしょう。Kebangsaanはクバンサアンと発言し、国民とか民族と言う意味です。Sekolah Rendah は小学校です。そしてこの小学校の名前がBukit Damansaraです、地名を学校名にしていますね。

これを日本語に訳せばブキットダマンサラ国民小学校ですね。こんなことはマレーシア語の初歩さえわかればごく簡単なことですが、取材者はそういう知識がない、まあそれはいいでしょう。しかし且つ十分な英語の聞き取り力もないことを露呈しています。
”カバングサアン”は名前ではないのですよ。”ぐ”は鼻音で発音しません。これはたとえて言えば、富士見ヶ丘高校を日本語を全く知らない”外人”が ”Fujimi gaoka koukou High School ”とするような愚かなことです。

「マレーシアの人口は約60%がマレー系が占めうんぬん」マレー人口はかろうじて50%を超える程度で60%もありません。1998年の政府統計庁の数字で51%です。2000年の時点ではこれが多少増えているのは間違いありませんが、50数%でしょう。世の中いい加減なことを言うマレーシア人もいますから、それを後で文献で確かめるのがいい取材者なのです。マレー人がマレー系人口を6割だという言い方には、その裏に意味がこめられていることを私はすぐ感じますが、それはここでは関係ないので省きます。
さらにインド人は10%もいません、わずか8%です。6割という数字を語る時は、それはマレー人主体のブミプトラのことなのです。マレー人はブミであってもブミはすべてマレーではありません。

「マレーシアでは、親が送り迎えしている子がおよそ95%、残りの子はスクールバスを利用している」 一体全体どこからこんな数字が出てきたのでしょうか?この取材した学校の場合はそうかもしれませんが、全国で95%もの親が送り迎えできるわけないのは常識でわかる。スクールバスで登校下校はかなりの割合です。一つの学校だけ見て、それをマレーシア全部に適用する発想、これは取材者、物書きとして完全な失格者ですね。

「小学校3年生にはPTSという飛び級制度があり」飛び旧制度は現在批判にさらされており、ひょっとしたら廃止されるかもしれませんし、その効果が疑問視されています。これにひっかかるのは対象生徒数の極めて少数である数パーセントです。(注:その数ヶ月後、PTSは廃止された)

「都市部ではほとんどの家庭にコンピューターがあってインターネットが普及しており」うんぬんという記述ですが、ほとんどの家庭にコンピュータがあるなどというのはうそです。このブキットダマンサラ小学校は都会の上中流家庭の集まる地域にある相当恵まれた環境の学校でしょうから、パソコンのある子供が多いはずです。おそらくこの地域にはこの記述は当てはまるかもしれません。しかしクアラルンプールでさえそんな恵まれた学校ばかりでないないのは当然のことで、こういった恵まれた地域の方が少数派です。都会でもコンピュータのある家庭は(多めに見て)3軒に1軒ぐらいの割合でしょう。昨年の全国のパソコン販売数がわずか60万台前後の国なのです。いくら都市部とはいえ「ほとんどの家庭にコンピューター」があるというのは大間違いですね。
この取材者を紹介した人の無知か、それともインタービューに答えた人が意図的にうそを言っています。

「街じゅうでどこでも英語が通じる」 「ほとんどの子供たちにネイティブスピーカーさながらの英語力が身につくのも当然といえる」 これらの記述に至っては、もう開いた口がふさがらないというむちゃくちゃな記述ですね。街じゅうで英語が通じるかどうか例えば、こんなことはクポン、ジンジャン、セタパック、ゴンバック、など周辺と下町をよく歩けばすぐわかることです。もちろん I want to buy something ぐらいはどこでも通じますが、そんなの程度で通じると言えるのであれば東京だって通じると言えますね。

ネイティブさながら?何を基準にネイティブなのか?英国人やアメリカ人のように話すのがマレーシアで英語を話す条件には成っていませんよ。当然マレーシア的特徴を込めた英語で明らかなAmerican Englishや British English を話す人はごくごく少数です(当サイトのコラムで、以前詳しくマレーシア英語を説明しました。日本人の書いた最も詳しいマレーシア英語論だと思っています)

このあたりのばかげた表現はぜったいに許せないうそと暴言ですね。私はこれを主題にしてホームページでこの取材者を(いつか)公開批判します。単なるミスでは済まされない、取材の根本的態度に問題があります。非英語国を取材するにはこの方は向いていませんし、それを編集部にも知っていただきたいと思います。マレーシアのような非英語国が英語教育に力を入れるのは、マレーシア人に英国人英語をペラペラ話させるのが目的ではないのです。擬似英国人を作るのが目的ではないのです。

この取材者は非英語国と東南アジアの国情と意識が全く理解できていない且つ英語の話せる人間だけを相手にして物事を判断する記述をしているからトンチンカンで全く当を得てない取材になるのです。非英語国を本当に取材するなら英語だけでなく、その国で話される言葉の通訳を使うべきです。取材とは単なる物見遊山、買い物ではないのです(私はマレーシアで話されるいくつかの言葉を使いわけて、様様な現象を追っています)

このダマンサラ小学校の生徒はよく英語を解するかもしれません、地区が極めてアップタウンであり、高所得者層、外国人の多い地区ですからね。しかしクアラルンプールの地区でそんな場所は限られます。例えば私の居住する華人地区では別に英語など話せなくても華語でほとんどのことが事足ります。マレー地区へいけばマレーシア語で全てのことが事足ります。こういうマレーシアの基本的仕組みがまったくこの記事からは伝わってこない、見えないのです。

ごく短期のしろうと取材だからしかたないとは言える、だからこそ現地の情報提供者の質のよさと、日本での校閲が必要なのです。取材対象にこういう恵まれた学校を選ぶのはあまり賛成ではないですがそれは好みの問題、まあいいでしょう。しかしかならずこういう学校の特徴を書かないと、本当の姿が読者には全く伝わらないのです。なぜ取材者がそういう嗜好になるかは紹介者のせいもあるでしょう (一般に在住日本人の行動範囲は極めて限られているから)。

一番の原因は、この取材者の非英語国の知識と経験と理解力がきわめて貧しいことからでしょう。取材者が英語しか話せないから、英語話者を通して物事を判断するそこに問題があることを、取材者自身自覚していないのが非常に問題ですね。英語の通じない人々の姿が見えないのですね。だから知りもしないのに勝手に決めつけて書いている、こういった傲慢な態度の取材者を私は見逃せませんし編集部にそれを強く訴えるために、公開して批判します。

とにかく今回のマレーシア記事にはがっかりし、且つ憤慨しました。それは貴誌が教育雑誌であるからこそ、私の期待は当然それなりのものであるし、今後こういった根本的な間違いを繰り返さないために、どの国の取材であろうと専門家の内容校閲を経る事を強く期待するのです。
編集部をけなすのが私の目的でも意図でもないことはわかっていただけるものと願っております。あくまでも、完全ななんて無理なことはいいませんよ、できるだけ正しいマレーシア像を伝えるのが私の目的なのです。
以上

大量生産のマスコミ記事を批判しても無駄だろうが、しかし

こういったメールを送ってもう11ヶ月も経った。受け取った編集者は、上に書いたように、その後の事次第を連絡してこなくなった。この編集者、取材者がこういう批判に鈍感であり、出版した内容に責任を取らない思考と態度を表しているが、毎日マスコミに載る多種多様の記事と同じで、批判など無視すればいずれ忘れられてしまうであろう、と思ったかもしれない。そう確かに、日々、週々、月々、数多くのマスコミの発表する膨大な記事は、批判もされずまたは読み流されて消え去って行くのです。間違っておろうと、読まれようと読まれなかろうと、次から次へと生み出され、次から次へと消えて行く、それが現状だと筆者も思います。だからこそ、こういういい加減取材者が仕事を得、無責任編集者が書籍を編集していられるのです。

しかし、事がマレーシアに関わり且つその内容がうそと間違いにあふれている活字を目にしそれをそのままにしておくのは、Intraasiaのあり方ではないのです。九牛の一毛であろうと、ここに批判の事実を残して、読者の皆さんに一例として公開しておきます。



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