俳 句 の 歴 史

10人の俳人とその作品

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第2章
松尾芭蕉(1644〜1694)
まつお ばしょう

松尾芭蕉は、俳諧(俳句)の歴史における最初の偉
大な作家として知られる。

当時流行していた語呂合わせや冗談を多用した作品
を、彼も初期には書いていたが、1680年ごろから俳
諧における(特に発句における)思想性を重視し始
めた。芭蕉は荘子の思想の影響を強く受け、発句の
中にしばしば「荘子」のテキストを引用した。

荘子は、理知の価値を低く見て、作為や功利主義を
否定した思想家である。一見無用に見えるものの中に本当の価値があり、自然
の法則に逆らわないことが正しい生のありかたであると説いた。

 鷺の足雉脛長く継添て  芭蕉

この句は、「荘子」の中の
「それが自然に与えられた性質であるならば、たとえそれが長いものであって
も、長すぎると思う必要はない。その証拠に、小鴨の脚は短いけれども、これ
をむりに長くしてやろうとすれば泣き叫ぶであろうし、鶴の脚は長いけれども、
これを切ってやろうとすれば泣きわめくであろう」
という文章をもじったものである。

この句では、荘子が否定した「鳥の脚を無理やり継ぎ足す」行為をわざと句の
中で演じてみせることによって、行為の馬鹿馬鹿しさを眼前に見せ、それによ
り人間の作為の無力さをユーモラスに強調している。

芭蕉の俳句は演劇的であり、諧謔や憂鬱、恍惚や混迷を、誇張して作品の中で
表現した。これらドラマチックな表現は逆説的な性格を持っている。彼が表現
する諧謔や絶望は、人間の可能性を肯定し歌い上げるための道具ではない。む
しろ芭蕉の文学は、人間の所為を描けば描くほどに、人間存在の小ささがかえ
って浮き彫りになり、自然の力(造化の力)の偉大さが読者に意識されるとい
うような性格を持つ。


 富士の風や扇にのせて江戸土産

 馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり

 行はるや鳥啼うをの目は泪

 山も庭もうごき入るや夏坐敷

 有難や雪をかほらす南谷

 石山の石より白し秋の風

 四方より花吹入て鳰の海

 猪もともに吹るる野分哉

 三日月の地はおぼろ也蕎麦の花

 しら露もこぼさぬ萩のうねり哉

(注)「鷺の足」の句はもともと発句ではなく、すでに発表した連歌形
   式の俳諧の中の1行を発句として再使用したものである。
   この句には言外に「これまで多くの俳諧が発表されてきたのに、
   ここで再び1巻を制作するというのも、鷺の足に雉の足を継ぎ足
   すような愚かな仕業だなあ」という、自分自身をからかっておど
   ける意味が隠されている。

執 筆  四 ッ 谷  龍


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